ちょっと古い小物達(Psion revo)

ちょっと古い小物達(Psion revo)

冬休みの間にちょっと古い機器達を探していた際に発掘された小物を紹介します。

今となってはレアな一品かも。

Psion revo1

持っている電子小物の中で最も使わなかった(と思う)割には、最も気に入っている一品であるPsion revo。

後にNokiaの携帯電話で多用されるようになるSymbian OSの始祖となるEPOC32が搭載されていたPDA。revoの前のモデルになるSeries 5がHP200LXの対抗馬として非常に好評を持って迎え入れられ、その小型版として発売されたのがrevo。

HPが米国製電子小物の伝統に従って、虚飾を排しシンプルで合理的なデザインに徹したことに対して、Psionは非常に凝ったデザインを持っており(Series3等はアイコンの形をしたボタンまで装備していた)、往年のOlivetti製PCに通じるセンスの良さだと思う。

Psion revo2

幸いにも電源がまだ入ったのでPIMの画面を表示してみた。

画面デザインにリングファイルのイメージを持ち込んでいる事が判って頂けるかと。

当時、これらの輸入PDAで日本語を取り扱うのはかなり骨の折れる準備を求められたが(だからこそ、よほど好きでなければ買えない代物だった)、Psionに限ってはUniFEPという日本語変換ソフトが提供されており、日本語入力が非常に簡単に始められたことは特筆すべき点であった。

残念ながら手持ちのrevoに入れていたUniFEPは内蔵メモリが飛んでしまっていたため再び見ることが出来ない状態だが、画面の広さと合わせてメモを取る程度には充分な能力であったと記憶している。

前述のようにrevoはSeries 5の小型版という位置付けだが、同シリーズの特徴である「ギミック」もしっかり受け継いでいる点が非常に楽しい。

一般的なノートパソコンやPDAの場合、液晶画面のチルトは開閉角度で変化させることが出来るが、キーボードのチルトは固定かつ水平位置に置かれる。最近のPCはデスクトップでも平面的なキーボードが過半になったので何の不思議も持たれないかもしれないが、旧世代のPCはタイプライターのキーボードから派生したイメージが非常に強く、キーボードは上段に行くほど高くならなければならないという不文律みたいな物が長く続いていた(だからこそ、Tronキーボードがあれほど異端視されたのではないかと考えている)。

物理的スペースに恵まれているデスクトップPCのキーボードであればこれらの用件は比較的自由に処置できるが、極めて寸法余裕が限られたPDAでは実装優先のため不文律に囚われずに所謂電卓型キーボードや現在のmac等でおなじみの平板型キーの採用(OASYS Pocketが著名、Poqet PCの時代から)による打鍵面積の確保など色々なパターンが出現していた。

その中でPsionだけは「タイプライター方式」に筐体設計で答えようという発想で液晶開閉に連動してキーボード側を傾斜させるためのギミックを組み入れており、一部ファンの方々からはこのギミックが熱狂的に迎えられていた(私も持っているThinkPad701cの所謂「バタフライ」も筐体設計による寸法制約の超越という意味では同じ系統)。

Series 5の場合、液晶側とキーボード側がリンクで結ばれておりキーボードを液晶の下に滑り込むような形で収納させることでキーボードの面積を確保しながらチルト角を取るというギミックを成立させていたが、revoでは大胆にもキーボード側を湾曲させることで開いたときに横から見ると「ん」型に展開するという極めて凝った設計を持っていた(そのためクレイドルまでがかまぼこ形に整形させていたのにはちょっと笑ってしまったが)。

Psion revo3

論より証拠、写真で実感して頂ければと。

このギミック、机で使うときはキー入力がとても扱いやすくなる優れた機構なのだが「PDAってそもそも机に向かって使う物?」という、根源的な疑問に対して、その努力は何ら報われない結果となってしまうことになる。

この辺りの詰めの甘さ(妙な拘りともいう)は如何にもイギリス製らいし所だが、この時代からARMのCPUを使い、OSは遙か現代まで携帯電話の中で命脈を保っている等、PsionはPDAの歴史から見ると実に先見性の塊であったことは変わらない事実である。

残念ながら現在のシチュエーションではフルキーボードタイプのPDAに活躍の余地が殆ど無くなってしまっているが、こうゆう「ちょっと高価だけどギミックと機能に拘りがある」電子小物って、何時の時代でも一定の需要があるんじゃないかなと…初夢でした。

Psion revo1Psion revo(秋葉原ツクモPDA館にて購入)エヌフォーのページがまだ生きていたのにちょっとびっくり

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今月の読本「古代豪族と武士の誕生」(森公章 吉川弘文館)

今月の読本「古代豪族と武士の誕生」(森公章 吉川弘文館)

冬休みを駆使して、何とか読書量をこなそうと頑張っているのだが、どうも要領が悪い今日この頃。

今月の2冊目は吉川弘文館の歴史文化ライブラリーより「古代豪族と武士の誕生」を。

古代豪族と武士の誕生

武士の誕生の話題になると、どうしても避けられないのが「職能貴族としての武士と開墾地を自主的に守るために発達した武士」という、二つの古典的な見解の相克に行き着く。

教科書等では依然として後者の見解を載せている例が多々あるようだが、近年の見解の殆どは前者としての「武家」ともいうべき存在が摂関期以前に中央貴族社会に於いて既に定義づけられており、明確に中央貴族社会の延長下に置かれていた(土着ではなく進出というべき)という理論である。

当方は単なる歴史好きに過ぎないので、歴史学者の皆様がどの様な理論を展開されているのかの全容は判りかねるが、一方で「どうして地方(特に関東)で武力を蓄積する必要があったのか」について明快な説明が出てこないのがどうしても気になっている。

無論、対北方政策や俘囚に起因する騎馬戦法、武具の発展等の解釈はある程度理解しているつもりだが、それだけでは武力を規範とする勢力と在地富豪層の分別が理解できない。同様の疑問は同じく吉川弘文館様より好評刊行中の「動乱の東国史」一巻においても既に軍事貴族ありきで議論が展開されており、どうしても自分が納得のいく答えがこれまで得られていない。

そこで今回の本であるが、残念ながら書名にある「武士の誕生」の部分はちょっと誇大表現ではなかろうか(編集者さんの好みとも思えるが)。

実態としては「古代地方豪族通史」といった感じで、武士への変化や、武士との関わり合いは変遷の一過程であり、あくまでも古代地方豪族の変遷の推移を描きたかったことは明白であろう。

表題には若干の偽りありとも思われるが、通史として述べられている古代豪族の推移については刮目すべき箇所が多々ある。

特に、地方の土地支配の複雑さについて、一般論としては班田収受が徐々に崩壊し私有荘園と競合することから始まるとされている。しかしながら、本書ではそれより遙か以前、大和朝廷の拡大期において為されてきた土地政策以来、古代豪族による土地支配方式が完全に消滅することなく徐々に郡支配から国衙支配へと変遷したと説く。

すなわち、地方の土地支配の重層性は大和朝廷以来の事であり、ことさら平安期の荘園公領制を持ち出さなくても既に班田収受が当たり前と考えられた奈良時代の時点でさえ地方豪族(ここでは郡司)の協力が得られなければ徴税もままならず、中央政界との連携性を求めた地方豪族同士の利権争いも当然のように生じていたことを文献/発掘資料から明らかにしていく。

ここまで来ると、地方での武士への変化も当然のように平安初期くらいまで遡るかと想像させられるが、残念ながらこの部分については現状の議論同様に軍事貴族の下向と女婿血縁による融合と捉えられているようであり、新たな展開への提示は見受けられない。

特に平将門についての言及に於いて、武蔵武芝やその後の血縁関係について詳述しているが、ではなぜ郡司がそれほどまでの勢力を有していたのか、郡司が有する武力と所謂「軍事貴族」の武力とは何が異なるのかについては殆ど述べられておらず、自分自身が知りたかったことにあと一歩届かないもどかしさが残る結果となった。

古代地方行政史、もしくは地方豪族変遷の通史としてはとても興味深い話の連続であり、作者の意図は充分に達成されているかと思うが「武士への変化と誕生」を解説してくれる書籍に巡り会いたいという書籍探しの旅はまだまだ続くようだ。

<おまけ>

  • 通史故に「漢書・地理志」からスタートしてエピローグでは何と源頼朝まで登場するという広大な時間軸で語られるので、自分のように「武士の話」を読みたくて読み始めると面食らうこと間違いなしです
  • 資料研究者の方が執筆されているので別表、図表、系図等は充実しており、ほかの書籍では中々見ない物が散見されるのでこれだけでも楽しめます。ちなみにお気に入りは国司の重任や氏姓変化がよく判る「国司襲撃事件と国司苛政上訴の一覧表」だったりします

武士の成長と院政

この手の本を読むときのリファレンスとして用いている一冊「日本の歴史07・武士の成長と院政」(下向井龍彦 講談社学術文庫)少々古典らしいのですが、最もバランスが良い記述だと思います