CooRie10周年(大好きなアーティストの作品への想い)

CooRie10周年(大好きなアーティストの作品への想い)

今日はちょっと脱線して大好きなアーティストさんの話です。

「アニソン」と聞くと、どのようなイメージをお持ちになるでしょうか?

お子様向けの童謡でしょうか、それともオタク御用達の電波系サウンドでしょうか。

どちらも正解だとおもいますが、そんなちょっと特殊なジャンルに思えるアニソン一筋でデビューから10年にも渡ってしっとりと歌い続けていらっしゃるアーティストさんが今夜紹介するCooRie(アーティストさんの名前ではrinoさんですね)です。

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アニソン出身故にいわゆる「タイアップ」でデビューしたCooRieの曲を最初に聞いたのはもちろんアニメのエンディングテーマ曲としてでした。

そのボーカルは今にも折れてしまいそうなか細い声量をいっぱいにエフェクトでカバーするというまさにタイトロープのような歌唱で、優しさを感じるけれども決して印象に残るアーティストではなかったと思います。

特にこの時期(2003年ごろ)は声優ではない無名のアーティストがアニソンでデビューするというパターンが比較的多く、同時期のデビューで現在ではアーティスト活動を止めてしまった中の一人として埋没してもおかしくない位、印象の薄い曲でした。

そんな中で、デビュー2曲目としてアニメのオープニング曲を射止めた「流れ星☆」が原作の持っていたほのぼのとした素朴さと、クラシカルでpopな曲調とオープニング曲ゆえのスケール感に合わせようとそれこそ必死に歌唱するボーカルの純朴さのマッチングが妙に心に引っかかるようになったのです。

そして3枚目の「未来へのMelody」。再びエンディングに回ったその曲調は作品が持っていたファンタジーさとちょっとした切なさを上手く表現、ボーカルも前の2曲と比べると見違えるようにマッチング、ちょっと心もとないナイーブともいうべき声質もさらに切なさを引き立てる「聞かせる」サウンドに変貌していたのです。

その頃、仕事に行き詰まり、閉塞感の真っ只中にいた自分をある意味癒してくれたその切ないサウンドにアニソンという枠を意識せずに好きになったのです。

結局、仕事を一度辞めて再び別の仕事を始めるまでの不安定極まりない時期、八ヶ岳の南麓に移り住んで再び仕事を始めたころの不安や、緊張、どうしようもない寂しさを癒してくれたのが、切なさを訥々と奏で続けるCooRieのサウンドだったのでした。

そうやって掘り出し物的にちょっと気に入ったアーティストが見つかると長く活動して欲しい、多くのファンになった方々はそう願う事でしょう。もちろん、私もそうです。

しかしながらアニソン歌手や声優出身の方がアニメの曲を歌う場合、いわゆるボーカリストとして参加する場合が多く、タイアップ故に作品が終わってしまうとそのボーカルが聞けなくなってしまうことがままあります。

CooRieが同じような運命を辿らなかった大きなポイント、それはボーカルのrinoさんがデビュー当時から作詞、作曲を手掛ける「シンガーソングライター」だったことではないでしょうか。タイアップもオリジナルもすべて作詞作曲を行い(現在は一部の編曲も)、あらゆるアニメタイトルに楽曲を提供する。その中で自分のボーカルも織り交ぜるという、作家としての一面があったからこそ、息の長い活動が続いているのだと思います(間違いなく伊藤真澄さんの系譜を継いでらっしゃいますよね)。

その作品性が最も強く表れているのが2枚目のアルバム「トレモロ」に収められている「心編み」だと思います。

切なく、内証的なボーカルから奏でられるそのメッセージはあまりにもストレートに心模様を語っていきます。「バイトした朝のコンビニで レシートの裏 綴った詩 ジーンズのポケットに集めて 帰り道見た蒼空」

「自信なんてない それでも 決めたんだ この場所で夢を奏でるよ」

一人都会を飛び出し、頼れる物をほとんど持たないままに残業と徹夜に明け暮れながら何とか自分の「居場所」を見つけ出そうと足掻き続けていた時、このフレーズに何度も励まされたのでした。

そして、エンディングテーマにもかかわらずシングルとして最もランキングの高かった「優しさは雨のように」。丁寧なサウンドメイク(CooRieの作品はその温かい感じを大切にしたいからでしょうか、予算的に厳しいアニソンにも関わらずほとんどの作品のレコーディングでストリングスが加わります)、作品のイメージを最大限に表現した切ないボーカルと歌唱、そして歌詞が一体となった素敵な一曲です。

「I Believe 涙の向こうで待つ光 上弦の月が照らす 孤独に咲いた強がり 摘まないで 迷っても必ず行くから」

切なさをシーンに織り込んだこのフレーズを聞く度に「もう一度がんばろう」と思えてくるのです。

(ちなみにCooRieの作品はそのサウンドの方向性からオープニングより作品の印象をしっとりと落ち着かせるエンディングに採用される事が非常に多いですね)

最近はアーティストとしての活動より作家としての活動が多くなったCooRieですが、それでも時折リリースされる切なさを帯びた、そして年を追うごとに膨らんでいく「優しさ」を添えたボーカルとサウンドをこれからも密かな楽しみにしていきたいと思います。

彷徨い、定見定まらず、未だ青二才の感が抜け切れない揺れ続ける私の心を支え、癒し続けてくれたCooRie(rinoさん)のサウンドがこれからも末永く聞けますようにと、いちファンの小さな願いです。

続編です : CooRie 10th Anniversary BEST ALBUM ‘Brilliant’

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今月の読本「江戸幕府と国防」(松尾晋一 講談社選書メチエ)貿易都市長崎守衛の通史と長崎奉行

今月の読本「江戸幕府と国防」(松尾晋一 講談社選書メチエ)貿易都市長崎守衛の通史と長崎奉行

細々とした本を読み続けていたここ数週間。

少し落ち着いて読もうと買いこんだ一冊だったのですが、あっという間に読めてしまったのでちょっと纏めてみようかと。

昨今、東シナ海近辺で色々な事が起きているため、焦点が当たっているのでしょうか。この手の本は毎年数冊ずつ出ているのですが、これほどズバリの題名を冠した本はなかったはずです。「江戸幕府と国防」(松尾晋一著・講談社選書メチエ)です。

江戸幕府と国防

まず、この表題を見てどのように思われるでしょうか。

  • 江戸初期のオランダ貿易への収斂から鎖国に関する話
  • ラックスマンに始まる幕末のいわゆる「海防」に関する話

一般的にはそのどちらかの話を期待されてこの本を手に取られるのではないでしょうか。

もちろん、本書にはそのどちらも記述されていますが、残念ながらどちらも本書のテーマからやや離れています。

まず、取り扱っている時代は僅か200ページ程の中でそれこそ家光の時代、出島へのオランダ商館移動から始まってペリー来航後まで含まれています。そして著述の中軸に位置するのはこれまで江戸時代の海防を扱った本ではあまり触れられてこなかった、綱吉から吉宗にかけての対外政策、特に「唐船打ち払い」関係の叙述だったりします。この点からも、本書はちょっと異色の一冊です。

そして、著者の経歴をご覧いただければ容易に想像できると思いますが、本書は実のところ江戸幕府の防衛政策を述べている訳ではなく「長崎奉行と長崎警備諸藩」の通史なのです。

この点を踏み違えて読み始めると、表題と内容に落差を感じてしまうかもしれません。

もちろん、江戸時代を通じて唯一の「貿易都市」であった長崎の物語を描けばそのまま江戸時代の国防(海防)の推移を叙述できることになるかもしれません。

しかしながら、オランダ商館の物語を語るには江戸参府は欠かせませんし、江戸時代の貿易を述べるのであれば四辺の交流(蝦夷、対馬、薩摩、そして長崎)を外す訳にはいかないかと思います。

その点で、本書は前述のように長崎奉行と長崎警備を請け負っていた西国諸藩およびその周辺諸藩の動きを追うことに注力しているために「長崎目線」とでもいうべきちょっと当地の事情に偏った視点での叙述に終始しているように思えてしまうのです。

では長崎を基軸にした視点で幕府の政策が語れるかというと、長崎奉行が独断で兵力を動員できたわけでも、自身の判断で貿易都市長崎の防衛政策を差配出来た訳でもなく、実に遅延な幕閣との協議、同意の上での行動しか許されていなかった訳です。更に重要な案件になれば「目付」が幕閣の名代として派遣、事後を取り仕切ってしまいまいます。そうなると幕府の政策を語るにはどぅしても幕閣の動向が欲しくなるわけですが、この辺りが「長崎目線」なのでしょうか、遠い東の果ての話を喧伝しているような感じで、どうても片手落ちの感が拭えないのです。

幕府の対応を語る以上、長崎以外で起きた事象についても述べていますが(釜山の倭館、蝦夷地でのロシアとの衝突)、いずれも最重要ではあるが幕府の情報網の一端に過ぎなかった長崎が知り得た情報をベースにした記述であって、幕府全体の海防政策を語るにはやや不足なのかなと思わせていしまいます。

そのような点を考えても、長崎奉行と警備諸藩の動きや役割の変遷、長崎聞役の役割と諸藩の対応に関する著述に特化した内容であれば、詳細かつとても魅力的な一冊になったような気がするのですが、その他がやや拙速に過ぎてちょっと題名負けしてしまっているような気がしてなりません。このようなキャッチーな題名を付けないと売れないと判断されたのでしょうか。

図らずも、著者はあとがきで通史としての体裁を取りつつ、実は江戸中期を主題として取り扱っており、「平和ボケ」した時代であったという一般的な印象に対して異議を唱えんが為に本書を上梓したと述べられています。

「国防」という表題にもかかわらず、冒頭で新井白石と正徳新例を取り上げている点からも、著者がこの貿易制限政策によって生じた歪による抜け荷の横行と「唐船打ち払い」に至る経緯を何らかの形で叙述されたいのだなという想いは感じられていましたし、その内容自体は一冊の本として非常に興味がそそられる内容になるのではないかと次作を期待する次第です。

<おまけ>

  • 江戸時代の長崎を取り扱った本の特徴なのでしょうか、幕府直轄地ゆえの「お上から下ってくるもの」といった感覚と地場のプライドとの相反、辺境の後ろめたさと貿易の先端であったという自負がないまぜになったという意味では、こちらの「長崎奉行 等身大の官僚群像」(鈴木康子・筑摩選書)の記述とそっくりな感じがします
  • 「海防」ではないのですが、個人的に江戸時代の海外関係の本でお気に入りなのは「漂着船物語―江戸時代の日中交流」 (大庭 脩・岩波新書)です。沿岸地の住民にとって江戸時代は隔離された鎖国状態ではなかったことがよく判る一冊です。
電子書籍での読書は如何?(kindle paperwhite)

電子書籍での読書は如何?(kindle paperwhite)

溜まりに溜まった本の山もようやく平常レベル(要は数冊読み残しがある状態…)、年末に買ったまま殆ど仕事用のPDFビューアーと成り果てていた電子書籍でちょこちょこと書籍を読み始める。

kindle paperwhiteと紙の本

現在使っている電子書籍端末はkindle paperwhite。実は電子書籍を買ったのは初めてだったりします。

これまでも色々な電子書籍端末が出ていましたし、思わず買いそうになった端末はそれこそ枚挙に厭わないのですが、どうしても「もう一歩」足りない点があったのも事実なので毎回理性が打ち勝っている状況でした。が、今回のkindle paperwhite、端末としては「ほとんど完璧」に達したのではないでしょうか。

  • 適切な端末サイズ(文庫本から新書本くらいのサイズ感)
  • 書籍と変わらない重量(本音はもう少し軽いと嬉しいが)
  • 必要充分な表示エリア、表示密度(ここに至るまでが遠かった)
  • 非常に読みやすい表示になったEinkの表示系(これも遠かったですね)
  • Eink故の圧倒的なバッテリーの持ち(月に一回の充電でも実用的)
  • 一応付いている3G/Wifiにより、何時でも書籍が入手可能(おまけで何時でもwikiが使える)

これまで多くの電子書籍が無し得なかった「使える使いやすさ」が必要充分に揃っています。

kindle paperwhite 縦表示

日中の日差しや手元のスタンドの光があれば、フロントライトなしで十分に読書が楽しめます。

kindle paperwhite 横表示

縦書き文章を好む日本人的にはこのフォーマットが最も馴染めるのではないでしょうか。

丁度、左側のスペースを左手で掴んでいると、文庫本の左のページを掴んで片手で読むスタイルと同じ感覚で読むことが出来ます。見開きで読めるので紙の左右ページを押さえながら読むより快適に読めます。

kindle paperwhite文字表示

最も拘ったといわれている文字表示についても、この通りでジャギー等はほとんど気にならないレベルです(一見しては判りません。この画像では縦表示で文章の左半分くらいを表示している倍率です)

kindle paperwhite フロントライト点灯

そして、紙の書籍と最も異なる点は、このようにフロントライトが使えることではないでしょうか。

発売当初は画面の外周部に影が出るとのクレームが騒がれましたが(原理的には仕方がない事なのです)、実際に見た場合、視認性に取り立てて問題はなく、大騒ぎするようなことではないと思います。

電子書籍端末としての使いやすさ、利便性という意味では文句なしのkindle paperwhiteですが、電子書籍全般で見た場合、弱点が解消したわけではないようです。

1.根本的にコンテンツが限られている

電子書籍が出て来た時からの永遠の課題だと思いますが、依然として読みたいと思っている書籍の電子版はほとんど出てきませんね。

「最後の大物」などと呼ばれて登場したkindleですが、この数か月の状況を見ていると、他の電子書籍(いや、電子出版全体と言った方が良いでしょうか)同様に「コミックリーダー」と化していることを、amazon自身が認めています。

kobuを手に入れて日本の電子書籍市場に乱入?をかけてきた楽天が明快に述べているように「日本の電子書籍市場はコミック品揃えの優劣が決する」というのは「Bookoff」の店舗展開とそのビジネスモデルを見れば言わずもがなですよね。そのような意味では、どんな綺麗な表示ができる電子書籍端末が登場しても、欲しいコンテンツが「簡単に」選べるようになるインフラが揃わなければ、恒常的に利益を生み出すビジネスにはなりえないという事になります。

従って、一般書籍を電子書籍で読みたいと思っている方々はこの流れからちょっと蚊帳の外に置かれてしまったのかな?という感覚がここ最近の印象です。

最も、読みたいと思っているコンテンツ(新書版の叢書ですね)はなかなか電子化されにくいと睨んでいたので、あまり気にしないようにしていた(単なるPDFビュアーでもいいやと割り切っていた)ところ、「新潮選書」の電子化が始まりましたので、徐々に変化していくものと思われます(今回使用した画像はその中から「律に学ぶ生き方の智慧(佐々木 閑)」です)。

2.電子書籍は何時までも「蔵書」にはなってくれない

電子書籍の著作権は非常に不思議で、購入した電子書籍の所有権は認められていません。購入者に認められているのは「購入先との契約に基づく期間内において、閲覧をする権利」です。

すなわち、電子書籍とは「有償の図書館」で本を借りているようなもので、借りている限り、その本自体が自分の物になるわけではなく、いずれは返却しなければならないという法の認識に基づいています。

もちろん、一般的な電子書籍は購入先が何からの形で消滅しない限り永続的に読み続けることが可能ですが、例えば購入先が倒産して、電子書籍のデータがサーバーから削除される、もしくは暗号化された電子書籍の解除キーが無効となっても所有権の救済を求める手段はないという事になります。

逆に「閲覧物」故に、閲覧回数を絞ったり、閲覧期間を限定することで、これまで書籍では困難だった「興業的」な手法が取れるようになる点は出版社側にとっては大きなメリットになるのだと思います。

実際に、書籍に非常に近いけれと取扱い方法が全く異なる「書画」の場合、複製は幾等でも入手可能ですが、本物は収蔵先で閲覧しなければ見ることが出来ないのと同じ事ですよね。

メディアコンテンツにおいて、殆どの場合マスターと配布物には何らかの差別的な処置(例えば映画においても上映版と家庭用のDVD/BDでは決定的に鑑賞する環境、品位が異なります)が施されますが、書籍だけはそれ自身がマスターとの差異が小さいため(手書きの原稿と異なるという意見はちょっと外しますが)配布物自体が、一次製品と言って殆ど差支えありません。

このように一次製品としての書籍に二次的な付加価値を乗せることも、あるいは何らかの形でディスカウントすることも難しいという弱点を、電子書籍では閲覧方法を制御するという手法で補うことが出来ます。

このあたりの感覚が許せるかどうかは、「愛蔵書」をコレクションする方にとっては絶対に譲れない点でしょうし、新刊コミックを一度読んだらすぐに中古書籍店に売りに行くようなスタイルの方であれば、全くOKと思うことだと思います。

書籍自体には「読む」という行為と「集める」という行為の両方が含まれているので、このバランスはなかなかに難しい所かとは思いますが、最近の書籍装丁がそれこそ凝りに凝りまくってきたのは、書店で目立つ必要があるのと同時にこのような「コレクション性」も求められてくるからかもしれませんね。

3.「回遊性」の違い

本屋さん巡りが好きな方にはこれ以上の説明は不要かと思いますが、本屋さんの存在意義として「探し出す」楽しさが常にあると考えています。

これだけ検索サービスが巨大化したのも「探す」欲求が如何に大きいかの現れかと思いますが、電子書籍にしても紙の本にしても、購入する最初の一歩は「探す」ことから始まります。

電子書籍や紙の本でも狙った本だけを買うのであれば、それこそamazonのようなサービスは快適ですし、電子書籍とwebの世界に拡散している情報を結びつけて購入することは非常に容易に実現でき、かつ、入手までの手間が最小になるメリットを享受できます。

webの世界で情報を探し出すのと同じように、本屋さんに並ぶ「本の波、蔵書の密林」を漂いながらお気に入りの一冊を求めていくのも「探す」という行為自体は変わりません。

ただし、決定的な違いとして、電子書籍は平面画面中で連続的に探し出していくのに対して、紙の書籍を探す場合、本屋さんという空間内で彷徨いながら立体的に探し出していくという事です。

電子書籍は確かに「閲覧」の部分だけ取り出せば、既に紙の書籍を追い抜いたと思います。それでも紙の書籍に拘ってしまいたいと思わせるのはこの「探している空間」を楽しみたいからではないでしょうか。

将来的にはVRによって仮想書店すら実現すると思いますが、今は本屋さんに並ぶ背表紙を指で追いながら「自分の一冊」を探し求める事が楽しいのだと思います。

そんな事も考えながら、頁をめくる代わりに黙々と画面をスワイプする自分がいたりします。

パジェロミニ100000km

パジェロミニ100000km

現在の愛車、パジェロミニ号が100000kmに到達した。

100000km

2007年の1月、こちらに移り住んで2年目の冬、「冬場に新車買うと苦労するよ(代車で雪道走る羽目になることもあるので)」という温かい忠告を振り切って買って以来6年と2か月目。

直後にディーラーの営業が居なくなって引き継がれず。それ以来地元の自動車工場でお世話になり続けています。

鹿に絡まれ、林道で軽トラとすれ違う度にぶつけ、こすり、脱輪すること数度。

パジェロミニの持病というべきベルトは車検の度に擦り切れ、交換。あげくにはラジエーターパイプのガスケットからリークしてあわや冷却水切れ等々…。

高速では左へ右へと流される不安定さに加えて、リアデフは悲鳴を上げ、ハブはがたつき、スタッドレスはどんなにバランスどりしてもホイールから細々と振動を発し続け、ATは発進の度に盛大に空回りを続け前へ進もうとせず、軽トラにまで煽られる今日この頃。

買い換えようにも軽四駆は「あの」ジムニーしか残っておらず、かといって手ごろな小型の四駆もなし(FFじゃ生きていけない環境)…。

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でも、こんなシチュエーションでも健気に走り出しくれるパジェロミニは山奥住民にとっては心強い味方でもあります。周りを見渡しても550cc時代のパジェロミニやジムニーは結構生き残っていますし、駆け込みで最終モデル(日産のKIX含む)を買った方もいっぱいいたみたいですね(今ではSubaruのVXが後釜として人気のようですが…)。

愛車2号と霧ヶ峰

そして、あらゆる場所の写真撮影へと誘ってくれる取り回しの良さは何物にも代えられない魅力でもあります。

そんな悲喜こもごもの中でもとりあえず、無事故?で100000kmを乗り切ってくれた愛車に感謝をこめて。

今月の読本「日本の酒」(坂口謹一郎 岩波文庫)日本酒入門の名著

今月の読本「日本の酒」(坂口謹一郎 岩波文庫)日本酒入門の名著

連休中に溜まった読みかけの本をこなしていく最後の一冊。

日本において日本酒のみならず醸造に関わる方、お酒が好きな方なら必ず一度は名前を目にするであろう醸造学の大家である、坂口謹一郎博士の名著、岩波青本に収蔵されている「日本の酒」です。

日本の酒

まず、この本の初版が1964年、今から50年以上前に刊行されたものだという事を予備知識として知っていて頂きたいです。

そのうえで、この平易かつ軽快な筆さばき、ちょっとシニカルな外国人研究者への皮肉、そして決して過去も現状おも否定せず、良かれと思う事を述べる泰斗としての矜持。

そんな現代氾濫している新書に続々と登場してくる研究者の方々が執筆される文章より、余程洒脱で、洗練された文章を50年も前に、しかも当時研究者としての第一線を引退しつつあった大家が書かれたかと思うと、唖然というより惚れ惚れしてしまいます。

当時から、一般向け刊行物においても、その文筆には高い評価があったようですが、今日新刊として出されたとしても全く違和感なく読めるであろうことに正直、時間の流れを忘れそうになる所でした。

書籍の中身について解説することは、私のような浅学が述べられる訳がないので止めておきますが、歴史、文化に始まって、製法、化学的特性、ちょっとした脱線まで…とにかくこの一冊で「日本酒って何、日本酒とほかのお酒って何が違うの」という初学者の質問にほとんど答えてくれる内容であることは保証します(太鼓判です)!

そんな中でも、博士の学問的な立場からとても気に入っている点は「合成清酒」も「三倍増醸酒」も決して否定していない事です。

どちらも戦前の科学技術の進歩に伴って、必要に応じて(主にコメの使用量を抑えるため)開発された手法であり、それ自体が正しく判断されて飲用されるのであれば何ら問題が無い事を明確に表明されています。むしろ、完全合成清酒が市場に出回らなくなってしまったことを残念がり、工業的に生成される甲類焼酎に対しては「ホワイトリカー」としてその工業力の高さを以てして世界に出るべきだとも唱えていらっしゃいます。

これらの「合成清酒」と「三倍増醸酒」、そして「ホワイトリカー」としての甲類焼酎の製造方法の進化形が現在市場を席巻している「第三のビール」や「ノンアルコールビール」の製造手法であったり、アルコール市場を押し広げる要因となっている「低アルコール飲料」の原料が殆どが工業的に作られた「甲類焼酎」や「ウオッカ」である事を博士がご存知になったら、多分喜ばれるのではないでしょうか(それが税制回避だと聞いたら苦笑いでしょうが)。

一方で、当時は普通だった戦時統制の残滓ともいえる日本酒の等級制には否定的であり、今日の吟醸酒、地酒ブームに繋がる等級に囚われない酒造りの必要性を説き、地域に根差した乙類焼中への眼差し、そして日本酒では従来否定的だった「古酒」へ目を向ける必要性を説くなど、現代の日本のアルコール産業に多大な影響を与える、それこそ目から鱗の提言の数々が並んでいくのです。

また、日本酒特有の醸造過程の説明には専門分野らしくなるべく丁寧に判り易く説明が述べられています(生酛と速醸酛の違いとその発祥が冬酒と夏酒の話に綺麗に繋がっていきます。そして日本酒の醸造に非常に影響を与える乳酸発酵の話が絡んできます)。

とにかく、頭から読んでもいいです、拾い読みでもいいかと思います。日本酒が大好きな方は一度は目を通されておいた方が良い事間違いなしの一冊です。

ご自分が飲んでいるお酒の歴史と、製法の不思議さ、そしてそれが未だに全容が把握されておらず、最後は杜氏さんの絶妙な判断に委ねられているという奥ゆかしさとを知れば、今夜の晩酌もさらに味わい深いものになるのではないでしょうか。

<おまけ>

  • 坂口博士は本書の前に同じ岩波文庫から「世界の酒」という本を上梓されている位、日本酒だけでなく世界中のアルコールに対して広い知見をお持ちの方でした。特にワイン関係者の中には坂口博士の薫陶を受けられた方は多くいらっしゃいます。「ウスケボーイズ-日本ワインの革命児たち」で有名となった麻井宇介こと、メルシャンの浅井昭吾氏も影響を受けられた方の一人だったと思います
  • 本書の解説を書かれているのは、あの「発酵仮面」「味覚人飛行物体」こと発酵学の大家である小泉武夫博士です。若かりし頃の坂口博士との楽しく、そしてちょっと背筋のピンとなるお話が載せられています
たまには伊那も(中央構造線を下る)

たまには伊那も(中央構造線を下る)

さて、杖突峠を越えて、伊那に入ると風景は大きく変わっていきます。

急峻に立ち上がる諏訪側に対して緩やかに谷間を下っていく伊那側。構造線付近は地形の変化に富んでいます。

杖突峠を越えた時に寄り道するのは高遠の桜…ではなくてもう少し先まで進んで、旧長谷村にある「道の駅 南アルプスむら」だったりします。

この道の駅で作っているパンは美味しい事で有名で、近隣はおろか各地から観光バスが来訪するくらいの名物になっています。

到着が生憎お昼過ぎだったため、ほとんど残っていなかったのですが、名物のクロワッサンと少々をゲット。

こちらはお持ち帰りの抹茶マフィン(BB9790のカメラにて)。

道の駅・南アルプスむらのマフィン

そして、道の駅のすぐ目の前には全面結氷した美和ダムのダム湖が広がります(こちらもBB9790のカメラで)

結氷した美和ダム

真っ白に結氷した湖面が広がる美和ダム湖。もちろん、ダムのゲートは閉鎖中。

この美和ダム、中央構造線特有の不安定な地質のど真ん中に築かれたため、降雨の度に周囲の山から土砂がどんどん流入。余りの土砂流入の多さにダムの貯水容量が圧迫され、遂には史上初めてダム貯水容量を保護するためにバイパストンネルを掘るというとんでもない工事が行われたダムです。

バイパストンネルと併せてダム湖への土砂の流入を防ぐ目的で建設された、越流堤の上流になる長谷湖側は冬場の渇水期を利用した土砂の浚渫が真っ盛り。普段はエメラルドグリーンの水を湛える湖面も今日は工事現場の土場そのもので、ちょっとがっかりです(こちらもBB9790のカメラにて)。

浚渫中の長谷湖

そんな工事現場のようなダム湖の湖畔に、地学好きの方にはちょっとした見学スポットがあります。

中央構造線溝口露頭

ジオパークにも認定された「中央構造線溝口露頭」です【クリックでフルサイズ】。

ちょっと判り易くするために赤い矢印を入れましたが、この線沿いに日本の東西が分かれていることになります。

地学がお好きな方の中にはこのような露頭を巡っていらっしゃる方も多いかと思いますが、ここでちょっと困ってしまうのは説明用の看板です。

こちらのサイトをご覧いただければ判ると思いますが、何と言っても「柵の終端より先が中央構造線」なのですよ。

従って、この観察場所で看板を眺めて、実際の露頭を見ても一見して何処が中央構造線か判らないのです(正面の薄い変色部分と完全に見誤る)。

せっかく日本ジオパークの認定マークまでつけているのですから、一見してちゃんと把握できる説明板を整備してほしいものですね。

美和ダム湖

そんな事を考えながら氷結した湖面を照らし返す西日を浴びて、一旦高遠に戻りつつ、再び伊那谷へ向かいます【クリックでフルサイズ】。

この後、火山峠を越えて、駒ケ根まで行ったのですが、残念ながら木曽駒の写真を撮るチャンスを逸して、最後に辿り着いたのは、権兵衛峠の入口、与地から眺める伊那谷を。

権兵衛峠入口より伊那谷と南アルプス

もう夕日が西に傾きかかっていますが、伊那谷の広がりを南北に均すかのように並び立つ南アルプスが眼前に広がります【クリックでフルサイズ】。

普段、東側から見る南アルプスはいきなり聳え立つイメージが強いのですが、伊那谷側から見ると手前に中央構造線の山々が入るので、少し優しい雰囲気でしょうか(木曽駒はそれこそ覆いかぶさる位の迫力なのですが…やっぱり写真撮りたかった)。権兵衛峠入口より南アルプス夕景

最後に、我が家の方向に立ちはだかる仙丈ケ岳をアップで【クリックでフルサイズ】。

もちろん、このシーズンに(というか、何時でも)南アルプスの山々を越える事は叶わず、伊那谷が切れる諏訪湖へ向けて車を走らせる事と相成りました。

ちょっと俯瞰で八ヶ岳を(西端から眺める)

気持ちよく晴れ渡った連休の八ヶ岳南麓。

八ヶ岳の足元に住んでいるとちょっと判りづらい、八ヶ岳の全景を捉えるために西側に寄せて車を走らせる。

実験撮影雪の落葉松林

釜無川沿いの山肌を富士見町机より。ちょっと落葉松と雪のコントラストが面白かったので撮影【クリックでフルサイズ】。

道路の雪はほとんど無くなっているけれど、ちょっと外れるとこの通り。

真澄富士見蔵前から八ヶ岳

釜無川は富士見町市街に入る前に南アルプスの方へ流れを変えていく。

一旦、川の途切れた八ヶ岳の西側に対峙するのは入笠山。

その入笠山麓には諏訪の銘醸「真澄」が構えるもう一つの醸造蔵である「富士見蔵」があり、夏向けの生冷酒などを醸している。

富士見蔵の眼前には一面に八ヶ岳のパノラマが広がる【クリックでフルサイズ】。

比較的雪の少ない山梨よりの右側(南側)から北に向かって雪が増えていくのがよく判ります。

この入笠山辺りだと、正面から捉えられるのは南八ヶ岳までです。

それでは、もっと全体を捉えるために標高を稼いでいきます。

杖突峠から南八ヶ岳

茅野から国道を一気に駆け上ると、諏訪と伊那を分ける峠、杖突峠に到着します【クリックでフルサイズ】。

ここからですと、八ヶ岳の全貌が見渡せるのですが、如何せん大きな山です(連峰ですね)ので、手持ちの機材では全景をカメラに収めることはできません。

と、いう訳で分割してご紹介します。

まずは、南側の山々。

左端が蓼科山、右へ向かって北横岳を経て一度標高が低くなる部分が、諏訪と佐久を結ぶ麦草峠、そこから標高を徐々に上げていき天狗岳を経て、硫黄岳、横岳と続いてピークが主峰、八ヶ岳です。

ピークから一旦標高を落とすと、権現岳、そして画面右端の丸い山が編笠山です。

編笠山から一気に画面右端の観音平へ下っていきます。

八ヶ岳の西麓には広大な裾野が広がり、縄文時代には温暖な一大文化圏だったと云われています。

現在の広く、広く伸びていく雪原を見ていると、温暖だったとはちょっとイメージできないですよね。

杖突峠から蓼科山

ぽっこりと丸まった蓼科山と北横岳です。蓼科山の事を「諏訪富士」と呼ぶ方もいらっしゃいますが、ちょっと富士山とは違いますよね【クリックでフルサイズ】。

杖突峠から諏訪湖方向

そして北側。右側から車山、そして平らに広がる霧ヶ峰。中央奥に見えるのは美ヶ原でしょうか?【クリックでフルサイズ】

左時端にぽつんと雪を戴くのは鉢伏山です。

足元には諏訪湖が広がりますが、結氷しているのは湖畔の半分程度、中央部はご覧の通りで既に溶けてしまっていますね。

そろそろ厳冬期も終わり、今日も暖かく、上着なしでの撮影でした。

この後、杖突峠を越えて伊那に入りますが、また別のページで。