今月の読本「日本の酒」(坂口謹一郎 岩波文庫)日本酒入門の名著

連休中に溜まった読みかけの本をこなしていく最後の一冊。

日本において日本酒のみならず醸造に関わる方、お酒が好きな方なら必ず一度は名前を目にするであろう醸造学の大家である、坂口謹一郎博士の名著、岩波青本に収蔵されている「日本の酒」です。

日本の酒

まず、この本の初版が1964年、今から50年以上前に刊行されたものだという事を予備知識として知っていて頂きたいです。

そのうえで、この平易かつ軽快な筆さばき、ちょっとシニカルな外国人研究者への皮肉、そして決して過去も現状おも否定せず、良かれと思う事を述べる泰斗としての矜持。

そんな現代氾濫している新書に続々と登場してくる研究者の方々が執筆される文章より、余程洒脱で、洗練された文章を50年も前に、しかも当時研究者としての第一線を引退しつつあった大家が書かれたかと思うと、唖然というより惚れ惚れしてしまいます。

当時から、一般向け刊行物においても、その文筆には高い評価があったようですが、今日新刊として出されたとしても全く違和感なく読めるであろうことに正直、時間の流れを忘れそうになる所でした。

書籍の中身について解説することは、私のような浅学が述べられる訳がないので止めておきますが、歴史、文化に始まって、製法、化学的特性、ちょっとした脱線まで…とにかくこの一冊で「日本酒って何、日本酒とほかのお酒って何が違うの」という初学者の質問にほとんど答えてくれる内容であることは保証します(太鼓判です)!

そんな中でも、博士の学問的な立場からとても気に入っている点は「合成清酒」も「三倍増醸酒」も決して否定していない事です。

どちらも戦前の科学技術の進歩に伴って、必要に応じて(主にコメの使用量を抑えるため)開発された手法であり、それ自体が正しく判断されて飲用されるのであれば何ら問題が無い事を明確に表明されています。むしろ、完全合成清酒が市場に出回らなくなってしまったことを残念がり、工業的に生成される甲類焼酎に対しては「ホワイトリカー」としてその工業力の高さを以てして世界に出るべきだとも唱えていらっしゃいます。

これらの「合成清酒」と「三倍増醸酒」、そして「ホワイトリカー」としての甲類焼酎の製造方法の進化形が現在市場を席巻している「第三のビール」や「ノンアルコールビール」の製造手法であったり、アルコール市場を押し広げる要因となっている「低アルコール飲料」の原料が殆どが工業的に作られた「甲類焼酎」や「ウオッカ」である事を博士がご存知になったら、多分喜ばれるのではないでしょうか(それが税制回避だと聞いたら苦笑いでしょうが)。

一方で、当時は普通だった戦時統制の残滓ともいえる日本酒の等級制には否定的であり、今日の吟醸酒、地酒ブームに繋がる等級に囚われない酒造りの必要性を説き、地域に根差した乙類焼中への眼差し、そして日本酒では従来否定的だった「古酒」へ目を向ける必要性を説くなど、現代の日本のアルコール産業に多大な影響を与える、それこそ目から鱗の提言の数々が並んでいくのです。

また、日本酒特有の醸造過程の説明には専門分野らしくなるべく丁寧に判り易く説明が述べられています(生酛と速醸酛の違いとその発祥が冬酒と夏酒の話に綺麗に繋がっていきます。そして日本酒の醸造に非常に影響を与える乳酸発酵の話が絡んできます)。

とにかく、頭から読んでもいいです、拾い読みでもいいかと思います。日本酒が大好きな方は一度は目を通されておいた方が良い事間違いなしの一冊です。

ご自分が飲んでいるお酒の歴史と、製法の不思議さ、そしてそれが未だに全容が把握されておらず、最後は杜氏さんの絶妙な判断に委ねられているという奥ゆかしさとを知れば、今夜の晩酌もさらに味わい深いものになるのではないでしょうか。

<おまけ>

  • 坂口博士は本書の前に同じ岩波文庫から「世界の酒」という本を上梓されている位、日本酒だけでなく世界中のアルコールに対して広い知見をお持ちの方でした。特にワイン関係者の中には坂口博士の薫陶を受けられた方は多くいらっしゃいます。「ウスケボーイズ-日本ワインの革命児たち」で有名となった麻井宇介こと、メルシャンの浅井昭吾氏も影響を受けられた方の一人だったと思います
  • 本書の解説を書かれているのは、あの「発酵仮面」「味覚人飛行物体」こと発酵学の大家である小泉武夫博士です。若かりし頃の坂口博士との楽しく、そしてちょっと背筋のピンとなるお話が載せられています
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