今月の読本「千曲川ワインバレー・新しい農業への視点」(玉村豊男 集英社新書)著名文化人が描く新しい農業への取り組み

普段、歴史物や魚類関係の書評ばっかり書いているので、たまにはちょっと毛色の違った書評なぞ書いてみたいかなと思って取り上げた一冊です。

ところで、皆様は著者の玉村豊男さんという方をご存知でしょうか。フランス文学に興味がある方なら当然ご存知でしょうし、いろいろなシーンで見られる精密な植物画の作者としてご存じな方も多いのではないでしょうか(まだ行った事はありませんが、箱根にこのような個人美術館も催されていますね)。

どちらかというと、芸術家、エッセイリストとしての側面が多い玉村氏のもう一つの顔として長野県原産地呼称管理委員会の会長という「農業」に関わる側面、そしてベースとなる東御市にある「ヴィラデストガーデンファーム アンド ワイナリー」のオーナーとしての側面があります。

本書は、そのワイナリーオーナーとしての玉村氏が語る「新しい農業の考え方」について述べた一冊です。

千曲川ワインバレー

本書は決してよくあるようなワイナリー開設までの紆余曲折の苦労話や現状に対しての啓蒙を図る事を目的とした書籍ではありません。

著者はエッセイリストとして著名な方ですので、所謂月刊新書でそのような事と押し広めようとしてもあまり意味をなさない事はご承知でしょうから、あくまでもターゲットは一般の読者向け、しかしながら内容は現在のご自身の夢である「千曲川ワインバレー」を少しでも多くの方に知ってもらえるように心がけて執筆されていることがよく判る内容となっています。

但し、内容的にも世界のワインの状況と国内のワイン産業の実態から述べ始めるところからも決して、自身の目標である「千曲川ワインバレー」計画の啓蒙普及に留まるわけではなく、ワインという産業、農業自体の現状を伝えることに留意した内容となっており、特に上記計画に興味が無い一般読者の方でも違和感なく読める内容となっています。

千曲川流域の話に戻しますと、著者が述べているように、既に長野県内にはここ数年間で小規模なワイナリーが林立する状況になっています。これは他の地域、特に古くからワイナリーが集積している山梨県、勝沼地区と比較すると明らかに異なる動きです。

そして、この小規模ワイナリー林立の状況をある意味思想的に支えていらっしゃるのが自らもワイナリーを起こし(事情は後程)、その先駆となられている著者の玉村氏です。

氏の作品をご覧になられた方はご存知かと思いますが、以前より植物に対する深い理解と愛着を持たれており、なおかつフランス文化に造詣が深い氏がワインに理解を示されれる事はある意味自然な流れかと思います。

それでも、事前の経緯はあったにせよ自身の投資によりワイナリーを立上げ、葡萄畑を整え、就中は後進の参入を促進するプランニングに没頭することは容易なことではなかったと思います。

そんなある意味「無謀」な挑戦を行った先駆者が考え付いた「次の一手」が本書の随所に込められています。

特に気になったのは、千曲川ワインバレー計画において、同じ千曲川流域には古くからのマンズワイン(キッコーマン)と新たに参入してきたメルシャン(キリン系)の農場、ワイナリーがありますが、このような資本力、技術力がある大手企業が他の小規模ワイナリーが単独では賄えない業務(ボトリング、分析、教育指導)等に乗り出して欲しいとの著者の切なる訴えです。

これは勝沼地区でも珍しい事ではなく、大手ワイナリーに委託醸造を行っていた(委託醸造を専業で行うワイナリーもあります)葡萄農家は少なくなく、現在、甲州種のワインで主力となっているシュール・リーと呼ばれる手法は、他でもない最大手であるメルシャンが甲州種を取り扱う多くのワイナリーに対して技術を公表したために、ここまで普及、甘口お土産ワインだった甲州が世界品種とまで呼ばれるようになった土壌を形成してこれたのも、大手ワイナリーの技術力、情報力があってのことだと思います。

同様に、長野県内においても塩尻地区では100年近い葡萄栽培経験があり、国内大手ワイナリーによる銘醸化地への積極的な支援と共に、地場のワイナリーでも大手に伍して大規模な設備、研究施設を有しているワイナリーも出てきています。

千曲川流域はまだそこまでは至っていないのかもしれませんが、かの浅井昭吾氏が生前、最後に目を付けた土地です。周辺インフラと、情熱的な生産者、そしてそこで収穫される葡萄の品質に興味を持って協力を申し出てくる大手ワイナリーが集まれば、きっと良いワイン銘醸地になってくれるのだと思います。

そこまで至るにはまだまだ時が必要なのかもしれませんが、著者が述べているように「新しい農業」に興味を持ってくれる人がもっと増えてくれば夢でなないのかもしれません。

但し、忘れてはならない事があるかと思います。著者のワイナリーもそうでしょうし、私が在住する八ヶ岳の南麓もそうですが、週末になるとヨーロッパ製の外車に乗り、これらの物産を買い求め、距離を厭わず訪問してくれる方々は経済的には「グローバリズム」にどっぷりと浸かっていらっしゃる方々ばかりかと思います(私自身も在所すらこちらですが、収益の源泉は地場には立脚していません)。このような方々の経済的な努力の辺縁に著者が描こうとしているプランが僅かに瞬いている、そしてこれらの方々の購入意欲なしには成り立ちえない物語であることを理解しなければならないのだと考えながら、グローバリズムの権化である安いチリ産ワインを飲みながら読んだ次第です。

<おまけ>

  • なぜ玉村氏がワイナリーを始めることになったのか、長野のワイナリーの特徴はなんなのか等が知りたい方にはこちらの「長野県のワイン(日本ワインを造る人々2)」(山本博著・ワイン王国刊)をお奨めします。2007年刊行なのでちょっと情報が古くなっていますが、基本的な情報を理解する上では外せない一冊ですし、著者の力量からも読み物として十分に楽しめる一冊です
  • 日本のワインに興味を持たれた方、ワイナリーの現状に興味がある方、日本のワイン産業(所謂バルク買いや輸入ワインと国産ワイン、日本ワインの違い)に関する知見を得たいと思われる方は少々高いのですがこちらの「日本ワインガイド」(鹿取みゆき著・虹有社刊)を読まれると良いかと思います。著者は著名なワインジャーナリストで、本書は国内にある多数の「国内産ブドウだけを扱った」ワイナリーを紹介した情報データベースです。ちょっと気負いが多くて肩肘張った印象のある内容ではありますが、貴重なデータ集として、またはワイナリー巡りの基礎情報として役立つと思います
  • もう少し気軽にワイナリー巡りをしてみたい、もしくはこれからワイナリー巡りをしてみたいけど情報が欲しいという方にはこちらの「日本のワイナリーに行こう2013」(石井とも子監修、著・イカロス出版刊)がお勧めです。2年ごとに刊行されていますが現状の最新版は昨年刊行のこちらになります。何故「月刊Airline」(20年以上読んでいる古参の読者だったりします)を刊行するイカロス出版がワイン本を出すのかは?ですが、全国のワイナリーをほぼくまなく網羅している点だけでも貴重な一冊ですし、上記二冊と比べると圧倒的に「ガイドブック」として優れていますので、薀蓄はさておいて、まずはこちらぱっと眺めて、勝沼でも塩尻でも、何処でも良いのでお近くの「葡萄畑とワイナリー」で気持ちよさを味わっていただきたいと思います
  • 私が所謂「日本ワイン」に初めて魅せられたのはこちらに移住した後に飲んだ「井筒ワイン・果報ケルナー2001」です(今は亡きベルシャイン諏訪インター店にて見つけました)。それまでワインなんかに殆ど興味が無かった自分が初めて「銘柄・ワイナリー」に興味を持った記念すべき一本です。グレープフルーツを思わせる香りが何処までも広がり、爽やかな飲み口が、日本のワインはお土産ワインで甘ったるく飲めたもんじゃない思わせる印象を一変させたのです。それ以来、日本ワインを探して歩く事が多くなりました(諏訪の酒蔵『真澄』『本金』『ダイヤ菊』も大好きなのですが、それは別として)。残念ながら温暖化の影響で塩尻でのケルナー栽培は難しくなっているようで既に入手不可となっていますが、白ワイン好きとしては今後も甲州やシャルドネだけではなく、いろいろな品種が出てきてくれると嬉しいですね
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今月の読本「千曲川ワインバレー・新しい農業への視点」(玉村豊男 集英社新書)著名文化人が描く新しい農業への取り組み」への2件のフィードバック

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