今月の読本「信州観光パノラマ絵図」(今だから見たい観光に賭けた先達の想い)

他の読みかけをすっ飛ばして、一気に読んでしまいました。

鉄道ファンの皆様ならすでにご承知かと思いますが、ここ数年鉄道ファンの分野に「絵地図」が登場。密かなブームになっていますね(鉄道ピクトリアルが発信源でしょうか)。

そのブームの仕掛け人でもある今尾恵介さんが監修を務め、ローカルながらそのテーマ選定と全ページカラーという豪華な体裁で驚かされた「長野県鉄道全駅」を手掛けた信濃毎日新聞の内山郁夫さんが執筆を手掛ける今回の一冊「信州観光パノラマ絵図」(信濃毎日新聞社出版部・編、今尾恵介・監修、信濃毎日新聞社)です。

信州観光パノラマ絵図

古くから教育立県と謳われる長野県ですが、その底辺には地方出版社による地道な出版活動による読書人口の継続的な維持があると考えられます(隣の山梨と比べると圧倒的に本屋さんが多いのですよ、長野は)。

昨今の不景気で数多あった県下の出版社も徐々に減っているようですが(昨年も一社、刊行を止められましたね)、その中でも高いクオリティで一人気を吐いているのが信濃毎日新聞社の出版部です。

大型写真集の大著となった「絶景の山シリーズ」は全国書店の登山コーナーを飾っていますし、「地域を照らす伝統作物」のような地域に密着した取材に基づいた書籍、東海大の駅伝監督にも就任した両角速さんの「「人間力」で闘う」などの、スポーツ関係の書籍…と、非常にバリエーション豊富なラインナップを繰り出しています。

そんな中でも、信濃毎日新聞が力を入れているのは「信州の観光」に関する分野ではないでしょうか。豊富な信州の観光資源を地元ならではの丁寧な取材と美しい写真、新聞社らしく短くも的確な文面で広く読者に伝えたいという想いは本書にも随所に見受けられるところです。

そんな「観光」という分野が鉄道網の普及により、日本国内でようやく途に就いた大正から昭和初期に大流行したのが今回のテーマとなる「パノラマ絵図」です。

元を辿れば浮世絵に辿り着くのかもしれませんが、西洋画法によってもたらされた遠近法を日本の古典的な画法にミックス、日本人が得意とするデフォルメを加えることで、世にも不思議な「魅せたい所だけを強調して、周囲の風景を織り交ぜる」地図として成立したのがパノラマ絵図かと思います。

そんなある意味ユーモアのある、ある意味ファンタジーな世界観を魅せるパノラマ絵図ですが、如何せん当時最先端の「広告媒体」だった訳で、その中身をじっくり見るとそこには悪意あるデフォルメと強調のオンパレードだったりする訳です(どのくらい酷いかは本書を手に取って観て頂ければ)。

悪意ある編纂が施される一方で、著者が指摘しているように当時の産業、社会構造をパノラマ絵図から導き出すことも可能であり、製作者たちが発注者と幾度となく議論を繰り返しながら完成させたであろうことを著者は丁寧に指摘していきます。

また、既に失われてしまった当時の風景が織り込まれている事も特徴の一つで、最後の章に割り振られているダム建設が始まる前の天竜峡のパノラマ図を見ると「こんな壮大な峡谷が日本にもあったんだ」と驚かされると共に、今の佐久間ダム湖畔に通じるか細い道路脇から眺める湖面を思い浮かべて、近代化によって大きな利便性を得た半面、何かとても大きなものを失ってしまったんだな、という観光とは異質の想いを抱かせてくれる本でもあります。

そんな、硬軟まぜこぜな(パノラマ絵図自体がごちゃまぜなのですが)内容を含む本書ですが、何よりも重要なのはこれらのパノラマ絵図を発注した人物たちが「我こそは信州の観光を発展させる」との想いから道路を開き、鉄路を引き、施設を整え、このような観光案内をあまねく全国に配布したことではないでしょうか。

先駆者の地道な努力によって一大観光地となった信州ですが、残念な事に本書に掲載されているパノラマ絵図の観光名所の多くは観光資源としての輝きを失いつつあり、その輸送手段であった鉄道網も年々縮小を続けています。一方で同じパノラマ絵図で天上の楽園のごとく描かれる上高地は年々人気が上昇していますし、草原が広がっているだけであった軽井沢の南側は高速道路開通もあり、今や一大レジャー地区に様変わりしています。

本書を手にとって、先達の苦労をしのび、昔を懐かしみ、パノラマ絵図中の面白い記述を楽しんだ後は、ちょっと今の状態を思い出して、この後どうなっていくんだろうなどと、未来に思いを馳せて頂くのもまた良い機会ではないでしょうか。

<おまけ>

  • 他の信濃毎日新聞出版物同様、本書の秀逸なところは全ページカラーにも拘らずこの価格(1700円)に抑えて発刊されている点です。しかもパノラマ絵図はページが複数に分割されてはいるものの、絵図中の文字がかろうじて読み取り可能な範囲までの縮小に留めており、資料的価値も充分に考慮されている点がとても嬉しい配慮です
  • 更にこだわりのポイントは「紙質」です。本来なら現代の一般書籍では使わないであろう、やや凹凸のある黄色味がかった用紙は、ずばり「パノラマ絵図」に使用されていたであろう紙質の質感を出来るだけ再現しようという試みにちがいありません。そのような心憎い配慮と資料性(長野県立歴史館が協力)を重視した編集内容は単なる読み物、鉄道ファン向けのコアな出版物という範疇を越えた「資料」としての体裁を有する一冊です。
  • 信濃毎日新聞社が刊行するシリーズで鉄道ファン、旅行ファンの方々にも興味を示されるであろう書籍を何冊か紹介させて頂きます
    • まずは冒頭でも紹介した「長野県鉄道全駅」でしょうか。オールカラーで長野県にあるJR、第三セクター、私鉄の全駅が紹介されています。昨年春に廃線となった長野電鉄屋代線の各駅写真は今後も貴重な資料となるはずです。
    • 「長野県鉄道全駅」が百科事典だとすると、セットとなる旅行ガイドが「信州 四季の駅旅」です。駅をテーマにした小旅行の写真集となっていますので、本書を片手に列車に乗ってまだ見ぬ風景を探してみるのもいかがでしょうか。
    • 次に「信濃の橋百選」です。こちらもカラーで長野県に現有する歴史的価値の高い橋を紹介しています。鉄道ファンというより地理ファン、建築物ファンの方に向けた一冊ともいえます
    • 信州を旅するシリーズで私のお気に入りは冒頭の写真にも載せています「峠で訪ねる信州」と「酒蔵で訪ねる信州」の2冊です。どちらも同じ著者(川崎史郎氏)と写真(小林敬一氏)による、ちょっと控えめな筆致で描かれる探訪記だったりしますが、「峠」の方は美しい峠の写真と共にアプローチ方法、mapが付いており、そのまま峠ファン向けの探訪ガイドに使えるほどの情報量を有する一冊です。「酒蔵」の方も同じ編集方針で信州の酒蔵巡りにはピッタリな一冊ですが、掲載されている写真がいずれも郷愁を誘う素晴らしいカットで溢れており、日本酒ファンなら眺めているだけでも至福の時を過ごせる事間違いなしの一冊です(呑みながらなら尚の事?)
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今月の読本「信州観光パノラマ絵図」(今だから見たい観光に賭けた先達の想い)」への4件のフィードバック

  1. 信濃毎日新聞社出版部の内山です。このたびは「信州観光パノラマ絵図」のご購入とご紹介、また過分なるお褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。私が意図したこと(資料性、価格、紙質など)をすべて見ぬいておられ、感服しております。また、このような感想を持っていただけることがこの本を出すに当たっての「願い」でもありましたので、たまたま検索で見つけて拝見し、感激しています。価格は、私が給与の範囲内で書いており、印税をもらっていないことが大きいです(汗、鉄道全駅もですが)。「四季の駅旅」「橋百選」も私が担当しました。そのほかにも弊社の本を多く見ていただいているようで、大変嬉しく思います。弊社も出版部門は少人数で、とても「気を吐いている」といえるような状態ではありませんが、今後もこだわりを持った本を出して行きたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

    • 信濃毎日新聞出版部、内山様。
      始めまして、まさか筆者の方から直接コメントを頂けるとは思ってもみませんでしたので、正直焦っております。
      この度は、単なる一読書子が備忘録まがいに書きなぐっている乱文に対して過分なお言葉を頂き、誠に恐縮です。
      信濃毎日新聞様の出版物企画意図には常々驚かされるところですが、このような「地域愛」溢れる個性的な企画の出版物をこれからも継続的に(そして良心的な価格で…)刊行して頂けることを、他県民ながら期待いたしております。
      なおネット上の慣習故、匿名にてお返事をさせて頂きます失礼をお詫び申し上げます。

  2. ピンバック: 今月の読本「浪漫あふれる信州の洋館」(文:北原広子 写真:大澤敬子 他 信濃毎日新聞社)その宿されたストーリーに想いを馳せて | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

  3. ピンバック: 「花子とアン」で脚光を浴びる蔵座敷を訪ねて(韮崎市民俗資料館と蔵座敷) | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

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