今月の読本「西郷隆盛と明治維新」(坂野潤治 講談社現代新書)著者の杞憂と維新史への視点

このところ中世日本史の本ばかり読んでいたので、少し気分転換のつもりで維新の巨頭、西郷隆盛を取り扱った一冊を。

講談社現代新書の最新刊より「西郷隆盛と明治維新」(坂野潤治・著)です。

西郷隆盛と明治維新

近代政治史が専門分野となる著者にとって西郷隆盛は避けて通れないテーマであろうことは容易に想像がつくのですが、本文中でも繰り返し述べられているように「西郷びいき」による西郷隆盛伝、特に戊辰戦争までの記述に重点を置いた一冊です。

ところで、このページをご覧になっている方にとって、著者が「はじめに」で述べている「西郷隆盛と征韓論」であったたり、「右傾、左傾にとっての西郷隆盛」というイメージってお持ちになっているでしょうか。

著者の年代から団塊の世代の皆さんまでであれば、それこそ聴き慣れたフレーズなのでしょうし、昨今の風潮として色々言われることもある分野のお話かとは思いますが、我々の年代ですと、はっきりいってこれらの主張や議論と西郷隆盛を結びつける発想は既に残滓とも取れないほど希薄になっているのではないでしょうか。

そもそも中学、高校の歴史授業で幕末から近代史がおざなりになって久しい訳ですが(高校の歴史授業において今のカリキュラムのペースで征韓論まで辿りつけているのでしょうか)、一方で英雄談的に語られることが多いのもこの時代の歴史著述の特徴だと思います。

通史として捉えることが難しい半面、各種小説やドラマ等で取り上げられる「維新の英傑」と呼ばれる人物たちの活躍だけが目立って取り扱われており、通底する思想や時代背景との乖離が著しく、その後の歴史過程との連続性が非常に見にくくなっている事は否めないかと思います。

著者の懸念はどちらかというと近代史の中における西郷隆盛の位置付け、特に一部の方々が外征論者の首魁として捉えられていることに対してなのですが、一方でこのように捉えられている(と考えている)大きな理由として、前述のように維新前後で通史の叙述が断絶している事から来る問題であると言えるのかと思います。

本書では、この断絶された歴史叙述を西郷隆盛という最も扱いにくい人物伝を通じて繋ぎ込もうとしたとも思える一冊です。従って、明治維新前の西郷隆盛の伝記や薩摩藩を基軸とした視点による倒幕に至る歴史背景をご存知の方にはあまり目新しい叙述は無いかと思います。

一方で、著者の懸念通りのお考えをお持ちの方々にとっては維新前夜の段階における西郷の位置づけとして以下の点は意外と新鮮に受け止められるのではないでしょうか。

・西郷隆盛は尊王攘夷派でも開国派でもなかったし、ましてや公武合体派にも与する者ではなかった。目指していたのは挙国一致の所謂合従連衡派とでもいうべき雄藩連合だった

・西郷隆盛は非常に早い段階で雄藩連合の形態として衆議派(議会制)を目指していた

・西郷隆盛と大久保利通では西郷の方がより進歩的かつ、広範な人脈を有していた(これは江戸詰の際に島津斉彬に抜擢された影響が極めて大きく、勝海舟と同水準で談判できたのも早い時点から雄藩の家老、藩主クラスと交流を持つだけの経験を有していたため)

そして、維新前夜における武力倒幕において、著者が強調している点は「所謂官軍などはなかった」という点です。

官軍と呼ばれれていたのは薩長土の「藩兵」たちであり、出兵費は各藩が負担していたと考えられるし、総参謀として西郷が立っていたが、あくまでも最大兵力を供出していたのが薩摩だったので指揮権上当たり前のようにその地位に就いていた事になります(それでも、江戸城無血開城の談判において一人己の判断で決断した西郷の胆力には驚嘆すべきところがあります)。

それ故に戊辰戦争終結後、各藩の兵力が撤収すると同時に「用心棒」の居ない新政府は迷走を続け、結局、各藩から兵力を再徴集した「御親兵」とその首魁である西郷の中央政府復帰による軍事的圧力によって廃藩置県が断行されたことを看破しています。

この事は、「御親兵」の扱いを誤れば新政府もろとも吹き飛んでしまう脆さ(筆者はこれを「革命軍」と呼んでいますが)を内包しており、その矛盾解消の一端が所謂「征韓論」の出発点(筆者は台湾出兵と比較で論じていますが)であり、これは秀吉の朝鮮出兵と全く同じロジックである事が理解できると思います。

歴史の結末として秀吉は朝鮮に出兵し敗退、西郷は自らの下野によって矛盾を内に仕舞い込むことで鎮静化を図るつもりだったのかと思われますが、最終的には自らも滅び去るという結末を選ぶことになったわけです。

しかも西郷が自らの滅亡を以て封じたはずの「革命軍」の矛盾はその後「帝国主義の膨張」というシナリオに書き換えられた末に破綻の道を突き進む結果となったわけです。

この最終末における変遷ぶりが西郷隆盛の評価を難しくしているのでしょうか、残念ながら「西郷びいき」を自称する筆者もこの点については筆を濁しています(大久保利通と勝海舟をストレートな程、批判的に取り扱う割には)。

やはり西郷隆盛という人物を取り扱うのは難しいものなのかもしれません。

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