今月の読本「バチカン近現代史」(松本佐保 中公新書)最小国家の外交力

久しぶりに買ってすぐに読み切ってしまった一冊です。

日本人には余りにも遠い、でも世界的に見れば10億人以上の信者を抱えるカトリックの総本山にして、宗教界唯一の独立国家の体裁を有するバチカンを扱った一冊。このようなタイミングでなければ刊行されなかったかもしれません。『バチカン近現代史』(松本佐保 中公新書)です。

バチカンン近現代史まずはじめに、バチカンと言えばどんなイメージを持たれるでしょうか。ちょっと年齢の高い方であれば短波(BCL)のバチカン放送なんてのをご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、やはり「世界最小の独立国」であったり、カトリックの総本山といったイメージが主でしょうか。

実際の国土面積は僅かに44ヘクタールほど、皇居の1/3程度とも言われています。国民に該当する人口は1000人足らず、それもバチカンで出生しても国民になる事は出来ず、殆どがバチカンに勤務する聖職者で占められています(所謂二重国籍)。一応、裁判所や省庁、行政、財政機関といった国家として有する組織はありますが、国会のような立法機関はなく、各行政機関についても、あくまでも教皇庁の傘下であり教皇に絶対的権限がある「絶対君主制」政体でもあります。

そんな現代の国家と比べると余りにもフォーマットが違い過ぎるバチカン市国ですが、本書のスタートに当たるフランス革命以前であれば、イタリア半島の1/3近くに相当する教皇領を有し、絶対的な道徳的価値観の体現者として、更には西ヨーロッパ各国の世俗君主を戴冠する権利を有する世俗権威を併せ持つ一大政治勢力でもあったわけです。

それから200年、バチカンも、その主たる教皇も流転の歴史を辿る事になります。当時、ヨーロッパはまだ国民国家といった国家体制は確立されておらず、小国や帝国の陪臣が群居する状況で、現在でもヨーロッパにはサンマリノやモナコ、リヒテンシュタイン、アンドラといった当時の名残を残す小国が立派に存在していますが、多くの小国、公国は国民国家へと統合されていきます(比較として一番良い例は、国土と実体的主権を失いながら、現在でも国連にオブザーバーを送り、世界の約半数の国と外交を有する「マルタ騎士団」ですね)。

そのような中でバチカンも、余りに保守的な体制が祟った為、一度は「国土と実体的主権」を失いながらも、強力な道徳的権威と、巨大な信者網、そして卓越した外交能力を駆使することで第二次大戦前のファシスト政権期に「バチカン市国」として微々たる面積ではあれ、国土と主権を取り戻し、聖俗を兼ね備える国家としての地位を取り返していきます。

本書はフランス革命からのバチカンの変遷を叙述していますが、前述のようにバチカンの外交、特に国務長官の活動から描き出そうという意欲的な内容となっています。

ご存知かと思いますが、バチカンの外交官は世俗の外交官としての法的な地位(免責特権)を有しながら、一方では枢機卿や大司教といった宗教的にも卓越した権威も備えた極めて特異な地位にあり、特にカトリック信者の多い国においては、教皇の代理人でもある各国の大司教と連携することで聖俗共に非常に強力な影響力を行使できることになります。

本書は歴代の教皇の事績を辿るのと同じくらいのボリュームで外交官たちの指揮官たる国務長官の活躍を描いていきます。特に、第二次大戦期のマリヨーネ枢機卿、その下で活躍し後に教皇パウロ6世となるモンティーニ枢機卿、パウロ6世からヨハネ・パウロ2世までの冷戦期の特異な外交を指揮したカザローニ枢機卿の動向には多くのページを割いており、バチカン外交の奥深さを垣間見せてくれます。

このような強力な外交の原動力はもちろん第一には伝道と布教である事には違いありませんが(ヨハネ・パウロ2世選出後、カトリックの信者は全世界でそれまでの2倍に膨らんでいます)、同時に国家故に行使可能な外交による世界中に広がるカトリック信者の保護と、その平和共存体制への模索、無神論への強烈な危機感から生じた共産主義への嫌悪感があるようです。

2度の大戦期、冷戦期におけるヨーロッパ、そしてカトリック信者を有する世界中の国家体制へのバチカンの外交的働きかけの凄味はポーランドにおけるヨハネ・パウロ2世の物語を引き出すまでもありませんが、その反面ものすごく意外な事にプロテスタント諸国(イギリス、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)と正式な外交関係を結んだのは何と1982年、アメリカに至っては実に1984年になって漸く大使の交換が行われたという事実です。水面下では非常に緊密な連絡を取り合っていた(歴代大統領も実務レベルの外交ルートやCIAを経由して連携してたと云われていますが)にも関わらず、国家のアイデンティティが宗教そのもの故のジレンマだったりもしますが、その辺がバチカンの歴史の面白さであったりもします。

著者はそんなバチカンを畏敬を持ってこう表現しています(下線付きは本文中でも唯一ここだけです)。

—引用ここから—

冷戦期の緊張緩和の時代、バチカンは主導的な役割を果たしていた。当時の西側諸国の中では、宗教国家という特殊な立ち位置ゆえに、最先端の考え方をしていた国家なのである。

—引用ここまで—

そして、キリスト教徒ではないがと前置きした上で(カトリック系の大学を卒業されていますが)、イラク戦争を評してこの様に述べています(非常に重要かと思いますのでちょっと長めに引用します)。

—引用ここから—

キリスト教対イスラム教という図式は、ブッシュ米大統領をはじめ米国の政治家や知識人たちによって作り上げられたものである。その根底には、米国の多数派であるプロテスタント宗派の一部の教派による原理主義的な見方がある。プロテスタント、中でもピューリタンは、純粋なキリスト教を追求するあまり、異質なものを排斥する傾向にあり、カトリックとは大いに異なるものである。

—引用ここまで—

あえて、現在におけるバチカン、そしてカトリックの平和主義を相対化する為にこのような論調を書かれた心情は理解できますが、ここまでローマ教皇、そしてカトリック総本山としてのバチカンの挫折と復興の物語を語ってきた流れからは明らかに外れてしまっているような気もします(もしくは既に価値観の超越を果たしたと理解すべきでしょうか)。

果たして、世界中のカトリック信者を束ねるローマ教皇と国務長官が二人三脚で築き上げてきたバチカンの外交力とは今後どのように変わっていくのでしょうか。新教皇の手腕とその片腕となる国務長官の活躍を遥か遠い日本から眺めながら考えたいと思います。

<おまけ>

前回のベネディクト16世選出以降に刊行された、比較的新しいバチカン関係の新書をご紹介。

  • 実際にヨハネ・パウロ2世の逝去と、ついこの間退位したベネディクト16世の選出を取材した朝日新聞ローマ支局長がバチカニスタとして見たバチカンの今を描く『バチカン-ローマ法王庁は、いま』(郷富佐子 岩波新書)非常にバランスの良い著述で、ヨハネ・パウロ2世からベネディクト16世までのバチカンの概況を理解するのには最適な一冊です
  • そしてもう一冊、こちらは読売新聞の特派員が描く、歴史からバチカンの仕組み、そしてイタリアの一部として現在のバチカンの姿を捉えた『バチカン ミステリアスな「神に仕える国」』(秦野るり子 中公新書ラクレ)。こちらは気楽に読める一冊です
  • それにしても今回ご紹介した本を含めて何故か3冊の著者がいずれも女性なのは不思議な事ですが、著者たちの共通認識として、日本政府そして日本人が、バチカンの国際的な影響力に対して余りにも無関心である点を嘆いている事です。これは国民の1%以下しかカトリック信者が存在しないため、国内では教皇の動向など殆ど報道がなされないため致し方ない事ですが、少しでも海外ニュースに触れられる事がある方であれば、著者たちと同じような印象を持たれる事かと思います。そのような意味で、取材/執筆に対してバチカンが著者たちにかなりの便宜を図ったであろうことは読んでいただければひしひしと感じるかと思いますし、貴重な一般向け書籍であると思います

バチカン新書2冊

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今月の読本「バチカン近現代史」(松本佐保 中公新書)最小国家の外交力」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 今月の読本「カクレキリシタンの実像」(宮崎賢太郎 吉川弘文館)土着した最後の姿を看取るキリスト者としての想い | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

  2. ピンバック: 今月の読本「ヴァティカンの正体」(岩淵潤子 ちくま新書)バチカンを題材に採った「情報スクラップブック」 | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

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