中央構造線を北上する旅(3)蒲原沢・自然の猛威と治山という行為

Up : 再開通した葛葉峠へのアプローチの写真を追加しました(2017.8.15)

Up : 新たに撮影した写真を追加しました(2014.8.14)。

木崎湖を後にして、青木湖を抜け、白馬の市街地を通り越すと、信濃森上の辺りから徐々に周囲の風景が狭くなっていくのが判ります。いよいよ姫川と中央構造線がせめぎ合いながら渓谷を刻んでいく、地形的にもルート的にも厳しくなる県境部に入ります。

大糸線南小谷駅JRの東西の結節点でもある大糸線の南小谷駅を過ぎて暫くすると、これまで姫川沿いを寄り添うように並走してきた大糸線と分かれて、いきなり長大トンネルに飛び込んでいきます。この先、糸魚川の平野部に到達するまでの間、長く長く続く洞門とトンネルの繰り返しが始まります。

コンクリートに固められた圧迫感のある薄暗い洞門の中をカーブを切りながらひたすら下っていくのは正直、暗澹たる思いなのですが、明かり区間から時折見える姫川の渓谷は絶景を通り越してよくぞこんな所に道を開いたと感嘆させられます。

遠くの対岸には同じように渓谷の斜面を縫って通る大糸線の路線を眺めることが出来ますが、あちらも弱々しいながら鉄製の洞門が小さな小路を守っています。

そんな暗い気分にさせる中、トンネルを抜けた後に橋を渡る僅かな明かり区間でぎょっとさせられる風景に出合うことになります。

蒲原沢崩落地の復旧状態1むき出しの山肌の右岸とまるでネットを張ったかのように山肌全部を埋め尽くさんとする左岸の工事現場、そして荒れた河原にはゴロゴロと大きな石が転がっています。【クリックでフルサイズ】

蒲原沢崩落地の復旧状態2治山工事現場のアップ【クリックでフルサイズ】

トンネルや洞門ばかりで車を路肩に止めることなどほとんど不可能なくらい切迫したスペースに通されている国道ですが、此処だけは小さな公園と今は通行止めになっている山へ登っていく道路の交差点があります。

この場所こそ中央構造線、そして暴れ川とも云われる姫川の姿を象徴する場所かもしれません。蒲原沢土石流災害の復旧現場の姿です。

国界橋と旧国界橋国道に架かる橋が国界橋、つまり信濃と越後の境に位置する橋です(ちなみに国道20号線にも甲斐と信濃の境に当たる地点に同じ名前の橋があります)。

奥の方に小さく見える赤い橋が元々国道だった旧国界橋で、封鎖されている交差点は元々の国道と現在のルートを繋ぐための連絡道路でした。【クリックでフルサイズ】

旧国界橋と洞門跡元々の国界橋はご覧の通り、絶壁と擁壁に囲まれた場所にかかっており、北側に控える県境の峠でもある葛葉峠と共にこのルート屈指の難所となっていました。

旧国界橋と蒲原沢1蒲原沢と旧国界橋のアップで観た様子です。

旧国界橋と蒲原沢2蒲原沢をほぼ正面から。旧国界橋の更に上にも水流が見えており、沢というより滝と表現した方が良いほど急峻な沢です。

スリットダムは下記記載の事故後に設けられたものです。

蒲原沢の国道旧道遠景国道の旧道に掛かっている洞門を現道より遠望。

下に見えてるポータルが、葛葉峠を貫通する、現道のトンネルです。

そこで1994年に現在の国道ルートが開かれ、同時に橋も現在の場所に移されたのですが、完成から僅かに1年後、水害によって折角新設された国界橋は何と流出してしまったのでした。

旧国界橋の擬宝珠と崩落跡流出してしまった国界橋の欄干に据えられていたモニュメント。流出後、河原で発見されてここに据え置かれた。同じ物が現在の新橋にも据えられている(前述写真参照)。

折角の新橋が流されてしまったため、既に県道に降格していた旧橋は再び利用される事となり、流された橋の代わりに新しい橋が建設されることになったのですが、根本原因となっていた橋の上流部にあたる蒲原沢に対して抜本的な治山対策が施される事となり、長野オリンピック開催が迫る中、急ピッチでの作業が進められていきます。

そして、雪のシーズンが早めに訪れた1996年12月6日、工事の為に多くの作業者が入山していた蒲原沢で土石流が発生、14名の尊い命が失われたのです。

この事故に関しては色々な事が述べられていますが、一つ言えることは「自然地形を人為的に改変する以上、そのリスクは人為的負担によって購われる」という事でしょうか。それが極めて厳しい地形条件である姫川流域、中央構造線特有の地形、地質が起因しているのだとすれば、尚更の事です。

上の写真では緑に囲まれて観る事は出来ませんが、赤い旧国界橋の下には荒れ狂う姫川の本性が隠れているのです。人間が御しえない自然の猛威は常に土木工事には付きまといますが、我々はそのことに余りに無関心なまま利便性だけを享受してしまう事があります。

この風景を見る度に、そのトレードオフは決して軽くない事を思い知らされるのです。

蒲原沢土石流慰霊碑新橋のたもとにある小さな公園には犠牲となった方々の慰霊碑が建立されています。

お盆のシーズンだったためでしょうか、新しい卒塔婆が立て掛けられていました。

この地点は「糸魚川ジオパーク」で設定されているジオサイトのうち「No.13姫川渓谷」に指定されています

<おまけ>

  • 実はこの場所には丁度4年前の2009年の夏にも訪れています。
  • 蒲原沢崩落地旧景2009年4年前には崩落場所はまだ丸裸で、河岸より離れた部分で法面の整地作業を行っている段階でした。国道から見えるこの風景に圧倒されたことを今でも覚えています。それから4年たって、蜘蛛の巣のようにネット状に固められた法面は想像していませんでしたが、法面には少しずつ緑も見え始めていますので、徐々にですが復旧が進んでいる事を実感できます。
  • 蒲原沢の土石流に関しては色々な情報がネットに掲載されていますが、何件か紹介したいと思います
  • 蒲原沢の治山工事の様子20142014年夏に訪れた際の蒲原沢の様子です。昨年まで続いていた姫川屈曲部山腹の吹付工はすべて完了。辺りに工事車両も見受けられなくなりました。河原の少し高い所にある蒲原温泉跡の建屋には、関係者かどうかは判りませんが、自家用車が1台止まっていました。治山工事としては漸くひと段落を迎えたようですが、国道脇では地温測定と称するボーリング作業も行われており、何らかの工事、作業は継続しているようです(ちなみに旧国界橋へのルートは引き続きブロックとゲートで閉鎖されていますので、あしからず)
  • 3年振りに訪れた、国界橋。法面補修作業は殆ど終わっており、河原で僅かな重機が作業を続けるのみという状態になっていました。そして、長らく通行止めとなっていた旧道へのアプローチ。以前は大きなコンクリートブロックで仕切られていましたが、ブロックが取り外され、進入禁止の警告板も外されています。中に入ってみました。
  • 最低限の整備状況で、伐採されていない夏草が伸び放題になっている1.5車線の急坂を登っていくと、交差点に突き当たりますが、旧国界橋方向は橋は健在ですが引き続き通行止め、葛葉峠に登る方向には進む事が出来ました。正面には洞門が並んでいますが、ちょっと気になる景色が見えます。
  • 羽が付けられた洞門の上を流れ落ちる水の流れと、その先に新たに作られたのでしょうか、2連の洞門の上の斜面は明らかに崩落の跡、洞門の上には草が生えて、崩落した跡らしきものも残っています。新道があるので再整備するメリットは薄いはずですが、さて。
  • 洞門を抜けるとすぐに葛葉峠に到着します。各サイトでも紹介されていた峠のドライブインですが、このように、現在も引き続き平岩側で続けられている工事の現場事務所となっていました。この先、白馬大仏の背中を廻り込んで、白馬温泉から平岩駅前に抜け、国道に戻るルートに繋がっています(前述のように工事が継続しているため車線規制は有りますが、通り抜ける事は出来ます)。
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中央構造線を北上する旅(3)蒲原沢・自然の猛威と治山という行為」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 南牧村のちょっと不思議な「日本のおへそ」(市場坂の平面直角座標系第Ⅷ系原点) | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

  2. 蒲原温泉の法面工事(正確には葛葉峠の法面工事)は、遠隔監視で崖上に監視カメラ設置して、対岸の真那板山を見てるそうです。蒲原温泉に来れば分かりますが、ちょっとずつ真那板山崩れてるのが分かりますよ。

    法面工事は下の剥き出しはまだ終わってません。今は、白馬大仏から蒲原温泉に向かって法面工事をやってます。國富に行けば工事やってるの分かりますが。あと、河川の護岸の高さ上げるとかで、床固工の工事を急ピッチで送湯管に向かってやってます。護岸上に作業所がありますよ。蒲原温泉や國富源泉保護しながらやってるので、今ならタダで入れるそうです(笑)掘ってあって出てるので。

    • ご丁寧に解説して頂き、誠にありがとうございます。
      旅程上での観察故に、欠落がある点はご容赦を賜りますよう、お願い致します。

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