今月の読本「魚はどこに消えた?」(片野歩 ウェッジ)「魚が獲れなくなった」への素朴な疑問

私の幼少期、家庭には何時も魚が溢れていました。

親父の仕事の関係で魚市場の仲卸関係者が頻繁に自宅を訪れており、年末ともなるとお歳暮代わりに冷凍マグロの冊が食べられない程届けられる、ちょっと恵まれた環境に育ちました(なので実はマグロが嫌いで、殆どマグロしかない某県の鮮魚売り場には食傷気味です)。

そして、両親の田舎は日本一有名な海水浴場と言ってもいいかもしれません、湘南海岸でした。

夏場ともなると、田舎に戻った母は陸に上がったばかりの新鮮な豆鯵を買ってきて、3枚におろした酢漬をいつも作ってくれました。

田舎を訪れた時の食卓で最も楽しみだったのは、たまの来訪をもてなす為の料理でも、地物の刺身でもなく、朝夕に出される地元で揚った魚を丁寧に仕込んだ香ばしい干物の数々だったのです。

そう、今では全く考えも及びつかないかもしれませんが、私が小さかったころは西浜でも東浜でも職漁としての「地曳網」が行われていたのです。

とはいっても、当時でも既に半ば観光客相手化しており、たまたま巡り合った地曳網に飛び入り参加させて頂いても、獲れる魚はほんの僅か。帰るときには手ぶらだったかと思います。

そんな時、観光客たちの慣れない手捌きを手伝っていた漁師さんが必ず口にするのが「昔はもっと獲れたんだがな」なのでした。

この言葉は小さな子供だった私にもえらく印象に残る一言だったのと同時に、徐々に年齢を重ねるにつれて、関東近県、伊豆諸島へと釣りに出るようになると、何処でも判を押したように出て来る海辺の「枕詞」と化してしまうのでした。

高校生になってから釣りにのめり込むようになると、流石に気になりだして図書館などで関係する書物を漁り始めたのですが、出て来る理由は環境破壊であったり、海洋汚染であったり…、そして200カイリによる遠洋漁業の衰退と乱獲の話を見かけるようになるのです。

しかしながら、当時も今も「大漁旗」に威勢の良いセリの声、トロ箱いっぱいに氷と共に詰め込まれた魚達を観ていると、スケソウダラだけの問題で、日本の海は恵まれているからと楽観視しながら、ハゼだキスだアジだ上物だ!と釣り歩いていたのでした。

そんな楽天的ながらもちょっと心の奥底に引っかかる思いを抱いた海好き、魚好きだった私があるとき本屋さんで見かけたのが河井智康氏の著作の数々だったのでした。

死んだ魚を見ないわけ」「イワシと逢えなくな日」「消えたイワシからの暗号」「大衆魚の世界」等々、刺激的な表題と、研究者にしては非常にアグレッシブな筆致から紡ぎだす、未知のテーマ「魚種交代」解明への熱い思いが端々に見えてくる、実に魅力的な著作群だったのです。

そして、テーマの根幹にある「魚種交代」の意味、すなわち魚の漁獲高≒資源量がある魚種間相互でお互いに相殺するようにピークを持った増減を繰り返すという議論に惹かれたのでした。

そう、小さな頃から漁師の皆さんが「獲れなくなった」という言葉とは裏腹に、海の中ではもっとダイナミックな動きを見せている事を氏の著作から知る事になるのでした。

当時の理論では「魚種交代」ロジックの回答を完全には得ることが出来ていませんでしたが(当時、河井氏は卓越級数の増減をプランクトンによる食害の関連性に求めて指摘していました)、その後、東北大学の川崎健先生により地球規模の海洋気候変動である「レジームシフト」が「魚種交代」を引き起こすトリガーとなっている事が証明され、今では環境変動から資源量を検討できる段階に進んでいます(レジームシフトと漁業については氏の著書である「イワシと気候変動-漁業の未来を考える」に詳しい)。

ここまで来ると、不漁期と豊漁期が繰り返しやってくるのだから、別に心配しなくてもイイじゃないかと再び楽観論に落ち着きそうなのですが、実際の漁獲高は徐々に低下しているのも紛れもない事実、水産物の生産高はピークであった1980年代後半から既に全盛期の1/3まで落ち込んでいて、多くを輸入でカバーしているのが実情です。

どうしてそのような事になってしまったのか、そんな時にふとWEBで見かけたのが本書の元となったWEDGE Infinityで連載されていた「日本の漁業は崖っぷち」だったのでした。

今回ご紹介するのはこちらの連載を書籍化した一冊「魚はどこに消えた?」です。

魚はどこに消えた?著者である片野歩氏はマルハニチロに所属する現役の水産物バイヤー。海外の漁場、水産加工会社を相手に日夜水産資源の獲得を目指しているプロの方です。

鮮魚売り場で見る魚達や刺身などのパッケージを見た場合、その殆どが国内産であるとの表示が出ていますが、鮮魚以上の陳列スペースを有している冷凍魚や魚類加工食品、総菜売り場で売られている魚を使った調理品の原材料はどこから調達されているでしょうか。そう、200カイリ以前であれば大船団を以て海外で漁獲を続けていた大手水産会社の現在の姿、水産物バイヤーと呼ばれる方々か活躍する商社化した水産会社が海外からかき集めて来る事によって商品を維持しているのです。

そんな海外市場を渡り歩いている著者は、世界的な水産物生産高の伸びに対して良く謂われる「魚離れ」以上に経済状況の低迷による日本の購買力低下、そして輸入依存度がますます高まる割には回復の傾向を見せない日本の水産資源管理へ厳しい目を向けます。

そして著者は北欧、特にノルウェーでの資源管理手法と急速に回復する漁業者の経済環境に注目します。日本と並ぶ水産資源大国であった北欧の国々も70年代後半から劇的な資源減少に悩まされ、多くの失業者を生み、経済的疲弊に繋がる事になりました。

そこから「海洋水産資源は回復する」との信念に基づいて科学調査に多額の予算を投じ、禁漁と個別管理(総漁獲高ではなく魚種別、船別に漁獲高を管理する方式)を徹底することで有効利用可能な資源量を割り出し、値崩れを防ぐために有効利用量から経済的価値を勘案した漁獲量を算出する…。一見自然保護活動のようにも見えるのですが、そこには厳格な経済価値に重きを置いた「生産」の側面が色濃く滲んでいます。

水産物が一般的な野生生物の保護と決定的に異なる事、それれは野生生物の狩猟や獲得は「牧畜」や「農業」で代替できたとしても、依然として水産業は「漁獲」であって自然環境から収奪せざるを得ない産業である点です(「牧畜」化されたチリの銀鮭ことタイセイヨウサケの養殖技術に日本の水産会社が多大な投資を行っているのは、この事と決して無関係ではありません。太平洋側にしか海を持たないチリで、タイセイヨウサケなのです)。

そうであれば、野生生物の絶滅同様に「狩り尽す」事はすなわち産業としての終焉を意味します。逆に「狩り尽さないようにする手法」があれば、前述のレジームシフトのルールに従って資源量がボトムとなる時期に適正に資源を残せば、長いレンジではありますが、環境循環によって資源量は一定の水準で増減を繰り返すはずですし、ピークの時には豊漁を期待できることになります。

既に「獲り尽くしてしまった」例として著名なのが北海道のニシンとカナダのマダラですが、どちらも余りに獲りすぎてしまったためでしょうか、現在まで資源回復には至っていません。今年に入って、青森県でイカナゴの漁獲がほぼゼロとなったため禁漁にするというニュースを聞いて「資源管理は」と、驚かれた方も多いのではないでしょうか。

一方、危機を叫ばれた秋田のハタハタは3年間の禁漁期間を経て、徐々にではありますが、資源量の回復が認められています(もう少し待った方が良いという意見もあります)。国内でも新潟をはじめ各地で資源量調整のため、漁獲量を抑制、管理手法を見直す動きが見え始めてきています。

それでも、獲れるときにはたくさん獲りたいのが漁師の本能。やはり心苦しいところはあるようです。そのような漁獲法について(著者はオリンピック方式と呼んでいます)も、バイヤーの立場からすると否定的な回答を出しています。

経済価値は消費量と品質、価格のバランスで決まるのは当たり前の事ですが、消費量を無視した漁獲も、付加価値を付けるための加工工場の処理能力を上回る漁獲も経済的には意味をなさない事を著者ははっきりと述べていきます。昨年から今年にかけて色々な漁場でイワシが豊漁で処理が追いつかないとのニュースが流れていますが、豊漁の漁場が多いほど、漁場同士の価格競争は激化するので浜値は下落してしまいます。そして、撮れすぎてしまった魚たちは何処に行ってしまうのでしょうか….。

著者は直近の豊漁を震災による一昨年の出漁数減少の反動で当然のことと受け止めているようです。そして、資源量が一時的に回復しているこのタイミングを逃さずに「個別管理」による資源管理に踏み出すべきだと力説しています。

残念ながら、今年のサンマ漁はスタートから不振をかこっているようですが、果たして著者の警句は現状の日本の漁業者に受け入れられるのでしょうか。

夜遅い時間に立ち寄った24時間営業スーパーの鮮魚売り場。買い手のつかないウナギのかば焼きのパックと、不漁不漁と叫ばれているにも拘らず半額シールが貼られてぎっちりと並んでいるサンマたちを見ながら、経済バランスの難しさを改めて考えさせられた次第です(とりあえずサンマの刺身はありがたく買わせて頂きました)。

<おまけ>

著者が勤務するマルハニチロは元が(いや、現役)漁業会社だったためでしょうか、このような書籍の執筆を本人名義で許したり、WEB上でも魚好きには嬉しい色々な企画を行う懐の深さを有しているようですね。そんな企画の中でこれまで取り上げて来たテーマを

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