今月の読本「かつお節と日本人」(宮内泰介・藤林泰 岩波書店)連綿と続く「南洋」への道筋

今月の読本「かつお節と日本人」(宮内泰介・藤林泰 岩波書店)連綿と続く「南洋」への道筋

読書好きな方ならご存知かと思いますが、「李陵」や「山月記」で知られる作家、中島敦は教科書編纂掛としてパラオ南洋庁に赴任していました。

この聴き慣れない「パラオ南洋庁」という言葉、戦前史を理解されている方ならご存知かと思いますが、第一次世界大戦によって戦勝国となった日本によって、旧ドイツ帝国が植民地化していた太平洋上の諸島群(ミクロネシア)を、国際連盟から委託されて統治していた(実質的には植民地)時代の現地政庁の一つです。

その後の第二次世界大戦(太平洋戦争)敗北により、信託統治領と呼ばれたこれらの諸島群はアメリカの管轄に移り、現在では独立、もしくはアメリカの準州、自由連合による管轄下の何れかに分かれています。

そのような経緯で、観光以外、戦後は日本との関係が希薄なように見える太平洋上の諸島群ですが、一方で、年に一度ほど「太平洋・島サミット」という言葉をニュース等で耳にされる方もいらっしゃるかと思います。日本が主宰する数少ない地域首脳会議の一つで、太平洋上の諸島群の多くが参加しており、外務省(及び日本財団)の強力な支援を受けている事が知られており、既に戦後60年以上がたった今でも、これらの国々に対して日本政府が影響力を維持しようとしている事が窺えます。

そんな微妙な関係にある太平洋上の島々の事情を見ていくと、所々で日本人や、日系人子孫の話題に巡り合うことがあります。今回ご紹介する本はそんな南洋の島々と我々日本人の食生活が深く結びついている事を教えてくれる一冊、「かつお節と日本人」(宮内泰介・藤林泰 岩波書店、岩波新書)です.

かつお節と日本人表紙の帯には南洋の島々を表す「4000キロ」とかつお節が商品として流通を始めてから(にんべんの創業を念頭に置いています)の年月を表す「300年」という二つの数字が並んでいて、双方をテーマ(歴史と漁業)にした書物であろうことが連想されます。

しかしながら、誠に申し訳ございませんが「300年」の方は本書にとってメインテーマとはなっていません。

確かに、にんべんの商取引に対する考え方やフレッシュパック発明による需要喚起と荒節へのシフト、ダシの元に対する化学調味料、醤油、塩分摂取懸念から生まれた天然素材=かつおダシの需要増大、山師と鰹節業者など、非常に興味深い内容もありますが、本題からの分離感がどうしても拭えません。出来れば別の一冊として扱って頂いた方が内容的にもすっきりしたかもしれません(そうなると本書はかなりコアな内容になってしまいますが)。

また、カツオ漁に関する興味をお持ちで本書を手に取られた方もちょっと肩透かしを食らうかもしれません。

そもそも2名の研究者の共著という事で、分担執筆されいるであろうことは想像できていましたが、著者がいずれも社会学系を専攻されている方であり、その分野も人文史学に近い系統ではないかと思われるため、必然的にいずれの分担部分も漁業、水産学や環境科学等とはちょっと毛色の違った記述となっています(この辺りの著述について、同じような身近な食品をテーマとして扱った、同じ岩波文庫に収蔵されている「ジャガイモのきた道」(山本紀夫)は民俗学と農学の双方を修めた著者による秀逸な筆致により、ジャガイモ世界巡りを軸に置きつつ、双方のテーマを違和感なくコンパクトに纏め上げられているのが印象的でした)。

そう、本書は鰹を軸に「南洋」に進出していった戦前の日本人、それも沖縄の海人たちの今日までの姿を追ったドキュメンタリーではないでしょうか。

このように紹介しておかないと、プロローグでいきなり日系人とインドネシア、南洋諸島のお話からスタートするので、頭から鰹節の話を期待して読んでいると、真っ先に振り落とされそうになります。

もちろん、本章に入れば、所謂「土佐節」の物語から始まって、明治以降、全国に広がっていった(浦河で鰹節という非常に興味深いお話も)鰹節生産の話が始まりますので少し落ち着いて読むことが出来るのですが、皆さんが期待するような焼津の話は殆ど出てきませんし、枕崎や山川のお話は最終章までお預けです。あくまでも話のテーマは鰹節の中ではマイナーと言ってよい、沖縄、そして南洋諸島へ誘われていきます。

他の地域に遅れて鰹節産業が立ち上がった沖縄が他の漁場と大きく異なったのは、後進地故に漁師の分業が進んでいなかった点と、所謂「宝石貝」の漁労の為に素潜り漁に対して非常に素養があった点を筆者たちは指摘します。その結果、カツオの好漁場が発見された南洋において、沖縄の漁民たちは既に鰹節産業が勃興していたために必要が技量を習得しており、少ない人員の中で一本釣りを行いながら、同時に素潜りや網漁の技量が必要となる餌となる小魚漁を同時に手掛けられる「器用さ」が重宝された結果、他の鰹節生産地を遥かに凌ぐ南洋進出の大きな契機になったとしています。

その結果、多くの沖縄漁民が南洋の島々や隣接する東南アジアに散らばっていくのですが、ここでも旧来型の組合員同士、又は個人船主と漁労者がお互いを呼び合うように結びつきあいながら(時にはより良い条件の漁場に移りながら)当時の政府による南方政策に呼応するように広がって行った事を、著者たちは生き残った多くの旧漁民たちへの聞き取り調査で解明していきます。

そして、膨張政策の末に生じた太平洋戦争によって、南洋の新天地に広がっていった沖縄漁民たちは、ある者は軍属に、ある者は軍への納入物を確保する為に漁師として、ある者は後方支援や引き上げと、それぞれの道を歩んで行く事になりますが、聞き取り調査の結果はいずれの道を歩んだとしても殆どの場合、悲惨な末路を迎える結果となるのは、戦争故の過酷さをまざまざと見せつけられます。

戦後、南洋の島々(そして一時的には沖縄自身も)は日本の施政下を離れますが、鰹漁自体が無くなった訳ではなく、熾烈な沖縄戦を生き抜き、または各地から引き揚げてきた沖縄漁民たちは再び南洋へと出漁していきますが、鰹節産業自体は産地の集約化が進み、沖縄での鰹節生産は終焉を迎えます(この終焉と鰹節生産の系列化、素材産業化の連動についての考察は欲しかったところです)。

一方で、南洋の島々や東南アジアに残った設備、漁法は一度は廃れてしまいますが、「フレッシュパック」商品化成功による鰹節の大量消費に支えられて、再び復活を遂げることになります。そう、明治以降に沖縄から台湾、そして南洋諸島産の鰹節が市場を席巻したように、今度はフレッシュパック向けの「花鰹」の原料が続々と日本に送り込まれることになったのです。

そして彼の地に子孫をも残してきた我々の日本人の元に、プロローグで述べられるように再び「日系人」として彼らが働きにやってくる…。現代の日本人がもはや忘れてしまった「南洋」の物語は李陵のように彼の地に根付きながら、また新たな物語を綴りつつあるようです。そう、司馬遷のように故郷で想いつづける人はもはや僅かとなり、彼らが鰹節とは既に何も関わりがなくなってしまったとしても。

<おまけ>

これまで扱ってきた本の中で、海産物や魚にまつわるテーマの本をいくつか。

  • 鰹と並ぶダシの原料でもある永平寺御用達の昆布問屋さんが語る昆布と出汁の美味しい物語「昆布と日本人
  • 本書と同じような文化史をメインに置いていますが、より水産研究分野に振った一冊「ウナギの博物誌」と魚を扱った本達の紹介
  • こちらも文化史的な内容も含まれていますが、より幅広いテーマについて研究紀要的体裁で纏められた一冊「サケ学大全
  • 文化史的な側面より魚類として分類に重きを置いた一冊。脂鰭に魅せられてしまった著者達の一般読者向けの集大成「サケマス・イワナのわかる本
  • 前著と同じようなアングラーの方が執筆していますが、山間部における生活史を全面に押し出した、今やほとんどいなくなった川の職漁師の実態や山での生活を取材した貴重な一冊「職漁師伝
  • 鰹でも既に問題となっている漁業資源枯渇に対する対策を、水産バイヤーの立場から具体的事例を交えて語った異色の書。漁業は必ず復活する「魚はどこに消えた?
  • 全国のカツオ漁船が集まってくる有数の港、気仙沼港に台風が襲来する夜だけ訪れる、ひと時のにぎわいと人間模様をコミカルなタッチで捉えたTVドキュメンタリー「嵐の気仙沼」の紹介と東日本大震災後についての記事はこちらのリンクより
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今月の読本「人物叢書・八木秀次」(沢井実 吉川弘文館)科学技術行政の先駆者が本当に成し得たかった教育とは

今月の読本「人物叢書・八木秀次」(沢井実 吉川弘文館)科学技術行政の先駆者が本当に成し得たかった教育とは

何時も歴史関係の書籍で大変お世話になっている吉川弘文館さん(twitterでもフォローして頂き、誠にありがとうございます)。吉川弘文館と言えば歴史書の専門出版社、かの全国公設図書館常備、日本史百科の最高峰にして読む凶器「国史大辞典」の刊行元でも知られていますが、もう一つの側面として日本歴史学会から委託を受けて刊行を続けている「人物叢書」の出版元としても著名です。

こちらの人物叢書、全巻揃う前に続々と古い刊行物が廃版となり、度々旧版の復刊なども並行して行われたりもするので、永久に全巻揃わないのではないかと関係者ならずともやきもきさせられるシリーズだったりします(執筆者に割り当てられていながら、惜しくも鬼籍に入られてしまった方も一人や二人ではありません)。

そんな息の長いシリーズである人物叢書ですが、意外な事に近現代の人物にもスポットを当てています。とはいっても絶対的に割り当てられている人物が少ないので、一般の書店の棚に置かれているのはあくまでも「歴史上の人物」が殆どだったりするのですが、今回ご紹介する一冊の主人公は昭和も50年代まで存命だった人物です。

文系、歴史ファンの皆様は誰それ?でしょうが、電子、電波関係を習得された方なら絶対知っている偉大な研究者にして発明者。今も多くの家庭の屋根を飾る「八木・宇田アンテナ」で知られる八木秀次博士の人物伝です「人物叢書 新装版 八木秀次、日本歴史学会 編集・沢井実 著・吉川弘文館

人物叢書・八木秀次まずはじめに、本書を楽しむためには近代日本の科学研究史、科学者及び彼らに支援や影響を与えた産業界、政界の関係者を一通りマスターしておく必要があります。

これらの知識がないと、残念ながら本書を楽しむ事も理解する事も難しいと言わざるを得ません。特に現在の中高等教育機関で行われる歴史教育において、彼らが活躍した明治維新以降の歴史に触れる時間は極めて限られており、それらの知識を得るためには高等教育を経た後に専門の教育を受けるか、読書等を通じて独力で知識を得る必要が生じます。

一般的な人物叢書に登場する人物であれば、歴史の授業や豊富な周辺書籍、TVの教養番組等で紹介される際に周辺の人物像も含めて取り上げられますが、本書に出て来る研究者たちは同じ分野に携わった事のある方や、大学のOBの方ならまだしも、異なる分野の研究者だったりすると、その分野では著名な人物でもほとんど知られていないなどという事もあるかもしれません。

本書はこのような事情を鑑みてでしょうか、殆どの登場人物について顔写真と簡単な履歴を掲載していますので、最低限の知識があれば理解することは可能なように配慮されています。もし業績に興味がある方は個別に調べてみると良いかと思います(私も顔写真が出ている方は全て判りましたが、文中の人物となると…)。

本書では八木本人の研究者としての業績については多くを語っていません。何故なら、かの有名な「八木・宇田アンテナ」にしても八木本人が直接発明した訳ではなく、彼の研究チームの一員であった宇田新太郎氏の発見に対して示唆と実験の方向性を示したに過ぎません。それにも拘らず彼が著名な発明家として列せられるのは、宇田新太郎氏の研究自体が、八木が率いた研究プロジェクトの一環であったからです。

八木は東北帝国大学において齋藤報恩会の強力な資金援助を得て幅広い電子、電波分野の研究プロジェクトを立ち上げます。その規模は現在の極めて細分化された研究テーマからすると非常に広い範囲の電波利用に関する研究を行っており、その中でかの「八木・宇田アンテナ」の発明が生まれてくることになります。

八木は現在にも通じるこの「プロジェクト型研究」方式を次の奉職先である大阪帝国大学でより幅広く実践することになります。

彼自身は工学博士であり、専門分野は電気工学(弱電、電波)でしたが、新設の理学部物理学科の主任教授として就任しています。これには初代総長の長岡半太郎の意向が色濃く見えるようですが、彼の研究者としての側面よりも「プロジェクトマネージメント」能力を買っての就任であったのは間違いはないようです。

その研究範囲は東北帝国大学時代を遥かに超越し、理論物理学から電波、電子線、音波、核物理学、光工学、流体・飛翔系…と現在の理学部と工学部を全て網羅するような幅広い研究を行う部門のトップに就任したことになります。

このような立場に立つ人物であれば、多額の費用と多数のスタッフを擁する必要があるため、当然のように政治的な動きが必要となってきますし、本人もその自覚の上で、政治的な発言を繰り返し述べていたようです。このような政治的な動きを技術者や教育者、研究家が行う事自体、日本ではあまり好まれない風潮がある点については後年、はっきりとその弊害を述べているのは、研究者、教育者としての強烈な自負と共に、これらの発言をすることに対する風当たりの強さの裏返しともいえます(東北帝国大学で師弟関係となる松前重義の後年の活動を見ていると、八木のやりたかった事を戦後、松前が自ら興した大学を拠点として実現しようとしたのではないかと思えてきます)。

そして、政治力を有し、研究者を束ねる立場であった八木の元には当然のように、当時の最大勢力である軍部の影響が色濃く見えてきます。八木自身が軍部への協力に対してどのような想いを持っていたのかは本書をお読みいただければと思いますが、終戦までの動きを見ていると奇妙な感覚を受けます。

  • 八木自身は工学者でありながら、最後の最後まで基礎研究の重要性、特に理論の重要性と研究者としての基礎的教養を非常に重んじていた事
  • 八木自身は世界に冠たる発明を支えた人物であったが、一方で徹底的に日本の独自技術に対しての立ち遅れを懸念しており、外国からの模倣を脱しえないと常に考えていた事
  • 軍装備品の開発や、調達について、第二次大戦中に於いても、各社、各組織が独自性を訴えた結果、工業標準化で非常な後れを取り、深刻な影響を与えていた事を明確に示していた事
  • 研究開発や工業化において戦時中に於いても商工省と文部省で激しい綱引きが演じられており、結果として研究開発と工業化の統一的連携が取れなかったこと
  • 上記の圧力によって、既に現業部門を持たない組織となっており、実効性を有しないにも関わらず技術院総裁に就任している事(これは今日のプロマネでも憂慮すべき事態を生じさせるパターン)
  • 技術院総裁就任時には投入を声高に述べているにも拘らず、決戦兵器のような無謀な開発を明確に否定している事(ある意味、スケープゴートを狙ったとも思えるが)
  • 研究者が軍属として服する場合に、軍組織の体系に組み込まれることによって、研究者の能力ではなく組織の階級上下が優先されることに対する懸念を示している事(現在の企業における研究所所属と現業所属の関係も同じ)

これらの指摘が、本書の著者による恣意的な抽出ではないとすると(ある程度念頭に置いて選んでいるかと思われますが)、これら八木が戦中に指摘し、理解し、発言してきた多数の意見が現在の研究開発分野、工業、産業分野でもそのまま当てはまる点には唖然とするしかありません(最たる例は航空宇宙開発分野における文科省と科技庁の確執)。

盲従止む無しとも言われた戦前の時点で、八木がこのような所感を持ちえた事自体、並はずれた広い視点を持っていたことが窺い知れるわけですが、そのような八木が研究者として以上に本職と任じていた教育者として最後まで望んでいた事は、あくまでも基礎学力の向上と専門性を養う前の普遍性のある教養の獲得であったと著者は述べています。

このような発想自体、工学者としては異例なのかもしれませんが、彼の根底にある二つの考え方、即ち日本の基礎研究力は依然として欧米の模倣を脱し得ていないこと、日本の政界、産業界の指導者層は基本的には文官であり、専門性を持って奉職する立場はそれと対比すると著しく低い事(もしくは専門性しか有しないために、幅広い教養を獲得している文官と対等たり得ないと考えている)を鑑みれば、至極まっとうな結論なのかもしれません。

今日、日本の基礎研究者層は従来より大幅に厚みを増しており、世界的にも評価される研究成果を次々と発表するようになっています。一方で、工業の方は一時期、「模倣」の領域を脱し、世界を主導する立場に立ったように見えましたが、各社の独自性が祟って各個撃破された挙句に、半導体のように最先端領域となると、基礎研究と生産技術との連携の低さが露呈、技術力でも後塵を拝するような状況となっています。

このような状況をもし八木が見たら、現代の産業界にどんな言葉をかけるのでしょうか。

また、彼は比較的若い時にドイツ、フランス、イギリス、そしてアメリカに留学しています(第一次大戦の影響で転々としたともいえます)。彼の日本に対する欧米の模倣、独自技術への固執に対する反感の元となった思想はこれら留学経験に基づいているはずなのですが、残念ながら本書では言及されていません。

そして、彼は日本で初めて「科学技術」という用語を用いた人物であると目されています。本書を読んでいると、そのような人物である八木から後輩である我々現在の「技術者」に対して「もっと科学を大事にしろ」と問いかけているかのように思えてならないのです。

御射鹿池の紅葉(2013/10/26)

>御射鹿池の四季の彩りはこちらにて。

台風一過の青空の下、夕暮れにかかってしまいましたが、紅葉のピークを迎えた御射鹿池へ移動です。

紅葉の御射鹿池へアプローチ御射鹿池へのアプローチも美しい紅葉が道沿いを彩ってくれています(Lumia1020)

御射鹿池の紅葉2013_1御射鹿池に到着です。もう夕暮れなので、池の西側には影が掛かり始めています(E420)【クリックでフルサイズ】

御射鹿池の紅葉2013_2まだ落葉松の色づきは始まったばかりですが、落葉松以外の紅葉は今がピーク、夕暮れで暗くなり始めた水面が紅葉に染まります(E420)【クリックでフルサイズ】

御射鹿池の紅葉2013_3西日をいっぱいに浴びた紅葉した木々と御射鹿池の水面を(E420)【クリックでフルサイズ】

白樺の紅葉はもう終わり、その他の木々もピークを向かていますが、これからは本命?の落葉松の黄葉が始まるシーズンです。八ヶ岳の紅葉は落葉松の黄葉が本当の見せ場、11月の初めまで八ヶ岳の山肌を埋め尽くす黄色の絨毯を楽しむことが出来ます。

お天気の良い休日、是非色づく八ヶ岳へお越しいただければと。

台風一過の秋空の下で(八ヶ岳西麓の秋空)

台風一過の青空1先週から散々騒がれた台風も漸く通りすぎで、秋空の戻った八ヶ岳南麓。台風の残していった強い風が吹く中、お散歩に出かけます(Lumia1020)。

台風一過の青空2秋の台風一過の空は高く高く伸びています。西日を浴び始めた空はちょっと寂しそうな醒めた青色です(Lumia1020)。

雲間から漏れるフレア3南アルプスを望むと、山並みに綺麗なフレアが出ています(Lumia1020)

雲間から漏れるフレア1紅葉で染まり始めた南アルプスの山々をフレアが照らし出していきます(E420)。

雲間から漏れるフレア2正面に向かってきたフレアと山並みを(E420)

台風一過の青空と八ヶ岳紅葉1振り返って、八ヶ岳には台風の余波の風が山を覆う雲を吹き払っていきます(Lumia1020)

台風一過の青空と八ヶ岳紅葉2八ヶ岳の裾野は黄色く色づき始めています。里より一足早く、落葉松も色づき始めているようです(E420)

台風一過の青空と八ヶ岳紅葉3八ヶ岳連峰一、優しい山並みを見せる網笠山も紅葉で色づいています(E420)

台風一過の青空と八ヶ岳紅葉4西日をいっぱいに浴びる、紅葉を纏った八ヶ岳西麓を(E420)

Lumia1020ファームウェアアップデート(Rev.3050)

一部で話が出ていたLumia1020のファームウェアアップデートですが、私が持っているオーストラリア版でも配布が始まりました。

lumia1020-13wp_ss_20131026_0002a

新旧のファームウェアバージョンを並べてましたが、OSのリビジョンは上がっていません(今週発表のあったUpdate3待ちのようですね)。ファームウェアのバージョンは3049から3050に上がっていますので、メジャーな改良があったと思われますが、使用感は特に変わったという印象はありません。

一番最初に気が付く変更点は、ホームスクリーンに置いておいた「Nokia Camera」のアイコンが無くなっていた点でしょうか。

wp_ss_20131026_0007もちろん、Nokia Camera自体が無くなってしまったわけではなく、ちゃんとメニューの方には残っていますので、登録しなおせばよいだけですし、多くの方はシャッターボタンにアプリ起動を割り当ててらっしゃるでしょうから、ちょっと驚くかもしれませんが、不都合はない筈ですね。

では、なんでそんなことになってしまったのかはNokia Cameraを立ち上げてみれば判ります。

wp_ss_20131026_0006画面右、カメラ/ビデオを切り替えるアイコンにもう一つ、連写アイコンが増えているのが判るでしょうか。

そうです、Nokia CameraからSmart Camへ直接に切り替えられるようになったのです。

拘りのマニュアル操作が特徴的なNokia Cameraと豊富な画像処理で写真を楽しめるSmart Camがシームレスに行き来できるようになったのは大切な変更かと思いますね。

私自身は動きのある写真を撮らないので、Smart Camの機能(マルチシャッターによるベストショット選択、重ね撮り、モーションロック、顔認識連動によるベストショットの合成、画面内の特定被写体カット)は余り使う余地がないのですが、機能としては楽しいですよね。発表通りであれば、次のアップデートの際にはRAWファイル対応(スマートフォンのカメラに必要かどうかはさておき…)とFocus shiftを活用した多点focus画像の合成(というか多重焦点画像の配布?)も実現するようですので、ますます「Camera」なスマートフォンの道を爆走していくLumiaシリーズです。

御射鹿池の四季(新緑、紅葉、そして冬)

御射鹿池の四季(新緑、紅葉、そして冬)

このページに御射鹿池をキーワードにお越しいただいている方が結構いらっしゃるようですので、これまで撮影した御射鹿池写真から適当に引き抜いて掲載します。

表示順序はランダムですが、マウスカーソルを写真の上に置くと撮影日が表示されますので、お越しになる際のスケジュールの参考まで。

画像をクリックして頂くと、スライドショーに移ります。

>御射鹿池の紅葉の状態(2013/10/26)はこちらにて。

連休最後の夕暮れ

連休最終日、天気予報に反してあさからどんより曇り空の八ヶ岳南麓。

八ヶ岳も終日雲の中で、お出かけする気力も失せてしまいます。

午後になって、西麓側はお天気が回復しているとの事だったのでいそいそとおでかけ。

それでも雲が多めで、紅葉の撮影は残念ながら諦めて蓼科の麓で夕暮れを眺めながら(今回はエフェクト多めで)。

塩嶺に沈む夕日を1西の塩嶺方向に沈む夕日を茅野市湖東、金山より。夕日を受けた雲間からフレアが出ています【クリックでフルサイズ】

暮れなずむ南八ヶ岳の山々西日にほのかに桃色に染まる南八ヶ岳の山並み【クリックでフルサイズ】

塩嶺に沈む夕日を2沈んでいく夕日を。空は黄金色から徐々に薄紅色に染め上げられていきます。