今月の読本「スズメ つかず・はなれず・二千年」(三上修 岩波科学ライブラリー)柔らか科学本が語る「何も判っていない隣人のこと」

今月の読本「スズメ つかず・はなれず・二千年」(三上修 岩波科学ライブラリー)柔らか科学本が語る「何も判っていない隣人のこと」

ライトな科学本は大好きで、結構買うのですが、こちらの本は大変人気があったようで、どうにも入手できずにやむを得ずネットで購入した一冊。

10月に刊行されてから3か月で4刷まで進むのは科学本としては異例の筈。岩波書店の販売ランキングでも最上位にランキングされ続けた大人気の一冊、岩波科学ライブラリー#213「ズズメ つかず・はなれず・二千年」(三上修)のご紹介です。

スズメ・表紙この可愛らしくも、ちょっと哀愁漂う、肩を寄せ合うスズメの背中のイラスト。これだけでも掴みは充分ですが、渋めの色調と相反するようなキャッチーな帯のコピー。背表紙に廻ると「ザ・普通」と挑戦的なキャッチと、切り抜き写真をぺたぺたと張ったpopな装丁が「普通の科学本じゃイヤ!」という、著者、編集者の強い主張が滲み出ています。

スズメ・表紙と背表紙頁をめくっていけば、可愛らしいイラスト満載、カラーページもふんだんに盛り込まれていて、これなら1500円も仕方ないかな、と思わせる豪華なページ構成です(ちなみに、イラストは著者と同郷の漫画家、とりの なん子さんの全面描き下ろしという豪華さ)。

特に、この手の野生生物を扱った本で必ずチェックしたいのが、ライフサイクル図なのですが、とりの なん子さんの可愛らしく、鮮やかな見開きイラストが目を見張ります。本書がただの科学本に留まりたくないという想いが、全面に現れているようです。

スズメ・ライフサイクルイラストページ数は僅かに100ページそこそこ。その気になれば数時間で読み終わってしまうボリュームなのですが、生物学的歴史、生態、人との関わり、文化的な位置づけから、長く続いた害鳥としての歴史、そして現在のスズメの置かれた状況と、見事に網羅されています。また、著者が観察方法と一緒に添えている豊富な写真はウォッチングガイドとしての役割も果たしてくれます。

あとがきを読ませて頂くと、編集者とのかなりの格闘があったようですが、研究者の方が書かれるポケットブック等で時に見られる、学術論文の紀要のような味気ない文体ではなく、どちらかというと、自然観察ガイドの方が書かれたような親しみやすさと、それでいて科学本としてのセオリーは守る編集方針を押し切った編集者の勝利、だったのではないでしょうか。

編集方針については大成功だったようですが、実は中身を読んでいくと少々気になってしまう点が出てきてしまいます。

およそのライフサイクルは判っているのですが、彼らが何処から来て、何処で過ごしているのか。どの位の子供を産んで、どの位の範囲で広がっていくのか。どの位生きられるのか。何を、どの位食べているのか…。

一応、概略的な事例は示されているのですが、引用史料が害鳥として捉えられていた戦前から戦後の高度成長期頃までのデータも多く、現状がどうなっているのかについて疑問が湧いてきますが、残念ながら本書は明快には答えてくれません。

そして、一章を割いてスズメが減少しているという傾向について述べられているのですが、減少している原因について明確な答えは示されていません(著者は泥沼という表現を以て、調査が依然として手探り状態である事を認めています)。

引用文献の古さ、執筆者の偏り(特にスズメの減少に関する部分では、著者が執筆したものが多数を占める)事からも、最も身近な鳥類であるはずのスズメの研究の実情が、かなりお寒いものである事を暗示しています。

そう、本書はもっとも身近な隣人、人無くして生きていけない不思議な野生生物であるスズメを楽しく観察しながら、みんなで考えてみませんか?と、訴えかけているのかもしれません。

摩訶不思議なあとがきの一文と共に、装丁の可愛らしさとは裏腹に、妙に引っかかるものが残る不思議な一冊です。

<おまけ>

本ページでご紹介している生物に関する書籍を

風の強い雨上がりの冬の夕暮れに

異例な程、暖かくなった今週末。

昨日までに諏訪湖の氷はすっかり融け、路肩に除雪した雪からは、融雪が川のように流れ出ていましたが、昨晩からの雨で何処もかしこもブラックアイスが広がる危なっかしい路面状況となった日曜日。

家の中でぼーっとしているつもりだったのですが、twitterで拝見した蒼穹に惹かれて、遅まきながら夕暮れの八ヶ岳西麓に出発です。

風が巻き上げる雲と八ヶ岳何時もの場所から、編笠山をセンターにした八ヶ岳を。【E420:クリックでフルサイズ】

西からの強い風に煽られて、八ヶ岳の裾野から頂上めがけて、雲がどんどんと上がっていきます。

時に、撮影しているこっちが風で吹き飛ばされそうになる位の強風が吹き荒れます。

夕暮れにたなびく雲後ろを振り返ると、南アルプスの山々の上空を夕日に照らされた雲が駆け抜けていきます。【E420:クリックでフルサイズ】

雨上がりでクリアーとなった空の下、黄金色の雲が千切れながら広がっていきます。

甲斐駒にかかる茜雲少しポジションを変えて、甲斐駒を正面に。【E420:クリックでフルサイズ】

灰色の雲とすっかり暗くなった山際の僅かな隙間に夕日と雪山のグラデーションが広がっています。

暮れゆく厳冬の雪原少し西に移動して、原村の御柱街道から西の山々を望みます。【Lumia1020:クリックでフルサイズ】

南アルプスに掛かっていた雲は漸く西に抜け、僅かに残る夕日の面影が空を染めています。そろそろスキー場はナイターの時間。照明塔の明かりが見え始めています。

今月の読本「動乱の東国史5鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿 吉川弘文館)混迷の室町期東国動向に光を

今月の読本「動乱の東国史5鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿 吉川弘文館)混迷の室町期東国動向に光を

一昨年から続いていた、吉川弘文館の意欲的な歴史シリーズ「動乱の東国史」。全7巻のうち、6冊までは順次刊行されていたのですが、唯一刊行が遅れていた第5巻が昨年末に漸く刊行。シリーズが完結しました。

東国ファンとしては全巻揃えたいのは山々なのですが、ハードカバーはやはり高い…。前半戦に特化して買い続けたラストが今回ご紹介する一冊「鎌倉府と室町幕府」(小国浩寿 吉川弘文館)です。

鎌倉府と室町幕府中世の東国史において、最もマイナーな時代をカバーすると思われる今回の一冊。具体的には足利尊氏と弟である直義が争った観応の擾乱終結後、鎌倉に置かれた半独立行政府である鎌倉府とその主催者でもある鎌倉公方、そして掣肘役とも捉えられる関東管領の設置から始まり、実質的な半独立行政府としての体裁を失う永享の乱まで(その後も少し記述されています)が扱われています。

カバーしている範囲を見ると、なるほど鎌倉府の事績を取り扱った書籍かと思わせられるのですが、差に非ず。

本書においては、鎌倉府自体が扱われるシーンは決して多くなく、むしろ周辺を跋扈する多彩な御家人、一揆、そして隙あらば鎌倉府の主を狙う奥州の公方たち。周辺だけでもこれだけ多彩なメンバーが登場するだけでもお腹一杯なのですが、このメンバーたちを京から攪乱すべく、歴代将軍達が時に関東管領、時に京都扶持衆、時には奥州の公方たちを扇動するは、鎌倉公方を直接恫喝するはで、登場人物が目まぐるしく入れ変わります。

それもこれも、既刊のシリーズをご覧いただければ判るかと思いますが、根本的には源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時からの矛盾を引き継いでいる事がはっきりしてきます。

関八州のうちでも、頼朝の挙兵に協力的だったのは南関東、具体的には相模、武蔵、安房、下総、上総、そして旗揚げの地である伊豆位までで、その他の諸国は頼朝への旗幟を鮮明にしなかった武士たちも大勢いたわけです。

特に、頼朝に頑強に抵抗した常陸の佐竹や、下野の藤姓足利氏の存在など、鎌倉を中心として同心円状に離れていくほどに、御家人たちの統制の足並みはがバラバラになっていきます。更には下野、常陸から北に大きく広がる奥州については、所謂占領地であって、鎌倉末期に至っても執権体制による完全な支配は確立されていなかった状況です。

この足並みの揃わない北関東を間接的に支配する為に、鎌倉幕府開設当初からある程度規模を有した伝統的御家人の存在を認めざるを得ず、その最大勢力が他ならぬ足利氏だった訳です。

その足利氏が京都に幕府を置く事で、パワーバランスの崩れた関東の諸勢力は、南北朝とそれに続く、足利兄弟の争いによる観応の擾乱に巻き込まれ、更なる分裂をきたすことになり、その後も長く、争い続けることになります。

そこには、南北朝期から戦国期にかけての複雑なパワーバランスの極致を見ることができます。朝廷に南北あり。幕府に将軍側近勢力と守護大名勢力あり。そして関東にはそれぞれの出先勢力である関東管領と京都扶持衆、幕府から任命を受ける守護。対抗するのが鎌倉公方と側近勢力。彼の動きに呼応するのは南関東を地盤とする一揆衆と北関東を地盤にする伝統的御家人。

鎌倉時代から続く直轄領的な役割を与えられた為に、小規模な勢力が蟠踞する南関東の勢力と、規模を有した独立勢力が温存された北関東の勢力が、鎌倉の公方側近の勢力(主に南関東の衆)を挟んで綱引きを繰り広げます。

歴代の鎌倉公方は、いずれも東国一円に威令を達せさせるため、北進政策を続けるわけですが、それを掣肘するのが将軍家と連携する関東管領である上杉家。鎌倉公方とは普段は協調路線を取る訳ですが、実際には関東の外郭である伊豆、上野、越後を押さえることで、鎌倉公方の膨張を間接的に抑え込んでいます。更に本来は鎌倉公方の北進を先導すべき奥州の公方たちにも将軍家の懐柔の手が及んでいきます。

そのすべては、当時を表す複雑な多重支配体系が生み出す幻想。鎌倉公方と将軍家は並び立つ存在であるとの想いの発露と掣肘が繰り返されていきます。

このように、室町期の東国は、鎌倉幕府創設時からの東国の南北関係が、形態や主を変えながらも長く継続していった結果生じた、衝突と均衡の歴史である事が判ります。そして、鎌倉を追われた関東足利公方家が何故古河に動座したか。すなわち、小規模勢力が跋扈し、離散集合を繰り返していった南関東の小規模な諸勢力の上位者としての立場から、歴代の鎌倉公方の方針である北進政策を採り、依然として一定の規模を有する伝統的勢力の力を借りながら、奥羽をも指呼に位置する、河川による交易の権益を掌握できる場所に拠点に移したと言えます。

本書では、これらの内容を、歴代鎌倉公方の治績を踏まえながら、複雑極まりない周辺勢力との競合と協調、京との緊張関係を比較引用しつつも、なるべく平易に取り扱う事に注力してます。

鎌倉公方の動向としては、自らの地盤である南関東の直轄地化を指向した掌握過程の検証。戦略地である奥羽の入り口に対しては、送り込んだ公方たちと現地勢力の綱引きの事例を示すことで、鎌倉公方が東国に独自の政治機構を指向していた事を示唆していきます。

京との関係では、関東のパワーバランスに非常に大きな影響を与え続けたため、鎌倉公方を取り扱う内容とほぼ同じ分量で将軍の動向も叙述していきます。それは光と影のように、入れ替わり立ち代わり現れていきます。

この複雑極まりない鎌倉府と中心とした室町期の関東の情勢は、最終的には公方持氏と管領憲実の確執、籤引き将軍義教の挑発に乗る形で崩壊の道を辿る事になるのですが、著者はここで専門分野でもある軍記の研究を通した知見に基づく、一つの提起を行っていきます。

将軍家の後継に名乗り出たり、血判状に見られるような名望家で短気、暴力的なイメージの鎌倉公方足利持氏と、足利学校の再建や領地越後での崇敬、落飾後の放浪(本書では述べられていませんが最後は山口で客死)に見られるような、知的で温和、ナイーブなイメージで語られる関東管領上杉憲実の両者の固定観念的な扱いに疑問を投げかけていきます。

自分の短慮を詫びて、京に対して服従の意思を表し続け、臣下に対して妥協を重ねていく神経質なナルシスト持氏と、頑固で融通が利かず、剃髪までして周囲を困らせた挙句、将軍の叡慮を引き出して、自身の立場を有利にしていく狡猾な戦略家憲実(更に戦になると、刃を交える前に勝敗を決してしまう程の巧者)。

果たして、著者の提起が学会や万人に受け入れられるのかは判りませんが、複雑な人間模様が交差する室町期の東国。これからの研究の推移によって、驚くような人物像や意外な見解が更に出て来るような、奥深さをひしひしと感じさせます。

<おまけ>

今月の読本「魔法の夜 竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)今度は私が伝えてあげる

今月の読本「魔法の夜 竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)今度は私が伝えてあげる

New!(2016.2.15):竜宮ホテルシーズの最新刊「竜宮ホテル 水仙の夢」が刊行さました。

こちらにちょこっと紹介も書いています。

 

<本文此処から>

年末から続けていた村山早紀さんの著作シリーズも最後の一冊。

先に纏めのページを上げてしまいましたが、単巻としての感想も残しておこうかなと。

2011年に刊行された「竜宮ホテル」の続編。実際には2013年に徳間文庫に再収蔵された同作の続編として刊行された「魔法の夜 竜宮ホテル」のご紹介です。

竜宮ホテルシリーズ2冊本作は、クリスマスに関わる短編二編とエピローグが収められていて、一応、各編ごとに楽しむこともできるようになっていますが、やはりここは前作「竜宮ホテル」を読まれた後でご覧いただければと思います。

前作は、著者のシリーズ作品ではお馴染みの「風早の街」に建つ、竜宮ホテルの住人の一人となった主人公で小説家の響呼が、ホテルに住む不思議な住人との触れ合いを通して、自分自身の存在を見出していくお話となっています。

2013年の再収蔵時に追加された短編では、すっかり竜宮ホテルの住人の一人として馴染んでいる響呼と同居する、彼女を慕う妖怪の少女、ひなぎくの物語がモノローグとして語られていきますが、本作はこの追加短編を受ける形で、クリスマスシーズンをテーマにした物語が綴られています。本作でも、ひなぎく、そして響呼のモノローグが交差しながら物語は進んでいきます。

今回のゲストは元サーカスのピエロにして魔術師の佐伯老人と、ホテルのコーヒーハウスのアルバイトでもあり、ストリートミュージシャンでもある愛理ですが、二人に心を寄せる新しい登場人物や、響呼を竜宮ホテルに住むように誘った張本人でもある寅彦のお話も出てきます。

前作では、自分自身の居場所に不安を持ちながら、他人と接することが少なかった響呼ですが、本作ではまだまだ頼りないところを見せながらも、ひなぎくやゲストたちを見守る側の立場としての役割も演じていきます。

自分の能力に懐疑的て、自らを否定するように、自分の能力も否定してきた響呼が、自ら進んでその能力を発揮しようと動き出します。その目的は、自分の為ではなく、自分を必要としてくれる、自分を想ってくれる大切な人の為に。

本作はファンタジーなので、想ってくれている人が「人」であるとは限りませんが、それでも寄り添い、支え合う人がいることの大切さに改めて光を当てていきます。

そうしていくことで、響呼自身だけではなく、物語に登場してくるゲストたちの想いも少しずつ解き放たれていきます(登場人物の背景などに、同時期に書き下ろされた「ルリユール」の影響も見られますよね)。

逃げないこと、一瞬を大事にすること、時には演じ続けることで誰かの想いに応えること、それでも伝えたい気持ちを伝える事。

まだ、本当の意味で自らを解き放てたわけではない響呼を更に促すように、ちょっと厳しめな著者はこう語らせます

「知らないこと、気付かないことも罪だから」

響呼がもつもう一つの力「本を書く」は著者のものでもあります。物語のエピローグで、その想いをこう述べていきます(長文引用すみません)

—引用ここから—

人間は、魔法を使えないかもしれない。けれどきっと、ささやかな願いや、美しい祈りを未来に伝えて行くことは出来る。

遠い時の果てで、私たちの祈りは、未来の誰かを寒さから救い、その涙を乾かし、ふたたび微笑みを取り戻すための力になれるのかも知れない。

言葉は、傷を覆う薬になり、凍える体をふんわりと包む、優しい羽毛になるのかも知れない。

わたしの残したささやかな物語を、遠い未来の荒廃した日本で、日比木くんが喜び、その心の支えにしたように。

(言葉は、宇宙に残る・・・・・・)

だからわたしたちは祈る。そっと空に、星に願い事を託すのだ。

空を見上げて。星が灯るように輝く、この地上から。

街—わたしたちが生きる、大切なこの場所から。

—引用ここまで—

クリスマスをテーマにした作品らしい、想いの伝え方ですが、一方で著者がシリーズとして書き続けている「風早の街」への想いの一端をもここで伝えてくれています。

大切な場所、大切な人と一緒に。

<おまけ>

村山早紀さんの著作とSNSと伝えたい想い(コンビニたそがれ堂からルリユール、竜宮ホテルへ)

村山早紀さんの著作とSNSと伝えたい想い(コンビニたそがれ堂からルリユール、竜宮ホテルへ)

New!2015.3.3:著者の代表作でもある「コンビニたそがれ堂」。これまでのシリーズ作品からの選りすぐりと、新たな描き下ろしを加えた愛蔵版がこの度刊行されることになったようです。既に著者の村山早紀さんがtwitterで書影の見本を公開されています。ご興味のある方はこちらもどうぞ。

 

<本文此処から>

ルリユールをきっかけに、年末から年始にかけて、昨年刊行された村山早紀さんの著作を連続して読み続けること三作品。

村山早紀さんの著作達子供の頃から本が大好きで、手元に読みかけの本が途絶える事など考えられないような生活を続けてきたのですが、物語や小説だけは殆ど読むことはなく(星新一だけ例外)、只々、活字によって、底なし沼な知的欲求の飢えを潤してきたような気がします。

そんな、偏執的活字中毒者にとって、児童文学は禁断の世界。本屋さんに山籠もりするのは大好きですが、児童書のコーナーだけは例外。popなカラーが溢れ、子供たちの歓声がこだまする暖かそうなその空間には、決して近寄ろうなどという事を考えもしなかったのです。

そんな児童文学の世界を舞台に活躍されていた村山早紀さんの著作が、たとえ一般書として刊行されたとしても、巡り合う事はまず無かった筈なのですが(書棚をぱっと眺めても、著者が女性の本は指折り数えられるほどなのですから尚更です)、SNSの意外な効用なのでしょうか、こうして何冊かの著作を手にすることになったのでした。

丁度、毛色違いの仕事を一人で取り仕切るという厭な関門にぶつかっていた時、SNSで流れている書評に多く見られるように、そして最初に手にした「コンビニたそがれ堂」の帯にあるように「心の疲れをほぐします」という言葉に惹かれたのかもしれません。

その一方で、最初に著者を知ったきっかけとなった某作品の設定協力に関するコメントで、「もう少し暗い話だった」と述べられていたのが、妙に気になったのです。

その作品は販促用として製作された物でしたが、1年間というロングスパンを活用して、一人の少女の成長を丁寧に描写していったことで、一部で非常に高い評価を受けたいました。そのベースとなっていたのが、製作陣の丁寧な作業による美しい映像と、時に厳しい視線すらを厭わない、ベテラン女性脚本家の方による、しっかりと道筋の通った構成であった事は皆さんの一致する意見かと思います(放映前後のSNSを通じた製作陣のトークや、制作側の熱意もあり、不可能とも思われたBD化の際に新作映像まで制作されたこともSNSによる波及効果の一例ですね)。

そんな、販促番組としては異例の高水準で組まれ、子供向け作品にしては少々厳しめの内容にも思われた構成に対して、更に暗い話であったとは、どのような意味を持つのであろうか、そもそもナイーブな子供を相手に読後の満足感を得させることを生業とする児童文学者だぞ…と、更なるギャップを抱えたまま、「コンビニたそがれ堂」を手に取ったのでした。

そんな気楽さ半分、ちょっと心配半分で読み始めて僅か数分、既に私の心は氷のように固まり、字面を追う目と思考は緊張感に苛まれ続けていました。その本の中で語られていく物語の背後に流れる旋律が余りにも暗く、沈没してしまうようにも感じられたからです。そう、登場人物たちの背景を徹底的に突き落としていくような、そんな設定に戦慄を覚えたのでした。

強くまっすぐ願うこと。誰かを気にかけ続ける事。誰かの想いに答え続ける事。想いを強く強く馳せ続ける事。そんな聖人とも思える登場人物たちの真っ直ぐな想いとは裏腹に、著者によって彼らに与えられるのは、それほどの強い想いすら簡単に叩き潰してしまう程の暗い影、心の闇。そして根底に流れ続ける死への視線、死者への想い。

多くの読者の方は「心が温められた」「安らぎが得られた」と感じられるようなのですが、私にとってはひたすら崖っぷちに立たされた思いが残る作品だったのです。

なんで、そこまで潔く生きることを選択できるの、そんな絶望の淵でも希望を口にできるの、と。

その世界観は、キリスト教の「罪と赦し」の説話に通じる事は直感的に判っていたのですが、登場人物たちの真っ直ぐな想いの裏返しとして、正面から向き合わされることになったのです。

珍しく買った小説、それも癒し系なんだろなと思って、へとへとに疲れた出張帰りの車内で少し潤いが欲しかった最中の、決して後味が良い読み終わりではなかった私を辛うじて救ってくれたのが、巻末の瀧晴巳さんによるちょっと長めの解説文だったのです。作中では見せない著者のもう一つの想い。

それ以来、再び著作を手に取る事もなく、相変わらず好きな実録と歴史書で知識と活字への欲求を満たし続けていた中で、再び著作に巡り合うことになります。

一般向け書籍では文庫本の形態が多い著者の作品では珍しく、新書版として上梓された「ルリユール」。美しい装丁と、本を修理する事をテーマに扱ったこともあり、本屋さんの店員の皆さんや、読書ファンの皆さんの中でもかなりの評判が上がっていた事を、再びSNSを通じて知る事となったのでした。

最初は手に取るつもりはなかったのです。多分、読むと絶望の淵に再び立たされるのだろうな、と。ただ「本を愛する人の想い」というフレーズに心惹かれて再び手元にやってくることになったのでした。

文庫でも小説を買う事はまれ、更に言えば新書版自体も多くは買わない身としては、美しい装丁の女性作家の小説など遠い世界の物語、の筈だったのです。ところが、ある方の書評に対してコメントを入れてリプライした後に、ふとTLを眺めると、著者である村山早紀さんからのFavoが入っていてびっくり。もはや読むしかないと腹をくくって本屋さんに探しに出たのでした。

SNSが取り持った、ささやかな繋がりの末に手元にやって来た「ルリユール」。読み始めてみれば「コンビニたそがれ堂」で感じた著者特有の世界観が、本を直す仕事という、作家である著者により近い舞台故に、更に濃密に織り込まれて展開されている事を知る事になります。そう、心温まる物語の裏側に流れる、暗く深い闇夜のような旋律も含めて。

でも、一つだけ違って見えた事があります。登場人物に仮託する形ではありますが、著者のもう一つの想いが、少しずつ述べられ始めている事に気が付くのです。

その想いを誰かに伝えたい。本という箱舟に載せて、未来へ船出させたい。物語の後半に進むにしたがって、そんな想いが随所に述べられていきます。

「ルリユール」を読んだ後に感じた変化を更に確認したくなって読み始めたのが、同年にリニューアルと追加のエピソードが加えられた「竜宮ホテル」シリーズ。

こちらの主人公はストレートに女性小説家。綴られてく内容には、もちろんファンタジーとしての脚色がふんだんに盛り込まれていますが、「ルリユール」より踏み込んだ形で、著者のもう一つの想いが語られていきます。

物語作りという裏方に徹する女性小説家。ファンタジーが得意で、でも自身のいきさつにより、そんな部分に拒絶反応すら示していた私。それまでは物語を描く立場であった私が、今度は私の物語を演じ始めることになります。

最初はぎこちなく始まった私の物語も、周りの多くの人たちの支えによって、少しずつ世界が広がっていきます。私の世界が広がると、知らないうちにみんなの世界に私が繋がっている事を知っていきます。みんなの世界にとって、私がかけがいのない存在であった事を言葉を通して知って行く事になります。独りで生きいるんじゃない。みんなが居てくれるから、私は此処にいられる。

まだ、心の奥底には許せない自分が潜んでいるのかもしれません。それでも著者は登場人物たちに演じ続けさせます。その想いが誰も知らないものになってしまわないように、誰かの想いも失われないように、誰かに伝わるように…。

「私は誰かの言葉を聞くようにしよう、誰かの姿を見ているようにしよう」

今度は私が誰かの想いを支えてあげる。僅かだけど私の力「本を書く事」「未来に伝える事」を通して、今度は私があなたに伝えてあげたい。まだ見ぬ未来のあなたに伝えてあげたい。

「あなたは、この世界に生きていてもいいよ」

と。

本と、SNSは媒体は違えど「文章」を伝え合うツール。文章に込められた想いが、誰かの心に届くと信じ続けられれば、きっとあなたの想いも通じるはず。そんな妄想めいたことを考えながら3作品目の「魔法の夜 竜宮ホテル」のページを閉じたのでした。

<おまけ>

  • 村山早紀さんの著作の根底にある想いを考えた時に、どうしても思い出してしまうのが、古い作品で申し訳ないのですが「灰羽連盟」という安倍吉俊さんの同人誌を元にしたアニメーション作品。製作されてから10年以上が経過していますが、今でもカルトな人気を得ている作品となっています。物語の底流に流れている暗く、深い死の旋律と、物語の随所に現れるキリスト教的価値観からの援用だけでも充分相似性を感じさせるものですが、登場人物達が背負わされている背景や、主人公のお姉さん的立場で描かれる人物の振る舞いまで、村山早紀さんの著作に登場する人物たちと相通じるイメージがあります
  • 最近の作品で、同じようなシチュエーションを丁寧に描いてるのは「人類は衰退しました」における私と友人Yの物語でしょうか。主人公である「わたし」に独白させる「本当は一人ぼっちでいるのは寂しい、本当は仲間と和気藹々うまくやりたい、本当は…本当は、笑われたり馬鹿にされたりすることは死ぬほど辛い…」そして、独白の後に続く「独りは嫌です…ああ、言葉にしてしまった、言語化してしまった、そんなことをしたら、どんな強がりも腐ってしまうのに…」言葉を操る作家と呼ばれる方々の言葉に対する強い想いと、言葉にしない事がどれだけ心を頑なにしてしまう事になるのかを思わせる台詞でした
  • 「コンビニたそがれ堂」紹介のページでも書いていますが、キリスト教説話的だと思わせる例として、こちらは非常に古い作品となってしまいますが「雪のたらか」という童話があります。1970年代から90年代にかけて制作された日本アニメーションの「世界名作劇場」の第9作品目(アルプス物語・わたしのアンネット。現在ドラえもんの総監督を務める楠葉宏三さんの初監督作品)にもなったお話ですが、読むのが辛くなるほどの登場人物たちは徹底的に苛まれていきます。そして、ペギンじいさんとルシエンの邂逅は「魔法の夜 竜宮ホテル」で語られる佐伯老人とキャシーの巡り合いそのものです(この辺りのレトリックが意味する本質は、更に原典である旧約聖書などを読んでいただければと)
  • 村山早紀さんを知る事となった作品については、素人の私ではなく、プロの方の紹介記事があります。こちらへどうぞ(漫画研究家/ライターの泉信行さんによる『アニメ脚本家・島田満さんのお仕事と、イマジナリーフレンドの関係』ピアノ・ファイア)
  • 私自身、喋る事は嫌いではありませんが、元々吃音持ちにも拘らず、頭のてっぺんから出しているようなトーンの高い声と、江戸言葉の血筋を引くせっついたような語り口のため、今でも色々な誤解を受けることがあります。それでも話さない事には何も伝わりませんし、場所も立場も離れた人から理解を得ようとすれば苦手であっても文章の力を借りざるを得ません。そうやって、自分で苦しみながらも何かを伝えていく事自体が、生きて行く事と同義なのかもしれませんね
  • 村山早紀さんはかなりのデジタルガジェット好きで、作中に何度も最新型の製品の名称が出てきます。女性作家の作品では珍しい事ですよね。ルリユールにenchantMOONが出て来たときは正直、びっくりしましたが、ライブ感を大切にしているのかもしれませんね。今年あたりの作品にはウェラブルガジェットを使用しているシーンなどが出て来るかもしれませんね
  • こちらのページで紹介した、村山早紀さんの著作は以下のリンクより
Lumia1020にもcamera RAWが(Windowsphone8 update3 and Lumia Black update)

Lumia1020にもcamera RAWが(Windowsphone8 update3 and Lumia Black update)

謹告

今回のLumia Blackのアップデートを適用すると、国内で流通している一部のSIMにおいて、3Gの通信が出来なくなるとの報告が上がっております。

当方でも状況は確認しております。

今回のアップデートに関しましては、各種の情報をお確かめの上、慎重に判断して、自己責任で適用して頂けますよう、お願いいたします

(状況に関する個別のご相談につきましては、コメント欄、もしくはtwitterの方にご連絡を頂けますよう、お願いいたします)

昨年のLumia1520発表時から、Lumiaユーザーの間では話題となっていたWindows8のアップデート3と、セットとなるLumia BlackへのアップデートがいよいよSIMフリー版のLumia1020にもやって来ました。

なお、アップデートにPCは必要ありませんが、wifi接続が前提となります。

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電話機の更新を行うと、しばらくしてMicrosoft updateも聞いてきますので、素直にインストールしましょう。2回ばかり再起動の後、右の画面にあるように「Lumia Blackへようこそ」が表示されればアップデート成功です。

インフォメーション欄をクリックすると、Webの画面からLumia Blackの説明ページにジャンプしてくれます(英語です)。

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一応、バージョン表示の比較など。実は変わっていない事が判ります。

OSのマイナーバージョンアップに対応させたのがLumia Blackの立ち位置みたいですね。

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そんな中で、最も注目を浴びるのがNokia Cameraのcamera RAW(DNG)対応でしょうか。画面に見えますように、34MPixelの選択が出るようになりました(撮影テストはまだです)。

また、Nokia CameraのManual Focus操作が6段階程度の選択式だったものが、連続操作できるようになったのは大きな改善点です。

もう一つの外観上の大きな変更点は(実はこれが一番嬉しかったり)が、ナイトモードの表示色が赤だけであったものが、3色の選択式になった事です。

P1155913bこれで、寝起きのメッセージ着信で真っ赤な時計表示を拝まされるという、心臓に悪い症状から解放されます(ほっ)。

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後は細かい変更ですが、画面回転モードを停止させるメニューが追加された点と、運転モードで電話に出られない時に相手のSMSに自動的にメッセージを送信する機能が追加されています。

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そして、更に細かいのですけれど、意外と効果的な変更がマルチタスクアプリケーションの選択画面(戻るキー長押し)で、アプリケーションの名称とアイコン表示が追加、更に右上に「閉じる」ボタンが出るようになった点です。

こまめにアプリを閉じたい几帳面な方には待望の機能ではないでしょうか?

こんな具合に、細々とした改良が加えられたLumia Black(Windowsphone Update3)。既にWindowsphone8.1のアナウンスも聞こえ始めていますが、このように継続的な改善が施されることは、NokiaにとってもMSにとってもまだこのソリューションが継続に値する(WindowsRTは既にピンチかと)と見なしている証拠ではないでしょうか。

ファブレットのLumia1520やタブレットサイズのLumiaも出てきている現状を考えますと、次のバージョンアップではWindows8ストアアプリとの統合と、Bluetoothキーボードの対応を是非お願いしたいですね。

<おまけ>

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前からあったかもしれませんが、Lumia1020の場合、カメラシャッター音を消すことができます。日本の携帯の場合、確かNGだったような気がするのですが…。

あと、今回のアップデート終了後、改めて「電話の更新」メニューを見たところ、何とアップデートの通知を行うチェックボックスが無くなって、自動ダウンロードの選択チェックボックスだけになっています。まあ、通知を貰おうが貰うまいがアップデートの情報が流れだすと、更新を身構えて待つ身としてはどうでもいいのですが、一般ユーザーに対してこれでいいのかなと、ちょっと心配になってしまいました。

DP1 Merrillぶら下げて雪と氷柱の奥蓼科へ

>御射鹿池の四季の彩りはこちらにて。

新年早々の3連休。仕事が入ったので、最終日だけのお散歩でしたが、年末から借りていたDP1 Merrillをそろそろ返すタイミング。最初で最後の八ヶ岳界隈での撮影は、冬場に行くにはちょいとキツイ、奥蓼科へ。

なお、掲載した写真は特記無き場合、DP1 Merrillの内臓JPEGによる撮って出しです。すべての画像は、クリックして頂くとフルサイズ表示に切り替わります。

鉢巻道路から雪の八ヶ岳遠望スタートは何時もの鉢巻道路沿いから。

この時期は一応、冬季閉鎖なのですが、牧場関係者が出入りするため、軽く除雪は入っています(進入はあくまでも自己責任で)。

気持ちの良い冬の青空が広がります。

八ヶ岳実践大学校奥から雪の八ヶ岳遠望こちらは八ヶ岳実践大学校の上側にある牧草地から八ヶ岳を正面に捉えて。

八ヶ岳実践大学校の牛たちと雪の八ヶ岳八ヶ岳実践大学校まで下がってきてびっくり、なんと雪の中で乳牛が放たれています。

日光浴が目的かと思いますが、外の気温は氷点下1℃。流石に雪が残っている場所は寒いらしく、地表が見えている場所に固まっていますが、それでも寒いんだろうな…と。

エコーラインから雪原越しに八ヶ岳を八ヶ岳実践大学校を後にして、エコーラインを西に進んでいきます。

途中、谷戸に広がる雪原の向こうに、白銀の八ヶ岳を望むことができます。

明治温泉へのアプローチ1エコーラインから八ヶ岳の懐に再び進路を取り、一路、奥蓼科へ。

路面に雪が残る、傾斜12%の急こう配を標高差300m程登っていくと(実は路線バスも走っています)御射鹿池に到着しますが、今日はここに車を置いて、雪に足を取られながら圧雪の急坂を横谷渓谷側に下っていきます。

明治温泉沿いの雪の山肌途中、横谷渓谷の山肌を。

霧ヶ峰ほど標高が高くない、ここ奥蓼科ですと、樹氷が観られるのは降雪直後の僅かな期間だけ。昨晩も僅かに降雪があったはずですが、針葉樹の枝に雪が残る程度です。

冬のおしどり隠しの滝御射鹿池から急な坂道を下る事、5分ばかり。

横谷渓谷の絶壁に建つ温泉一軒宿、明治温泉に到着です。

温泉の裏庭がそのまま横谷渓谷の散策路となっており、この温泉の名物である『おしどり隠しの滝』が雪の渓谷を縫っていきます。

明治温泉の氷柱3そして、明治温泉のもう一つの名物。それが冬場にしか見られない氷柱(人工)です。

本当は、夜間にイルミネーションで美しく装飾されるのを眺めるのが最高なのですが、急こう配の奥蓼科を冬季に夜間移動するのは極めて危険。殆ど宿泊客の方だけが楽しめるサービスなのですが、昼間に眺める氷柱も透明感があって、美しいものです。

そんな氷柱のバラエティを少々。

明治温泉の氷柱2明治温泉の氷柱5明治温泉の氷柱1明治温泉の氷柱4おしどり隠しの滝から空を見上げておしどり隠しの滝から奥蓼科の青空を見上げて。

底冷えの寒さですが、氷柱に囲まれている間は何故か、とても心地が良かったのは、この場所が観光案内でも謳われているように、マイナスイオンで満たされているためでしょうか。

明治温泉へのアプローチ2氷柱と滝の音に送られて、おしどり隠しの滝を後にします。

冬の夕暮れが足早に迫ってきます(Lumia1020)

雪の御射鹿池厳冬の御射鹿池。すっかり雪に覆われています。

普段はひっきりなしに観光客が訪れるようになったこの場所ですが、冬場は写真撮影の方が時折訪れるだけ。ひっそりと静まり返っています。

木々を抜けていく風の音が時折聞こえるだけの、真空のようなひと時が過ぎていきます。

雪原越しに蓼科山を奥蓼科から麓に下ってくると、もう夕暮れ。

真っ白な雪を被った蓼科山と横岳は少しずつ夕焼けに色づいていきます(Lumia1020)。

夕暮れの瀬沢新田雪原から月と八ヶ岳そして、何時もの瀬沢新田まで戻ってくると、八ヶ岳は夕焼けに輝き出しています。

東の空には、満月を間近に迎えた月が昇ってきています(Lumia1020)。

夕暮れの雪原・瀬沢新田そしてDP1 Merrill最後の1枚。瀬沢新田から夕暮れの甲斐駒と富士山を。

腕がへっぽこなので、このカメラの特色を捉えた撮影はどうにも叶わなかったようですが、解像感のある絵が得られる事だけは確認できたような気がします。

これでDP1 Merrillは返却となってしまいますが、貸してくれたT君に感謝を。