村山早紀さんの著作とSNSと伝えたい想い(コンビニたそがれ堂からルリユール、竜宮ホテルへ)

New!2015.3.3:著者の代表作でもある「コンビニたそがれ堂」。これまでのシリーズ作品からの選りすぐりと、新たな描き下ろしを加えた愛蔵版がこの度刊行されることになったようです。既に著者の村山早紀さんがtwitterで書影の見本を公開されています。ご興味のある方はこちらもどうぞ。

 

<本文此処から>

ルリユールをきっかけに、年末から年始にかけて、昨年刊行された村山早紀さんの著作を連続して読み続けること三作品。

村山早紀さんの著作達子供の頃から本が大好きで、手元に読みかけの本が途絶える事など考えられないような生活を続けてきたのですが、物語や小説だけは殆ど読むことはなく(星新一だけ例外)、只々、活字によって、底なし沼な知的欲求の飢えを潤してきたような気がします。

そんな、偏執的活字中毒者にとって、児童文学は禁断の世界。本屋さんに山籠もりするのは大好きですが、児童書のコーナーだけは例外。popなカラーが溢れ、子供たちの歓声がこだまする暖かそうなその空間には、決して近寄ろうなどという事を考えもしなかったのです。

そんな児童文学の世界を舞台に活躍されていた村山早紀さんの著作が、たとえ一般書として刊行されたとしても、巡り合う事はまず無かった筈なのですが(書棚をぱっと眺めても、著者が女性の本は指折り数えられるほどなのですから尚更です)、SNSの意外な効用なのでしょうか、こうして何冊かの著作を手にすることになったのでした。

丁度、毛色違いの仕事を一人で取り仕切るという厭な関門にぶつかっていた時、SNSで流れている書評に多く見られるように、そして最初に手にした「コンビニたそがれ堂」の帯にあるように「心の疲れをほぐします」という言葉に惹かれたのかもしれません。

その一方で、最初に著者を知ったきっかけとなった某作品の設定協力に関するコメントで、「もう少し暗い話だった」と述べられていたのが、妙に気になったのです。

その作品は販促用として製作された物でしたが、1年間というロングスパンを活用して、一人の少女の成長を丁寧に描写していったことで、一部で非常に高い評価を受けたいました。そのベースとなっていたのが、製作陣の丁寧な作業による美しい映像と、時に厳しい視線すらを厭わない、ベテラン女性脚本家の方による、しっかりと道筋の通った構成であった事は皆さんの一致する意見かと思います(放映前後のSNSを通じた製作陣のトークや、制作側の熱意もあり、不可能とも思われたBD化の際に新作映像まで制作されたこともSNSによる波及効果の一例ですね)。

そんな、販促番組としては異例の高水準で組まれ、子供向け作品にしては少々厳しめの内容にも思われた構成に対して、更に暗い話であったとは、どのような意味を持つのであろうか、そもそもナイーブな子供を相手に読後の満足感を得させることを生業とする児童文学者だぞ…と、更なるギャップを抱えたまま、「コンビニたそがれ堂」を手に取ったのでした。

そんな気楽さ半分、ちょっと心配半分で読み始めて僅か数分、既に私の心は氷のように固まり、字面を追う目と思考は緊張感に苛まれ続けていました。その本の中で語られていく物語の背後に流れる旋律が余りにも暗く、沈没してしまうようにも感じられたからです。そう、登場人物たちの背景を徹底的に突き落としていくような、そんな設定に戦慄を覚えたのでした。

強くまっすぐ願うこと。誰かを気にかけ続ける事。誰かの想いに答え続ける事。想いを強く強く馳せ続ける事。そんな聖人とも思える登場人物たちの真っ直ぐな想いとは裏腹に、著者によって彼らに与えられるのは、それほどの強い想いすら簡単に叩き潰してしまう程の暗い影、心の闇。そして根底に流れ続ける死への視線、死者への想い。

多くの読者の方は「心が温められた」「安らぎが得られた」と感じられるようなのですが、私にとってはひたすら崖っぷちに立たされた思いが残る作品だったのです。

なんで、そこまで潔く生きることを選択できるの、そんな絶望の淵でも希望を口にできるの、と。

その世界観は、キリスト教の「罪と赦し」の説話に通じる事は直感的に判っていたのですが、登場人物たちの真っ直ぐな想いの裏返しとして、正面から向き合わされることになったのです。

珍しく買った小説、それも癒し系なんだろなと思って、へとへとに疲れた出張帰りの車内で少し潤いが欲しかった最中の、決して後味が良い読み終わりではなかった私を辛うじて救ってくれたのが、巻末の瀧晴巳さんによるちょっと長めの解説文だったのです。作中では見せない著者のもう一つの想い。

それ以来、再び著作を手に取る事もなく、相変わらず好きな実録と歴史書で知識と活字への欲求を満たし続けていた中で、再び著作に巡り合うことになります。

一般向け書籍では文庫本の形態が多い著者の作品では珍しく、新書版として上梓された「ルリユール」。美しい装丁と、本を修理する事をテーマに扱ったこともあり、本屋さんの店員の皆さんや、読書ファンの皆さんの中でもかなりの評判が上がっていた事を、再びSNSを通じて知る事となったのでした。

最初は手に取るつもりはなかったのです。多分、読むと絶望の淵に再び立たされるのだろうな、と。ただ「本を愛する人の想い」というフレーズに心惹かれて再び手元にやってくることになったのでした。

文庫でも小説を買う事はまれ、更に言えば新書版自体も多くは買わない身としては、美しい装丁の女性作家の小説など遠い世界の物語、の筈だったのです。ところが、ある方の書評に対してコメントを入れてリプライした後に、ふとTLを眺めると、著者である村山早紀さんからのFavoが入っていてびっくり。もはや読むしかないと腹をくくって本屋さんに探しに出たのでした。

SNSが取り持った、ささやかな繋がりの末に手元にやって来た「ルリユール」。読み始めてみれば「コンビニたそがれ堂」で感じた著者特有の世界観が、本を直す仕事という、作家である著者により近い舞台故に、更に濃密に織り込まれて展開されている事を知る事になります。そう、心温まる物語の裏側に流れる、暗く深い闇夜のような旋律も含めて。

でも、一つだけ違って見えた事があります。登場人物に仮託する形ではありますが、著者のもう一つの想いが、少しずつ述べられ始めている事に気が付くのです。

その想いを誰かに伝えたい。本という箱舟に載せて、未来へ船出させたい。物語の後半に進むにしたがって、そんな想いが随所に述べられていきます。

「ルリユール」を読んだ後に感じた変化を更に確認したくなって読み始めたのが、同年にリニューアルと追加のエピソードが加えられた「竜宮ホテル」シリーズ。

こちらの主人公はストレートに女性小説家。綴られてく内容には、もちろんファンタジーとしての脚色がふんだんに盛り込まれていますが、「ルリユール」より踏み込んだ形で、著者のもう一つの想いが語られていきます。

物語作りという裏方に徹する女性小説家。ファンタジーが得意で、でも自身のいきさつにより、そんな部分に拒絶反応すら示していた私。それまでは物語を描く立場であった私が、今度は私の物語を演じ始めることになります。

最初はぎこちなく始まった私の物語も、周りの多くの人たちの支えによって、少しずつ世界が広がっていきます。私の世界が広がると、知らないうちにみんなの世界に私が繋がっている事を知っていきます。みんなの世界にとって、私がかけがいのない存在であった事を言葉を通して知って行く事になります。独りで生きいるんじゃない。みんなが居てくれるから、私は此処にいられる。

まだ、心の奥底には許せない自分が潜んでいるのかもしれません。それでも著者は登場人物たちに演じ続けさせます。その想いが誰も知らないものになってしまわないように、誰かの想いも失われないように、誰かに伝わるように…。

「私は誰かの言葉を聞くようにしよう、誰かの姿を見ているようにしよう」

今度は私が誰かの想いを支えてあげる。僅かだけど私の力「本を書く事」「未来に伝える事」を通して、今度は私があなたに伝えてあげたい。まだ見ぬ未来のあなたに伝えてあげたい。

「あなたは、この世界に生きていてもいいよ」

と。

本と、SNSは媒体は違えど「文章」を伝え合うツール。文章に込められた想いが、誰かの心に届くと信じ続けられれば、きっとあなたの想いも通じるはず。そんな妄想めいたことを考えながら3作品目の「魔法の夜 竜宮ホテル」のページを閉じたのでした。

<おまけ>

  • 村山早紀さんの著作の根底にある想いを考えた時に、どうしても思い出してしまうのが、古い作品で申し訳ないのですが「灰羽連盟」という安倍吉俊さんの同人誌を元にしたアニメーション作品。製作されてから10年以上が経過していますが、今でもカルトな人気を得ている作品となっています。物語の底流に流れている暗く、深い死の旋律と、物語の随所に現れるキリスト教的価値観からの援用だけでも充分相似性を感じさせるものですが、登場人物達が背負わされている背景や、主人公のお姉さん的立場で描かれる人物の振る舞いまで、村山早紀さんの著作に登場する人物たちと相通じるイメージがあります
  • 最近の作品で、同じようなシチュエーションを丁寧に描いてるのは「人類は衰退しました」における私と友人Yの物語でしょうか。主人公である「わたし」に独白させる「本当は一人ぼっちでいるのは寂しい、本当は仲間と和気藹々うまくやりたい、本当は…本当は、笑われたり馬鹿にされたりすることは死ぬほど辛い…」そして、独白の後に続く「独りは嫌です…ああ、言葉にしてしまった、言語化してしまった、そんなことをしたら、どんな強がりも腐ってしまうのに…」言葉を操る作家と呼ばれる方々の言葉に対する強い想いと、言葉にしない事がどれだけ心を頑なにしてしまう事になるのかを思わせる台詞でした
  • 「コンビニたそがれ堂」紹介のページでも書いていますが、キリスト教説話的だと思わせる例として、こちらは非常に古い作品となってしまいますが「雪のたらか」という童話があります。1970年代から90年代にかけて制作された日本アニメーションの「世界名作劇場」の第9作品目(アルプス物語・わたしのアンネット。現在ドラえもんの総監督を務める楠葉宏三さんの初監督作品)にもなったお話ですが、読むのが辛くなるほどの登場人物たちは徹底的に苛まれていきます。そして、ペギンじいさんとルシエンの邂逅は「魔法の夜 竜宮ホテル」で語られる佐伯老人とキャシーの巡り合いそのものです(この辺りのレトリックが意味する本質は、更に原典である旧約聖書などを読んでいただければと)
  • 村山早紀さんを知る事となった作品については、素人の私ではなく、プロの方の紹介記事があります。こちらへどうぞ(漫画研究家/ライターの泉信行さんによる『アニメ脚本家・島田満さんのお仕事と、イマジナリーフレンドの関係』ピアノ・ファイア)
  • 私自身、喋る事は嫌いではありませんが、元々吃音持ちにも拘らず、頭のてっぺんから出しているようなトーンの高い声と、江戸言葉の血筋を引くせっついたような語り口のため、今でも色々な誤解を受けることがあります。それでも話さない事には何も伝わりませんし、場所も立場も離れた人から理解を得ようとすれば苦手であっても文章の力を借りざるを得ません。そうやって、自分で苦しみながらも何かを伝えていく事自体が、生きて行く事と同義なのかもしれませんね
  • 村山早紀さんはかなりのデジタルガジェット好きで、作中に何度も最新型の製品の名称が出てきます。女性作家の作品では珍しい事ですよね。ルリユールにenchantMOONが出て来たときは正直、びっくりしましたが、ライブ感を大切にしているのかもしれませんね。今年あたりの作品にはウェラブルガジェットを使用しているシーンなどが出て来るかもしれませんね
  • こちらのページで紹介した、村山早紀さんの著作は以下のリンクより
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村山早紀さんの著作とSNSと伝えたい想い(コンビニたそがれ堂からルリユール、竜宮ホテルへ)」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 今月の読本「魔法の夜 竜宮ホテル」(村山早紀 徳間文庫)今度は私が伝えてあげる | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

  2. ピンバック: 今月の読本「未来のだるまちゃんへ」(かこさとし 文藝春秋)まっすぐに見つめ続けることの大切さを | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

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