今月の読本「カクレキリシタンの実像」(宮崎賢太郎 吉川弘文館)土着した最後の姿を看取るキリスト者としての想い

日本でキリスト教徒(ローマカトリック、正教、プロテスタント)の人口比率は近年、1%程度の水準で殆ど変化がないとの事ですが、日本の歴史上、もっとも信者の多かった時代は、禁教前の桃山時代とみられており、その総数は人口の3%程度、最大でも76万人程度とみられているようです。

何時の時代でも、日本ではマイノリティなキリスト教ですが、その中でも弾圧と粛清、禁教の時代である江戸時代におけるキリスト教信者は、現在では一般的に「隠れキリシタン」と呼ばれて、弾圧の中、宗教的な生活を守り抜いた一種の奇跡として、特に海外などでは賞賛を以て、捉えられる事が多いようです。

そんな「カクレキリシタン」の今を取材した貴重な一冊が、今回ご紹介する「カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容」(宮崎賢太郎 吉川弘文館)です。

カクレキリシタンの実像まず、このマイナーなテーマを一般新書として、極めて安価(2300円)で刊行された、版元の吉川弘文館様の英断に敬意を表したいと思います。歴史文化遺産登録絡みで刊行を決断されたことは、容易に理解できますが、どう考えても決して多くの冊数が望める内容ではない、このような研究書を一般向けに刊行されることは、社内的にも随分と議論があったのかと思います(そのような意味では、本書を日本で一番海から遠い、ここ信州の山里に、しかも新刊棚に表紙を向けて陳列された、いつもお世話になっている、岡谷、笠原書店本店様の選定眼にも感激しています。門外漢なので、読むの結構辛かったですが)。

著者は、長崎のカトリック系大学に奉職するキリスト者(クリスチャン、ローマカトリック信者)であり、正確な宗教的理解に基づいて、現在まで生き残ったカクレキリシタンの宗教的行事の調査を、25年もの長きに渡って行っています。その地道なフィールドワークによって得られた、カクレキリシタンの信仰と、自身の宗教的理解に基づくカトリックとしてのキリスト教の理解との相違について、本書は極めて丁寧に描いていきます。

どのような宗教行事が残っているのか、元となったカトリックの典礼とどこが異なっているのか、司祭もいないまま、だれが400年もの長きに渡って、教義を守って来たのか。

著者は主な調査フィールドであった行月島を中心として、広く長崎地方に広がるカクレキリシタンの皆さんの信仰生活を、出来うる限り広範に収録していっています。年々信者が減少し、厳しい宗教儀礼を維持することが困難になったために、解散を迫られる信者集団が増える中、著者は最後の記録を残すべく、精力的な取材を続けます。

同じカクレキリシタンでも、一浦超えるごとに、オラショも、行事も、信奉する神々の姿も、最も神聖でどの信仰集団でも最後まで継承されてきた聖水の取り扱いも、全く異なっている事に驚かされるとともに、厳しい規制の中で、口伝と記憶に頼る継承の限界を、まざまざと見せつけられます。

そして、海外のメディア等でも奇跡として扱われている、禁教時代を乗り越えて維持されてきた教義について、キリスト者である著者は冷徹な結論を導き出します。

「カクレキリシタンはキリスト者ではない」、と。

厳しい弾圧と、口伝と記憶に頼らざるを得なかった継承の結果、教義が崩れてしまったことを指摘しているのかと思われる方も多いかもしれません。しかしながら、著者は更に検証を加えながら、ザビエル伝承当初から、日本人にはキリスト教の教義が殆ど受容されていなかったと判断していきます。

八百万の神々を信奉する、先祖崇拝を規範とする日本人の信仰観に於いて、多くの神の中の一つとして、習合の一形態として受容されたと理解していきます。それはキリスト者である著者にとっては、非常に厳しい判断だったかと思いますが、キリスト者故の教義理解から判断すると、現在のカクレキリシタンの皆様が堅持してきた教義に否定的な見解を与えざるを得ないという、厳しい眼差しが見えてきます。

彼ら自身が、その習合の中で最も崇高な位置付けを以て堅持してきた、カクレの崇拝儀礼や諸道具、檀家制度の影響で、仏式の葬儀を迫られた故に、編み出した清めの儀式、多くは失われてしまったが、それでも毎週のごとく行われる宗教儀式の意味合い、その全てが本来の意味を失い、形式や式文にこそカトリックの僅かな香りが残っていますが、内容的には完全に日本人の信仰観に合されている事を、繰り返し行われた信者の方へのインタビューで明らかにしてきます。ローマカトリックの典礼の影を引きずった、先祖崇拝を基軸とした未開のアミニズムと。

更には、命を賭して守り抜いてきた信仰自身も、神への信仰ではなく、先祖崇拝を基底とした、先祖より受け継いできた崇高な伝承を後世に伝えることへの使命でしかないと著者は語ります。もはや、ローマカトリックの信者としては、その内容を受容しがたいという想いを重ねて。

キリスト者、特にクリスチャンの方々にとっては、殆ど失望にも近い結論が繰り返されていく本書ですが、その事について、最後に著者は自らの信仰、教会を戒めるような文章で締めくくっています。

それは、ローマカトリックはおろか、キリスト教全体が日本の社会に受け入れられない現状に対する、研究者としての発露。その中で、弾圧を潜り抜けて、本来の教義を失いながらも継承を続けてきたカクレの教義に対する、キリスト者としての羨ましさすら感じさせる想いが見え隠れしていきます。

最後の数ページを使って著者が述べている意見は、決して一般の方々が受容できる見解ではないかもしれません。でも、そこまでの解釈を迫られるほど、日本にキリスト教が受容されない理由が見いだせない、現在の教勢への焦りと、キリスト者としての深い悩みが見え隠れする一冊でした。

<お願いとお詫び>

  • 私自身、キリスト者(クリスチャン、牧徒、信徒)ではありませんので、本ページの記述に対して、宗教的に見た場合、多々の誤謬が含まれていると思われます。あくまでも、葬式檀家でしかない、無宗派の一読者の感想として、寛容に捉えて頂けますよう、お願いする次第です。明白な誤謬があれば、コメント欄等より、ご指摘いただければ幸いです。

<おまけ>

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