今月の読本「戦乱の中の情報伝達」(酒井紀美 吉川弘文館)古文書が鮮やかに描き出す中世庄園と荘官のドキュメンタリー

吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」は、普段は高度な専門分野に携わる研究家の方々の研究内容を、一般読者が手軽にその一端に触れられるように配慮された、読みやすさを重視した叢書として、貴重な機会を継続的に提供し続けているシリーズです。

扱われる内容も、あらゆる分野の「歴史」をテーマにした内容が揃っており、一般的な歴史書ではなかなか扱われないテーマが扱われたりすることもありますので、新刊が出る度に、今度はどんな歴史シーンを紹介してくれるのか楽しみになります。

今回は、そんなシリーズの特徴である、読みやすさを前面に打ち出した一冊「戦乱の中の情報伝達」(酒井紀美)をご紹介いたします。

戦乱の中の情報伝達本書は室町時代中期、丁度、応仁の乱直前の京都の東寺とその庄園であった岡山の新見庄(著者もあとがきで述べていらっしゃいますが、非電化時代の伯備線における末期のSL撮影で有名だった場所です)との往復書簡から見た、当時の庄園の実態や年貢を取り立てる荘官たちの奮闘ぶりを解説した一冊です。

ところで、多くの歴史書、特に歴史研究者の方が手掛ける歴史書の場合、原典からの引用を本文で使用する場合に、原典の雰囲気をなるべく壊さないよう、そして原典の読み下しに誤謬が発生しないように配慮して、極力原典に近い形で掲載される場合が多いかと思います。

ところが、本書では読みやすさを最優先した結果だと思いますが、原典からの引用部分について、ほぼ全てが、フォントを強調体に切り替えた上で、読み下し文に置き換えられているのです。

一般的な歴史書の場合では、議論になるかもしれないこのような読み下し文の使用方法ですが、本書のような一般向けに刊行されるシリーズであれば、むしろ大歓迎。著者の丁寧な読み下し文を追いかけながら本文を読んでいくと、まるで中世を舞台にしたドキュメンタリー番組を見ている気分にさせられます。

「これまでの代官を追っ払ったので、代わりに東寺から直接、荘官を派遣して欲しい」という、衝撃の展開で始まる冒頭から、揉める東寺の僧侶たち、東寺の使者を丁重に迎えておきながら、いざ荘官が着任すると、あれやこれやと無理難題。年貢の損免、棒引き、未納と我儘放題(に、見える)。これじゃ荘官やってられない。東寺に対して愚痴の書面を出してみたり、必死に懐柔している自分をアピールしてみたり…。もう、現代の丁寧に製作されたTVドキュメンタリーの内容を地で行っているようなリアルな内容が、読み下し文からポンポンと出てきます。

そして、お互いいがみ合っているのかと思いきや、庄園側はどんな時でも、必死に持論を掲げつつも、領主である東寺への敬意を忘れず、代償である保護を求めていきます。荘官の方も、庄民に対しては厳しい立場を取りますが、複雑な事情を孕む庄園周辺の地域に対しては、毅然とした態度を示していきます。

そんなリアルな応酬が手に取るように見えてくる読み下し文は、遂には荘官の殺害、それに伴う庄園住民たちの報復行動へとエスカレートした内容に到達します。

これほどまでの自分たちの庄園、そしてそれを保護する立場にある荘官、庄園領主への依存の強さは、当時の文書だけが伝えてくれる生の声。そこには、著者も指摘しているように、漸く自立を始めた中世農村の弱い立場と、頻りに繰り返される「末代までの大儀」という、強い現状を確保することに対する執着心が、観て取れます。

そして、これらの文章を京と新見庄の間を運んだ人々にも本書は目を向けていきます。何と言っても身につまされるのは、京の都で足止めを食らう庄園から上がってきた人達。只でさえも苦労して工面した路銀も、京の都ではあっという間に目減りするでしょうから、兆散や引き返しもありますし、やむなく東寺側も路銀の借用に応じたりします(でも、足止めしている張本人は東寺側なんですけどね)。

そのように苦労して伝達された情報は貴重な情報源として、口々に周辺の庄園や、国衙領に伝わっていったようです。備中の山深くにある新見庄に住む彼らが驚くほど応仁の乱の戦況を把握しており、それに対して領主である東寺に対して、忠誠を誓う書面を送り出したりもします。しかしながら東寺の側は主戦場である京の都の混乱に巻き込まれ、庄園側も周辺からの圧迫に徐々に呑みこまれていく事で、この往復文書は途切れてしまいます。

中世のほんの一瞬、僅かに一つの寺と一つの庄園の往復文書ではありますが、これほどまでに豊かに当時の状況を伝えてくれるものなのかと、歴史研究における古文書の力を改めて見せつけられた思いになる一冊でした。

そして、非常にとっつきにくい古文書を扱った歴史書でも、丁寧な読み下し文と、それに付随する秀逸な解説が揃えば、これほどまでに面白く読める事に感激したのでした。

中世の歴史は混とんしていてよく判らない、登場人物が複雑すぎて判りにくい、メジャーな人物じゃないと感情移入できない…。中世の歴史書を読む際にある、どうしてもネガティブな想いは単なる杞憂であると教えてくれる、一冊。ライブ感のある本書は、まるでドキュメンタリー番組を観るように、読者を中世の一ページに誘ってくれる。

大変楽しく、そして興味深く読ませて頂くことができました。

<おまけ>

本ページでご紹介している中世関係の書籍を

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