25年周年を迎えて「kewpie Heart of Sunday」もリニューアルへ(Thanks! 20 years.DJ nona)

25年周年を迎えて「kewpie Heart of Sunday」もリニューアルへ(Thanks! 20 years.DJ nona)

New!(2016.3.6):各所で噂になっているようですが、本日の放送中に2年間に渡るMay.Jのパーソナリティ降板と同時に、番組自体も3月に終了することがアナウンスされました。既に残す所あと3回の放送となります。

残り3回を各パーソナリティの担当ごとに分けた時代の曲で送るプログラムとなった2回目の今日。May.Jの代読という形でnonaからのお別れのメッセージも流されました。大好きな音楽への想いと、それをどのようにして伝えるかを日々考えながら送り出してきた、番組とそれを支えてくれた番組製作者の皆さんへの想いと感謝。そんな番組に寄せられた世界のアーティストからのメッセージへの感謝。そして、聴いて下さったリスナーへの想いが詰まった、あの時のテイストを思い起こさせる、素敵なメッセージでした(2016.3.20追記)

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キューピーのホームページを長く、長く飾り続けた、文化放送の祝日特番メロディホリデー(2016年度の年間放送スケジュールは既に出ています)と並ぶ、ハート・オブ・サンデーの番組案内。特徴のあった多くのCMたちは、福山雅治さんの番組に移るのでしょうが、歴史ある一社提供番組としての案内も、1時間番組だから出来るのであろう、90秒のロングCMも、これが最後の見納め、聞き納めですね(2016.3.27)

 

<本文此処から>

既にご承知のように、本日、TFM全国ネットワークで放送されている、kewpie Heart of SundayのDJを20年間続けてきたnonaの最後のオンエアーでした。

「ハート・オブ・サンデー」の放送が開始されたのが1989年。当時のナビゲーションは、城之内ミサさんでした。その翌年、25年間続いた、日曜朝10時から放送の、TBSラジオ系列「キューピー・バックグラウンド・ミュージック」が終了(番組自体はスポンサー、ナビゲーターを変えながら2009年まで続きますが、番組のスタイルは大幅に変わっていきます)。現在の「ハート・オブ・サンデー」は実質的にこれら二つの番組のテイストを引き継ぐことになります。

少し古めの80年代から90年代までの洋楽を中心に、時にはオールディーズ、時には映画音楽、そして最新の楽曲から直近の音楽賞受賞作品の紹介まで。比較的メジャーな楽曲を中心として、ライトな洋楽リスナーに焦点を絞った選曲と、DJ nonaの優しく、そしてちょっとスローなトークが、週休二日制がしっかりと根付いて、緩やかな時間の流れを見せる日曜の朝というひと時にはベストマッチでした(この番組では、パーソナリティという呼称ではなく、DJと呼びたいです)。

一社提供番組が大事にする、番組自体の一貫したテイスト、キャッチアップしたいと考えている顧客層に対する明確なメッセージ、番組の雰囲気に合わせたオリジナリティ溢れるCM…。現在では殆どが失われてしまった、高度成長期から続く、番組製作者、出演者、広告代理店、スポンサー、そしてリスナーとの幸せな関係がそこには濃厚に溢れています。

今回、最後の出演に当たって、DJのnonaが自身のblogに掲載している感謝の挨拶を見れば、その豊かで幸せな関係の一端が見えて来るようです(アーカイブはこちら)。

Kewpie Heart of Sunday2こちらは、番組のホームページからお別れのメッセージを。画像をクリックして頂ければ番組ホームページにジャンプします。

この幸せな関係は、昨年3月に多くのリスナーに惜しまれながら最後を迎えた、SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTIの製作者、出演者たちにも共通の想いがあったようです。どちらの番組でも、出演者、製作者のコメントから番組放送中は決して語られることがない、広告代理店の方々への感謝の想いが述べられていきます(Avantiは博報堂、Hart of Sundayは大広です)。

しかしながら、番組が長期に渡ることによって、視聴者層自体の年齢が上がってきてしまい、購買力が衰えてきてしまうことは宿命的な事実。この春終了を迎える「笑っていいとも」も同じ理由が囁かれています。

Avantiも最後の数年間は、その「高年齢化」対応に迫られて、女性、若者へ向けた番組構成の試行錯誤を繰り返していました。その変更には、番組のスタイルが余りにも確立してしまっていたために、古参のリスナーから苦言が出るほどになっていましたが、最後はTVの酒類広告における5:00から18:00迄の自主規制基準適用を踏まえての終了となったようです。

ハート・オブ・サンデーは、キューピーという日常生活に根差した商品を取り扱っており、番組リスナー層も決して高くはなかったと想像されますが、それでも番組開始から25年。nonaがDJになってから20年の年月を経て、番組自体もリニューアルの時期を迎えたようです。

nonaの最後のメッセージにこんな言葉があります「今ではお嬢さんと一緒に聴いていますというメッセージも・・・」。最近、山下達郎のサンデーソングブックでも頻繁に聞く言葉で、微笑ましい事ではあるのですが、スポンサー、広告代理店から見れば、新規リスナー=購買顧客が増えていない証拠でもあり、早晩テコ入れが必要だったことが判ります。

幸いなことに、番組自体はパーソナリティを変更して引き続きオンエアーされるとの事で、ちょっとほっとしていますが、ターゲット年齢が当然引き下げられる事でしょうから、今までのように80年代の曲が頻繁にかかる事もなくなるでしょうし、番組自体もよりアップテンポな進行になることが予想されます。

それでも、「ここまでのお相手は」のメッセージを残して、番組をcloseできるのは、リスナー、スポンサーにこの番組が愛されていた証拠。次のパーソナリティを迎えることが出来る、DJにとってはきっと幸せな最終回。

日曜の午前、ゆったりとした時の流れを感じさせてくれる素敵なひと時に聞こえてくる柔らかなトークと、何時も聞いていたい名曲の数々。これから出かけようとする車の中でほんの少しアクセルを緩めさせて一曲、聞き惚れたくなる、懐かしい洋楽たち。素敵な時間をくれた番組スタッフとDJ nonaに改めて感謝を。

Kewpie Heart of Sundayもうこれ以上カウントが進まないであろう、最後のオンエアーカレンダーを。画像をクリックして頂ければ番組ホームページにジャンプします。

<おまけ>

 

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春の彼岸の夕暮れに・霧ヶ峰より

好天に恵まれた春の彼岸の三連休後半。

日曜日の今日も暖かく、春らしい陽気になりました。

これだけ暖かくなれば、もう大丈夫と、標高を一気にあげて夕暮れの霧ヶ峰を目指します。

画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます。

彼岸の夕暮れに車山肩をビーナスライン越しにビーナスラインでも最も標高が上がる車山肩の部分。

路面の両側は除雪によって出来た雪壁が続きます。夕暮れ前のちょっと黄身がかった青空をバックに、前方には車山の肩部が望めます。

彼岸の夕暮れに富士見台から八ヶ岳全景車山の肩にある、冬季にはビーナスライン内でもほぼ唯一の停車可能場所となる富士見台の駐車場から八ヶ岳の全景を。

撮影している場所は、除雪によって出来た雪山の上で、人の背より高くなっています。目の前には更に雪山が…。

彼岸の夕暮れに富士見台から八ヶ岳連峰富士見台の駐車場より、雪原越しに八ヶ岳の山々を望みます。夕暮れを迎えて、少しずつ雪山が色づいていきます。

彼岸の夕暮れに富士見台から南アルプスを同じく、富士見台駐車場から望む、夕暮れに染まる南アルプスの山々。

手前の真っ白になっている山が、昨年春の山焼きの際に延焼のため丸焼けになってしまったガボッチョです。元々木々が少なかったガボッチョですが、レンゲツツジの木々もろとも焼き尽くされてしまったため、雪をかぶった後は、丸々とした雪饅頭になっています。

彼岸の夕暮れに霧ヶ峰滑空場1霧ヶ峰に移動します。夕暮れの西日を浴びた滑空場の斜面に風が吹くと、ブリザードのように雪煙が舞い上がります。

彼岸の夕暮れに霧ヶ峰滑空場2日没を迎えた、霧ヶ峰滑空場。雪原となった滑空場の雪が解けるにはもう少し時間がかかるようです。

彼岸の夕暮れに池のくるみから八ヶ岳夕暮れに染まる八ヶ岳を霧ヶ峰、池のくるみより。

彼岸の夕暮れに夕暮れの諏訪湖霧ヶ峰カントリーの下から夕暮れの諏訪湖を望んで。

春らしい暖かな夕暮れ。これまでは急に落ちてしまう冬の日差しに追いかけられるように過ごす休日の夕暮れでしたが、すっかり長くなった日差しのおかげで、ちょっとのんびりとした気分を味あわせてもらえます。

春の彼岸に八ヶ岳西麓をゆっくりと

>御射鹿池の四季の彩りはこちらにて。

強風が吹き荒れ、吹雪となった昨日から一転、小春日和となった春の連休二日目。

まだ冬の面影を残す、彼岸の午後に八ヶ岳西麓を歩きます。

画像をクリックして頂くとフルサイズの表示になります。

春先の夕暮れ・立沢から南アルプス遠望立沢の圃場から南アルプスの山々を望みます。昨日も降った雪の影響で鳳凰三山も甲斐駒も真っ白です。

春先の夕暮れ・初春の入笠山水面を打つような輝きを見せる圃場の先には入笠山。シーズンも終盤を迎えた富士見パノラマスキー場のコースが西日を浴びて輝いています。

春先の夕暮れ・八ヶ岳中央実践農業大学校 八ヶ岳中央実践農業大学校の牛舎の外には春の日差しを浴びてのんびり日光浴をする牛たち。遠くに真っ白に雪化粧した南八ヶ岳の山々が聳えています。美濃戸から下ってきた路線バスには、満足そうな笑みを湛えた登山客の皆さんがいっぱいに乗っていました。

春先の夕暮れ・雪原越しに北八ヶ岳と霧ヶ峰真っ白な雪が残る牧草地の先に北八ヶ岳の山々と霧ヶ峰を。

春先の夕暮れ・南八ヶ岳全景麓に降りて、玉川の圃場地帯から南八ヶ岳の山々を全景で。

青空の下、粉砂糖をまぶしたように真っ白な雪化粧をした八ヶ岳を望むことが出来ます。

春先の夕暮れ・御射鹿池夕暮れを迎え始めた、奥蓼科、御射鹿池。すっかり落葉した落葉松の下に広がる雪景色をバックに白く凍った池が広がります。

春先の夕暮れ・御射鹿池3既に水温む彼岸。池の中央部まで解け始めています。

春先の夕暮れ・御射鹿池2解け始めた池の水面に雪化粧した斜面から夕日を浴びた落葉松の影が伸びていきます。

春先の夕暮れ・茜に染まる八ヶ岳夕暮れを迎えて茜色に染まる八ヶ岳の峰々を。麓はいえ標高1000mを軽く超える高原地帯の畑には、まだ雪が多く残っています。

春先の夕暮れ・茜に染まる八ヶ岳2茜に染まる八ヶ岳をアップで(Olympus E420)

「仮面の女神」国宝指定記念で無料公開中の茅野市尖石縄文考古館へ

「仮面の女神」国宝指定記念で無料公開中の茅野市尖石縄文考古館へ

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれますが、テーマは縄文。こちらの尖石縄文考古館も紹介されるようです。尖石縄文考古館よりの案内はこちらで。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~、番組ホームページはこちらです。

 

New!(2015.5.6):昨日の放送、尖石縄文考古館の紹介が少なくて、ちょっと物足りなかった感もありましたが、ここで朗報。5/18は国際博物館会議(ICOM)が提唱する国際博物館の日に当たるそうで、それを祝して前日の5/17(日)は入館無料となります。残念ながら国宝土偶2体は、善光寺御開帳を記念して長野県信濃美術館に貸し出し中ですが、番組では伝えきれなかった尖石と八ヶ岳西麓の魅力を是非この機会に(テキストにも山梨の取材だなんて一言も書いてなかったのに…)。

New!(2015.4.26):春のNHK Eテレ新番組「趣味どきっ!」火曜日に放送中の橋本麻里さんがナビゲーターの「国宝に会いに行く」第6回“国宝一年生”縄文土器「縄文のビーナス」と「仮面の女神」 で、茅野市の尖石縄文考古館と富士見町の井戸尻考古館が採り上げられます。放送は5/5(火)21:30~より。

New!(2015.1.2):日本の、そして世界の美術品、作家たちを丁寧に紹介するNHK Eテレの日曜美術館。年末年始のスペシャル編「巡る、触れる、感じる~井浦新”にっぽん”美の旅~」で、案内役の井浦新さんが、八ヶ岳山麓の史跡を探訪。尖石縄文考古館に訪れて、2体の国宝土偶たちと縄文美術を語ります。既に本放送は終了していますが、1/3朝6:35~から再放送が予定されていますので、見逃された方は是非。番組のホームページはこちらです

New!(2014.8.21):手続き上の問題で遅れていましたが、漸く「仮面の女神」が正式に国宝に指定されました!茅野市の公式プレスリリースはこちらです

New!(2014.6.12):尖石縄文考古館の公式ページにも無料公開の情報が掲載されました。

「仮面の女神」国宝記念特別展 縄文の「お母さん」です。

6/14(土)から10/13(月)までの企画展です。6/14(土)から6/25(水)は国宝指定記念として2回目の無料開館が実施されます。国宝指定後初めての地元、尖石での公開です。

New!(2014.5.30):国立博物館に貸し出されていた「仮面の女神」が6/14に尖石縄文考古館に戻ってきます。

国宝指定を記念した特別展示が10/13迄の予定で開催されますが、オープニングの6/14から6/25までの期間中、再び無料公開が予定されています。縄文土偶を代表する二つの国宝を同時に見られる、貴重なこの機会に是非お越しください(ソースは信濃毎日新聞WEB版のこちらより)。

 

 

先週以来、報道等で紹介されていますように、茅野市にある茅野市尖石縄文考古館に収蔵されている重要文化財「仮面の女神」がこの度、国宝に指定されることが決定しました。

茅野市尖石縄文考古館に収蔵される国宝は「縄文のビーナス」に続いて2体目となります。これを記念して、3/19から3連休を含めた3/23までの期間、茅野市尖石縄文考古館は無料公開となっています。これまで全然行くことが出来なかったのですが、せっかくなので(無料なので…)午後遅い時間に訪問させて頂きました。

尖石縄文考古館・玄関茅野市尖石考古館の玄関です。無料公開という事もあり、駐車場が満車になってしまうほどの来館者で溢れていました。

尖石縄文考古館・館内館内の様子です。入り口に表示が出ていますが、撮影禁止の表記が出ている展示物以外は撮影OKです(主に、他の博物館より借用している展示物には撮影禁止の掲示がされています)。

尖石縄文考古館・土器展示室正面には土器を展示している広い展示室(展示室C)があります。圧倒的な出土物の数々を間近で眺めることが出来ます。一部にはケースもありません(画像クリックでフルサイズ表示になります)。

尖石縄文考古館・国宝展示室そして、こちらが国宝「縄文のビーナス」と、この度国宝に指定される「仮面の女神」を展示する部屋(展示室B)です。中央には「縄文のビーナス」が神々しいほどに輝いています。なお、仮面の女神は4月からの国立博物館での展示に向けて貸出し中とのこと。残念ながらこちらに展示されているものはレプリカになります(画像クリックでフルサイズ表示になります)。

尖石縄文考古館・解説ガイド展示室にはガイドの方が常駐(黄色いベストを着ていらっしゃいます)。パネルとモデルで紹介された出土状況や国宝指定に至るまでの経緯など、興味深いお話を聞くことが出来ます。撮影禁止なので、写しておりませんが、右手には他の国宝指定土偶のレプリカも展示されています。

尖石縄文考古館・特別展示室そして、こちらが特別展示室。今回の国宝指定を記念して、発掘当時の状況を解説したパネルや同時に出土した土器も展示されています。ケースの奥に今回国宝指定を受けた「仮面の女神」(複製)が見えています。

仮面の女神こちらが「仮面の女神」(複製)です。

写真で判りますように、右足が取れているのが判ります。手前に置かれているのが同時に発掘された右足の部分です。故意に外されていたと考えられています。

こちらの「仮面の女神」は「縄文のビーナス」同様、ほぼ完全な形で発掘された(多くの土偶は破壊された状態で発掘されます)非常に珍しい例で、それだけでも国宝指定に見合う価値があるそうですが、それ以上に重要なこととして、こちらの「仮面の女神」は墓と思われる場所に副葬物として収められていたと考えられており、祭祀を司った本人、もしくは本人が極めて身近に置いていたものではないかと考えられているようです。

尖石縄文考古館・前庭考古館を出て、前庭へ。眩しいい早春の夕日を浴びるこの雪の下にも縄文遺跡が眠っています。

数千年以上前の縄文の人々も、この風景を望んでいたのでしょうか。そんなロマンが溢れるのも八ヶ岳の魅力かもしれません。

<おまけ>

ご訪問される前に、縄文土偶についてちょっと予習をするのであればこちらの本は如何でしょうか(今回ご紹介した2体の土偶ももちろん紹介されています)。

今月の読本「武蔵武士団」(関幸彦編 吉川弘文館)軍記と系図、街道が織りなす武士達のオムニバスストーリー

今月の読本「武蔵武士団」(関幸彦編 吉川弘文館)軍記と系図、街道が織りなす武士達のオムニバスストーリー

昨今の日本史の研究分野では、文献検討、考古学成果において中世、特に東国関係における進捗が著しいようで、各種の書籍、解説書が積極的に刊行されているようです。

そのような中で、日本史関係の書籍では多彩なラインナップを誇る吉川弘文館より「動乱の東国史」という、これまでの通史シリーズとは一風変わった、東国という土地と、その茫洋として奔放な風土を地盤に幾多の戦乱を交えながら成長を遂げた武士たちの歴史に特化した歴史書シリーズが登場、好評を持って迎えられたようです(完結まで紆余曲折があったようですが)。

今回ご紹介するのは、前掲のシリーズ完結を受けて刊行されたのではないかと思われる、地理的には東国の中央を占めるにも関わらず、江戸開府まで政治的中核に位置づけられることもなく、決して英雄的な主役を張れる登場人物も登場しなかった不思議な大国「武蔵」に勃興した武士たちの物語を扱った一冊「武蔵武士団」(関幸彦編 吉川弘文館)です。ソフトカバーですが、軍記物をテーマにしているだけあった、絵巻を思わせる和紙をイメージしたシボの入った紙質の表紙と、写真では判りませんが、帯には豪華に金色の「散らし」が入っています)。価格からも版元の力の入れようが滲み出ています(大好評のようで、刊行早々に二刷に入ったそうです)。

武蔵武士団こちらの本、編著になっているように複数の著者の方によって執筆されています。編者でもある関幸彦先生は、昨年講談社学術文庫より再版された「武士の誕生」そして、大河ドラマ「平清盛」放映直前の2010年に刊行された、ちょっと異色な歴史読本「鎌倉殿誕生-源頼朝」(山川出版社)の著作でも知られる中世武士関係の研究で著名な方です。表紙を見て咄嗟に関氏の新著かと思うのは早計で、本書でははしがき程度の登場に過ぎず、あくまでも編者に徹していらっしゃいます。

その一方で、11名を数える気鋭の研究者が、それぞれのテーマを分け与えられた上で、「武蔵武士団」をオムニバス形式で解説していきます。関氏が「ツワモノたち」呼ぶ、「中世武家研究者軍団」を結集して、一般的にはあまり知られていない複雑な様相を見せる武蔵武士団を縦横に検証してきます。筆致も、切り口も各著者によって当然異なりますが、検証の手法はいずれも編者である関氏が得意とする「軍記、系図、地勢的考察」3本立てによって構築されていきます。

このようなアプローチについて、一部に「軍記は読み物」と否定的な説を取られる方もいらっしゃるようですが、近世史のように豊富な古文書を典拠にできない中世史の研究において、これらの手法は古文書による検討を補う上で非常に有効であることを関氏を始め執筆者たちは充分に理解した上で、議論が進められていきます。軍記に書かれた登場人物と、僅かに残る古文書から見える人物を系図上で繋ぎあわせることで、軍団としての一族の姿を現していきます。そして、軍記から見える登場人物たちの活動の跡と、「苗字の地」が有する地勢、考古学的見地による検証を重ねることで、武士団の成長と拡散の過程を鮮やかに示していきます(地勢に関して農耕史的には依然問題があるようですが、ここではとりあえず)。

時に想像や想定が含まれる部分が膨らんでしまう点は史料が限定される中世史の研究ではやむを得ない事なのかもしれません。それでも著者たちの主観的、受動的な歴史観に囚われることなく、これまでの研究成果と軍記に述べられていく「物語」を整合、更訂していくことで、より正確な歴史的事実を構築していこうという姿が見えてきます(多少筆が走り気味な章も見受けられますが、その想いは素人でも多少は理解できるところです)。

そのような統一した視点で編まれた本書は、一国の過半を占めるような豪族も現れず、当地を代表して対峙するような盟主も認められない、歴史的にみるとマイナーな感が拭えない武蔵武士団の平安中期の成立過程から解体過程に差し掛かった室町初期の南北朝(具体的には平将門の乱後から平一揆まででしょうか)までの進展を叙述してきます。コラム的な著述、更には章ごとに登場人物が全く異なる場合もあるため、各章の関連性は希薄なのですが、多分編者の思惑通りに、通読していくことで武蔵武士団の全体像が把握できるように配慮されています。

なぜ武蔵武士団が党的性質を持つに至ったのか、離合集散を余儀なくされたのか、執権北条家との関係(後の江戸幕府に繋がる御家人/旗本と遠国大名との関係をも示唆させます)。外圧、そして経済的、政治的経緯によって全国に拡散していく武蔵武士団とその子息たち。遂には苗字の地を手放して下向していく惣領も現れてきます。最後は南北朝の動乱に巻き込まれながら一族が双方に分かれて戦う形を強いられた挙句に、平一揆による、当地で最大の勢力を保持していた秩父党の没落。それを尻目に、幕府に対抗するように東国地盤主義を採ろうとする鎌倉公方と、対して幕府との協調と守護としての地盤確保に躍起になる関東管領上杉氏による熾烈な駆け引きによって、首領無き離散集合を繰り返し続けた武蔵武士たちは、戦国時代の終焉を告げる小田原攻めによって、東国八州唯一の首領となった徳川家康に命運を委ねられることによって終焉を迎えます。その経緯は武士の勃興と成長、拡散と終焉(収斂)を発祥の地である武蔵、そして武蔵武士団が一身に演じるかのようです。

各章の終わりに挿入されたコラムには本書の登場人物たちでもある個性的な武蔵武士たちの系譜がコンパクトに述べられていきますが、登場人物は岡部忠澄に始まり、最後の11人目は太田道灌で終わっています。武蔵武士は決して無教養な田舎の荒くれ者や豪農などではなく、都との繋がりと、資力と教養を身に着けた、小規模ながらも自立した勢力の主。一の谷で平忠度を討ち取りながらも、詩歌を解し、自らの領地に篤く弔った岡部忠澄ではじまり、武略と教養の高さから関東の武士たちの期待を一身に浴びながら、内紛によって滅亡することで武蔵武士たちの掉尾を飾ることとなった太田道灌。どちらも武蔵武士の特徴を鮮やかに表しているかのようです。

軍記を手掛かりに武蔵武士団の歴史的進展を語る本書の最後の一章は、これまでの議論を受けてもう一つの基軸となる地勢的考察に特化した解説が述べられていきます。鎌倉街道を軸線とした、東国の原野を貫く南北方向の交流路は現在の東京を中心とした放射状の交流路に慣れ親しんだ現代の我々にとってはなじみの薄いルートかもしれません。しかしながら、当時の川を用いた水運と渡河点、東京湾の海上ルートの短さ、まだ完全に低湿地帯に進出しきれない中世の農耕技術的制約からくる集住可能地域を考慮すると、これら南北方向ルートの優位性が俄然として浮かび上がってきます。意味合いは全く違いますが、土地利用的には大規模ショッピングセンターが都心部や人口密集地域を避けて、交通路の改善が進む16号線沿いや広く郊外に展開する様相も歴史的な土地利用の変遷の一つでしょうか。

本書ではそのような南北交流路沿いに広がる武蔵武士たちの足跡をたどりますが、その着目点は、最近非常に充実してきた歴史探訪本とはちょっと異なり、見応えのある史跡の豊富さや著名な収蔵物といった探訪者の視覚的充実感より、背景にある史実に価値を見いだせる場所を選定してるようです。また、選定したテーマも最後の板碑や善光寺信仰といった、なかなか扱われることのない中世の信仰心にも焦点を当てており(最終章ではありませんが時宗と辺縁のお話も)、本書の編纂が現在の中世史の研究テーマに対して広く汲み取ろうとしている配慮が見えてきます。

オムニバス形式で纏められた本書を読んでいくと、大局観と首領的登場人物が描かれる通史とはまた違った、その時々に現れてくる登場人物たちの群像劇が見えてきます。頼りになる首領を持ちえなかったが故に、必死に時代を生きながら、次々と生き様を変えていく武蔵武士達。その終着点として、広く全国にその「苗字の地」を広めていった武蔵武士団は、武士団や軍事勢力としては成功を勝ち得なかったのかもしれません。しかしながら、お隣の相模武士団と共に、現在まで末裔たちを圧倒的な規模で営々と全国に広めてきたことは、生き物にとって最大の勝利である、もっとも「繁栄した軍団」だったのかもしれません。

<おまけ>

本ページでご紹介している、ほかの中世関係の書籍を

春めいてきた風の強い夕暮れ

一日中、暖かな強い南風が吹き続けた週末の日曜日。関東であれば「春一番」と呼ばれるはずなのですが、長野地方気象台にはそのような「しきたり」が無いそうですが(気象予報士の方にお教えいただきました)、ともかく春めいてきたことは間違いありません。

曇ったり晴れたりを繰り返す、春らしい天気の中、買い物に出た夕暮れに撮影した写真を何枚か(全てLumia1020の5MPixelでの撮影です)。

夕暮れの雲がたなびく八ヶ岳大分雪が減ってきた畑の先に夕暮れの八ヶ岳を。

山頂付近の雲は西から東へと急速に流れていきます。

夕日を浴び落葉松林 原村側の鉢巻道路沿いの林はまだ雪がたっぷり残っています。

西日を浴びる雪原アイスバーンのようにつるつるになった牧草地に、まぶしい西日が降り注ぎます。

重たい雲がかかる夕暮れの八ヶ岳八ヶ岳にかかる重々しい雲のさらに上には、西日を浴びて僅かに黄色みがかった青空が覗いています。

夕暮れの雪原と霧ヶ峰麓に降りて、エコーライン沿いを車で走ると、夕暮れで暗くなり始めた雪原の向こうに、雲間に霞む霧ヶ峰が見えてきます。

夕暮れの雪原と蓼科山1同じく、少し東側にカメラを振ると、夕日でほんのりと染まる蓼科山と横岳が見えてきます。

夕暮れの雪原と蓼科山2夕暮れに霞む蓼科山と横岳をアップで。風は相変わらず強いですが、春らしい柔らかな夕暮れの日差が差し込んできます。一日毎に春が近づいてくるようです。

「八ヶ岳ブルー」の季節もあと僅か

春先らしい、天候の荒れ具合からようやく脱した感じのある週末。

ちょっと冷え込んだ影響で、朝から空はクリアー。久々にカメラを持ち出して、今シーズンもあと僅かとなった、八ヶ岳ブルーの青空を楽しみながら、お散歩です。

[各画像はクリックして頂くとフルサイズ表示になります]

午後の南アルプスの山々 午後の日差しを浴びて輝く、南アルプスの甲斐駒と鳳凰三山。

まだ山々にはしっかりと雪が残っています。

春の日を浴びる甲斐駒をアップで 甲斐駒の頂上部分をアップで。しっかりと残る雪が春先の日差しを受けて輝いています。

 雪に覆われた水田越しに南アルプスを同じ南アルプスを望む場所でも、少し標高を上げて、長野側に入ると、田圃はまだ真っ白です。

火の見櫓と八ヶ岳里の集落から望む、八ヶ岳ブルーをバックにした八ヶ岳。火の見櫓に寄り添うように植えられた桜が咲くのは、まだひと月ほど先。

午後の茅ヶ岳八ヶ岳の西側に控える、茅ヶ岳。偽八っとも呼ばれますが、この時期は積雪量が全く違うので、見間違えることはありません。

新緑の牧草越しに八ヶ岳ブルーを雪が解けた牧草地の緑と、八ヶ岳ブルーの空、雪を頂く八ヶ岳が初春の美しいコントラストを見せます。

冬の渓流越しに八ヶ岳八ヶ岳の麓を離れて、懐に入り込んでいきます。

雪の残る渓流から、雪を被った山頂が望めます。

雪原越しに八ヶ岳を4まだ雪が残る牧草地越しに八ヶ岳を。

雪原越しに雪渓鮮やかな八ヶ岳2朝の気温がぐっと下がってくれれば、昼間は暖かくても、まだまだ八ヶ岳ブルーらしい、濃い蒼の空が楽しめます。

雪原越しに雪渓鮮やかな八ヶ岳4月に入ってしまうと、痩せて薄くなってしまう雪渓も、今のシーズンであれば、美しく輝いています。

八ヶ岳高原大橋から夕暮れの八ヶ岳八ヶ岳高原大橋まで上がってきました。

道路の雪は路肩を除いてすっかりきれいに溶けてしまいましたが、谷筋には、まだ多くの雪が残ってきます。

清泉寮から雪を頂く八ヶ岳清泉寮まで上がってくると、流石に路肩には多くの雪が残り、路面も1車線程度の除雪に留まる個所が出てきます。

何時も見慣れた南麓で見る八ヶ岳と比べると、東麓側の八ヶ岳は真っ白です。

雪のまきば牧場から赤岳まきば公園まで上がってきました。周囲は真っ白に積雪したままです。

ゲレンデのようになった牧草地の先には、主峰、赤岳の頭がちょこんと見えています。

雪原になったまきば牧場と秩父連峰しっかりと積雪を踏みしめながら、まきば牧場の展望エリアに足を進めます。

真っ白な牧草地のはるか先には、雪化粧を施された秩父の山々を望むことが出来ます。

夕暮れの八ヶ岳牧場から2夕暮れの日差しを追うように、八ヶ岳の東麓から西麓へと移動していきます。

こちらも雪原となっている、八ヶ岳牧場本場からは西麓の玄関、編笠山が見えてきます。

夕暮れの八ヶ岳牧場から1夕日を浴びて淡い色合いになり始めた八ヶ岳には雲がかかり始めています。

夕暮れの八ヶ岳牧場から3 こちらは編笠山。山頂部にちょこんとだけ雪の帽子をかぶっています。耳元で、キーン、キーンという鋭い、鹿の泣き声が聞こえてきます。

八ヶ岳牧場の鹿たち正面の雪原を眺めると、雌鹿の集団がこちらを警戒して見ているようです。このシーズンであればよくあるシーンですが、大きな集団になると50頭を超える時もあるので、こちらが威圧されてしまいます。

夕暮れの雪原と満月を頂く網笠山再び山を下りて、立沢の圃場に向かいます。夕日を浴びた八ヶ岳。

夕暮れの編笠山と満月を編笠山の頂上から満月が昇っていきます。

雪原となった立沢水田から望む夕暮れの富士山圃場の東には、夕日でほのかに染まった富士山を望むことが出来ます。

雪原となった立沢水田から望む夕暮れの鳳凰三山南アルプス、鳳凰三山も夕日に染まります。

夕焼けに染まる八ヶ岳 どっぷりと日が沈むと、八ヶ岳の白い雪も夕日に染まっていきます。

気温はぐっと高くなって、いよいよ春を迎える八ヶ岳南麓ですが、あともう少し、クリアーな冬の空も楽しめそうです。