木曽馬の故郷と、ある種牡馬の物語を(開田高原・木曽馬の里と第三春山号)

信州の山々を越えて、南西の端に位置する御嶽山の麓に位置する開田高原までやって来ました。

ドライブがもちろんメインなのですが、もうひとつ、この場所に来てみたかった理由があるのです。

木曽馬の里のシンボルと御嶽山御嶽山を眼前に望む広場の片隅に立つ、馬の親子の銅像。

開田高原の名所となっている「木曽馬の里」です。

日本の在来種といわれる馬のなかで、唯一本州に残っていると考えられている、古い歴史を有する馬種の維持を目的として開かれた、木曽馬の為の公開、飼育、繁殖施設です。

木曽馬の里と木曽馬たち1白樺と落葉松林に囲まれた広々とした園内には、木曽馬たちが放牧されています。

木曽馬の里と木曽馬たち11園内の奥の方は、「木曽馬乗馬センター」として、林間に乗馬コースが整備されています。

新緑の落葉松の林の中に、放牧地と乗馬コースが点々と位置しています。

木曽馬の里と木曽馬たち3広い柵内では、思い思いに木曽馬たちが寛いでいます。意外と人懐っこい馬達もいて、柵の近くまで寄ってきてくれます。

木曽馬の里と木曽馬たち2どうも、観光客の方々が与える草の芽などを目当てに、顔を出してくるようですね。

木曽馬の里と木曽馬たち9夫婦なのでしょうか、いつも一緒にいた2頭の木曽駒を。毛並みの色が異なります。

木曽馬の里と木曽馬たち10こちらも、ずっと2頭で首の辺りを撫であっていた木曽馬を。毛並みが白い馬もいるようです。

木曽馬の里と木曽馬たち5日当たりのよい、牧草地で草を食む木曽駒たち。

普段見慣れた、サラブレットとちょっと雰囲気が異なるのが判りますでしょうか。

木曽馬の里と木曽馬たち4たくましい足首、大きな腹と短い脚と首。短い鼻筋。農耕馬としての特徴が充分に残っています。

木曽馬の里と木曽馬たち8寝転がっている木曽馬。蹄の大きさも特徴的です。ここで放牧されている馬達に、蹄鉄は打ちつけられていません。

木曽馬の里と木曽馬たち7中にはすらっとした体躯を持つ馬もいますが、それでも背の丈は人の肩にも達しません。柵の高さが120~130cmほどです。

木曽馬の里と木曽馬たち6優しい目と、穏やかな顔つき。円周上の運動場でしきりに走り回っている途中、ほんの少しポーズをとってくれました。

カメラのアングルでわかりますように、ちょうど目の高さが合うので(こちらの方が少々高いくらい)、しばしアイコンタクトで語り合うような感じになります。

木曽馬の里と木曽馬たち12木曽馬の里と木曽馬たち13砂浴びする木曽馬。この場所が彼らにとって、数少ない「仲間たち」と一緒にいられる場所であること、後ほど知ることになります。

開田郷土館前の森林鉄道車両1馬の里を離れて、開田高原の中心地。観光案内所とソフトクリーム屋さんが並ぶ国道沿いに、誰も訪れない、古びた建物があります。

庭先には木曽の山々で使われた、森林鉄道の車両が保存されています。旧開田村の郷土館です。

開田郷土館前の森林鉄道車両2森林鉄道の運材台車。ちなみに、こちらの車両たちは開田村の路線で使われていたわけではなく、大滝村などの本線級(旅客運行もしていた路線)で使われていた10t級の車両で、開田村の路線にはより小さな5t級の車両が、運材のみで使われていたそうです。

木曽駒最後の純血種「第三春山号」剥製誰もいない郷土館。

管理者も居らず(隣の観光案内所で管理)、何時の頃からか入場無料となり、照明も暗く落とされている館内にその一頭は静かに佇んでいました。

この場所に訪れてみようと決めた最大の理由。失われてしまった木曽馬の再生と未来への記憶としての役割を果たすために、その命を捧げた最後の種牡馬と謂われている「第三春山号」の剥製です。

詳細はこちらの「木曽馬保存会」のページをご覧いただければと思いますが、ここでは郷土館のパンフレットにある物語を記載させていただきます。

-引用ここから-

純血木曽種牡馬第三春山号は、神明号を父に、木曽純血種鹿山号を母として、昭和26年4月8日隣村新開村黒川(現・木曽町新開黒川)で生まれ、昭和27年県の種馬検査に合格種牡馬として群内外で供用され、昭和51年1月馬令24才で学術標本となるため安楽死するまで純血木曽馬復元に大きな役割を果たしました。

はく製にするために送り出されるときは、小学校の児童や多くの人に見送られ、涙で歌う馬子唄で別れを惜しまれたことは今も語り継がれています。

昭和51年4月8日はく製として里帰りし、郷土館に展示されています。

-引用ここまで(原文のまま、原文著作:木曽町教育委員会)-

より詳しい物語は、剥製の下に飾られている由来書きに書かれていますが、これまで見てきた「木曽馬の里」で飼育されている木曽馬たちの殆ど(全てというお話もあります)が、彼「第三春山号」の子孫たちなのです。

そして、由来書きには飼育種ゆえの、飼育者でもある人々の事情により揺れ動いてきた、木曽馬たちの命運を彼が一身に背負って生きてきたことを示す記録が書き連ねられています。

失われた純粋種と生き残った純血種。偶然生き残った一頭の純粋種としての命運とその後の保護活動。そして、後世にその記録を留めるために安楽死とされ、今もなお子孫たちが細々と(全国で約200頭といわれています)生きる、木曽馬の里の麓で、歴史と人々の再生の願いを一身に受けて、静かにその骸をさらし続ける彼。

自然に生きる動物ではない、飼育種特有の物語が語られていく木曽馬再生の物語ですが、実は失われた自然種の再生も同じテクニックが検討されていることをご存知の方は決して多くないかもしれません。

農業などでも用いられる「戻し交配」と基本的には同じ手法で、より純粋種に戻していく手法を用いて飼育種の純血性を高めていく手法はいろいろな種で行われています。木曽馬の再生も同じ手法で、木曽馬の特徴を取り戻していこうという取り組みのようです。

このような手法は、個体数の激減によって多様性を失ってしまった絶滅危惧動物の再生でも検討されている手法ですが、飼育種では木曽馬や、同じように純血種が激減してしまった長野県川上村の特産であった川上犬の再生でも用いられています。

木曽馬や、木曽馬を愛した保存会の皆様のみならず、絶滅に瀕する自然生物たちへ救いの手を伸ばす礎として生きてきたのかもしれない。そんな想いを抱きながら、暗く静かな郷土館に佇む彼の姿を眺めていたのでした。

木曽馬の里と木曽馬たち14新緑眩しい、白樺林をバックに木曽馬の後姿を。

僅かに残った彼らの未来は、彼らを愛してくれる、見守ってくれる人々が居てこそ、続いていく事を肝に銘じて。

また会いに来たいと思います(乗馬の里に住んでいるくせに、乗馬が出来ない情けない人…)。

<謝辞>

twitterの会話でこの旅を思いつくきっかけを与えて下さった、日本大学教授で、よこはま動物園ズーラシアの園長でもある、村田浩一先生(twitter : https://twitter.com/zooman_koichi ,blog : http://blogs.yahoo.co.jp/haemoproteus_gallinulae)に感謝を申し上げます。

 

 

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木曽馬の故郷と、ある種牡馬の物語を(開田高原・木曽馬の里と第三春山号)」への6件のフィードバック

  1. こんにちは、八ヶ岳のきれいな写真をいつも拝見しています。今回はとても興味深い記事で素晴らしいと思います。
    私は東京の乗馬クラブでいつもはサラブレッドに乗ってるのですが、小須田牧場さんで木曽馬に乗せてもらう機会があってそれから木曽馬に興味を持っていました。サラブレッドより気性は穏やかですが、坂道や悪路ではだんぜん強く、小柄な体型から出る文字通りの馬力に驚きました。木曽馬に乗ってから義経の一ノ谷の逆落としは真実だと思うようになったくらいです

    • ご覧いただきありがとうございます。
      鵯越は…ですが、穏やかな気性と小型でがっしりした体躯はまさにワークホースの系譜ですね。
      乗馬コースで乗られている方も拝見しましたが、何時も見慣れた「高さ」との違いには驚かされました。

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