今月の読本「南朝の真実」(亀田俊和 吉川弘文館)南朝を主軸とした楽しい南北朝人物伝と、もう一つのお話を

歴史に関する幅広いテーマを、研究者の皆様の執筆による正確な考証と、専門出版社ならではの丁寧な作りにも関わらず、一般読者にも手軽に楽しめることで好評の、吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」ですが、今回ご紹介する一冊は、刊行以来、ネットやSNSを通じてその評判が広まり、刊行後僅か10日で増刷が決まるという、専門書としては異色の売れ行きを示しています。

地方の山村に住んでいると、ただでさえも入手困難な専門書。それも大人気で品薄とあって入手自体が危ぶまれたのですが、ある書店さんのご紹介で漸く入手できましたので、ご紹介したいと思います。「南朝の真実」(亀田俊和 吉川弘文館)です。

南朝の真実まずは、このキャッチーな帯と、禁じ手とも思われる「真実」の表題。明らかに既存の見解に対して、かなり意図的な提起を行うことを念頭に置いた書籍であることが、表紙に滲み出ています。ここまであからさまだと、読む方も身構えて読み始めますが、そこは学術書ベースの版元さんの手による刊行物。所々にビジネス書紛いの表現が見受けられますが、それほど極端な論調でもなく、著者が述べている通りの「南朝側視点」で登場人物たちの評伝が語られていきます。

そこに出てくる人物たちは、北朝も南朝も関わりなく個性的な面々ばかり。ただし、戦国期と比べると更に文献による資料が限られる、鎌倉末から室町初期までの歴史研究においては、どうしても研究者の主観が多く差し挟まれることになります。それでも、彼らの行動や残された言動は決して武士道で語られるような聖人君主にあらず。みな打算的で、日和見。裏表のある登場人物たちは、事あるごとに嫉妬はするし、自分を大きく見せてみたり、逆に急に萎れこんだりと、様々な側面を見せてくれます。足利直義のような真面目人間ももちろんいますが、残念ながら彼とて義理堅いといった雰囲気は見せてくれません。

本書では、これらの個性的な人物たちを敢えて、南朝側の主要な人物と一対一で対決させる形式で、鎌倉末から南北朝合一までの期間にわたって11のストーリーに纏めています。これらの対決ストーリーについて、若干でも中世の歴史に関しての興味をお持ちの方であれば、それほど目新しいことが書かれているわけではありません。また、ある程度類書をお読みの方であれば、取り上げられれている人物が少し捻り込まれている(例えば高師直や佐々木道誉といった婆沙羅大名を非常に高く評価している。楠木正成を「あえて」対決シーンで扱わずに、楠木正儀をカウンター役としてを大きく扱う。事跡も乏しい南朝の天皇のマイナーさに合わせるように、対決相手を中院具忠や赤松宮といったマイナーな人物を用意して、あえて光を当てる)点を除けば、類書と比較して特段に目新しい知見が得られるわけではありません。

本書は、そのキャッチーな表題とは裏腹に、歴史の舞台としてはややマイナーで人物関係が判りにくいことでは、平家物語(平清盛、苦戦してましたよね)といい勝負である、南北朝時代を理解するための入門書として、時系列を追って、南朝・北朝に拘らずに人物をベースに歴史を見ていきましょうという一冊なのかもしれません。軽快なテンポの筆致で綴られていますので、人物名に苦しまなければ比較的楽に読みこなせると思いますが、各人物に関する背景や、その時々に問題となるポイント、特に愁眉の懸案であった皇位継承権と皇子たちの関係、武家政権である鎌倉幕府と公武合体の建武政権、それに続く室町幕府の政治的継承性と課題解決にあたってのスタンスの違いについては、それぞれに丁寧な解説と、最新の知見による著者の論評が設けられています。

本書の人物をなぞっていくうちに、その中でひときわ魅力的な登場人物を見つけられたら、しめたものです。本書をガイドブックに、彼らの行動を追いかけながら、近年豊富に揃いはじめた中世史類書の海へ漕ぎ出してみてはいかがでしょうか。きっとその中には、新しい知見、魅力的な人物像があふれていると思いますよ。

[とりあえず書評はここまでです]

そして、本書を語るにあたって、もう一つ述べておかなければいけない事があると思います。

本ページでご紹介している他の書籍でも言及させて頂いていますが、本書は所謂「皇国史観」に対するアンチテーゼであることを明確に押し出した論調で書かれています。現在読んでいる最中ですが、本書よりほんの少し前に刊行された呉座勇一氏の「戦争の中世史」では、更に「戦後平和教育」と「マルクス主義歴史学」に対するアンチテーゼ論を全面に展開しています。

この議論に、武家政権の授権位置づけの議論(権門体制論と二つの王権論)を加えると、現在の中世史研究者の皆様にとってのフルコース?のようですが、一般の読者から見た場合、これらの議論に果たしてどんな意味があるのか、今もって理解が及ばないのです

著者の皆様と若干前後する年代ですが、これまでの生活の実体験として、これらの議論に実際に遭遇したのは、はるか昔、小学校の頃に何故か臨時朝礼と称して、全校生徒が校庭に集められて一時間ほど校長先生の講話を聞かされた事(要は教員の時限スト)。そして、中学校の社会科の先生が、何故教員がストライキを行うことが正しいのかを授業中にいきなり語りだしたことの二回くらいだったでしょうか。ましてや、皇国史観や学園闘争は遠い過去の話。日の丸掲揚や君が代斉唱の規定もまだなく、学生時代は総長からしてマルクス主義の権化のように呼ばれた某巨大大学にも関係していましたが、ベルリンの壁崩壊後の教室や研究室にいる限りは、それらの話題は全く上ることはありませんでした。

そのくらい、実生活とは遠く離れたこれらの議論のベースとなっている事柄たち。しかしながら、最近刊行される中世史に関する書籍で、特に1960年代以降に生まれた研究者の方の書籍には、これらの議論の経緯を(両方向で)滲ませている論調が散見されます。しかしながら、いずれの書籍を見ても、これらの論調を語る先に何を目指していらっしゃるのか、特に実践面では全くと言っていいほど見受けられません。

更に、これらの書籍の冒頭や巻末では、実際の社会状況と歴史研究の関連性について配慮する記述が見受けられたりもしますが、これらイデオロギー的な研究史とそれに付随してくる理論は、実際の社会生活で扱われることは殆どなく、熱弁を振るわれるこれらの議論もなんだか空振り気味に見えてしまうところが、非常に残念に思えてきます。ものすごい気勢でこれらのテーマを大上段に掲げる論調を張った書籍を出されること自体、実社会でははるか昔に滅び去った亡霊に、歴史研究者と謂われる皆様だけが、未だ苛まれていらっしゃるのではないかと、逆に心配になってしまうところです。SNSに流れる多くの書評がそうであるように、読者の方々はもうそんなこと、気にしていませんよ、と。

ライトな歴史ファンにとって、研究者の方々が執筆されるこれらの書籍に期待したいこと。それは、古新聞にびっしりと刻み込まれた記憶への反論ではなく、その時代にしか残っていない、我々の知りえない新たな知見を届けることで、より豊かな見識を広げていく事ではないでしょうか。それが読書子として最も欲する、知的好奇心の充足に繋がると信じて。

南朝の真実と中世史の本たち直近に刊行された、併せて読んでいた中世史関係の本達から、類似のテーマのものを。

既に文庫に収蔵された著名研究者の名著から、実社会にも打って出た、武家政権論一直線を掲げる方の本、また、表題そっちのけで研究史の議論を始めてしまう本まで…。

これらの本にとって、大先輩としての一冊。アンチテーゼとして、敬愛する新井白石の「読史余論」も一緒に。

<おまけ>

本書に類似のテーマ、および歴史文化ライブラリーの中から、本ページで取り上げた本のご紹介。

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今月の読本「南朝の真実」(亀田俊和 吉川弘文館)南朝を主軸とした楽しい南北朝人物伝と、もう一つのお話を」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 今月の読本「熊谷直実」(高橋修 吉川弘文館)郷土の豪勇への熱い眼差し | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

  2. ピンバック: 今月の読本「熊谷直実 中世武士の生き方」(高橋修 吉川弘文館)郷土の豪勇への熱い眼差し | 八ヶ岳の南麓を彷徨って

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