今月の読本「未来のだるまちゃんへ」(かこさとし 文藝春秋)まっすぐに見つめ続けることの大切さを

色々と本を読み漁るたちですが、今回ご紹介する本は、本ページでご紹介する本とは一線を画した本になります。

そもそも、本書を知ったのは版元様のPRや書店店頭ではなく、SNSで拝見した、他の出版者様のご紹介文でした。

それまで著者の事も、代表作があの「だるまちゃんとてんぐちゃん」であったことも知らずに、ただ歴史的な内容を重視した面白いテーマで絵本を書かれている方だな、といった位の印象だったのです。それが、本書の紹介文を読んで、うん十年前の子供時代に愛読していた絵本たちの作者であったことを知った時の衝撃は大きなものがありました。

そのような訳で、通常ではご紹介することのないジャンルの本ですが、このような偶然は必然であるとのルールに従って購入してみた次第です(なかなか入れずらい、このような本を平置きで並べて下さった、富士見の今井書店様と、他社にも拘らずSNS上でご紹介を上げて頂いた小峰書店様に感謝を)。

みらいのだるまちゃんへ未来のだるまちゃんへ」(かこさとし 文藝春秋)です。

本書の表紙をご覧いただければ、誰しも一度は見かけたことのあるキャラクターが見つけられるのではないでしょうか。

その愛らしくも、温かみのあるキャラクターを生み出した著者であるかこさとし(加古里子)さんが、88歳にして初めて手掛ける自伝となる一冊です。

まず、著者の経歴をご覧頂くとちょっと不思議な気分に駆られるのではないでしょうか。東大工学部卒のエンジニアにして、昭和電工(きっちり社名出ていますのでそのままで)で研究職として47歳まで奉職した、工学博士(論博ですね)という、およそ絵本作家とは無縁の経歴が目を惹きます。そしてセツルメント活動という、聞きなれない福祉活動への参加と専業絵本作家への道筋と、あの絵本たちに描かれるキャラクターとの接点を見出すまで少々考え込んでしまったのも事実です。

そのような疑問は本書をご覧いただければすぐ解決します。丁寧でマメな筆致は、芸術家や作家というより、正にエンジニアらしい文体ですが、読者を意識して優しい表現で綴ろうとされているのがよく判ります(あとがきに見える、ご本人が通常使われているであろう、古風漂う、がちがちに固い文体との落差に驚かされます)。そして、デビュー作が当時は多く出されていた、大人たちの仕事を絵本を通して理解してもらう教材的な絵本でもある「だむのおじさんたち」であったことも、著者のエンジニアとしての素地を充分に生かせる素材であったからではないかと思います。

本書は中盤に挟まれた絵本作家としての作品をカラーで紹介するページを挟んで二つの章に分かれています。前半は氏が「一度死んだ」と述べる、戦前の物語。そして、後半は戦後大学を卒業後に手掛け始めたセツルメント活動と絵本作家への道筋が語られていきます。前半と後半で内容は大きく変わっていきますが、一貫して「子供の視点」というテーマを特に意識して書かれているようです。

親は子供の事など全然理解してくれない、子供は親を困らせないように生きているという、最近何処かの本で扱っているなあ…と思うような、自分自身の子供時代の経験からの書き出しで始まる本書は、たとえもっとも身近な肉親にさえ理解されずとも、自分の見つけた道をまっすぐに進んでいく事の大切さを語っていきます。子供の頃のあこがれ、それが叶えられない事への挫折や反動も、自身の事であってもやや傍観者的な視線で語っていきます。

戦後の章に入ると、氏自身の物語より、子供たちの視線に着目した話がメインになっていきます。一度死んだ者として、何を残していくのかの自問の経緯としてセツルメント活動と、そこに集まる子供たちの視線が語られていきます。その子供たちの視線は確かに刹那的かもしれませんが、決して幼稚でも独りよがりでもない。まっすぐに見据えた先に無限の広がりと、自由闊達な思考がある事に氏は気付いていきます。子供たちが観る視線の先には「世界の姿、実体を知りたい」と思っていると考えていきます。この想いは、何時でも好奇心のスタートラインに位置する疑問。きっかけさえ与えてあげれば、本人の力の限り好奇心の輪は広がっていく。氏はそこから細分化が始まると述べていますが、そんな点はエンジニアらしい発想であるとも思えますし、著作に多くみられる、テーマ性の高い作品群が、そんな子供たちへの好奇心の入口の役割を果たしている事に論を待たないと思います(氏の言葉を借りると、興味を対象を追いかけるうちに、世界の端っこに出てしまって、ぽつんとひとりでいる子どもに対して、この世界との有機的な繋がりを解き明かして、示してあげること)。

そして、氏の作品への想いは、子供向けの作品だからこそごまかしが効かない。気に入った内容であれば、大人なら簡単に読み飛ばしてしまうところにも、驚くほどの目配りで読んでくれる。だからこそ、そんな想いで絵本を見てくれる子供たちに届けばいい、セツルメント活動で見つけた、他に幾らでも楽しい遊びがある中で自分の紙芝居に目を輝かせて見入ってくれた、ほんの僅かでも目の前で喜んでくれる本当の「読者」に届けたいという、表現者の方々がよく仰る普遍的な想いに繋がっていきます。そのためには、徹底的な下調べと自らをさらけ出すことも厭わないという想いを述べていきます(「宇宙~そのひろがりをしろう」を製作する時間を取りたいがために退職し、7年をかけて製作。「万里の長城」は実に30年かかったと書かれています)。

そのようにして世に送り出された600冊にも及ぶ絵本たち。セツルメント活動で得た子供たちの眼差しにしっかりと視点を合わせるかのように、子供たちの行動をエンジニアらしく分析した結果をじっくりと盛り込んだこれらの絵本たちは、一方で氏の家族の犠牲に上に成り立っていたことをいみじくも述べています。この辺りの経緯について意外なほどあっけらかんと晒しているのですが、同時に社会人、会社人としての矜持を同じ筆致で述べられてしまうと、本書を読まれる現代の親御さん世代の方にとっては、氏への評価を大きく揺るがす内容かもしれません。

巻頭に掲載されている、悪戯っぽい笑顔の写真を眺めながら本書を読んでいると、そんな矛盾を孕みながらも、まっすぐな子供たちの視線に正面から応えようとしている、ちょっと子供の香りを残した「まっすぐな想い」を抱かせる生き様そのものが、氏の作品の魅力なのかもしれませんね。

<おまけの雑文>

氏が述べる「世界の端っこ」にもしかしたら私は今も留まっているのかもしれません。器用さもなく、決して体が強くなかった私にとって、読書は最大の慰めであり、世界に開かれた小さな窓口でした。学校や地区の図書館書棚を跋渉してあらゆる興味を渡り歩いた末に、最後に行きついたのが分厚い百科事典(一冊に集冊されたもので、講談社版だったように思います)。中学時代の図書館での自習の際、何時も抱えて片っ端から読んでいたのがよほど気になったのでしょうか、禁帯出にも関わらず休みの日に貸し出してくださった国語の先生には今でも感謝しています。その後、エンジニアの道に進むことになったのですが、あの時にたどり着いたであろう「世界の端っこは」は本当に誰もいない場所だったと思います。氏がそんな子供たちの興味は千を下らないだろうと述べているように、未だに誰もやって来ないその端っこで、世界の繋がりを探し続けているもう一人の自分が居るのかもしれません。

<おまけ>

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