文学と自然が織りなす高原の小さなミュージアムで静かな夏休みを(富士見町・高原のミュージアムと自然写真家、西村豊さんの写真展)

文学と自然が織りなす高原の小さなミュージアムで静かな夏休みを(富士見町・高原のミュージアムと自然写真家、西村豊さんの写真展)

New!(2015.5.9):本ページでご紹介している、富士見町在住の自然写真家、西村豊さんが数年来準備を進められていた、初めてのリスをテーマにした写真絵本「よつごのこりす はるくんのおすもう」(アリス館)が発売されました。

会場で拝見した写真たちが、どんな形で絵本になっているのか、興味津々です。詳しくは、著者のホームページへ

 

天気がすぐれない、今年のお盆休み。

写真を撮りに歩きたいところですが、これでは全くダメ。そんな時には近場で少し腰を据えて観られるものをと、またしても手元に届いている案内からお出掛け先を探し出してみます。

富士見町高原のミュージアム外観かなり判りにくい場所にある、富士見町の文化施設。昨日訪問した安曇野市豊科近代美術館と同じく、地元の市民に向けた図書館とホールを併設した建物です。

駐車場には、明日の諏訪湖花火大会に富士見駅から列車で上諏訪駅まで行こうとしている方に対して、駐車しないで下さいとの警告文が掲げられているのが、如何にもお盆休みらしい雰囲気です。

富士見町高原のミュージアム入口省エネのため薄暗くされたエントランスを登って2階に上がると、まるでクリニックの入口のようなスペースに突き当たります。富士見町立の文化施設「高原のミュージアム」です。

富士見町の俯瞰立体模型入口には、町立の文化施設らしく、八ヶ岳と入笠山に挟まれた富士見町の地勢がよく判る、立体模型が展示されています。それでは館内に入ってみましょう。

高原のミュージアムエントランス意表を突かれる緑溢れる白樺林をあしらったエントランス。エントランスを廻って内部に入ると更に驚かされます。

高原のミュージアムセンターホール印象的な富士見の風景をあしらったタペストリー調のスクリーンと、透過光照明で浮かび上がる数々の短歌、俳句によって歌い上げられる、富士見の厳しくも美しい景色、風物。そこには博物館につきものの価値ある展示物も、美術館にある芸術作品も全くありません。

そう、このミュージアムは博物館でも、美術館でもありません。戦前、この地を愛し集まってきた歌人、文芸家たちの言葉による心象スケッチ「言葉という時空」の足取りを留め置くために設けられた空間、ミュージアムです。館内のあらゆる場所に彼らが残した言葉の数々がシャワーのように降り注いでいます。

もちろん、富士見に訪れ、富士見を詠んだ文人達の記録を示す展示物も用意されていますが、あくまでも本人たちの詩作、著作の片鱗を示すために展示されているに過ぎません。かれらの想い、心象の全てはその言葉の中に秘められているのですから。別荘を構えた文人(現在ですと某アニメーション監督の方がが所有しているらしいですが…。地元の方なら、2CV観たことありますよね)、アララギ派の歌人たち。一時期とはいえ実際に富士見に居を構えた尾崎喜八。2年前に惜しくも解体された白樺林に囲まれた結核病棟を有し、転地療法とサナトリウム文学という名の、今はなき脆くも儚い作品を生み出す舞台となった富士見高原診療所とそこで生み出された物語達。

言葉で表現する文人たちが、言葉のみを以て残したこの地への深い想いと心象を、何とかミュージアムという形で表現しようという、展示者側の苦心が伺える空間でもあります。

僅かに、尾崎喜八が遺した校歌の歌詞や、地元に求められると何時も気安く請け負っていたと伝えられる講演の肉筆原稿にその深い愛情が見受けられますが、ミュージアムの本当の展示物は、多くはボードや透過光照明の向こうに映る詩歌を読まれた訪問者一人一人の心の中に浮かび上がる、詠んだ本人と読まれた方だけが秘める富士見の姿に委ねられるようです。

西村豊写真展エントランスそして、もう一つのテーマ。今回訪問のきっかけとなった、地元富士見在住の自然写真家(動物写真家とは書きません)、西村豊さんの40年に渡る撮影活動のうち、最も得意とされている森の中に住む小動物たちの写真を集めた展示会です。

ヤマネの写真で著名な氏ですが、開催のあいさつ文には、遂にリスに魅せられて追いかけることになりましたとの言葉が述べられています。

一つの写真を撮るために3年を掛けたとのコメントも残されており、自然写真の厳しさが伺える内容でもあります。

実際の写真については是非会場にてご覧頂きたいと思いますが、ご本人の解説にもありますように、手作り感溢れる、決して広いスペースではないですが、通常のギャラ リーで開催される写真展よりカット数も多く、高密度に写真が展示されています。あいさつ文の通り、展示されている写真の殆どは新たに取り組んでいる「リス」の写真で占められ ています。森の妖精とも謂われるお馴染みのヤマネが可愛さと愛嬌さに溢れる親しみやすさが全面に出ているのに対して、リスの方はより俊敏で精悍。木々を飛び歩き、クルミの殻を鮮やかに削っていく躍動感あふれる写真からは小さな狩人といった印象すら与えます。

そしてリスの写真展示の奥には今回のサプライズ。実際に著作を製作される際の作業が判るように、構成から製本まで段階を追った形での展示が設けられています。

著作には5年以上、多くは10年近くを掛けているという息の長さ。そして、ほとんどの場合は構成案を出版社に持ち込むことで著作がスタートするという事に驚かされます(その方が意図が正確に伝わるという)。

実際の校正に用いた、修正を入れた原稿。細かく色合いやレイアウトの修正指示が入れられている色見本等が惜しげもなく展示されています。こちらも校正に対する最終的な決定は氏自身に委ねられるとの事で、写真集独特の世界がある事を実感させられる展示です(展示コーナーには「校正に挑戦」といった微笑ましいメニューも)。

ちなみに展示されているカメラ(Canon EOS7D+EF300mm F4.0L,1.4xエクステンダー付)はメイン機材で通常なんと手持ち。20万回以上のシャッター回数を記録した末に、ご自身のミスで破損してしまったため、こうして展示品の一環としてお披露目される結果となった、ちょっとかわいそうな一台です。しかし、20万回かあ…(遠目)。

富士見町高原のミュージアムパンフレットミュージアムと西村豊写真展のパンフレットを。

足元にある町立図書館は人口当たりの年間貸出数が全国一とも謂われる、文人たちが愛した土地に相応しい実績を有しているのですが、ミュージアムの方はその展示内容のハイレベルさもあり、ちょっと低調の模様。

有料(300円)という事もあり、当日の西村豊写真展の記帳を見ても、両手で数えられる程度の来訪者。私が居た午後のひと時(一時間半ほど)では結果的に一人の来訪者もなく、全くの貸切状態で存分に展示物、写真を堪能するという、嬉しいようなちょっと切ない時間を過ごす結果となってしまいました(翌日になって、お隣の原村にある村立八ヶ岳美術館の方はお天気の悪さと特別展示企画がずばり的中したようで、大混雑だったと聞いて落胆している次第なのです…涙)

桑の木前のコスモス時折強く降る雨と濃い霧が交互にやってくる、秋雨を思わせる天気の中。静かに文人たちの想いや、かわいらしくも凛々しい森の小さな生き物たちの息吹を感じるために、普段は足の向かないかもしれない小さなミュージアムに足を向けてみるというのは如何でしょうか。

<おまけ>

同じく富士見町内や近隣の文化施設をご紹介したページ、類似の話題のご紹介。

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諏訪に生き、色彩をデッサンし光を刻み込んだ「描き続ける人」を(安曇野市豊科近代美術館と生誕120年・宮芳平展)

諏訪に生き、色彩をデッサンし光を刻み込んだ「描き続ける人」を(安曇野市豊科近代美術館と生誕120年・宮芳平展)

New!(2014.12.14):この夏、NHK教育テレビで放送される「日曜美術館」で紹介された宮芳平。例年お馴染みの年末アンコール放送で再度、取り上げられることになりました。放送は12/21(日)午前8時より。未見の方は、是非ご覧頂ければと思います(下記の通りで、私も未見です)。

夏休み。毎年のように出かける日本海に向かう途中、何時も安曇野を通過するのですが何故か素通り。

写真撮りとしては、盛夏の褪せてくすんだ夏空では北アルプスの山は映えず、一面に広がる水田も黄金色に輝く田圃にはまだ早いため、夏の安曇野にはあまり惹かれるところがないのが実情だったりします(避暑なら、こちらの方が標高高いので…)。

そんな中、ふと舞い込んできた豊科近代美術館で特別展が開催されているという案内。よくみると、忘れかけていた、昨年のNHK日曜美術館のアートシーン(開催中の展覧会案内を放映する番組内のコーナー)で衝撃を受けた、生誕120年を記念して全国を廻っていた宮芳平展の凱旋展示が行われているという案内でした。

昨年NHKで紹介があった際には、既に茅野での展示は終了。練馬での展示に移っていたために観に行く事が出来ず、安曇野に戻ってきたら行きたいなと思っていながら、すっかり忘れていた中、ちょっと驚きを(忘却気質に呆れて)もって、案内を見ていました。

更に今年の8月には、NHK日曜美術館の本編で展示が紹介されたという(再放送含めて完全に見忘れたという、痛恨のおまけつき)事に気が付いてしまった以上、行くしかないと腹をくくって、糸魚川に抜ける途中にちょっと寄り道を。

安曇野市豊科近代美術館と宮芳平展北アルプスをバックに建つ、安曇野市豊科近代美術館。正面はこじんまりとしていますが、建屋の右側が本来の展示スペース。南欧風の軽やかなデザインと色使いが特徴的な建物ですが、中庭を含めて各所に配されたこの美術館のもう一つの主要展示品である高田博厚のブロンズ像が、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

宮芳平展パンフレット入館時に頂けるパンフレットを。

館内は全面撮影禁止ですので、残念ながら展示の模様を写真でお伝えすることはできません。

文章で雰囲気がお伝えできるかどうか…。

展示は2階の全スペースと1階の一部を用いて行われていますが、1階に関しては通常非公開の作品(キャンバスにヒビが入り始めてしまっている作品を含む)を今回特別に展示しています。

メインの展示は2階となりますが、10畳ちょっとの各展示室と展示室を繋ぐ廊下、メインの大展示室、多目的交流ホールの全てを使って、全246作品(その他、参考出展もあり)という、非常に多数の作品が揃えられており、画家の全画業を追いかけながら見る事が出来る、極めて贅沢な展示内容となっています(おかげで、全ての作品を観るのに休憩なしで3時間ほどかかってしまいました。後の予定がちょっとピンチになったのは…)。

安曇野市豊科近代美術館館内案内館内展示室案内。グリーンのエリアで展示が行われています。一階には常設のアトリエ再現室もあります。

第5展示室から、大展示室、第8展示室をぐるっと一周することで、画学生時代から晩期までの画業を一覧することが出来るように配置されています。

第7展示室には初期のペン画と、もう一つの作品群でもあるエッチング。多目的ホールを挟んで、手前の廊下には自画像、そして出口までの廊下にはパステルを中心としたスケッチが展示されています。

展示作品の過半は本館に収蔵されている作品ですが、メインの大展示室に展示されている連作「聖地巡礼シリーズ」は新潟県近代美術館・万代島美術館に収蔵されていますし、第7展示室で展示されるエッチングはすべて練馬区立美術館の収蔵品。人気の高い、大正ロマンを感じさせるペン画は個人の方の所蔵品ですので、このような機会でないと一挙に見る事は出来ません。

特に、第6展示室から大展示室への廊下にかけて飾られている諏訪の景色を印象的に捉えた作品群は(一部は大展示室内)、地元の高校や私営施設、団体で収蔵しているので、通常観るチャンスは全くなく、このような機会でなければ決して見る事が出来ない作品も多数出展されています。

また、各所に配され、特に第6展示室に集中して掲示されている文集「AYUMI」その他から採られた言葉達は、森鴎外をして可愛がらせた程、極端に一本気でちょっと神経質、でも優しさの溢れる画家の想いが文章からも見て取れるようです。

作品の論評に関しては、美術的能力が欠落している(墨筆を含めて、デッサンや模写が全く出来ないという致命傷)人間なので避けますが、印象だけは語らせて頂こうかと思います。

謂われているように、大正ロマンを感じさせる、最も有名な作品のひとつ「椿」にあるように、点描から始まっている画業(第5展示室)は、厚いタッチを持った油彩(廊下に飾られる「砂丘(平塚)」の波を打つような砂丘のタッチと寂寥とした海と空のうねりが印象的)へと変わっていきます。暗緑色が多かった初期の作品と比べると、諏訪時代の山野の風景は、空の鮮やかさと枯れた冬の寂寥感、更には土の息吹を感じさせる色彩が加えられていきます(第6展示室、氏の作品に興味を持った「諏訪湖(立石より)」や「茜さす山」、「荒土を耕す」)。この辺りの作品から、描画は筆のタッチをそのまま生かしたような抽象的な雰囲気になっており、更には代表作「母と子」にあるようなモザイク画を想わせる輪郭を描かない絵になっていきます。

茜さす山ポストカードより「茜さす山」(諏訪二葉高等学校所蔵)

荒土を耕すポストカードより「荒土を耕す」(ホテル鷲乃湯所蔵)。「諏訪湖(立石より)」と「八島」のポストカードが欠品で少しショックを受けています。美術館側もあまり商売気がないようですし、ポストカードも不思議なことに、美術館とは別名義の物が混ざっています

大展示室に並ぶ「聖地巡礼シリーズ」に至ると、遂に輪郭線は失われ、厚く塗られた油絵具がうねる様に心証を色彩に表すような抽象性。更には旅の機内で得たといわれている、白く輝く太陽の光を織り込んだ作品が目立つようになり、最後には重厚さを越えた、まるで溶岩のように厚く塗られた抽象画に至っています(第8展示室)。

特に後期、晩期の作品を観ていると、官能的にすら捉える事が難しいくらいの抽象性をもっているため素人目で観てしまうと「画力って何だろう」と複雑な想いを持ってしまうのですが、最後に展示される自画像達、そして別コーナーとして纏めて展示される初期のデッサンや、会場の出口へと誘うように飾られるパステルで描かれたスケッチの展示を観ればそのような疑問はすぐに氷解すると思います(そのように順路を並べられた、展示者の方の配慮でしょうか)。

圧倒的なデッサン力と正確な線描。初期の点描やエッチング作品に見られる非常に微細な書き込み。柔らかくも的確なパステルで描かれる諏訪の風景を切り取ったスケッチ。「聖地巡礼シリーズ」」の下絵に見られる的確なコンテの線描によるスケッチと、色指定と思われる謄写紙への輪郭とNoの指定。既に輪郭は失われ、厚く厚く塗り込まれた絵の具の色しか残っていないような絵も、すべては正確な観察力による的確なデッサンと下絵の上に構築されていると考えられます。

最後の展示室に飾られている画家の自画像はバックに溶け込むほどに輪郭はありませんが、まぎれもなく画家その人の今を正確に描きこんでいる。機内からの風景を描いた作品は厚塗りで何を描いているのか判らないようにも見えますが、観る人には機内の窓から遠く眺める地上の風景、光であることがハッキリ判る。遠く眺めていても絵の中に誘ってくれる。ハッとさせられるものがそこにある。

輪郭もあいまいで、遠近感も、縮尺も、縦横比も怪しい諏訪の山々、諏訪湖の湖畔の景色も、間違いなくそこである事が判る、その場に立った人間であれば納得できる印象を更に昇華させて描き込んでいる。その印象とは何なのか。

第6展示室に掲げがれている、画家自らの言葉に印象的に綴られているのですが、私の勝手な心象だけを申し上げると「色彩をデッサンすること、光をキャンバスに刻み込んでいく事」。圧倒的なデッサン力を以てしても叶えられない、光と色を捉え切ることに画業を積み重ねたのではないでしょうか。色すらも交わり込んでいく強烈に積み上げられた油絵具から発する複雑な陰影と、その表面を照らし出す光によって複雑に発するキャンバスからもたらされる心象。それはまるで、光をキャンバスに刻み込んで留めようとしているかにも思えてくるのです。光の陰影には色の境界も線画もなく、水墨画が和紙の白と墨跡自体の陰影を以て光の陰影を表すように。それは点描から始まった色と光への拘りが遂には渾然一体となった証。

絶筆となった「黒い太陽」にはまぎれもなく、画家の生涯に渡って築き上げてきた色彩がすべて備わっているように思えるのです。初期の作品で到達した暗緑色やコバルトブルー。諏訪の大地と空から心証を抜き出したかのような土くれ色と淡い蒼、そして緑。巡礼の旅がもたらしたオレンジ、黄色、そして白に至る太陽の輝きへと、それらの色は螺旋を描くように天上に昇っていく筆跡で描かれる。黒い太陽の秘密は、是非作品をご覧になられて感じて頂きたいのですが、そこには画業の全てが宿っているように思えたのでした。

どちらかというと薄幸ともいうべき画業だったのかもしれません。でもけっして一人ぼっちではない。厳しくも大らかな諏訪の大地と、多くの人に温かく見守られながらその画業の信念を貫き通した、彼の生き様に想いを馳せるところです。

安曇野市豊科近代美術館広々とした中庭の向こうに北アルプスの山々を望める、素晴らしいロケーションの安曇野市豊科近代美術館。

パンフレットにある「野の花のように」という優しくも凛とした印象というより、敬虔に、繊細に、かつ雄々しくも自らの描く心と向き合いながら、描き続けた方のように思えています。

また、じっくりと見に来たいと思います。

宮芳平のポストカードと蓼科山夕景お土産のポストカードと蓼科山の夕景の写真を眺めながら。

ポストカードと同じロケーションも何枚かあったりするのですが、見つけられず。おいおいゆっくり探そうかと。

宮芳平画文集どうしても欲しくなって買ってしまった画文集(求龍堂)です。東京まで出向いた際に、立川随一の書店、オリオン書房様で漸く見つけました。

印刷物である以上、実物の絵画とは色合いもタッチも異なると物だと理解した方が良いのですが、それでも添えられている文章を見る度に、展示内容そのままに掲載されている絵画の写真を眺める度に、本物の絵画を前にして感じた想いが甦って来るようです。詳細な解説文と本人の手による、ぐっと考えさせられる文章を読みながら絵と共に想いに浸ることが出来る、ちょっと素敵な「画文集」です。