秋晴れの空の下、秋の彩を先取りするツタウルシの紅葉を(2014/9/28)

>御射鹿池の四季の彩りはこちらにて。

雲ひとつない青空が広がった日曜日。

澄み切った青空を眺めながら、しばしドライブを楽しみます。

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コスモスと秋の八ヶ岳朝の八ヶ岳とコスモスの花(諏訪郡富士見町、先達)。

先週までは緑がかっていた山頂部も、少し黄色を帯びてきています。八ヶ岳の秋を彩る、落葉松の黄葉が始まったようです。

杖突峠から秋の南八ヶ岳杖突峠から眺める、南八ヶ岳の山並み。

八ヶ岳の裾野には、豊かに黄金色に輝く田圃が広がります。

千代田湖のツタウルシ紅葉杖突峠のすぐ裏手。千代田湖に向かいます。

湖畔の落葉松はすっかり色が濃くなってきていますが、黄葉まではまだ暫く時間がかかりそうです。

落葉松林の中に赤い色が見えています。

千代田湖のツタウルシ紅葉1湖の反対側に廻ると、落葉松の木に絡みつきながら、赤く紅葉をしているツタウルシの群落が出来ています。

千代田湖のツタウルシ紅葉6千代田湖のツタウルシ紅葉2千代田湖のツタウルシ紅葉4千代田湖のツタウルシ紅葉5千代田湖のツタウルシ紅葉3華やかなツタウルシの紅葉が始まると、山は秋本番。ひと月ほどをかけて、モミジから白樺、落葉松へと色付きが移ろっていきます。

紅葉前のもみじ湖千代田湖から西に向かって、少し標高の低い箕輪ダムへ。

ここは別名「もみじ湖」とも呼ばれるほど、周囲のモミジが鮮やかなのですが、湖畔の所々でモミジの紅葉が始まったようです。

普段ですと、10月中旬に始まって、ぐっと寒くなる文化の日の前後にピークを迎えるのですが、今年はかなり早めに紅葉が始まっているようです。

黄金色の八ヶ岳2再び八ヶ岳の麓に戻ってきて、黄金色の圃場から遠望します(茅野市湖東)。

黄金色の八ヶ岳1実りの秋。しっかりと熟してきた稲穂の群れ越しに、同じく色づき始めた八ヶ岳を重ねて。

黄金色の八ヶ岳3南八ヶ岳の山並みをアップで(茅野市北山)。

まだ緑の残る山麓と、枯れて黄色くなり始めた山頂部との対比が観られます。

色づき始める蓼科山と横岳こちらは北八ヶ岳。横岳と蓼科山をアップで。こちらも山頂部が大分色付いてきました。

紅葉の始まった御射鹿池20140928蓼科の懐。御射鹿池まで登ってみました。

こちらもツタウルシでしょうか、落葉松越しに赤く色づく木々が見え始めています。

本格的な紅葉シーズンの到来を告げるツタウルシの紅葉。10月を迎えて八ヶ岳周辺も秋本番を迎えたようです。

 

今月の読本「イチョウ 奇跡の2億年史」(ピーター・クレイン/矢野真千子訳 河出書房新社)人の手によって世界中に広められた最古の樹木と日本の深い関わりを

今月の読本「イチョウ 奇跡の2億年史」(ピーター・クレイン/矢野真千子訳 河出書房新社)人の手によって世界中に広められた最古の樹木と日本の深い関わりを

秋も深まってくると、街路を黄色に染めるイチョウの黄葉は都市部に住んでいる方にはお馴染みの風景。

何処にでもある、ありふれた街路樹に思えるイチョウですが、実は野生種は殆ど存在せず、人為的に広められた樹木である事をご存知でしょうか。そして、英語での名称「ginkgo」。ギンコーと読ませるらしいのですが、どこかで聞いたようなフレーズではないでしょうか。「銀杏」=「ぎんなん」≒「ぎんこー」なのです。日本語の名称から英語名に伝わったことからも判るように、この樹木が世界中の街路を埋め尽くすようになった起源は日本にあったのです。

そんな、日本ともきわめて深い関係にある印象的な樹木の物語を、一般読者向けに大ボリュームの一冊に纏めたのが今回ご紹介する「イチョウ 奇跡の2億年史」(ピーター・クレイン/矢野真千子訳 河出書房新社)です。

ginkgo

著者のピーター・クレインは、現在イェール大学の林学・環境科学学部長を務めていますが、以前はイギリスの著名な植物園である王立キュー植物園の園長を務めており、学術的な貢献によってサーの称号を受ける、イギリスを代表する著名な研究者の方です。そんな著名な研究者による著作の訳書に相応しく、全文438ページのうち、実に1/4近くに相当する90ページ程が原文訳注、引用文献一覧(もちろん英文)、ラテン語学名との対照一覧、そして索引に費やされています。本書を読まれて、その内容に深く興味を抱かれた方であれば、原文訳注だけを読んでも大満足になるかもしれません。そして、引用文献の幅広さと量の膨大さから、著名研究家と呼ばれる方々の業績の一端と、その広範な知的素養を垣間見られるようです。

こう書いてしまうと、極めて敷居が高そうな本に見えますが(価格は相応ですのであしからず…)、そこは一般向けの書籍。丁寧に丁寧に書かれたその著述からは、著者のイチョウに対する深い愛情が、訳本にも拘らず文章全体からあふれ出ているかのようです。

そして、文中に散らばる鶴岡八幡宮に青森、長崎、屋久島といった日本各地での紀行。ケンペルにシーボルトといった、日本人にも馴染みのある名前に平瀬作五郎の業績と日本人の琴線を揺さぶる物語がたっぷりと、しかもなぜ、日本にこのような類書が無いのだろうかと悩ませるほど豊富に語られていきます。その著述範囲の広さは、著者の専門分野である化石植物学から始まり、中国の古典、アジアの歴史、言語学、銀杏料理に都市工学(日本の街路樹のうち、55万本余りとなる最多の11%を占めるのがイチョウだったと訳本で知らしめられるとは)までもカバーします。もちろん、この手の訳本の定番通り、各章の始めには著名な作家や研究者の言葉や、古の言い伝えが添えられており、著者の素養の深さと幅広さが垣間見られます。このような研究者の方が書かれた著作でも、研究を進めていくストーリーや研究環境の著述にかなり特化した日本の作品と、文化的な部分まで広く包括する著述に意を砕く海外の作品との力点の置き方の違いは、毎度の事ながらきわめて興味深い所です(研究者の方にすれば、色々とご意見もあるかと思いますが)。

本書はこのように極めて広い分野をカバーする、イチョウに関する物語が語られていきますが、あくまでもメインは二つの物語で展開されていきます。一つは、著者の専門分野である化石植物学から見たイチョウの過去と現在の繋がりの物語。そして、もう一つはこの物語に繋がる、イチョウと日本との深い関わり合い。日本無くしては世界にイチョウが広まることが無かったことを、著者のもう一つの大事な業績であるキュー植物園園長時代の話を交えながら語っていきます。

他の樹木と殆ど系統的に孤立している、雌雄異株のイチョウ(網のレベルで一種類しか存在しない)。その孤立の由来は、他の樹木より圧倒的に古い2億年以上前の化石に辿り着くことから理由付けられます。同時代の植物の多くは、その後の地球環境の変動(著者によれば、それはあくまでも偶然の結果)と、それに伴う種の拡散が上手くいかなくなったことにより絶滅してしまいます。そんな中で、イチョウだけはしぶとく生き残り、世界中の温帯に生息していました。しかしながら約500万年前を境に急激に減少を続け、遺伝的追跡の結果に基づけは、有史初期は中国南部の極めて限られた場所で細々と自生していたに過ぎなくなってしまいます。この減少の大きな原因は、前述のように環境変化(寒冷化)のようですが、著者は銀杏に着目して、それ自体に拡散能力が無い故に必要となる、媒介となる動物が環境変化によって先に失われたことが減少の一因ではないかという説に注目しています。

この説を敷衍するかのように、イチョウの物語は細々と自生する状態から再び世界中への拡散へと向かっていきます。媒介となったのはヒト。それも極東の果てに辿り着いたヨーロッパ人によって世界へと再び送り出されることになります。前述のように、中国南部で細々と自生する状態であったイチョウが再び人の手によって拡散を始めますが、そのきっかけは既に分からなくなっています。史料によれば数千年単位の物語が語られていますし、国内にも鶴岡八幡宮の倒れてしまった大銀杏を始め、1000年以上の歴史を有するといわれるイチョウが存在しますが、その点は科学者らしく明確に否定します。年輪による把握は難しくとも、それ以外の手法で推定される樹齢はそれ程長くなく、日本にあるイチョウの古木は殆ど人の住居に近い場所に生育している点から見ても、日本にはイチョウは自生しておらず、やはり遣唐使船ないしは、宋との交易によってもたらされたと判断しています(ここで吾妻鏡や愚管抄にイチョウの記載がなく、鎌倉物語には記述がある事まで言及する点は、もはや恐ろしいほど)。

中国から東アジアに留まっていたイチョウが再び拡散を始めるきっかけとなったのは、鎖国時の日本。それ以前にも中国経由でヨーロッパにもたらされた可能性があるはずなのですが本書では言及されません。何故なら、この先の物語は博物学との関わり合いで語られるため。ケンペル、そしてシーボルトによって紹介され、リンネによって「ginkgo」として記載され、キュー植物園のオールド・ライオン(イギリス最古と目されるイチョウの木)に続く物語が語られます。この間の経緯はイチョウの移植やリンネによる集録に至る物語ばかりに目を奪われがちですが、著者の筆致はそれを上回ります。何と、新安船の積載物と中国での呼び名の由来(鴨脚)から、日本とヨーロッパの関わり合いの始まり、ウィリアム・アダムスによるオランダとの貿易の開始、日本の鎖国と二人の日本での活動、所謂シーボルト事件にまで、次々と触れられていきます。自然科学の本でありながら、歴史書としての体裁も有する点は、この手の訳本では当たり前かもしれませんが、その範囲の広さに驚かされれるばかりです。

元々、繰り返し訪れた厳しい環境の中でもしぶとく生き残ってきたイチョウ。温帯から亜寒帯までの広い温度域と十分な水が得られれば長寿を誇る特性を有していますが、前述のように如何としても拡散する手段を持っていなかったこの樹木は、食料として(あの匂いゆえ、東アジア人が主に)、未だ解明しきれていない薬効を期待して(こちらはドイツで最大の処方生薬という点も面白い)、そして黄金色に輝きながら、あるとき一気に葉を散らす、その神秘的な美しさに惹かれたヒトとう名の媒介によって、ヨーロッパに解き放たれた後は、瞬く間に世界中の街路を埋め尽くすようになっていきます。時に公害(匂いですね)の原因にもされることがありますが、それでも排気ガスに痛めつけられ、コンクリートとアスファルトに埋め尽くされた街路でも生育し、秋の一瞬には街を黄金色に彩るイチョウの木に人々は魅せられ、更に新たな街へと移植され続けています。

著者は最後の一節を以て、イチョウ拡散の物語と対比させるように、現在絶滅に瀕している樹木の人手による保護と、植物園を通した世界中への「リスク分散」を説いています。自然環境を復元するという発想が希薄な日本人には判りにくいのですが、現生の植物種が僅かに1400種(日本の場合、高尾山に存在する植物種だけでも1600種)と極端に減少するほどに自然環境が失われているイギリスにとって、これらの発想はもはや当たり前の事なのかもしれません。

そんな危機感を抱えながらも、著者は世界各地のイチョウの木々を見て廻り、日本や中国にある古木の根元に置かれる祠や、古木への信仰心に心を打たれ、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたニュースの後、速やかに増殖処置が執られたことに安どし、古巣のキュー植物園のオールド・ライオンへ想いを馳せる。

長寿を誇る樹木への敬意の念は誰でも持ち合わせるもの。その敬意の心が失われない限り、同じようにきっと人々は、あまたある危機に瀕した動植物の未来に気を掛けてくれるはず。そんな想いを、人の手によって救われ、人の手によって世界中に広められた最古の樹木の物語に託して。

<おまけ>

本ページで扱っている関連する書籍、テーマのご紹介を。

八ヶ岳東麓に秋色を探して(少し早い野辺山の紅葉も)2014/9/21

天気予報が良い方向に外れて、お天気が回復してきた日曜日。

遠出は無理でも、少し距離を稼いで、秋の八ヶ岳を愛でに出かけます。

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秋空と甲斐駒、南アルプス遠く、南アルプスと甲斐駒を望む田圃を眺めて。青空の下、黄金色の稲穂の絨毯が広がります(北杜市長坂町大井ヶ森)。

東沢橋と雲間の八ヶ岳八ヶ岳横断道路の東沢橋(通称、赤い橋)から八ヶ岳の主峰、赤岳を望んで(雲の中ですが)。

山の木々はまだ色づき始めていないようです。この辺りは落葉松が主体。色づき始めるのは10月も後半に入ってからです。

牧草地越しに望む,秋の八ヶ岳1標高1400mを超える、八ヶ岳を正面に望む牧草地。昼ごろになって、強い日差しが戻ってきました(南牧村野辺山)。

それでも標高の高いこの場所では長袖がちょうど良いくらいです。

牧場越しに望む、秋の八ヶ岳2赤岳と横岳をアップで。

少し色が落ちてきていますが、まだ緑を湛えている八ヶ岳です。

トウモロコシ越しに秋の八ヶ岳トウモロコシ畑越しに八ヶ岳を(南牧村野辺山)。

少しずつ色を落としていく八ヶ岳と、夏の名残を残すトウモロコシ畑を重ねて。遠く広がる落葉松林も大分色が濃くなってきました。

北沢峠から秋の八ヶ岳標高1450m。平沢峠は既に秋模様。八ヶ岳も標高によるコントラストが付き始めています。

八ヶ岳ふれあい公園の池越しに平沢峠を降りて、野辺山の八ヶ岳ふれあい公園へ。

ここは紅葉のシーズンになると、園内いっぱいに紅葉した木々を楽しむ事が出来ます。

八ヶ岳ふれあい公園の紅葉公園の外周に植えられた木々は、既に紅葉を始めています。少し早いようですね。

紅葉を始めたモミジ標高1400mに近い八ヶ岳ふれあい公園。既にもみじも色づき始めています。

少し早い紅葉の彩もう真っ赤に色づいている木も見られます。午後の日差しが紅葉を輝かせます。

色づきを待つ白樺まだ青々としている白樺の木。

こちらは色づくまでにもう少し時間が必要なようです。八ヶ岳の紅葉の最盛期は10月の中盤頃。落葉松はもう少し遅くて10月末ごろが見頃になるはずです。

野辺山の秋空高く高く広がる、野辺山の真っ青な秋空。

夕暮れの稲穂と八ヶ岳夕暮れを迎えた八ヶ岳を、全線開通?となった、甲斐駒ケ岳広域農道の新規開通区間より(北杜市白州町白洲)。

夕暮れもすっかり早くなりました。

 

「今月の読本「冷えと肩こり 身体感覚の考古学」(白杉悦雄 講談社選書メチエ)ひとの苦痛を表す言葉の物語

「今月の読本「冷えと肩こり 身体感覚の考古学」(白杉悦雄 講談社選書メチエ)ひとの苦痛を表す言葉の物語

お出かけの多いシーズンに入るとどうしても読書が疎かになる。

面白い本が入ってきてしまうと、それまでに読んでいた本が後回しになってしまう。

興味深いその内容にもかかわらず、後回しの後回しになってしまった漸く読み終わった一冊を今回はご紹介します(大ボリュームの某上下巻本にたっぷり時間を取られたためでもありますが)。

冷えと肩こり講談社選書メチエより「冷えと肩こり 身体感覚の考古学」(白杉悦雄)です。

まずは、著者の極めて珍しい経歴が興味を引きます。

文学博士で所属は芸術工科大学という不思議さ。では専攻は科学史か醸造などの伝統的な産業技術かと思うと、確かに科学史も専攻ですが、中国科学史という変化球。更には医療思想史という謎の学問領域、しかも中国と日本のという二枚看板で臨まれるという、ハテナが三つくらい並んでしまう不思議なテーマを掲げていらっしゃいます。

そんな著者が初めて上梓する一般向けの書籍のテーマは、日本人なら誰でも経験をお持ちの二つの症状を表題に掲げて考古学で語るという、これまた不思議なテーマを挑んでいらっしゃいます。

その不思議なテーマに相応しく、冒頭に述べられる著者の恩師たちの発言から驚かされることになるます。

「英語ばかりか、ドイツ語、フランス語、そして日本に多くの医学用語を提供してきた中国語にも、肩こりの苦痛を表すことばはない」

もちろん、それに対応する症状がないわけではありません。しかしながら適切な単語、用語が用意されていない点を著者は指摘しています。日本人にとってはもっとも普遍的な苦痛であるこれらが表現できないとは、何たる不思議なことでしょうか。

本書は、そのような疑問を出発点に、日本における代表的な病理や医療を表す言葉達の表現方法と治療方法の物語をコラム形式で述べていきます。

コラム形式(巻末にありますように、何本かの論文を集約して、本編を追記された事を述べていらっしゃいます)の体裁を採るため、冒頭の疑問に対して、各章それぞれは答えてはくれません。従って、結論を急がれる方は気になる症状、表現が書かれた章を読まれた後に終章に飛ばれてしまっても良いかと思いますが、通読されると(特に6章と終章は)、これまでの自分の苦痛に対する表現にちょっとした発見を見いだせるかもしれません。

血の道や、癪、せん虫や脚気といった、時代劇ではおなじみの言葉達の発生の由来と、その病理との対比が行われていきますが、どれも現代医学では特定の病名や病理に結びつけることが難しい症状たちのようです。

実例として冷え症(所謂婦人病)の治療方法について述べられていますが、現代医学では有効な処方が見当たらない中、漢方が優れて効果を示すが、個々の症状の何に効いているのか説明が難しい点が、この苦痛への表現と実際の病理への結びつけの難しさ、そして症状を徹底的に分解詳細化してく、科学的手法に対しての大きなアンチテーゼになっているようです。

本書では、そのような科学的手法とは無縁であった時代の病理の表現方法として言葉の由来と、それを診察すべき医師の診療用語(問診、腹診)の変遷から、病理と治療の表現方法の変遷を紐解いていきます。

腹診の用語から用法が変わってきてしまった肩こり、癪。鬱の言葉の使い方の変化。疝気や庸医(所謂藪医者)の語源が、庚申信仰や「野巫医」という呪術的な意味合いや、医療行為の発祥に起因することを示していきます。

対応する症状とは関わりなくとも、苦痛を表す、そして医療行為としての言葉と表現はどんどん変化していく事を考古資料から示していく点は、とてもユニークでもあり、興味を引くところです。

病理の表現が時代と共に変わっていくのであれば、身体自体の表現も変わっていくはず。そんな想いを抱かせたところで、後半の江戸時代の体内想像図の話に入っていくと、はたと考えさせられます。

既に解体新書が普及してきたころに描かれたこれらの版画。解剖学的見地を少し捻り込んで、体の中の小人さんがぶつくさ言いながらせっせと働いているシーンは、現代の子供向け図鑑にも引き継がれたモチーフですが、そこに表される言葉の数々が、最も古典的であろう考え方に基づいている点が非常に興味深い点です。

「曰く、抱朴子に曰く、氷霜粛殺も菽麦の茂を凋すことあたはず、暑鬱陰隆も雪山の凍を消することあたはず。人は此一小天地なり。あに雪山の凍あらざんや。」(丹水子)

著者は、その表現が中国のそれと異なっている点に着目しているのですが、そのような違いより、むしろ人体に対する自然との対比、自分のからだそのもへの畏敬の念だけは、洋の東西を問わないのではないかと思えてくるのでした。

それは人体を表して、小宇宙と呼ぶようになった現代医療にも結びついてくる表現方法なのかもしれません。

その畏敬の上で、より微細に探求して、害虫を取り除くように異常点を見つけ出して排除していこうとするのか、それとも大きな自然の流れの中で、虫たちが暴れて食い荒らさないように、手入れをマメに行い、調和を図っていこうとするのか。

言葉と病理に関わる歴史物語は、終章で述べられているように、これらの失われつつある苦痛の表現(肩こりも冷えもなくなったわけではないですが)は更なる表現方法への進化を遂げることで、あたかも現代医学への置き換えが困難であることを認めるかのように、あらたな外来語である「ストレス」という言葉に収斂させて片付けようとしているかのようです。

やはり「病は気から」の言葉こそが、すべてを的確に表すマジックワードとして何時までも使い続けられることになるのでしょうか。

人が生き続ける限り、新たな表現と共に次々と現れ、溢れる苦痛への悩みと、苦痛を訴えるその言葉に翻弄されながら、新たにその苦痛を命名し、それを治すことを使命とするお医者さんたちの戦いは、まだまだほんの序盤戦のようです。

 

北アルプスにまつわる自然と人の営みを集めて(大町山岳博物館と4つの分野を跨ぐ特徴的な展示を)

北アルプスにまつわる自然と人の営みを集めて(大町山岳博物館と4つの分野を跨ぐ特徴的な展示を)

New(2015.9.13):本年夏から展示を開始したスバールバルライチョウ飼育舎のご紹介を追加しました。

New(2015.5.26):2004年を最後に飼育を中断していたライチョウの再飼育に向けて、近縁種であるスバールバルライチョウの飼育に着手するため、新たな飼育舎の建設が進んでいます。6月14日には完成披露を兼ねた企画展が予定されています。既に、上野動物園と富山ファミリーパークは次のステップでもあるライチョウの人工飼育に着手することが決定していますが、大町山岳博物館も新たな挑戦が始まるようです。本展示の詳しい内容については、現在開催中の特別展「山博にライチョウがやってくる!山博「ライチョウの里」へ再出発」の企画展ページをご確認ください。

お天気のすぐれないお休みの日。

塩尻まで足を延ばした序に、何時かは行こうと考えていた場所まで更に足を延ばしてみます。

大町山岳博物館外観信濃大町の街を見下ろす山裾に位置する市営の博物館「大町山岳博物館」です。

大町山岳博物館玄関正面玄関には、この博物館のシンボルでもあるニホンカモシカ親子のブロンズ像が据えられています。

美しい木目パネルがはめ込まれた玄関と、落ち着いた外観が印象的なコントラストを見せています。

大町山岳博物館館内1館内は撮影禁止ではありませんでしたので、差し障りのない範囲で。

タペストリー調のメッセージが要所に掲げられています。

大町山岳博物館エレベーター館内のエレベーターはこんな感じで可愛いイラストで彩られています。

館内の順路は、なんといきなり最上階ヘ上がれとの事で、3階に上がります。

大町山岳博物館3階展望台3階はこの博物館のハイライト。北アルプスを一望できる大展望台へとご案内です。

足元には空中撮影した大町と北アルプスの地形が飾られています。

大町山岳博物館3階展望台2展望台の窓には、こちらのようにカメラ用ののぞき窓も用意されています。天気が良ければ、北アルプスの素晴らしいパノラマが約束されているのですが、今日は残念ながら霞んでしまっています。

大町山岳博物館3階展望台と岩石標本そして、こちらが「博物館」であることを雄弁と物語る第一の展示物、北アルプスの大パノラマとして見学者を迎えてくれる峰々で採取された岩石見本が揃えられています。

眺めるだけではなく、山を肌で感じて欲しいとの展示者の想いが伝わってきます。

大町山岳博物館2階岩石標本1その想いは、2階の展示スペースに移るとよりいっそう明確になります。

北アルプスの成り立ちを解説するスペースに展示されている岩石標本たちは、写真撮影どころか「触ってみてください」のプレートが出ているのです。

屋内展示で、こんなオープンな博物館。そんなに多くは無い筈です。

大町山岳博物館2階岩石標本2こちらは中央構造線の解説パネルと岩石標本。こんな場所で、よもやの「白州おしかぶせ断層(地元です)」にお目にかかるとは思いもよりませんでした。こちらの標本ももちろん触ることが出来ます(化石標本すら触って良いのです)。

大町山岳博物館2階岩石標本3メタセコイヤの炭化化石。年輪や炭化した断面をじっくり触らせて頂きました。

大町山岳博物館玄関のはく製この展示者の想いは、地学から次は生物学に移っていきます。

玄関に飾られているはく製。本物のニホンザルとタヌキのはく製に「触ってみてください」と訴えかけています。この後に展示されている展示物への想いを込めて。

大町山岳博物館2階はく製展示12階のメイン展示スペースを占める、野生動物のはく製たち。苦手な方には大変申し訳ないのですが、この博物館の二つ目のポイントは「本物のはく製」で展示している事です。

玄関に飾られているはく製の解説文章にあるように、ここに飾られているはく製たちは不幸にして病気や死亡した野生動物たちを集めてはく製にしたものです。本物に限りなく近い展示物といえるでしょう。

大町山岳博物館2階はく製展示3この博物館のシンボルでもある、ニホンカモシカのはく製。シカとカモシカの違いについて、詳細に解説されています。どちらも同じように見えますが、生態から、そもそも種まで違う事をこの展示で理解して頂けるはずです。

大町山岳博物館付属園のカモシカ博物館の裏手にある付属園では、実際に保護されているニホンカモシカを観ることが出来ます。

更に裏側にはカモシカの生態に合わせて、山腹の急傾斜を利用したゲージも用意されています(実は、このゲージ自体も凄いのです。写真失念…)。

大町山岳博物館2階はく製展示2野生動物のはく製たち。こちらは標高別に飾られており、生態が把握できるように配慮されています。

大町山岳博物館2階はく製展示4水辺の生物のはく製たち。水辺の種類ごとに展示されています。

動物、鳥のはく製は本物なのですが、それ以外はプラスチック製なので落差が…。

大町山岳博物館2階ライチョウ展示1そして、この博物館の三つ目の特徴。はく製コーナー奥の一画にある。ここにしかないであろう、ライチョウの生態解説展示です。

この博物館の来歴をご存知の方なら、なぜ独立したライチョウの展示が行われているのかご存じかと思います。この博物館の付属施設では2004年まで低地でのライチョウの飼育と繁殖が試みられていましたが、残念ながら「継続的な」繁殖には至らず(2015.7.4:記述修正。実際には1886年に5世代目の誕生まで辿り着いたが、その後継続できず)、現在では中止されています。

大町山岳博物館2階ライチョウ展示2そんな苦い過去を持つ、この博物館。その学術的研究の成果の一端がこのような形で展示されています。

しかしながら、各種の報道でご存知かと思いますが、近縁種であるスバールバルライチョウを用いた飼育技術の試行が既に行われており、近い将来再びライチョウの人工ふ化に挑戦する機会が訪れるかもしれません。

大町山岳博物館2階ライチョウ展示3何時か、こんなシーンが当たり前の風景となる事を祈って。この研究には本館以外にも、他の動物園も参加しています。

大町山岳博物館1階山岳展示1触って感じる地質学。実物のはく製が本物の自然に迫り、失わる寸前に辛うじて留まるライチョウの展示が危機を訴える。規模の小さな博物館とは思えない充実の展示物の最後を飾るのは、1階に広がる、この館の表題を表す、登山の歴史を伝えるコーナー。入り口では時代ごとの登山装備が迎えてくれます。

大町山岳博物館1階山岳展示2展示されているのは登山だけではありません。山の暮らしに関わる品々が豊富に展示されています。

雑然とした民俗館と違って、映像を含めて視覚的に訴えてくるような展示を心掛けているようです。

大町山岳博物館1階山岳展示3メインの展示の一つである、信州と越中の峠越しの交流の歴史を紹介するコーナー。古文書や図録が豊富に展示されています。

大町山岳博物館1階山岳展示4昔の山人達が使った狩猟道具。貴重な当時のテグスや毛ばり、カモシカの毛皮で作った道具なども展示されています。

大町山岳博物館1階山岳展示5山小屋での語りを再現した、民俗博物館ではおなじみの展示もあります(笑)。

大町山岳博物館1階山岳展示6鳩便用箋戦前、山小屋での連絡に使われた鳩便用箋と鳩箱。

発信元や、緊急便の指定など、当時を物語る貴重な収蔵品も展示されています。

あ、近代の登山に関する展示もあるのですが、全くの素人なので…。ご興味のある方は是非ご自身の目で確かめてください。

大町山岳博物館前庭より北アルプス夕方になってようやく晴れてきた博物館の前庭より、大町の市街と北アルプスの山々を。

大町山岳博物館資料一地方都市の博物館としては、規模の割にはあまりにも豊富な展示分野を包括する大町山岳博物館。

ちょっとテーマを絞りきれない感もありますが、いずれの分野にも興味がある方(含む自分…)には、大満足の展示ではないでしょうか。

信州の一大観光地でもある安曇野からは少し離れますが、信濃大町の市街からはすぐの場所ですので、白馬方面や黒部アルペンルートにお越しの際にはちょっと寄ってみるのも良いかもしれませんね。

<ここから2015年9月13日の追加分です>

大町山岳博物館付属園正面博物館の裏山に広がる付属園。こちらで本年(2015年)から、ライチョウの再飼育、繁殖を目指した事前準備としての、近縁種スバールバルライチョウの飼育が開始されました。

大町山岳博物館付属園園内案内板付属園正面の解説板。

入り口前の最も良い場所にライチョウ舎が建てられました。

大町山岳博物館付属園新ライチョウ舎全景ライチョウ舎の全景。全部で3つの建物(実際には管理棟も新設されたので4棟)が新設されました。

アクリル?製の透明な窓越しに観察できますが、窓の正面にはロープと、日差しが直接飼育舎に入り込む事を防ぐためにテントが設けられています(脅かさないようにとの注意書きも)。

大町山岳博物館付属園スバールバルライチョウ展示実際の展示風景。このような形で窓越しに観察できます。

コンクリートの壁に空いている穴の向こう側が空調付きの飼育舎に繋がっているようです。

ゲージではなく、コンクリート打ち放しの環境での飼育は、以前のニホンライチョウ飼育時から変わっていないようです。

じっと見つめてしまうと、時々、穴の方に帰って行ってしまいます。

大町山岳博物館付属園スバールバルライチョウ説明板1スバールバルライチョウの解説板。

大町山岳博物館付属園スバールバルライチョウ説明板2飼育の経緯に関する解説板(画像をクリックすると、拡大表示になります)。

上野動物園での初年度の繁殖に向けた飼育は残念ながら実を結びませんでしたが、決して興業でも場当たり的な活動でもなく、このように国を挙げての活動の一端として行われている物です。

その中で、最も長い飼育経験を有し、5世代に渡る繁殖に成功した本館の知見は大変貴重なもの。残念ながら2004年を最後に飼育を中断していますが、今回のスバールバルライチョウ飼育を契機に、きっと次のステップ、ニホンライチョウの低地での繁殖、そしてその先の目標である自然環境への帰還まで実を結ぶと信じて。

スバールバルライチョウ1スバールバルライチョウ2スバールバルライチョウ3スバールバルライチョウ4既に3棟ある飼育舎の全てにスバールバルライチョウが入っている状態です。

いずれ、この飼育舎にニホンライチョウが、そしてこの地で繁殖したペアが飼育されることを強く願って。

 

 

<おまけ>

本ページでご扱っている、類似のテーマもちょっとご紹介します。

 

実りの秋を探しに(中山道塩尻宿と塩尻の葡萄畑)

実りの秋を探しに(中山道塩尻宿と塩尻の葡萄畑)

秋に入って最初の祝日。お天気は今一歩ですが、家で燻っていても気分が落ち込んでくるので、とにかく出かけてみます。

当てもなく出かける場合に、何時も折り返し点に使うのが塩尻。

塩嶺を越えると、八ヶ岳を吹き下ろす風が、南北に長く伸びる松本平を抜ける風に変わっていくためでしょうか、塩尻の広く伸びる丘陵地帯を淡々と車で走っていると、何となく西日本に入ったような感じを何時も受けます。

塩尻宿本陣跡塩尻に抜ける時は、国道の塩嶺峠を抜けずに、やまびこ公園の横を抜けていくことが多いのですが、塩尻の丘陵地帯に入ると、バイパスを抜けていく国道と違って、中山道の塩尻宿跡に合流します。

塩尻宿400年の横断幕旧街道沿いの土蔵の海鼠壁には塩尻の宿場(現塩尻市内には4箇所の宿場があることになります)開設400年を記念した横断幕が張られています。

笑亀の杉玉土蔵の持ち主は、この地の酒蔵でもある亀笑酒造さんです。

すっかり色づいてしまった杉玉も、あと数か月すると新しいものに取り換えられるのでしょうか。

塩尻宿復元高札場復元された高札場(に、見せかけた掲示板)。

一応、当時の定めの現代語訳が掲げられています。宿場内を散策される方はご参考まで。

塩尻宿、重文小野家住居そして、この宿場最大の見物は、先年修復工事が完了した、国指定重要文化財、小野家住宅です。

残念ながら古びて朽ちそうになっている家屋が多い塩尻宿内ですが、此処だけは何とか美し外観を取り戻して、面目を一新しました。

塩尻宿、重文小野家住居拡大外観のアップを。朱に塗られた連子が美しいです。

落ち着いた雰囲気を醸し出す…と、書きたいところですが、旧道とはいえ現役の中山道(こちらも国道)。交通量が非常に多いために、写真撮影もままなりません。

もう少し落ち着いて観たいのですが…ちょっと無理ですね。

JA塩尻とコンビニで買えるナイアガラ歩道もなく、ひんぱんに通行する大型車を避けながら、宿場内にあるJAの広い駐車場へ(ここくらいしか止める場所無いんですよ、本当に)。

実は併設しているコンビニは農産物販売所を兼ねていて、このシーズンですと近隣で収穫されたぶどうをお手頃価格で入手することが出来ます。

塩尻名物のコンコードとナイアガラの甘い香りが車内を満たします。

平出遺跡と蕎麦畑車が頻繁に通る街道を避けて、西に進路を取ると、視界が一気に開けてきます。

丘陵地帯に蕎麦畑、その向こうには名物のぶどう畑が広がる国指定史跡、平出遺跡です。

平出遺跡の葡萄畑1レタス畑の向こうに、伝統的な棚仕立てと、ワイン用ぶどうで用いられる垣根仕立ての葡萄畑の両方が広がる、平出の葡萄畑。双方が仲良く並んでいます。

辺りには甘い香りが広がります。

平出遺跡の葡萄畑2垣根仕立ての葡萄畑。

平出遺跡の葡萄畑3たわわに実った、ワイン用ブドウの房を。垣根仕立ての場合、地上に極めて近いところに房が付きます。

平出遺跡の葡萄畑4こちらは棚仕立ての葡萄畑。

一房ずつに、丁寧に笠がかけられています。緑の芝に、秋のこぼれ日が差し込んでいます。

平出遺跡の葡萄畑5美しく整えられたぶどう棚。清々しい気持ちにさせてくれます。

収穫まであと半月ほど。天候不順だった今年のシーズンも、ここしばらくは安定した天気になっています。どうか、無事に収穫を迎えられることを、そして美味しいワインになってくれることを祈って。

秋の連休は心地の良い日差しの中で(2014/9/13)

9月に入ると秋の祝日シーズンに突入。

今週末は三連休。これまでの崩れ気味の天候を取り返すかのように、良いお天気に恵まれました。

蕎麦の花と甲斐駒遠く甲斐駒を望む圃場に咲く、蕎麦の花を(諏訪郡富士見町先達)。

黄金色の稲穂と南アルプス南アルプスの山並みが伸びる谷筋に、黄金色に色付いた広々とした圃場が広がります。遠くには蕎麦畑も広がります(諏訪郡富士見町先達)。

コスモスと八ヶ岳圃場の一角にはコスモスが植えられています。コスモスと蕎麦畑越しに、ちょっと夏っぽい雲がかかるクリアーな八ヶ岳を望みます(諏訪郡富士見町先達)

黄金色の稲穂の群れ圃場に降りると、たわわに実った稲穂を見ることが出来ます。西日を浴びて眩しく輝きます(諏訪郡富士見町立沢)。

稲穂と八ヶ岳たわわに実る稲穂と八ヶ岳を(諏訪郡富士見町立沢)

八ヶ岳と稲穂の群れ黄金色の稲穂の向こうに蕎麦畑と八ヶ岳を望んで。あと半月もすると、山も色付いてきます(諏訪郡富士見町立沢)。

稲穂の海遠く、車山を望む圃場の夕暮れ。まるで稲穂の海に浮かんでいるようです(茅野市泉野、八ヶ岳エコーライン)。

夕暮れの八ヶ岳と蕎麦畑夕闇迫る八ヶ岳と蕎麦畑。

クリアーな空が徐々に色付き始めていきます(諏訪郡富士見町葛窪)。

黄金色の夕暮れ西日を浴びる圃場の稲穂は、空の輝きを受け止めて黄金色に輝いていきます。

実りの秋の彩が広がります(諏訪郡富士見町先達)。

秋の夕暮れ、諏訪湖夕暮れを迎えた諏訪湖にて。夏至の頃には霧ヶ峰に沈む夕日も、秋分頃には天竜川側に沈んでいきます。

時間はまだ6時前。秋の深まりは急ぎ足でやってきます。