今月の読本(特別編)「御嶽山 静かなる活火山」(木股文昭 信濃毎日新聞社)緊急再版のご案内

今月の読本(特別編)「御嶽山 静かなる活火山」(木股文昭 信濃毎日新聞社)緊急再版のご案内

既に版元在庫なしとなっていた、元:名古屋大学地震火山・防災研究センター教授で、現:東濃地震科学研究所の副首席主任研究員である、木股文昭氏の著作である「御嶽山 静かなる活火山」(信濃毎日新聞社)が急遽再版されることになりました。

信毎のホームページをご覧頂ければと思いますが、11月には各地の書店に入荷すると思われいます。

<信濃毎日新聞社オンラインショップの紹介文追記より>

※2014年9月の噴火を受けた緊急増刷版ですが、本の内容は2010年6月刊行のものです。ただし、帯を新装し、グラビアには2014年の噴火写真、また、巻頭に著者の言葉を追加しました。

—引用ここまで—

(著者は、現在欠品中で緊急増刷中の「緊急報道写真集 2014.9.27 御嶽山噴火」にも寄稿されています)

御嶽山を単独で扱った数少ない書籍の再版実現。このような事故の発生を受けての再版とは大変残念ではありますが、ご興味のある方は、是非ご一読頂きたいと思います。

御嶽山 静かなる活火山

(上記の写真は、私が所蔵する初版本です)

本書が刊行されたのは2010年の6月。まだ東日本大震災も発生しておらず、噴火に関する記述は2007年の噴火自体を直接確認できなかったこと、最後の地震に関する記述は宮城県内陸地震と、その後激変してしまった状況と大きくかい離している部分も見受けられます。

読み手である私自身も、最初に読んだときには、書かれている内容自体に対して、自身の切迫感もなかったこともあり、あまりピンとくるところが無かったのが実感です。むしろ、繰り返し述べられる苦言に、やや食傷気味だったと事を覚えています。

しかしながら、現在の御嶽山で発生している状況について、改めて本書を読みなおしてみると、現在議論となっているほぼすべて点に対してカバーしている事に驚かされます。

まず、研究レベルの話としては、御嶽山自体の活動実態が、実質的に1979年の噴火以降、僅か30年ほどのデータしかないため、全く以て活動の予測が困難であることが挙げられています。更に、地中のマグマの動きが極めて特異であり、他の活火山でのモデルを適用することが難しいこと、また火山活動がマグマとの直接の関係が示唆されるにも関わらず、これまでの噴火ではマグマ起因の噴出物が無いという複雑さを有するため、当時としても火山活動のモデルを構築することが難しかったことが判ります。

更に、噴火モデルを検証するにも、火山活動を詳細に把握するためにも必要となる、最後の頼みの綱である地震計による観測も、気象庁の地震計は僅か1か所(これは現在も同じ)。実際の観測には、大学や県が設置する観測機器にも頼らざるを得ないこという厳しい現実(さらに言えば、2007年の噴火の際にも、長野県が管理する山頂の地震計は使う事が出来ず、今回も停止していたという、同じ問題を抱えてしまった)。特に標高3000mを超える独立峰である御嶽山の場合、モニタリングカメラもかなり長距離から狙わなければならず、常に噴煙を確認できないというジレンマも抱えています。

以上のような観測体制上、データ蓄積上にも課題を抱えながらも実施に移された、警戒レベルの導入について、活動実態の把握が不足しているために、その後の観測の充実が既に求められていましたが、実際には前述のように2007年の小規模噴火や、その後の大震災による見直しも間に合わず、今回の結果となってしまいました。

そのような中でも、これまでの知見で山頂付近で噴火活動が起これば、噴火による生活への影響はほとんどないが、火砕流や土石流が大きな被害をもたらす可能性が実際に把握されており、実際に噴火活動に伴う警戒レベルに応じた対応により、今回の噴火規模(現時点で)では一般生活への影響はほぼ出ておらず、地元への被害は最小限度に留まっています(現在では、観光面での風評被害や他の活火山におけるリスクマネージメントの方が大きくクローズアップされています)。

この点は、1979年の噴火の時と同じく、今回の噴火でも不幸にして登山中の方が撮影された多くの写真や動画が噴火の様子を把握する第一次情報と なってしまったことからも明らかなように、集中型の観測体制における機動力の弱さを露呈してしまった感があります。この機動力の違いに対して、本書の刊行 当時には地元測候所の閉鎖を疑問視していますが、それから4年を経てSNSが大きく普及した現在では、気象庁や関係機関による情報発表の前にSNSで噴火 の情報や登山者による直接の投稿写真が配信されるという、更なるかい離が生じる結果となっています。

本書では、このような後手に回っている観測、監視、情報共有化への対応策として、2007年の噴火事例や、当時活発な噴火活動を起こしていた浅間山の例を取り上げて、ネットによる火山情報の共有化にまで踏み込んだ提起を行っており、その先進性には驚かされるばかりです。

この度の再販を機会に多くの方が本書を手に取られ、研究の最先端に就かれていた方の火山噴火、防災に対する想いを少しでも知る機会が増えることを願ってやみません。

御嶽山噴火緊急写真集

木曽馬の里のシンボルと御嶽山再び、のんびりと木曽駒達と戯れる、穏やかな日々が戻って来る事を願いながら(開田高原、木曽駒の里より御嶽山を遠望。2014年5月)。

<本ページ内の関連リンク>

広告
今月の読本「地方官人たちの古代史」(中村順昭 吉川弘文館)考古史料を下敷きに語る、最初から地方分権だったお役人事情を

今月の読本「地方官人たちの古代史」(中村順昭 吉川弘文館)考古史料を下敷きに語る、最初から地方分権だったお役人事情を

何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」。

地方の山村に居を構えていると、なかなか新刊を入手する事が出来ず、もの凄く気に入ったタイトルでも、購入出来るのは刊行されてから数か月後の時も多々あります(出来るだけ本屋さんで手に取ってから買いたいのです)。

今回の一冊も、翌月刊行の作品が書店に出回る寸前の、東京出張の帰りに漸く購入できた(このタイミングを逃せば、まず半年は入手できなかったはず)ので、周回遅れでのご紹介です。

地方官人たちの古代史地方官人たちの古代史」(中村順昭:著)です。

本書は歴史文化ライブラリーとしても比較的珍しい、律令時代初期を取り扱った一冊。しかもテーマは何時の時代も嫌われ者の官僚(官人)を扱っています。まずは、このマイナーなテーマに光を当てた、版元編集者の方に敬意を表したいと思います。

そして、編集者の叱咤激励もあった事かと思いますが(あとがきによれば)、考古史料の極めて限られた律令時代の時代描写を、苦心されながらも研究者の方としてはぎりぎりの表現で、一般読者に興味を持って読んでもらおうという配慮が感じられる著者の筆致がとてもうれしく思えました。

本書では、当時の官人たちの想いや、巡らせていたであろう知恵や打算の数々を、豊富になりつつあるとはいえ、絶対的に乏しい僅かな史料の断片から、それこそ行間を補うかのように推察していきます。従って、著者の論考や出土された木簡の内容が、当時の状況を全て表している訳でも、代表している訳でもない事を理解する必要があります。

それでも、出土史料と併せて著者の専門分野であった正倉院に残された史料や当時から伝わる資料、書物の内容を照らし合わせていく事で、当時の地方官人たち活躍と、主である中央の権力者、そして身近に仕える国司との関係を鮮やかに再現していきます。当時の制度によって規定された処罰や制度と、彼らの発言を重ね合わせていくと、その生き様は現代を生きる我々と大して変わらないのではないかと思えてしまいます。年貢の横領に踏み倒し、流用による負債の発覚ともみ消し…、何処かで聞いたような話が、この時代でも聞こえてきます。

そんな人間臭い物語も語られていきますが、本書には律令制やその後の歴史を見た場合に重要となる示唆が含まれています。

律令時代の前から使われる言葉、国造・伴造。ミヤツコと呼ばせるはずですが、漢字の意味からすれば、正に「造る」の意。彼ら、大和朝廷の時代から地方の有力者として存在した豪族と呼ばれる人々が、その後の地方官人、すなわち郡司になっていきます。律令時代の国家体制を中央集権国家として教えられることも多いですが、それは中国の話。日本の律令制度は中央から派遣される国司と、その下で働く、実質的な支配機構としての地方豪族から転換した郡司の協調を以て成立していたことを、本書は明確に示していきます。

壬申の乱から天武朝成立までの経緯を見れば判るように、当時の中央政権に全国を集権的に統治する力も、強制的に威令を効かせる軍事力も有していなかったことは明らかかと思います。外圧という形を利用しながらも形式的にも集権国家を成立させるためには、懐柔策としても、実効性を伴わせるための解決策としても、彼ら地方豪族を率先して優遇したことを、史料に基づいて解説していきます。

国司だけでは班田の確認も、収納した租税の中央への進貢もままならず、何を成すにしても、位階を与え、半ば世襲を認めた地方豪族でもある郡司の協力が不可欠。郡司の側も、自らの権益を確実にするためには、中央政府による掣肘策(一円支配の否定を表す複数任命)に対抗するために、中央の権門と結びついたり、時には国司と協調路線を取らざるを得なくなります。そのような、翻弄されつつもしたたかに生きていく地方官人たちの声を、郡司から支配下層に至るまで、可能な限り史料に基づいて描写していきます。その変遷は、不満の緩和や実情に合わせた地位の水平化と、それに伴う権力の下層への移譲という、中央集権とは全く逆の分権主義そのものです。

中央政府との直接的な支配関係はなくとも、位階を有し、仮称でも官位を帯びて中央権門との私的な関係を有することで、権威付けを図る郡司たちのその姿は、そのまま中世の萌芽ともいえる東国、そして西国における武士の勃興に繋がって見えてきます。平将門や藤原純友は確かに中央権門の血筋を引いていたのかもしれません。また、その後の歴史で華々しい活躍を見せる武士たちは、所謂軍事権門と呼ばれるのかもしれません。しかしながら、彼らを養い、戦力となった人々は、平安期に勃興した開発領主などではなく、それ以前から既に充分に地方で勢力を有していた、地方官人の系譜に繋がる事を、著者は示唆します。そして、彼らの争奪の舞台となったのが、京の都や大寺院ではなく、自分たちの活躍の場である国府であることも、むしろ当然の事と言えるかもしれません。

考古史料に依拠して著述を進める本書の内容は、現時点で把握できる範疇での歴史著述。著者はあとがきで、全国で発見が相次いでいる考古史料の新たな発掘により、近い将来に本書を書き換えねばならなくなるであろうことに不安と期待を感じていると述べていますが、考古学に寄り添う古代史の著述では当然のこと。今後の考古学的発見が、新たな知見を呼び、その後の時代の歴史著述にも新たなページが開かれることを期待しながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している、他の歴史文化ライブラリー作品も

少し早い落葉松の黄葉を眺めに八ヶ岳東麓へ(川上村の佐久広瀬と男山を)

10月も最終盤。信州の各地では紅葉のピークを迎えています。紅葉のピークが過ぎると、信州の山々にはもう一つの秋の彩、落葉松の黄葉がやって来ます。

標高1000mを超える八ヶ岳の東麓は既に落葉松の黄葉も見頃。少し先取りして、野辺山方面から落葉松の黄葉を追って。

【各画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます】

野辺山から望む黄葉の八ヶ岳1野辺山の高原地帯に広がる牧草地から、八ヶ岳を望みます。

山裾は落葉松の黄葉で、すっかり色付いてきました。

野辺山から望む黄葉の八ヶ岳2編笠山と権現岳をアップで。

麓のサンメドーズスキー場も綺麗に黄葉が広がっています。

スキー場付近の八ヶ岳横断道路では、恒例の八ヶ岳ロードレースが開催中。

開催前にアップを行うランナーの方が、路上に溢れかえっていました。

野辺山から望む黄葉の八ヶ岳3主峰赤岳と、横岳を。

裾野の落葉松が美しい赤銅色を見せています。

標高の高い場所は、既に葉が落ち、山の地肌が見えるようになってきました。

野辺山の落葉松黄葉芝生の先に広がる、落葉松林。

この時期の野辺山界隈では、お天気さえ良ければどこでもこのような落葉松の黄葉を眺める事が出来ます。

佐久広瀬駅から望む男山野辺山から市場坂を下ってちょっと脇に入り込むと、川上村へ。

小さな峠を越えた先で、いきなり視界が開けてきます。遠くには、特徴的な男山の切り立った山容が遠望できます。

佐久広瀬駅と男山車を降りて、小道を千曲川の河原まで下ると、小海線のレールと、小さなプラットフォームが見えてきます。

秘境駅で名高い、佐久広瀬駅です。

千曲川の河原の向こうに、男山が聳えています。

佐久広瀬駅から望む男山2佐久広瀬駅前から望む、男山の紅葉。

佐久広瀬駅から望む渓谷の紅葉小海線は八ヶ岳の裾野を走る高原ラインといったイメージが強いのですが、市場坂の急坂を避けて川上村の中心部を廻りこんだ小海線は、佐久広瀬の付近から千曲川沿いの渓谷を抜けていきます。

渓谷沿いには綺麗な紅葉が広がっています。

佐久広瀬から望む黄葉する山並み周囲の山々も紅葉の真っ盛り。

色とりどりの装いを見せます。

川平から望む男山1佐久広瀬の駅から少し歩くと、川沿いに開けた場所にある小さな集落、川平集落に到着します。

隣の広瀬の集落が、まるで山裾にしがみつくように寄り添っているのに対して、こちらの川平集落は千曲川の瀬の部分。川沿いには水田も見る事が出来ます。

集落の正面から、黄葉した落葉松を従えた男山の威容に見下ろされます。

川平から望む男山2紅葉のピークを迎えた、男山の威容を。

川上村・埋沢大橋から望む天狗岳と男山男山をぐるっと廻りこんで、川上村の中心部へ。

村を見下ろす埋沢大橋から、綺麗に黄葉した男山と天狗岳のコンビを眺める事が出来ます。

川上村・埋沢大橋から望む男山の紅葉裏側から望む、男山の紅葉。

川上村から望む黄葉の女山1男山もあれば、もちろん女山もあります。

山裾にびっしりと黄葉する落葉松林を従える女山。

川上村から望む黄葉の女山こちらは優しい山並みが、懐深く広がる女山。

川上大橋から望む黄葉する男山川上大橋から望む男山の山並み。

遥か彼方まで、落葉松の黄葉が広がります。

川上大橋から望む渓谷の紅葉川上大橋の上流側を覗くと、川筋に伸びる日差しを浴びた紅葉が輝いています。

落葉松の黄葉と高原野菜遠く広がる落葉松林を望む高原野菜の畑。晴天のように見えますが、山の天気は変わりやすいもの。この時既に八ヶ岳は雲の中。

30分もすると、辺りはどんよりとした曇り空になってしまいました。

冬を迎えるまでの最後のひと時。落葉松の黄葉が終わればもう冬間近。この野菜が収穫される頃には、早くも八ヶ岳は雪化粧を始める事でしょう。

終盤を迎えた、奥蓼科・御射鹿池の落葉松黄葉を(2014/10/25)

>御射鹿池の四季の彩りはこちらにて。

秋晴れとなった八ヶ岳南麓。

こんな時に奥蓼科に行くと、美しい落葉松の黄葉が楽しめるのですが、TVなどでも取り上げられるようになって、すっかり有名になった御射鹿池を通過しなければならないのでかなり憂鬱。アプローチの道路は路上駐車の嵐で、ピーク時には通過するのも大変な状況がここ数年続いています。

そんな訳で、落葉松の黄葉の具合を確認するために、日中を避けて、夕暮れぎりぎりになってから向かいます。

【各画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます】

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_2夕暮れの御射鹿池。

流石にこの時間になると、観光客の方も若干ながらも減ってきます(それでも常時2~30人ほど…)。この時間帯になれば、無理に路上駐車しなくても、充分に駐車場に空きがあります。

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_3夕日を受けて、周囲の落葉松林も黄金色に輝きます。落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_6足早に夕暮れを迎える、秋の短い西日は既に傾き、湖面に映る水面には影が落ちています。

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_5山並と雲間に挟まれるように日差しが落ちて、しっとりとした色合いを見せる御射鹿池の落葉松の黄葉。落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_4ピークを迎えた落葉松の黄葉と、既に落葉して白々とした枝ぶりを見せる木々が織りなすコントラストを。

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_7山並と雲間に隠れそうになった細い夕暮れの日差しが、ほんの少し戻ってきました。落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_1最後の夕暮れの日差しを受けて黄金色に輝く御射鹿池の落葉松の黄葉を。

御射鹿池付近の落葉松の黄葉も既にピーク。

もう暫くすると、湖畔は赤銅色に染まる、重厚とした色合いの濃い冬の落葉松林の風景に移っていきます。

 

落葉松の黄葉を山裾に染める、秋空の八ヶ岳山麓を(2014/10/25)

気持ちの良い秋晴れとなった週末の土曜日。

空は青く晴れ渡り、紅葉もいよいよ里に下りてきました。

青空が広がる午後、足繁く通っている八ヶ岳西麓をのんびりとお散歩します。

【各画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます】

黄葉する八ヶ岳の裾1青空の下、落葉松の黄葉が八ヶ岳の裾を染めています(茅野市泉野)。

山の高い場所は、すっかり紅葉が終わって冬の装いに移りつつあります。

まるやち湖から八ヶ岳連峰を1原村にある、八ヶ岳自然文化園の、まるやち湖から眺める八ヶ岳の山並み。

水面に移る紅葉と八ヶ岳を楽しみたかったのですが…、何と工事中で水が抜かれてしまっていました。

残念そうにお帰りになる観光客の方、多数。

まるやち湖から八ヶ岳連峰を2白樺林越しに望む八ヶ岳。白樺は既に落葉して、山並がはっきり見えるようになっています。

黄葉する八ヶ岳の裾2八ヶ岳の懐近くまで寄ってみると、落葉松の黄葉が目の前まで下ってきています。

観音平の黄葉する山並み

観音平の落葉松2では、落葉松の黄葉を追って山の中へ。

標高1600mを越えてくると、落葉松の黄葉はピークを迎えています。

観音平の落葉松1青空の下に広がる、落葉松の黄葉。

落葉松の木立に輝く紅葉落葉松林の中で輝く紅葉する木を。

秋の観音平から富士山南八ヶ岳の登山口、観音平に到着です。

青空の向こうに、既に雪をかぶる富士山が遠望できます。

秋の観音平から南アルプスこちらは南アルプスを遠望。

うっすらと雲海がたなびいています。周囲は落葉松の黄葉と緑を湛える針葉樹たちに囲まれます。

もう秋も終盤戦です。

赤く燃える夕焼け麓に下った夕暮れ。赤銅色に雲を染める夕日が西の空を焦がします。

明日から天気は下り坂。一雨ごとに落葉松の黄葉は色を濃くしていきます。

 

今月の読本「ウェストンが来る前から、山はそこにあった」(菊池俊郎 信濃毎日新聞社)杯片手に気軽に読みたい、信州の山々をつまみにした岳人たちの飲み屋話を

今月の読本「ウェストンが来る前から、山はそこにあった」(菊池俊郎 信濃毎日新聞社)杯片手に気軽に読みたい、信州の山々をつまみにした岳人たちの飲み屋話を

全国的に出版社や書店の廃業が続く中、地方ではありますが頑張って面白い書籍を出し続けている版元さんも、まだまだいらっしゃいます。その中でも、全国的に見ても読書人口に恵まれているのでしょうか、長野県にはその人口規模に似合わず、郷土に立脚した出版物を手掛ける版元さんが今でも複数社活躍されています。

長野の郷土出版社の筆頭に挙げられるのは、地元地方紙の雄でもある信濃毎日新聞社。全国規模で展開する大手出版社の作品をも上回る優れた企画力と、丁寧な編集。価格を抑えながらも綺麗な装丁で仕上げられた刊行物の数々は、読んで楽しく、手にとっても満足という、嬉しいラインナップが多数揃っています。

そんな信濃毎日新聞社が昨年ごろより始めた新企画が「信毎選書」。所謂選書シリーズと同じ版型を用いて、以前刊行されていた書籍の復刻版や単著としては扱いにくい内容のテーマを比較的安価に提供するという、大手出版社顔負けの刊行形態を地方出版社が手掛ける珍しいケースかと思います。

既にシリーズは十数冊を数えていますが、今回はこの中から描き下ろしとなる、それも信州らしいテーマに拘った一冊のご紹介です。

ウェストンが来る前から、山はそこにあったウェストンが来る前から、山はそこにあった」(菊池俊郎・信濃毎日新聞社)です。

著者の菊池俊郎氏は信濃毎日新聞社の元記者であり、写真に載せています、信濃毎日新聞社が誇る山岳写真集シリーズの一冊でもあり、圧巻の写真が畏敬の念すら感じさせる「北アルプスの渓谷をゆく」の解説文も担当されています。この写真集、余りの美しさと渓谷の厳しさに目を奪われるのですが、同時に菊池氏の歯切れの良い、かつ常に批評的視線を忘れない、元新聞記者の方らしい筆致が極めて印象的でした。

そんな著者の手により、あとがきにもあるように、山で一緒になった方々との呑みを含めた雑談の中から生まれたのがこの一冊。インパクトを与えようとして、やや挑戦的な表題を掲げていらっしゃいますが、ざっくばらんに書かれた本書の中で表題にあるウェストンの話題が出てくるのは全体の1~2割程度。決して本書の中核をなす話題として取り上げられているわけではありません。また、著者も繰り返し述べていますが、突っ込んだ議論を求めているわけではなく、信州に暮らす岳人の一人として、信州の登山に関する話題に対する疑問点を投げかけることで、東京中心、有名人の伝記中心の所謂ステレオタイプに対して一石を投じたいという想いで書かれており、目くじら立てずに、著者が雑談していた状況そのままに、軽く一杯傾けながら読むのがよさそうです。

そんな気軽に読みたい一冊ですが、冒頭から3章辺りまでは、素面で読んだ方がよさそうです。

信州の学生にとっては忘れられないであろう学校登山の経緯と変遷や、歴史に埋もれつつある峠を通じた他県(時代的には他国ですね)との交流、そして開山伝記の検証など、山を通じた生活という視線で見ると興味深い話が満載です。特に、学校登山の悲劇的な側面として取り上げられる西駒遭難事件について、映画で象徴的に取り上げられる、薪として燃やされてしまったことになっていた、山小屋の屋根(子供の時にテレビで見て以降、このシーンはトラウマになっています)が実は新田次郎の創作であり、資材運搬の限界で、当時の高山帯に位置する山小屋に屋根が無いのは当たり前、自分たちで持ち込んだ筵やコートで仮設の屋根を作るのが当然の事であったという著者の記述に、驚愕したと同時に、映画や作家の著作はフィクションであり、実際と異なっているという事実を改めて本書を通じて見つめ直させられたのでした。

そのような地元ならではの視点による山の物語への批評は、中盤戦に入ると表題に現れるウェストンを始め、明治以降の山の物語で欠かすことのできない人物の批評が繰り広げられます。内容は極めて興味深く、じっくりと改めて見つめ直してみたくもなりますが、如何せん前述のように批評精神旺盛な元新聞記者の方による筆致。この辺りからは批判の内容に耳を傾けながら、杯も一緒に傾けながら聞き入った方がよさそうです。

人物評に挟まれるように、地元に住んでなければ知る由もない、入会や財産区、水利権といった山にまつわる利権関係の複雑さを物語るちょっと真面目なお話も出てきますが(諏訪の一大観光スポットである霧ヶ峰や蓼科山中の殆どは「財産区」が管理する共有地。かの有名な白樺湖に蓼科湖、あの御射鹿池も、地元財産区が所有する「農業用ため池」だったりするのです)、基本的には楽しみながら読みたい内容が続きます。特に、登山の歴史や登山ガイドに興味のある方には貴重なお話が満載です。

最後の方になると、内容も筆致も完全に酔いつぶれ気味。山にまつわるよもやま話は信州を飛び出して、四方八方に飛び散っていきますが、それも飲み屋話の醍醐味。

ちょっと笑える話題から、固い話も少々きつい批評も交えながら脱線し続ける、信州を中心にした山々に関する話題を酒の肴に、ほろ酔い気分で楽しみたい一冊です。

<おまけ>

本ページで扱っている、信濃毎日新聞社の刊行物および、同じようなテーマからいくつかをご紹介。

今月の読本「森と日本人の1500年」(田中淳夫 平凡社新書)「森林学」教養課程から眺める美しい森への道程

今月の読本「森と日本人の1500年」(田中淳夫 平凡社新書)「森林学」教養課程から眺める美しい森への道程

追記(2014.10.31):著者の方が、本書の解説記事を公開されていらっしゃいます。

あてにならない下記文章をご覧頂くより、こちらをご覧頂ければと思います(直接のご指摘、誠にありがとうございました)。

上記ページでは、著者の他の著作を含めて、序文および、目次を見る事が出来ます。

 

今回ご紹介する一冊は、いつもご紹介する歴史や生き物の本とはちょっと違うラインの本をご紹介します。

山懐に近い場所に住んでいると、切っても切り離せない森林。その森林をテーマに本邦唯一とも称されるジャーナリスト活動を行っていらっしゃる著者の最新作からのご紹介です。

森と日本人の1500年森と日本人の1500年」(田中淳夫・平凡社新書)です。

本書は表題にありますように、日本の森林に関する歴史を叙述しているように見えますが、実は多少異なります。

実際には、本書では森の話=林業の話と置き換えて理解する必要があります。

こんな風に書くと、日本は世界有数の天然林の宝庫なんじゃないですか?里山の自然や山中に広がる天然林の更新に関する解説書じゃないんですかと、疑問をぶつけられてしまいますが、この認識に対するかい離の補正から本書はスタートしていきます。

日本には天然林なんて殆ど無い事、そして皆さんが写真や映像、そして散策、登山で見かける森林の殆どが実質的に明治以降(もっと言えば戦後でしょうか)に再構築された人工林の変化の途上である事を解説していきます。その過程において、日本の森林は常に人手が加えられ続けられていた事=林業の存在を知ることになります。

従って、森林そのものの役割や自然科学的な成立のお話を期待されている方には、残念ながら語られる内容がかなり異なることを理解する必要があるかと思います。その上で、本書は林業とそれに関わる森林の変化の過程について明治維新を境界線として、それ以前とそれ以後という、大きく二つのセクションに分けて解説していきます。

明治維新以前の林業の話は、史料的な制約もあってごく限られた内容に終始します。したがって、歴史的な林業の形態や所謂「江戸時代は日本中はげ山だった」という話の詳細は本書ではあまり語られません。むしろ、本書は明治維新以降の新政府の林業政策、主にドイツからもたらされた林業論と日本での咀嚼と適用、そして著者のフィールドでもある吉野林業に関わるテーマに多くのページを割いています。

本書が最も力を入れて書いている明治維新以降の林業と林学ですが、この部分については若干理解に苦労を要する個所でもあります。登場する人物や林学のテーマ、特に景観論や人工林の更新に関する手法の記述について、著者にとっては当然の事実なのですが、一般的には無名もしくは、殆ど知られていない内容と思われるにも関わらず、既知の事として叙述を進めている感があります。この部分での置き去り感はかなり強く感じる点で、一般書にもかかわらず、著者の著作を複数読まれている方、ないしは当該知識を習得することを前提にした方へ向けて書かれている「教科書的な」筆致が感じられます。

そのような専門的かつ、やや一方通行的な著述が続く中盤ですが、最後の章に入ると一変して、新聞等でも話題に上る、現代の森に関する様々な取り組みの話に展開してきます。本書を読まれる方が最も興味を持たれる部分かも知れません。

そこには、最新の森にまつわる活動や新たな森の活用法など、森そのもののハード面より利用法、活用法といったソフトウェアに関わる事例が述べられていきます。昨今盛り上がりを見せるテーマではありますが、そこはジャーナリストの矜持として、決してバラ色の未来ではない事を明確に述べていきます。ボランティア活動の限界についても、国産材の普及も掛け声とは裏腹に、絶望的な問題点がある事を示していきます。

その中でも、著者はバラ色ではなくても、現在よりも少しでも良い形になる方策はないのかと自問してきます。その実例として、著者があとがきで述べている自らの土地で手掛けている森作りという実験的実証とともに、「美しい森づくり」という言葉を用いて、理想的な人工林の姿を模索していきます。それは、前述のヨーロッパから伝来した林学の最新形態かもしれません。むしろ、明治以降最近まで継続していた里山の管理手法なのかもしれません。

どちらにしても、その森は自然の力を借りながらも人手によって作り変えられ続けるもの。本書はちょっとロマンチシズムも加わった、これから「美しい森」を作り、育むことを目指す方々への、事前学習としての一冊なのかもしれません。

なお、本書を手に取られる方で、森林の自然科学に対するもう一方のテーマとして、環境問題の一分野としての森林破壊や、野生動物による食害、防災の観点等での日本の森の歴史を語る本と捉えられる方もいらっしゃるかと思いますが、本書ではそれらに類するテーマは実質的に取り扱わない方向で編纂されているようです(ボルネオ等、海外の事例は引用されています)。

<おまけ>

本書は所謂ガイダンス本として捉えるべき内容ですので、個別の章に関してご興味がある方へ、近著で数冊ご紹介します。

  • 日本の森林の歴史や、森林の防災面の効用、課題などにご興味がある方には、「森林飽和」(太田猛彦・NHKブックス)がお勧めです。明治以前の日本の山林は丸裸だったという議論に驚かれる方も多いかと思いますし、防災面における植林の問題点も非常によく判ると思います
  • 江戸時代までの林業の実態について、森林管理という点を含めて広範な内容を解説しているのが「森林の江戸学」(徳川林政史研究所編・東京堂出版)です。吉野林業を主たるテーマとしている著者は、本文中でその実施に疑問を呈していますが、名古屋藩徳川家が管轄していた木曽の林業の姿や販売、山村での生活まで、極めて丁寧に解説されています。ちなみに、何故か道の駅、遠山郷でも本書は売ってたりします
  • 本書でも語られている東大寺の大仏殿の再建。何故遠く九州や山口県まで用材の調達を行う必要があったのか、勧進聖の苦労と限界、時の為政者によってのみ大規模木造建築が築造できることを本書を読んで頂くと判ると思います。東大寺管長であり、昭和の大修理にも携わった当事者が、歴代の東大寺大仏、大仏殿建立にまつわる物語を語る「大佛勧進ものがたり」(平岡定海・吉川弘文館)
  • 最終章の最新の林業、森にまつわる話題に興味がある方には、こちらを読まれるとより一層思い入れが深まるかと思います。実際に森に関わる仕事に就かれている方へのインタビューを、同じように森を活用したビジネス、研究を行われている方が行って一冊に纏めた「森ではたらく!27人の27の仕事」(古川大輔、山崎亮編著・学芸出版社)
  • 残念ながら著者が最も力を入れて書かれている、明治から戦前期にかけての林学や林業の記述に関する補足すべき本を持ち合わせていません。著者の作品からセレクトするのが最も良いかと思いますが「森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯」(洋泉社)はどうやら絶版のようで、何らかよい本が無いものかと…

森と日本人の1500年と参考図書春日渓谷の紅葉20141012_2