今月の読本(特別編)「御嶽山 静かなる活火山」(木股文昭 信濃毎日新聞社)緊急再版のご案内

今月の読本(特別編)「御嶽山 静かなる活火山」(木股文昭 信濃毎日新聞社)緊急再版のご案内

既に版元在庫なしとなっていた、元:名古屋大学地震火山・防災研究センター教授で、現:東濃地震科学研究所の副首席主任研究員である、木股文昭氏の著作である「御嶽山 静かなる活火山」(信濃毎日新聞社)が急遽再版されることになりました。

信毎のホームページをご覧頂ければと思いますが、11月には各地の書店に入荷すると思われいます。

<信濃毎日新聞社オンラインショップの紹介文追記より>

※2014年9月の噴火を受けた緊急増刷版ですが、本の内容は2010年6月刊行のものです。ただし、帯を新装し、グラビアには2014年の噴火写真、また、巻頭に著者の言葉を追加しました。

—引用ここまで—

(著者は、現在欠品中で緊急増刷中の「緊急報道写真集 2014.9.27 御嶽山噴火」にも寄稿されています)

御嶽山を単独で扱った数少ない書籍の再版実現。このような事故の発生を受けての再版とは大変残念ではありますが、ご興味のある方は、是非ご一読頂きたいと思います。

御嶽山 静かなる活火山

(上記の写真は、私が所蔵する初版本です)

本書が刊行されたのは2010年の6月。まだ東日本大震災も発生しておらず、噴火に関する記述は2007年の噴火自体を直接確認できなかったこと、最後の地震に関する記述は宮城県内陸地震と、その後激変してしまった状況と大きくかい離している部分も見受けられます。

読み手である私自身も、最初に読んだときには、書かれている内容自体に対して、自身の切迫感もなかったこともあり、あまりピンとくるところが無かったのが実感です。むしろ、繰り返し述べられる苦言に、やや食傷気味だったと事を覚えています。

しかしながら、現在の御嶽山で発生している状況について、改めて本書を読みなおしてみると、現在議論となっているほぼすべて点に対してカバーしている事に驚かされます。

まず、研究レベルの話としては、御嶽山自体の活動実態が、実質的に1979年の噴火以降、僅か30年ほどのデータしかないため、全く以て活動の予測が困難であることが挙げられています。更に、地中のマグマの動きが極めて特異であり、他の活火山でのモデルを適用することが難しいこと、また火山活動がマグマとの直接の関係が示唆されるにも関わらず、これまでの噴火ではマグマ起因の噴出物が無いという複雑さを有するため、当時としても火山活動のモデルを構築することが難しかったことが判ります。

更に、噴火モデルを検証するにも、火山活動を詳細に把握するためにも必要となる、最後の頼みの綱である地震計による観測も、気象庁の地震計は僅か1か所(これは現在も同じ)。実際の観測には、大学や県が設置する観測機器にも頼らざるを得ないこという厳しい現実(さらに言えば、2007年の噴火の際にも、長野県が管理する山頂の地震計は使う事が出来ず、今回も停止していたという、同じ問題を抱えてしまった)。特に標高3000mを超える独立峰である御嶽山の場合、モニタリングカメラもかなり長距離から狙わなければならず、常に噴煙を確認できないというジレンマも抱えています。

以上のような観測体制上、データ蓄積上にも課題を抱えながらも実施に移された、警戒レベルの導入について、活動実態の把握が不足しているために、その後の観測の充実が既に求められていましたが、実際には前述のように2007年の小規模噴火や、その後の大震災による見直しも間に合わず、今回の結果となってしまいました。

そのような中でも、これまでの知見で山頂付近で噴火活動が起これば、噴火による生活への影響はほとんどないが、火砕流や土石流が大きな被害をもたらす可能性が実際に把握されており、実際に噴火活動に伴う警戒レベルに応じた対応により、今回の噴火規模(現時点で)では一般生活への影響はほぼ出ておらず、地元への被害は最小限度に留まっています(現在では、観光面での風評被害や他の活火山におけるリスクマネージメントの方が大きくクローズアップされています)。

この点は、1979年の噴火の時と同じく、今回の噴火でも不幸にして登山中の方が撮影された多くの写真や動画が噴火の様子を把握する第一次情報と なってしまったことからも明らかなように、集中型の観測体制における機動力の弱さを露呈してしまった感があります。この機動力の違いに対して、本書の刊行 当時には地元測候所の閉鎖を疑問視していますが、それから4年を経てSNSが大きく普及した現在では、気象庁や関係機関による情報発表の前にSNSで噴火 の情報や登山者による直接の投稿写真が配信されるという、更なるかい離が生じる結果となっています。

本書では、このような後手に回っている観測、監視、情報共有化への対応策として、2007年の噴火事例や、当時活発な噴火活動を起こしていた浅間山の例を取り上げて、ネットによる火山情報の共有化にまで踏み込んだ提起を行っており、その先進性には驚かされるばかりです。

この度の再販を機会に多くの方が本書を手に取られ、研究の最先端に就かれていた方の火山噴火、防災に対する想いを少しでも知る機会が増えることを願ってやみません。

御嶽山噴火緊急写真集

木曽馬の里のシンボルと御嶽山再び、のんびりと木曽駒達と戯れる、穏やかな日々が戻って来る事を願いながら(開田高原、木曽駒の里より御嶽山を遠望。2014年5月)。

<本ページ内の関連リンク>

今月の読本「地方官人たちの古代史」(中村順昭 吉川弘文館)考古史料を下敷きに語る、最初から地方分権だったお役人事情を

今月の読本「地方官人たちの古代史」(中村順昭 吉川弘文館)考古史料を下敷きに語る、最初から地方分権だったお役人事情を

何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」。

地方の山村に居を構えていると、なかなか新刊を入手する事が出来ず、もの凄く気に入ったタイトルでも、購入出来るのは刊行されてから数か月後の時も多々あります(出来るだけ本屋さんで手に取ってから買いたいのです)。

今回の一冊も、翌月刊行の作品が書店に出回る寸前の、東京出張の帰りに漸く購入できた(このタイミングを逃せば、まず半年は入手できなかったはず)ので、周回遅れでのご紹介です。

地方官人たちの古代史地方官人たちの古代史」(中村順昭:著)です。

本書は歴史文化ライブラリーとしても比較的珍しい、律令時代初期を取り扱った一冊。しかもテーマは何時の時代も嫌われ者の官僚(官人)を扱っています。まずは、このマイナーなテーマに光を当てた、版元編集者の方に敬意を表したいと思います。

そして、編集者の叱咤激励もあった事かと思いますが(あとがきによれば)、考古史料の極めて限られた律令時代の時代描写を、苦心されながらも研究者の方としてはぎりぎりの表現で、一般読者に興味を持って読んでもらおうという配慮が感じられる著者の筆致がとてもうれしく思えました。

本書では、当時の官人たちの想いや、巡らせていたであろう知恵や打算の数々を、豊富になりつつあるとはいえ、絶対的に乏しい僅かな史料の断片から、それこそ行間を補うかのように推察していきます。従って、著者の論考や出土された木簡の内容が、当時の状況を全て表している訳でも、代表している訳でもない事を理解する必要があります。

それでも、出土史料と併せて著者の専門分野であった正倉院に残された史料や当時から伝わる資料、書物の内容を照らし合わせていく事で、当時の地方官人たち活躍と、主である中央の権力者、そして身近に仕える国司との関係を鮮やかに再現していきます。当時の制度によって規定された処罰や制度と、彼らの発言を重ね合わせていくと、その生き様は現代を生きる我々と大して変わらないのではないかと思えてしまいます。年貢の横領に踏み倒し、流用による負債の発覚ともみ消し…、何処かで聞いたような話が、この時代でも聞こえてきます。

そんな人間臭い物語も語られていきますが、本書には律令制やその後の歴史を見た場合に重要となる示唆が含まれています。

律令時代の前から使われる言葉、国造・伴造。ミヤツコと呼ばせるはずですが、漢字の意味からすれば、正に「造る」の意。彼ら、大和朝廷の時代から地方の有力者として存在した豪族と呼ばれる人々が、その後の地方官人、すなわち郡司になっていきます。律令時代の国家体制を中央集権国家として教えられることも多いですが、それは中国の話。日本の律令制度は中央から派遣される国司と、その下で働く、実質的な支配機構としての地方豪族から転換した郡司の協調を以て成立していたことを、本書は明確に示していきます。

壬申の乱から天武朝成立までの経緯を見れば判るように、当時の中央政権に全国を集権的に統治する力も、強制的に威令を効かせる軍事力も有していなかったことは明らかかと思います。外圧という形を利用しながらも形式的にも集権国家を成立させるためには、懐柔策としても、実効性を伴わせるための解決策としても、彼ら地方豪族を率先して優遇したことを、史料に基づいて解説していきます。

国司だけでは班田の確認も、収納した租税の中央への進貢もままならず、何を成すにしても、位階を与え、半ば世襲を認めた地方豪族でもある郡司の協力が不可欠。郡司の側も、自らの権益を確実にするためには、中央政府による掣肘策(一円支配の否定を表す複数任命)に対抗するために、中央の権門と結びついたり、時には国司と協調路線を取らざるを得なくなります。そのような、翻弄されつつもしたたかに生きていく地方官人たちの声を、郡司から支配下層に至るまで、可能な限り史料に基づいて描写していきます。その変遷は、不満の緩和や実情に合わせた地位の水平化と、それに伴う権力の下層への移譲という、中央集権とは全く逆の分権主義そのものです。

中央政府との直接的な支配関係はなくとも、位階を有し、仮称でも官位を帯びて中央権門との私的な関係を有することで、権威付けを図る郡司たちのその姿は、そのまま中世の萌芽ともいえる東国、そして西国における武士の勃興に繋がって見えてきます。平将門や藤原純友は確かに中央権門の血筋を引いていたのかもしれません。また、その後の歴史で華々しい活躍を見せる武士たちは、所謂軍事権門と呼ばれるのかもしれません。しかしながら、彼らを養い、戦力となった人々は、平安期に勃興した開発領主などではなく、それ以前から既に充分に地方で勢力を有していた、地方官人の系譜に繋がる事を、著者は示唆します。そして、彼らの争奪の舞台となったのが、京の都や大寺院ではなく、自分たちの活躍の場である国府であることも、むしろ当然の事と言えるかもしれません。

考古史料に依拠して著述を進める本書の内容は、現時点で把握できる範疇での歴史著述。著者はあとがきで、全国で発見が相次いでいる考古史料の新たな発掘により、近い将来に本書を書き換えねばならなくなるであろうことに不安と期待を感じていると述べていますが、考古学に寄り添う古代史の著述では当然のこと。今後の考古学的発見が、新たな知見を呼び、その後の時代の歴史著述にも新たなページが開かれることを期待しながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している、他の歴史文化ライブラリー作品も

少し早い落葉松の黄葉を眺めに八ヶ岳東麓へ(川上村の佐久広瀬と男山を)

10月も最終盤。信州の各地では紅葉のピークを迎えています。紅葉のピークが過ぎると、信州の山々にはもう一つの秋の彩、落葉松の黄葉がやって来ます。

標高1000mを超える八ヶ岳の東麓は既に落葉松の黄葉も見頃。少し先取りして、野辺山方面から落葉松の黄葉を追って。

【各画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます】

野辺山から望む黄葉の八ヶ岳1野辺山の高原地帯に広がる牧草地から、八ヶ岳を望みます。

山裾は落葉松の黄葉で、すっかり色付いてきました。

野辺山から望む黄葉の八ヶ岳2編笠山と権現岳をアップで。

麓のサンメドーズスキー場も綺麗に黄葉が広がっています。

スキー場付近の八ヶ岳横断道路では、恒例の八ヶ岳ロードレースが開催中。

開催前にアップを行うランナーの方が、路上に溢れかえっていました。

野辺山から望む黄葉の八ヶ岳3主峰赤岳と、横岳を。

裾野の落葉松が美しい赤銅色を見せています。

標高の高い場所は、既に葉が落ち、山の地肌が見えるようになってきました。

野辺山の落葉松黄葉芝生の先に広がる、落葉松林。

この時期の野辺山界隈では、お天気さえ良ければどこでもこのような落葉松の黄葉を眺める事が出来ます。

佐久広瀬駅から望む男山野辺山から市場坂を下ってちょっと脇に入り込むと、川上村へ。

小さな峠を越えた先で、いきなり視界が開けてきます。遠くには、特徴的な男山の切り立った山容が遠望できます。

佐久広瀬駅と男山車を降りて、小道を千曲川の河原まで下ると、小海線のレールと、小さなプラットフォームが見えてきます。

秘境駅で名高い、佐久広瀬駅です。

千曲川の河原の向こうに、男山が聳えています。

佐久広瀬駅から望む男山2佐久広瀬駅前から望む、男山の紅葉。

佐久広瀬駅から望む渓谷の紅葉小海線は八ヶ岳の裾野を走る高原ラインといったイメージが強いのですが、市場坂の急坂を避けて川上村の中心部を廻りこんだ小海線は、佐久広瀬の付近から千曲川沿いの渓谷を抜けていきます。

渓谷沿いには綺麗な紅葉が広がっています。

佐久広瀬から望む黄葉する山並み周囲の山々も紅葉の真っ盛り。

色とりどりの装いを見せます。

川平から望む男山1佐久広瀬の駅から少し歩くと、川沿いに開けた場所にある小さな集落、川平集落に到着します。

隣の広瀬の集落が、まるで山裾にしがみつくように寄り添っているのに対して、こちらの川平集落は千曲川の瀬の部分。川沿いには水田も見る事が出来ます。

集落の正面から、黄葉した落葉松を従えた男山の威容に見下ろされます。

川平から望む男山2紅葉のピークを迎えた、男山の威容を。

川上村・埋沢大橋から望む天狗岳と男山男山をぐるっと廻りこんで、川上村の中心部へ。

村を見下ろす埋沢大橋から、綺麗に黄葉した男山と天狗岳のコンビを眺める事が出来ます。

川上村・埋沢大橋から望む男山の紅葉裏側から望む、男山の紅葉。

川上村から望む黄葉の女山1男山もあれば、もちろん女山もあります。

山裾にびっしりと黄葉する落葉松林を従える女山。

川上村から望む黄葉の女山こちらは優しい山並みが、懐深く広がる女山。

川上大橋から望む黄葉する男山川上大橋から望む男山の山並み。

遥か彼方まで、落葉松の黄葉が広がります。

川上大橋から望む渓谷の紅葉川上大橋の上流側を覗くと、川筋に伸びる日差しを浴びた紅葉が輝いています。

落葉松の黄葉と高原野菜遠く広がる落葉松林を望む高原野菜の畑。晴天のように見えますが、山の天気は変わりやすいもの。この時既に八ヶ岳は雲の中。

30分もすると、辺りはどんよりとした曇り空になってしまいました。

冬を迎えるまでの最後のひと時。落葉松の黄葉が終わればもう冬間近。この野菜が収穫される頃には、早くも八ヶ岳は雪化粧を始める事でしょう。

終盤を迎えた、奥蓼科・御射鹿池の落葉松黄葉を(2014/10/25)

>御射鹿池の四季の彩りはこちらにて。

秋晴れとなった八ヶ岳南麓。

こんな時に奥蓼科に行くと、美しい落葉松の黄葉が楽しめるのですが、TVなどでも取り上げられるようになって、すっかり有名になった御射鹿池を通過しなければならないのでかなり憂鬱。アプローチの道路は路上駐車の嵐で、ピーク時には通過するのも大変な状況がここ数年続いています。

そんな訳で、落葉松の黄葉の具合を確認するために、日中を避けて、夕暮れぎりぎりになってから向かいます。

【各画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます】

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_2夕暮れの御射鹿池。

流石にこの時間になると、観光客の方も若干ながらも減ってきます(それでも常時2~30人ほど…)。この時間帯になれば、無理に路上駐車しなくても、充分に駐車場に空きがあります。

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_3夕日を受けて、周囲の落葉松林も黄金色に輝きます。落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_6足早に夕暮れを迎える、秋の短い西日は既に傾き、湖面に映る水面には影が落ちています。

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_5山並と雲間に挟まれるように日差しが落ちて、しっとりとした色合いを見せる御射鹿池の落葉松の黄葉。落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_4ピークを迎えた落葉松の黄葉と、既に落葉して白々とした枝ぶりを見せる木々が織りなすコントラストを。

落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_7山並と雲間に隠れそうになった細い夕暮れの日差しが、ほんの少し戻ってきました。落葉松の黄葉と御射鹿池20141025_1最後の夕暮れの日差しを受けて黄金色に輝く御射鹿池の落葉松の黄葉を。

御射鹿池付近の落葉松の黄葉も既にピーク。

もう暫くすると、湖畔は赤銅色に染まる、重厚とした色合いの濃い冬の落葉松林の風景に移っていきます。

 

落葉松の黄葉を山裾に染める、秋空の八ヶ岳山麓を(2014/10/25)

気持ちの良い秋晴れとなった週末の土曜日。

空は青く晴れ渡り、紅葉もいよいよ里に下りてきました。

青空が広がる午後、足繁く通っている八ヶ岳西麓をのんびりとお散歩します。

【各画像をクリックして頂くと、フルサイズでご覧いただけます】

黄葉する八ヶ岳の裾1青空の下、落葉松の黄葉が八ヶ岳の裾を染めています(茅野市泉野)。

山の高い場所は、すっかり紅葉が終わって冬の装いに移りつつあります。

まるやち湖から八ヶ岳連峰を1原村にある、八ヶ岳自然文化園の、まるやち湖から眺める八ヶ岳の山並み。

水面に移る紅葉と八ヶ岳を楽しみたかったのですが…、何と工事中で水が抜かれてしまっていました。

残念そうにお帰りになる観光客の方、多数。

まるやち湖から八ヶ岳連峰を2白樺林越しに望む八ヶ岳。白樺は既に落葉して、山並がはっきり見えるようになっています。

黄葉する八ヶ岳の裾2八ヶ岳の懐近くまで寄ってみると、落葉松の黄葉が目の前まで下ってきています。

観音平の黄葉する山並み

観音平の落葉松2では、落葉松の黄葉を追って山の中へ。

標高1600mを越えてくると、落葉松の黄葉はピークを迎えています。

観音平の落葉松1青空の下に広がる、落葉松の黄葉。

落葉松の木立に輝く紅葉落葉松林の中で輝く紅葉する木を。

秋の観音平から富士山南八ヶ岳の登山口、観音平に到着です。

青空の向こうに、既に雪をかぶる富士山が遠望できます。

秋の観音平から南アルプスこちらは南アルプスを遠望。

うっすらと雲海がたなびいています。周囲は落葉松の黄葉と緑を湛える針葉樹たちに囲まれます。

もう秋も終盤戦です。

赤く燃える夕焼け麓に下った夕暮れ。赤銅色に雲を染める夕日が西の空を焦がします。

明日から天気は下り坂。一雨ごとに落葉松の黄葉は色を濃くしていきます。