今月の読本「地方官人たちの古代史」(中村順昭 吉川弘文館)考古史料を下敷きに語る、最初から地方分権だったお役人事情を

何時も新刊を楽しみにしている、吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」。

地方の山村に居を構えていると、なかなか新刊を入手する事が出来ず、もの凄く気に入ったタイトルでも、購入出来るのは刊行されてから数か月後の時も多々あります(出来るだけ本屋さんで手に取ってから買いたいのです)。

今回の一冊も、翌月刊行の作品が書店に出回る寸前の、東京出張の帰りに漸く購入できた(このタイミングを逃せば、まず半年は入手できなかったはず)ので、周回遅れでのご紹介です。

地方官人たちの古代史地方官人たちの古代史」(中村順昭:著)です。

本書は歴史文化ライブラリーとしても比較的珍しい、律令時代初期を取り扱った一冊。しかもテーマは何時の時代も嫌われ者の官僚(官人)を扱っています。まずは、このマイナーなテーマに光を当てた、版元編集者の方に敬意を表したいと思います。

そして、編集者の叱咤激励もあった事かと思いますが(あとがきによれば)、考古史料の極めて限られた律令時代の時代描写を、苦心されながらも研究者の方としてはぎりぎりの表現で、一般読者に興味を持って読んでもらおうという配慮が感じられる著者の筆致がとてもうれしく思えました。

本書では、当時の官人たちの想いや、巡らせていたであろう知恵や打算の数々を、豊富になりつつあるとはいえ、絶対的に乏しい僅かな史料の断片から、それこそ行間を補うかのように推察していきます。従って、著者の論考や出土された木簡の内容が、当時の状況を全て表している訳でも、代表している訳でもない事を理解する必要があります。

それでも、出土史料と併せて著者の専門分野であった正倉院に残された史料や当時から伝わる資料、書物の内容を照らし合わせていく事で、当時の地方官人たち活躍と、主である中央の権力者、そして身近に仕える国司との関係を鮮やかに再現していきます。当時の制度によって規定された処罰や制度と、彼らの発言を重ね合わせていくと、その生き様は現代を生きる我々と大して変わらないのではないかと思えてしまいます。年貢の横領に踏み倒し、流用による負債の発覚ともみ消し…、何処かで聞いたような話が、この時代でも聞こえてきます。

そんな人間臭い物語も語られていきますが、本書には律令制やその後の歴史を見た場合に重要となる示唆が含まれています。

律令時代の前から使われる言葉、国造・伴造。ミヤツコと呼ばせるはずですが、漢字の意味からすれば、正に「造る」の意。彼ら、大和朝廷の時代から地方の有力者として存在した豪族と呼ばれる人々が、その後の地方官人、すなわち郡司になっていきます。律令時代の国家体制を中央集権国家として教えられることも多いですが、それは中国の話。日本の律令制度は中央から派遣される国司と、その下で働く、実質的な支配機構としての地方豪族から転換した郡司の協調を以て成立していたことを、本書は明確に示していきます。

壬申の乱から天武朝成立までの経緯を見れば判るように、当時の中央政権に全国を集権的に統治する力も、強制的に威令を効かせる軍事力も有していなかったことは明らかかと思います。外圧という形を利用しながらも形式的にも集権国家を成立させるためには、懐柔策としても、実効性を伴わせるための解決策としても、彼ら地方豪族を率先して優遇したことを、史料に基づいて解説していきます。

国司だけでは班田の確認も、収納した租税の中央への進貢もままならず、何を成すにしても、位階を与え、半ば世襲を認めた地方豪族でもある郡司の協力が不可欠。郡司の側も、自らの権益を確実にするためには、中央政府による掣肘策(一円支配の否定を表す複数任命)に対抗するために、中央の権門と結びついたり、時には国司と協調路線を取らざるを得なくなります。そのような、翻弄されつつもしたたかに生きていく地方官人たちの声を、郡司から支配下層に至るまで、可能な限り史料に基づいて描写していきます。その変遷は、不満の緩和や実情に合わせた地位の水平化と、それに伴う権力の下層への移譲という、中央集権とは全く逆の分権主義そのものです。

中央政府との直接的な支配関係はなくとも、位階を有し、仮称でも官位を帯びて中央権門との私的な関係を有することで、権威付けを図る郡司たちのその姿は、そのまま中世の萌芽ともいえる東国、そして西国における武士の勃興に繋がって見えてきます。平将門や藤原純友は確かに中央権門の血筋を引いていたのかもしれません。また、その後の歴史で華々しい活躍を見せる武士たちは、所謂軍事権門と呼ばれるのかもしれません。しかしながら、彼らを養い、戦力となった人々は、平安期に勃興した開発領主などではなく、それ以前から既に充分に地方で勢力を有していた、地方官人の系譜に繋がる事を、著者は示唆します。そして、彼らの争奪の舞台となったのが、京の都や大寺院ではなく、自分たちの活躍の場である国府であることも、むしろ当然の事と言えるかもしれません。

考古史料に依拠して著述を進める本書の内容は、現時点で把握できる範疇での歴史著述。著者はあとがきで、全国で発見が相次いでいる考古史料の新たな発掘により、近い将来に本書を書き換えねばならなくなるであろうことに不安と期待を感じていると述べていますが、考古学に寄り添う古代史の著述では当然のこと。今後の考古学的発見が、新たな知見を呼び、その後の時代の歴史著述にも新たなページが開かれることを期待しながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している、他の歴史文化ライブラリー作品も

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