今月の読本「敗者の日本史14 島原の乱とキリシタン」(五野井隆史 吉川弘文館)戦国末期に花開いたキリスト教王国誕生の物語と、拭えない終焉への疑問

普段からそれなりに書籍を買い求めて読んでいるにも関わらず、他人の書評を読んで本を買うことは意外と少ない。

書評が出回るのが刊行から数か月後というタイムラグの問題もあるかもしれません。書評が出てしまう前に買ってしまうので、後付解説になってしまう事も結構多かったりします。でも結局、自分で読んでみないと納得できないという点が最も大きいかもしれませんし。

そんな訳で、自分で本屋さんで見つけたり、刊行案内を見て買いに行くことが多いのですが、今回は、書評を見てから購入を決断した珍しい一冊をご紹介します。

島原の乱とキリシタン

島原の乱とキリシタン」(五野井隆史・吉川弘文館)です。

本書は数年前から続いているシリーズ「敗者の日本史」の一冊。刊行にあたっての言葉を眺めると、日本人が好きそうな「判官贔屓」がちらちらと見え隠れするようなコンセプトが書かれているので、これまで避けてきた経緯がありますが、何といっても数少ない「島原の乱」を扱った一冊。読んでみたい気持ちは大きかったのです。

しかしながら、地の利が効かない遠い九州の物語。しかも著者はどうもキリスト教関係の著書が多い方なので、内容にかなりの懸念があったのは正直なところで、刊行案内が出た後も、本屋さんでの平積みを見ても、何故か手出しできない状態が続いていました。

ところが、先般の朝日新聞に掲載された書評を見て考えを改めました、読むべきだと。内容的にこなれていない点、史実の見立てに偏りがあるであろう点は判ったのですが、何よりも史料を重んじた内容である点が興味を引きました。それも宣教師や船乗りたちの報告書を中核に置いている点がとても新鮮に映ったのです。

語られることの少ない(ルイス・フロイスは別格)宣教師たちの記録が読めると判った以上、難しいのを承知で手に取ってみた次第ですが、やはり読み切るにはそれなりに時間が必要でした。それは、本書がその特徴ある史料の引用と共に、それを表す表記には特有の表現が用いられているためでもあります。

文脈中では一見同じに見える、「教会」と「教界」と必ず書き分ける点。イエズス会とその他の会派を峻別する点。日本の姓名とクリスチャンネームが行き来し、そしてポルトガル人や宣教師の名前が混在する人名記述(ドン・エステヴァンなどと、全くの洗礼名で表記される例もあり)を用いる点は、読んでいてもかなり混乱を来します。特に、ラテン語由来による教会の叙階や司牧の表記には注記もありませんので、地名を含めてある程度これらの表記に慣れた方を想定した記述を採られているようです。

ところで、本書の題名から島原の乱を扱った本と思われますが、島原の乱自体を扱った内容は70ページほどと、全体の1/4程度(全275ページ)に過ぎません。また、冒頭から30ページ程は原城址の発掘成果の紹介に充てられており、このページと全体本文との連携も最後に僅かに見られるだけで、まるで別建ての書籍のようにも見受けられます。

そうなると、本書の中核を成す部分は何で占められているでしょうか。

プロローグやエピローグ、あとがきで著者が繰り返し述べているように、本書は島原の乱自体を詳述しようというコンセプトに立っていません。実際には二つのテーマ、一つ目は「原城は廃城であったか」という疑問に対する、史料から見た検討結果の解説と、その根本として利用された宣教師たち、船乗りたちの報告書から読み解く、島原半島と天草の伝教と禁教の歴史を叙述する一冊だという事です。

従って、乱自体の推移だけに興味がおありの方には、本書のかなりの部分は、乱とは直接的に関係のない、戦国末期から江戸初期の島原半島および天草の郷土史に対する、外国史料による対外的な視点による検討が続く、退屈な一冊になってしまうかもしれません。

しかしながら、原城が廃城であったかどうかについては、その後の乱における幕府軍の意外な苦戦と関連付けると、非常に興味深い論考であることが判ります。すなわ ち、廃城ではあったが「破壊された城跡」ではなかったとう点です。特にその後作られた島原城への石垣の転用が殆ど無かったという記述には、興味をそそられ ると共に、島原城の築城が住民にとって極めて重い負担であったことが示唆されます。

一方で、もっとも信者の人口密度が高かったと思われるこの地方へのキリスト教伝教史、迫害史として本書を捉えた場合、充実した史料検討と、乱へ突入する経緯、その後の結末に深い同意と共感が得られるのであろうと思われます。そこには、本書のテーマである敗者の歴史というテーマと共に、貿易の魅力に憑りつかれた権力者を巧みに誘導するイエズス会宣教師の活動と、それに呼応して権門として振る舞う宣教師たち。彼らの権謀とはかい離した形で描かれる住民へのキリスト教の受容と拡大。妨害する仏教徒に対する容赦ない迫害や、寺院の破壊、僧侶や住民の追放といった、むしろ「伝道の勝者」としての物語が多く語られていきます。

その記述が禁教以降、特に松倉氏入部以降に一転して迫害の歴史叙述に切り替わっていく様子は、読んでいる側に同じテーマを扱った一連の歴史叙述として奇妙な違和感を与えない訳でもありません。事の根源である、なぜ禁教に至ったのか。キリスト教の受容に関する議論は豊富に述べられていながら、それ以上に重要な筈の排除の理論が殆ど欠落しており、本書ではただ、禁教が始まったと述べるに過ぎません。

その上で、本書は島原の乱自体の発生原因を宗教的な問題より、前述のような築城や江戸城の手伝い普請に伴う過酷な収奪と、天候不順による干ばつから生じた暴発的一揆であると定義づけています。しかしながら、一方で柳生但馬守の言葉を借りて、この乱が農民蜂起などではなく、宗教一揆、すなわち一向一揆と同類のものであると語らせています。落城間際の駆け引きについても、この乱が明確に宗教上の意義であると登場人物たちには述べさせる一方、乱を起こすことは本来のキリスト的ではないと述べていきます。果たしてどちらなのでしょうか。

本書は前述の書評にあるように、史料を重視し、著者の検証を含めて詳説した資料を読者に提供することで、その意図を把握させようという記述を一貫して採っているため、本文中では、この疑問に対して明快な回答を得ることはできません。

しかしながら、本文とは一転して饒舌なエピローグをご覧頂ければ、著者の意図は明白だと思います。ただし、著者はその行動をして異端であり、魂はせめて煉獄を彷徨うであろうと断じてしまいます。

そんな著者の意図に少なからずの疑問を持ちながらも、戦国末期から鎖国に至る大きな歴史の流れを編む1ページとしての島原の乱と、その舞台となった、島原、天草地方の歴史にもっと興味と持つべきなんだろうという想いを強くした今回の一冊。本当の疑問の前には、解決しなければいけないもう一つの疑問に対して答えを見つけなければいけない事を、またも見つめ直させられたのでした。

<おまけ>

本書を読むにあたって、事前に読んでいた書籍のご紹介。

  • 本書にも頻繁に登場する宣教師たち。その頭目たるイエズス会の日本での活躍を、領土を有する一宗教勢力として捉え直して、経済面を中心として当時の日本の諸勢力への影響力を推し量ろうという、非常に興味深い論考の一冊「教会領長崎」(安野眞幸 講談社選書メチエ)
  • 乱後における長崎の国際関係と守備体制の変遷。幕末へかけての対外政策の変化を長崎奉行という職制を通して叙述する「江戸幕府と国防」(松尾晋一 講談社選書メチエ)こちらでも紹介させて頂いております
  • 長崎のみならず、九州全般に目を光らせていた長崎奉行という職種の特異性とその権能について、地元に残る豊富な資料を駆使して描く「長崎奉行」(鈴木康子 筑摩選書)
  • 乱を経て、禁教の時代を乗り越えたキリシタン達は、受容した初期の段階からクリスチャンとは異質の存在であったという衝撃的な論考を、地元長崎で四半世紀にも渡る綿密な実地調査の上に語る。クリスチャンでもある著者が世界文化遺産登録を目前に控えたこの時期に上梓した「カクレキリシタンの実像」(宮崎賢太郎 吉川弘文館)。こちらで紹介させて頂いておりますが、本書にご興味を持たれた方なら必読の一冊です
  • なぜ禁教に至ったのか、その疑問に明快に答えてくれる解答例は、その後の日本を大きく変える事になるきっかけを作った一人のアメリカ人の記録に綴られています。彼の見解がすべて正しいとは言えないかもしれませんが、鎖国に至った国を再び開国させるために、その原因の調査と方法論の構築に労を惜しまなかった彼の弁は傾聴に値すると思います「ペリー提督日本遠征記(上下巻)」(M・C・ペリー、F・L・ホークス編纂、宮崎壽子監訳 角川ソフィア文庫)

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