今月の読本「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)自身の存在を賭した二人と、流れと繋がりが読める室町期の関東広域圏政治史を

今月の読本「敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)自身の存在を賭した二人と、流れと繋がりが読める室町期の関東広域圏政治史を

横浜で育った私にとって、本書の主役である太田道灌は畠山重忠と並ぶ歴史上のヒーロー。

居城である江戸城や、最後の地となった粕谷の館。合戦があった場所などはすらすらと言えるのですが、太田道灌が活躍した時代の関東の状況を説明せよといわれると…ちょっと言葉に詰まってしまいます。

鎌倉府や享徳の乱を扱った本は複数ありますが、どちらも主題の部分に注力して描かれているため、前後の時代背景や登場人物が繋がって来ない。鎌倉府成立の理由と、どうして鎌倉公方が古河に動座する必要があったのか、そしてどのような結末を迎えてしまったのか。関東管領家がなぜあのような形でばらばらになってしまったのか。なぜ関東だけがあれ程までに長く混乱が続いたのか。更には、どのような形で北条早雲が関東に付け入る隙を見出したのか。個別の事柄については類書もありますし、結果は判っているのですが、室町時代の関東の状況を俯瞰で読み解く本はなかなか見当たりませんでした。

本書は、敗者の日本史シリーズとして、主家に謀殺される結果となった太田道灌を扱った一冊ですが、そのような枠組みに囚われずに読みたい、これまで登場を願ってやまなかった、室町時代の関東の通史をとても判りやすい形で実現した一冊です。

享徳の乱と太田道灌敗者の日本史8 享徳の乱と太田道灌」(山田邦明 吉川弘文館)です。

本書は表題の通り、太田道灌が主人公として取り上げられており、道灌の活躍と和歌の繋がりから江戸城の様子を紹介する為に一章を割いていますが、本書の全体のボリュームから見ると、道灌の動きを描いている部分は半分を大きく割り込んでいます(それでも、道灌と弟である資忠の疾風の活躍ぶりや、道灌謀殺の首謀者の検証と、最後の言葉である「当方滅亡!」の意味合いといった面白い考察も述べられています)。

本書は、太田道灌の治績に留まらず、鎌倉幕府滅亡から既に戦国期に入っている鎌倉公方家の事実上の傀儡化、関東管領家の越後長尾家の継承までの室町時代全般を通した関東広域圏(越後から伊豆、駿河まで)での政治状況を俯瞰していきます。

関東在住者以外には判りにくい地名と地理的状況。そして同姓同士で複雑に入り組んだ名跡の継承を少しでも判りやすくするため、養子入りの線図を書き入れた多数の系図と、重複を厭わず戦乱毎に用意された拠点地名、城郭、戦場を書き入れた略図が、複雑な動きを見せる登場人物たちを追いかける大きな手助けとなってくれます。登場人物たちの紹介も、表舞台に立った事柄から舞台を去ったその後まで、時間軸に合わせてフォローし続けることで、その後の展開にどのように影響を与えたのかが明確に判るように文中に配置されています。

享徳の乱と太田道灌合戦場地図例享徳の乱と太田道灌系図例そして、長い時間軸を扱うために配慮された、重複な説明を避け、時間軸の前後移動を極力抑えた筆致が、通読性の良さを確保してくれます(その代わり、一気読みが大前提となりますが)。

室町時代の関東の歴史を貫く二つの柱、鎌倉公方家と関東管領家。成立の時点から激しく牽制しあう二つの権能。観応の擾乱から続く関東の名族たちと、鎌倉府を中心に集まってくる一揆を中心とした勢力のつばぜり合い。そして、永享の乱から結城合戦への流れ。これらの流れを理解するためには、遥か鎌倉幕府滅亡の時まで遡らないと見えてこないことを、本書は明確化していきます。

その流れの水脈となるのが、名跡。家職制度が成立しつつあった時代において、公方家、管領家、そして家宰家と、本人の能力に関わらず、職能としての家を引き継いでいく事が、一族、家臣を含めた安定をもたらし、ひいては収入(領地)を維持する為に必須であった事が見えてきます。従って、後継者の欠落は死活問題。養子に絡んだ家の継承に関わる混乱が、一族全般、そして双方を支援する他家へと広範に広がっていく事になります。

その中で生まれた、永享の乱で父を殺されたあと、寸でのところで助けられて鎌倉公方に擁立された足利成氏。そして、父親の死により山内家の家宰職を継げるはずが、一族からの横やりで継ぐことが叶わなかった長尾景春。自らの地位に確固たる自信の持てない鎌倉公方と、自らが望んだ地位を寸でのところで失ってしまった家宰家の跡継ぎ。

本書の後半は、失ったものを取り戻そうとする二人の活躍を軸に、両者と対峙するもう一方の軸として道灌の動きが描かれていきます。

父の敵でもある、管領上杉憲忠を討った余勢で歴代の鎌倉公方が辿った高安寺を経たルートを北上して古河に入った事で、空白化した鎌倉と相模。その結果、長く続いた関東の中心としての鎌倉の衰退(都市の盛衰は必然と著者が捉えている点が少し引っかかりましたが)と、間隙を埋めるかのように勢力を伸ばす、扇谷家と家宰である太田道灌。鎌倉公方が古河に動座した影響で、公方方、管領方の両勢力が利根川周辺に集結したことによって生じた、戦線の小規模化と長々と繰り返される攻防。戦力の均衡による戦線の膠着化。

そんな膠着状態になると忽然と現れては、まるで自身の存在を証明するかのように戦場を掻き回していく景春。実力を買ってか、それとも同類の憐れみを見たのか、味方に引き入れる成氏(そのうち煩くなって、道灌に牽制を頼む羽目に)。その都度撃破しては取り逃してしまう道灌。更には、膠着した両者の戦力の均衡を破らんが為に、関東の勢力圏外である今川、そして伊勢(北条)を関東の戦いに引き込もうとする景春。

一方で、劣勢だった管領方の勢力を奮迅の活躍で公方方と勢力均衡まで持っていき、関東の各勢力の安定に大きく寄与した道灌。しかしながら、戦国の香りが漂い始める最中に起きた、家宰にも拘らず、主家をも上回る勢力と名望を集めたが故に疑いを掛けられた末の道灌の横死。

本拠である鎌倉を捨ててまでも、自身の父親を支えてくれた北関東の名族との提携により公方権力の再構築を図っていく成氏と、主家も根拠も失い、どう見ても凋落の淵に立ち続けているにも関わらず、何処かから現れては合戦場を疾駆して、再び遁走を続ける景春。関東の混乱の中で、三十年以上に渡って一際粘り強く自らの存在を賭して戦い続ける二人への著者の眼差しは、主役である道灌に対する筆致以上に想いがこもっています。

戦国前夜の関東でいぶし銀の輝きを魅せた三人がこの世を去った後、五十年を超える関東の騒乱は漸く終結を見る事になりますが、彼らの活躍の結果が皮肉にも著者曰く「全員敗者」となる結果を生んでしまいます。

成氏の古河動座と道灌の横死によって生じた南関東の空白を突かんと、景春の手引きによってきっかけを得た、西からの北条早雲よる侵攻。景春の動きを見ながら、外部の戦力を引き入れない限り、関東の覇権確立はおぼつかないと悟った管領上杉顕定は北上政策を採って越後に攻め入りますが、逆に間隙を突かれて南関東を失ったばかりが、自身も越後で敗死し、両上杉家自体滅亡の引き金を引いてしまうことになります。管領家を失えば、表裏の関係ともいえる主家である公方家もその存在意義を消失。そして、太田道灌が心血を注いで築城した江戸城は、皮肉なことに徳川家康の手に渡った後に、幕府の首府、そして現在の日本の首都へと引き継がれていく事になるのはご承知の通りかと思います。

太田道灌をテーマに掲げて描かれる本書ですが、貴重な室町時代の関東の通史として、そしてマイナーなため語られることの少ないこの時代ですが、これだけ魅力的な人物達が広大な関東平野を縦横に活躍していたことを知るためのきっかけとして、とても良い一冊かと思います。

もっと室町時代の関東の歴史に光を!

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連する書籍を。

標高1300mの小さな美術館に縄文への想いが集う(八ヶ岳美術館・原村歴史民俗資料館とハイウェイの沿線遺跡群展)

標高1300mの小さな美術館に縄文への想いが集う(八ヶ岳美術館・原村歴史民俗資料館とハイウェイの沿線遺跡群展)

冷え込む日の少ない今シーズンの冬。

その代わり、立て続けに降る雪のおかげて、八ヶ岳の山々は真っ白な状態が続きます。

南麓の方は気温も高く、降雪量も少なかったのでそれほどではありませんが、西麓の方は繰り返される降雪のため、八ヶ岳の白さも一際です。あいにくお天気が優れないのですが、それでもたっぷりと雪を戴く雪山を眺めるのは格別なものです。

曇り空の雪原と八ヶ岳八ヶ岳エコーラインから望む、八ヶ岳。

曇り空の雪原と蓼科山同じく、真っ白な蓼科山と北横岳。

曇り空の雪原と車山比較的標高の低い車山も山腹まで白い雪に覆われています。

八ヶ岳を愛でながら、更に標高を上げていくと、道路も一面雪だらけ。

圧雪の中をそろそろと上がっていきながら、本日の目的地に向かいます。

雪の八ヶ岳美術館庭園1車を駐車場に止めると、雪の中にブロンズ像が立ち並んでいるのが見えてきます。

雪の八ヶ岳美術館庭園2辛うじて除雪された庭園内の小路を登っていくと、ブロンズ像たちの先に、かわいらしい建物が見えてきます。

雪の八ヶ岳美術館庭園3サイロのようなアーチ構造の屋根が連なる、不思議な造形を持った建屋。村野藤吾の設計による独創的なデザインも、雪景色の中では、北欧を思わせるしっとりと落ち着いた感じを漂わせます。

雪の八ヶ岳美術館庭園と、みどりのリズム雪に覆われた建物の正面には、この施設を代表する逸品が屋外に展示されています。

長野県諏訪郡原村出身の美術家、ブロンズ彫刻家の清水多嘉示の代表作でもある「みどりのリズム」です。

ここは、原村に寄贈された氏の作品と、村が所蔵する考古資料を収蔵するために標高1300mという高地に設けられた村営の美術館兼、郷土資料館。八ヶ岳美術館(原村歴史民俗資料館)です。

八ヶ岳美術館玄関今日はこちらで催されている企画展「ハイウェイの沿線遺跡群」開催を記念して行われる講演会を聴講する為に訪れたのでした。

こちらの八ヶ岳美術館。美術館なら当然なのですが、八ヶ岳西麓にある縄文遺跡を扱った展示施設のうち、唯一館内の写真撮影が全面的に禁止されています。従いまして、館内の雰囲気を写真でお伝えすることは残念ながら出来ません(館長さんの目の前で、一眼レフを振り回しながら全力で撮影し続けられていた方もいらっしゃったので、許可は得られるのかと…)。

八ヶ岳美術館パンフレット1八ヶ岳美術館パンフレット2と、いう訳でパンフレットでお茶を濁すわけですが、レースが吊られたドーム天井から注ぐ柔らかな間接光と、スリット状に切られた欄間から真っ直ぐに射し込む西日に照らし出されるブロンズ像のコントラストが非常に印象的な空間であったことを述べておきたいと思います。館長さんのお話にもあった、天空をイメージさせる空間的広がりと、筒状に区切られた展示室の包まれ感が同居する、ちょっと不思議な展示室です。

そして、展示される縄文土器たちも、参加者の方が口にされていた、小粒だが良い物が揃っているという見解そのままに、他の2か所の考古館と比較すると展示数は圧倒的に少ないのですが、現代アートと言っても全く引けを取らない、独創的で高度な装飾を持った土器が揃えられています。

ハイウェイの沿線遺跡群講演会パンフそして、本日のメインイベント。期間中に4回設けられる講演会のオープニングを務める、当時実際に遺跡の発掘作業に携わった方による回想講演です。

講演会の参加者には写真にありますように、今回の為に新たに書き起こした発掘調査の記録一覧と、今では貴重な発掘調査終了後の1982年に開催された出土品展で配布された、遺跡及び出土物の解説資料がプレゼントされました。

講演会は美術館の展示スペースの一部を用いて行われたため決して広くはなく、座席も20名程度の参加者を想定されていたようですが、実際にはその倍に当たる、40名近くの参加者が集まりました。

参加されていた方の殆どは、地元の住民の方というより、縄文遺跡について非常に良くご存知の方ばかり(村野藤吾の建築に喜んでいるような私は、完全にアウェイです)。館長さんからの提案もあり(八ヶ岳美術館ルール)、講演中も自由に質問、そして講演後も展示物を廻りながら、存分に話し合いましょうというということで、この手の講演会としては、極めて活発な質問のやり取りが続き、和やかな雰囲気の講演は予定の2時間があっという間に過ぎてしまいました。

演者の方は何しろ40年前の発掘の時を思い出しながらの事ですので、全般的なお話というより、当時の記憶の強かったことを拾いながらのお話となったような気がします。実際に発掘に携わられた方でなければ知りえない、発掘時の御苦労や、発掘物の処理方法、そして、やはり自分で掘って見つけたいよとの想い。その中でも、阿久遺跡の特異性と、そこに展開された縄文文化への好奇心は、参加者の皆さんがいずれも強く惹かれるところであり、積極的な質問が繰り返されていたようです。依然としてここでしか発見されない環状集石群や、八ヶ岳を望む柱状列石の謎。他の遺跡を圧倒する芸術性の高い土器の数々(もちろん尖石も井戸尻も観ていますが、ここの土器の造形は素晴らしいです)。そして、この展示会のテーマとなってしまった「ハイウェイの下に眠る遺跡たち」への想い。現在ならば、強烈な保存運動が展開されたであろうこのような貴重な遺跡ですが、当時を知る方々の言葉を借りると、始めは保存されるとは思っていなかった、と。何しろ緊急を要する調査であり、僅か1年で原村村内全ての遺跡を調査せよという指示であったと述べられており、当時の緊迫感と、それでも余りに貴重な遺跡であったために埋戻しという選択肢が採られた事への感慨が述べられていました(同時に、もう少し時間があれば、もっと遺跡に対する知識があれば、良い発掘が出来たかもしれない。更には、全体が保存できればという想いも)

阿久遺跡1遠くに中央道を望む阿久遺跡の現在の様子。

右手に雑木林があるだけで、遺跡本体は遠くに望む中央道(水平に伸びる森に沿って走っています)の下に埋められており、二度と望む事は出来ません。館長さんも、もう一度発掘すれば判る事もあるのではないでしょうかと質問されていましたが、大分破壊が進んだ後に埋め戻された事もあり、列石などは取り除かれてしまっているため、もはや旧態を望む事は永遠に不可能となってしまったようです。

阿久遺跡2阿久遺跡の説明看板その1。

阿久遺跡3阿久遺跡の説明看板その2。

この看板が設置されてから既に20年が経過していますが、ここで述べられている整備事業は、残念ながら未だに実施されていません。今回、僅かに発掘された品々が県から地元に移管されたに過ぎません。

阿久遺跡望む冬の八ヶ岳連峰阿久遺跡から望む八ヶ岳の峰々。

縄文時代の人々も同じような景色を望んでいたのでしょうか。

八ヶ岳美術館前より遠望夕暮れの八ヶ岳美術館前より。

高く広がる空の下、雄大な八ヶ岳の麓に広がった縄文遺跡と、その発掘に苦心された方々の想いを考えながら。

豊富な体験施設と国宝土偶が迎えてくれる縄文文化の発信地としての尖石。小さく少々古びているが、藤森縄文文化論の根拠地としての独自性を見せる井戸尻。これら八ヶ岳の縄文文化を象徴するふたつの考古館と比べると、美術館との併設で規模も小さく、場所も不便な八ヶ岳美術館には、なかなか足を運ぶことは難しいかもしれません。しかしながら、原村に存在する縄文遺跡たちは縄文文化を語る上で、決して欠かせないもの。たとえ高速道路の下にその存在が埋められてしまったとしても、発掘成果と発掘に携わった方々、そして、その成果を引き継ぐ方々によって語り継がれる限り、この美術館(史料館)と貴重な遺跡は、縄文文化を語る上で欠かせない位置付けを成し続けるはずだと強く願いながら。

<おまけ>

本ページで紹介している他の博物館、資料館を。

雪また雪の日々(落ち着かない天候が続く大寒の八ヶ岳南麓)

年明け以来、落ち着かない天気が続く八ヶ岳南麓。

1月にこれだけ雪の日が繰り返しやってくるのは、とても珍しい事です。

雪雲に隠れる八ヶ岳生暖かい1/15の朝の八ヶ岳。

既に雪雲にすっぽり覆われています。この後、本格的な里雪に。

降雪量確認夜になって戻った、自宅の駐車場(写真は隣の車です)。積雪10cmほどですが、明朝の事を意識して、今シーズン初めての雪かきを行う事に。

除雪後の朝の七里岩ライン翌朝(1/16)の県道の様子。昨年の大雪の教訓が生きているのでしょうか。今年はすぐに除雪が行われる傾向にあります。

雪の合間、冬空の八ヶ岳断続的に雪雲が流れ込んでくる週末を越えて、漸く八ヶ岳ブルーを見せてくれた八ヶ岳を(1/20)。

雪空と木立再び雪が降り始めた朝の木立。重くべとついた雪が降ると、木立が白く雪化粧をするようになります。

今年は、気温が高く里雪ばかりが続きます(1/22)。雪化粧をした南アルプス夜半に再びみぞれ交じりの雨が降った朝。

雪化粧をした南アルプスを遠望します。空には雪雲が残り、湿度を持った空気は冷え込んでいません(1/23)。

雪の八ヶ岳と雪が残る水田田圃の畔に残る雪は、気温の高さで昼には溶けてしまいますが、朝の路面はみぞれ交じりの雨が凍ってつるつるに。

この冬、最低気温が一度も-10℃に届かず、何ともこの地の冬らしくない天気が続く今日この頃。

あまり冷え込まないのは生活する点では楽なのですが、諏訪湖も結氷せず、御神渡りも期待薄という、ちょっと困った事も多い、今年の冬の日々です。

 

 

吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」通巻400冊到達を祝して、勝手に手持ちラインナップフェアーを(歴史の側面に触れる面白さを)

吉川弘文館「歴史文化ライブラリー」通巻400冊到達を祝して、勝手に手持ちラインナップフェアーを(歴史の側面に触れる面白さを)

何時も新刊を心待ちにしている、吉川弘文館さんの叢書シリーズ「歴史文化ライブラリー」。

1996年のシリーズ刊行開始から20年を経て、遂にこの春、通巻400冊を達成するそうです。

400冊達成記念に、公式さんが復刊リクエストをtwitterで募っていたのですが…

こんな可哀想な結果になってしまったようで、思わず加勢に出てしまった訳ですが(大分リクエスト増えたみたいで良かったですね)、折角本棚をひっくり返して探したついでなので、これまで買った歴史文化ライブラリーの中からお気に入りをご紹介してしまおうという、魂胆を思いついた次第です。

New!(2015.3.18):復刊リクエストの結果が決まりました。こちらに一覧が出ております。

この歴史文化ライブラリーというシリーズ。流石に歴史書を専門に手掛けられている出版社らしく、多くの叢書、選書とは一線を画す、明確な編集方針が貫かれています。

その想いは、刊行の言葉にはっきりと刻まれています。

あらゆる分野の歴史と文化を、書物として収める事。内容が学問成果に基づいている事。そして、もっとも重要な点は「読者を知的冒険の旅へと誘う」ことを標榜されている点です。

歴史研究者の方が、研究目的で執筆される論文や著作物とはちょっと異なる。通史や多くの歴史関係書籍が扱うテーマや、歴史研究上の争点を扱う訳でもない。もちろん研究者とは異なるフィールドの方が執筆された本でよくある様な、多くの研究成果を引用せず、それらとは全くとは異なる、にも拘わらず、まるで結論めいた持論を滔々と述べ続ける書籍とは根本的に異なるスタンスを持っています。

各執筆者は、版元の実績が存分に示される、該当する分野では一線級の研究者たち。扱われるテーマは、研究者の方々が実際に研究されている内容に対して少しアレンジを加えて、周辺知識や背景にフォーカスするように配慮された選定手法。そして、読み下し文への配慮や、豊富な写真、図表など、高度な研究成果を出来る限り判りやすく読者に伝える事を重視した編集方針。2000円以下を基準とした、専門叢書としては求めやすい価格帯設定。

一方、本屋さんでは、新刊コーナーに置いてもらえることは稀にも拘らず、扱われ方が選書、叢書コーナーに置いてあったり、歴史書のコーナーに時代別にばらばらにされて並んでいたりと、一貫性がない扱われ方をされているので、探すのに苦労することが度々なのです。それでも、乱読派で歴史好きの身にとっては、読後の満足感をしっかり満たしてくれる内容の濃さと、好奇心を揺さぶられるテーマに溢れたこのシリーズが大好きなのです。第一線の研究者の視点で、普段は語られない歴史の一側面を覗かせてもらえる嬉しさが、そこにはあるように思えます。

歴史文化ライブラリー手持ち一覧

購入した歴史文化ライブラリーたち手元に残っている歴史文化ライブラリーは、八ヶ岳南麓に移ってきてから購入した分だけですが、No.220の「江戸時代の身分願望」からNo.389の「江戸時代の医師修行」までの31冊です。該当期間中刊行分の僅かに18%程度ですが、こうして並べると結構豊富(というか、無節操な買い方と言うべき)なテーマですよね。

この中でお勧めの何冊かをご紹介します(フルで内容をご紹介している分は、下記<おまけ>のリンク先へ)。

  • それでも江戸は鎖国だったのか」(片桐一男)所謂唐人屋敷と呼ばれた、江戸の長崎屋で繰り広げられる、カピタンと江戸の文化人、幕閣たちとの交流をつぶさに拾って紹介する一冊。生き生きとした筆致で描かれる、オランダ人たちの上京の様子や贈り物の品々、唐物趣味に取りつかれた訪問客たちの執念ぶりにも驚かされる。江戸文化の幅広さを再認識させられます
  • 大江戸八百八町と町名主」(片倉比佐子)落語でもお馴染み、親より怖い大家さん。では、その大家さんが最も恐れたのは、彼らの雇い主である町名主様。夏目漱石の書き方から謂えば玄関様とまで呼ばれる、町人たちに最も近く、しかも畏敬の念すら持たれていた存在である、江戸の町名主たちの成立から発展、収入や沽券の継承、新しい町屋での権利発生に至るごたごた話を含めて、江戸の膨張が明確に判るように数値史料を駆使して描く。江戸の行政を実際に支えた「民間行政員」たちの活躍から、民主主義とはちょっと違うけれと、素朴ながらも本当の意味での自治の姿が見えてくる一冊です
  • ある文人代官の幕末日記」(保田晴男)幕末の文人であり、幕臣であった林鶴粱の文人としての活躍と同時に、安政の大地震の際に赴任していた遠州中泉代官時代、そして奥州寒河江代官としての活動を克明に描く。文人らしく、多くの記録を残しているため、著者の筆致と併せて当時の状況が手に取るように判る点は、歴史史料を紐解く楽しみを充分に教えてくれる一冊。余り語れることがない、甲府城代に設置されていた徽典館について、学頭を務めていた時の事跡や当時の甲府の様子が描かれている点だけでも貴重な一冊です
  • 宮中のシェフ、鶴をさばく」(西村慎太郎)まず、このテーマで一冊の本が成り立つことに驚き、その作法と伝承に二度驚き、継承の内輪揉めまであった事に三度驚く。こんなディープなテーマを研究されている方と、研究を支援している方々、版元さんの三者が揃わなければ決して世に出なかった(そして読者もちょっとだけ)貴重な本。肩肘張らずに、包丁道という名の歴史上に残るエッセンスを楽しめる一冊。著者の専門でもある、江戸時代の地下官人について知る上でもとても役に立ちます
  • 稲の大東亜共栄圏」(藤原辰史)快作の呼び名の高い「ナチスのキッチン」の著者が描く、日本で改良されたジャポニカ種の品種改良の流れと東アジアにおける伝搬の様子を、東北から朝鮮半島、満州、そして台湾と、戦前日本の拡張政策と歩調を合わせるかのように広がっていった様子を、かの地の在来栽培種との競合や酒米との関わり合い、そして台湾における蓬莱米成立から、日本への逆輸出に至るまでをダイナミックに描く。日本人の米に対する執念を感じさせると共に、現在でも当地で栽培され続ける事に対する歴史的な繋がりの深さを感じさせずにはいられない一冊。最後の部分を蛇足と取るか、深化の結果と捉えるかは、読まれる方の思い次第です
  • 地図から消えた島々」(長谷川亮一)一番のお気に入り。これぞ、歴史文化ライブラリーの真骨頂といった一冊。離島ファンや、地理、海洋史に興味のある方にはつとに有名だった、近世の南洋に浮かんでは消えていった幻の島々の物語を扱ったサイト「望夢楼(幻想諸島航海記)」の管理人様が、サイトの内容を再編成して、本職の著作物として出された極めて珍しい一冊。影も形も存在しない、幻の新発見島探検記を扱ったトンデモ物語かと思いきや、それだけではありませ。幻の島が登場してしまった背景や、実際に無人島であった鳥島や南の島々への入植の記録。そして、幻の島自体を登記しようとする山師たちの物語から、地図上からの抹殺。結論を得んがための本当に存在しえなかったのかの地質学的検討まで(西ノ島の噴火と新島形成で話題となっている火山列島との関係のお話もちゃんと出て来ますよ)。歴史のサイドストーリーを追いかけると、思いがけない物語が潜んでいる事を実感させられる。歴史研究分野の幅広さと面白さが実感できると思います

これからも、歴史ファン(雑学好きにも)の琴線を揺さぶる、楽しくてちょっとディープなラインナップに期待して。読書時間とお財布と相談しながら、ちょっとずつ買っていきたいと思います。

<おまけ>

本ページでご紹介している歴史文化ライブラリーの作品と、類似のテーマを。

今月の読本「将軍と側近」(福留真紀 新潮新書)老中制をブレーンたる儒者から眺める

今月の読本「将軍と側近」(福留真紀 新潮新書)老中制をブレーンたる儒者から眺める

纏まった時間が取れる年末は読む側も出版する側にとっても重要な時期。このシーズンになると本屋さんには面白そうな本が多数並ぶので、どれを買おうか迷ってしまいます。

発行部数も、入荷数も限られる新書版の新刊本は、チャンスを失うと二度と入手することが出来ないので優先的に買うのですが、文庫や新書は何処の本屋さんでも、多少タイミングがずれても購入できるので、ついつい後回しに。

今回の一冊も、そんな具合で年始過ぎまで後回しにされてしまった新書からご紹介です。

将軍と側近将軍と側近」(福留真紀 新潮新書)です。

本書の主役は室鳩巣。もうこの名前を出しただけで、読むのを手控えてしまう方も多いかもしれません。

日本史の中でも嫌われ者の代表格である儒学者たち。中でも新井白石は随一の嫌われ者かと思いますが、その新井白石の後釜として(そして、荻生徂徠との間を埋めるように)儒者として登用された室鳩巣。本書はその白石との関わり合いから、自ら儒者として諮問に与る身となった間に集められた書簡集である「兼山秘策」を下敷きに、鳩巣の視点で当時の政治状況を描いていく…という事になっています。

しかしながら、本書の内容は、前述の目論見とはちょっと異なっています。新書では良くあるのですが、本来の内容を読者に理解してもらうために、背景となる知識や組織の説明が必要となり、勢いその説明部分のボリュームが紙面の過半を占めてしまう。本書はそこまでは至りませんが、やはり周辺描写や解説に相応の力を注いでいます。その結果、室鳩巣の業績や人となりは殆ど語られることが無く(冒頭に僅かに4ページ。表題に相反して、室鳩巣の業績を相応に理解している方でないと、本文中の活躍を読んでもちんぷんかんぷんになる筈)、そして読者の中でも本書を敢えて手に取る方であれば最も興味があるであろう「兼山秘策」の内容が、ストーリーの中に散りばめられてしまっており、断片的に語られていくに過ぎません。

本書は、室鳩巣の目から見た江戸の政治といったテーマを掲げていますが、実際には「老中制」の実情を描くために、将軍の側近として使えるブレーン、それも最も批判的(これは良い意味でも)な視点を以て解釈に足りる学識を有する、儒者の視点を用いて描写した本と言ってよいかと思います。

従って、主人公である儒者たちの活躍自体はあまり描かれません。むしろ、元禄から享保期にかけて就任した老中たちの活動を通して、当時の幕府に於ける意思決定機構がどのように動いていたかを眺めていく事になります。所謂側用人政治に対する老中の気概や、反発、そして扈従。老中間の駆け引きや上司である将軍との関係、部下である幕閣とのやり取り。そして、最もやっかいな側用人や御側御用取次との関わり合いなどを取り上げていきます。この辺りの内容は、著者も述べていらっしゃるように、大石学氏や山本博文氏の著作をお読みになっていらっしゃる方であれば、既にご承知の内容も多いかと思います(登場する各老中の人物評も、ほぼ同じです)。

その中で、本書のハイライトとなるのが、室鳩巣の前任である新井白石とパートナーであった間部詮房が関わってくる吉宗の就任と、本人自身が関わることになる、参勤交代緩和に関する諮問のやり取りの部分です。

その中には、吉宗の就任に至る経緯を述べる部分で見せる、幼少将軍登場による大奥の表への影響拡大の阻止、それでも訴える天英院の間部詮房への配慮を願う言葉や、てんてん手毬の歌に対する、ヒゲの奴の話と吉宗の治績で謳われる話との関係への言及など、著者ならではの視点も伺えます。そして、参勤交代緩和に関する議論では、議論の中核を担っているように見えて、実は議論固めのアドバイスを求めているだけで、そこには実は求められない。あくまでもブレーンであって、その範疇を越えられない儒者としての切なさが伝わってきます。

白石とのやり取りでも見受けられる、儒者の想いを代弁する言葉の数々。そこには、ブレーンとしての切実な想い、仕えている上司が信頼し、理解を示してくれている限りは大丈夫という、一種の信頼感(片思い)を脆くも切ないと感じさせる、著者の微妙な視線が垣間見えます。

表題のように将軍の側近である側用人、御側御用取次、そして儒者の物語かと思わせる本書ですが、政権と共に命運を共にしていく彼らたちより、むしろ著者の躍動的な筆致からも窺えるように、ブレーン達には辛辣に評されながらも、奔放に、したたかに、自らの矜持を以て政権交代の荒波を潜り抜けて、時には官僚的に生き抜いていく、老中や幕閣たちに魅せられてしまうのは、ちょっと読み間違えてしまっているのでしょうか。

<おまけ>

本ページで採り上げている、江戸時代の歴史関係の本をご紹介

八ヶ岳ブルーの午後(2015.1.12)

夜半になって、さっと降った雪が止み、快晴となった連休の最終日。

強い風が吹き続ける午後に、真っ青な空の下を往きます。大好きな「八ヶ岳ブルー」を愛でるために。

八ヶ岳ブルーと小海線ハイブリット列車雪煙を上げる八ヶ岳の上空は、美しい碧空が広がります。

目の前を、一日一本だけ小淵沢まで上がってくるハイブリット列車「こうみ」が、野辺山方向に戻っていきます。

フィフォーレから望む富士山振り返ると、富士山が青空の向こうに浮かんでいます。

強い風が吹く午後、風で飛ばされてるのでしょうか、雲が殆ど見えません。

どんど焼きと八ヶ岳圃場を過ぎると、どんど焼きの準備が進んでいました。

青空の下、八ヶ岳を向こうに、真っ赤な達磨たちが吊るされていました。

雪化粧をする網笠山と西岳西日に背中を追われるように、八ヶ岳の裾野を西に進みます。

柔らかい山容を見せる網笠山と西岳には、ふかふかの雪が掛かっています。

雪原の向こうに広がる八ヶ岳の山々八ヶ岳エコーラインを西に進んで茅野市内に入ると、一面の雪原に。

真っ青な空の下、雪原の向こうに八ヶ岳の山並みが広がります。

雪原から望む蓼科山と横岳北側から蓼科山と横岳を。

雪原の先に聳える硫黄岳と天狗岳麦草峠を挟んで、南八ヶ岳の天狗岳と硫黄岳を。

雪原から望む硫黄岳と赤岳南に控える、威厳を以て雪煙を上げる主峰、赤岳を遠望。

ビーナスラインの雪景色標高1000m程の茅野市郊外から一気に標高を上げて、標高1700mを越えるビーナスラインへ。

快晴の空の下、雪煙を巻き上げながらのスノードライブです。

ビーナスラインから望む蓼科山振り返ると、紺碧の空の下に、真っ白な蓼科山が迎えてくれます。

ビーナスラインから車山をアップで裾野までしっかりと雪化粧をした蓼科山をアップで。

ビーナスラインから望む八ヶ岳のパノラマビーナスライン、伊那丸富士見台から望む、八ヶ岳のパノラマ。

ビーナスラインから赤岳遠望同じく、南八ヶ岳を遠望。こちらも真っ白に雪化粧しています。

車山の雪原から八ヶ岳と富士山遠望雪原の向こうには富士山を僅かに望む事が出来ます。

車山から望む雪原車山の雪原と碧空車山の雪原と碧空抜けるような八ヶ岳ブルーの下に広がる雪原をしばし堪能。但し、気温-7℃と雪景色を楽しむには万全の防寒装備を要求します(私のように、部屋着そのままといったふざけた格好で歩かないように…。場合によってはスノーシューも欲しいかも)。

雪と落葉松の杜1雪と落葉松の杜2日差しが西に傾きかけ、落葉松林も徐々に西日で色づいていきます。

夕暮れの雪原となった池のくるみと八ヶ岳西日を浴びる八ヶ岳の山並みを、池のくるみより。冬至からまだ20日程しか経っていませんが、夕暮れはぐっと長くなり5時近くまで夕暮れが続くようになりました。

夕暮れの霧ヶ峰牧場雪原となった霧ヶ峰牧場の林の向こうに夕日が沈んでいきます。

厳冬の八ヶ岳を美しく輝かせる紺碧の空。お越しの際には、充分暖かくして、じっくりとお楽しみください。

今月の読本「オン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳 太田出版)マッパ・ムンディから広がる、地図という名の人々の物語達を

今月の読本「オン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳 太田出版)マッパ・ムンディから広がる、地図という名の人々の物語達を

地図を見るのは好きですか。

美しい色彩の地図の中で旅をする。見た事もない土地に想いを馳せ、道のりにワクワクする。複雑な地形に感嘆し、雄大な山並みや広大な平原に圧倒される。

地図を眺める事そのものが旅をしているかのような錯覚を受ける事もあるかもしれません。その時、ご覧になっている地図を作った人達の想いに、ほんの少し触れているのかもしれません。

全ての地図は、誰かが何かの為に作るもの。今回は、歴史上、営々と作られ続けたそんな地図の物語を怒涛の如く詰め込んだ一冊をご紹介します。

オン・ザ・マップオン・ザ・マップ 地図と人類の物語」(サイモン・ガーフィールド:著 黒川由美:訳)です。

著者はイギリス在住のジャーナリスト、作家の方で、地図の歴史に関する専門家でも、地理学の研究者でもありません。従って、読者の方がちょっとだけ緊張するかもしれない、難解な図法のお話は殆ど出て来ません(メルカトルの紹介の部分で、比較として扱われるだけです)。

総ページ数418ページ。図表100点以上という、大ボリュームで地図にまつわるあらゆる物語を、それこそ絨毯爆撃のように語っていきます。そこに は、訳本ならではの共通する知的教養を下敷きに展開する、著者と読者との知的好奇心のせめぎ合いが展開していきます。訳者の手により丁寧で優しい文体に均されてはいますが、この広大に広がる地図にまつわる物語達についていけるか、楽しめるかはひとえ に読者の好奇心の広さとその基盤にかかっています。

本書では全時代の世界を股にかけた広範な物語が描かれていきますが、一方で、英国基準で描かれる訳本ゆえの限界もあります。従って、本書から日本での事例や雰囲気を味わうことは全く出来ない事も、併せて述べておく必要があるかと思います(言及としては、僅かに3か所。ロンドン在住のタイポグラフィックデザイナー河野英一が、ロンドン地下鉄の路線図を使って遊んだ「書体の路線図」(本書で登場する唯一の日本人)。慣性航法型とGPS型のカーナビがいずれも日本で実用化された事と、Googleストリートビューの取材車がsubaruである事)。そのため、地図は大好きでも、ヨーロッパの地理や歴史に興味が無い方にとっては少々つまらない一冊になってしまうかもしれません。

そして、本書の特徴は地図の歴史を描く以上、プトレマイオスの「ゲアグラフィア」から物語をスタートさせますが、流石に英国人らしく、もっと別の地図を物語の中核に置いていきます。ヘレフォード大聖堂に収められる「マッパ・ムンディ」です。

この、方位も地形もあいまいな地図。しかしながら、非常に微細に描かれた建物、珍妙な動物たち、そして、びっしりと書き込まれる道程と地勢の解説文(もちろん内容は大幅に歪んでいます)。この地図こそ、旅をするための道筋を辿るもの。地図の図法も、描画方法も、記述もすべて本来は旅をする人の便の為に作られたことを、またはその地図を眺めながら旅程に想いを馳せるために作られることを明快に表してるようかのようです。

本書はこの「マッパ・ムンディ」の数奇な物語を起点として、西洋における地図に纏わる物語を紐解いていきます。ただ、何せ22ものストーリーと、ポケットマップと称される15本のコラムが山脈の如く連なっていますので、本書の全容を一気にご紹介することは少々難しいところです。

まだ世界を描き切れていなかった頃の物語と、幻の土地たち。そして、その幻の土地を描くために格闘した人々と、そのれにまつわる、現代まで続く極めて人間臭い物語(アメリゴの売名行為に始まって、世界最大の地図帳の記録更新(但し、使い物にならないとのギネスの烙印付き)、ヴィンランドが描かれた地図の真贋やアンティーク地図取引と盗品売買)。人の欲望と疑念渦巻く幻の地図たち(宝島や幻の山々、南極点への地図、更にはモノポリーやリスクといったゲーム中のマップ)。多くの人々に愛されるようになった地図たちの作成者の想い(ロンドンAtoZに旅行ガイド、芸術品となった大型地球儀)。そして、地図を通して事実を表していく大切さ、難しさ(メルカトルが開いた「アトラス」への道程。三角図法とシティマップの作成。その上に展開させたコレラの感染地図)。中には、女性がなぜ地図を読めないかという問題とカーナビの普及に関する論考などという、皆さんが興味津々となるテーマも扱われています。

地図によって物語が広がり、地図によって人々は旅の足掛かりを得て、そして地図の中を旅していく。本書の巻末まで読み進めていくと、その旅路は紙の地図はおろか地球をも飛び出して、火星の運河から火星人の話、ネバーランドの地図、ゲーム中のバーチャルマップを旅する想い、更にはそれらを想い描いていく人の脳内マップまで突き進んでいきます(この辺りの著者の興味の広さは、流石に訳本ならでは)。

人類の歴史と同じくらいの長さを有する、人が自らの場所を示し、旅する想いを描き続けた地図という名の物語は、カーナビとデジタルマップの普及により、そのような自らの力で探し当てるという行為自身が無くなってしまうのではないかという、著者の若干の危惧を添えながらも、その地図の中を旅する人々と共に、今も果てしなく広がり続けているようです。

<おまけ>

本ページで扱っている、地図にまつわる本や、関連するテーマの本、訳本のご紹介を。