BlackBerry OS10.3.1リリースで何が変わったの(OS7ユーザーへの橋渡し)

BlackBerry OS10.3.1リリースで何が変わったの(OS7ユーザーへの橋渡し)

BlackBerry Passportのご紹介はこちらにて。

New!2015.2.23 : 一応ご報告までですが、当方所有のPassportで当該バージョンを使用すると、かなりの高頻度で設定画面の縦スクロール中に画面がフリッカー状態となり、スクロールを停止すると画面がブラックアウトする障害が発生しています(スクロールを再開するとフリッカー状態に)。現時点では、設定画面、カメラ、音楽で発生していますが、他の部分でも発生する可能性はあります(BlackBerry HUB及びtwitter、ブラウザでは発生していません)。類似の現象についての報告がBlackBerryのファンサイトN4BBにアップされています。気になる方は、fix版が出るまで、アップデートは控えた方が良いでしょう。

昨年後半から意欲的に新端末のリリースを再開したBlackBerry。

大本命のClassicを迎えて、旧来ユーザーの取り込みに改めて取り組み始めたようです。

そんな中で登場したBlackBerry OS10.3.1。巷のニュースではBlackBerry BlendやAmazon AppStoreによるAndroidアプリが使えるようになった…などという、何時の話だと、首を傾げるような紹介を受けていますが(プリインストールという意味らしいです)、新しいリビジョンが登場する事自体は喜ばしい事。操作性やアプリケーションなどメインの話題は他のサイトにお譲りして、どこが変わったのか、ポイント確認をしてみたいと思います。

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アップデート前の確認表示。

この機能拡張の文面だけ見ていると、前述の紹介が正しいことになりますが、ちょっと微妙。

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容量は500Mbyteを越えますので、ナローバンドな田舎だと、それなりに覚悟が要ります。お時間に余裕があるときに実施しましょう。

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再起動を促されますので、素直に従います。アプリケーションを終了してからでも再起動は可能です。

なお、再起動後の待ち時間は相応に掛かります。特に再起動画面で表示されるインジケーターが100%に到達した後で、更に5分ほど待たされますので、焦らず、ゆっくり待ちましょう。

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再起動が終了すると、壁紙がデフォルトに戻されてしまいますので、お気に入りの壁紙を入れてみます。

あ、キャプチャーは取れませんが、パスワード入力画面も変わっていますね(でかでかと「デバイスパスワードを入力」と表示されるようになりました。この部分は、時にパスワード入力画面が表示されなくなるバグがあったので、直っていてほしい所です。

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まず初めに気が付くのは、BlackBerry HUBで地味にキャプションが日本語化されていたりして、ちょっと微笑ましいです。また、「更に選択」を選んだ場合の選択表示にチェックボックスが付加されるようになりました。これは嬉しい変更ではあるのですが、一方で選択カラーが濃くなった関係で、コントラストを確保する為にアイコン自体が縮小化。視認性には疑問が残ります(この辺りのアイコンサイズとバックグラウンドカラーの視認性のお話は、東京メトロの新しいデザインシステムを事例として「駅をデザインする」で詳しく語られてますね。

では、引き続き変更点を観ていきましょう。

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バージョン表示です(左右に並んで表示されている場合、左が10.3.0です)。

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同じくバージョン表示ですが、大きな変化として、FlashとAdobe Airのバージョン表示が無くなりました。

他のブラウザーの潮流に倣って、ここでもFlashを排除する方向性が垣間見られます。

代わって用意された、ソフトウェアバージョン08という、あまりにありきたりな表示が少々気になります。

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次に機能面を観ていきたいと思います。

まず、ストレージの部分でUSBの接続方法のメニューが、これまでのマスストレージとして使用するかの可否から、充電のみモードも選択できるように独立しました。但し、OS7のように、USB接続時に切り替えメニューが表示されて切り替えられる訳ではありませんし、USBマスストレージと排他選択です。更に、マスストレージとしてマウントできるストレージは、外部のフラッシュカード側のみとなります。

また、デフォルトのネットワークドライブとしてマウントする際にも、ローカルIPアドレスが任意に設定できるようになりました。

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データ管理では、アカウント毎にデータ通信容量(すなわち画像ダウンロード)の容量制限が設定できるようになりました。

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アカウントを選択すると、アカウント編集画面の各通信方式における、データ容量設定のページに飛ぶようになっています。これもOS7では、自動的にダウンロード容量を規制していた機能(冒頭だけ表示されて、スクロールダウンすると続けてダウンロードが出来る)を盛り込んだ形になります。

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表示系で大きな変更となったのは、ソフトウェアキーボードの表示色が、UIに応じて、これまでの黒バックと、新たに用意された白バックの2通りに自動で変更される機能が追加されました。

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白色系の端末をお持ちの方は、白色表示固定にしても良いですね。

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表示の部分でもう一つ、スクロール時にアクションバーを表示する選択が出ていますが、実際にアクションバーを表示する機会が無いので効果は判りません。

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表示設定の詳細では、コントラスト反転が漸くサポートされました。使用することはないですが、OSとしては備えておくべき機能ですね。

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次に、入力機能ですが、遂にとって良いのでしょうが。外部キーボードがサポートされました。

Bluethoothキーボードを持っていないので、どんな事が出来るか判りませんが、とりあえず機能が用意されたという事で…(ちなみに日本語キーボードの選択は用意されていません)。

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そして、大きく変わったのが通知機能。

ユーザーが新たに作り直すことを前提とした、プルダウンからプロファイルを選択、編集するメニュー方式から、OS7時代に用意されていた初期プロファイルを提示した上で、詳細に機能を制御する方式に戻されました。

また、設定されたプロファイルを登録し、クイックメニューに表示される通知アイコンをタップすることで、常時プロファイルが選択できるようになっています。これも、OS7時代に便利に使っていた機能の再来です。

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USB接続と同様に、直感的に操作や編集が出来る点がBlackBerryの大きな美点。

スマートフォンに対するアプローチとして、アプリケーションが豊富に選べることは大きなメリットですが、操作系がばらばらになる点はいただけません。

一方、Windowsphoneのように、全てのアプリケーションをMetro UIに統合してしまうと、ユーザービリティが良ければ構わないのですが、現状の操作性はあまり褒められたものではありません。

BlackBerry OSの美点は、アプリケーションの通知の部分だけを統合化することで、一貫性のある通知機能をユーザーに提供するという、ページャー(ポケベル)由来の端末メーカーらしいアプローチ。OS10に切り替えた際に、ちょっと忘れかかっていたこの美点を再び思い出しつつあるようです。

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アプリケーション毎の通知も、プロファイルにぶら下げられるようになっています。

そして、嬉しい変更点は、BlackBerry使いなら誰でもその便利さを実感できるLEDによる通知機能。

今回のアップデートで、再びアプリケーション単位でのLEDカラー切り替え機能が、標準機能として使えるようになりました。これで、使用しているアプリケーションに応じて、LEDカラーを変更可能になります。なお、この変更に伴い、連作先毎の通知設定作成は別メニューとして独立しています(プロファイルと連動するかを選択)。

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ここからは、追加の機能です。

高度な機能として、手に持っている間は画面スリープに入らないようにする機能が追加されました。

バッテリー駆動時間を気にされる方には、画面スリープ時間の短縮と併せる事で、効果を発揮しそうです。

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そして、バッテリー節約モードも新設されています。

常時節約モードを効かせるか、一定の容量以下で機能を開始させるかの選択があるのは他のデバイス同様ですが、高度な操作をオフにするという選択肢があるのが、ちょっと面白いかもしれません。

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最後に、キーボード好きなBlackBerryファンの方(しかいないかぁ…)、お喜び下さい。

キーボードショートカットの編集画面が用意されました。

26文字分、とりあえず画面を上げておきますので、入手された際にはどうぞ思い切ってカスタマイズされて下さい。

操作性自体も、画面切り替えがクイックになったり、変換確定時の表示も少し高速化(どちらもぬるぬる感は逆に減少)したりと、使用感も向上したOS10.3.1。ちょっと挙動に疑問がある点もみられますが、実用性は大きく進歩したようです。その進歩の形は、ちょっと厳しめに言えば、OS7時代の快適性再現。

OS10を登場させた際に、これまでのユーザー層をある意味切り離してでも、新たなユーザー体験を求めたBlackBerryが、Classicを観て、もう一度BlackBerryを使ってみたいと思った、旧来のユーザーを裏切らないために用意した、端末メーカーとしての視点に立ちかえった、今回の改良だったのかもしれません。

碧空の覗く静かな霧ヶ峰(2015.2.15)

粉雪舞う御射鹿池から麓に降りると、少し日差しが戻ってきました。

これならばと、もう少し足を延ばしてみます。

霧ヶ峰の雪原とSX4麓を迂回して、池のくるみ側から霧ヶ峰に上がって来ると、碧空が覗き始めました。

ビーナスライン通行止め看板20150215ビーナスラインは報道等で伝えられているように、車山付近で雪崩が発生したため、通行止めになっています。

雪崩でビーナスラインが通行止めになったという事はあまり聞いたことがありません。

雪の多い今年の状況を象徴しているかのようです。

注記(2015.2.25):現在の通行止め区間は、車山スキー場から富士見平駐車場間に短縮しています。

茅野から白樺湖、大門峠方面経由で車山スキー場までと、諏訪から霧ヶ峰経由で車山肩及び富士見平駐車場までは通行可能です(写真の通り圧雪路ですので、滑り止め装備は必須です)。

現在の通行止め区間は、再び雪崩の発生する恐れがあるため、依然として開通の目途は立っていません。雪崩の現場状況並びに最新の通行情報は諏訪建設事務所の注目情報をご確認ください。最新の通行禁止区間のマップは、長野県統合型地理情報システム(GIS)「信州くらしのマップ・交通規制情報」から確認出来ます。

碧空と雪原の霧ヶ峰通行止めのせいで、周辺の道路は殆ど車が通りません。

静かな雪原で聞こえてくるのは、僅かに遠く霧ヶ峰スキー場から聞こえてくるFMの音。

暫し青空と雪原を楽しみます【これより下の画像は、クリックして頂くとフルサイズで表示されます】

碧空と樹氷2碧空と雪原の落葉松1碧空と樹氷3碧空と樹氷冬の碧空の下、樹氷の白さが映ります。

霧ヶ峰の雪原と八ヶ岳遠望今日はビーナスライン経由で向かう事の出来ない、八ヶ岳の峰々を霧ヶ峰から遠望。

雪原の池のくるみすっかり碧空の戻ってきた、池のくるみからの遠望を。

夕暮れの圃場と雪の八ヶ岳麓に降りてくると、碧空が広がっていました。

まだ雲が残る八ヶ岳のパノラマを。

雪原の圃場と夕暮れの八ヶ岳2雲が晴れつつある、八ヶ岳の主峰、赤岳を望んで。

雪原と夕焼けの八ヶ岳連峰夕暮れ。雪原となった圃場の先に夕焼けを受けた八ヶ岳の峰々が輝きます。

晴れ間の覗いてくれた冬の午後。その分、夜になると再び冷え込んできました。

日暮れはすっかり遅くなりましたが、冬の寒さは今しばらく続くようです。

小雪舞う冬の御射鹿池(2015.2.15)

冬の週末。

天気の良かった土曜日とは打って変わって、曇天の日曜日。

冬の碧空は望めませんが、その分しっとりとした風景が楽しめるはずと、いつもの場所に出掛けてみます。

雪の御射鹿池アプローチアプローチは圧雪路。SX4の直結四駆を駆使しても、ハンドルが度々とられます。

慎重なハンドルさばきが求められますが、楽々と下ってくるのはFRの筈のタクシーの群れに、路線バスが何台も!流石に地元のプロは慣れてます。

雪の御射鹿池1奥蓼科の御射鹿池に到着です。

空はどんより、時々雪が舞ってきます【ここより下の画像はクリックして頂くと、フルサイズで表示されます】

雪の御射鹿池3池の周りにはスノーシューで歩いた跡が残っているため、辛うじて湖畔近くまで寄る事が出来ます。

雪の御射鹿池8周囲の山々も雪で真っ白になっています。

雪の御射鹿池2撮影中、吹雪いてきた風で湖面の雪が巻き上げられていきます。

雪の御射鹿池5湖畔の木々は真っ白に雪化粧しています。

雪の御射鹿池6雪の御射鹿池4暫し、美し樹氷に見入ります。窪地にある湖畔では風は強くありませんが、足元からしんしんと冷え込んできます。

雪の御射鹿池7県道脇から御射鹿池を遠望。

温泉から下ってくる車がひっきりなしに通りますが、天気が悪いせいか、池に足を向ける人はごく僅か。

久しぶりに御射鹿池をじっくりと満喫できた、午後のひと時。

今月の読本「カラー新書 駅をデザインする」(赤瀬達三 ちくま新書)人が集う空間への理想と最大公約数としての公共デザイン

今月の読本「カラー新書 駅をデザインする」(赤瀬達三 ちくま新書)人が集う空間への理想と最大公約数としての公共デザイン

New! : 本書で著者が渋谷駅と並んで酷評を浴びせていた複雑怪奇な新宿駅の構造と、サインシステム。実は、東京オリンピックを目指した整備事業計画の中に、これらの表示体系を整備しようという都の計画があり、2015年から活動を開始していました。2016年の春に計画案が公開されましたが、このサインシステム整備計画「新宿ターミナル基本ルール」の専門アドバイザーとして、著者の赤瀬達三氏が就任しています。本書でも数多くの指摘を行っていた新宿駅の問題点。根本的な問題である構造までは手を付けられなかったようですが、各社、ビルによってばらばらなサインシステムが遂に一本化されるようです。今年から数年を掛けて更新される新しい新宿ターミナルの共通サインシステム。既にデザイン指針が都のホームページ内にある「新宿ターミナル協議会」にそのコンセプトと共に掲載されています。

 

最近の新書は、創刊ラッシュでブームとなった数年前の状況からもう一歩進んで、テーマのタイムリーさを競ったり、レーベルの得意とする著者やテーマをシリーズ化するといった内容の特徴を競い合うようになってきました。

そんな中で、最近積極的にカラー版の刊行を手掛けているちくま新書の今月の新刊は、東京に住んでいる方ならだれでも知っている、誰もがお世話になっている、あのデザインを手がけた方による、公共デザイン論を扱った一冊が、手ごろなカラー新書として登場です。

駅をデザインする駅をデザインする」(赤瀬達三著)です。

本来であれば、10000円近くを覚悟する必要のある、このようなデザイン論を製作者が解説する書籍(本書も、鹿島出版会から2013年に刊行された「サインシステム計画学-公共空間と記号の体系」を一般向けに書き下ろしたことが冒頭で述べられています)ですが、本書ではカラー新書として、そのアウトラインを極力盛り込むために、価格、紙質、写真点数、そしてページ数と、精いっぱい努力して作られたであろうことが想像できます。

著者は表紙に描かれる、あの営団地下鉄(現在の東京メトロではありません)のサインシステム(ラインカラーと丸マーク)基礎設計を手掛けた、国内におけるサインシステムの権威として著名な方です。文章自体は、前述の制約の為でしょうか、まだまだ言い足りないといった感が滲んでいますが、それでも第一人者の方による公共デザイン(サインシステム)への想いが、このような形で手軽に読める事はとても嬉しい事です。

本書は大きく分けて4つのテーマに分かれて書かれてます。著者の手掛けた代表的なサインシステムの紹介とそのコンセプト。サインシステムに留まらない、駅舎(特に地下鉄駅)の空間デザインへの想い。そして、比較として取り上げられる海外の鉄道におけるサインシステムと、駅舎の空間デザインのポイント解説と、ネガティブな比較としての、国内鉄道の事例。

自身の手掛けた作品で実現できなかった部分についても、ネガティブな事例として取り上げている事例でも、第一人者故に許されるのであろう、極めて辛辣な評価が随所で見られる、かなり厳しめな筆致も多いのですが、指摘自体は頷かざるを得ない見解ばかりです。その厳しさは人々が集まる「公共空間」におけるデザインの大切さを誰よりも配慮したいと願う、著者の考えの表れなのかもしれません。

著者のコンセプトとして、その中核として書かれる点は2つ。人々が集まる空間としての開放性の高さの確保と、シンプルで普遍的な表現によるサインシステム。

特に地下という閉鎖空間に構築される地下鉄駅における、人の集合する場所としての空間スペースの取り方、開放感の与え方については地上の駅以上に配慮が必要な事、自然光への拘り。地上の駅でもホームを渡る連続的な屋根構造や、解放デッキ構造にすることで、ホームを見渡しやすくすることによる移動目標への視認性の向上(屋根もなく、跨線橋からホームが一望できた、昔の乗換駅を思い出します)、動線分離による案内自体を不要とする通路のレイアウトといった、駅という空間の設計方法への著者の理想が、実例としての海外の駅との比較で述べられていきます。そこには、鉄道建設における土木偏重主義(駅も構造物の一部とみなされる、建築部門はメーキャップやら化粧やらという自虐的な発言も拾っています)への強い憤りも述べられていきます。

そして、サインシステムとしての駅の表示に対する考え方も、本質的には空間デザインを補完するもの、空間デザインがまずあるはずだと明確に述べています。その上で、サインシステムの目的は極力シンプルに表現するもの。標記にしても、地図にしても、書かれている文言にしても、複雑さを排除して、目的に対して明確な指示を与えられることを最大限に意図している事が判ります。

この判りやすさへの視点は、日本人が得意とする、細やかな配慮を拾って形作っていく最小公倍数的なアプローチとは対極にある、明確な目的に対して、無駄をそぎ落としていく最大公約数的な表現。横浜駅のコモンサインシステムにおける英語表記の思い切った省略による、日本語表記に負けない文字サイズの確保(最初に見たときに、”JR L. Keikyu L. Tokyu L. Minatomirai L. Sotetsu L. Subway”という標記に、なんじゃこりゃ!地元馬鹿にしてるのか、と思ったのですが、文字サイズとの兼ね合いである点は良く理解できます)はその代表例かもしれません。その根本は、必要以上のサイン氾濫を戒め、駅周辺地図における必要以上の高彩色使用の抑止や広告に類するような固有名詞表記の整理による視認性の徹底した追求、更には第二外国語以外の表記すらも、文字サイズが小さくなるのであれば止めた方が良いという(アルファベットや数字による共通記号やピクトグラムが備えられている事が大前提)、徹底した割り切りによる判りやすさへの視点が貫かれているようです。

そのような公共デザインへの強い想いを持つ著者の、現在の日本の駅に対する評価は非常に厳しいものがあります。判りにくさの象徴でもある新宿駅は言うに及ばず、地下鉄の駅空間としての開放性という意味では特筆に値する、著者がサインシステムを手掛けた、みなとみらい線でさえ、土木と建築、そして建築とサインシステムとの整合性が図りきれていない点を指摘していきます(当初計画していた外照式デザインは、後に同じ横浜を拠点に路線網を広げる相模鉄道で採用されることになります)。

最後に述べられる新しい東京メトロのサインシステムや、東横線渋谷駅の空間デザインとサインシステムの氾濫への苦言は、その先に続く東京オリンピックを見据えた、交通システム体系の抜本的な見直しと、日本の公共デザインに対する更なる努力を求めているようです。

ここから、読後の余禄。

私自身は横浜に長く住んでいたので、営団地下鉄以上にラジカルなデザイン戦略を採った横浜市営地下鉄(駅ナンバーもここが発祥)も、みなとみらい線、そして国内では極めて珍しい事業者間で統一されたコモンデザインシステムを採用した横浜駅の事例も極めて身近に接していました。本書には、これらのデザインにおける苦労や裏話とも思われる逸話も述べられています。

みなとみらい線における駅デザインと、シンプルなサインシステムは、著者のやり切れなかった想い(と、ある恨み)を差し引いても、日本の他の鉄道にはないコスモポリタン的な雰囲気を感じさせます(元町・中華街駅のエントランスからホームまで繋がる、終端駅の立地を生かした連続する空間の広がりは強い印象を与えます)。また、横浜駅のコモンデザインにおける導入当初の大混乱(当初は、みなとみらい線のサインシステムがなんでこんな場所まででしゃばっているのかと憤慨していました)や、行政が定めた位置認識が不可能(誰も横浜駅の南端側を「みなと」などとは思っていません)な出入り口呼称より、高島屋やそごうといったランドマークの方がよほど認知度が高く、後に追記せざるを得なくなった点などは、著者の公共性への想いとは裏腹に、現実との整合も同時に必要であることを認識させられる点でした。くんだの件は…お読みください)。

<おまけ>

本ページでご紹介している、関連書籍について。

今月の読本「航海の歴史」(ブライアン・レイヴァリ著 千葉喜久枝訳 創元社)それでも海を往く

今月の読本「航海の歴史」(ブライアン・レイヴァリ著 千葉喜久枝訳 創元社)それでも海を往く

購入してから一か月余り。

遥かイギリスを船出したこの一冊が、難波の書肆によって訳された後、この山奥に辿り着くまで随分の時間を経ているかと思いますが、読むのにもそれなりに骨が折れる大ボリュームに嫌気がさして、他の本に浮気をしながらちょっとずつ読み進めて漸く読了するという体たらく。

ボリュームだけではありません。何せ4000年にも渡る歴史を綴っているので、頭の整理を考えても一気読みは到底叶いません。細かく分けられたセクションを日によっては1つだけ何とか読んだり、ちょっと固まった時間が取れた時には一気に一章読んでみたりと、変化を付けながら漸く読み切ったといった今回の一冊。

航海の歴史航海の歴史」(ブライアン・レイヴァリ著 千葉喜久枝訳 創元社)です。

著者はイギリスでは有名な考古学や海洋関係の書籍、TVの製作に携わっている海洋史家(この職業自体、日本にはありませんよね)。七つの海を制覇したイギリスが誇る、グリニッジの国立海洋博物館名誉学芸員の称号を持つ、本書のテーマを扱うには最も相応しいと思われる方が書かれています。

従って、本書の内容もイギリス中心で描かれてはいますが、他のイギリス人作家の作品にあるような、がちがちのイギリス中心主義でない点に興味が惹かれます。それは海洋史のルーツからすれば、初期の歴史においてイギリスは辺境に過ぎず(バイキングに荒らされる側)、海洋世界における覇権を握ったのは、せいぜい17世紀以降。しかも20世紀の終わりにはその帝国もすっかり縮小しており、既に主役たる位置には立っていない事を冷徹に見据えて描いているようにも思えます(フォークランド紛争の記述など、記述自体が常に公平だとは言えませんが)。

本書が扱う航海の世界は、時間軸ではポリネシア人たちの太平洋をカヌーで渡る物語から始まって、ソマリアの海賊問題までの4000年以上、空間軸は地中海から始まって太平洋に至るという、ヨーロッパの海洋史で扱われる世界観そのままですが、中には鄭和の大航海が差し込まれていたり、ペリーと日本開国の物語(その後の真珠湾攻撃を評して、屈辱を晴らすと書かれている点が実にイギリス人的な表現)が語られたりと、航海の世界におけるインパクトの強いトピックへの配慮も忘れていません。

総ページ数400頁。全6章44のセクションで綴られる本書は、豊富に挿入される美しい図表を眺めながら、歴史を追って航海にまつわる物語を楽しむ…と言いたいところですが、そこに描かれる世界は全く以て魅力的ではない、むしろ嫌悪感の方がよほど大きい物語が延々と綴られていきます。

人にとっては全く快適ではない揺れる船上に閉じ込められた乗船客を支配するのは、荒くれ者の集団である男たちと、その指揮下で喘ぎながら働き続ける奴隷たち。乗客の運命は気まぐれな海の天候同様に常に彼らの気分次第。運ばれる品々は黄金であったり貴重な産物であることもありますが、時にはぎゅうぎゅう詰にされて新大陸へと渡る移民たち、時には新大陸で略奪した金品の数々、そして人として扱われることのない奴隷をぎっしりと詰め込んで大西洋を渡る三角貿易。私掠船免許を振りかざして跋扈する海賊に、更には繰り返される戦争、戦争、また戦争…。

もちろん、クックの太平洋探検や蒸気機関による大西洋横断の偉業(そして余りにも悲惨な物語も)。そして近代に入るとサミュエル・プリムソルのプリムソル標の話や、荷揚げの効率化の究極を目指したコンテナ(しっかり中核港の移転や港湾労働者の失業にも触れている点は流石)。科学的側面での探検や深海探査、更にはアメリカズカップなどのスポーツとしての海の話も出て来ますが、本書の大部分はロマンチシズムとは無縁の、戦いと略奪、欲望の物語に彩られています。

その戦いの歴史は、如何に長距離から相手の船を打ち負かすか。海賊の如く直接乗り込んで戦う白兵戦から、砲が生まれ、船べりに並べられた大砲を放ちあう平行戦。そして、有視界いっぱいの距離から放たれる巨砲による砲撃戦と弩級戦艦の登場。空母と航空機による爆撃による、有視界外から攻撃するという海上戦の一変(ここで旧海軍の対馬沖海戦によるバルチック艦隊との史上初の近代海上戦と太平洋戦争時の空母航空戦の優劣を決したミッドウェイ海戦が語られます)。遂には、長距離ミサイルを搭載した中型艦艇同士の射程外でのにらみ合いと、弾道ミサイルを搭載した無限の航続力を有する原子力潜水艦が対峙することで、双方が決定打を失った現代の海上戦。

乾燥した戦いの物語が多く続きますが、それぞれの物語ごとに登場人物がその背景を語るように描くことで、無機質とならないよう、そして現実感との遊離が起きないように配慮された筆致には好感が持てるところです。そして、嫌悪感すら感じられる物語が続くのにも拘わらず、どんどんと海上で繰り広げられる物語に引き込まれてしまいます。どうしてなのだろうと考えていた時に、本書の最後のセクション(ソマリアの海賊問題)で語られる人質のドイツ人船長の言葉が極めて印象的でした。悲惨な人質生活から解放された彼が語った言葉は

「海の生活をやめる気はありませんでした・・・海賊のために自分のキャリアを変えられたくはありません」

その想いは、冒頭のポリネシア人が海に出ていく際の言葉と呼応します。汝は海へと駆り立てられと唄われる哀歌そのままに、人とは目の前に海を見ると、沖へと漕ぎ出したくなる性分のようです。その苦しみの果てに得た物語の数々を紡ぎながら、決して人には征服する事の叶わない海への憧れを抱いて。

<おまけ>

本書の版元さんである創元社は、日本の著作にはない、コレクションしたくなるほどの美しい装丁と図版、広範なフィールドを文化論として扱う、知的好奇心を揺さぶる海外著作の翻訳本を多く取り揃えています。特に有名なのが「知の再発見双書シリーズ」かと思いますが、他にも「地図と絵画で読む聖書大百科」なんていう、こちらもお腹がいっぱいになってしまう本も扱っていたりします(写真は普及版なのですが、それでも価格の点ではお財布が痩せまくりです)。

航海の歴史と聖書大百科本ページで紹介している、訳本や本書のテーマに類似する書籍を。

今月の読本「あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか」(生田與克 角川学芸出版)魚河岸の主が語る、美味しい日本の魚を末永く頂くために

今月の読本「あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか」(生田與克 角川学芸出版)魚河岸の主が語る、美味しい日本の魚を末永く頂くために

書店にたくさん並んでいるお魚をテーマにした本たち。

魚種全般を紹介したもの、生態を解説した本、漁法や釣技を述べる本、そして食べるための魚を扱った本。

どれも大好きで色々と読み漁るのですが、それぞれのスタンスは少しずつ違います。中でも最近気になるのは食べるための魚を扱った本。ここ数年夏場になると叫ばれるウナギ資源枯渇の話題に、遂にとマスコミで騒がれる太平洋のクロマグロにおけるレッドリスト掲載。それに対して、まるでカウンターを当てるかの如く報道される完全養殖の話題。繰り返される漁業不振の報告と、秋田県や新潟県で行われている個別魚種資源管理への試行の賛否に、福島県沖で実際に起きている試験操業の驚くべき結果。

マスコミで採り上げられる際には、時間的な制約、そしてインパクトが求められるため、どうも話題性だけを追求して、本質が述べられていないきらいがあります。そんな中できっちりとした理解を得ようと思ったら、時間を取ってでも、やはり本を読む事が必要です。そこには、漁業者をないがしろにした規制や政策に対する激しい怨嗟の声が語られる一方、海洋の持つ資源回復力の力強さと、その回復力を遥かに凌駕する圧倒的な漁獲圧力への懸念。経済性を犠牲にした保護政策と、それを助長する漁獲、流通方式に対する強い憤りが述べられている筈です。

これまで、複数の研究者の方が上記のような警鐘を鳴らす書籍を出されていましたが、最近になって、実際には経済的な不利益を被るかもしれないバイヤーの方ですら、一時的な不利益を被ったとしても、長期持続的な漁獲を維持するためには厳密な規制が必要であるとの発言をされるようになってきています。理由は、スーパーに豊富に並んでいるノルウェー産のサバ。本来であれば日本の近海で豊富に漁獲できたはずのものが、輸入した方がより型の揃った、そして量も確保できるようになってしまったからに他なりません。そして、その漁業者たちが日本への輸出によって比較的経済的に恵まれた状態になっている事に、バイヤーとしてやるせなさを感じているからに違いありません。

研究者が警鐘を鳴らし、バイヤーが海外における実例を示す中、今度は購入する側に最も近い、そして不利益を真っ先に受けるに違いない魚河岸の主の方による、正面からこのテーマを取り上げた一冊が登場しました。

あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのかあんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか」(生田與克 角川学芸出版)です。

本書は前述ような研究者の方やバイヤーの方が書かれた本とは、もちろんスタイルが大いに異なります。

全編が少々崩した口語体と強調ゴシック体を交えた書式で描かれるお話は、ざっくばらんに魚の事、漁場や魚の流通の事、そして魚河岸でのお話と連ねていきますが、軽妙な筆致の裏には魚河岸に生きるプロとしての矜持が溢れています。著者はマグロ専門の仲卸なのでマグロはもちろんなのですが、それ以外にも多数登場する魚達への愛情と美味しい食べ方(パックで売られているアジのたたきの味気なさへの憂いや、一晩寝かせたアサリの出汁の旨さの話を読みながら、相槌を叩きまくりでした。サンマのはらわたは…お許しください)への拘りは読んでいて気持ちが良いくらいです。豊かな漁場を有する日本の海で獲れた魚。世界で一番おいしいと自慢できる魚たちを、美味しくお客さんに届け、味わってほしいとの、魚河岸としての心意気に溢れています。

その一方で、表題にある「ホッケがなんでこんなに小さくなってしまったのか」。居酒屋の名脇役を敢えて表題に置かれた意図は、著者が最も気にかけている、普段から何気なく魚を食べている人に、実感としてその危機感を感じて欲しいがため。魚河岸に居れば切々と感じる、漁獲が先細りしているにも関わらず、一歩外に出ると依然として全く状況が伝わっていかない事への焦りと、特定の魚種だけがマスコミでエスカレートして持ち上げられる事への危機感の表れとして、下種な魚と呼ばれ、それ故に飲み屋でつまむにはもってこいの大衆魚の代表だった筈が、今や高級魚の仲間入りをしつつあるホッケを表題に持ってくることで、何としてでもその事を伝えたいという、著者の切実な想いが感じられます。

本書の後半で述べられている内容は、前述の研究者の方やバイヤーの方が書かれた本(巻末にお名前が列挙されていますので、ご興味のある方は是非ご一読を)と大きく変わるものではありません。ただ、決定的に違うのは「魚屋さん」が遂にこの点について言及しなければいけない段階まで来てしまったこと。そして、その解決策は決して無い訳ではない事を、より多くの方に判りやすく伝えたいと切に願っている事かと思います。

著者が述べているように、今ならばまだ間に合うはず。世界三大漁場と謂われる豊かな日本の海が持つポテンシャルが、北大西洋のタラのように空っぽになってしまう前に。海を埋め尽くしたと評される、北海道のニシンのように二度と戻って来なくなってしまう前に。そして、これからも日本の海で獲れた魚を美味しく頂くために。

<追加情報2015.2.6>

下記にもご紹介しておりますバイヤーの方による、本書の後半部分「ホッケがなぜ小さくなってしまったのか」について、バイヤーの目線で3つのポイントを紹介する記事がweb上に掲載されています。出来れば、本書を読まれた後でご覧頂いた方が良いのですが、まずはwebでご覧頂くのも良いかもしれません(連載シリーズなので、ご興味のある方はバックナンバーの記事も)。

 

<おまけ>

本ページでご紹介している、他の魚や海産物関係の書籍について。