驟雨の中、春を待つ八ヶ岳山麓(2015.3.29)

桜の開花が発表され、既に満開を迎えた東京に対して、標高800mを越えるここ、八ヶ岳南麓はまだ春を待ちわびる段階。それでも、少しずつ春が近づいてきています。

碧空の八ヶ岳と開花前の桜火の見やぐら越しに眺める朝の八ヶ岳。桜の開花にはまだ早いようです(3/24)

碧空の南アルプスと開花前の神田の枝垂桜峡北の桜の銘木。北杜市小淵沢町の神田の枝垂桜もまだ芽吹く前。

樹勢回復措置中のため、碧空の下に伸びる枝垂れの枝ぶりもすっかり寂しくなってしまいました(3/25)

驟雨の八ヶ岳1驟雨となった週末の日曜日。

気温の高まりとともに、雲の向こうに望む八ヶ岳の雪渓はすっかり痩せて細くなってきました(3/29)

驟雨の八ヶ岳2標高1300mを越える野辺山。この辺りまで登ってきても路肩や牧草地に僅かに残る程度まで雪が減ってきました。

雪の残る八ヶ岳高原ヒュッテ標高1600m程に位置する、八ヶ岳の東麓の最深部。海ノ口別荘地に建つ、八ヶ岳高原ヒュッテ(旧尾張徳川家目白邸宅)。

冬のシーズンはお休みのため、周囲はひっそりとしています。流石にこの標高ともなると、そこかしこに雪が残っています。

驟雨の中、開花前の田端の枝垂桜1再び麓に戻って、諏訪郡富士見町、信濃境にある田端の枝垂桜を観に行きます。

霧に沈む南アルプスを望む枝垂桜はまだ冬の装い。それでも用水の水の流れる音が春の訪れを教えてくれます。

驟雨の中、開花前の田端の枝垂桜2花の蕾がほんの少し膨らみ始めている田端の枝垂桜。

緩やかな足取りを見せる山麓の春。開花まではあと2週間ほどかかりそうですが、その時、遅れてきた春は一気に山を駆け上ります。

 

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24年に渡った林原めぐみさんの「ハートフルステーション」最終回とフラミンゴスタジオが結ぶ「マミ姉」と「めぐ姉」のラジオコミュニケーション

24年に渡った林原めぐみさんの「ハートフルステーション」最終回とフラミンゴスタジオが結ぶ「マミ姉」と「めぐ姉」のラジオコミュニケーション

昨晩(3/28)、24年に渡って放送された、ラジオ関西をキーステーションにネットされるラジオ番組「林原めぐみのハートフルステーション」が最終回を迎えました。

最終回収録の模様は、スポーツ紙にも掲載されたように、デビュー曲を手掛けた辛島美登里さんを迎えての放送となったようですが、遅れネットとなる当地でこの放送を聞くのは今夜になりそうです(唯一ステレオ放送で聴けるのです)。

所謂「アニラジ」という言葉が成立する以前から放送されていたこの番組。古くは「トピア」や「ラジオアニメック」の時代からラジオに親しんでいた私としては、これらの番組を特にアニメのラジオという点で意識せず、楽しいおしゃべりが聴けるラジオ番組として愛聴していました。

そして、最終回の収録場所のキャプションを観て懐かしい想いが蘇ってきました。「フラミンゴスタジオ」、このフレーズが何を意味するかはリスナーの方によってさまざまかと思いますが、私にとってフラミンゴスタジオといえばもちろん、往年の東海ラジオをキーステーションにネットされていた、小森まなみさんの「mamiのRADIかるコミュニケーション」。

小森まなみさんがその活動の拠点として、25年間の番組が終わる最後まで大切にしてきた同じスタジオで、同じマイクの前で24年間に渡って語り続け、そして最終回を迎えた林原めぐみさん。

アイドルDJからスタートした小森まなみさんと、アイドル化が始まった時代の声優としてスタートを切った林原めぐみさん。お二人のラジオパーソナリティとしてのトークのスタイルは大きく異なるかもしれませんが、そのスタートはとても似ている気がしています。そして、お二人の息の長い活動を支えたベースには、当時としては数少ないファンとのコミュニケーション手段であったラジオがあったと思います。

本来は自分たちの活動をアピールする場所(スポンサー持ち出しの所謂宣伝番組)としてのこれらのラジオ番組なのですが、彼女たちの番組はそのようなスタイルを越えて、リスナーと真摯に向き合い、はがきを通じたコミュニケーションをとても大事にしてきたように思えます。小森まなみさんが好んで使われた言葉「心と心のキャッチボール」。放送自体はOne wayかもしれませんが、はがきを通したリスナーとのTow way communicationをとても大切にした彼女たちの番組。ハートフルステーションが阪神大震災の直後に放送された際には、非難の声も挙がったようですが、それでも番組を通してリスナーの安否を気遣い、その後、須磨の仮設スタジオに駆けつけての放送を敢行。そして20年目の今年、盟友ともいえるラジオ関西の番組(青春ラジメニア、司会の岩崎アナとラジオ関西の震災における特別放送の記録は必見に値します)に再び生放送で登場して当時の想いを語る。

昨今であれば、多様な情報伝達手段が利用できるために、ラジオによるコミュニケーション手段に拘る必要性は薄くなっているのは事実。現に、既存の有償メディアに囚われずに、ストリーミングで自由に番組を作る事すら当たり前になっています。そんな中でもラジオというメディアを大切にしてきたのは、そこがパーソナリティとリスナーたちが集まる「スペース」だからでしょうか。遅れネットなどの時間差はあれど、同じ番組を同じように聞くという、放送だけが有する同時間性が生み出す共有感を大切にしてきた、これら長寿番組たち。

番組製作者や古参のリスナーからはマスコットのように愛され、年下のリスナーからは、少し目上のお姉さんのように慕われた彼女たち。スポン サー持ち出しに近い形態ゆえに、番組構成も進行も比較的自由に組めたであろう点は、昨今続々と終了を迎えている、一社提供番組と同じような構図が見られる ようです。

姉妹番組の方はまだ続くようですが、春を迎えて一つのシーズンがまた想い出の向こうへと旅立つようです。熱心なリスナーの証でもある雑音リスナーとしてではなく、今夜だけはFMでじっくり聴こうと思います。

ICR-SW700林原めぐみと小森まなみのCDジャケット背表紙

<おまけ>

今月の読本(番外編)「かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)新ジャンル文庫が送る一作目は、小劇場の舞台を観るような、想いが赦しへと昇華するストーリーのプロローグを

今月の読本(番外編)「かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)新ジャンル文庫が送る一作目は、小劇場の舞台を観るような、想いが赦しへと昇華するストーリーのプロローグを

New!(2015.10.31):あとがきで著者より予告が出ていましたが、本書の続編「かなりや荘浪漫 星めざす翼」が11/20に刊行されることになりました。本ページが番外編とありますように、イントロダクション的であった本作。2巻目では徐々にストーリーの中核に進んでいくようです。

 

かなりや荘浪漫 星をめざす翼

2巻目「かなりや荘浪漫 星をめざす翼」のご紹介は、こちらから。

 

<本編此処から>

これまでも各社から複数のシリーズが登場していた、新刊としての文芸作品の文庫シリーズ。

これまでであれば、ライトノベルかファンタジーノベルとして扱われていたであろう、これらの作品群が、昨年の新潮社による大々的な参入を受けて、いよいよボーダレスになって来たようです。

そんな新ジャンル文庫に今回参入したのが集英社。新潮社が男性読者寄りでライトノベルタッチのラインナップを揃えてきた事に対抗したのでしょうか、女性読者寄りのファンタジーノベル基調のラインナップを投入するようです。

初回配本となった今回のラインナップのうち、こちらのページでもご紹介したことのある村山早紀さんの新刊をご紹介します。

かなりや荘浪漫かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫」です。

著者があとがきで述べているように、本書はシリーズ化を前提とした1巻目としての体裁をとっているようです。そのため、ストーリー的には主人公である茜音の物語の導入部分が語られるに過ぎません(そのような意味で、番外編です)。

著者の多くの作品が舞台とする風早の街。

本作品も、風早の街にある洋館を改装したアパート「かなりや荘」に集う、心にいくばくかの想いを抱えて暮らす人々の物語が綴られます(今後もそのはず、です)。今回のお話では、著者特有のゆっくりとした導入部で語られる、独白としての茜音の物語や風早の街に巡らされた伏線はあまり使われませんが、次回作以降で徐々に明らかにされていく事でしょう。

そして、ストーリーは明らかに以前の作品である「竜宮ホテル」のテイストを反映したもの。ファンタジーノベル系の読者層に合わせて、少し主人公たちの年齢層を下げて親しみやすさを与えてはいますが、描こうとしている方向性はほぼ同じ。

風早の街を舞台に、其処に居る事に疑問を抱えた登場人物たちの傷ついた想いと、願いと祈りが赦しへと昇華していく物語。

そんな姉妹のような両作品ですが、読んでいくと少し違った見え方もしてきます。舞台がアパートという事もあるのでしょうか、これまでの著者の作品より少し登場人物たちへの距離感が縮まっているような感じをうけます。竜宮ホテルがすこし大きな舞台かスクリーンに映し出される映画の演技を見ている感じがするのに対して、本作ではアパートのダイニングに、そして茜音がこの後に暮らすことになる部屋に入れ替わりで登場する人物たちの息遣いが感じられる、小劇場の舞台で演じられる群像劇を観ているような感触を受けます(本当は感触も息遣いも感じない筈の登場人物も)。これは後半に向かってテンポを上げていく著者の筆致に委ねられる点が大きいかと思いますが、読んでいて親近感が湧いてくる、嬉しい変化かもしれません。

そして、竜宮ホテルとは大きく異なる点。それは、竜宮ホテルが著者と同じ「文章(本)」を以てストーリーが開かれていくのに対して、本作では著者の憧れでもある「絵(漫画)」でストーリーを紡いでいく物語である点でしょうか。そこに重ねる想いは、著者の作品を通して語られる「時を越えて、想いを未来へ届ける事」。

本作の今後の展開は、作品の骨子としては出来上がっているようですが、著者のあとがきのようにまだ未確定のままのようです。著者の想いが、新しい文庫シリーズを支える作品として続いていく事を願いながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している村山早紀さんの作品を。

今月の読本「オオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)一枚のお札を巡る、谷戸から山へと昇る繋がりの物語と、不思議な一方向感

今月の読本「オオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)一枚のお札を巡る、谷戸から山へと昇る繋がりの物語と、不思議な一方向感

数年前の新刊以来、書評やネットでの評判、書店でのpopなどを通して、随分評判になっているのだなと、思いながらもなかなか手に取る事はなかった一冊。

たまたた茅野の書店で、著者が主宰するプロダクションの次回作「ものがたりをめぐる物語」のPR用として刊行された、諏訪の風物を扱った小冊子「そもそも」と一緒に置かれていたために、手の取った次第(ちなみに、私が「そもそも」を手にした書店は、プロダクションの公式サイトの取り扱いでは紹介されていません。所謂観光スポットではなく、地元の方が最も身近に手に取れる場所なのに…ちょっと残念)。

オオカミの護符とPR誌そもそもオオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)です。

この物語を巡るアウトラインを述べるのは、映画として、TVのスペシャル番組として、そして現在では溢れんばかりに流れる情報ソースの中で色々と語られれていると思いますので、今更かと思います。

著者の人となりと、その溢れる好奇心。川崎北部の谷戸を故郷に持つという妙な親近感(私の本籍は川崎の中部辺りにあり、先祖を辿ると多摩川の川渡しの家系に繋がる事を、幼い頃によく聴かされた)と、登場する地名の懐かしさから、少し嬉しくなりながら読み進めていたのですが、巻末に行くに従って微妙な感触を持ち始めます。

一枚の札を巡る著者の想いが、オオカミへの信仰という一側面を離れて、秩父の山々そのものの信仰へ向かって収斂していく過程の描写は見事で、納得させるものがあります。しかしながら、同時に語られる、失われようとしている谷戸や山里における慣習や、風俗への想いに著者が満たされていく様子を読んでいくうちに、何故か7000戸にも達するという、現在の谷戸に住む人々が、筆致の中から徐々に消え去られていく様な感触を得てしまったことです。それでも、著者は要所で配慮を示す筆致を入れていますが、その想いの馳せる先は、一途に山へと延びていき、今の里に住む人々への想いには、なかなか戻ってこないようです。

その上で、著者は里で農耕を行う「お百姓さん」が山へ山へと集っていく、そして山で彼らを迎え入れる風物について、失われないうちにという強い想いを込めて、精力的に取材を続けていきます。また、そのお札を奉り、彼らに対して供物を捧げた人々の営みについても、著者の経験と取材を通して述べられていきますが、何故、山の人々がそのお札を里に配る必要性があったのかという事が、すっぽりと抜けているように思えたのでした。著者は里の「お百姓さん」が、農作物の豊作と天候の安定を願ってそれを求めた事を丁寧に説明されていますが、そもそも御師にしても山から下って来るものであり、講はその御礼として組織されるものの筈。そこには山の側から求められる、経済的な結びつきが生じていたはずなのですが、本書では最後まで述べられることはありません。

図らずも直近で読ませて頂いていた、本書(文庫版)でも解説を書かれてる内山節氏の著作で、著者が指摘している点と同じ点に着目します。山の生活における「稼ぎ」と「仕事」。そこには山里の暮らしが山里だけでは完結しえない事を明確に示しています。「稼ぎ」としての経済活動。川の流れ、峠に沿った往来との関わり合いがあって初めて山里の生活が成り立つことを述べています。著者はその中で「仕事」としての側面に強く印象付けられたようですが、一方でほとんどの生活が「稼ぎ」の場となっている現在の里にも、何らかの想いは宿っている筈なのですが、その想いを描くことは本書の範疇を越えてしまうようです。

そして、内山節氏が著書で暗示するように、現在の山里の「稼ぎ」の場が「公共工事」であることも。

繋がりを求めて描かれた、著者の山へ対する強い希求の念の一方にある、山の人々が欲したであろう里との繋がりが語られることのない本書を読みながら、少しばかりの困惑を感じながら頁を閉じた次第です。

諏訪を起点にして語られる、次作「ものがたりをめぐる物語」が、山深い信州から飛び出して、東京へ、そして世界へ向かって活路を見出していった諏訪の人々の物語を汲み取ってもらえる事を。その昔の御師たちが、全国を廻って彼らの想いと、人々の想いを繋ぐ役割を果たし続けた事が汲み取られることを、(それこそ勝手に)願って。

<おまけ>

本書に関連するテーマの書籍を、本ページからご紹介。

県境の小邑、信濃境をカメラ片手に(四季の撮影マップ)

甲斐と信濃の境に位置する、山梨県北杜市小淵沢町と長野県諏訪郡富士見町との境界の町、富士見町信濃境。

八ヶ岳南麓のリゾート拠点である小淵沢と、八ヶ岳周辺でも最も標高が高い、国内有数の高地に広がる(1000mを越えます)市街地、富士見に挟まれた静かな小さな町です。

何の変哲もない山間地ですが、のんびりと写真を撮影するにはとても良い場所。お休みで少し時間が取れる際には、ちょこちょこと撮影して廻っています。

こちらのページで、そんな信濃境の撮影場所を季節に合わせてちょっとご紹介させて頂きます。皆様がお越しの際に多少なりともご参考になりますことを。

大切なお願い : 撮影場所付近は一部には駐車場がありますが、殆どの場所が公道沿いとなります。地元の皆様が日常生活で使われる、大切な生活道路です。お車でお越しの際には、通行の迷惑にならないよう、駐車場所には十分に配慮して頂けますよう、お願い致します。

各画像のNoには、掲載先のリンクを用意させて頂いております。

信濃境撮影マップマップをクリックして頂くと、フルサイズで表示されます。

キャプションNoの場所で撮影した写真をご紹介していきます。

<春>

①田端の枝垂桜

田端のしだれ桜と南アルプス②鼎談桜

田端新田鼎談桜20140504_2③池生神社

池生神社④信濃境駅の夜桜

信濃境駅と夜桜⑤-1高森観音堂と周辺の桜たち

高森観音堂の枝垂れ桜と信濃境の桜達140420_8⑤-2高森観音堂と周辺の桜たち

高森観音堂の枝垂れ桜と信濃境の桜達140420_5⑤-3高森観音堂と周辺の桜たち

高森観音堂の枝垂れ桜と信濃境の桜達140420_4⑤-4高森観音堂と周辺の桜たち

高森観音堂の枝垂れ桜と信濃境の桜達140420_2⑥境小学校の桜とこいのぼり

境小学校の桜と鯉のぼり⑦葛窪の枝垂桜

葛窪の枝垂れ桜140425_2⑧葛窪界隈の枝垂桜

葛窪地先の枝垂桜1<初夏から盛夏>

A.南アルプスと水田

水田越しに甲斐駒をB.井戸尻考古館の古代蓮

井戸尻遺跡の大賀ハス20140720_1B.井戸尻考古館の水車と南アルプスの山並み

井戸尻遺跡の水車と南アルプスC.境の落葉松林と網笠山

D.高森中山間地向日葵畑

富士見町・高森

<秋>

E.葛窪の蕎麦畑

快晴の蕎麦畑4F.葛窪の蕎麦畑2

甲斐駒と蕎麦畑G.葛窪トンネルの蕎麦畑

霧に沈む蕎麦の花1H.先達甲六公園の蕎麦畑1

晴れた朝の蕎麦畑1I. 先達甲六公園の蕎麦畑2

晴れた朝の蕎麦畑2③池生神社の蕎麦畑

蕎麦畑と池生神社J.工業団地横の蕎麦畑

光芒と蕎麦畑2K.先達のコスモス

コスモスと八ヶ岳L.先達の圃場と稲穂

黄金色の夕暮れM.境の落葉松林黄葉

富士見町・境N.蔦木の落葉松の黄葉と富士山

山並の黄葉と夕暮れの富士山

<冬>

K.先達の雪原と南アルプス

 雪に覆われた水田越しに南アルプスをE.葛窪から夕暮れの甲斐駒

甲斐駒にかかる茜雲A.どんど焼きと雪の八ヶ岳

どんど焼きと八ヶ岳O.机より雪の釜無川河岸

実験撮影雪の落葉松林P.高森より南アルプスの山並みと春先の夕暮れ

春まだ早い夕暮れの水田

今月の読本「ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯(原題:No crystal stair)」(ヴォーンダ・ミショー・ネルソン、原田勝:訳 あすなろ書房)本を通じて伝えたい想いと家族の記憶を

今月の読本「ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯(原題:No crystal stair)」(ヴォーンダ・ミショー・ネルソン、原田勝:訳 あすなろ書房)本を通じて伝えたい想いと家族の記憶を

New!(2016.6.15):ご紹介が少し遅くなってしまいましたが、本年度の第62回青少年読書感想文全国コンクール、高等学校の部課題図書に本書が推薦されました。いち通りがかりの読者ではありますが、このような機会に、本書がより多くの方の目に触れる事が出来ます事を願っております。

 

多分、普段なら全く買わないであろう一冊。

購入した本屋さんが、比較的思想系の書籍を推していらっしゃる関係で入ってきたのでしょうが、何故か歴史書の新刊として並べられていました。そのような背景を知らずに、単にアメリカの本屋さんの一代記、しかも歴史書にしてはA4変型判の随分不思議なフォーマットだなあと思って立ち読みをし始めると、その落差にある意味圧倒されて購入した次第。

絵本とも読み物とも違う。伝記とも物語とも違う。これまで見た事もない、不思議なスクラップブックのような構成と体裁。モノトーンで描かれる、エピソードの要所を締める挿絵。

読み始めてみると、更にその内容に圧倒されて、一気に読み進めてしまいました。

そんな、印象的な一冊をご紹介です。

ハーレムの闘う本屋ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯(原題:No crystal stair)」(ヴォーンダ・ミショー・ネルソン、原田勝:訳 あすなろ書房)です。

本書の題名と、その帯の解説を読んでしまうと、少し身構えてしまいますが、原題の方がより本書の性格を正確に表しているようです。最後にルイスの言葉として語られる「水晶の階段じゃなかったけど」(この詩の出典は、訳者である原田勝氏のブログに掲載されています)。生年も、本名も判らなくなってしまった。そして、全米に名声を博す、ラジオエバンジェリストの兄に対して、鼻つまみ者として、荒れた青年、そして壮年時代を経て、片目を失いながらも、遂に自らの使命を悟って、ニューヨークのハーレムに、黒人の黒人の手による黒人が学ぶための膨大な書籍を集めた、伝説の書店「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」を興した男の、屈曲しながらも登り続けた一代史としては、こちらの方が相応しいようです。

邦題では、僅か5冊の本からスタートして、35年を経て、閉店間際には22万冊の蔵書を誇るようになった本屋と、そこに集うマルコムXのような著名人や、黒人作家、詩人たちにとっての文化サロンといった後半部分の印象がどうしても大きくなってしまい、更には帯にあるような、暴力/非暴力活動に身を投じていたように感じさせますが、どうやらこれらの印象は大きく異なるようです。

わざわざFBIファイルを繰り返し載せているように、そしてフィクションとしてストーリーに重ねられていく記録を通して、議論好きで、店の前では何時も物議の醸す発言を集った人々へ声を上げて語り続けていたようですが、彼自身はこれらの活動に直接的には一切関わっていなかった事が判ります。

そのような活動に熱を入れる人々に対して、彼の取ったアプローチこそが本書の伝えたかったこと。それは、自分を知る事。そのためには自分の過去、自分たちの歴史を知る事。即ち、本と通して自らの歴史を学ぶこと。

アメリカのプロテスタント特有の思想に裏付けられた、一人一人が、神への敬意と自身の良心を信じることで、どのような権威にも負けない、自立した一人の人として生きていくために。その根本たる歴史を綴り、読む事を失ってしまった黒人たちに、本を通してその素地を養う事の大切さを語り続ける事で、その想いに共感した人々が彼の周りに集まってくる。その想いを綴り始める作家が現れ、そして彼ら書き手による書籍を率先して扱う事で、書棚を徐々に埋める蔵書が増えていく。自分たちの歴史と想いを綴る本達を、小さな書店を通じて自らの手で増やし、広めていく。遂には「教授」、「博士」とまで親しみを込めて呼ばれるまでに、ハーレムに、そして黒人社会全般に読書の、歴史を学ぶことの大切さを書店を通じて伝える役割を果たすことになります。

そして、本書自身も、巻末に掲載されるツリーダイアグラムが印象的な、ある黒人男性の家族と、その一生を、彼の弟の孫娘が描くという、彼の想いそのままに、家族の歴史を綴った一冊。同時代の黒人なら誰しも同じように、記録が散逸している彼の前半生について、現在も東部に存在する福音伝道神の教会の創設者でもある、彼の兄の伝道師としての活動との交点から描いていきます。

その商才や弁が立つことを認め、教会の一員として生きていく事を望む兄と、現世で生き抜く事を願い(この辺りが福音主義の思想的な分裂を感じさせます)、自らの信念で飛び出してしまう弟。その一生はルーズベルトやトルーマン、何とエドガー・フーバーとも親交があったとされる優秀な兄に対するアンチテーゼだったのかもしれません。そして、兄の活動に対する対抗勢力に肩を貸す結果となってしまった、マルコムXとの親密な関係や、膨大な兄の遺産相続処理(みずからは相続する遺産を削除されていたにも拘わらず)に悩まされる晩年の描写は、彼のやるせなさと、決して切り離すことのできない家族への想いを汲み取る事が出来ます。

他人と群れることなく、他人の思想に共感はすれど自らの信念を曲げることなく、42歳にして転身を遂げた後、精いっぱい生き抜いていった彼。その根底に息づいていた、自らを知るために読む事の大切さと、何時でもその「気づき」さえあれば、変わっていける、変えていけるという強い想いに打たれながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書と関連するアメリカ関係の書籍を。

八ヶ岳南麓にも春の息吹が(2015.3.15)

毎週数回ずつ雪が降るという、珍しいこの冬のシーズン。

出掛けるのも億劫になってしまいますが、3月も中盤ともなると、どうやら春の足音が聞こえて来たようです。

春先の八ヶ岳遠望春先の菜の花畑越しに、雪を被る八ヶ岳を遠望(北杜市長坂町中丸、越中久保溜池)。

冬の間、水を抜かれていた農業用ため池にも水が満たされ、いよいよ農耕シーズンが始まろうとしています。

甲斐駒大橋から望む春先の南アルプス甲斐駒広域農道で最も南アルプスの懐に入っていく、甲斐駒大橋から望む南アルプスの山々(北杜市白州町横手)。左が鳳凰山、右が甲斐駒です。

春らしい、霞んだ午後の空に深く雪渓を残す山々が映ります。

甲斐駒大橋から甲府盆地遠望甲斐駒大橋から甲府盆地側を遠望します。

まだ融雪期には早いのでしょうか。枯草が広がる大武川の河原の水量はごく僅か。

春めいた空の下、遠くに雪を戴く秩父の山々が望めます。

春先の雪原と八ヶ岳すっかり春めいてきたといっても、ここは里に比べればはるかに標高の高い高原地帯。

少しでも標高を上げると、まだまだ雪原が広がっています。

八ヶ岳の東側、南牧村から望む八ヶ岳は雪をすっぽりと被っています。

春先の夕暮れ、八ヶ岳牧場本場から望む八ヶ岳夕暮れの八ヶ岳牧場本場から望む、八ヶ岳(北杜市長坂町小荒間)。

左が網笠山。中央右側に三ッ頭、右奥が主峰、赤岳。東側は雪が多く残っていますが、西側は大分雪が減ってきました。

南麓側は気温が高いせいでしょうか、標高1200m近いこの場所でも、雪は殆ど残っていません。

すっかり日が長くなって、来週には春分を迎える八ヶ岳南麓も、もう少しで春を迎えそうです。