今月の読本「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」(森本あんり 新潮選書)アメリカキリスト教史と大衆伝道を通じて語る、自由と自立の気風の根底にあるもの

New(2015.5.4):先月以来、各社から様々な形で本書の書評が出てきているようですね。検索サイト経由でこちらのページに辿り着かれた皆様も多数いらっしゃるようですが、著者である森本あんり氏がご自身の研究室のホームページで各社の書評を紹介されていますので、そちらへお廻り下さい。

New(2015.4.12):朝日新聞と三省堂書店のコラボレーション企画、WEBRONZAの書評コーナーに本作の書評が掲載されています。著者の森本あんり氏がやっかみを込めて推すくらいに、読まれた方なら誰しも納得できる、見事なまでに完璧な書評。当方の駄文をご覧頂く前に、是非ご一読を。

New(2015.3.16):本書について、本気で解説を書かれているサイトがあります。キリスト者の方のようですので、本書を読まれた方で、バックグラウンドや、特にアメリカ特有のプロテスタント事情にご興味のある方には、かなり参考になるかと思います(現在でも全7節全15節と、かなり物凄いボリュームですが、まだまだ増えそうな勢いです。お時間のある際に)。著者である森本あんり氏からのメッセージも掲載されています。

 

<本文此処から>

素っ気ない表紙と、それを覆すかのようなインパクトのある表題、帯でちょっと驚かされる新潮選書。

今回読んだ一冊も、そんな表題の為にスルーしていたのですが、もう一度内容を立ち読みしてみると、実に面白そうなお話だったので、購入してみた次第です。その内容は、予想を裏切らない、好奇心を揺さぶられる内容です。

反知性主義反知性主義」(森本あんり)です。

本書の売れ行きは非常に宜しいようで、既に重版も決定しているようです。

この反知性主義。単に言葉を聞いただけで、そして帯を見ただけですと、知的鍛錬が足らない人、ないしは大衆思想を揶揄する本、更には最近流行り言葉になっている「マイルドヤンキー」をターゲットにした解説書のように見えます。

どちらも正解なのですが、本書はもっと根源的な部分で反知性主義の発生と発達を述べていきます。著者はプリンストン大学で神学を修め、現在は国際基督教大学の副学長を務められる神学の専門家。この著者の経歴と、表題との繋がりが大きなテーマとなっていきます。

すなわち、ピューリタン(それ以前の旧大陸での宗教改革から)達によって達成された、キリスト教の開放、すなわち万人司祭の思想を中核に置き、その結果として、いかなる権威も認めず、自らの回心、発心を最も重視した思想の延長線が反知性主義であると、アメリカにおけるキリスト教の伝道史、特に大衆伝道を通じて解説していきます。

建国以前、そして建国当初のアメリカでは、ヨーロッパと比べると圧倒的に早くから高等教育機関、即ち聖職者の養成機関が整備されたようですが、そんな初期の聖職者養成機関の一つであり、自らが学んだ名門のプリンストンにおいても神学は最重視されない。それ以前に、一般教養としての自然科学や教養課程が最も重視される。それは、高邁な神学論争より、万人司祭たる故に、どれだけ聖書に基づいた説教が行えるかの方が余程重視された為だと述べていきます。

誰もが聖書の言葉を議論できる世界。そこには多数の解釈が生まれ、多くの分派が生じることになります。更には先鋭化した「セクト」の萌芽を見る事になります。そして、分派毎の自由な布教、不干渉の先に示されるのが、ピューリタンが興した国としての大転換、明文化された信仰の自由。それは、生存や社会的地位の不平等については許容しても、自らの信仰的な立場を不当に貶める事は許さなかった結果の妥協の産物でもあったようですが、その結果として生まれた、権利章典に記された内容が、この新しい国の生き方を大きく規定したことを示していきます。

その延長として生まれたのが、州権主義とも繋がる小さな政府的な考え方と、素朴な個々人の良心に依拠する体制の希求。その反対に見据えられるのが、伝統的な権威や学力を誇る事で政治権力と結ぶ知識階級への反発。反知性主義とは、神との契約の元(=契約は果たされなければならないという、現世利益的な意味合いすら含む)、自立した個人の立場で、平等に議論することを目指した、決して知性と懸け離れた衆愚性を採り上げたものではない事を明確に述べていきます。

この辺りの解説は、正に目から鱗。特に、アメリカにおけるプロテスタント各派の初期の伝道や迫害の様子と共に、それを超越して信仰の自由という権利(=自由な布教)を獲得したという点が、一般的にはピューリタンと直結して考えられるこれらアメリカの根本思想が、実はセクトとチャーチとのつばぜり合いの上で成り立ったという点を見せてくれるだけでも本書を読む価値があります。

この極めて宗教に根差した体制の元に、個人に根差した、自由な布教の先に描かれるのが、本書の後半を彩るジャクソン大統領のような衆愚政治の始祖と呼ばれそうなヒーロー軍人上がりの政治家や、ソローのような自由人、そして三次に渡る信仰復興運動(リバイバル)で活躍した大衆伝道者たちの物語。

ここで著者の視点は、アメリカ特有の社会性と大衆伝道の関わり合いに軸足を変えていきます。社会的成功が神への栄光に繋がるという発想。その発想の延長で語られる経済的成功をみんなが目指す社会構造。それは、大衆伝道者も例外ではなない事を、ムーディーと大衆伝道における回心者の集計(そんな事出来る訳ないとお考えは、その通りなのですが)や、最終章におけるビリー・サンデーの生涯を通じて見ていきます。内証的な修行者を宗教家と見做すことが多いであろう日本人にとっては正反対に位置する、ヒーローとも捉えられる彼ら。その理由は、彼らによって繰り返し起こされるリバイバル自身が、一種の娯楽でもあったと見做していきます。大衆伝道者とそれに熱狂する聴衆(信者とは限らないです)の姿から、反知性主義が見せる、もう一つの側面、実利主義と、神は必ず契約を果たしてくれるというポジティブ思考、熱狂と余りにも素朴な信仰心故に宗教から逸脱しそうになる、道徳とのあいまいさが映し出されます。

闊達な伝道者たちの物語を語るために少し後ろに回されていた、反知性主義についての議論。著者は終章で一気にその実像を示していきます。本書をご覧になる方なら誰しもが思い浮かべるリバタリアリズム、そして前回の大統領選でも勢力を見せたティーパーティーに見られるような、小さな政府主義も、これら建国期から続く一連の宗教を下地にした平等、自主の意識の延長であると位置づけていきます(裏を返せば、無干渉主義)。反知性主義とは、知性を否定する行為ではなく、そのような自主性に干渉する政府とその体制に対して知性を以て権威付けする事への反感であると述べています(この点は、リバタリアリズムに共感する人々の多くが、比較的高収入の白人層である点でもはっきり判ります)。その結論からは、反知性主義とは所謂マイルドヤンキーなどと評される枠組みとは一線を画す意味合いである事がはっきり判ります。

あとがきで著者が述べている、(非常に好意的な視点での)反知性主義を成り立たせるための立脚点と、新しい価値の世界を切り開く力となる、相手に負けない優れた知性を帯びる事、そして根本的な確信を有している事(これが何を指すかは、ご理解ください)への希求。日本においてこれらの思想を育む事は、著者の望みとは裏腹に難しいのかもしれません。

既に本書を読んでいる時点で、ややもすると反目を受ける立場側に立ってしまう、読書人層に位置してしまっているのかな、等と考え始めた時点で、これもセクト的思考だなと自己反省しながら。

<おまけ>

本書を読むにあたって、アメリカにおけるプロテスタントの宗派やその広がりについて、ある程度知識があった方がより理解が深まるかと思います。最も手軽に知るためには、長らく絶版になっていた、こちらの「なんでもわかるキリスト教大事典(原著、キリスト教大研究:新潮OH!文庫)」(八木谷涼子 朝日新聞出版文庫)がほぼ唯一無二の一冊。類書が無いのが不思議なくらいなのですが、プロテスタント各派の流れや、反知性主義とかなりの部分で重複する、アメリカのプロテスタントを貫く大きな流れである、福音主義の要点を理解するためにもお勧めです。

その他、本書を読むにあたって事前に読んでいた本から、手短にあった何冊かを集めて。

反知性主義と類書たち本ページで扱っている、本書に関連する書籍をご紹介いたします。

 

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