今月の読本(番外編)「かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)新ジャンル文庫が送る一作目は、小劇場の舞台を観るような、想いが赦しへと昇華するストーリーのプロローグを

今月の読本(番外編)「かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫)新ジャンル文庫が送る一作目は、小劇場の舞台を観るような、想いが赦しへと昇華するストーリーのプロローグを

New!(2015.10.31):あとがきで著者より予告が出ていましたが、本書の続編「かなりや荘浪漫 星めざす翼」が11/20に刊行されることになりました。本ページが番外編とありますように、イントロダクション的であった本作。2巻目では徐々にストーリーの中核に進んでいくようです。

 

かなりや荘浪漫 星をめざす翼

2巻目「かなりや荘浪漫 星をめざす翼」のご紹介は、こちらから。

 

<本編此処から>

これまでも各社から複数のシリーズが登場していた、新刊としての文芸作品の文庫シリーズ。

これまでであれば、ライトノベルかファンタジーノベルとして扱われていたであろう、これらの作品群が、昨年の新潮社による大々的な参入を受けて、いよいよボーダレスになって来たようです。

そんな新ジャンル文庫に今回参入したのが集英社。新潮社が男性読者寄りでライトノベルタッチのラインナップを揃えてきた事に対抗したのでしょうか、女性読者寄りのファンタジーノベル基調のラインナップを投入するようです。

初回配本となった今回のラインナップのうち、こちらのページでもご紹介したことのある村山早紀さんの新刊をご紹介します。

かなりや荘浪漫かなりや荘浪漫」(村山早紀 集英社オレンジ文庫」です。

著者があとがきで述べているように、本書はシリーズ化を前提とした1巻目としての体裁をとっているようです。そのため、ストーリー的には主人公である茜音の物語の導入部分が語られるに過ぎません(そのような意味で、番外編です)。

著者の多くの作品が舞台とする風早の街。

本作品も、風早の街にある洋館を改装したアパート「かなりや荘」に集う、心にいくばくかの想いを抱えて暮らす人々の物語が綴られます(今後もそのはず、です)。今回のお話では、著者特有のゆっくりとした導入部で語られる、独白としての茜音の物語や風早の街に巡らされた伏線はあまり使われませんが、次回作以降で徐々に明らかにされていく事でしょう。

そして、ストーリーは明らかに以前の作品である「竜宮ホテル」のテイストを反映したもの。ファンタジーノベル系の読者層に合わせて、少し主人公たちの年齢層を下げて親しみやすさを与えてはいますが、描こうとしている方向性はほぼ同じ。

風早の街を舞台に、其処に居る事に疑問を抱えた登場人物たちの傷ついた想いと、願いと祈りが赦しへと昇華していく物語。

そんな姉妹のような両作品ですが、読んでいくと少し違った見え方もしてきます。舞台がアパートという事もあるのでしょうか、これまでの著者の作品より少し登場人物たちへの距離感が縮まっているような感じをうけます。竜宮ホテルがすこし大きな舞台かスクリーンに映し出される映画の演技を見ている感じがするのに対して、本作ではアパートのダイニングに、そして茜音がこの後に暮らすことになる部屋に入れ替わりで登場する人物たちの息遣いが感じられる、小劇場の舞台で演じられる群像劇を観ているような感触を受けます(本当は感触も息遣いも感じない筈の登場人物も)。これは後半に向かってテンポを上げていく著者の筆致に委ねられる点が大きいかと思いますが、読んでいて親近感が湧いてくる、嬉しい変化かもしれません。

そして、竜宮ホテルとは大きく異なる点。それは、竜宮ホテルが著者と同じ「文章(本)」を以てストーリーが開かれていくのに対して、本作では著者の憧れでもある「絵(漫画)」でストーリーを紡いでいく物語である点でしょうか。そこに重ねる想いは、著者の作品を通して語られる「時を越えて、想いを未来へ届ける事」。

本作の今後の展開は、作品の骨子としては出来上がっているようですが、著者のあとがきのようにまだ未確定のままのようです。著者の想いが、新しい文庫シリーズを支える作品として続いていく事を願いながら。

<おまけ>

本ページでご紹介している村山早紀さんの作品を。

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今月の読本「オオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)一枚のお札を巡る、谷戸から山へと昇る繋がりの物語と、不思議な一方向感

今月の読本「オオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)一枚のお札を巡る、谷戸から山へと昇る繋がりの物語と、不思議な一方向感

数年前の新刊以来、書評やネットでの評判、書店でのpopなどを通して、随分評判になっているのだなと、思いながらもなかなか手に取る事はなかった一冊。

たまたた茅野の書店で、著者が主宰するプロダクションの次回作「ものがたりをめぐる物語」のPR用として刊行された、諏訪の風物を扱った小冊子「そもそも」と一緒に置かれていたために、手の取った次第(ちなみに、私が「そもそも」を手にした書店は、プロダクションの公式サイトの取り扱いでは紹介されていません。所謂観光スポットではなく、地元の方が最も身近に手に取れる場所なのに…ちょっと残念)。

オオカミの護符とPR誌そもそもオオカミの護符(文庫版)」(小倉美恵子 新潮文庫)です。

この物語を巡るアウトラインを述べるのは、映画として、TVのスペシャル番組として、そして現在では溢れんばかりに流れる情報ソースの中で色々と語られれていると思いますので、今更かと思います。

著者の人となりと、その溢れる好奇心。川崎北部の谷戸を故郷に持つという妙な親近感(私の本籍は川崎の中部辺りにあり、先祖を辿ると多摩川の川渡しの家系に繋がる事を、幼い頃によく聴かされた)と、登場する地名の懐かしさから、少し嬉しくなりながら読み進めていたのですが、巻末に行くに従って微妙な感触を持ち始めます。

一枚の札を巡る著者の想いが、オオカミへの信仰という一側面を離れて、秩父の山々そのものの信仰へ向かって収斂していく過程の描写は見事で、納得させるものがあります。しかしながら、同時に語られる、失われようとしている谷戸や山里における慣習や、風俗への想いに著者が満たされていく様子を読んでいくうちに、何故か7000戸にも達するという、現在の谷戸に住む人々が、筆致の中から徐々に消え去られていく様な感触を得てしまったことです。それでも、著者は要所で配慮を示す筆致を入れていますが、その想いの馳せる先は、一途に山へと延びていき、今の里に住む人々への想いには、なかなか戻ってこないようです。

その上で、著者は里で農耕を行う「お百姓さん」が山へ山へと集っていく、そして山で彼らを迎え入れる風物について、失われないうちにという強い想いを込めて、精力的に取材を続けていきます。また、そのお札を奉り、彼らに対して供物を捧げた人々の営みについても、著者の経験と取材を通して述べられていきますが、何故、山の人々がそのお札を里に配る必要性があったのかという事が、すっぽりと抜けているように思えたのでした。著者は里の「お百姓さん」が、農作物の豊作と天候の安定を願ってそれを求めた事を丁寧に説明されていますが、そもそも御師にしても山から下って来るものであり、講はその御礼として組織されるものの筈。そこには山の側から求められる、経済的な結びつきが生じていたはずなのですが、本書では最後まで述べられることはありません。

図らずも直近で読ませて頂いていた、本書(文庫版)でも解説を書かれてる内山節氏の著作で、著者が指摘している点と同じ点に着目します。山の生活における「稼ぎ」と「仕事」。そこには山里の暮らしが山里だけでは完結しえない事を明確に示しています。「稼ぎ」としての経済活動。川の流れ、峠に沿った往来との関わり合いがあって初めて山里の生活が成り立つことを述べています。著者はその中で「仕事」としての側面に強く印象付けられたようですが、一方でほとんどの生活が「稼ぎ」の場となっている現在の里にも、何らかの想いは宿っている筈なのですが、その想いを描くことは本書の範疇を越えてしまうようです。

そして、内山節氏が著書で暗示するように、現在の山里の「稼ぎ」の場が「公共工事」であることも。

繋がりを求めて描かれた、著者の山へ対する強い希求の念の一方にある、山の人々が欲したであろう里との繋がりが語られることのない本書を読みながら、少しばかりの困惑を感じながら頁を閉じた次第です。

諏訪を起点にして語られる、次作「ものがたりをめぐる物語」が、山深い信州から飛び出して、東京へ、そして世界へ向かって活路を見出していった諏訪の人々の物語を汲み取ってもらえる事を。その昔の御師たちが、全国を廻って彼らの想いと、人々の想いを繋ぐ役割を果たし続けた事が汲み取られることを、(それこそ勝手に)願って。

<おまけ>

本書に関連するテーマの書籍を、本ページからご紹介。