今月の読本「日本酒の近現代史」(鈴木芳行 吉川弘文館)行政史から俯瞰する、せめぎ合う徴税と酒造の物語

通巻400冊を迎えた、吉川弘文館さんの歴史文化ライブラリー

記念の400冊目を読むのはこれからですが、その前に401冊目となる、本シリーズの主題でもある、日本の歴史と文化の熟成を示す代表的なテーマを掲げながら、一般書としては珍しい切り口の興味深い1冊をご紹介します。

日本酒の近現代史日本酒の近現代史」(鈴木芳行 吉川弘文館)です。

最近復権の兆しの見える日本酒。本屋さんを覗くと、多くの関連書籍が書棚を賑わせています。

本書もそれらの系譜に連なる一冊かと思えますが、さにあらず。

この本をお手に取られる皆様にとってご興味のあるであろう、名醸地、吟醸酒や純米酒、杜氏のお話はもちろん出て来ますが、全体に占める割合は極僅かです。

そして、造りに興味がある方にとってはちょっと意外かもしれませんが、本書には酒米や酵母のお話は全く出て来ません(山田錦や七号酵母という単語が出てこない日本酒の本というのも、むしろ新鮮)。

では、本書はどのようなお話が語られるのでしょうか。

著者の鈴木芳行氏は、同じ吉川弘文館の歴史文化ライブラリーに「首都防空網と<空都>多摩」という、これまた異色のテーマを据えた、郷土史の枠を超える近代史の書を上梓されています。そして、本書に掲載されている略歴には述べられていませんが、あとがきにあるように、税務大学校で租税史の研究に携われていた方です。

本書はそんな著者の研究成果を一般向けに判りやすく解説しつつ、酒税と日本酒の関わり合いから日本酒の歴史を叙述するという、極めて珍しい一冊といえるかもしれません。

ただし、著者の経歴と前述の内容のせいでしょうか、本書を読んでいると、まるで行政機関が発行している広報誌やレポート、紀要を読んでいる気分にさせられるかもしれません。特に、結論への落とし込みがやや大振りな点や、行政(醸造試験所及び税務署)の成果をややもすると一方的に称揚しているように感じさせる点には、読んでいて多少の違和感を持たれるかもしれません(校了では指摘があったかと思いますが、ある名詞に通常用いない呼称を一貫して使用する点も、気になさる方は多いのではないでしょうか)。

そんな少々気になる点もありながらも、本書の捉えようとしているテーマは非常に興味深い点があります。

本書は、その記述のスタートである江戸時代初期の時点から、醸造と徴税の物語が既に語られ始めます。

洋の東西を問わず、アルコールは徴税の大きな拠り所。より高品質、高効率なアルコール醸造こそが効率的な徴税に繋がる事を、それこそ徴税する立場の視点で述べられていきます。原料である米の出来高、酒の醸造石高や取引量の増減に伴って変動する税収と、主食でもある米(この部分が他のアルコール類と決定的に異なる)の供給量のバランスに頭を悩ませる徴税サイドと、その隙を突きながら酒造を拡大させる酒造家たち。そのつばぜり合いの先に、遂には十水(米十石に水一石以上を吸わせる、米百石で百石以上の酒を醸造する)という高い吸水効率を達成し、更には宮水と水車精米を用いた高精米率による、高付加価値商品としての灘酒の完成があると読み解いていきます。そこには、徴税者達の圧力に抗しながら酒質を上げる事で利益を確保していこうとする、酒造家、杜氏たちの執念を感じさせます。

高い税率に苦しめられながらも税収の下支えに寄与してきた歴代の酒造家たち。その執念の先に、明治以降の酒税だけに認められた、冬季の醸造に有利となる特異な徴税システムが構築されたことを、専門の租税史の史料を駆使して解説していきます。高い税率と特異な税制がもたらした結果は、表紙の帯にあるように、明治中盤の一時期には国税の過半を担うという、とんでもない重税に耐えながらも日本酒の醸造が発展していく事になります(それでも呑みまくった民衆もしかりですが)。

租税の歴史から見た近代日本酒醸造の歴史。その視点は、吟醸酒の成立や所謂下り酒の衰退にも影響を与えたと見做していきます。

より高品位の酒を安定的に送り出して、高い付加価値を得たい。日本酒に付いて廻った「腐造」の問題。そして、主食でもある米の使用量を極力抑えて、なおかつ酒質を安定させるための挑戦。著者によれば、これらすべてが高い税率、そしてその税収に依存する徴税サイドの切実な問題意識から端を発した結果論としての、酒造家、そして徴税者たちの取り組みの成果であったと述べていきます。

軟水醸造法と吟醸酒に欠かせない縦型精米機は奇しくも、同じ土地から生まれることになり(加茂鶴)、灘の樽酒の東京への一括買い上げに対抗すべく、瓶詰めと個別取引で東京市場を開拓(月桂冠)、杜氏への化学知識、技術指導による、税収減の元凶でもある「腐造」の撲滅と、杜氏の勢力図の転換(越後杜氏)。そして、現在では主流となった速醸や山廃が東日本で先に普及が進んだ結果が、現在の日本酒出荷量において、灘、京、広島を除けば、東日本中心となった点に繋げて考えると、なかなか興味深い所でもありますし、このことを知れば、灘の雄である菊正宗が樽酒と生酛造りに拘る点も判るような気がします(注記:本書では人物名は用いますが、文中で特定の蔵元名称は原則用いられません)。更には、典型的な季節型労働集約産業であった醸造自体も、これらの改良や機械化、最終的には高度成長期の月桂冠に始まる所謂「四季蔵」の成立による、ナショナルブランドとしての産業化が達成されていった事を好意的な視点で示していきます。

日本酒が隆盛を誇り、製造法が著しい飛躍を遂げた戦前。その繁栄も、戦争の足音と共に歪んだ進化を遂げる事になります。本書では好意的に捉えていますが、一部には否定的な見解もある三倍増醸酒やアルコール添加酒の開発や、日本酒離れの元凶となったという説もある等級制への移行。これらは既存の大手酒造家たちに有利な政策でもあったため、戦後も長きに渡り継続される結果となりますが、本書では、その逆境を跳ね返すべく酒造家たちが挑んだ、新潟を始めとする吟醸酒造りと税法のせめぎ合いの話も述べられていきます。

そして、前著「首都防空網と<空都>多摩」とも関わってくる、戦中、戦後期の統制と税収の物語は本書の白眉とっていいかもしれません。中には、戦中の配給における酒類の動向や徴税手法の変化、酒造設備の機械化度合いを企業整理令に基づく、金属回収の資産評価基準から読み解くなどという、前著に繋がる、税務経験者の面目躍如といった着眼点も出て来ます。この戦中の統制に端を発した酒税の制度設計の影響は、戦後の混乱期に生じた更なる統制をも加えて、戦後も長く尾を引いていきます。本書の後半では、最終的な解除(生産調整が完全に解除されたのは1973年、級別制度が廃止されたのは実に1992年)に至るまでの経緯と実情が徴税側の立場から述べられていきますが、その目的は税収の確保と、やはり主食である米を原材料とする日本酒ならではの、主食の確保とのせめぎ合い。

同じような目的で制定された食糧管理法が、形骸化しながらも1994年まで継続したように、税収と主食の確保という行政運営上の2大目的の板挟みに合う事を宿命づけられた日本酒の醸造は、その間のビールの大幅な伸び(こちらも不公平税制だとの声が長らく続いています)による税収の逆転と、阪神大震災以降、留まる事を知らない税収、醸造量の落ち込みに見舞われている事はご承知の通りかと思います。

徴税と酒造家のせめぎ合いによる日本酒の発展と衰微を語る本文からの流れで読んでいくと、少し違和感すら与えるエピローグの著述。

これも、なかなか手にすることは少ない、行政サイドから見た酒造史という、特異な一冊の文末らしいのかな、と考えながら、今夜も酒造家の皆様のたゆまぬ努力のおかげで日本酒で杯を交わす事が出来る事を素直に喜びつつ、一献。

<おまけ>

本書と一緒に読んでいた本達と、本ページに掲載している関連する書籍のご紹介。

日本酒の近現代史と類著たち

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