今月の読本「昭和の刻印」(窪田陽一:著 尾花基:写真 柏書房)その思想と景観は現代から未来へと続く

最近増えてきた、昭和の憧憬を誘い、追憶を語る写真集を兼ねた書籍たち。

追憶を疑似体験する施設という意味では、10年以上前から新横浜で今も頑張っているラーメン博物館辺りが始まりかもしれませんが、少し遅れて来た書籍もずいぶん増えてきたように思えます。

昭和が終わって既に四半世紀。その頃に想いを馳せる、もしくはそのルーツを辿ろうと思う方が多くなっているのかもしれません。

そんな中で刊行された本書は、類書とはちょっと違った切り口で昭和に築かれた景色を描写していきます。

刻印の昭和昭和の刻印」(窪田陽一:著 尾花基:写真 柏書房)です。

本書のフォーマットは、古びた明朝体で埋められた本文と、やや霞んだ仕上がりの写真の組み合わせが印象的な、如何にも懐古的な仕上がりですが、掲載されている写真は2008年以降の撮影であり、昭和の残影を遡及しようという意図は感じられません。また、本文と写真とは密接には絡んでいますが、文中で掲載されている写真を直接言及する部分は少なく(コラム的に「刻印の焦点」と題したショートメッセージが添えられた写真は僅かに5点)、著者の文書のイメージを伝えるためのモチーフとして添えられていると考えた方が良いかと思います。

この手の類書にある様な、昭和の憧憬を誘う書籍(写真集)だと思われて手に取られると、ある意味裏切られる本書。その理由は好事家が手掛けた趣味性の高い作品ではなく、巻末にあるように、業界紙に掲載された連載を再構築して上梓されたものだからです。

その初出は2009年から20111年とちょっと古いのですが、あとがきにあるように再校訂もされており、その内容故に古さは何の問題ではありません。そして、掲載されている写真の選定理由もその原典から察すればおのずと理解できるはずです。

著者は建築工学を専攻し、国内における景観工学の先駆者ともいえる方。羽田空港の再国際化におけるターミナルエリアの再構成やゲートブリッジの景観設計を手掛けた方です。その景観工学のスペシャリストが想い描く昭和の風景。それは自身の原風景と、その変化について、建築へ向けられた当時の時代背景や思想を下敷きに、現在に繋がる風景と未来への想いを語る事。

まるでフランス文学の散文を読んでいるような、歴史と思想と理論がないまぜとなる、ある意味とりとめのない文章にも見えますが、そのエッセイと帯で表している文体や表現の根底には著者の経歴が潜んでいるようです。それは坪内逍遥を師と仰ぎ、彼の後に早稲田の教壇に立った祖父でもあり、翻訳者、戯曲の研究者でもあった島村民蔵の影響を濃厚に受けているようです。

昨今の研究者の方が書かれた一般向けの書籍にある様な、要領を弁えた簡潔な文章とは異なり、ある意味混沌としている文章かもしれませんが、その言及する範囲は極めて広範で、建築の周囲で敷居を区切る様な事はありませんし、その結果として本書に於いて建築物自体を語る事は決して多くないようです。むしろ、その建築物たちが構築されたことによって変化を来した景観への想いを中心に述べていきます。登場する建築物たちがなぜそのような形で現れて来たのか。語られる景観としての空間は戦後とは限らず、関東大震災直後にまで遡る場合もありますが、当時の様子と著者の原風景を交えた物語は、本書を手に取るであろう、もう少し年代の下がった読者層に対して、興味深い知見を与えてくれるとともに、成長の曲がり角を大きく超えてしまった現在の我々に、もう一度過去のいきさつを思い返すことを求めてきます。

成長期に建築に求められた役割と、その中でも景観や人々の暮らしへ根ざした想い。それを上回るように加速度的に進んだ成長に合わせるが如く用意された建築物たちが景観や人々に与えた影響を、景観工学の視点を越えて著者の想いを重ねて述べていきます。そして、景観に建築が与える影響の大きさとその時間軸の長さは、昭和という時代を越えて、現在の生活にまで営々と引き継がれていきます。

景観への責任を有する建築学者としての矜持。その想いは著者の最新の作品でもあるゲードブリッジに対しての想いを綴る文章にも語られています。

-引用ここから-

技術者が芸術家のような行為をしていいのだろうか、という疑問を呈する人々がいる。では問おう。世界のどこにもない形をしている橋を実現できる技術者が同朋にいて、新しい技術開発を生み出しつつ、本当に実現できたという事実に、果たして意義はないのか、と。

-引用ここまで-

高度成長期の急激な景観の変化を間を目の当たりにしながら成長し、その一方的な変化に疑問を抱きつつも、今や後進に委ねる立場となった先駆者の想いが込められたた本書。今度は読者の皆様がこの本の写真から、そしてこの本を片手にフィールドで、その景観に、そして新たに生まれ来る建築物という景観物にもう一度想いを馳せて見ては如何でしょうか。そこには、きっと設計者や製作者たちの想いと、時代の息吹がしっかりと込められている筈です。そこに生活し続けている人々の想いと共に。

美ヶ原、王ヶ頭の電波塔と美しの塔

美ヶ原王ヶ頭美ヶ原に林立する電波塔の数々はテレビの時代と言われた20世紀の落とし子たち。アナログからデジタル、VHFからUHFに変われども、今も王ヶ頭の山頂を占有し、時代を発信し続けるこれらも、昭和の刻印でしょうか。本書でも霧ヶ峰側の写真が出て来ますが、当時としては極めて先駆的であった景観、環境論争の末に、夢破れて、二度と繋がる事のない、閑散としたビーナスラインの松本側延伸部と併せて。

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