今月の読本「人物叢書 二宮尊徳」(大藤修 吉川弘文館)その生き様と想いは、予が書簡を見よ、予が日記を見よ

歴史書専門の出版社でもある吉川弘文館。

各種の歴史書シリーズを手掛けていますが、中でも決して完結しないのではないかと思われるシリーズが、日本歴史学会の編集により刊行を続けている「人物叢書」。

歴史を学ぶ楽しさの一つでもある「人物」に特化した本シリーズは、インデックス付きの読みやすい文体の作品が多い事もあり、比較的手軽に読めるのですが、豊富な注釈と引用を含めて、多くの類似書籍に参考文献としても引用される、一線の研究者の方が丁寧に執筆された本格的な内容を備えたシリーズでもあります。

今回購入したのは、最新刊のうちの一冊(通巻281冊目)「二宮尊徳」(大藤修 吉川弘文館)です。

人物叢書 二宮尊徳流石に完結しないシリーズと呼ばれるだけあって、本作も著者のはしがきによると、執筆を依頼されてから実に30年近くの歳月を経て脱稿に至った事が述べられています。しかしながら、その間の研究成果が存分に反映されているとも考えられますので、この時期に読めるタイミングが得られた事をまずは喜びたいと思います。

本書は二宮尊徳の出生から死後の所謂報徳運動、更には「薪を担いだ金次郎」の伝説に至るまで、彼に関する広範なテーマについて検討を加えていきます。そのアプローチは冒頭に述べられる、尊徳が死期を前に語った一言

「予が足を開ケ、予が手を開ケ、予が書簡ヲ見よ、予が日記ヲ見よ、戦々恐々深淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し」

この言葉の通り、尊徳の残した書簡、日記などの膨大な資料を丹念に読み返すことで、虚構を排し、真に尊徳が語った言葉に迫ろうとしていきます。

著者の手によって、その筆まめを越えた尊徳自身、そして妻や娘によって代筆された帳簿や日記、思想を綴った筆跡、幕府や仕法を受けた武家に上申する為に作成された膨大な記録の数々を読み解かれる事によって、死後、そして明治以降に偉人として持ち上げた書物や記録に施された虚飾と真実が徐々に分かれていきます。

儒学を学べるようになったのは、武家奉公に出る頃であって、幼年時代ではなかった事。また、武家奉公時代以降は、所謂小作を使って農耕を行わせる地主階級にあり、その時代に学んだ儒学を武家奉公人たちに教えたり、短歌や俳句、晩年には書画をも学ぶくらい、実は学もあり、趣味をも嗜む立派な富農としての体裁を持っていた事を示していきます(もちろん、これには藩士として、そして御家人としての体裁を整えるという意味もあったはずです)。

その上で、余りにも著名な報徳仕法について、著者はその後に起きたある誤解を解く試みをします。それは、報徳仕法の大原則が「年貢を収納する側に最低限の「分度」を弁えさせた上で、その余剰を以て新たに農業へ投資することで全体の収益を向上させ、それ以上の差額が生じた場合には、更に別の投資に廻す事」である事を、仕法の各事例を通して示していきます。

明治維新後の報徳運動で欠落した点、それは収納する側(すなわち政府)が「分度」を弁えるという、仕法の最も重要な入口の議論を葬り去って、ただ協業と利益の相互還元だけを語る運動になってしまったことを明らかにしていきます。尊徳が仕法を受け入れる際に収納側に花押入りの念書を獲ってまで重視した点、それは収納する為政者への厳しい戒めが込められている点に着目していきます(更に、著者は尊徳自身が平等主義を掲げている訳ではなく、富農や為政者の存在自体を否定していない点に着目しています)。

その結果、仕法を受け入れた為政者側にも、仕法を受け入れる農村側にも(厳密に収量管理が行われる)多くの軋轢を生じさせる結果となり、多くの困難に向き合う事となった結果、遂には故郷小田原藩に戻る事が出来ず、遠く今市の地で最期を遂げる事となります。

この辺りの悲哀の物語は比較的知られていることかもしれませんが、著者はその背後にある尊徳のしたたかな計算を記録から読み解いていきます。桜町仕法の途中でサボタージュを遂げて成田山に参篭してみたり(わざわざ探させた上で呼び戻させるように仕向ける役者ぶり?も)、上司が気に食わないと辞表を片手に詰め寄ってみたり、幕府に登用されて勇んで仕事に打ち込んでみたが、そのうちお声が掛からなくなると、上司に愚痴をこぼしてみたりと、その姿は今時の困った社員にも見えてきてしまいます。また、意外なことに米相場や投機によって理財を行う事に長けており、それによって仕法の元手を増やすまでは良かったのですが、幕藩体制の悲しさか、資金不足を解消する為に、わざわざ他の仕法で蓄えた元手を投入しようとすると逆に阻止されるという、やるせない現実にも突き当たります。

そんなドンキホーテのような現実の中でも、自身の信念に基づいて粘り強く交渉を重ね、実績を上げていく尊徳の周りには徐々に協力者が集まっていく事を、著者は漏らさず記していきます。中には、当時の上司だったり、明らかに嫌がらせを行っていた人物も含まれていますが、尊徳の情熱と信念、そして少しずつではありますが成果を実らせる仕法の結果に惹かれて、彼の周りには多くの門人、支援者が集まる事になります。

大規模な新田開発に伴う高度成長期が過ぎ去った後に続いた、経済成長の停滞と、環境変化や開発の行き詰まりによる新田の荒廃。そのような成長の曲がり角に際して各地で用いられた、尊徳仕法の元となる、舫いや、講、そして無尽(この言葉、今や山梨しか通用しないでしょうが)といったマイクロファイナンスと呼ばれる相互扶助的な金融システム。今の日本には失われてしまった集落や同一地域を基盤とした相互扶助体制を、農村を基盤として永続的なシステムとして構築することに心血を注いだ二宮尊徳。その思想の原点は相互扶助の大前提となる一族の絆を守る事。彼が終生を賭して、そして小田原藩への出入りを差し止められても続けた仕事が、没落して継承者を失った二宮総本家の復興。

彼の生の声、生の想いを紐解き描いた本書。そこには、家族から一族へ、一族から地域へ、そして国へという、我々が忘れかけている儒教の徳目、その普遍的な想いが色濃く反映されているようです。

<おまけ>

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