今月の読本「将門伝説の歴史」(樋口州男 吉川弘文館)今も其処に鎮座する、怨霊に込められた変わらぬ想いを

今月の読本「将門伝説の歴史」(樋口州男 吉川弘文館)今も其処に鎮座する、怨霊に込められた変わらぬ想いを

東京は大手町。オフィス街のど真ん中に、周囲から切り離されたような一角があります。

皆様ご存知、平将門の首塚。

正確には古墳の跡らしいのですが、今も語られる祟りの数々と共に怨霊、平将門の伝説は形を変えながらも1000年の時を越えて脈々と関東の地に息づいています。

平将門の首塚位置Google mapで示す、将門の首塚。

でも、平将門の伝説を少しでもご存知の方なら、何故彼が活躍し、そして敗れた下総や常陸ではなく、やや離れた江戸の地にこの首塚が存在することに少しおかしな感じを受けられれるのではないでしょうか(都から首が此処まで飛んできて、力尽きたという伝説を以てしても)。

そして、歴史上唯一の逆賊と呼ばれ、その死後、数々の怨霊伝説を生み出す一方、神田明神の祭神として江戸っ子たちに厚く祀られ、こうして今も大手町の片隅に鎮座し続けるという、大きなギャップを抱える将門の位置づけ。

そんな疑問に対して、丁寧に答えてくれる本が登場しました。

将門伝説の歴史今月の吉川弘文館の歴史文化ライブラリー新刊から「将門伝説の歴史」(樋口州男)のご紹介です。

本書の著者は所謂在野の研究家と呼ばれる系統に近い経歴を有される方で、本書の内容も、著者の前職である都立高校教員時代に始められた公開講座における講演内容からスタートしたことが、あとがきに書かれています。東日本に豊富に残る将門の伝承、伝説。特に著者が教鞭を執られた東京から千葉にかけては、1000年を経てもなお、濃厚にこれらの伝承が伝えられ続けており、多くの記録や伝承に触れられる機会に恵まれていたようです。

その中で、著者は史実に近いであろうと見做される将門記をベースに置いて、その記述と交差する物語の中から虚構と伝承を拾い出していきます。

本書は大きく分けて4つのパートに分かれていて、それぞれの関連性はやや希薄な部分もありますのでばらばらに読む事も可能ですが、伝承の変化を追いかけるという意味では、つまみ食いで読むより、出来れば冒頭から読み始めた方が良いかと思います。

冒頭の将門記で描かれる承平天慶の乱の経緯、将門記の成立過程の検証とその記述から、既に著者のある想いが込められている事が判ります。中央から遠く離れ、対北方戦線の兵站基地としての役割を長く担わされてきた東国。所謂王朝国家体制の確立期に達した時点で、その兵站基地としての役割は、王朝国家から送り込まれる受領による収奪の地へと変わり、その受領と争う軍事貴族崩れの土着勢力も、また王朝国家からの脱落者たちであったはずです。

中央からもたらされる災厄に対して敢然と立ち向かう(ように見える)姿勢を取って各地の紛争を制圧、時には調停し、最後には国衙すらを制圧することで、東国の人民を代表する政権の分離、権限の分割を図ろうと画策した(と、考えられる)将門。彼自身も王家の末裔であり、紛争の相手もいずれも同じような出自を持っていたので、決して彼だけが英雄視される必然性はなかったのかもしれません。

それでも彼の活躍が、その後長く長く語り継がれる理由を著者は見出していきます。新皇宣下の際に象徴的に語られる、菅原道真と八幡神との結びつき。この結び付きに伝説のスタートがあると見做していきます。そこには、当時の東国の受領層における菅家出身者がこの伝承を生み出すのに関わったであろうと述べていきます。そして八幡神への信仰は、源氏がその祭神を求めた結果、そのまま長く続く武家の崇敬へと繋がります。

では、なぜ江戸の地なのか。一般的に考えれば当地を押さえていた江戸氏と、千葉氏、そして秩父党との関わり合いを述べていく事になりますが、著者はその中で後の時宗、遊行二世である他阿弥陀仏(真教上人)が残した真筆との関わり合いから、船運に関わる人々や遠く伊予を本拠地とする河野氏との関連性を示唆していきます。このスケール感の先には、きっと藤原純友との関係も語られるかと思いましたが…、それは流石に飛躍が過ぎたようです(河野氏との関わり合い自体も否定的な見解があるとの事)。

ここで更に、本書のハイライトでもある「なぜ、将門が怨霊となって祀られることになったのか」を著者の自説を交えて語っていきます。その論旨は是非本書をお手に取って読んで頂ければと思いますが、そこには著者の想いと共に、時に数多くの神々を祀る趣旨の一端が垣間見えるようです。

怨霊としての位置付けが定まった将門。その先に語られる時代は、泰平の世の江戸時代から風雲急を告げる幕末へと移っていきます。読物として語られる将門伝説。前太平記や京伝の読本の部分は全体の構成から少し離れた、文芸に織り込まれた将門伝説が語られていきます。そして、戯作者としては京伝の弟子でもある馬琴による、将門伝説に対する将門記を用いた検討を読むと、厳密な校訂者としても知られた馬琴のその性格と共に、読本作者としては強力なライバルでもあった京伝への強い対抗意識が見えて来るようです。更には佐倉惣五郎との結び付きから語られる将門伝説には、その伝説の背景に脈々と伝えられる民衆に寄り添い、権力者に立ち向かうという英雄像が、混乱期を迎えた幕末の世情に見事に受け入れられていったことを(もう片方の思惑も込めて)示していきます。

そして時代は明治維新。怨霊としての将門が立ち向かってきた、逆賊と呼ぶ相手が自らの真正面に乗り込んできて対峙するという新しい時代を迎えた時に、伝説は新たな展開を見せるようになります。

その中で、著者は多くのページを割いて、織田完之の特異な将門雪冤活動を述べる事に注力していきますが、むしろその著述に惹かれるのは、江戸、そして東京に住む人々の中にしっかりと根を下ろし、そしてどのように時代が移り変わろうとも、人々が入れ替わろうとも「自分たちがお祀りするもの」としてこの地に根付いた将門、そしてその根底に深く息づく想いを投影しながら語る点。事あるごとに怨霊としての力を振りかざし、そして信仰の対象から外されてもなお、外から連れてきた祭神よりも篤い崇敬を受け続け、遂には祭神としての地位すらも取り戻すというそれは、伝説の力が秘めた、もう一つの歴史物語。

大きな歴史物語が語られる中で、時として忘れがちになってしまう、歴史とは言い難いかもしれない伝承や伝説、そして怨霊物語。そのような物語の中にしっかりと息づく想いを汲み取っていこうという本書は、歴史はその時代の解釈に合わせて描かれ続け、その都度に書き直されていくという厳然たる事実と、その背後に重ねられた想いを見出していく事への事例を示してくれる一冊かもしれません。

将門伝説歴史と類書たち<おまけ>

本ページでご紹介している、関係する書籍を。

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高原の夏は今が盛り(2015.8.7)

連日の猛暑と、午後になると気を揉ませる落雷と豪雨が続くこの夏。

仕事柄、落雷による瞬停は命に係わるので、連日気が気でない日々が続きます。

P1040859すくすくと育った稲穂の向こうに八ヶ岳を望む朝。

今日は少し凌ぎ易い気温ですが、それでもこの標高で30度を超える日が続くのはちょっと珍しい事です(猛暑と謂われた数年前、38℃まで上がった時はありましたが)。

もう少し標高の高い場所ですと、早生の水田の稲穂は既に結実を迎えています。

この辺りはもう少し遅く、お盆を越えたあたりでしょうか。

P1040855南アルプスを遠望する圃場。

夏の日差しを浴びる、眩しい緑に輝く圃場を眺められるのもあと僅か。

暑い日々が続きますが、地上より少し涼しく残暑が短い高原は、そろそろ暑さのピークを越えて、早くも秋の足音が聞こえてくる、お盆休みを迎えます。

 

 

BlackBerry Passportにも気になるあれが

BlackBerry Passportにも気になるあれが

New!(2015.8.10):まさかまさか、今更ながらですが、MVNOからBlackBerry Classic、しかも国内対応モデルが投入されるとは…。詳しくは、こちら(公式)や、こちら(お約束)こちら(お約束その2)をご覧頂ければと思いますが、9900以来の正式国内デビュー、さあ、気兼ねなくBBの素晴らしい??世界にお越しください!

海外携帯を使っている方なら誰でも気になる点…そうですね、あれです。

今年に入ってから複数のソースであれが表示されるようになったとの報告が出回っていますが、如何せんリーク版のOSへのバージョンアップとセットの話だったりするので、その辺りにあまり関心のない身としては、ただの噂話程度に聞き流していたのです。

ところが…。

BlackBerry Passportの規制関連承認画面うーん、どう考えればいいのでしょうか。

とりあえず本物っぽいですし、こちらのサイトで紹介されている例と比較すると、どうやらBlackBerry Classicと連番になっているようです(こちらが1つ若い番号)。

BlackBerry Passportの全般画面

そして、こちらにあるようにソフトウェアリリースバージョンは10.3.1のまま。

色々なソースで紹介されているリークバージョンや、一部でリリースされている10.3.2ではなく、その前のバージョン、しかも「バージョンアップと関係なく」降ってきたのです。

もちろん、自動アップデートはOFFにしてあるので、これってどう考えればいいのでしょうか…(勝手にアップされたと考えるしか)。

ちょっと悩ましいけど、大きな前進でもあるこの表示。

もうちょっと様子を見たいと思います。

WP_20150806_22_05_52_Pro2ちなみに、紹介されているサイトごとに、この画面が違う点が如何にも怪しいというか、尤もらしいというか…謎は深まるばかり。

参考情報:こちらのページで紹介されている、国内販売予定のClassicの番号とやはり続き番号になっているようですので、どうやら本物みたいですね。

 

唯、夏空(2015.8.2)

猛暑の日々。

地上に比べれば過ごしやすいとはいえ、流石に日差しは厳しく、太陽の眩しさは標高が高い分むしろ強いかもしれません。

夕立前の空そして、夕暮れになると連日訪れる夕立タイム。

時に瞬停を引き起こす、厄介な存在ですが、そのあと一気に気温が下がり夜が過ごしやすくなるのもまた事実。昨日のようにあまりに降り過ぎると、列車の運休や雹害といった災害を引き起こしてしまうのも困ったものです。

レタス畑と八ヶ岳

小海線が終日運休になるほどの大雨の後、一夜明けると再び眩しい日差しの夏空。

八ヶ岳を望む、一面に広がる高原野菜の上にも燦々と日差しが降り注ぎます(南牧村野辺山)。

沸き立つ雲と高原野菜の畑

今日も東の空には入道雲が沸き立っています。

夏の高原らしい一コマ。

P1040844a2

牧場の緑と夏空のコントラストが眩しいです。

信州峠から川上村を望んで

信州峠から川上村へ下る道沿い。

道の両脇は高原野菜で埋め尽くされています。

農作業を行うトラクターと出荷を急ぐ大型トラックがひっきりなしに通過していきます(川上村原)。

沸き立つ雲とレタス畑

暑く、乾いた風が吹き抜ける、峠に繋がる斜面から望む、夏空と入道雲、そして高原野菜の広がる景色。

(Lumix GMC-GM5 + LEICA DG Summilux 15mm f1.7,1/1300,f8.0,ISO200,-0.3EV,RAW現像)

周囲には、アミューズメント施設も、小奇麗なショップもないけれど、この風景こそ高原の夏。

高原の暑さのピークは、例年であればお盆の頃までとあと僅か。今暫くの夏の日差しを存分に感じて。

 

 

猛暑の午後は縄文から中世までの歴史を一括りに(北杜市考古資料館)

猛暑の午後は縄文から中世までの歴史を一括りに(北杜市考古資料館)

猛暑が続く八ヶ岳南麓。

日曜日の今日も厳しい暑さが続きます。

外での作業に躊躇してしまう午後のひと時。ちょっと涼しい所に逃げ込んでしまいました。

北杜市考古資料館外観旧大泉村の役場から少し下がった場所にある谷戸城跡。

桜の名所でもある谷戸城跡。その大手正面に建つのが、こちらの北杜市考古資料館。同じ市内長坂町の清春芸術村にある北杜市郷土資料館(旧長坂町郷土資料館)の分館扱いとして設立された、国史跡である谷戸城と二つの縄文遺跡(梅乃木、金生の両遺跡)のに関する発掘成果や市内の発掘物の展示に特化した、小さな博物館です。

北杜市考古資料館のエントランス土器平成16年に竣工した新しく綺麗な建物の内部は、木をふんだんに使った吹き抜けのエントランスから直接2階の展示室に上がっていくという、最近では良くあるレイアウト。

エントランスの左右や裏側には、豊富な発掘成果を誇るように、台の上やガラスケースに多くの縄文土器が並べられています。

北杜市考古資料館2階通路の土器2階の展示室に向かう通路にもたくさんの縄文土器や石器が。

北杜市考古資料館2階通路の水煙渦巻文土器八ヶ岳山麓の縄文遺跡ではおなじみ、素晴らしい造形の水煙渦巻文土器もあります。

北杜市考古資料館第一展示室全景展示室に入る前に既にお腹いっぱいですが、通路を抜けると、金生遺跡のジオラマを中央に置いたメインの第一展示室に到着です。

北杜市考古資料館の縄文土器壁際にはセミオープンで出土した土器が並べられています。

このような土器の雰囲気を直に味わえる展示方法は、釈迦堂、そして尖石でもお馴染みです。

北杜市考古資料館の復元環状列石センターのジオラマの向こうには、遺跡のパノラマ写真と復元された環状列石が迎えてくれます。

正に八ヶ岳を正面にした遺跡。八ヶ岳への信仰心すら窺える展示内容です。

北杜市考古資料館の粘土耳飾りそして、こちらの展示物で珍しいのが装飾品。

中でも出色なのは粘土で出来た耳飾りと考えられている出土品。

細かな細工が施されているのが判るでしょうか。

北杜市考古資料館の中空土偶1そして、この資料館を代表する展示物の一つ目。金生遺跡から発掘された珍しい中空土偶。

北杜市考古資料館の中空土偶2まるでタコの口のような尖った口を持った中空土偶。最近人気急上昇中らしいのですが…如何でしょうか。

北杜市考古資料館の顔面把手付深鉢1更にもう一つ、お隣の津金(須玉町、御所前遺跡)で出土した、こちらの資料館が誇る縄文期随一の造形を魅せる、顔面把手付土器。

出産を表すと考えられる、観る者に強い印象を与える土器です。

北杜市考古資料館の顔面把手付深鉢2こちらの土器、背面にも注目しましょう。顔面の裏側にも施された造形と、表面と対になるように、土器本体には顔が描かれています。そのデザインの本当の理由は判らないのですが、豊かな想像力を感じさせる逸品です。

北杜市考古資料館第二展示室八ヶ岳山麓にある他の考古館であれば、ここでおしまい(or別館へ)。

ですが、こちらの資料館は小粒ながらも旧石器時代から中世までのロングスパンで出土物の展示を取り揃えています。こちらは弥生時代から平安時代にかけての出土物を展示している第二展示室。

正面には、発掘された古墳の石室の様子が描かれたタペストリーが掲げられています。

北杜市考古資料館の三口台付壺こちらも珍しい出土物。弥生時代の刀剣と古墳時代の奇妙な形をした土器。

八ヶ岳西麓の縄文遺跡が一旦は人の生活跡を失う一方で、この地にはその後も人が住み続けた証拠の数々。

北杜市考古資料館の谷戸城跡ジオラマそして、1階のフロアーに降りていくと、この資料館が立つ谷戸城の解説と中世の八ヶ岳南麓に誘われていきます。

北杜市考古資料館の指銭と経筒珍しい出土品(差金や経筒)も見える、中世の八ヶ岳南麓。既に相応の実力を有した武家が育っていたであろうこの地から、のちの武田一族が飛躍することになります。

北杜市考古資料館の天正壬午の戦い解説パネルこの資料館の最後は、谷戸城の発掘成果の解説と、こちらを舞台に展開される、武田一族が滅亡した後の北条、そして徳川の騒乱である天正壬午の戦いに関する説明ボード。この戦いの結果、秀吉時代の僅かな期間を除き、明治まで続くこの地の支配体制が確立。八ヶ岳南麓の歴史は考古史から郷土史へと移っていきます。

谷戸城跡大手口資料館の裏側は谷戸城の大手口に繋がっています。桜の木に覆われた小さな丘は綺麗に整備され、周囲に巡らされた堀や土塁を観察しながら中世城郭の跡を散策する事が出来ます。

金生遺跡全景谷戸城跡から車でほんの数分(谷戸城の搦め手を下り、水田の中を抜ける、丁度いい散策コースなのですが…季節を選べば)。

水田の中に浮かぶように存在する公園に金生遺跡があります。

綺麗に整備された遺跡の跡からは、発掘当時の様子を窺う事は困難ですが、この地に繁栄した縄文文化の中心地のひとつとして、出土物と共に現在にその想いを伝えてくれます。

北杜市考古資料館より望む夏の八ヶ岳資料館から望む夏の八ヶ岳。

八ヶ岳山麓にある縄文時代の発掘物を扱った博物館の中でも、綺麗で丁寧な展示が光る本館(但し、夏休み中の日曜日の午後にも拘らず独り占めって…春にはNHK(Eテレ)で採り上げられた筈なのに、これでいいのかなぁ)。

日が西に傾いて、漸く凌ぎ易くなった夕暮れまでしっかりとお邪魔させて頂きました。

北杜市考古資料館のパンフ類館内で配布しているパンフレットと有償のブックレット。なんで縄文史跡を観に行ったのに、山城なんだよ…というツッコミはご勘弁を。

<おまけ>

本ページでご紹介した内容に関連するページを。