今月の読本(特別編)映画「ちえりとチェリー」とノベライズ版「ちえりとチェリー」(中村誠、島田満:共著 伊部由起子:絵 角川つばさ文庫)

今月の読本(特別編)映画「ちえりとチェリー」とノベライズ版「ちえりとチェリー」(中村誠、島田満:共著 伊部由起子:絵 角川つばさ文庫)

New!(2015.10.1):映画ちえりとチェリーの公式サイトがリニューアルしました。

Chieri and Cherry top2

依然として劇場公開情報は掲載されていませんが、プレイベント的に東京国際映画祭での公開が決定しました。詳細は公式サイトにて。

 

いつも本ページで扱っている書籍とは異なるスタイルの作品のご紹介です。

本ページのサイドバーでご紹介している、映画「ちえりとチェリー」。

ちえりとチェリー

日本では数少ないパペットアニメーション(人形アニメ)製作者でもあり、脚本家、グラフィックデザイナーにして、大手アニメーション企画、制作会社のプロデューサーでもある中村誠さんによるオリジナルパペットアニメーション作品。

先般、一般公開に向けたクラウドファンディングで無事に目標額に到達、スローシネマという新しい興行形態で全国を巡る劇場公開が実現することになりました。

今回ご紹介するのは、本作の劇場公開を前にノベライズ版として刊行された一冊です。

文庫版ちえりとチェリーちえりとチェリー」(中村誠、島田満:共著 伊部由起子:絵 角川つばさ文庫)です。

この角川つばさ文庫というシリーズ、本ページをご覧頂く方には馴染みのないレーベルかもしれません。

数多くのレーベルを抱える角川グループが刊行するノベライズのうち、最も低年齢層向けに用意されたレーベルがこちらのつばさ文庫。本文の漢字にはすべてルビが振ってあり、文字サイズも大きめ、イラストもふんだんに載せられている、主に小学校中学年までの読者を想定した作品群が収められたレーベルです。

所謂ジュニア文庫と呼ばれるジャンルの中でも低年齢向けと見做されるレーベルの一冊ですが、執筆者の皆さんはそんな作品の執筆陣とはちょっと毛色の違ったメンバーが集まっています。

メインライターの中村誠さんは、映画版の原作者にして脚本と監督を担当。ロシアと共同で製作したチュブラーシカのリメイク&新作版の監督と言えばご存知の方もいらっしゃるかもしれません。もしくは、アニメファンの方には賛否両論を巻き起こした劇場版AIRとCLANNADの脚本家と言った方が判りやすいかもしれません。

そして、もう一人の執筆者は島田満さん。映画版でも共同で脚本を手掛けられていますが、アニメーションを中心としたキャリア数十年のベテラン脚本家(女性です)。Drスランプ、うる星やつら、るろうに剣心といった往年の名作から、初期のワンピースやドラゴンボールといった大タイトルの脚本を数多く手掛ける一方、劇場版アンパンマン(2作品)、世界名作劇場「若草物語ナンとジョー先生」と「ロミオの青い空」の全話脚本を一人で手掛けられたという、多彩なキャリアを有する方です。

そして、イラストを手掛けるのは伊部由起子さん。映画版のキャラクターデザインを共同で手掛けられていますが、本職はSDキャラと謂われる二頭身キャラや可愛らしい少女を得意とするアニメーターの方で、何作かのTVシリーズでキャラクターデザイン、総作画監督を務められていらっしゃいます。

映像作品のノベライズというと、本編と異なる作者や作家の方が手掛けられる例が多いのですが、本作では映画版のメインスタッフがそのままノベライズを手掛けられるという点でも珍しいことかもしれません。

そして、本作のスタッフ(更には、映画版の主演を務める声優さん)にはある共通点があります。本作を応援しようと決めた理由でもあるのですが、詳しくはこちらをご覧頂ければと…。

ちえりとチェリー挿絵田舎のおばあちゃんの家にお母さんと一緒にやって来たちえり。好奇心旺盛だけど人見知りで、ちょっと臆病な小学六年生。そんな彼女の傍らには何時も大切にしているぬいぐるみ「チェリー」がいっしょに居ます。想像力豊かなちえりが生み出す世界の中では、大人の背丈ほどに大きくなって、話が出来るようになるチェリー。ちえりが困った時には何時も傍らに居て言葉を掛けてくれます。

母子家庭で育った彼女がやって来た古いおうちは、亡くなったお父さんの育った家。法事のためにやって来た彼女は早速、従妹たちとすれ違いを起こしてしまいます。一人法事に行く事から取り残されてしまったちえり、でも好奇心旺盛な彼女はチェリーと一緒に大きなおうちの中へ探検に出掛けてしまいます。

おとうさんが昔住んでいたおうちの中をチェリーと一緒に巡るちえり。懐かしくも悲しい思い出と、亡くなったおとうさんが世界一といつも励ましてくれた、彼女の溢れる想像力が重なり合って生み出された世界の狭間で、ちえりは大切なこと、かけがえのない想いを見つけ出していきます。自分の弱さや恐怖が生み出しているもの、儚くも小さな命の火、そしていつも自分をそっと支えてくれる暖かい想い。

彼女がその想いを受け止めて、一歩踏み出す時、何時も側に居てくれたチェリーと一緒に唱える合言葉、

「いーつーもー。いっしょ」

そして想いを繋げた先に訪れるもう一つの物語…、

少し古い日本の面影を感じさせる、ファンタジックな舞台設定の中、主人公ちえりの視点で少女が自ら一歩踏み出す想いを遂げるまでを語るノベライズ版。原作者で監督の中村誠さんによれば、映画版とはちょっと視点を変えて描かれているとの事ですが、果たして映画版ではどのように描かれるのでしょうか。

残念ながら遠方のため試写に参加することは叶いませんが、白箱版(一応、出資者?)で観られることを楽しみに、そして、スローシネマとして、いずれこの片田舎のスクリーンでも観られる機会が巡ってくる事を願って。

New!(2015.10.31):ハロウィンで盛り上がる週末に素敵なプレゼント。遂に製作応援のリターンでもあるDVDとノベルティが到着しました!これからじっくり拝見したいと思います。

ちえりとチェリー、プロジェクト支援御礼のお品物

<関連リンク>

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黄金色の季節(2015.9.20)

9月も中旬、世間では5連休というところも多いようですが、生憎飛び石の休みとなってしまったこの週末。

それでも、この季節だけ楽しめる景色を眺めに八ヶ岳西麓周辺を廻ってみます。

【画像をクリックすると、フルサイズで表示されます】

朝の甲斐駒と蕎麦畑朝の甲斐駒を望む、シーズンも終わりを迎えた蕎麦畑。

黄金色の景色2朝の圃場から眺める南アルプス。

黄金色の絨毯のように稲穂が広がります。

黄金色の景色4甲斐駒を正面に臨む圃場。

減農薬圃場でしょうか、稲穂と混じって他の草も入り込んでいます。

八ヶ岳と季節外れの向日葵の花八ヶ岳を望む圃場。何時もは真夏に向日葵畑になっている場所ですが、今年はお休み。

コスモスの花と並んで、僅かに残った遅咲きの向日葵が最後の夏を咲かせています。

黄金色の景色5たわわに実った稲穂。

不安定な天候が続いた今年、無事に実りの秋を迎えた事に感謝を。

風に耐える赤とんぼ圃場の脇で風に耐えながら枯草の上で踏ん張っていた赤とんぼ(トリミング済みです)。

もうすぐ、高原から麓に降りていきます。

黄金色の景色6高原の高い空と、広がる圃場。

その姿は稲穂の海のようです。

黄金色の景色8

 

黄金色の景色7稲穂の海に浮かぶ、霧ヶ峰と車山、そして蓼科山。

実りの秋を実感させる、豊穣の黄金色。

膝に止まる赤とんぼ稲穂と勘違いしたのでしょうか、ズボンの膝に止まる、可愛らしい赤とんぼ(トリミング済みです)。

黄金色の景色1一面の黄金色に彩られる、谷戸に広がる圃場。

既に一部では刈り入れが始まっています。

黄金色の景色3圃場から見上げる八ヶ岳連峰。

秋の空の下、刈り入れを待っています。

池生神社の蕎麦畑池生神社の蕎麦畑もシーズン終盤。背の高い蕎麦の花に鳥居と灯篭が埋まって見えています(トリミング済み)。

八ヶ岳とコスモス畑秋晴れの八ヶ岳を正面に臨むコスモス畑。

今日は風が強く、背の高いコスモスの花も風に揺れています。

黄金色の景色9西日を浴びる圃場。

秋分を迎えると、午後の日差しは足早に西の空へと歩を進めていきます。

 

今月の読本「恋する武士 闘う貴族」(関幸彦 山川出版社)歌と人物から描く歴史の側面と、交錯する三つの筆致

今月の読本「恋する武士 闘う貴族」(関幸彦 山川出版社)歌と人物から描く歴史の側面と、交錯する三つの筆致

読み終わるまでに長い時間が掛かった一冊。

約400頁と少しボリュームがある事が最大の理由ですが、その微妙な読後感は著者があとがきで述べているように、一度はこのテーマで執筆した原稿をご破算にしている事からも、テーマ設定と、筆運びの難しさが垣間見えてきます。

今月の読本は、非常に微妙な一冊のご紹介です。

恋する武士 闘う貴族恋する武士 闘う貴族」(関幸彦 山川出版社)です。

著者である関幸彦氏は同時代に関する、数多くの著者を有していらっしゃることで知られています。

文中で物書きではないのでと語られていますが、所謂物書きの方々より余程多くの一般向けに書かれた自著を物にしていらっしゃいますし、中には同じ版元から出された「鎌倉殿誕生」のような、かなりの変化球(編集者と語りながら話を進めていくというスタイル)の一冊もあったりします。

そのような著者の新著にしても、初版にも拘わらず帯に「話題作」とややフライング気味なアピールを入れる版元さんの力の入れ具合にはちょっと驚いてしまいましたが(予約が好調だったのでしょうか)、実際に読んでみると、これは少々苦しいなあという感想でした。

表題が雄弁に物語るように、そして平敦盛を表紙の写真として掲げている点からも、本書が語ろうとしているテーマは明快です。前半は「恋する武士」、後半は「闘う貴族」と題して、平安末期から南北朝にかけての、従来捉えられてきた画一的なイメージとは異なる、個々の人物像に触れながら、それらの概念を取り外していこうという、明確な意図に基づいて描いていきます。

前後編を通じて(1,2部と振られています)多数の登場人物が出て来ますが、いずれも同じような紹介(出自、系図上の繋がり)、そして2つのテーマとの関わり合いが述べられていきます。武士の節では身分違いや立ち居振る舞いの粗忽さを滑稽に、多少の揶揄を含めて、貴族の章では闘いの敗者(これは、戦闘という意味だけではなく、闘争や暗闘も含む)への憐れみと気概を持ち上げる筆致を加えながらの人物評が述べられており、これだけでも一般読者向けの読み物としては充分に楽しめる内容になっています。あまり取り上げられない人物についても、少し深堀しながら、その人物の歴史的な立ち位置や背景についても織り込んでいく著者の筆致には、手慣れたものがあります(中には、長峯諸近、淡河時治といった珍しい人物や、闘う門流の中関白家といった、面白い切り口も)。

そして、本書を貫く大きな軸として「歌( 和歌)」が挙げられます。上流階級にとって社交上の潤滑剤であり、センスと学識が試される場。更には出世や人生をも左右する事となった和歌を通じた登場人物たちの物語も多く語られていきます。和歌によって教養の高さをアピールし、更には想いを伝えたり、恋心を成就させようとする武士たち。一方、和歌の力によって家運を高め地位を得、時には兄弟同士の熾烈な遺産争奪、家名の継承合戦をも繰り広げる公家たち。どちらにしても、当時の人々にとって趣味や教養を越えた、欠かせない(時には命がけの)コミュニケーションツールであった事を示していきます。

その一方で、読んでいて少々引っかかる点が、人物物語の集積だけでは良しとしなかったのでしょうか、かなりの部分が一般的な概説書と共有する内容で占められる点です。しかもその織り込み方が、コラムという形ではなく、本文中の端々に、時にぶつ切りのように人物の物語からいきなり導入し、人物の話の完結を観ないまま、次の節へと移ってしまうような構成が散見されるため、テンポが悪く、通読性もかなり悪化しています。著者はあとがきで「y切片」が高めと評し、媚びる事はしたくなかったと述べていますが、むしろその想いとは裏腹に、この程度の付帯する著述は必要であろうという著述(水割り風味を避けると)が、逆に大事なテーマである概念への偏向を見直すという、本書の立ち位置を見えにくくしているかのようです。

人物史には徹しきれず、かといって人物、そして武家と公家というテーマごとに時代背景が分散されているため、余りにも内容が分断化されており、通読するのが苦しい点は否めません(読み終わるまでにかなりの時間を要したもう一つの理由です)。従って、本書の読者層をどの辺りに想定したのかによって評価が大きく分かれそうです。

そしてもう一つの着目点、著者が他の著作でも度々述べている「研究者の歴史認識」に関する著述が本書でも散見されます。前半の恋する武士では丁度真ん中あたりで、東国国家論と権門体制論の話を持ち出してきますし、巻末では南朝功臣、特に北畠親房の北関東における浸透戦略、両日野氏に対する称揚と鎌倉における明治以降の顕彰、そして江戸中期の安積澹泊の大日本史賛藪からの引用の記述に少なからぬページを割いていきます。そこには、明治以降に成立した皇国史観に至る氏の歴史的展開への傍証が滲み出ています。

豊富な登場人物と平板にならない興味深い内容が手慣れた筆致で描かれる。しかしながら、読み手のイメージが今一歩見えてこない本書を読んでいると、著作の難しさを改めて感じるところです。

<おまけ>

恋する武士 闘う貴族と類書本書に関連する書籍を本ページからご紹介。

旅の寄り道にて(信濃大町、仁科神明宮)

大町方面へ行くときは、何時も天気が今一歩。

大町山岳博物館前庭から北アルプス抜ける様な秋空が欲しかったのですが、今日も大町山岳博物館前から望む北アルプスは雲の中。

刈り入れ直前の圃場梓川沿いに広がる圃場を俯瞰で。

既に、圃場の所々で刈り入れが始まっています(大町市社)。

仁科神明宮1黄金色の圃場に魅せられつつ、ちょっと寄り道して、仁科神明宮へ。

国宝の社殿で知られる場所ですが、安曇野から大町に抜ける主要道路から外れていて、なおかつ細い山道を登って行かなければならないので、観光客の方はほんの僅か。

立派な杉の木が立ち並ぶ、静かな境内です。

仁科神明宮2神明造の古い形態を残す、社殿は拝殿(中門)の向こう。

鬱蒼とした杉林の中、さらさらと杉の葉が奏でる音だけが聞こえてきます。

仁科神明宮の大杉1境内を威圧する三本杉。

真ん中の1本は強風により倒れてしまいましたが、両脇の2本は依然として威厳を保ちつつ、しかしながら、太いシャフトに支えられながら立ち続けています。

仁科神明宮の大杉2見事な樹皮の色をした、仁科神明宮の杉の木。

光芒と有明山晴れたり曇ったりを繰り返すうちに、空からは光芒が差し込んできました。

遠くに臨む有明山も僅かに顔を見せてくれています。

 

秋晴れの朝、蕎麦畑にて(2015.9.11)

激しい雨が降り続いた今週。

水田では刈り入れ前の稲が一部倒伏した個所もあったようですが、それほど影響は出ず、漸く迎えた眩しい朝日。

少し寄り道して、シーズンも終わりに近づいた蕎麦畑に向かってみます。

秋晴れの空と八ヶ岳を望む蕎麦畑1視界いっぱいに広がる蕎麦畑、遠くに八ヶ岳を望みます。

秋晴れの空と八ヶ岳を望む蕎麦畑3八ヶ岳をアップで。

秋晴れの空と八ヶ岳を望む蕎麦畑2蕎麦の花もかなり高さが高くなってきました。そろそろ花のシーズンも終わりです。

秋晴れの空と鳳凰三山を望む蕎麦畑2遠くに南アルプスの鳳凰三山を望んで。

残念ながら甲斐駒は雲の中。

秋晴れの空と鳳凰三山を望む蕎麦畑1思い思いに立ち上がった蕎麦の花を重ねて。

朝の日差しが眩しいです。

秋晴れの空と八ヶ岳を望む蕎麦畑4八ヶ岳をバックに蕎麦の花を。

秋晴れの空と八ヶ岳を望む蕎麦畑5すくっと立ち上がる蕎麦の花。

晴れ渡る秋晴れの下。こんな景色を眺められることへの実感を噛み締めて。

 

自分の読書を形作った10冊を挙げてみると…

自分の読書を形作った10冊を挙げてみると…

数日前、twitterでお題として挙げられていた 「本棚の10冊で自分を表現する」。

多くの方々が色々な形で10冊を挙げていらっしゃいます(私も一口乗らせて頂きました)。

手持ちの本の中から、自分のこれまでを辿った10冊をピックアップした後、ふと思ったのが、自分の読書人生のターニングポイントに当たる本が意外にも手元に残っていない事に愕然としたのでした(実家に放置されている分もありますが)。

折角なので、思い出せる今のうちに自分の読書スタイルを形作った10冊を挙げてみようという、便乗ネタを披露してみたいと思います。

ちょっと趣味に走り過ぎるかも。

(全ての本が手元にないため、以下の画像及びリンク先はamazonになっております)

 

[1冊目]幸島のサル(三戸サツエ 原著はポプラ社、現:鉱脈社)

<初めて読書という行為、考えるという事を実感させてくれた本>

初めて読書という行為を意識した一冊。

小学校の各クラスに置かれていた、小さな本棚に収められていたボロボロの本(図書室のお下がり)。

当時、いじめられっ子だった私が、休み時間に食い入るように読みつづけていたその本は、自分が暮らす学校や家といった社会とは別の世界がある事を教えてくれました。本書は日本の霊長類学が誇る、サルの社会性を初めて実証した研究の舞台となった宮崎県の幸島での研究の足取りを、現地の研究に携わっていた著者が丁寧に綴った一冊。サルたちに対する丁寧な描写や、研究に関する著述は、ちょっと背伸びした(当時小学4年生だったでしょうか)内容だったと思いますが、こんな世界(研究者という生き方と、自然科学という研究対象)があるんだという事を教えてくれた本です。この後、陰湿で閉塞的だった小学校を中心にした生活に拘らなくなり、闊達で好奇心旺盛なメンバーが集う、放課後の塾通いへと自分の居場所をシフトしていきます。結局、研究者にはなれなかったですが、そんな想いを持っていた事の起点として。

 

[2冊目]航空事故-その証跡に語らせる(柳田邦男 中公新書)

<物事を捉えるアプローチを教えてくれた本>

読書に目覚めた小学校中学年、丁度そのタイミングで家から電車で20分ほどの場所に、新しい市立図書館が開設されました(横浜市立保土ヶ谷図書館)。

読書が好きだった母親に連れられて、そのうち自分から図書館に通うようになった時に、衝撃を受けた一冊。小学校4年生で初めて飛行機に乗せてもらった際に受けた感動を抱えて、すっかり飛行機好きになっていた私の想いを打ち消す様な悲惨な航空機事故の数々を、平明で冷静な筆致で丁寧に綴っていく文体に一気に引き込まれていったのでした。マッハの恐怖で作家デビューを飾り、その後も数々の大型事故の検証やガン治療、そして自身の息子の自殺と生体移植に対して綴る、数多くの作品を送り出してきた柳田邦男さんのごく初期の作品。小学校5年生には早すぎる一冊かもしれませんが、巨大な事故であっても、ほんの些細な事から生じた原因が必ずあり、その追求と抜本的な改善の上に更なる空の安全が築かれる。ジャーナリストとしては異色の、日本人が好む「犯人捜し」に囚われない、本当の原因を追究する事の大切さを切々と述べるその筆致に強烈な印象を受けました。私のエンジニアとしての矜持、物事に当たる際のアプローチの多くは本書で述べられる、アメリカ国家運輸安全委員会(NTSB)の事故原因調査手法から学んだものです。私の思考の源泉を与えてくれた一冊です。

 

[3冊目]ようこそ地球さん(星新一 新潮文庫)

<読む事の楽しさ、読解力を与えてくれた本>

星新一には、子供の頃に誰しも一度はハマるのではないでしょうか。私が星新一に巡り合ったのは、前述の塾通いを始めた後、塾で使われていた国語のテキストに出て来た「宇宙の掃除当番」という作品。見開き4ページ程できっちりと起承転結が押さえられた文章と、そのオチの秀逸さにクラスのメンバー全員が大感激。授業が終わった後、みんなで本屋さんに押しかけて、めいめい好きな一冊を買って帰ったのは懐かしい想い出です。当時、塾での成績が伸び悩んでいた中で、星新一にのめり込んだ後だったでしょうか、急に国語のテストの成績が良くなって担当講師の方が驚いていたのを今でも覚えています。それ以来、学校の国語のテストで苦しむ事が全くなくなったという点でも、読解力の基礎と読書への大切なきっかけを与えてくれた一冊です。

 

[4冊目]コンピューター帝国の興亡(上下巻)(ロバート・X・クリンジリー アスキー)

<その先の本質を遡って知る事の大切さを教えてくれた本>

中学生になっても、相変わらず学校での付き合いより、塾など外での関わり合いが多い中、必然的に興味も同年代より少し背伸びをしたものになっていったと思います。当時であれば深夜放送に、アマチュア無線、そしてパソコン。

同年代よりかなり早くからパソコンに慣れ親しんだために、高校、大学と進学した際にパソコンを使用した授業では、早々に自分の課題を終わらせた後は、何時も指導担当(そのうち、教員補助のバイトも)。同年代の学友たちが現行のパソコンで楽しむ中、既に10年近いキャリアを積んだ私が興味を持ったのがパソコン自体の歴史。PC9801全盛時代に、あえてアメリカでのコンピューターの歴史に興味をもったのは、シリコンバレー、そしてMacやApple2への憧れだったのかもしれません(その後、念願のサンノゼに訪れたのは20年近く後の話)。本書は、ビックブルーと呼ばれたIBMが斜陽を迎える直前までが描かれており、日本の読者にとっては対岸の火事のような内容だったかもしれません。しかしながら、その後DOS/V全盛を予感させるAXやPS/55V、IBMの日本でのマーケッティング活動に注目していた(当時はシャープユーザー)私にとっては、そのベースでは更にダイナミックなストーリーが展開している事に驚くとともに、この時点で既にその後の日本の半導体、PC産業の凋落のきっかけとなる、ガラパゴス化への恐怖すらも感じさせる一冊でもあります。

 

[5冊目]イカはしゃべるし、空も飛ぶ-面白いイカ学入門(奥谷 喬司 講談社ブルーバックス、表紙写真は初版で再版では異なります)

<自然科学の面白さ、豊かさを教えてくれた本>

理系に進みたいなあという、ぼんやりとしたイメージを持ち始めていた中学校の頃、盛んに読んでいたのがブルーバックス。当時は買う事は叶わなかったので、主に図書館で借りて読んでいたのですが、そのうちぽつぽつと購入するようになっていきました。そんな中で興味を持ち始めたのが電子系(無線工学)と自然科学(海洋生物)。いずれも私にとっては身近なテーマだったので、どちらかに進めれば大満足だったのかもしれません。しかも、どちらにも進めるチャンスを有していました。しかしながら、紆余曲折を経て行き着いたのは、望みとは大きく異なる学部。

未来が描けない、それでも学位を修めるためには興味が無くても勉強しなければならない。そんな屈折した大学時代。通学に1時間以上かかったために読書時間だけは豊富、生協で安く本を買う事が出来たので、うっぷんを晴らすかのごとく、どんどんと興味のある分野のブルーバックスを買い込む事になりました。その中でもお気に入りだったのが、こちらの一冊。シリーズでは異例の、刊行後20年を経て内容はそのままに新装版が送り出されるという、今でも古さを全く感じさせない、ブルーバックス随一の名著と言っていい一冊。軽妙な筆致で、読者をぐいぐいとイカの生態の面白さへと引き込んでいきます。今でも自然科学に対して僅かながらの未練が残っている事の証として。

 

[6冊目]中国文明の歴史<2>春秋戦国(貝塚茂樹 中公文庫)

<自分が所属する社会性の源泉を見つめ直させてくれた本>

社会人になって2年目で迎えた初めての海外勤務。右も左も判らず、使える言語はたどたどしい英語だけ。しかも相手は中国人。自分が積み上げてきた価値観やアイデンティティは見事に粉砕され、日本語ならボキャブラリーで躱せる議論でのトークも、意思を伝えるのがやっとの英語ではどうにもならず、自分を表現する事も、相手の想いを汲み取る事もままならない、厳しい状況に立たされ続けた数年間。その後ふいに訪れた、配置転換による内勤の日々の中で、少し余裕が出来た時に本屋さんで見かけたシリーズ刊行の一冊目。

これまで中国の歴史に関する本をほとんど読んだことが無かった私にとって、ちょっとした未知への好奇心から読み始めたのですが、どっこい、そこに描かれる物語は、正に私たち日本人が深く共有する考え方、それを機知を以て描く「故事成語」として、ふんだんに書き込まれている事に驚かされたのでした。名手、貝塚茂樹先生の筆による、東アジアの人々のアイデンティティが凝縮した春秋戦国時代を快活に、楽しく描く本書を通じで、中国史の面白さ、そして一度は崩れてしまった自らのアイデンティティの源泉を漸く見つける事が出来た、29歳にして巡り合った一冊。もちろんこの後、一年を掛けてシリーズ全巻を読破したのみならず、その後もあらゆる中国史の本に手を伸ばすきっかけとなった一冊です。そして、大切な、大切な一冊に振り向くきっかけを与えてくれた本。

時に、研究者の方が書かれる日本史本の筆致に対して、いくばくかのわだかまりを感じられている方へ、そんな時は中国史の本(三国志ではなく、史記から入られるのをお勧めします)を読むと、きっとその想いはあっけなく吹っ切れると思いますよ。なんだ、みんなここにあるじゃないか、と。

 

[7冊目]折たく柴の記(新井白石:著、桑原武雄:翻訳 中公クラッシック)

<自らの信念に生きる事への孤独と厳しさ、人の大切さを教えてくれた本>

自分自身の想いを貫こうとした時、それが仕事であれば尚更ですが、時に孤独な立場に追いやられることがあるかもしれません。特に、結果として自分の考えが正しかった時など、ああ、あそこでちゃんと言っておけばと、後悔されることもあるのではないでしょうか。

そんな立場に立った時に、全力で背中を殴って励ましてくれそうな一冊。火の子と呼ばれ、俊英の誉れ高き幼少時代という、プライドが否が応でも高そうな前半生を有しているにも拘らず、その半生は2度の浪人生活を送り、食うに止まれぬ状況すら味わう浮沈の繰り返し。しかも実社会で活躍したのは僅かに5年ほどで、その後は会う事を憚る人が現れるほどに寂しい晩年を過ごした一生。しかしその僅かな間、日本の歴史で唯一といっていい、文人学者が実際に国政を自らの理想を通じて動かそうとしたその経緯と結末を、自らの人生を重ねて、自らの筆で書き残した一冊。日本史の登場人物で最も嫌われる一人である、新井白石の自伝的随筆です。新井白石の本と聞いて、ああ、自分大好き人間の自慢話が詰め込まれた嫌みな本だなと思われる方もいるかもしれません。しかしながら、東洋史の大家、桑原武夫先生の素晴らしい訳で読む白石の独白は、全く別のイメージを持たせてくれます。その裏側に潜む、本人のやるせなさや周りの人物たちの冷笑、そして自らを買ってくれた将軍、家宣に対する深い敬愛と、白石の人間味溢れる人となりが、見事に描き切られているかのようです(こうしてみると、前著の貝塚先生と言い、桑原先生、そして私の大好きな宮崎市定先生と、東洋史を専攻された方々の筆致には、落ち着いていて妙な誇張もなく、それでいてじっくりと読ませた上で、はっとさせられる、絶妙な感覚が備わっている事にいつも唸らされます)。本書を読むと、自分を信じる事、但しその信じる根底には厳しいほどにきっちりとした、揺るぎない思考が備わっている事の大切さ、そして自分の事を理解してくれる人がいる事が如何に大切かという事を教えてくれます。

 

[8冊目]峠で訪ねる信州(川崎史郎:文、小林敬一:写真 信濃毎日新聞社)

<一歩、実生活から離れて何かを追う楽しさを教えてくれた本>

とあるきっかけで八ヶ岳南麓に職を得て引っ越してきた後、少し落ち着いてくると、これまで読書三昧で週末に殆ど遊びに出る事もなかった私にして、漸く周囲の山々へと興味が向いていきました(普通は逆でしょう、たぶん)。しかしながら登山をするほど体力には恵まれておらず、かといって、街中をお散歩するように歩き回るには広大過ぎる信州の地。そんなとき本屋さんで目に留まったのが本書。山国信州の数々ある峠を、車でのアクセスガイドマップ付きの美しい写真と少しウェットな筆致で紹介するこの本を片手に、ちょくちょくと峠巡りを始めたのでした。にぎやかな峠、車の往来激しい峠、そして人一人、訪れる事のない、風だけが吹き抜けていく峠。海の近くで育ってあまり山に興味を示さなかった私を、出不精で週末はいつも家に引きこもっていた私を、ゆるゆると峠への道筋へと誘ってくれたのでした。すっかり峠巡りが好きになって、乗っていた車をパジェロミニに買い替える事になったのは本書が一因であることは間違いありません。色々な場所を巡るという新しい好奇心をもたらしてくれた一冊です。

 

[9冊目]憲法で読むアメリカ史(上下巻)(阿川尚之 原著はPHP新書、現:ちくま学芸文庫)

<その思考の積み重ね、本質へと続く論理を唱える事の大切さ教えてくれた本>

7冊目と被るようですが、こちらは東洋ではなく西洋。本書も名著の誉が高く、現在ではちくま学芸文庫に収められています。実はPHP新書版の冒頭に載せられている、ブッシュJrの大統領当選に纏わる混乱、マイアミ州での選挙結果再集計の顛末が意外にも面白いので、絶版ではありますが、新書版を入手して頂きたいと思う一冊。

世界の成文憲法で一番古い歴史を有するのが実はアメリカ合衆国憲法と聞いてちょっと驚かれる方もいるかもしれません。修正条項は付帯されていますが、本文自体は成立してから一字一句修正されていない。それでも、成立当初から大きく変容したアメリカという国のアイデンティティを今でも具現化していると謳われるのは何故でしょうか。本書は、その疑問の答えが、最高裁判所の膨大な判例の蓄積によって築かれた判例主義と、それを時には覆していく、時の主席判事が率いる「コート」と呼ばれる、判事たちの憲法判断を歴史的に著名な判例と時代背景、その時の主席判事の治績を合わせて紹介することで、モザイク模様の合衆国という国の集合が一つに纏まり続ける求心力の源泉を丁寧に紹介していきます。時に時代の趨勢によって、時に政治的な圧力によって、更には民衆の声によって、自らを書き換えながら、ダイナミックに判例を覆すアメリカ最高裁判所の判例と、その経緯を克明に記録する判例文。その中から、自らも大統領に任命されるという政治任用のため、時代によって揺れ動きながらも、それでも最後の砦として、すべての国民の負託に応えようという、合衆国の裁判制度と、変化を受け入れながらもそれを堅持し続ける判事たちの想いが伝わってきます。PHP新書にしては重めのテーマですが、非常に読みやすい文体と、憲法を通じてアメリカの歴史を振り返るという視点の斬新さが嬉しい一冊。日本国憲法に記されている違憲立法審査権が、実はアメリカ合衆国憲法の大きな欠点から生じた制度であると知れば、ますます興味を持たれるかと思います。

 

[10冊目]日本の酒(坂口謹一郎 岩波文庫)

<時に洒脱に、時に敬虔に、積み重ねてきた歴史と文化を楽しむことの大切さを教えてくれた本>

南麓暮らしが定着してきたころ、豊かな自然と共に意識が向き始めたのが地元のお酒。最初は塩尻のワインに嵌り、その次に嵌ったのが諏訪湖の周囲に点在する日本酒の酒蔵(ここで、目の前の白州はどうしたというツッコミはなしで。ちなみに、雨上がりの夜に周囲を歩くと、甘いシェリー樽の香りが森の中に広がります)。折角ここまで来たのだからと、週末の晩酌としてちょくちょく呑み比べてみると、その個性の違いと幅広さに驚かされると共に、これまで飲んできた日本酒との違いを知りたくなって、ごそごそと探して読み始めた日本酒の本。その中でも出色なのがこの一冊。日本の醸造学の泰斗が一般の読者向けに上梓した本書は、刊行されてから既に50年を経ているのに全く古さを感じさせず、逆にアルコール工業(要はスピリッツの事)の普及への視点や、等級廃止後に起きた、現在の地酒全盛の様子を既に暗示している点だけでも驚異的。更には、読みやすく洒脱な文体と、科学者でありながら、専門分野に留まらない、歴史と文化論すら淡々と語れる知識の幅広さは、現在の研究者の方にはなかなか見られない点(欧米の研究者の多くは、この点で確実に基礎教養として備えているようにも思えてなりません)。日本酒という、日本に育まれた文化と歴史を知るための入門書として、そして教養とは、単に専門分野に長けているだけでは駄目で、自らのバックボーンに対して深い理解を持っている事が必要であるという事を改めて見つめ直させてくれる一冊です。

 

[番外]論語(金谷治:訳注 岩波文庫・青本)

論語(金谷浩:訳注 岩波文庫)解説不要でしょうか。

6冊目を読んだ後、30年間、ずっと避けてきた本書をちゃんと読んでみると、実に面白かった。

論語読みの論語知らずの言葉があるように、テキストとして、または人生訓として読まれることに否定はしませんが、そんな堅苦しい事を考えずに、持論を唱えつつ、実践の機会をひたすら願った、そして挫折の後でも、自らの想いを語り続けた、一人の男とその姿、信念に惚れた弟子たちのエッセイ集として読めば、実に面白い本です。論語に関してはあまたの解説書やビジネス本としても出ていますが、原文でも読めて、しかも妙な解釈が挟み込まれない本書が最も良いと思います。無理に漢文で読む必要もありません。金谷治先生の簡潔にして、温かみのある筆致で描き起こされた、僅か数行から数十行で語られる数多くの物語の中に、きっともう一人のあなたを見つける事でしょう。

何時も鞄に入れて持ち歩いています。

 

 

<落ちネタ>

あれだけ日本史関係の本を紹介しているのに、この10冊に日本史に関わる書籍(近現代の著者)が無い点を不審に思われる方もいらっしゃるかと思いますが…、前述のように、ニュートラルでかつ的を得た筆致で描かれる、感銘を受けた日本史の本に巡り合えていないので、未だひたすら読み続けているというのが、恥ずかしながらの答えです。

 

こちらが現在の手持ちの10冊で表現してみたバージョン。

ちょっと違いますね(笑)

秋雨の午後、圃場にて(2015.9.6)

一旦晴れた週末の八ヶ岳南麓。しかしながら、今日は朝からしとしとと雨が降り続く生憎の天気。

時折ざっと強く雨が降る中、意を決して夕飯の食材を買いに行く途中、ちょっと寄り道です。

P1050099八ヶ岳の麓、山沿いに広がる谷戸の圃場には、実りを前にした稲穂と蕎麦の花が広がります。

普段なら、正面に甲斐駒を望む事が出来るこの場所ですが、今日は雲の中。

P1050034真っ白な蕎麦の花で埋め尽くされた圃場。霧が降りてきた雨の中、辺りはひっそりとしています。

P1050084山裾を埋める蕎麦畑。所々に稲穂も見えています。

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P1050052可憐で小さな蕎麦の花。赤い花弁がポイントです。

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P1050093話に聞くように、高さを何段かに分けて咲く蕎麦の花。こちらの畑では三段目の花が咲き始めています。

P1050089身が入り、しっかりと頭を垂れ始めた圃場の稲穂。これだけ雨が降り続くと、収穫への影響が気になります。

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P1050058雨の中、一生懸命に花を咲かせる蕎麦たち。

ずぶ濡れになりながらの撮影でしたが、この景色が愛でられるのはほんのわずかの間。

一瞬の美しさを楽しみながら。