今月の読本「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)境界の地へと開発を推し進める荘園の歴史から里山を再定義する

「里山」この流行語となったテーマに掲げた書籍が昨今、沢山出てきていますが、その多くが郷愁を誘うもの、経済活動や地域振興であったり、自然をテーマにした作品であったかと思います。

そんな中でも異色の一冊、歴史専門書籍出版社が手掛ける「里山本」は、ちょっと違ったアプローチで里山の本質に迫ろうとしています。

里山の成立今月の読本は「里山の成立」(水野章二 吉川弘文館)です。

著者は滋賀県立大学の教授で、中世の荘園、村落研究では極めて有名な、琵琶湖の畔にある菅浦をテーマにした研究をされている方です。先進地域でもある畿内の荘園研究スペシャリストが手掛ける里山本。本書はその殆どを近江、伊賀、山城、紀伊を中心とした畿内における荘園の成立から進展、隣接する荘園同士の競合に至る経緯を示しながら、荘園の付属地としての里山の成立を俯瞰していきます。

主に平安遺文、鎌倉遺文に掲載された事例から引用していく荘園同士、更には権門、神域を含む寺社地との競合の物語。その中で、著者はそもそも里山の重要なアイコンである後山や棚田が実際にはこれらの競合によって成長していった物であることを明確に示していきます。

里山の名称。その起源は、里山という名称に呼応する、林業地としての杣や中央政府(国府)が資源として預かる、公有地、無主の地が含まれる後山。そして人跡僅かで修行者たちが行き交うような神域とも見做されれる奥山との対比から生まれた事を史料から見出していきます。その言葉の成立を逆手に取れば、旧来から開発の進んでいた荘園内の水田、畑に対する次の拡張過程、更には収穫を維持する為に大量に必要となる水源、秣や草肥の獲得場所として、徐々に山裾へと開発の手が伸びていった結果、その場所を示す用語として発祥したと見做してきます。つまり、日本の原風景や自然景観といったファンタジックな表現とは全く逆の、農村開発の最前線に立つ地勢を表す用語であった事を示していきます。

そして、里山という言葉の成立とほぼ同じくして、現在に続く中世の村落形成が進行していったことを史料、そして発掘成果から見出していきます。古く班田収授まで遡って土地の利用法を検証した結果、荘園化による周囲の無主の地、未開発地、榜示で示される地を越えた山林への荘園の拡張、隣接する荘園との競合を続けながら、中世村落という現在に繋がる農村集落の形成に至った事を示していきます。居住跡が随時変遷してく王朝国家時代から、鎌倉期、そして室町期に至ると、居住跡の遺跡が減少する点を評し、村落の領域が固まっていく事で現在の集落と整合していく(現在の集落と同じ場所に集積されるため、遺跡とならない)と考察していきます。

更には、本来は荘園としての領域ではなかった牧、杣の地も荘園の開発の進展、更には山林伐採による木材供給地としての役割を終えた事で、荘園の付属地、即ち里山として農地の一部に組み込まれていった事を史料、そしてこの種の史料を重視した歴史関係書籍では異例ともいえる、遺跡から発掘される花粉の分析結果等から示していきます。

史料だけではなく、自然科学的な研究成果に基づく結果との整合にも配慮した荘園研究の結果としての里山の発祥と成立。そこには、著者があとがきで述べる、他分野の研究者との協業に於いて、人文系の研究成果がどうしてもおざなりにされたり、逆に史学が自然科学の研究成果を顧みないという歯がゆさを、少しでも改善したいという想いが込められています。

そのようなアプローチに立って述べられる、里山の開発とその景観の定義には興味深い考察も述べられていきます。所謂黒ボク土、日本の土壌を代表する草木類が炭化したことにより生成されると考えられている土壌ですが、これらの土壌の分布や利用方法を以て、日本各地に広大な草原が広がっていたとする、自然科学的な見解に異論を唱えていきます。縄文時代から継続的に草原として利用していたとの見解についても、縄文期当時の許容されるべき人口は僅かに20万人強であることから、これほどの広大な草原を維持する事は不可能であったと見做し、更に時代が下がって牧として用いられていた時代でも、全面的に草原が広がるのは例外的であり、残存している絵図や絵巻などを用いて、農閑期には田畑を用いて、それ以外の時期でも林間の下草を用いた放牧が為されていた程度であると見做していきます(この部分に関して、著述が牛耕中心の西国をベースにしており、軍馬や農耕馬は議論していない点に注意)。

また、森林伐採による水害の発生についても、禿山の表記が遡ったとしても鎌倉、南北朝から現れている点を指摘した上で、中世の水害や飢饉に対し、山林の過剰な開発が直接的に結び付く訳ではなく、最近述べられるようになってきた近世の山林における過剰な開発による禿山の発生に関しても、木材需要に応えるための山林開発よりむしろ(例示が無いのが残念ながら)照明用の松根油採取による、切り株まで根こそぎ掘り尽くしたことによる治山としての保水力の喪失が原因であると述べている点は、いち早く商品経済に包摂される事となる畿内の先進地における農村の一側面として、興味深い着目点です。

人と自然と交わり合う地としての里山ではなく、農村の開発における最先端地としての里山。それ故に、周辺村落との間では、近世まで続く利権関係の紛争や時には命懸けの闘争を伴う競合を常に強いられ、厳しい環境の中、乏しい資源の開発を迫られた里山の維持管理には村落を挙げて取り組まなければならなかったことを史料から導き出していきます。多くの皆様が里山に持たれる情景、里山云々主義のベースとなる持続可能な小さな経済活動への想いや地域共同体への依拠も、歴史的に見れば、開発の厳しさの裏返しとして出来上がってきたことを明快に示していくれる本書。時に、経済面や自然科学によるアプローチを飛び越えて、史学にその考察を委ねてみる事の大切さを示す好例の一冊として。

里山の風景

黄金色の景色2

里山の成立と類書<おまけ>

本ページで掲載している、本書の類似のテーマの書籍のご紹介を。

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