野辺山の新しいスポットは、ちょっと学研的な歳月を経てゆっくりと変わりゆく箱庭として(一般開放された筑波大学八ヶ岳演習林「恵みの森」)

野辺山の新しいスポットは、ちょっと学研的な歳月を経てゆっくりと変わりゆく箱庭として(一般開放された筑波大学八ヶ岳演習林「恵みの森」)

本格的な冬の心地となってきた11月最後の週末。

家の片づけを終えた午後、今日は進路を東に向けてみます。

野辺山から望む初冬の八ヶ岳野辺山から望む八ヶ岳。

周囲は高原野菜の畑に囲まれていますが、ここだけはオープンエリア、正面に八ヶ岳のパノラマが楽しめます。

野辺山から望む初冬の八ヶ岳すぐそばには観光スポットもあるのですが、国道から少し入った此処は、そんな喧騒とは無縁の地。静かな高原に唯、風の音だけが響いていきます。

何もない場所ですが、雪を戴いて山のディテールがくっきりとしてくる初冬のこの季節、じっくりと山を眺められるこの場所には必ず一度は訪れたくなります。

八ヶ岳演習林正面入口暫し、八ヶ岳の冬姿を堪能した後、野辺山の街並みが続く道を少し戻って、野辺山天文台に向かう道を行くと、路肩に色とりどりの幟が立っているのが見えてきます。

幟が途切れたところに車を止めてみると、そこは筑波大学の八ヶ岳演習林入口。

高く聳える防風林の間にぽつっと口を開く、古びてうらぶれた、石積みの門柱が特徴的だった筈なのですが、いつの間にか綺麗な門柱が建って、しかも「恵みの森」という新しい看板も。そして、入場無料の掲示が出ているのですが、入口前はチェーンが掛けられて、看板には「土日・祝日は車の入場は出来ません」の文字…。

騙されてはいけません!

実は野辺山天文台側にも入口があり、土日祝日も入場できるのです!

(開放時間に関しては、利用状況を見て今後決めるとの事で、現時点では明確な規定はありません:公式ページの「恵みの森」実施計画3-3.長期的な管理方針より)

更に、土曜休祝日に車の入場が出来ないのは正面口だけであり、野辺山天文台口側の広くて立派な駐車場に、車は止め放題です!!。

同じ所轄官庁の教育機関にも拘わらず、縦割り行政なんだから…と(案内、ちゃんと直して下さいね)。

八ヶ岳演習林野辺山天文台側入口気を取り直して、野辺山天文台の駐車場側に廻ります。

駐車場の脇には、この通り、ウッドチップが敷き詰められた新しい遊歩道が演習林の中に伸びています。入口にはパンフレットも用意されているので、入場される際にご覧になられると良いかと思います。

この筑波大学八ヶ岳演習林の「恵みの森」、とある理由があって今回、一般開放されることになりましたが、まずは何も考えずに構内に入ってみましょう。

 

八ヶ岳演習林の遊歩道1ウッドチップが敷かれて、ふかふかの歩きやすい遊歩道をのんびりと進んでいきます。

足元が少し湿っぽくなってくると、最初のゾーンに到着です。

八ヶ岳演習林の解説看板1今やトラクターが闊歩する、高原野菜の畑が一面に広がる風景がお馴染みとなった野辺山ですが、実は入植当初は湿地が点々とする場所であった事を示す解説板。まず、この看板に書かれた「再生」という言葉に首を傾げるかもしれません。

八ヶ岳演習林の遊歩道2更に演習林の中を進むと、ウッドチップの色も鮮やかに写る、光が豊富に差し込む伐採跡が見えてきます。

W八ヶ岳演習林の解説看板2薪炭林ゾーンと名付けられたエリア。

今回の開設に当たって伐採されたであろうこのエリアには、伐採された枝跡がまだ残っている状態です。

これまで、演習林と道路を仕切っていた防風林が無くなった事で、正面に八ヶ岳が見渡せるようになっています。

八ヶ岳演習林の解説看板3明るい伐採跡を抜けると、再び林間へ。

樹木園・保存林と記されたこのエリアは、非公開であったこれまでの演習林の元の姿を最も留めている場所なのかもしれません。

八ヶ岳演習林の管理棟野辺山天文台の駐車場からゆっくり歩いて15分ほど、正面入口の奥に建つ、管理棟まで戻ってきました。

今日は日曜日のため、管理棟に入る事は出来ません。平日なら…、トイレとAEDが使えるようです。

八ヶ岳演習林の解説看板4管理棟を抜けて野辺山駅側に進むと、切り開かれた草地が広がります。今のシーズンは単に枯草が見えるだけですが、初夏には草花が一面に広がるようです。

演習林内の携帯電話禁止看板此処まで進んでくると、捕集トラップが掛けられた木の足元に奇妙な看板が。

なんで、こんな樹木しかない場所なのに、「携帯電話の電源をお切りください」の看板があるかと言いますと…

演習林から望む野辺山天文台のパラボラ野辺山天文台にお越しになられた方ならご存知かと思いますが、電波観測を行うのに外乱電波はご法度(そのため、野辺山界隈では地デジも公式にエリア外、ケーブル配信です)、入場時に携帯電話の電源を切るように守衛さんにきっちり指示されるかと思います。

そして、ご覧のように、お隣にある野辺山天文台の周囲が演習林となっているからなのです。

(なお、現在では天文台を見学する際にも電源を切る必要はなく、所謂機内モードと呼ばれる、無線関係だけをoffにするモードにすれば良い事になっています(野辺山天文台の守衛さんより))

八ヶ岳演習林から望む八ヶ岳再び戻って、草花ゾーン。このようにクリアーな状態で八ヶ岳を正面に眺める事が出来ます。新緑の季節には残雪が残る八ヶ岳とのコントラストが楽しめそうです。

八ヶ岳演習林の遊歩道3ぐるりと廻りこんで、再び管理棟の前まで戻ってくると、冬の空が広がる小さな広場に行き着きます。

このコース最後のポイントです。

八ヶ岳演習林の解説看板5森の食ゾーンと名付けられたこのエリア、森の恵みを頂く事をテーマにしたゾーンで、山菜狩り等が出来るように整備されるようです。

八ヶ岳演習林の遊歩道4そのうちキノコ栽培の実演に供するのでしょうか、既にエリアの奥の方ではほだ木が組まれているようです。

演習林内の残存林1

演習林内の残存林2演習林内に残された林越しに差し込む午後の日差し。

このような自然の景色が気持ち良い、美しいと思われた方へ、ちょっと考えてみて欲しい事があります。此処は演習林、ご覧になられている林は人の手で育まれたもの、そして、この場所が一般公開された理由がそこにあります。

八ヶ岳演習林の遊歩道5再び、遊歩道を野辺山天文台の方に戻ってみましょう。

野辺山演習林の極相の解説板今回の公開に当たって綺麗に整備された看板が立ち並ぶ遊歩道の中、一枚だけ古びた看板が立っています。

「植生遷移試験地」と記された解説板。

「極相」とも謂われる、植生が安定的に固定する状態に達するまでの遷移状態を実験的に検証するための試験地が、ここ筑波大学八ヶ岳演習林であった事を示す証明です。では、なぜ、一般公開されることになったのでしょうか。

詳しくは、こちらの公式ページをご覧頂きたいと思いますが、信州の山を彩る落葉松の苗木を育てるため、育種や研究のために用意された演習林が、林業の衰退とともに、近年は活用できていない状態となっていた事が判ります。

その中で、唯一目的として残ったものが、こちらの植生遷移の研究。今回の伐採と一般公開により、これから30年以上の年月をかけて、大学だけではなく、今度は地域の方々、林業や山間地の環境にご興味のある方々と一緒に、人によって育まれる森の遷移を見ていきましょう、実際に森林資源として活用していきましょうという遠大な計画の第一歩なのです。

そして、いずれは周囲の山に広がる(落葉松林ではなく)森林との対比から、人手による植生遷移との差が見出せる時が来るのかもしれません。結果が漸く見えてくるのは、遥か次の世代の事です。

野辺山天文台から望む八ヶ岳再び野辺山天文台側の入口に戻って、ガラガラの駐車場から望む、夕暮れの八ヶ岳を(これでも、本来のスペースの半分しか写っていないです。更に隣には南牧村の学習施設もあり、車を止める場所なら幾らでも…)。

天文台、学習施設に続いて、新たに公開となった筑波大学の演習林「恵みの森」。足元にも優しく、ちょっと散歩がてらに歩くには最適な、ゆっくり回っても1時間弱とコンパクトなこの演習林が、今回掲げた壮大なテーマに押しつぶされることなく、まずは並び立つ事となった先輩施設と一緒となった学習施設として、そして南牧村にとっては貴重な新しいスポットとして認知されることを願って。何せ、30年以上というタップリとした時間が与えられた、息の長い計画なのですから。

筑波大学八ヶ岳演習林「恵みの森」案内パンフレット最後に、構内のゾーンを解説したパンフレットを(各入構口に用意されています)。

新緑の季節に来れば、きっと心地よい散策ルートになっていると思います。

<おまけ>

本ページより、同じようなテーマを扱った内容のご紹介。

 

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ちょっと早いスタートを切った来年の御柱を迎えに(辰野町横川の上社御柱仮置場へ)

ちょっと早いスタートを切った来年の御柱を迎えに(辰野町横川の上社御柱仮置場へ)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

New!(2016.3.19):上社御柱の綱置場への移動日が決定しました。3/25(金)午前と午後の2回に分けて、辰野町横川の「かやぶきの館」から原村の八ヶ岳農業実践大学校下の綱置場に高速道路(!)を使用して、移動します。当日、諏訪南ICと綱置場ではセレモニーも予定されています。詳しくはこちら(長野日報HP)をご覧ください。

 

来年の春に行われる諏訪の一大行事、御柱祭。

その主役でもある御柱はモミの木と決まっていますが、あのような立派な木がどこから運ばれてきているかご存知でしょうか。

建御柱途中の風景下社は今でも霧ヶ峰の麓、木落とし坂の背後に広がる社有林、国有林から伐り出されていますが、実は上社の御柱は諏訪の外から運ばれてきています。その理由は、少し時代を遡る伊勢湾台風の際に、伐りだしを長年行っていた八ヶ岳西麓の御射山及びその付近の山林で倒木の被害が相次ぎ、御柱に要する大木(本宮一ともなると、樹齢200年クラスが必要です)が確保出来なくなってしまったという厳しい現実があるのです。

それ以来、各所からモミの大木を調達することに奔走するのが上社総代の皆様の大切な作業となってしまった訳で、前回は同じ八ヶ岳でも北麓に当たる旧立科町から何とか調達したのですが、そんな大木は八ヶ岳山麓でもそう易々と残っていない(下社の場合でも、年々周囲の山林を買い取って社有林にしています)訳で、今回は遂に八ヶ岳山麓からの調達が出来なくなってしまったのです。

では、今回の御柱となる木は何処から調達したのでしょうか、北欧、ロシア…流石にそういう訳にもいきませんので、長野県内からの調達なのですが、ちょっと意外な場所からもたらされることになりました。

横川の橋のたもと塩嶺を越えて南に下ると、枝垂れ栗で有名な辰野町へ、そこから更に南に下ると、西に開いた小さな谷戸が伸びていきます。流れる川は上流にダムがある、横川と呼ばれる川です。

かやぶきの館に続く道集落を抜ける県道とは別に敷かれた、上流にある町営の宿泊施設に続く側道には、そこかしこに「祝 御柱祭」の幟が立っています。

横川かやぶきの館2側道を山の際まで上り詰めると見えてくるのが、大きなかやぶきの建物。

こちらにも御柱祭の幟が立っています。

横川かやぶきの館日本一おおきな茅葺屋根の建物としても知られる、辰野町営の宿泊施設「かやぶきの館」です(此処に来たの、実に10年ぶりくらい)。県道からかなり入った、周囲に観光スポットもない、谷沿いのどん詰まりの場所に立つこの施設ですが、観光物産所や日帰り風呂があるためでしょうか、夕暮れ近くにも拘わらず、途切れることなく車が出入りしています。

かやぶきの館の上社御柱仮置き場かやぶきの館の駐車場脇に注連縄で囲われた結界の中に置かれた、次の上社御柱たち。

かやぶきの館の上社御柱高札次の、信濃国一宮諏訪大社の式年造営御柱大祭で用いられる用材である事を示す高札。

本来であれば、八ヶ岳の西麓から伐り出されるはずの御柱の今回の調達先です。そして、本来であれば山出しの直前までこのような形で置かれることは無いのですが、実際に伐り出した場所は険路ににして降雪地(そうでもなければこれほどの用材を手に入れる事は既に困難なのでしょう)。慣例に基づく伐り出しでは余りにも危険すぎるため、やむを得ず降雪前に伐り出した次第。折角伐り出したのだからという事で、辰野の皆様にも観て頂こうと、こうして町営施設の前に置かれることになったのでした。

伐り出された上社本宮の御柱こちらが上社本宮の次の御柱たち。斧の跡もはっきり残っています。

年輪も詰まった、立派な木です。

伐り出された上社前宮の御柱こちらは上社前宮の次の御柱たち。本宮より少しスリムな木ですが、それでも貴重な4本です。

かやぶきの館に置かれた上社御柱の全景合計8本の御柱全景を。

特に上社の方については、長さが少々短いようですが、これだけの用材を調達できる場所は極めて限られていたはず、総代の皆様、関係者の皆様の御苦労がしのばれます。

上社御柱山出し遠く辰野の山中で調達された今回の御柱。

八ヶ岳の懐に位置する八ヶ岳農業実践大学校の前にある山出しの開始点、綱置場に据え置かれるまでの間、かやぶきの館の前でひと冬を過ごすそうです。

イレギュラー尽くめの上社の用材調達のちょっとした落穂ひろいですが、気の早い来年の話であっても、御柱が大好きで、少しでも早く観たい、感じておきたいとお考えの方には、モミの木ゆえに、クリスマスプレゼントなのかもしれませんね。

上社御柱仮置き場所map

上社本宮から、今回の仮置き場までのルートマップ。

有賀峠から辰野の市街を抜けて、国道153号線を北上、信濃川島駅前の交差点を「横川ダム」方向に左折します。途中、横川に掛かる境橋を渡った直後に「かやぶきの館」への案内看板が出ていますので、指示に従って川沿いの側道を進むと、5分ほどで到着します(道幅が狭いので、対向車が来た際には寄せてあげて下さい)。

八ヶ岳の冠雪と共に、今年も冬の入口へ(2015.11.28)

週末にかけての寒波の襲来によって、八ヶ岳界隈も遅れていた冬がいよいよやって来たようです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA青空が戻ってきた、八ヶ岳西麓、エコーライン沿いに八ヶ岳を望んで。

PB289115c赤岳を中心にアップで、青空はちょっと浅い、まだはしりの八ヶ岳ブルー。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAきりっと雪景色となった、赤岳を。

WP_20151128_12_38_21_Pro盾状に広がる、車山の山腹。

山頂部分は白く雪を被っています。

WP_20151128_12_39_10_Proc麓から望む、蓼科山と横岳。

雲に押し隠されていますが、綺麗に雪を被っているのが判ります。

PB289124c雪雲の下に、綺麗に冠雪した蓼科山を。

優しい曲線を持つ蓼科山は、雪を戴くとその美しさが際立ちます。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA八ヶ岳を俯瞰で眺めたくて、対面に聳える杖突峠へ。

雪雲を載せて午後の日差しを浴びた八ヶ岳が一望できます。

PB289131c少し離れて眺める、蓼科山と横岳。

まだ冬の始めの降り始めの雪。山頂の一部分だけが冠雪していた事が判ります。

PB289132c杖突峠から望む八ヶ岳の主峰たち。

麓に雪が降りてくるまであともう少し、今しばらくは遠望で。

PB289143ac杖突峠の界隈は、落葉松もすっかり落葉して既に冬の心地。

何故、これほどまでに雪を被った山々を望む事が愛おしいのか。ふと考えてみると、そうやって次の季節が巡ってきたことをほんの少し喜んでいる、また次の季節に巡り合えたことを愛おしんでいる想いが、何処かにあるのかもしれません。

陽射しがあるうちは暖かいのですが、日影に入るととグッと寒さを感じる、そんな季節が再び廻って来たようです。

 

暖冬を想わずにいられない、今年も雪の無い初冬の美ヶ原(2015.11.22)

お天気の優れない、月末の3連休。

まだ日差しの残る土曜日中に冬装備へと切り替えた車を駆って、今にも雨が降り出しそうな初冬のビーナスラインを北上します。

WP_20151122_12_47_03_Proすっかり冬の景色となった、霧ヶ峰、池のくるみ。

低く垂れこめた雲、お天気が良ければ正面に八ヶ岳が望めるのですが、今日はもっこりとした雲の中。

WP_20151122_13_24_14_Pro霧ヶ峰から更に車を進める事、小一時間。ビーナスラインの終点に近い落合大橋まで進んでいきます。

昔の道路計画変更の影響で、扉峠から一気に谷筋へと降りる事となったビーナスラインのルート。最後に美ヶ原の平原によじ登るルート沿いは、谷筋に伸びる葉を落とした木々の間を進んでいきます。

例年なら、和田峠を抜けた辺りからここまでのルートの間で、路上や日影となる路肩に雪が残っている筈なのですが、どこにも雪が見当たりません。

WP_20151122_13_46_27_Pro美ヶ原の台地の上に登ってきました。

雪が…全く見当たりません。

PB229112c美しの塔から、主峰でもある王ヶ頭を望みますが、その景色は晩秋のまま。

拍子抜けする以前に、余りの光景に考え込んでしまいました。

美しの塔と王ヶ頭電波塔群ちなみに2年前(2013/11/24)の写真はこんな感じ。

美ヶ原台地の雪原風景この年ですら、スノーシューが出来ないほど雪が少ない(この冬シーズン、山梨から南信州の広い範囲で史上最大の豪雪となった事は覚えていらっしゃる方も多いかもしれません)と嘆きの声があったほどですが、それでも台地一面が雪景色となっていました。

WP_20151122_13_55_00_Pro今年の美ヶ原の平原。

低く垂れこめた雲の下に広がる、枯れた牧草が延々と続くだけで、雪は全く見当たりません。

何も遮るもののない平原の上を、唯、冷たい風が吹き抜けていきます(それでも気温6℃と、2000m近い標高を考えればかなり高め)。

WP_20151122_14_09_12_Pro最後に、美ヶ原、山本小屋の駐車場より八ヶ岳方向の眺めを。

明日(11/24)から八ヶ岳界隈の各山岳道路は冬季閉鎖。ビーナスラインから美ヶ原に上がる事も出来なくなります。

そんな時期になっても雪が見当たらない美ヶ原に、幾ばくかの不安を感じながら、それでも今週末の予報では麓でも降雪と、冬の到来を感じさせずにはいられない、11月最後の日々です。

ビーナスライン冬季閉鎖区間略図ビーナスライン及び周辺の冬季閉鎖区間の略図です(赤線部分)。【クリックでフルサイズ】

グリーンの丸で示された箇所までは自家用車で入る事が出来ます(原理的には、下記参照)。

冬季閉鎖中、ビーナスライン周辺に入れるエリアは以下の通りです(公式資料が県道名に拘り過ぎるので、ちょっと整理して表記します)。

  • 茅野方面から : 国道152号線、白樺湖側の大門峠から、車山スキー場-富士見台-霧ヶ峰(霧ヶ峰料金所跡、駐車場)の区間
  • 諏訪方面から : 国道20号線、上諏訪の元町交差点から、蓼の海-霧ヶ峰スキー場-霧ヶ峰(霧ヶ峰料金所跡、駐車場)の区間
  • 霧ヶ峰から八島湿原駐車場の区間(但し、終点の八島駐車場は除雪されませんので、駐車の可否は自己判断で)
  • 茅野、諏訪の両方面から、諏訪湖カントリークラブ-霧ヶ峰牧場-池のくるみ経由でも霧ヶ峰まで上がる事は出来ますが、降雪時はお勧めしません
  • 上田方面から : 国道142号線、長和町側の和田宿から落合大橋を経由して、美ヶ原、山本小屋までの区間(美ヶ原高原美術館側には進入できません。資材搬入のために除雪はされるようですが、急勾配かつ、極端なヘアピンが続くルートですので、直結4WDはもちろん、チェーンは必須。宿泊客の方へも上田方面からの送迎を使うように勧めています)
  • 松本方面からは、入山辺を経由してアザレアラインで三城までは上がれるようですが、ビーナスラインへはアプローチできません。王ヶ頭ホテルに宿泊される方は、冬季は駒越林道経由での送迎になりますが、こちらは一般車通行禁止扱いです)

ビーナスライン冬季閉鎖区間略線図

今月の読本「信州人 虫を食べる」(田下昌志ほか:著 信濃毎日新聞社)虫食王国から贈る、決して無駄にしない究極の地産地消ガイド

今月の読本「信州人 虫を食べる」(田下昌志ほか:著 信濃毎日新聞社)虫食王国から贈る、決して無駄にしない究極の地産地消ガイド

虫食、この言葉の響きから心地よさを感じる方は決して多くない筈です。

ゲテモノ、未開の食文化、飢えを凌ぐサバイバルフード?どちらにしても、良いイメージがない方の方が圧倒的でしょうか。

そんな中で「わっ、ご馳走だ」と喜んで飛びついてしまう殆ど唯一の人々が信州人。

お土産物屋さんはもちろんの事、普段買い物をするスーパーにすら、佃煮や缶詰が当たり前のように並んでしまう程、ポピュラーな食材です(あ、あと塩烏賊と鯉の煮物or洗いが並べば完璧)。

そんな日本を代表する虫食王国、信州を代表する虫好きがこぞって執筆する、極めてユニークな一冊、信州を代表する地方紙、出版社でもある信濃毎日新聞社が、何と副知事の巻頭言まで取り付ける程の総力?を挙げて挑む快作のご紹介です。

信州人虫を食べる今月の読本「信州人 虫を食べる」(田下昌志、丸山潔、福本匡志、横山裕之、保科千丈:著 信濃毎日新聞社)です。

熱のこもった太田副知事の巻頭言から既にボルテージ全開、全員信州在住の著者グループが分担制で執筆する本文は、編集段階である程度均質になるように校正されていますが、それでも時に脱線しつつ、信州の食文化の最右翼というべき虫食への想いに溢れた筆致で埋め尽くされていきます。

登場する虫食い物語は全18話。四大珍味と称する、信州人にとってはご馳走ともいえるジバチ(私の住んでる場所では、ヘボと呼びます)、イナゴ、ザザムシ、カイコから始まって、ちょっとありえなそうなイガラやスズメバチ、最終章は信州人でも跨いで通る、普通なら逃げ出してしまう昆虫にも敢えて筆を進めています(巻末の日本で食される昆虫一覧は本邦随一?の珍史料)。

バラエティに富んだ虫食の話題に溢れている本書。表題だけ見ると、極々稀に見かける虫食の本にあるような、ゲテモノ食いチャレンジであったり、食文化的な考察で終わってしまうような感じも受けますが、流石に虫食の公式ガイドブックたる本書はそんな軟弱な内容ではありません。

本書で取り扱われる昆虫たち、そのほぼすべてについて、昆虫類が専門分野である著者達による生物学的な解説と、伝統的な調理法、食し方、現在までの伝承を語るにとどまらず、実際に捕えて、調理して、食すという一連のプロセスをきっちり実践した上で、最後にお味の話と考察に繋がるという、極めて実践的かつ、食べられる昆虫ガイドといった体裁すら有する、ちょっと他ではありえない本格的な虫食いガイドブックとなっています(ちなみに、皆さんが決して食べない、子供たちが大好きな昆虫の王者の試食記は…笑って読みましょう)。

これだけでも充分にお腹いっぱいの内容なのですが、信州人にとっては美味しく頂かなくては済まされない虫食。食べ方にも独特の拘りが見え隠れします。さなぎを食するのは変態を開始する前でなおかつお腹に残った排泄物を出し切った後が良い。昆虫を食べる場合でも、一晩おいて糞を出すのが肝要(これをカマキリなどの肉食系の昆虫が混ざった状態でやると…パラダイス状態に)と熱っぽく語り、スズメバチは怒らせた時が最もおいしい(そんな恐ろしい事を平然と…しかもやっている人たち)と豪快におっしゃる。しかも巣をひっくり返した後は早く食べないと…成虫が巣からにょきにょきと(ぎゃー!)。ザザムシは厳冬期が最も脂がのっているので、寒さをものともせず、氷点下の天竜川の河原で石をひっくり返し続ける。更には昆虫の足は残しておいた方が海老みたいで香ばしい…等々、虫食に嫌悪感をお持ちの方なら呆れる前に卒倒してしまう内容のオンパレードです。

このような書き方をすると、やはりゲテモノ食い本に見えてしまいますが、著者達は一線の研究者でもあり、いずれも信州をこよなく愛していらっしゃる方々。一見ふざけた内容にも見えますが、その中でも注目すべきポイントがあります。それは、味そのものへの想いと共に、昔から虫食いがタンパク質の補給であったり、子供のおやつ代わりであった点は認める一方、所謂カルシウム補給には何の役に立たない(骨、ありませんから)事を指摘した上で、信州人がなぜ虫食に拘るのかを追求している個所でしょうか。

各執筆者それぞれに見解を述べていますが、その根底には、決して物を無駄にしないという信州人の素質が脈々と受け継がれているように思えてきます。田圃の畔に豊富に居たイナゴ、ゲンゴロウ。厳冬期の河原に潜むザザムシ。薪を割り、山林で作業をすれば易々と出会う事が出来る、害虫でもあるカミキリムシ。恐ろしいながらも魅力的なハチたち。そして、養蚕と切っても切れないカイコ、ヤママユガ。いずれも、信州における生活の身近にあって、何時も目の前に一緒にいた昆虫たち。そんな昆虫をちょっとしたおやつとして、そして大事なご馳走として大切に食べ続けてきた、身近なもので使える物は何でも活用しよう、美味しく頂こうという、その土地に寄り添って生きてきた生活の知恵の結晶が虫食い文化であるように思えてきます。

ヘボの巣作り競技(この辺の事情にご興味のある方は、地理学マンガという風変わりなテーマで日本地理学会賞を受賞した「高杉さんちのおべんとう」3巻がお勧め)として扱われる以外、すっかり減少してしまったジバチ(茅ヶ岳の麓では、ヘボを獲らないでくださいという看板がそこかしこに出ています)。今や多くが東北地方から送られてくるイナゴやレッドデータブックに掲載されてしまったゲンゴロウ。僅かな職漁師が細々と採取を続けているザザムシ(僅か25gで1000円以上に)。そして、産業自体が消滅寸前となってしまった製糸の元となるカイコと桑畑。そんな失われつつある信州の環境、文化を継承し、象徴するものが虫食いなのかもしれません。

豊かな虫食い文化を育む信州と信州人の心意気がこもった本書。もしその心意気に胸を熱くされた方は、今度、信州にお越しの際には手始めに、諏訪湖の遊覧船乗り場でバッタソフト辺りからチャレンジしてみては如何ですか?

信州人虫を食べると類書たち<おまけ>

本ページより、関係する書籍のご紹介を。

今月の読本「灯台の光はなぜ遠くまで届くのか(原題:A Short bright flash)」テレサ・レヴィット:著 岡田好恵:訳 講談社ブルーバックス)人物史と科学技術史が語る、受け継がれたその閃光は、今も導きの光を放つ

今月の読本「灯台の光はなぜ遠くまで届くのか(原題:A Short bright flash)」テレサ・レヴィット:著 岡田好恵:訳 講談社ブルーバックス)人物史と科学技術史が語る、受け継がれたその閃光は、今も導きの光を放つ

積読から脱却しつつも、ついつい新刊本に浮気をしてしまう悪い性分。

今回ご紹介する一冊も、twitter上での紹介文と素敵な表紙に惹かれて、読むあてもなくつい買ってしまったのですが、読み始めると他の積読本を後回しにしてしまう程、実に楽しい一冊でした。

科学入門書の中でも老舗中の老舗、学生時代からお世話になり続けた、講談社ブルーバックスの最新刊からご紹介です。

灯台の光はなぜ遠くまで届くのか灯台の光はなぜ遠くまで届くのか(原題:A Short bright flash)」テレサ・レヴィット:著 岡田好恵:訳 講談社ブルーバックス)です。

本書はブルーバックスの中では異色の、科学技術そのものを扱った内容ではなく、副題にあるフレネルレンズの発明者にして、偉大なる光学研究者でもあるオーギュスタン・フレネルと、彼の発明の恩恵を最も受けた灯台の発展史を一冊の本に纏めた「科学史」の読本です(正式な題名はA Short bright flash Augustin Fresnel and The Birth of modern lighthouseで、邦題とは大分ニュアンスが異なります)。

本書は原題にあるように、前半はフレネルの閃光のような僅か39年の半生とその研究開発成果、フランスにおける近代的な灯台システム(灯台を軸に置いた、沿岸海域における船舶航路、航行標識体系とでも呼んだ方がいいでしょうか)構築端緒の物語と、南北戦争前から戦中のアメリカを舞台にした、近代灯台システム導入と南北戦争という二つの物語が語られていきます。このため、表題にある様な「なぜ遠く」という、如何にもブルーバックスが好きそうな技術的な課題を解いていくという話が中心として語られる訳ではありません(そのため、当時を物語る精巧な図版は多く用いられますが、数式はほぼ出て来ません)。

ブルーバックスらしい表題とはちょっと様相の異なるテーマが綴られる物語は、著者の丁寧な取材と巧みな筆致により構築された、読物としての人物史にして科学技術史。

薄幸の代表格的な結核持ち(このネタが語られる一節でくすっと出来た方は、文学好きですね)で、少しオタクがかった主人公のフレネルに、情熱と野心を併せ持つ信頼すべき力強いパートナー、アラゴ。そして、フレネルが対峙することになる、物理学に造詣がある方なら誰しも知っている錚々たるフランス科学アカデミーの面々。相変わらずいがみ合う対岸のイギリスと、その中でもフレネルの成果に着目するスティーヴンソン。著者の生き生きとした筆致が当時の科学者たちの情熱と息吹、疑念と嫉妬を伝えてくれます。理論物理学の研究者としては超一流ではないが、子供の頃から器用であらゆる実験器具を作ってしまうフレネル。自身の理論を実験で証明して見せようと実験器具を作りながら、その理論を深めていく彼の特性は、現在の研究者の卵たちに求められる素養とほとんど同じである事が判ります。そして、学会の重鎮への反目もあってフレネルと組む事を選択したアラゴ。力のあるパートナーを得た事で、フレネルの実験は科学的探究からさらに前進して、実際の技術、灯台用の光源としてフレネルレンズと呼ばれるより強い照明を生み出す(光を絞り込む)光学的手法を編み出すことに踏み込んでいきます。更には航路標識システムとしての灯台照明の開発。明弧の間隔設定や現在でも用いられる光の強さの等級設定(第n等フレネルレンズ)の組み合わせによる、フランス海岸部分を全てカバーする灯台による灯火標識システムを構築していきます。

ナポレオン革命前後の激動の19世紀フランスを生きたフレネルは、自らが準備した灯火標識システムの完成を見ることなく、僅か39歳で亡くなってしまいますが、彼の残した偉大なる成果は、その後継者たちに脈々と受け継がれていきます。彼の弟、レオノールの手により、フランスの灯火標識システムは完成。彼が苦心して育てたガラスメーカーもレオノールの管理、指導の段階からステップアップを果たして、フランス、そしてイギリスでそれぞれ独自の発展を遂げていきます。両国が開催した万国博覧会の目玉展示として、同じようにフレネルレンズが設置されたように、ヨーロッパが海洋帝国として大きく飛躍した根底に、フレネルの為し得た技術と、それをシステムとして大きく普及させたフランス、イギリス両国の国を挙げての威信を賭けた開発競争があったようです。

本書が表題のように、フレネルの伝記と、彼と灯台に纏わる物語を描くだけであればここで終わっている筈です。しかしながら、著者はミシシッピ大学で歴史学の教鞭を執る科学史の研究家。本書の後半はフレネルの物語から大きく離れて、アメリカにおける灯台の時代史へと大きく舵を切っていきます。

当時の世界の片田舎、まだ太平洋に到達していない東海岸を中心としていたアメリカの遅れた灯台事情と、フレネルレンズを用いた照明を頑なに受け入れない当時の政治状況を、こちらも前半同様に豊かな人物描写を駆使して語っていきます。何とも悲しい理由で灯台の近代化が遅々として進まないアメリカのお家事情。著者の母国でもあるためでしょうか、歴史家としてのその筆致は、時に憂いを込めた辛辣さすら感じられます。それでも、船乗りたち、そしてもっとも安全な航海に対して敏感な海軍の軍人たちの粘り強い働きかけ(最後の一押しとなった事件と、その後の検証への道筋は、やはりこのルートを辿るのかと、技術導入を手掛ける方なら誰しも納得してしまうエピソードでしょう)によって、遂には全面的にフレネルレンズを用いた灯台と灯火標識システムへの切り替えに踏み出すことになります。ここで日本人読者にとってちょっと嬉しいのは、僅かではありますが条約灯台の話題が触れられる事と、最初にヨーロッパの進んだ蒸気機関船舶と灯台を調査する為に派遣されたのが、ペリーである事が紹介されている点です。新技術の導入について常に先進的であった彼の経歴をご存知の方なら、フレネルレンズを用いた灯台の導入の端緒にもペリーが居た事に対して、思わず頷かされるのではないでしょうか。

更に、著者の現在の奉職先からいって欠かす事が出来ない点もじっくり語られます。南北戦争における南部の灯台における争奪戦と、灯台守たちの活躍の記録。万国博覧会で展示されるほどに重要視された工業力の粋を集めたフレネルレンズとその駆動部は、両軍にとっても金銭に替え難い貴重な品。しかも、その光は敵味方何れも重要拠点へと導いてしまうため、両軍による激しい争奪戦と、レンズの隠匿、そして自らの手による破壊が行われてしまいます。暗闇が広がる南部の海岸線、その中でも、灯台の光は等しく船を導くものであり戦争とは関係ないと投光し続けた灯台守たち、追い込まれて消灯や破壊に至ってしまった灯台の物語も語られていきます。

歴史の荒波に揉まれながらも、安全な航海を守るために光を燈し続けた灯台と、その光を絞り出すフレネルレンズ。鯨油や石炭、石油ランプに頼ることなく、高輝度の照明が得られるようになり、レーダーによる航行が当たり前となった今、灯台の重要性が低下することで、既に第1等フレネルレンズの製造が止められている事は、御存じの方もいらっしゃるかもしれません。それでも、フレネルの残した偉大なる遺産は、彼の編み出したシステムに則って、今も海の安全を守るために、闇夜の海を照らし続けています。

彼の生き様と、その後の発展への曲折のストーリーを綴る本書。そこからは、研究者、技術者を目指す誰しもが直面する課題と、それを乗り越えていった人々の物語が浮かび上がってくるようです。彼が解き放った光の道筋が、後に続くエンジニアたちの道標となる事を。

<おまけ>

本ページでご紹介している、本書に関連する書籍を。

今月の読本「遠山金四郎の時代」(藤田覚 講談社学術文庫)原文から読み解く「改革の抵抗勢力、金さん」が最も恐れたものは

今月の読本「遠山金四郎の時代」(藤田覚 講談社学術文庫)原文から読み解く「改革の抵抗勢力、金さん」が最も恐れたものは

この夏以来の積読状態から少しずつ脱却すべく、読みかけの本を片付けている昨今。

読み終わった本の中から、印象的だった一冊をご紹介。

数多ある文庫の中でもかなりの硬派で知られる講談社学術文庫より、本年8月に刊行された、こちらの本です。

遠山金四郎の時代遠山金四郎の時代」(藤田覚 講談社学術文庫)です。

本書は1992年に校倉書房から刊行された、同名の書籍を文庫に収めたものですが、類書に多く見られる、講談であったり、読物、更にはTVドラマで親しまれる、名奉行、遠山の金さんのイメージ(もちろん脚色)と人物伝との差異を述べるというより、天保の改革の中で幕政の中心に位置する三奉行の一員としての江戸町奉行、左衛門尉たる遠山金四郎の活動を述べる事に注力していきます(人物としての遠山金四郎にご興味のある方へ、文末に関連書籍を掲載しておきます)。

金四郎、そして上司に当たる水野忠邦の発言を、煩雑かつ、少々読み辛くなる事を覚悟の上で原文で掲載する本書。幾らかでも当時の雰囲気を味わってもらいたいという著者の想い(そのため、ますます煩雑になるのはやむを得ないですが、読み下し文も付いています)そのままに、当時の行政文書のやり取りの一端から、生の声を拾い集めていきます。

天保の改革で提起された改革案について、それぞれの提案についての諮問を受けた三奉行、そして目付たちの上申内容から考察していく、天保の改革の骨子とその実態。多くの諮問について、彼と彼の属僚たち、そして町名主たちは否定的な上申をしていく事になります。風紀の刷新を図り、緊縮財政と規律を引き締める事で、改革の梃にしたいと考える水野忠邦以下の幕閣上層部とブレーンである鳥居耀蔵。それに対して、綱紀粛清の必要性は認めながら、まずは幕閣以下武家が範を示すべきであり、極端な緊縮策を執れば、都市の繁栄に支えられて生活している庶民層をいたずらに圧迫する危険性を繰り返し指摘する町奉行、そして寺社奉行。微妙な立場を採り続ける勘定奉行、目付と、それぞれの立場を原文だけが有する豊かな表現から読み解いていきます。

中でも徹底的に町人、商人たちの立場に立った意見を強く述べていく金四郎。改革への抵抗勢力として、上層部からは商人との癒着と見做されようが、直接の指弾を受けようが怯まずに持論を訴えていきます。この強さの根底として、よく言われる、放蕩の青年時代や、庶民育ち云々といった伝記的なお話ももちろんあるのですが、それを上回る、彼の経歴が雄弁にその発言の経緯を物語ってくれます。

彼が遠山の家を継いで最初に出仕したのは、将軍家の身の回りの世話役である御納戸として。その相手は、後の12代将軍であり、当時は世子であった徳川家慶。彼に近仕した金四郎は、後に西の丸御納戸頭取格から御納戸頭取として大隅守に叙任しており、その職歴の先に奉行への道を開いています。TVドラマの影響もあって武張ったイメージを持たれる金四郎ですが、所謂、奥勤めからの昇格ルートに乗っての奉行への就任。その陰には、将軍となった家慶の強い後押しがあったと思われます。町奉行就任後に行われた、三奉行による公事上聴における吟味への激賞(奉行たるべき者、左もこれ在るべき事に候)という栄誉を担っての奉行職の遂行。そこには、あらゆる意味で情報にベクトルを掛けられることになる家慶自身にとっても必要とされた、トップの腹心としての金四郎の姿が見えてきます。そこの事は、御側御用取次の備忘録の中に、改革の真っ只中に、内々として、度々、金四郎を呼び寄せた記録が残っていることからも伺えます。

所謂、桜吹雪を袖の下に隠した、気風のいい江戸っ子肌で、庶民の味方である遠山の金さんとは全く逆の、改革の旗振り役である水野忠邦をけん制しつつ、トップとの密談を繰り返す、幕閣並びに幕臣なら誰でも一目置かざるを得ない栄誉に浴した、将軍の信頼厚い、奥向き上がりの腹心中の腹心としての左衛門尉という、もう一つの側面。

天保の改革における諸施策について、金四郎は部下や、町名主たちの意見に対して真摯に耳を傾け、江戸の民衆の声を直接幕閣に訴えようとしていきますが、その殆どが改革の名のもとに押し流され、遂には同僚である矢部定兼の失脚を誘う事になり、自身もお目見え御免という、不名誉な罰を受けることになります。

本書は、後半でそのギャップの根本的な原因を見出していこうとしてきます。

将軍の篤い信任を受けつつも、そこまでしても、改革を穏便な形で済ませたいと望んだ理由、それは本書で述べられる天保の改革の諸施策の中で、唯一骨抜きにされた「人返しの法」を巡る議論から導き出す事が出来ます。都市部に流入する膨大な貧困者たち。彼らを強制的に元の在所に戻す、または金銀を与えた上で、帰農させるという政策について、一部歴史教科書において、実施に移されたように見える記述に対して不正確だとの指摘(現行の教科書の話であり、文庫版で新たに追記されています)をした上で、金四郎たち奉行にしても、目付や代官、勘定奉行ですら、そもそも食い扶持を求めて、江戸に集まってきており、一度都市の奢侈を知った農民たちが、相応な利便でも与えなければ、元に戻れる筈がないと上申。実際には、人別帳に記載される前の、妻子も持たない身軽な者だけ帰るようにとの触れが出されたに過ぎないと見做していきます。その背景には、困窮者を追い詰めるような政策は避け、都市に集住するその日暮らしの者たちを困窮させない経済政策、救民政策がなによりも必要であるとの想いを重ねていきます。

金四郎たち実務者の想い。終章に向けて、著者は享保以来の新田開発が停滞し、飢饉が頻発した情勢を踏まえて、当時の代官たちの治績を織り交ぜた上で、結論を導き出していきます。それは、為政者として、何としても民衆の生活を安定させることで、一揆、暴動の発生を押さえる事。

幕末へ向けて増加していく、代官に対する地元農民たちの顕彰。そして、大岡越前守を代表とした江戸の町奉行に対する町人たちの賞賛、後の文芸作品への取り込み。これらは、不安定な社会情勢に対する政策としての「仁政」への民衆の希求と、その対応を誤れば、暴動を誘発しかねないという、為政者の強い危機感、その危機感を生み出した、ひとつ前の改革(寛政の改革)の遺産としての、儒学の実践的な展開としての仁政への転換の結果であると指摘していきます(本書では語られませんが、ここで金四郎の父である景晋が、寛政の改革の政策の一環である、学問吟味で甲類筆頭を及第することで出世の糸口を掴み、その結果として、蝦夷地、長崎に何度も下向、学問と実際の行政の双方を会得したであろう点にも注意を引きます)。

民衆が求めた緩やかな仁政に対して、それを上回るスピードでの改革を貫こうとした幕閣。その板挟みに遭う中で、トップの厚い信頼を受けて、暴発という反撃の手段を持った民衆を慰撫しながら、妥協点を見出していこうとする行政官としての江戸町奉行、遠山金四郎の姿を描く本書。そこには、著者が文庫版のあとがきで述べる、何時の時代にも組織に身を置く人々が抱える、普遍的な疑問、課題、そして自分の立ち位置について、彼の言動から今なお多くの示唆を与えてくれるようです。

遠山金四郎の時代と類書たち本書と一緒に読みたい、遠山金四郎関連の近刊。

  • 遠山景元(山川出版社 日本史リブレット・人):同じ著者の手による人物をメインに置いて遠山景元の出生から、刺青の話や、家庭の事情、そして幕臣としての治績を述べた一冊。人物像にご興味がある方は、こちらの方が読みやすいかと思います
  • 遠山金四郎(岡崎寛徳 講談社現代新書:絶版、電子書籍版あり):同じく人物像をメインに置いた一冊ですが、ページ数にゆとりがある事もあり、父である遠山景晋の治績、その後の遠山家といった、ファミリーストーリーも読む事が出来ます。複雑な家系に秘められた名行政官、名奉行親子の素顔を見るといった感じで読みたい一冊です
  • 大江戸商い白書(山室恭子 講談社選書メチエ):本書の後半は、金四郎が町奉行に復帰した後に行われた、株仲間再興に関する諮問のやり取りが描かれています。ちょっとコミカルタッチな筆致で描かれた、江戸の文書行政の一端を見せてくれます

<おまけ>

本ページに掲載している、本書に関連する書籍のご紹介