好評を以て迎えられた大河ドラマ「真田丸」の船出を祝して、最初の舞台へご案内(韮崎、新府城跡)

先週からスタートした、大河ドラマ「真田丸」。久々の本格時代劇を期待された方も、ここ最近の劇画的な作りの大河ドラマの新たな進歩に期待された方も、双方から好評を以て迎えられたようですね。

そして、物語の始まりの舞台となった新府城。

実は、実際の新府城を使用してロケーションが行われていた事をご存知でしょうか。

こちらに、韮崎市観光協会さんの紹介記事のリンクを掲載しておきますが、遥か400年以上前の事柄にも関わらず、まさにその現場でロケをするという力の入れよう。その想いを是非汲み取って頂きたく、何時もはスルーしている新府城に皆様をご案内させて頂きます(ご注意、私は城郭プロではありませんので、誤謬等は平にご容赦を。ご指摘は大歓迎です)。

WP_20160117_13_57_59_Pro七里岩ライン沿いの駐車場から眺める新府城(左)と解説の看板。

奥の方には南アルプスの前座、鳳凰三山を望みます。

WP_20160117_13_58_58_Pro道路の反対側には、山からせり出す形で作られた出構が見えています(手前と、奥の2か所)。

WP_20160117_15_15_40_Pro駐車場を少し下ると、入口の看板が出ています。

さて、入ってみましょう(要注意andお願い : 駐車場から入口まで、歩道が無いカーブの道路を歩くことになります、七里岩ラインは地元の皆様にとって主要な交通路であり、車のスピードもかなり出ていますので、くれぐれも車の動きには注意して歩いて下さい)。

新府城跡入口新府城跡の入口です。

WP_20160117_14_02_20_Pro2解説の看板です。

入口から直登する階段は、後日作られた山頂の神社へ登る階段です。

城郭ファンの皆様は、もう少し下にある、大手から入りましょう。

WP_20160117_14_07_38_Pro上りきった階段の上から、七里岩ラインを望みます。

結構急な階段ですので、健脚な方以外は、前述の大手から緩やかに上るルートか、階段に沿ってジグザグに登っていく女坂をご利用された方が良いと思います。

WP_20160117_14_08_56_Pro正面に神社が見えてきますが、こちらは後に作られたものです。

WP_20160117_14_21_11_Pro神社の裏に廻ると、小学校の校庭程の広い空間が広がります。

WP_20160117_14_22_36_ProWP_20160117_14_22_53_Pro

新府城本丸跡です。

韮崎市が設置したこちらの標識。築城者や落城日まで書いてあって、今回のドラマをご覧になった方であれば、ちょっと感傷に浸ってしまうかもしれませんね。

WP_20160117_14_13_33_Pro本丸の北西には勝頼と長篠の戦いで落命した十四武将の慰霊碑が建てられています。

WP_20160117_14_14_50_Pro勝頼を祀った石祠です。

神社(藤武神社と稲荷社)とは別に祀られてます。

WP_20160117_14_19_57_Proドラマでも使われた、麓に広がる桃畑を望む、新府城跡からの遠望。

正面には八ヶ岳と、七里岩を象徴する岩屑流れ(新府城が乗っている七里岩台地自体が、奥に聳える八ヶ岳が崩壊して流れ下った跡。一緒に崩れてきた岩が集まって出来た小山の群)の小山を見渡すことができます。

ドラマのシーンで、「この風景も見納め」と述べていた場所が、こちらですね。

WP_20160117_14_11_23_Pro新府城の解説板です。

WP_20160117_14_24_55_Pro解説板をもう一枚。

WP_20160117_14_11_50_Pro新府城の想定復元図です。

新府城略図1縄張略図です。

新府城略図2もう一枚ですが、こちらは城の北側です。

ここまでは名所としての新府城跡のご紹介。それでは、ここからはエセ城郭ファンが、城跡としての新府城をご案内します。

WP_20160117_14_53_01_Pro①県道を見下ろす帯曲輪から。足元には大手に入る遊歩道が見えています。

WP_20160117_15_13_27_Pro②帯曲輪(上)と遊歩道(下、砂利道)の合流点。曲輪といってもこの通り、武者走り程度の幅です(遊歩道を作る際に伐り落とされている可能性もあります)。

WP_20160117_14_54_59_Pro③南大手門へのアプローチ。

WP_20160117_14_55_51_Pro④上からのぞくと、このように土手が切られています。

WP_20160117_15_14_14_Pro⑤大手の足元を観ます。一段下にも曲輪のような地形が見えます。WP_20160117_15_00_43_Pro⑥ここが一番判りやすい場所でしょうか。

大手です。しっかり土手に道筋が切られています。

WP_20160117_14_57_41_Pro大手の中に入ってみると、更にその下にも曲輪が出来ています(その下が三日月堀らしいです)。

WP_20160117_14_58_45_Pro大手から釜無川沿いを望みます。

WP_20160117_15_12_04_Pro⑦東三の丸ですが、ここからでは地形がよく判りませんね。

WP_20160117_15_02_16_Pro⑧一段上の西三の丸です。

WP_20160117_15_04_00_Pro広いスペースが確保されています。

WP_20160117_15_02_50_Pro人工的に作られた土手の構造がよく判ります。

WP_20160117_15_05_48_Pro⑨少し登って、馬出の手前から眺めると、大手、三の丸の輪郭が判るかと思います。

WP_20160117_15_07_12_Pro⑩馬出です。中央を遊歩道が貫通しているため、下半分を。遠くに如何にも人工的に作られた土手が続いているのが判るかと思います。

WP_20160117_14_27_03_Pro⑪二の丸の入口です。

WP_20160117_14_28_02_Pro二の丸の内部です。こちらも広々としたスペースを有しています。

新府城を単なる山城だと思うと、意表を突かれる広さ。本格的な築城が行われていた証拠です。

WP_20160117_14_32_27_Pro⑫二の丸の裏手にある大きな窪地。城内には井戸が無く、一方でこの場所は岩盤に至るまで掘り込まれていたことから、集水施設であったと考えられています。

WP_20160117_14_34_56_Pro⑬二の丸の裏手は七里岩の険しい崖が迫ってきます。

WP_20160117_14_35_25_Pro乾門に下る道は残念ながら整備作業中で入る事が出来ません。

WP_20160117_14_36_11_Pro直線的な土手が灌木の中を抜けていきます。

WP_20160117_14_35_56_Pro複雑に切り込まれた堀状の溝がそこかしこに見受けられます。

WP_20160117_14_43_34_Pro⑭二の丸から下っていくと、遠くに水平の土塁がずっと続いてきます。横矢掛りの防塁と呼ばれる土塁です。

WP_20160117_14_44_58_Pro⑮二の丸を下りきって、穴山側に廻り込むと、土塁が伸びているのが判ります。西出構です。

WP_20160117_14_46_05_Pro西出構から乾門方面を望みます。

堀のような窪地が城を取り巻いているのが判るでしょうか。

WP_20160117_14_49_57_Pro⑯こちらが東出構。実際にはどのような目的で作られたか判っていないそうです。

WP_20160117_14_47_55_Pro西出構から本丸を俯瞰で。鎧を付けて、これだけの高さを寄せていくのは至難であることがよく判ります。

このまま七里岩ライン側に廻り込むと終点。フルに一周すると大体1時間ほど必要ですが、大手から遊歩道を本丸まで往復するだけならゆっくり歩いても30分程と、手軽に戦国城郭の跡を楽しむことができます。

比較的遺構がはっきり残っている箇所と、判りにくい個所が入り混じっていますので、もう少し丁寧な解説板が欲しい所です(特に整備途中の大手の部分は、ドラマ最終盤でキーとなる、丸出しの構造を端的に示す例ですので)。

城跡巡りには藪の木々が葉を落とす冬場が一番なのですが、ちょっと味気ないのも事実。

新府城跡の周囲はご覧のように春になれば桃源郷と呼ばれる桃の花で囲まれます。

真田丸を観て武田勝頼の最後と新府城にご興味を持たれた皆様、この後、山梨は舞台から遠ざかってしまいますが、春のシーズンになりましたら、復習がてらお越しになられては如何でしょうか。

 

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