今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

15代を数える、江戸時代の将軍たち。創業の家康に始まり、終焉の慶喜に至るまでに、それぞれに特色のある人物像が語られますが、その中で愛称を込めて呼ばれた将軍は決して多くないと思います。

毀誉取り混ぜて名付けられる愛称、その中でも犬公方と鷹将軍(もしくは米公方)と呼ばれた、綱吉と吉宗は歴代の徳川将軍の中でも特に特色のある治世であった事で知られています。どちらも動物の愛称で呼ばれた二人の将軍、一見対照的に思われる二人の治世ですが、実は意外な共通点がある事をご存知でしょうか。

犬と鷹の江戸時代今回ご紹介するのは、二人の将軍に名づけられたその愛称に纏わる物語を描く一冊、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男:著)です。

著者はスペシャル版であった頃のブラタモリにも登場したことがある、江戸時代の鷹狩研究の第一人者(浜離宮のロケで、鷹狩のデモンストレーションに登場されていましたよね)。本書の一方のテーマである鷹将軍、吉宗を語るには相応しい方ですが、果たして犬公方を語るにはどうでしょうか。そんな想いで本書を読み始めると、著者にとって、どうしても犬公方たる綱吉の治世を解き明かさない事には、鷹狩の研究が進められない事情が浮かんできます。

表題だけを観ると、綱吉と吉宗の治世に伴う思想論の違いであったり、所謂文治政治と武断政治の相違を犬と鷹、公方と将軍という尊称の違いに仮託して話を進めていくように見えますが、内容は大きく異なります。綱吉が既に館林時代から鷹狩を行っていなかった事や、吉宗が旗本たちの綱紀引き締めのために鷹狩を用いた点については言及されていますが、本書ではその理由の核心や政治的な位置づけを探り出そうというテーマは掲げていないようです。

本書が着目する点、それは鷹狩を行うためには必須となる鷹狩の場所と、鷹たちを養う鷹役人たち。江戸時代の鷹役人たちの歩みを観ていくと、生類憐み政策に伴う大きな分断点が綱吉の時代に生じる訳ですが、彼らの家系はその後も続いて、吉宗の時代には規模は大幅に縮小されつつも、再び彼らは鷹役人として登場してくる。では、その間に彼らは何をしていたのかを追いかけた結果、意外な事実に突き当たる事になります。

江戸時代の旗本職制をある程度ご存知の方であれば、無役となった旗本達は寄合(大身ないしは布衣以上の役職を経た場合)ないしは、小普請に移る事はご承知の事かと思います。しかしながら、鷹匠や鳥見と呼ばれた鷹役人たちは、綱吉の将軍就任以降、殆ど一括して寄合番という、聞きなれない役職に振り分けられていきます。彼らの仕事、それこそが犬公方たる綱吉が推し進めた江戸市中に徘徊していた野犬たちの収容所、犬小屋の運営を監督する仕事。更には、元々の鷹狩場として、民衆の狩りが禁止されていた江戸郊外に広がる広範な地域における、生類憐れみという、意味を差し替えた上での狩猟禁止を維持するための仕事が待っている事になります。

犬公方たる綱吉の最大の政策である中野の犬小屋を始めとした犬の保護、隔離政策と、江戸近郊での鳥獣保護政策。その正反対に位置する吉宗の鷹狩再開と、鷹場の復活。どちらもその実務を担ったのは鷹役人たちであったという、冗談のようなお話の実際が語られていきます。

そして彼らの活躍した場所、鷹場における統治政策。吉宗の時代になると、鷹狩の獲物を確保する事を目的として、江戸から十里四方(約40km、西は相模川畔の高座、愛甲から北は高麗、入間、東は印旛から筑波に至るまで、更には海上も)にも及ぶ広大な狩猟禁止区域が設定される一方、深刻になる獣害に対応する為に、それ以外の場所における鉄砲の使用と所持の手続きは徐々に簡素化されていったことが明らかとなっていきます。筋という区域を分けて管轄ごとに狩猟場として地域を管理する鷹役人たちと、その他の地域を含めて広範な江戸近郊の農政を委ねられて、鷹狩の毎にその準備と馳走を受け持つ、歴代の伊那代官たち。獣害が発生しても銃を用いる事すらできない厳しい規制と、身元不明の浪人の排除や定期的な鳥見と網差による見回り(ここで、農民の前では御鷹様と呼びならわしてはいけないという、将軍の権威を振りかざして傍若無人の振る舞いがあった鳥見への掣肘の通達も述べられていきます)、鷹達の餌の確保を兼ねた水鳥問屋、岡鳥問屋の統制といった、将軍のおひざ元でもある江戸近郊特有の支配機構の一端を鷹役人の活動から垣間見る事が出来ます。

そして、本書ではこれら政策に直接恩恵を受ける、否、翻弄されたであろう江戸市中の民衆の負担についても検証していきます。隔離した犬たちの膨大な餌代(実に年間98,000両余り)、計画面積何と30万坪という広大な犬小屋を維持するための膨大な費用。更には、隔離しきれない犬たちを江戸近郊の農家に預けて養育した費用の全てが江戸市中の負担となっていました。

綱吉政権の末期、これらの政策は行き詰まりを見せており、中野の犬小屋は全面的な完成を見ぬまま、綱吉の死去によって終焉を迎える事は良く知られている事です。ここで、著者はどの時点で犬小屋の政策が縮小に至ったのかの検証を進めていきますが、これまで言われてきた家宣が将軍に就任した時点ではなく、それ以前から江戸市中の金銭面負担における不満を緩和する為に、大幅に囲い込み政策の規模縮小が図られていた事を見出していきます。此処でも最近顕著になってきた新井白石バッシング(もとい、正徳の治の再検証)が述べられていきますが、やはり無理のある政策であった事は、後世の我々にしても同じ見解に至るところです。更に廃止の余波は、なんと近郊の農家に委託して養育していた犬たちの養育費の返還というとんでもないしっぺ返しを生み出し、その返済が遥か享保の御世にまで至った事を資料から明らかにしていきます。

大きな負担を残した綱吉による生類憐み政策と鷹狩の全面停止から百八十度転換しての、吉宗の鷹狩再開。前述のようにその本意については本書では述べられませんが、治世上の効用については、吉宗時代に限らず、専門家らしく豊富な事例を述べていきます。天皇から大権を委ねられた武門の統治者としての儀礼の一環である鶴の献上と、大名、旗本たちへの振る舞い。儀礼を維持するために払われる鷹役人たちの涙ぐましい努力(鶴、半自然環境で飼い馴らしていたのですね)。鷹場を維持する為に鳥の巣(特に烏)を落として歩く農民たちと、江戸近郊故に鉄砲を持てない農民に代わって、わざわざ農村まで出張って鳥を撃つ鉄砲役人たち。その一方で、新田開発に伴う獣害に悩まされる農民たちの苦悩。生類憐みでも、鷹狩でも、結局のところ最後に大きな負担を強いられるのは、江戸市中の人々であり、近郊に在住する農民たちであった事が明確に述べられていきます。

翻弄される人々の苦悩に対して、ほんの少しの落穂ひろいとして語られる、享保期の犬事情と、享保の時代まで残った犬小屋、更には広大な敷地を誇った中野の犬小屋のその後。やや付け足しの感もありますが、ブラタモリにも通底する中野の今昔物語は、今や中央線随一の街並みを誇る場所となったそのきっかけが、実は広大な犬小屋の跡地にある。その変遷の上に現在の中野の街並みを重ね合わせて考えると、なかなかに興味がそそられるところです。

鷹役人と江戸近郊の地方支配から眺める、江戸時代の動物政策を語る本書は、通史に囚われず、ちょっと切り口を変えて歴史を眺める事で新たな発見を見出すことをテーマとしている本シリーズに相応しい一冊。たかが動物政策と切り捨てる事は出来ない、現代に通じる、当時の江戸近郊の景観を作り出していった根底には、個性的な将軍たちの治世と、翻弄された役人、そして人々がいた事を改めて見つめ直して。

犬と鷹の江戸時代と類書たち本書と併せてお読みいただきたい本。同じ歴史文化ライブラリーから「宮中のシェフ、鶴をさばく」(西村慎太郎)と、「馬と人の江戸時代」(兼平賢治)を。どちらも江戸時代における動物政策、前書は儀礼としての鶴包丁を中心にした公家の家職に纏わる伝承と、大切な収入源としての物語、更には彼らと関わる地下官人たちの姿を、軽快な筆致で実に闊達に描く。もう一冊は、江戸時代の一大馬産地である南部を故郷に持つ著者が、その想いを込めて南部の馬に限らず、江戸時代の馬産業、馬産政策から、飼育環境、農耕、馬具、桜肉…、に至るまでを網羅的に語る一冊。実は馬の物語にも、綱吉、そして吉宗の治世が深くかかわって来る事が冒頭で述べられていきます。本書で描かれる犬と鷹の政策と比較して読んでみるのも良いかと思います。本ページでは、こちらでご紹介しております

いずれも、本シリーズの特色が現れた、読んで楽しく、豊かな知見が広がる本だと思います。

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