春めいてきた八ヶ岳南麓を桜と共に(2016.4.9)

お天気が回復して、朝から春らしい、ちょっと霞んだ青空が広がる土曜日の午後。お隣の諏訪では今週も引き続き御柱祭で多くの観光客の皆さんがお越しのようなので、少し喧騒を避けて、八ヶ岳の南麓を暫しお散歩です。

P1060752まるでGWのように雪の少ない、八ヶ岳をバックに火の見櫓と桜の木を。

P1060754眼下に白州の街並み、遠くに甲斐駒を望む、城山公園にて。今年は園内が倒木のため、入れるのは此処まで。

P1060759桜の間から、まだ白さを残す、でも例年に比べればぐっと雪の少ない甲斐駒を望んで。

P1060762濃い花びらの色が特徴の、城山公園の桜。標高800m程のこの界隈では最も早く咲く桜ですので、もう葉桜になり始めています。

P1060764a春の日差しを受けて輝く甲斐駒を桜を越しに。桜の木の下ではお弁当を広げて花見を楽しむ方も。

P1060788七里岩を下って、甲斐駒の懐に抱かれる、小さな集落の道沿いいっぱいに花を開かせる、山梨県指定天然記念物、白州町横瀬の関のサクラ。

P1060768白っぽい、花を上に向けて咲くヒガンザクラ。樹齢200年以上と云われていますが、今年も満開の花を付けています。

P1060781大きな幹回り、複雑に屈曲する枝に圧倒されます。

P1060785幹の下に入り込むと、しっかりとした幹の力強さを感じます。

P1060783桜の木の足元には小さな祠も。その昔、信州に抜ける街道の関所があったとされるこの場所。今は甲州街道から遥かに離れて、ひっそりとしています。

P1060798溢れんばかりに花を開く、関のサクラ。

P1060791道沿いの土手に咲く桜。土手に沿って下の方にまで枝を伸ばしています。

P1060795周囲には数件のお宅と、狭い斜面に開かれた農地が僅かばかり見えるだけの静かな山間にぽっと現れる桜。振り返ると、遠くに南アルプスの山並みが見えてきます。

P1060796小さな石碑越しに、雪を戴く甲斐駒を僅かに望む事が出来ます。

P1060765大坊で行き止まりになる細い県道の更にわき道に入った先にある、本当に隠れ家的な一本の桜。それでも時折訪れる方に、その風雪に耐えた歳月を刻み込んだ威容と美しさを魅せていました。

P1060813再び七里岩に上がって、高根町へ。緑の牧草越しに八ヶ岳を望む、お気に入りの場所。振り返ると富士山も見えるのですが、今日は霞んだ雲の中です。

P1060821熱那神社です。今年も境内にある古木の桜(北杜市指定天然記念物、境内の建物も指定文化財です)は、いっぱいの花を咲かせてくれました。

P1060826満開の花を咲かせる、熱那神社の桜。少し白っぽい花が枝一杯に広がります。

P1060834太い幹と、花を付けて広がる枝、農村の片隅にある集落をずっと見守ってきました。

P1060835春を迎えて、今年もこの桜を愛でる事が出来た事への実感を味わいながら。

P1060847すっかり遅くなった日暮れ。春霞の薄雲の向こう、西の山にゆっくりと沈む夕日が雲を輝かせていきます。

何時もより、ほんの少し早く春が来た八ヶ岳南麓。来週には西麓側の桜も咲き始めることでしょう。

 

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今年も春到来(2016.4.6)

甲斐駒と枝垂桜

今年も八ヶ岳南麓に春がやって来たようです。

地上より少し遅く、そして少し駆け足で春は山を登っていきます。

山梨県北杜市小淵沢町下笹尾にて(2016.4.6)

山出しが終わった上社御柱、次はいよいよ建御柱へ(前回の諏訪大社 上社御柱祭のアルバムより)

山出しが終わった上社御柱、次はいよいよ建御柱へ(前回の諏訪大社 上社御柱祭のアルバムより)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

50万人を超える曳行、参観者を迎えた今年の諏訪大社、上社の御柱祭、山出し。

宮川の鮮烈な流れに洗われ、清められた8本の御柱は、華やかな乗り手たちを乗せてきためどでこを外されて、大社の目前となる、安国寺前の御柱屋敷と呼ばれる広場に暫し留め置かれます。

一週間遅れとなる下社の山出しが済んでから約3週間後、GWの最後の数日に、山から降ろされて休息を与えられた御柱は、再び華やかな行列の中を諏訪大社の前宮、そして本宮へ向けて曳行されていきます。里引きと呼ばれる盛儀。綺麗に皮の剥かれた御柱は、これまで6年間に渡って大社の四隅を守ってきた前の御柱が降ろされた跡に据え付けられます。

そして最終日の朝、身動きが出来ないほどの群衆で一杯になった境内の四隅で、最後の大仕事、長さ20m近い柱を氏子を乗せたまま人力で立てていく、建御柱が始まります。

6年前の2010年5月4日。2km程離れたショッピングモール脇の臨時駐車場に車を乗り捨てて、ぎゅうぎゅうの人込みの中、午前8時前に本宮の東参道鳥居の下に何とか潜り込むと、足元には20km近くを曳行してきた氏子の皆様に囲まれて、未だ地面に寝かされた本宮二の御柱。境内の四隅で解説のアナウンスが流れる中、諏訪大社の神職の皆様が入れ代わり立ち代わり登場しての神事と、安全を祈願する祈祷、御柱の頭の部分を切り揃える冠落としの儀式が厳かに、時に賑やかに、ゆっくりと執り行われていきます。

身動きも出来ず、立ちっぱなしの両足に痺れを感じ始める正午前、全ての神事が滞りなく済むと、いよいよ建御柱の準備が始められます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱1入口御門横に据えられた櫓から降ろされた二束のワイヤー。櫓の上には氏子の皆さんが既に待機しています。

諏訪大社御柱祭上社建御柱2ワイヤーの先には本宮二の御柱。曳行場所ごとに担当が入れ替わる下社と異なり、上社の場合、曳行を担当された富士見町の落合、境、本郷地区の皆さんが建御柱まで一貫して担当されます。

この時点で、既に柱の底に当たる部分には衝立となる板が立てかけられています。実際に木を引き上げる轆轤を廻すのは氏子の皆さんですが、やぐらを組み、最初に木にワイヤーを掛けて姿勢を固める作業は、本職の鳶の方が行います。前回は下社の曳行地区に所属する鳶の方が請け負われたそうですが、本宮三の御柱を担当する今回、初めて地元の業者が担当されるそうです(普段はすぐ横の席に座っている氏子の方より伺いました)。

諏訪大社御柱祭上社建御柱3ワイヤーで御柱を少し持ち上げておき、下に台座を入れて、御柱の下に潜れる状態を作った上で、氏子の皆さんが乗る足場を御柱に組みつけていきます。もちろん、釘などは使う事は許されませんので、全て角材とロープで組んでいきます。

午前中のうちに、柱の冠はきれいに円錐に切り揃えられています。

諏訪大社御柱祭上社建御柱4足場の準備が整うと、三地区の大総代の皆さんと、総纏めの大総代さんが、まずは御柱に乗り初めとなります。

これから御柱に乗ったまま引き建てられていく氏子の皆さんの命がかかる安全確認を含む、大事な手順でもあります。

諏訪大社御柱祭上社建御柱5大総代の皆さんの下から、柱と共に引き建てられていく氏子の皆さんがおんべを振って昇ってきます。

腰には全員安全ベルトとラッチを装着、何よりも安全第一。

最後の男気を見せる大一番。大歓声とともに、周囲の氏子の皆さんもラッパと太鼓で盛大に盛り上げていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱6御柱の冠に打ち付ける御幣を振りかざして、境内の氏子の皆さんと、鳥居下の階段にぎっしりと集まった観光客の皆さんにノリノリでアピールを繰り広げる大総代さん。朝から殆ど動くことなくこの時を待っていた観光客の皆さんも、ここまで来れば想いは既に一緒。氏子の皆さんに合わせて手を挙げて掛け声をかけていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱7大総代の皆さんは此処で柱を降りて、台座が外されるといよいよ本番。

 

御柱に乗った氏子の皆さんは、この時点までに全員足場のロープに安全ベルトのラッチを取り付けています。

一旦静かに息を整えて、いよいよ最大のクライマックス、ワイヤーが静かに巻き上げられると建御柱のスタートです「心を合わせてお願いだ!」。

諏訪大社御柱祭上社建御柱8太鼓とラッパのファンファーレが鳴り響くたびに、ワイヤーは少しずつ巻かれていきます。

胴回り3m近い樅の巨木とはいえ、これだけの人数が乗ると流石に撓んで先の方は垂れ下がってきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱9まだまだ余裕で柱の上でポーズを決める氏子の皆さん。

諏訪大社御柱祭上社建御柱10ぐいぐいと引き上げられていく御柱。ファンファーレと共に勢いよくおんべを高く掲げていきます。

ワイヤーの巻き上げも、機械に頼ることなく、人力で巻き上げていきます。正に人の力で柱を曳き、据え付けていく、人の想いと力の結集こそが御柱の本義なのでしょう。

諏訪大社御柱祭上社建御柱11準備が始まってから2時間ほど。建御柱が始まって30分ほど過ぎると、御柱は45度程まで立ち上がってきました。境内のボルテージは柱と共に、上昇する一方。皆さんが声と手を合わせて柱に乗る氏子たちを盛り上げていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱12いよいよ、柱が櫓の高さに迫ってきました。

足場を気にしながら、振り続けるおんべにも力がこもってきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱13入口御門の屋根の高さと、柱に乗った氏子のみなさんの高さの関係が判るでしょうか。全長15mを越える柱が、人を乗せたまま、ゆっくりと、ゆっくりと、人の力で建てられていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱14垂直に建ち上がるまであともう一歩。御柱に乗った氏子の皆さんも、先ほどまでのように余裕を持って立っている訳にもいかず、柱にしがみつくようになります。柱を支えるワイヤーとロープのテンションもきつくなる、建御柱で最も危険なタイミングがやってきています。

柱の足元では神事を執り行う準備が進む中、それでも、氏子の皆さんがおんべを振るのを止める事はありません。諏訪大社御柱祭上社建御柱15遂に建ち上がった本宮二の御柱。柱にしがみついてた氏子の皆さんが、上へ上へとよじ登っていきます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱16柱の頂上に集まって、不安定な姿勢の中、喜びのポーズをとる氏子の皆さん。6年間の準備の成果が報われた瞬間、境内は大歓声に包まれます。

諏訪大社御柱祭上社建御柱17柱の足元には、前の御柱を休め(降ろし)、そして新たな御柱の地固めを執り行う事を役目としている、中金子村(現在の諏訪市中洲中金子地区)の氏子の皆さんが集まって、柱が無事に建ち上がり、これから6年間、この地を守ってくれることを祈る神事が執り行われいます。すべての氏子の皆さん、そして観光客の皆さんも、御柱祭が単なる祭りではなく、諏訪を挙げて執り行われる、長く長く続く諏訪の神々へその想いを奉る「奉仕」である事を再認識する瞬間です。

諏訪大社御柱祭上社建御柱19神事が済むと、氏子の皆さんは喜びを爆発させます。

くす玉が割られ、境内に垂れ幕がたなびきます。無事に曳行と建御柱が行えた事への感謝と、長期に渡って奉仕に参加されたすべての氏子の皆さんへの感謝を込めて。人の想いが神に届く事を願う一瞬。

諏訪大社御柱祭上社建御柱20朝8時過ぎから始まった一連の建御柱の奉仕。すっかり日が長くなった5月の日差しが西に傾く午後4時を迎えると、最後は無礼講。時に観光客の方が集まる鳥居下にも投げ込まれる、おひねり投げで終わりを迎えます。

諏訪に在する皆さんの想いが一本の樅の木に宿っていく御柱。

今年の諏訪大社、上社の里曳きと建御柱は5/3~5/5のGW中に実施です。

 

今回ご紹介した、前回の御柱祭で本宮二の御柱を担当した、諏訪郡富士見町、東三地区(落合、境、本郷)の氏子の皆さんが、今回は公式ホームページと、twitterfacebookを開設されています。

ご興味のある方は是非どうぞ(当方は氏子会の関係者ではありませんので、ご質問等につきましては平にご容赦を)。

掲載されております全ての写真は当方の撮影に拠りますが、掲載内容についてのご質問、疑問等があれば、下記コメント欄よりお願い致します。

 

 

今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

今月の読本「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男 吉川弘文館)江戸の地方支配から見る、御犬様と御鷹様の深い関わりを

15代を数える、江戸時代の将軍たち。創業の家康に始まり、終焉の慶喜に至るまでに、それぞれに特色のある人物像が語られますが、その中で愛称を込めて呼ばれた将軍は決して多くないと思います。

毀誉取り混ぜて名付けられる愛称、その中でも犬公方と鷹将軍(もしくは米公方)と呼ばれた、綱吉と吉宗は歴代の徳川将軍の中でも特に特色のある治世であった事で知られています。どちらも動物の愛称で呼ばれた二人の将軍、一見対照的に思われる二人の治世ですが、実は意外な共通点がある事をご存知でしょうか。

犬と鷹の江戸時代今回ご紹介するのは、二人の将軍に名づけられたその愛称に纏わる物語を描く一冊、吉川弘文館の歴史文化ライブラリー最新刊より「犬と鷹の江戸時代」(根崎光男:著)です。

著者はスペシャル版であった頃のブラタモリにも登場したことがある、江戸時代の鷹狩研究の第一人者(浜離宮のロケで、鷹狩のデモンストレーションに登場されていましたよね)。本書の一方のテーマである鷹将軍、吉宗を語るには相応しい方ですが、果たして犬公方を語るにはどうでしょうか。そんな想いで本書を読み始めると、著者にとって、どうしても犬公方たる綱吉の治世を解き明かさない事には、鷹狩の研究が進められない事情が浮かんできます。

表題だけを観ると、綱吉と吉宗の治世に伴う思想論の違いであったり、所謂文治政治と武断政治の相違を犬と鷹、公方と将軍という尊称の違いに仮託して話を進めていくように見えますが、内容は大きく異なります。綱吉が既に館林時代から鷹狩を行っていなかった事や、吉宗が旗本たちの綱紀引き締めのために鷹狩を用いた点については言及されていますが、本書ではその理由の核心や政治的な位置づけを探り出そうというテーマは掲げていないようです。

本書が着目する点、それは鷹狩を行うためには必須となる鷹狩の場所と、鷹たちを養う鷹役人たち。江戸時代の鷹役人たちの歩みを観ていくと、生類憐み政策に伴う大きな分断点が綱吉の時代に生じる訳ですが、彼らの家系はその後も続いて、吉宗の時代には規模は大幅に縮小されつつも、再び彼らは鷹役人として登場してくる。では、その間に彼らは何をしていたのかを追いかけた結果、意外な事実に突き当たる事になります。

江戸時代の旗本職制をある程度ご存知の方であれば、無役となった旗本達は寄合(大身ないしは布衣以上の役職を経た場合)ないしは、小普請に移る事はご承知の事かと思います。しかしながら、鷹匠や鳥見と呼ばれた鷹役人たちは、綱吉の将軍就任以降、殆ど一括して寄合番という、聞きなれない役職に振り分けられていきます。彼らの仕事、それこそが犬公方たる綱吉が推し進めた江戸市中に徘徊していた野犬たちの収容所、犬小屋の運営を監督する仕事。更には、元々の鷹狩場として、民衆の狩りが禁止されていた江戸郊外に広がる広範な地域における、生類憐れみという、意味を差し替えた上での狩猟禁止を維持するための仕事が待っている事になります。

犬公方たる綱吉の最大の政策である中野の犬小屋を始めとした犬の保護、隔離政策と、江戸近郊での鳥獣保護政策。その正反対に位置する吉宗の鷹狩再開と、鷹場の復活。どちらもその実務を担ったのは鷹役人たちであったという、冗談のようなお話の実際が語られていきます。

そして彼らの活躍した場所、鷹場における統治政策。吉宗の時代になると、鷹狩の獲物を確保する事を目的として、江戸から十里四方(約40km、西は相模川畔の高座、愛甲から北は高麗、入間、東は印旛から筑波に至るまで、更には海上も)にも及ぶ広大な狩猟禁止区域が設定される一方、深刻になる獣害に対応する為に、それ以外の場所における鉄砲の使用と所持の手続きは徐々に簡素化されていったことが明らかとなっていきます。筋という区域を分けて管轄ごとに狩猟場として地域を管理する鷹役人たちと、その他の地域を含めて広範な江戸近郊の農政を委ねられて、鷹狩の毎にその準備と馳走を受け持つ、歴代の伊那代官たち。獣害が発生しても銃を用いる事すらできない厳しい規制と、身元不明の浪人の排除や定期的な鳥見と網差による見回り(ここで、農民の前では御鷹様と呼びならわしてはいけないという、将軍の権威を振りかざして傍若無人の振る舞いがあった鳥見への掣肘の通達も述べられていきます)、鷹達の餌の確保を兼ねた水鳥問屋、岡鳥問屋の統制といった、将軍のおひざ元でもある江戸近郊特有の支配機構の一端を鷹役人の活動から垣間見る事が出来ます。

そして、本書ではこれら政策に直接恩恵を受ける、否、翻弄されたであろう江戸市中の民衆の負担についても検証していきます。隔離した犬たちの膨大な餌代(実に年間98,000両余り)、計画面積何と30万坪という広大な犬小屋を維持するための膨大な費用。更には、隔離しきれない犬たちを江戸近郊の農家に預けて養育した費用の全てが江戸市中の負担となっていました。

綱吉政権の末期、これらの政策は行き詰まりを見せており、中野の犬小屋は全面的な完成を見ぬまま、綱吉の死去によって終焉を迎える事は良く知られている事です。ここで、著者はどの時点で犬小屋の政策が縮小に至ったのかの検証を進めていきますが、これまで言われてきた家宣が将軍に就任した時点ではなく、それ以前から江戸市中の金銭面負担における不満を緩和する為に、大幅に囲い込み政策の規模縮小が図られていた事を見出していきます。此処でも最近顕著になってきた新井白石バッシング(もとい、正徳の治の再検証)が述べられていきますが、やはり無理のある政策であった事は、後世の我々にしても同じ見解に至るところです。更に廃止の余波は、なんと近郊の農家に委託して養育していた犬たちの養育費の返還というとんでもないしっぺ返しを生み出し、その返済が遥か享保の御世にまで至った事を資料から明らかにしていきます。

大きな負担を残した綱吉による生類憐み政策と鷹狩の全面停止から百八十度転換しての、吉宗の鷹狩再開。前述のようにその本意については本書では述べられませんが、治世上の効用については、吉宗時代に限らず、専門家らしく豊富な事例を述べていきます。天皇から大権を委ねられた武門の統治者としての儀礼の一環である鶴の献上と、大名、旗本たちへの振る舞い。儀礼を維持するために払われる鷹役人たちの涙ぐましい努力(鶴、半自然環境で飼い馴らしていたのですね)。鷹場を維持する為に鳥の巣(特に烏)を落として歩く農民たちと、江戸近郊故に鉄砲を持てない農民に代わって、わざわざ農村まで出張って鳥を撃つ鉄砲役人たち。その一方で、新田開発に伴う獣害に悩まされる農民たちの苦悩。生類憐みでも、鷹狩でも、結局のところ最後に大きな負担を強いられるのは、江戸市中の人々であり、近郊に在住する農民たちであった事が明確に述べられていきます。

翻弄される人々の苦悩に対して、ほんの少しの落穂ひろいとして語られる、享保期の犬事情と、享保の時代まで残った犬小屋、更には広大な敷地を誇った中野の犬小屋のその後。やや付け足しの感もありますが、ブラタモリにも通底する中野の今昔物語は、今や中央線随一の街並みを誇る場所となったそのきっかけが、実は広大な犬小屋の跡地にある。その変遷の上に現在の中野の街並みを重ね合わせて考えると、なかなかに興味がそそられるところです。

鷹役人と江戸近郊の地方支配から眺める、江戸時代の動物政策を語る本書は、通史に囚われず、ちょっと切り口を変えて歴史を眺める事で新たな発見を見出すことをテーマとしている本シリーズに相応しい一冊。たかが動物政策と切り捨てる事は出来ない、現代に通じる、当時の江戸近郊の景観を作り出していった根底には、個性的な将軍たちの治世と、翻弄された役人、そして人々がいた事を改めて見つめ直して。

犬と鷹の江戸時代と類書たち本書と併せてお読みいただきたい本。同じ歴史文化ライブラリーから「宮中のシェフ、鶴をさばく」(西村慎太郎)と、「馬と人の江戸時代」(兼平賢治)を。どちらも江戸時代における動物政策、前書は儀礼としての鶴包丁を中心にした公家の家職に纏わる伝承と、大切な収入源としての物語、更には彼らと関わる地下官人たちの姿を、軽快な筆致で実に闊達に描く。もう一冊は、江戸時代の一大馬産地である南部を故郷に持つ著者が、その想いを込めて南部の馬に限らず、江戸時代の馬産業、馬産政策から、飼育環境、農耕、馬具、桜肉…、に至るまでを網羅的に語る一冊。実は馬の物語にも、綱吉、そして吉宗の治世が深くかかわって来る事が冒頭で述べられていきます。本書で描かれる犬と鷹の政策と比較して読んでみるのも良いかと思います。本ページでは、こちらでご紹介しております

いずれも、本シリーズの特色が現れた、読んで楽しく、豊かな知見が広がる本だと思います。

八ヶ岳南麓を桜前線は一気に駆け上がる(2016.4.3)

既に満開を過ぎはじめた東京の桜に比べて、少し遅れて開花が進むここ、八ヶ岳南麓。

それでも、ここ数日来の暖かな陽気に誘われるように、南麓の桜の木々達も春を告げ始めたようです。

神田の大糸桜20160401標高780m、甲斐駒をバックに枝を伸ばす、八ヶ岳南麓ではもっとも遅い開花となる、山梨県指定天然記念物。小淵沢町、神田の大糸桜(2016.4.1)

まだ蕾は硬いまま。開花を迎えるのは今週末頃でしょうか。

城山公園の枝垂桜20160401もう少し標高の高い、800m付近に位置する、甲斐駒と麓の白州の集落を望む山城の址に植えられている枝垂桜。

界隈では最も早く開花を迎えるこちらの桜は、既に花がほころび始めています。

P1060662花びらを開き始めた、小淵沢町、城山公園の枝垂桜(2016.4.1:現在園内は倒木のため、立ち入り禁止ですが、甲斐駒を遠望するこちらの枝垂桜達は、入口の駐車場からじっくりと楽しむ事が出来ます)。

P1060667こちらも山梨県指定の天然記念物、桜並木で有名な清春芸術村の桜もほころび始めています。

P1060668数輪、花びらを開かせている、清春芸術村の桜達。このペースなら今週末には見ごろを迎えそうです。

関の桜20160327豪快な枝ぶりを魅せる、北杜市にある4か所の県指定天然記念物の桜のうちの一つ、白州町横手、関のサクラ(2016.3.27)。複雑に入り組んだ枝の向こうに甲斐駒が見えています。

関のサクラ20160327_2まだ蕾も硬い状態ですが、今週にはそろそろほころび始めるでしょうか。例年の開花は4/10頃です(ご注意andお願い:こちらの桜に向かうアプローチルートは、県道の案内看板を入ると、すれ違い困難な道が続きます。また、桜の木の周囲には駐車できるスペースがありませんので、出来るだけ駐車できる場所に車を置いて、徒歩で向かわれる事をお勧めします)。

熱那神社のヒガンザクラ20160403_1ぐっと標高を下げて、700m目前となる、高根町、熱那神社のヒガンザクラ。既に枝の先の花びらが開き始め、薄紅色に色付き始めています。

熱那神社のヒガンザクラ20160403_2濃い紅色の花をたわわに付ける、ヒガンザクラの古木。静かな集落の鎮守の杜、遥か平安時代末期まで歴史を遡れるというこの神社に植えられた、大好きな一本の桜です。

熱那神社のヒガンザクラ20160403_3古木の桜と、こちらも古い能舞台が残る、熱那神社の境内にて。今週末には満開を迎えそうです。

若神子城跡の桜20160403_1七里岩を更に下って、標高も600mを切ると、桜の花も満開に。

大河ドラマ、真田丸でも触れられた若神子城跡に広がる桜並木。お天気が良ければ、正面に茅ヶ岳の雄姿を望む事が出来るのですが、今にも雨が降りそうな花曇りの今日は雲の中。

若神子城跡の桜20160403_2一斉に花を開かせる、若神子城跡の桜の花々。

わに塚の夜桜20160403_1七里岩を下ってきた足取りは、日暮れを迎えて、更に標高500mを切って韮崎へ。そこかしこで桜の花が満開を迎える中で、甘利山の麓にライトアップされて浮かび上がる一本の桜の木。韮崎市街、武田家発祥の地ともいわれる武田八幡神社の麓に聳える、わに塚の桜です。

わに塚の夜桜20160403_2

わに塚の夜桜20160403_3

わに塚の夜桜20160403_4ほぼ満開を迎えた、韮崎一番の銘木としても有名な、こちらの桜の木。何時もは県道越しに眺めるだけですが、こうして間近で眺めると、巨木らしい迫力が感じられます。すっかり暖かくなった夕暮れ、周囲には多くの見物の方が集まっていました(ライトアップは4/10まで、臨時駐車場が用意されていますので、そちらに駐車しましょう)

わに塚の夜桜20160403_5八ヶ岳の南麓を一気に駆け上がってきた桜前線。ちょっと心配な春の雨を迎えた後、今週末から来週にかけて、南麓北杜市側から、長野県側の八ヶ岳西麓に向けて更に上昇を続けていくようです。