今月の読本「漂流の島」(髙橋大輔 草思社)そこは物語と強い想いが剥き出しの現実と交わる場所

伊豆七島と小笠原の間に忽然と浮かび上がる孤島、鳥島。

アホウドリ繁殖の保護活動で有名な島ですが、絶滅のきっかけとなった入植、そして入植者を襲った噴火、新田次郎の小説でも知られている気象観測員の全員避難といった歴史までは比較的知られていると思います。では、それ以前にはどんな歴史があったのでしょうか。

江戸時代の歴史にお詳しい方ならご存知でしょうし、幕末のジョン万次郎の物語を読まれた方もお分かりかと思いますが、黒潮のど真ん中に浮かぶこの絶海の孤島は、太平洋を航行する船乗りたちが、時に漂流者となって辿り着く島でもありました。

歴史的な史料や書籍は相応にありますが、現在の姿を描いた本はアホウドリ関係の書籍にほぼ限定されており、一般の立ち入りも厳しく制限されているこの島の、しかも江戸時代の漂流者達に興味を持った一人の「探検家」が辿った道筋を自ら描く一冊をご紹介します。

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今月の読本「漂流の島」(髙橋大輔 草思社)です。

まず、このような珍しいテーマの一冊が上梓された事に驚かされると共に、出版までにかなりの紆余曲折があった事をストレートに記されたあとがきを読むと、豊かな出版環境が辛うじて持続している事の大切さを改めて思い起こす所です。著者は「探検家」を称される方で、海外では「ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物の住居跡」を発見した事で知られる人物だそうです(残念ながら私は知りませんでした)。

本書の舞台である鳥島に興味を抱いたのも、その発見と同じルーツを感じたからのようです。今は未知の場所の忘れられてしまった足取り、記憶。探検家として、その足取りを追い求めるのが必然という結論に至った著者は、現状で二つある鳥島への上陸可能性を有するアプローチ、アホウドリの研究者と同行する事、もしくは火山研究者に同行すること、その双方にトライすることで、極めて稀な一般人、それもアホウドリにも火山にも関係ない、一私人(表向きは火山研究者の助手として)としての鳥島への上陸を果たします。

そこは人の上陸すら困難な、依然として植生の回復がままならず、噴火の痕跡が島一面を覆う、剥き出しの自然が牙をむく場所。研究者、そしてその研究を助ける人々が、何時噴火するとも判らない、比較的海が平穏な状態でも接岸は困難で、戻れる日程すらままならないという厳しい状態で島と向き合っている場所(ゴムボードに乗り換えて、既に放棄された昔の着岸場所跡に乗りつける以外、上陸手段はない)。それでもいま保護しなければ後がないアホウドリの保護のため、ここでしか取れない貴重な活動中のデータが得られる火山の研究の為、その後戻りできない現実と向き合う最前線に研究者たちは赴いていきます。

その昔、繰り返し多くの漂流者たちが辿り着いた時の絶望感とは全く異なるかとは思いますが、それでも、明治期のアホウドリの羽毛収奪から噴火による全滅、戦中の守備隊、そして噴火の予兆を前に脱出を迫られた気象観測員たち、更には現在の研究者たちと、この島に至った人々は、ある意味常に切羽詰まった、限界の状況で渡ってきたことが見えてきます。

その中で著者が特に惹かれていく江戸時代の漂流者達。そして彼らが生活したであろう痕跡、洞窟跡へと興味は収斂し、その痕跡を史料から、そして現地で探し求める事になります。既に2度の大きな噴火で江戸時代とは大きく地形が変化し、過去の痕跡は溶岩の下。同行者達、そして関係者からその存在に否定を受ける度に、自らの目で確かめるまでは諦めないと渡島し、戦中の防空壕と謂われた場所に興味を絞り込んだ著者は、鳥島から戻った後もその確証を得るため、そして再度の「探検」を目指した活動を続けます。

その結論は本書をお読みいただきたいと思いますが、諦めきれずに連絡を取った後で著者に送られてきた、巻末に述べられる、最初に鳥島への道を開いてくれたアホウドリ研究者の方が伝えた回答メールに端的に示されていると思います。

鳥島探訪までの道程、その後の結末について自らの想いをストレートに克明に述べられた記録。一方で、著者の原体験でもある、物語としての「ロビンソン漂流記」への想いを現実に結びつけた、探検への想いそのままに、明治以降、そして戦後も何作にも渡って描かれた漂流者の物語と自らの探検への想いを重ねて、漂流者達の記録と自らの渡島経験を照らし合わせ、想いを募らせる程、探検の意義を語るほど、その筆致はリアルに描かれた鳥島の現実から徐々に離れていってしまいます。

絶望の中で希望を持ち続け、一人孤独に、時に仲間と共にその道筋を切り開き、戻る事が叶わなかった人々の思いを抱いて帰還を果たした漂流者達の道程に、少し嬉しそうに、まるでみずからの探検家としての想いを載せるように描かれる漂流者達の物語。帰還した後に歴史の中に忘れられていく漂流者達のように、あるいは今の探検家としての存在のように、着地点を得られないまま、その物語は著者の溢れる想いとは裏腹に、波間へゆっくりと沈んでいくかのようです。

著者が想い、奇しくも足を踏み入れた場所、そこは今でも剥き出しの現実と向き合い続ける場所。探検という名の物語の一ページとして語るには、未だ余りにも生々しい場所なのかもしれません。

貴重な鳥島探訪記として、鳥島の歴史ガイダンスとして、そして特異な切り口で描かれる江戸時代の漂流者の物語として、あるいは探検家の発露としての物語として。その道筋の先は大洋から打ち寄せる波濤のように四散してしまったようですが、想いを綴る物語は今もその島に寄り添っているようです。

版元さんの紹介記事はこちらで読む事が出来ます。

本書の巻末で語られる、著者が一縷の望みを繋ぐかのようなタイミングで取材協力を申し出ていた、NHKのドキュメンタリー制作スタッフ。その企画が著者の手を離れた後に完成した番組が今年の7月に放映されました。

著者との関わりについては一切述べられていないとの事ですし、番組をご覧になった方に伺った限りでは、上陸後は殆どアホウドリの事しか述べられなかったとの事。

こちらにありますように、JAMSTECが番組制作協力を行っていますが、「漂流」する事を追体験することと、「漂流生活」を遺跡、探検として扱う事を完全に分ける事で番組を成立させたようです。

著者はこの番組に対して、別段のコメントを残されていないようですが、本書をお読みになった方は、どのように感じられたでしょうか(2016.8.27追記)

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