「夏の扉」開く(八ヶ岳西麓の夏景色と向日葵畑を)2016.7.31

例年より長い梅雨空の日々が続いた八ヶ岳の麓。

8月の声を聞く直前になって、漸く梅雨明けのニュースが流れましたが、夏らしい空が訪れたのは漸く金曜日になってから。

部屋に籠って内職に励んでいた週末の午後、余りに暑い部屋から燻り出されるように外に出ると、一面の夏空が広がっていました。

夏空の八ヶ岳圃場を抜ける風も心地よい、夏空と八ヶ岳。

夏空の甲斐駒青々とした圃場の向こうに広がる夏空と南アルプスの山並み。

稲穂と稲の花圃場にしゃがみ込むと、早くも稲の花がほころび始めていました。

稲の花雄蕊を開かせている稲の花。

上手く実を結んでくれれば、あと2ヶ月ばかりで嬉しい稲穂の実りとなる筈です。

P1070965編笠山に登る道沿い。

濃い緑に囲まれた木陰が心地よい、午後のひと時。

向日葵畑1八ヶ岳の麓を西に進んでいくと、圃場のそこかしこに向日葵畑が見えてきます。

甲斐駒と入笠山の谷筋を望む、向日葵畑。

向日葵畑2東に向かって顔を揃える向日葵の花たち(従って、八ヶ岳にはそっぽを向かれてしまいます…涙)。

向日葵畑3じりじりと照りつける午後の陽射し、でも高原の爽やかな風がそんな陽射しの暑さを和らげてくれます。

緑の圃場向日葵畑の横に広がる、緑の圃場。稲にとっても嬉しい夏の陽射し。

トウモロコシ畑と八ヶ岳1育ちざかりのトウモロコシの苗が一面に広がる圃場越しに、八ヶ岳を。

山の装いも盛夏を思わせます。

立沢の向日葵畑1八ヶ岳の懐を一気に登って、標高1100m。エコーライン沿いに、一面に向日葵畑が広がるエリアが今年も出来上がりました。

立沢の向日葵畑2夏の午後らしい、雲がいっぱいに浮かぶ南アルプス、甲斐駒を望む向日葵畑。気持ち良い風が吹いています。

立沢の向日葵畑3圃場の周囲には、点々と向日葵が植えられています。こちらの畑の向日葵たちも東の空がお好きなようで…。立派な夏の雲が畑の向こうに浮かんでいます。

立沢の向日葵畑4エコーライン沿いにずらりと並ぶ向日葵たち。

明野の向日葵畑と比較するものではありませんが、整然と並ぶ大きな向日葵の花は圧巻でもあります。

立沢の向日葵畑5では、八ヶ岳と向日葵のコラボレーションを、素敵な夏の午後の一頁。

トウモロコシ畑と八ヶ岳2すっかり背が高くなって八ヶ岳を覆い被せる程に育ったトウモロコシ。こちらの畑では既に花を付けています。収穫が楽しみな夏の畑。

入笠山と乳牛トウモロコシ畑を振り返った牛舎の前、午後の陽射しをいっぱいに浴びる入笠山をバックに、じっと傾いていく西日を眺めつづける牛。

盛夏の八ヶ岳連峰夕暮れ。圃場の向こうに広がる八ヶ岳の峰々を。

この夏初めて、夕立もやって来ない、安定した夏空に恵まれました。

夕暮れの夏空八ヶ岳西麓の盛夏は僅かにお盆頃までの数週間。

山の木々も、圃場の作物たちも、短い高原の夏の陽射しを精いっぱいに受けて育っていきます。

 

広告
今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)「高等遊民」を生み出した社会制度としての大学と学制への視点

今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)「高等遊民」を生み出した社会制度としての大学と学制への視点

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館さんの「歴史文化ライブラリー」。

気に入った内容の新刊が出るときには、発売早々に調達に奔走するのですが(田舎なので色々と)、積読中の書籍を読み終えてから漸く手に入れた今回。事前の刊行案内から興味津々だったので、取り急ぎ読み始めてみると、昨今のあらゆる状況が見事に反映されてるその内容に引き込まれて一気に読んでしまった次第。今回は、そんな近代史から現在を見通す様な視点に溢れる興味深い一冊のご紹介です。

近代日本の就職難物語今月の読本「近代日本の就職難物語」(町田祐一 吉川弘文館)です。

本書は著者の博士論文に繋がる著作である、同社から以前に刊行された「近代日本と「高等遊民」」(版元絶版)を下敷きに、主に高等教育を受けた学生たちの就職問題をピックアップして取り上げた一冊。内容自体は戦前の大学教育修了者と就職活動という近代史に基づく著述を採っていますが、その筆致には著者の現職(大学教養課程の助教)における大学生の就職活動に対する所感が色濃く反映されています。

副題にもある「高等遊民」というある種の魅惑を含むような言葉の意味通りの、高学歴を誇りながら定職にも就かず、社会から一線を引いて茫洋として生きていく世捨て人達を扱ったような本にも見えますが、そんなものは一握り、しかも資力を許す余程初期の学生に限られるとしていきます(夏目漱石の著作に多く現れてきますね)。自らの意志で「高等遊民」を目指した極僅かな特異者ではなく、そうならざるを得なかった事情を読み解いていくのが本書の狙い。普通に考えれば、経済状況の変遷に基づく就職難発生と緩和の趨勢が繰り広げられると思われますが、著者は更にもう一段上の視点を見出していきます。

近代日本に於いて制定された高等教育の「学制」そのものの発祥とその変遷。

さまざまな大学が創設の理念であったり、学生に求める資質であったりという建学側の理想があるのは尤もですが、著者が着目する点は社会的要請とそれに基づく「社会制度」としての学制と、その制度を経て社会に出ていく学生たちのマッチングにおいて生じる問題。

そもそも帝国大学を創設した最大の眼目は、高等官吏の養成であった事は良く知られている事です。官吏養成機関、更には官吏養成者を養成し、下級の教育機関が必要とする人材を送り出すための機関としての帝国大学の卒業生に求められる進路は、もちろん官職や教職へ就く事だった筈です。校数や定員、更には下級学校との配置を含めて需要と供給のマッチングが取られた、政府へ人材を送り出すためのシステムとしての学制。しかしながら私学を含む専門学校が大学へと制度変更され、社会に近代的な企業が勃興してくると、本来の制度設計と異なる状況が生まれてくることになります。

家族や地域、その他多くの期待を受けて、全国から集まってくる俊英たちの受け皿としての高等教育機関、大学。近代社会の発展と日本の工業化の進展により、それらの専門分野を有する学生は官吏だけでなく企業側の需要も伸びて来る事で、送り出す側の大学学部と企業、政府機関それぞれが足並みを揃えて、好景気の時には抜け駆けしてでも優秀な人材の確保を求めていきます。一方で官吏、教員の充足を当初の設置目的とした学科では、供給が需要を常に上回る傾向が続く一方、既存の権益の延長による学科、定員増設の機会において、素よりあったそれらの学科の定員も同様に増やされる事により、更なる供給過多の状態が生み出された事を、当時の政治状況を俯瞰しながら指摘してきます。

つい最近でも大きな問題となった法科偏重による著しい弊害の発生、そして文系学科の就職困難の事情。これらが既に大学制度創設当時から内包していた事に驚かされると共に、昨今議論となっている大学の「専門学校化」と戦前の就職事情への対処を重ねると、既に戦前から議論が続いていて、当時において原因までも明確に把握されていた事を指摘する著者の筆致に戦慄すら覚えます。

当初から社会への入口としての制度設計の意味合いを持たされていた日本の学制。好況期にはそれでも需要が供給を上回る為に問題点が浮上しづらいのですが、一度不況期に入ると経済活動を生命線とする企業は敏感に人員計画を見直す必要が生じるため、まずはその入り口である高等教育を受けた人々の受け入れを絞り込む事になります。不安定な就職状況に陥った際に効力を発揮するもの、それこそが閨閥であり人脈、所謂伝手と縁故の力が背後に浮き上がって来る事になります。近代的な高等教育と制度設計を設けたとしても、やはり最後は人と人の関係が最も重要。状況が厳しくなれば尚更です。

では、そのような伝手を辿れない学生たちを支援するのが大学の就職課や就職あっせんを行う機関。強力な就職指導や産業界とのコネクションのチャンネルを積極的に開拓していく大学の就職担当部署の成立と、時にはコネで押し込めたり、就職に関して殊の外強い教授が学生に人気が出るのは今も昔も何ら変わらないようです。では、それらの救いの手も功を奏しない場合はどうなるのでしょうか。

本書は現在の事情にはほとんど言及しませんが、読まれた方が予想される通りのシナリオを勧められることになります。起業、地方就職、そして挫折を現すことになる帰郷…。周囲の期待を浴びつつ、不断の努力を払い、漸くの想いで手に入れた階段の先に観た絶望的な現実。ここまでの著述であれば、ああそうやって現実に絶望した学生たちの成れの果てとして「高等遊民」が生まれたのですねと、早合点してしまいそうですが、さに非ず。

確かに望まぬ職に就く事を潔しとせず、「避難所」として大学院に籍を置き、状況の改善をじっと待ちながら研鑽を続け本望を遂げる人。時には怠惰に流されつつも、文筆等の分野に活路を見出す方もいたようですが、現在と違いそのような恵まれた境遇を踏めた方はほんの僅か。著者の着目点は更にもう一段別の側面へと進んでいきます。そもそも将来的に政府の一員として国家運営に資する人物を養成するのが日本の高等教育の起源。その能力と資質を持ちながら、社会に組み込まれる余地を失った人々が向かう先は何処でしょうか。そう、彼らが社会を不安定化させる事を危惧する指摘が早くも日露戦争後の不況期には現れていた事を見出していきます。

繰り返し述べるように、著者は本文中で何ら現在の事情を指摘するところはありませんが、この着眼点が過去の話でななく、今、目の前に現実として現れているという点は、もはや改めて指摘するまでもない筈です(日本のみならず)。

その上で、大学自体も社会を構成する一員として決して遊離したものではなく、その入り口として(ここでは新卒偏重主義の議論はしませんが)の役割と、それを制度として担保する「学制」というロジック。その枠組を経る事でしか社会に出る事を許されない、現代の日本の学生たちに対して、大学というシステムが何を成せるのか、近代史の史実を読み解きながら研究者として思いを巡らす著者の想い。

丁寧な筆致のうちに、経済状態回復のみを当てにしてその手当をおろそかにし続ければ、社会不安の種を播く結果となってしまうという想いすら織り込んで、実際に学生を社会に送り出す立場として、歴史学から指摘する本書。

時に研究成果やテーマとかい離して、社会的な問題点を指弾し、それを顕現させるかのように研究史観を掘り下げ続ける著述に残念な想いをする事がある中で、決してそのような指摘を無理にせずとも、自らの所属する社会性に立脚しながらも、歴史的な事象から現代に通じる課題を読み解く事が出来る事を見せてくれた本書の筆致に深く感心した次第です。

良くも悪くも、近代化の特質とその中で連綿と続いてきたと著者が述べる、大学と社会の関係。その関係が社会への入口として今も機能している以上、採用する側の工夫や大学自体の努力と共に、志望する学生が入学する前の段階から、その先をしっかり見据えられる「学制」が求められているのかもしれません。

「高等遊民」は決して求め、求められて、生じるものではない筈なのですから。

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。

梅雨もそろそろ終盤戦(2016.7.3)

遅れていた台風1号も発生して、いよいよ夏が間近に迫ってきた感のある、今日この頃。

P1070876光あふれる朝の圃場は、清々しさを感じさせます(7/1)

鳳凰三山を始めとする南アルプスの山並みは、すっかり夏の装いです。

P1070892そうはいっても、まだ梅雨の最中。昼間のお天気も不安定で、時折、通り雨がやって来る空は、この時期ならではの複雑な雲の流れを魅せてくれます。

P1070899山際に口をあけた雲の向こうに、燃えるように広がる夕日を望んで(7/3)

P1070881夕暮れの諏訪湖。

複雑に重なり合う雲の向こう、びっしりと雲の張り付いた塩嶺の向こうに、長く伸びる夕日が沈んでいきます(7/2)

夜には、夏の訪れを告げる花火が打ち上がる諏訪湖。そろそろ夏へのカウントダウンが始まったようです。

今月の読本「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)生物学が社会学へと繋ぐ、生態系サービスという名の架け橋は

今月の読本「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)生物学が社会学へと繋ぐ、生態系サービスという名の架け橋は

今年もこのシーズンがやって来ました。

近頃では年間を通して話題に上る事もありますが、やはりピークは盛夏のひと時。庶民の贅沢、夏の滋養の源としてもてはやされたのは既に昔、今や自然環境保護のシンボルに掲げられるようになったその魚が、一時に大量に流通する土用の鰻のシーズンです。

食として、漁獲や養殖として、更には生態の神秘について昨今色々と語られていますが、本書はその先へのアプローチを求めて上梓された一冊のようです。

ウナギの保全生態学今月の読本、「ウナギの保全生態学」(海部健三 共立出版)のご紹介です。

この耳慣れない「保全生態学」という言葉。はじめににもあるように、分量の割には決して安価とは言えない、しかも版元さん故もあって専門書のコーナーに置かれるであろう本書を手に取られる方にとっては、本書の1,2章で述べられる、ウナギの生態や巷間で喧伝される事柄については既にご承知かと思います。ウナギの生態と生息環境についての問題点、そして経済活動上の問題や課題をコンパクトに判りやすくまとめていますので、これらの問題点について理解するための取っ掛りとしても充分有用な一冊です(お値段が許せば)。

その上で本書のキーワードとなる保全生態学という言葉、昨今随分増えてきた、何でも詰め込めば良いと言わんばかりの表記に時に首を傾げてしまう、大学の新たな学科名の一形態にも思えてしまいますが、実際はどうなのでしょうか。

表紙にわざわざコーディネーターとして名前を連ねられている、著者の研究上の指導者である鷲谷いづみ氏が寄稿した巻末辞をご覧頂ければそのアプローチが判るかと思います。生物学がそのフィールドを広げて、広くその生息環境、更には生息環境に関与する社会的な構成にまで議論を広げていくために用いられる、幅広い領域をカバーする名称としての保全生態学。その象徴として、資源的にも有用かつ貴重であり、海と川を行き交い、魚類としては極めて長命を誇るこの奇妙な魚が最も相応しいと感じた著者の想いが述べられていきます。

アリストテレスを持ち出すまでもなく、このようなアプローチを突き詰めていくと最後は哲学に行き着くのは、もはや必然ではありますが、保全生態学はまだもう数歩手前、生物学がそのフィールドを研究室の水槽やフィールドでの調査活動からもう一歩進んで、社会的な価値やインパクトを与える事が出来るのかという道程を模索しているようにも思えます。その中で著者が用いるのが「生態系サービス」という聴き慣れない言葉。環境、経済に対して影響する区分を表を用いてその構成要素を示していますが、ちょっと首を傾げてしまうかもしれません。

人文社会学へのアプローチとして生物学側から提示された枠組み(フレームワーク)なのだと思いますし、その範疇が広く社会全般をカバーしている事はよく判ります。また、その象徴として声なきウナギを掲げる点は理念としては理解できます。一方で、主にサービスの受益者として、その枠組みの観察者として登場する生物学に対して、同じフィールドを経済活動として実際にサービスを供与すべき側に立つであろう水産学から見たとすれば、その捉え方はちょっと外的目線かつ、社会活動的側面が強く出ている気もします(これは理学と工学の分野でも同じことが言われています)。

そのような感覚を最も強く感じたのが、少ないページ数(本文140頁、参考文献を除けば130頁弱)の中で1割を費やして述べる、漁業法第127条(義務放流)に言及する部分。生態学の研究者の方々の多くが、漁獲制限を含む経済的な側面を指摘して(更には水産学に対して)統計的な資源量の調査の不備を指摘される度に引っ掛かる点でもあるのですが、一方で職漁者(特に内水面)にとっては、農業従事者が農地を所有し、里山を入会として管理しているのと同様に、職漁の場もまた同じであるという点が欠落しているように思えるのです。占有面である農場や圃場に対して公害抑止の観点で議論が求められる場合はありますが、それ以外の農耕や収穫に対して第三者の議論が持ち込まれる事はあまりないかと思います(本書では圃場整備による流路の固定化について言及していますが)。一方で、水面に対して完全な占有所有権を設定できず、川や海などが多くの場合、共用すべき空間、資源として認識されているが故に、一方的な漁獲が許されず、持続可能性が求められるが故にこのような条文が用意されており、逆に言えば、職漁者にとっては自らの漁獲の補償の範囲内の責任を有するに過ぎないとも捉えられます(減反やTPPのお話は別としたいですが、ことウナギに関しては、当事者から見れは同じように映る点があるのかもしれません)。

農業者にとっては自らの収穫や自らが所属する社会性の範疇における責任を有するのに対して、職漁者だけが自らの漁獲に対する弁済と規制のみならず、遥かに広範囲な責任を、自らが所属する社会性の外に対してまで負わなければいけないのであれば、その生物学からのアプローチは少々厳しすぎるようにも見受けられます。このような着目点において、職漁者自らが自然遡上を促したり、漁獲削減を含む活動を起こす例も既に出てきており、海洋水産物に関しては行政によるより強力な、資源調査や補償を含む禁漁等の資源回復策が試みられています(その活動には水産学系だけではなく、生物学系の研究者の方が多数協力されているのも事実です)。

その中で、著者が自然の生態を遡る事は既に困難になっていると評するように、コンクリート固めの養殖池然と化してしまった各地の湖沼や河川に於いてこれらの実現を図るためにどうすればよいのか。著者は保全生態学が望むテーマに則り、持続可能な社会の追及を標榜し、市民、そして国際的なステークスホルダーによる協業や意思の集約といったスケールの大きな議論に進む事を望んでいるようですが、その中に河川の水産資源を日々の生業として生きている方々の影があまり見えてこない点に、幾ばくかの違和感を感じながら。

その一生の多くの時間を淡水の影響を受ける水域で過ごすことが求められるが故に、極めて馴染み深い魚種故に環境変化の象徴として捉えられるようになりつつあるウナギ。一方で研究者にとっては、そのヌルヌルとした体のように捉える事を容易に許さず、分らないことだらけ故に、もしかしたら細分化の極限に行こうとする生態学的、分類学的な研究の狭路から、生物学の研究者自らが抜け出すための道筋を描き出そうとしている一冊なのかもしれません。

夕暮れの諏訪湖とシジミの放流実験看板時に「養殖池」とも揶揄される諏訪湖で実施されている、人工砂洲でのヤマトシジミの放流実験湖畔にて。

シジミを始め、江戸時代以降、繰り返し続けられてきた、各地から移植された魚介類によって漁撈が成り立っている諏訪湖。同じく移植されてきたワカサギの採卵事業は、今や日本中の湖沼におけるワカサギ供給の中核を担うようになっています。

この湖にも以前はウナギが遡上しており、対岸の岡谷市は今でもウナギを始め淡水漁獲物料理を名物としていますが、ウナギは完全に養殖頼り。それでも、職漁者や養殖業者が、これらのサイクルの最先端にある事で成り立っている事実を忘れないために。

<おまけ>

本ページでご紹介している関連する書籍を。