雪景色となった八ヶ岳山麓の午後(2017.1.9)

季節外れの雪が降った11月末以来、随分ご無沙汰振りで本格的な降雪となった日曜日の晩。

朝になって雪は小康状態となり、気温が高かったこともあって、午後になると除雪の済んだ道路はドライに。車での移動には問題ない状態となりました。

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すっかり晴れ渡った空が広がる、八ヶ岳の麓。

高い空には、まだ薄く雲が残る、ちょっと安定しない八ヶ岳ブルー。

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かみ雪らしく、写真で右側となる南麓側の斜面が真っ白になっています。

p1090338振り返って南アルプスの山並みを望みます。まだ甲斐駒の上空には雪雲が残っているようです。

遠くに富士山を望む、穏やかな雪晴れとなった午後のひと時。

p1090341それではと、山に入るとやはり空は雲に覆われてしまいます。

谷筋から雲が湧きあがってくる、奥蓼科、御射鹿池。

結氷が進む湖畔は、ひっそりと静かです。

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雪化粧をした御射鹿池。

暖かいとはいえ、夕暮れの気温は0℃。静かな湖畔に佇むと、ひんやりとした風が湖面を伝ってきます。

本格的な冬景色になった八ヶ岳の麓、そろそろ一年で最も寒いシーズンの到来です。

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シカとの衝突が怖いシーズンに、効果はさておき車用「鹿笛(シカ避け笛・動物よけ警笛)」を買ってみる

シカとの衝突が怖いシーズンに、効果はさておき車用「鹿笛(シカ避け笛・動物よけ警笛)」を買ってみる

各地で被害の報告が聞こえてくる、鹿と鉄道や自動車との衝突事故。私が住む八ヶ岳山麓でも決して珍しい事ではありません。

昨年末には、特急あずさが一本の列車で2回続けて3頭と立て続けに衝突するという、ちょっと笑えないお話が出ていましたし、秋から冬にかけて、当地でも列車との衝突により遅延が生じるのは日常茶飯事です(鹿と衝突した場合は「動物」、それ以外との衝突の場合は「小動物」と呼称するのはちょっと笑ってしまいます)。

そんな事故が絶えないシカとの衝突、私自体も雪道で一旦停車した後にシカの親子を避けた際に、子供を守ろうとした親に逆に突っかけられて、車(パジェロミニ)のフェンダーをヘッドライトごと凹まされた(時速10km/h位でもがっつり凹みます)苦い思い出があるため、このシーズンは特に気を使うところです。特に、法定速度で走っていて衝突した場合は全損どころか、こちらも鞭打ち等のダメージを食らう可能性があります(何人も知っています)。

そんな訳で、シカ対策には特に敏感なのですが、各地で行われている色々な対策には非常に強い興味を持ってみています。

最新の対策例、柵と柵の間に敢えて通過可能な「踏切」を用意して、列車が通過する時間帯だけ超音波の発信器を発音させて、警報機宜しく横断を防止する例(近鉄)。

シカがレールを舐める行為に着目して作られた、シカの誘引剤を線路わきから離れた場所に逆に設置する例(JR東海)。

もう諦めて、ぶつかる前提でバンパーを付けてしまう例も(JR東海)。JR北海道のように、車両に搭載する警笛自体を高周波成分を含む「鹿笛」に置き換え、増設している例もあります。

一方、自動車の方はこれといった対策もなく、とにかく逃げるか柵が設置される事を待ちわびるくらいしか無かったのですが、より大型の為に深刻なダメージを受ける可能性のあるエゾジカとの衝突が問題となっている北海道では別の対策が取られているようです。

 

鹿避け笛(鹿笛、シカ笛)と呼ぶそうですが、実際にどんなものでどんな効果を期待しているのでしょうか。

地元のカー用品店に行った際にたまたま見かけたので、無駄遣い前提で買ってみました。

シカ避け笛パッケージ

ちょっとインフレ気味に動物なら何でも効く「動物よけ警笛」と書かれていますが、これは明らかに過剰表記かも。

陰になってしまいましたが、パッケージ下に書かれているようにオーストリア製です。

しかも、実証実験済とありますが、果たして…。

シカ避け笛パッケージ中身

こちらがパッケージの中身。2個の笛とフロントグリルに取り付けるステー、ステーから取り外す(洗車の際には取り外すように指示が書かれています)為のキーが入っています。

取り付け方法などは丁寧な説明が付いてます。相対速度が時速50km/h以上で発音し、約400m前方まで伝わると書かれてます。

ステッカーは、まあお気に召せばどうぞという事で。

シカ避け笛解説書

パッケージの裏面。うーん、何だか判りませんね。

 

シカ避け笛の貫通穴部分

実際に笛の中のホーンの部分を見た画像です。

スリットの下が空いている(右)と空いていない(左)のパターンがある事が判ります。同じような製品が輸入品含めて3種類程ありますが、いずれも2つの笛がセットになっている点と、スリットが貫通、非貫通のセットである事は同じようです。従って、原理的には既に知られている手法を採用していると思われます。

では、その実験というのがどのような事なのでしょうか。気になったので輸入代理店の紹介ページを覗いてみました。

記事をご覧頂ければ判りますように、実験内容(動物園にいるエゾジカに各種の音を聞かせた時の反応に於いて、特定の周波数帯域の音に反応して挙動を停止する例がある)と、本商品との使用状態(実際の走行中にこの笛から発生する音にシカが反応するか)、特に本商品が発生する音と、実験に用いられた音源には全く関連性がない訳で(スペクトル観てみたいですが)、これで実証済みと謂われるのは正しくない事になりますね。しかも大学生の卒研ですから、当分は特許や論文等で出て来る事もなさそうです。

一方で、前述のように同じ形態の商品が複数あるという事は、何らかの元になる考え方があったはず。こちらも調べてみたいのですが、ちょっと時間が掛かりそうです。

そんな訳で、眉唾一杯、気休め程度の商品ですが、2000円程度とまあ、遊んでみてもいいかなというくらいの気持ちで取り付けてみようと思います。何せ、この手の商品は意識付けとしての「御守」役割が第一ですから。

シカ避け笛、シカ笛、鹿笛

シカ避け笛取り付けイメージ

実際の取り付け画像はこちらです。

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

今月の読本(特別編)最後という名の未来を願った名著「職漁師伝」を経て、その一冊は今に続く姿を刻み込み文庫へと『溪語り・山語り』(戸門秀雄 山と溪谷社)

本ページでもご紹介している、今やほとんど失われてしまった、川をその生業とする人々の語る物語を、同じく川をフィールドとする釣り人のとして、同じ視線で、同じ河畔、溪に共に佇みながら、丹念に聞き取っていった記録と貴重な写真で綴った一冊「職漁師伝」(農山漁村文化協会(農文協))。その原点ともなった、当時の雑誌連載記事を一冊に纏めた書籍がありました。

著者が多くの原稿を出稿されていた山と溪谷社から丁度平成と年号が改まった後、バブル崩壊の足音が忍び寄ってきた平成二年(1990年)に刊行された『溪語り・山語り』(戸門秀雄)が、遂に新生ヤマケイを打ち立てる起点となったヤマケイ文庫に収蔵される事になりました。

編集者の方もこのように推されている一冊。山に纏わる物語や、山村、そして川、渓流釣りに関する書籍は数多ありますが、実際に一緒に溪を歩きながら、更には山の中に掛けられた小屋での語り合いを記録された物語は、民俗学を掲げる方々が一瞬で霞んでしまう程の、山で、川で暮らす人々が工夫を凝らした道具に対する知見と豊かな説話を積み重ねており、ニュートラルな筆致と併せて、他に追従を許さない独特の著述感「日本の溪と山を語る」世界を築き上げています。

本書が更に嬉しい点は、「職漁師伝」では表題の関係上割愛された、広範な川と山に関わりながら生きる人々の物語が語られる点。上田の伝承毛鉤に相木村の計算漁、伊那谷の虫踏み、そして井伏鱒二と下部の床屋さんの物語。一度聞いてみたかった、地元に残る川の物語が続々と描かれていて、多少なりとも地理感のある方であれば、活字を追うだけで、その風景が浮かび上がって来るようです。

更には、尾瀬の風物詩となった背負子さん発祥の物語に、カーボン竿を敢えて手中にする竿師・正勇作氏の苦闘、そして今最も話題となっている熊たちと山の人々の物語。山と川に纏わる実に広範な物語が描かれていきます。

このように書くと、30年近く前に刊行された本を通して、単にノスタルジーに浸るための一冊にも見えてしまいますが、著者の筆致の素晴らしい点は、ノスタルジーに留まらず、その先への想いを込めて、実情を述べていく点。著者が最も気に掛け続けている、最初に取り上げられる雑魚川と広範な奥志賀の山中で活躍した、往年の職漁師の系譜を継ぐ人々が先頭を走る渓流保護の実情や、魚止めの滝の上に住まうイワナ、そして山女と名のつく山村の川で交じり合うヤマメとアマゴ。会津も更に奥地の檜枝岐、そこらか更に渓流の奥深くに構えた山椒魚獲りの燻製小屋にまで大学の研究者と呼ばれる方々が押し掛けて大量の山椒魚の燻製を入手していく(発育不良の治療薬になるらしい)という、山里の物語が、最先端の話題にも繋がる事を示していきます。

そのスタンスは文庫化に当たっても貫かれ、全15本のテーマで語られる全てのお話について、数行ずつとはいえ最新の動向を載せいています。その中で、漁の規模が小さくなったり人が入れ替わりつつも、殆どのテーマに於いて30年近くを経た今でも、人々と山と川との関わり合いが続いている事を確認していく点は、本書が正に今に繋がる一冊である事を雄弁に語るかのようです。

山と川の流れがある限り、人がその場から去らない限りきっと続いていく物語の、失われようとする一面と、今もしっかりと息づいていることを再確認させてくれる本書、もし少しでも山や川に思い出がある方であれば、きっと楽しく、そしてちょっと懐かしくもその姿に、彼らの生き様に、今に力強く生き続けている物語に励まされる一冊かもしれません。

溪語り・山語りと職漁師伝

<おまけ>

本ページより関連する書籍のご紹介。

今月の読本「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)通史を描きたいという願いと相克する書名の行方

今月の読本「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)通史を描きたいという願いと相克する書名の行方

2016年は初の年末商戦と称して、例年以上に多くの新刊が年末ぎりぎりまで送り出され、特に雑誌については31日発売で配本が行われているという話がある一方、これまで不振が叫ばれながらも長らく本屋さんの売り上げを下支えしていた雑誌が遂に書籍の売り上げを下回るという、衝撃のニュースが流れてきた年末。

本書もそんな本屋さんにとっての年末商戦に合わせてでしょうか、年の暮れになって地元の本屋さんに入ってきた一冊。そして、2016年最後の読書となった一冊です。

歴史関係書籍では吉川弘文館、そして山川出版に続く刊行ペースを維持しつつも、歴史に限らず独自の視点を掲げたテーマの作品を送り出している戎光祥出版さんの最新刊よりご紹介です。

三浦道寸今月の読本、年末最後の一冊から「中世武士選書36 三浦道寸」(真鍋淳哉 戎光祥出版)です。

著者にとっては実質的に初の一般向け単著でかつ、独りの武将の活躍を扱った本としては珍しいテーマ。しかしながら、冒頭や巻末、更には本文を読んでいくとある点に気が付きます。2015年の春に刊行された、吉川弘文館のシリーズ叢書、歴史文化ライブラリーの通巻400冊目として送り出された「三浦一族の中世」(高橋秀樹)と同じベースでの著述ではないかと思わせる点です。

それもそのはず、双方の著者は同じく横須賀市の歴史編纂事業に携わっており、あとがきにもあるように、著者の研究に対する先駆的な役割を果たしているのが前述の著者(文科省の教科書調査官が本職)であることを明確に記しています。そのためでしょうか、著者も繰り返し郷土史や郷土に所縁のある人物としての三浦氏、道寸としての著述を否定的に捉え、全体の歴史感、少なくとも東国の歴史における位置付けで描く事を明白に表明しています。その結果、本書は三浦道寸を表題に掲げていますが、実際に道寸自身が登場するのはページの半ばを迎えた後、更には終章として前述の書籍と同じような体裁で「三浦介」の後世における伝説的な扱いを紹介する事に頁を費やしているため、実質的に道寸自身の活躍を記す部分は全体の4割程度に過ぎません(全275頁中、120頁ほど)。残り半分は三浦氏の発祥から戦国初頭の三浦氏へと繋がる系譜を、東国の政治状況の推移から著述することに注力しており、その体裁は前述の書籍とほぼ同じく、通史を描くために三浦氏を足掛かりにしているに過ぎないようにも見受けられてしまい、表題が蔑にされる結果となっています(2冊を併せて読むと、通史としての不足部分が充当されると云えば少々皮肉でしょうか)。

帯に書かれるような、室町後期から戦国の冒頭に当たる、混乱する東国に登場して、北条早雲(本書では一貫して伊勢宗瑞を使います)との死闘の末に潰える相模武士最後の系譜を継ぐ存在としての道寸の物語を期待された方は、少々肩透かしを食らってしまうかもしれませんし、中世東国の政治状況に練達された方であれば、本書の前半分は少々三浦氏側の視点を加えていながらも、(三浦氏自体が南北朝期において既に中世東国の政治状況を左右する存在ではなかった点からも)既知のことかもしれません。

それでも著者が通史としての著述に拘る点、それは三浦氏の特異性がその視点を外すことを許さないからかと思われます。武士の都であった東国、鎌倉。その鎌倉から指呼に位置し、海路が開き、陸路からは複数のルートから至るに難しい半島という特異な地形。それ故に、相模、特に鎌倉に事が起きる度に抑えとして、更には次に送り込む戦力の兵站地として常に見做されてきた三浦半島に有する三浦氏と一族の戦力。そして、遥か昔の頼朝が鎌倉を目指す前から「三浦介」という国衙を扼する職制を自称する伝統に彩られた「家職」としての揺るぎない誇り。家名を2度も落としながら、各地に点在していた地頭所領を失い、三浦半島のそれこそ南端に押し込められていたように見えても、逆に国人領主の萌芽を見せるような一円支配の実現。更には海を挟んで房総や伊豆七島の末端にまで影響力を行使していたという、領主制としての先進性すら有していた三浦一族の独自の活動形態を浮かび上がらせるためには、歴史的な三浦氏の位置づけを、少なくとも東国の中世史の中に描く(量の過多は別として)事が、どうしても必要だったようです。

鎌倉開府以前まで遡り、同じ介を名乗る上総、千葉に匹敵する東国の名門でありながら、三浦半島の末端に僅かに所領を維持し、政治的にも軍事的にも既に守護であった事や「大介」としての名称すら実力に伴わない(時に兵力の不足を述べ出兵を拒み、五十子陣から引き揚げてしまう三浦時高の手勢が僅かに三十騎という少なさに象徴されています)零落ぶりですが、一方で、鎌倉から至近距離あったため常に警戒の目で見られた、在地の勢力拡大が困難であったとも考えられる訳であり、その不満が遂に暴発したのか永享の乱を決することとなった、公方持氏不在の鎌倉突入であったと見做していきます。

三浦氏を動きを制する存在でもあった武家の都、鎌倉。公方が古河に動座し、戦端が利根川を挟んで繰り広げられるようになると、真空状態となった鎌倉を含む南関東には新たな勢力が伸長することになるのは必然となります。その主役となったのが太田道灌、北条早雲、そして本書の主人公である道寸が漸く登場することになります。一度は利根川以西の安定化を図った道灌亡き後、公方と対峙、協調を繰り返す事で、お互いに拠点を利根川沿いに北上させる両管領家が去った相模の制圧を巡って、半島に押し込められていた三浦氏がここで漸く半島を抜け出して、名実ともに「相模介」としての恢復を狙って動き出すことになりますが、如何せんそのタイミングが余りにも悪く、前述のようにその戦力の乏しさは、既に伊豆を制圧していた北条家(伊勢氏)に対しては如何ともならなかったようです。

半島ゆえの独立性も、首筋を抑えられてしまうと逃げ場が無くなるという逆の結果を生む事は、家名を挙げた伝説的な義明の活躍にもそのまま投影されます。海上を房総半島へ逃れる手があったにも関わらず道寸と一族が滅亡の道を選んだのも、やはりその祖先へ通底する想いがあったのでしょうか(著者は伊豆七島、特に八丈島を巡る状況から勘案して、既にこの時点で三浦氏には相模湾、江戸湾の制海権は無かったと見做していますが、その後の海賊衆と見做させる三浦十騎の抵抗と整合せず、少々首を傾げます)。しかしながら、本書は通史を描く事を第一に標榜しているため、それらの心象や当時の相模、半島の状況について、特に地勢的な見地では殆ど述べるところはありません。だた、この戦いが著者が考える「時代の転換点」たる戦国時代の端緒と見做すに相応しい、国人領主の討滅による相模の統一であることが語られるだけです。

最後に述べられる、道寸の文化人としての側面と、その後の「三浦介」物語。道灌との関わり合いの延長で描かれる点から見逃されがちですが、半島の先を扼していたという事は海運も抑えていたという事。八丈島まで勢力を有していた三浦氏の配下が相応の海運力(特に相模湾に於いて)を有していた事は容易に想像できます。彼が賛を求めて(絵が描かれていない点が思わず笑ってしまいますが)差し出した紙が唐紙であった事からも、ある程度豊かな物産が辺鄙と云われる東国にもしっかり伝わっていた事が判ります。また「三浦介」の名称が東国武将のブランドとして用いられたという点を玉藻前伝説に繋げて述べる点と、道寸が京都に送ったとされる扇に記された賛への言及からも、家職とまではと、少し控え気味に述べていますが、中世家職制の一環として東国武士を位置付けていこうという著者(達)の研究史感が見えるようです。

主人公道寸を置いてでも、三浦氏を題材にとった中世史を通史として描く事に重きを置いた本書。帯に記された版元の想いと、シリーズの主眼、そして著者達の想いはなかなかに上手く交わらないのだなと想いながら、冒頭の書籍不振の根底にきっとある「読みたい、手に取ってみたい」という読者の想いと、著者達の想いの交差の難しさもまた考えさせられる年初。

img20161230215227本書とセットで読まれると宜しいかと思います。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーより「三浦氏の中世」を。こちらは三浦氏が歴史に登場する時点から宝治合戦より前を中心に、本書よりも更に明白に「京を中心とした平安末期から鎌倉期の通史と、家職制に見られる三浦氏」という体裁で描いていきます。

同じく三浦氏をテーマに掲げながら、拭い去れない内容との乖離を示す本書の帯に対して、表題との乖離を何とか埋めようと意を砕く、版元さんが帯に記したコメントが逆にその位置づけを明快に示しているようです。

両書籍の立ち位置と異なり、もっとダイレクトに相模武士に特化した内容の書籍をお読みになりたい方は、同じ版元さんから刊行されている、相模全体をフィールドとする在野の研究家、湯山学氏の一連の著作(こちらはダイレクトに三浦一族)が地勢や史跡への配慮も圧倒的に豊富で、より相応しいかと思います。但し、如何せんかなり特徴的な著述(突如話が飛ぶ、終息せず前後が繋がらない、独自見解)かつ、特に「相模武士-全系譜と史蹟-」シリーズは図版や編集、版組も私家版相当で、一般流通レベルギリギリのかなり荒い作りなので、万人向けとは言い難いかもしれません。

 

<おまけ>

本書と同じようなテーマの作品をご紹介しています。