今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)寄せ来る者達に翻弄され続けた核心の地への記憶

武士の都と呼ばれた鎌倉を擁する相模。一方でその土地は東山道が抜ける上州と共に、西に連なる箱根を関門に構えた東国の入口を扼する場所でもあります。

自らの発祥を苗字に掲げる事が多い東国の武士たち。しかしながら、東国と西国がせめぎ合う境界に位置するその地を苗字に掲げる一族が、その後の荒波を潜り抜けて最後の封建制たる江戸時代まで家名を繋げられた例は、ほんの僅か。歴史ファンの方でも思い出されるのは、戦国時代に北条早雲に滅ぼされた三浦氏くらいではないでしょうか。

そんなマイナーな感が否めない相模発祥の武士たちの変遷を一冊に纏めた本を、今回はご紹介します。

今月の読本「相模武士団」(関幸彦:編 吉川弘文館)のご紹介です。

本書は、同じ編者、版元さんにより刊行された「武蔵武士団」に続く続編として送り出された一冊。執筆するメンバーも一部ではオーバーラップしています(今回も、細川先生の一刀両断コーナーありです)が、前述の懸念を少しでも解消するためでしょうか、内容を補強する為に特論と称して、本来は相模武士とは呼べない前後の北条氏、そして、相模武士の象徴とも捉えられる三浦氏について、相模武士たちとの関係を含めて述べる論説を、本書の執筆陣とは若干離れた人選を擁しての別項を立てています。

手持ちの中で、今回の執筆陣の皆様が手掛けられた同じ版元さんの書籍をセットで。

前著「武蔵武士団」と比べるとマイナーな感が否めない登場人物達、更には本書でも多数引用される在野の歴史研究家、湯山学氏により膨大な私家版を含む著作物が刊行されており、本書でも言及されているように、その内容には十分な検討が必要とはいえ、採り上げるべき個別の武士団、氏族ほぼ全てがカバーされています。

では、本書はどのような立ち位置で相模武士団を捉えようとしているのでしょうか。編者の時代感の捉え方は今となってはやや古いスタンスとなる、開発領主から勃興するスタイルをニュアンスとして残しつつも、彼らが中央から下向してくる人々によって、翻弄されていく過程を描く事で、相模特有の事情、その武士団たちの特徴を見出そうとしていきます。

武蔵武士団にも通じる内容ではありますが、より権力の震源近くに在住することとなった相模の武士たち。その姿は、東国の関門故に、所謂源平合戦以前から中央の権門と密接な関係を築いていた事を示していきます。そして、頼朝の挙兵と共にまず最初に騒乱に巻き込まれる事になる相模。それ以前から源氏同士の勢力争いに巻き込まれていきますが、ここから相模武士たちの淘汰が本格的に始まる事になります。

西国に主軸を置く平家に付くか、京に生まれ先祖の勲功と記憶を振り回す頼朝に賭けるか。御家人として纏め上げられる段階になっても、その舞台である鎌倉を擁する相模の武士たちは、頼朝による熾烈な淘汰を真っ先に受け止める事になります。

在地から伸展する訳ではなく、アウターが跋扈する鎌倉を舞台に繰り広げられる暗闘と粛清。その矛先は、在庁の雄たる三浦氏にも容赦なく降り注ぎ、滅亡までに二度も系譜を絶たれ、三浦半島の奥に押し込められてしまいます(それでも鎌倉の背後を押さえる地に三浦の家名を存続させた点に、地勢への配慮を示唆する論には深く同意するところです)。

壮絶な権力争いの末に、全国に所領を広げ、諸大夫としての武蔵守、相模守を独占した得宗、北条氏に対して、圧倒的な規模の差を見せつけられて、追従する姿を示す相模武士たちの御内人への転身(ここで、御家人身分から転落したわけではないと注意が示されます)。更には、良く知られるように苗字は残したまま、一族を分けて西国の所領へと転身を図る武士たち。その動きは承久の乱以前にまで遡る事を示していきます。

そして、鎌倉幕府滅亡から南北朝に掛けて、再び相模は権力の中枢としての宿命を受けることになります。鎌倉幕府滅亡と共に滅んだ北条氏と共に、中先代の乱で復活を狙った時行に加担して、又はもう一つの東国の関門たる東山道を軸に北方を抑えた南朝に下って、更には観応の擾乱によって。鎌倉幕府を生き永らえた相模武士たちは、再び外からもたらされた戦いによって、更に淘汰を繰り返す事になります。新たな鎌倉の主として乗り込んできた鎌倉公方と関東管領、彼らも生き残った相模武士たちに試練を与え続けることになります。鎌倉の政体と守護の二重権力体制の為に、既に国単位の武士団としての体を成さなくなった相模の武士たち(三浦氏にしても守護権が否定されている間は同様と)は、牽制しあう二つの権能の指揮下、または隣国の武蔵の一揆勢と共闘をする以外に生き残る道が残されていなかったようです。

鎌倉府の下で何とか家名を維持してきた相模武士たちですが、今度は鎌倉公方と関東管領の争い(それぞれを牽制する幕府を含めて)によって、双方の勢力に分かれた相模の武士たちはまたしても淘汰の時を迎えてしまいます。最終的には鎌倉公方の古河への動座によって、相模の地が武家権力としての引力を失うことになる永享の乱とその後の享徳の乱によって、相模に在住していた旧来の武士たちは三浦氏を主体とする僅かな勢力を残して、殆どが滅亡、西からはこれまた鎌倉に入る事が出来ずに伊豆に留まる結果となった堀越公方を乗り越して、大森氏が小田原に入部することで、これまで辛うじて維持してきた相模西方、金目川以西は在地そのものが淘汰されていきます。

権力の引力が北方に去った事で空白地帯となった、残る相模川の東岸と相模中央部に漸く勢力を挽回した三浦氏の勢力も、その後にやはり関東の喉口を押さえる要衝と踏んで乗り込んできた北条早雲によって殆どが根絶やしにされ、僅かに後北条氏の重臣となった松田氏が残るに過ぎなかった事を示していきます(最終的には秀吉の小田原攻めで滅亡の道へと進む事に)。

東国の入口ゆえに外からの勢力に翻弄され続け、最終的には苗字の地たる相模に痕跡を残すばかりとなった相模武士たち。しかしながら、武蔵に蟠踞した武士たちと同様にその足跡は全国に渡り、苗字の地を離れた後に大いに繁栄した一族も数多輩出しています。小早川、長尾そして三浦氏の系譜を受け継ぐ蘆名氏。権力の中枢に存在することによる熾烈な淘汰を逃れた先に発展した相模武士たちは、それでも相模が本貫地がある事を由来として誇り、苗字を、そして家名の礎となったその土地への深い繋がりを求めていたようです。本書にはそのような各地に散らばっていった相模武士たちの足取りにも検討を加えていきます。そして、歴史時代を潜り抜けた今日の相模。今度は日本の中心に隣接することとなったために、急速に失われていく彼らの足跡。編者たちは、そんな変遷の激しいこの地に僅かに残る、相模武士たちの痕跡にも目を向けていきます。

最後に綴られる相模武士たちが行き交ったその土地を紹介する一節。その中で印象的に語られる、考古学的には既に往時の道程とは食い違ってしまっているにも関わらず、その後の歴史でも、私を含めて今を生きる相模、今の神奈川県(更には武蔵の地)に住む人々にとっても深く結びつく「鎌倉街道の記憶」に息づく想い。その想いには苗字の地を遠く離れ、権力の中枢としての地位を遥か昔に失ってもなお、その核心の地が秘める引力の強さを思い起こさずにはいられません。

武士団をテーマに掲げた本書が綴る、武家の核心の地で繰り広げられた興亡と淘汰の物語。その結末は余りにも寂しいものですが、もし今後、鎌倉、そして相模の地を訪れる際には、本書を片手に僅かに残る痕跡を辿りながら、武士たちが壮絶な駆け引きの中を生きていた姿に思いを馳せてみては如何でしょうか。

今回ご紹介した本と、勝手に深夜の「東国の武士団と歴史書籍フェア」。

武士の発祥と変遷を綴る書籍の数々、皆様のご興味を引く一冊はありますでしょうか。

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