今月の読本「人物叢書 月照」(友松圓諦 吉川弘文館)復刻された貴重な一冊に込められた、苦悩する兼宗と実践の姿

今月の読本「人物叢書 月照」(友松圓諦 吉川弘文館)復刻された貴重な一冊に込められた、苦悩する兼宗と実践の姿

吉川弘文館さんが日本歴史学会からの委託を受けて刊行を続ける、終わらないシリーズとも評される一大人物伝のシリーズである「人物叢書」。刊行以来、幾度となく絶版となった作品を復刻していますが、昨年はSNSを利用されている方を含めて、広範な読者の方にアンケートを取っての復刊キャンペーンが実施されました。

何時もの如く、悪乗りで何冊かの復刻をリクエストしたのですが、嬉しい事に、推させて頂いた何冊かが今回、復刊を果たすことになりました。

リクエストして復刊して頂いた以上は、何時かは購入しなければ申し訳が立たないという訳で、漸く山を下りた年末に、まずは一冊購入してきた本をご紹介します(復刻版をずらり取り揃えて下さっていた、ジュンク堂書店甲府岡島店様に今回は感謝です。河村瑞賢と随分悩んだんですよ、実は)。

年末年始にコツコツと読み続けていた、今年最初の一冊、「人物叢書 月照」(友松圓諦 吉川弘文館)をご紹介いたします。

本書は昭和36年に初版が刊行され、昭和63年に改められた版が元になっていますが、旧版のまま復刻されたのでしょうか、少々古風な活字で刷られています。また、近年刊行される書籍ばかり読んでいる身には、古風な文語体を読みこなすのに少々骨が折れた事を正直に述べておきます(文章自体は極めて平明です)。

しかしながら本書が極めて貴重でかつ、現在に於いても読むに値する価値があるのは、ほとんどの場合において西郷隆盛の添え物として扱われる月照自身の、現時点における殆ど唯一の評伝であることです。

西郷と肝を照らし合わせて、京都に於ける公家と武家の橋渡しをした、尊皇派で憂国の志士のような、ややもすれば不良僧、破戒僧とも見做されそうな人物が男二人で悲劇的な入水、といったイメージを全面に語られる場合が多いのですが、本書をお読みになれば、そのようなイメージが全く異なっている事に気が付かれるはずです。

京都を代表する寺院である清水寺の塔頭にして、実質的な寺務を統括する成就院の第24世本願という、当時の京都に於ける仏教界でも高位に位置する僧侶。奈良興福寺の一乗院に連なる法相宗としての律に依拠する厳しい側面。弟である、のちに25世となる信海は長く高野山に学僧として留まっており、その弟の研鑽に自らは及ばないと素直に評する、教学を追求したいと願う想い。全く正反対の、病弱ながらも、師である蔵海から続く、山内における激しい抗争の収拾と、一山の復興を背負うことになる、世俗に塗れる苦しい心境。観音信仰を母体とする清水寺が培ってきた信仰心が生み出す、渡世に寄り添う大乗律への想い。

藩主斉彬の使いとして、その名を雄藩に響かせ始めていた西郷とはいえ、およそ不釣り合いな、一山を代表する三職のうち二職をも兼掌した、清水寺の最高位にあった月照との関係。

実は、西郷と月照がどのような関係にあったのか、最晩年となる密勅を水戸に下す段階から薩摩への下向に至る時点以前に於いて、記録上で知られている事は殆ど無い点を明示します。西郷が斉彬の下で活動していた時期、本坊である成就院は弟である信海が継いでおり、本人は京都周辺の寺院や空屋敷を転々としており、空想好きな方であれば、同志を募り、内偵を恐れて、居所を転々としていたと想像の羽を広げたくなるかもしれません。しかしながら、彼が成就院を退去したのは、前述の山内の抗争と本山である南都の一乗院による意向の板挟みあった末に、隠居届を出し続けた上での善光寺への無断出奔に対する懲罰としての域外隠居としての退去であったことを明示します(後に許されますが、入山自体の差し止めはされていなかったこともあり、その後も成就院に弟を度々訪れます)。

そして、月照を悩ませ続けたこの問題の解決に助力したのが、本山である一乗院宮の弟子であり、後に青蓮院宮となる、中川宮。そして、興福寺に強い影響力を持つ、清水寺を祈祷寺としていた、歌道を通じても交流のあった摂家筆頭、近衛家との繋がりが浮かび上がる事になります。両家に出入りする公家、宗教関係者たち、さらには近衛家と縁戚で繋がる薩摩との関係から、当主である近衛忠煕の使僧としての役割を務めるようになった事を見出していきます。

著者は、勤王運動に関わった人々との関係を綴る章の冒頭で次のように綴ります。

「彼は決して主謀者ではない。たまたま、そうした主謀者と長く交際していたので、自然、その中にひきずりこまれたという方が正しいかもしれない。ただ彼の身分が当時として重要な役割をしたというだけのことである」

勤皇の志士をイメージされる方にとっては失望を感じるかもしれない一文ですが、その後に続く内容を読んでいくと、肯定せざるを得ないようです。公武の交流が大きく規制される中で自由にその双方を行き来する事が出来た、藤色衣を纏った高位の祈祷僧にして使僧という立場。志士というイメージとは正反対に見える彼が、なぜそのような活動に没入した上で入水という結末を遂げる事になったのでしょうか。

本書の著者は戦後に神田寺を興された、NHKラジオ法話『法句経講義』でも著名であった方。ヨーロッパ留学も経験され、現在の大正大学で教鞭を執られていた時代もある仏教研究者で、月照自筆の書籍を清水寺から委ねられていたほどに、精神面を含めてその研究を追及されていらっしゃいました。

本書は、そのような月照の仏教者としての生き様を要所に織り込む事でその思想面での変化、素地を見出していこうとしていきます。この辺りの著述になると、相応に宗旨に慣れていないと読み解く事が難しくなる部分ですが、月照の想いを同じ仏教徒としての視点から掬い取っていきます。一山の財政的な危機に直面しても、三職六坊と呼ばれる塔頭毎が勢力争いと続ける姿と、名義継承に立てられる年少の住職(月照自身も)や宮中を模した仮名に見る形式主義に落ちた清水寺、当時の京都に於ける寺社の姿に強い憤りを募らせる著者。印象的に語られる、その中で一人、門前に降りて廻行を行うという、御院主様と称された、三職中で実務を司る(他の二職は主に堂上出身の子弟が務めた)、寺領133石、門前5町を支配地として束ねる本願の責務を果たさんと、病弱を押して臨む月照の姿に、彼が会得したであろう二つの律のうちの小乗律としての戒律を重んじる宗教者としての強い矜持と、大乗律としての摂衆生戒、実践を通して人々に寄り添う宗教者としての生き様を見出していきます。その先に見出す尊王への思想的な展開について、本書では色々な可能性を綴っていますが、その確信と踏んだ子島流の法相密について、著者は門外漢だとして確定的な事は述べられません。

著者の手元にあった2冊の月照直筆の書は東京大空襲によって焼亡して今は無く、それ以前に蓄積していた研究成果と宗教者故に収集できた清水寺に残された彼の行動を記す内容と思想面での深化を併せて綴る本書。それだけでも唯一の内容を具えていますが、刊行後50年以上が経た今でも、その後に続く評伝が無い中で、今を以て貴重な一冊。

テーマ毎に時間軸が巻き戻されて綴られるために、少々追いかけにくい構成ではありますが、幕末の京都を舞台に、実際に活動された人物の息吹とその本質、交流した人々の姿を伝えてくれる、人物伝として相応しい内容を具えた一冊。本書を手に、今年の大河ドラマにおける前半のクライマックスとも言えるシーンでどのように演じられるのか、興味深く観てみたいところです。

 

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今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

今月の読本「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)快活に冷静に描く、刺激的な人々が貿易で結ぶ3つの海

実は昨年中に読み終わっていたのですが、文庫なのでこちらでのご紹介が後回しになってしまった一冊。

昨年読んだ本の中でも、一番のお気に入り。ここ数年来でも、個人的には好著の筆頭に挙げたい一冊を、年の初めにご紹介いたします。

今月の読本、年初の一冊は「興亡の世界史 東インド会社とアジアの海」(羽田正 講談社学術文庫)のご紹介です。

本書は同じ版元から10年前に刊行されたシリーズ「興亡の世界史」の15巻目として刊行された本の文庫への収蔵版。今回の収蔵に当たっての大きな補記等はなく、著者のあとがきと、新出の参考文献が追加されている程度です。

しかしながら、著者が今でも十分に通用すると明言するように、本書の内容は今でも極めて特徴的かつ刺激的です。

原著刊行時点の編纂でも議論を呼び、版元自体もシリーズ屈指の異色作と評した、多様な時代と世界のテーマを扱う本シリーズを以てしても白眉な「会社」を軸に描くテーマ設定。更には、まるで往年の「世界歴史百科」をめくる時の喜びを、スケールはそのままに、文庫サイズにまで凝縮してしまったような、広範でダイナミックな内容。

そこにみえるのは、陸上と海のアジア史双方を全部カバーしてしまいそうな勢いで描く、広範で旺盛な視点。政治体制がそれぞれ全く異なるアジア側の各国の事情を綴ると同時に、その中庭たるアジアの海に乗り込んできた各国の東インド会社の資産形成や役員形態、運営、指揮系統といった特徴の裏に、国政の事情や経済的な問題点を読み解くといった内容を平然と織り込んでしまう、圧倒される著者の見識(あっさりと、アダム・スミスまで登場させてしまいます)。通史だけでは面白みに欠けてしまうかもしれませんが、著者は『冒険商人シャルダン』という著作を有するほどに個人史にも長けていらっしゃる方。バックボーンに潜むアルメニア人商人が切り開いてきたルートに乗るように行き交う、アジアを渡り歩いた冒険商人や、商人崩れの政治家、軍人。本国の投資家たちの目を盗んで海域内貿易で稼ぎ過ぎて、総督まで上り詰める名声は得たけれど、追及を恐れて帰国するのが困難になってしまった、エリフ・イェールといった新大陸生まれのコスモポリタン(名字をご覧頂ければ判りますよね)。更には、再婚した夫との資産争いの末、老年になって本国オランダにまで乗り込んで裁判を続け、死後になって勝訴を勝ち取った、日本人の血を受け継ぐ一人の勇猛な女性、おてんば(ontembaar)コルネリアといった、個々人をテーマにした内容を同時に織り込む事で、華やかに、時には悲惨に、アジアの海で繰り広げられた物語を「歴史ストーリーの一ページ」として描き出していきます。

広範な内容を綴る本書。その中で、本筋となるアジアの海の歴史について、著者はある一点について、本文中で繰り返し見識を改める事を読者に求めてきます。

ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰廻りによるインドへの航海から、イギリスによるインドの保護領化と東インド会社体制の終焉までの約200年を綴る本書。その後のアジア史をご承知の方にとって、前時代は「植民地」としてのアジアの前駆のような、素朴で平和的に暮らしていた人々に対する、軍事力による蹂躙の先に行われた暴力的な収奪といった、アフリカや南北アメリカと同じようなイメージの延長で、ポルトガルが築き上げ、列強がその道筋の上に続いた姿を描く、「海の帝国」といった歴史描写への嫌悪感をもたれるかもしれません。しかしながら、イスラーム建築史が専攻の著者はそのような認識、描写について、断固として異なるという点を提示し続けます。

著者が断言する根拠となる考え方。そこにはアジアの海と商業に関わる際に、3つの海に3つの政体が存在したことを示していきます。蒸気機関発明前の風力による航海が前提となる時代。貿易風と地域内の海流に添った航海を求められるその海に於いて、どのような戦力を有していても、どれだけ大きな船舶を擁していても、その環境に立脚した航海と、拠点となる商館の設営=貿易港の設定、季節的な周期航海のルールからは逃れられない点をしっかり認識することを求めます。

その上で、3つの海を目の前にする陸の帝国の姿を提示します。一つ目は、著者の専門分野でもあるペルシャ湾及びアラビア半島周辺の海域。この地域では王国の首都たる場所は内陸に位置しており、海沿いの交易地は、目の前の海を往く商人たちの貿易における中継点として、税収が望める都市の一つとしての認識しかなかったとします。各国の東インド会社の居館が立ち並ぶその場所。徴税を司り、西ヨーロッパ諸国同士がその場所で紛争を越した場合に制すべき立場にあるのは、その港を押さえている王国側にある事を明確にします。一方で、貿易拠点としての西側の海に対して、東端の海は著者が「政治の海」と称する、陸上の王国が海上の支配権も御する場所。倭寇や鄭成功の事例を用いて、域内における自由な航行は望めない点を示し、その海では陸上の王権(これは豊臣政権や徳川幕府にしても同じ)に対して、へりくだる事で貿易を認めてもらう立場に過ぎない点を明確化します。国家を代表して貿易を行う一方、共同出資者達による私営としての側面も持つ東インド会社という特殊な形態ゆえの限界。その地では、収奪はおろか、自らの生死与奪の権限すら、陸上の王国に握られていた事は、日本に於ける当時の貿易体制と、インドのそれが、同じ「東インド会社」を通じて行われていたという点に於いて、余りの違いを説明する明快な事例ではないかと思われます。それ故に、賃料を払って出島に押し込められるという屈辱的な待遇に甘んじてでも、バタビアと長崎の間で中継貿易を継続し続けた、オランダの東インド会社が如何に稼いでいたのかが判りますし(時に本国ベースの純利益が200%に達する事も。域内貿易ではどれだけ荒稼ぎしていた事か)、利益を追求する株主資本会社としての側面があったからこそ、そのような扱いがあっても貿易を続けられたともいえます。

そして、西の交易としての海と、東の政治の海に挟まれた、中央部に突きだしたインド亜大陸の沿岸地域。著者はここにもう一つの海の姿を見出します。「迎え入れる海」、貿易がもたらす利益を喜び、その繁栄こそが支配する王としての懐の深さを示すものだという価値観が生んだ貿易。それが、国家を代表する形での貿易を望んだ東インド会社に対して便宜を与え、貿易を行うための居館の建築を認め、更には要塞を築き、居留地や域内での徴税権を与える事すら憚らなかったインド諸王に共通するスタイルだと看破します。日本人にはイメージしにくいこの事実、著者は最も近い事例として、戦国時代の大村氏によるイエズス会への長崎の割譲を持ち出して、貿易による利益と提供される武力を求める権力が、有利な形で取引が望める宗教を受容、時には自ら改宗し、その便宜を図るために土地を割譲する動きと、その後の歴史で展開される軍事的な侵略とは異なると指摘します(陸の帝国に楔を打ち込んだように見えるマカオにしても、実体は租借であった点もここで再確認します)。

最初の接触から戦闘的な態度で臨み、持ち込んだ産物の余りの価値のなさに憐れまれるほどの屈辱を味わったが故に、かの地に於いて、何処ででも暴力的な制圧と搾取を行ったかのように見られる、西ヨーロッパ諸国の東インド会社による貿易。しかしながら、著者はそのような見方は偏見であり、彼ら自身も香辛料や綿製品貿易に代表される西ヨーロッパとアジア間の貿易に匹敵するほどに、資産運用と貿易物資を獲得する為に、アジアの海の中で現地の商人を相手にして、傭船すら行いつつ大規模な中継貿易を行っていた事を見出していきます(もちろん、日本と南米が生み出した、交易を飛躍的に伸ばす結果となった銀バブルのお話も出て来ます)。その上で、彼らは数多くの商人たちが行き交ったアジアの海における、数多の「外国人」集団の一つに過ぎなかったという点を見失ってはならないと、繰り返し指摘します。なお、南アジアにおける収奪的なプランテーション経営とイギリスとオランダの武力を以ての争奪戦については一通りの記述がありますが、著者は限定的であるとの認識に立っています。

最後に述べられる、インド亜大陸におけるイギリスの植民地化への歩み。その背景として、フランスとイギリスの東インド会社における国家の関与の違いを見出した上で、東インド会社の影響力を背景に対立するインド諸王に関与する際の軍事力への「国家」の関与こそが、「東インド会社」というシステムの限界点であり、その限界点の先に、近代となって誕生する国民国家が東インド会社という商業資本が遠隔地で期せずして獲得し、ある種、野放図にされてきた権益に対して、政治、軍事的に直接掌握する、次の時代である「植民地帝国」へ至る姿を見出していきます。

冒険的商人と高い資産運用を目指した初期の資本家、そして国王の特許やフランスのように国家からの金銭的な後押しを受けて設立された株式会社の端緒となる「東インド会社」がアジアの海を縦横に行き交った時代を綴る本書。ダイナミックに行き交う人物模様を描く一方で、その中で刻々と進む時代背景や経済、政治状況まで克明に拾い込む見事な筆致が、この著述範囲では僅かと言わざるを得ない400ページ程の紙面を一杯に使って、存分に展開されます。

本書の執筆後、著者は本務校の東洋文化研究所所長と副学長を兼ねるという激務から、一般読者向けの単著を殆ど執筆されなくなってしまいました。しかしながら、刊行時から10年を経て、アジアのグローバル化が次のステージに向かう中、今こそ本書のような多角的で広い視点を持ったアジア史が求められる筈。著者の手による、本書に続く作品を是非読んでみたいと強く願う次第です。