今月の読本『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚 ちくま新書)幕府270年を実力と出目で支えたノンキャリアの「山師」たち

江戸の三奉行といえば寺社奉行を筆頭に町奉行、最後に連なるのが勘定奉行であることはご存知かと思います。

大名役の寺社奉行は確かに影の薄い存在ですが、やはり一番有名で、取り上げられる機会も多いのは町奉行。江戸の町民たちと密接に接していると感じられる彼らですが、そのキャリアパスは名門旗本でも最上位に位置付けられる両番からの出身者でほとんどが占められ、実際には江戸の町民たちとかなり距離がある、当時のスーパーエリート達だったことはよく知られているところです。

では、町奉行と対比するように扱われる勘定奉行のキャリアパス。格式では町奉行に僅かに劣りますが、万石以上の大名と並ぶ五位の諸大夫にして旗本が務める最高職の一つである、幕臣中でも最高位に位置付けられる彼らの約1割が、出自もあやふやなお目見え以下の御家人や、御家人株を買った、または御家人株を買った上で、旗本家等に養子で入った武士とも言えない人物やその子供たちが務めたと聞くと、少々驚かれるかもしれません。

今月の読本は、そんな彼らの姿を近世史の大家が興味深く解説してくれる一冊をご紹介します。

今月のちくま新書新刊より『勘定奉行の江戸時代』(藤田覚)のご紹介です。

著者の藤田覚先生は、日本の近世史、特に江戸後期の幕府、朝廷関連の政治史の専門家で、一般向けにも数多くの著作を著されています(現在は東京大学の名誉教授です)。すでに大家と呼ぶべき研究者の方が改めて新書として送り出す一冊は、研究者向けの書籍とは異なる、著者の研究上で抱いた好奇心を広く知って欲しいという思いで綴られています。

それは、最後の武士の時代である江戸幕府において、そのトップにまで上り詰めた人物への興味と特異なキャリアパス、彼らが行った施策がどんな内容であったかという点。この二つを幕府の財政政策と結び付ける事で、270年も続いた幕府におけるターニングポイントには、常にノンキャリアの勘定奉行が存在していたことを浮かび上がらせていきます。

前半で述べられる、幕臣の昇進ルートの解説と勘定所の構成。ご承知のように町奉行所の構成は、大枠で与力、同心の2段階しかなく、御家人役である与力の石高は200石と高くても、転属や昇格は殆どなく、彼らの中から町奉行となった人物は一人もいません。一方で、勘定奉行のオフィスである勘定所の構成はより複雑であり、後期には勘定方と公事方の2系統に分かれ、道中奉行を兼帯し、その人員は運用や調査業務も担っていた評定所への出役や、郡代に代官、更には金銀銅座、長崎会所へも出役をするなど、全国にその組織は広がっていました。

格式では町奉行や寺社奉行に劣るものの、業務規模では圧倒的に広大な勘定所を所轄する勘定奉行。広範な業務を遂行するためには多彩な人材を擁することが求められ、それ故に勘定所への採用は、いわゆる番方のような、出自や家格、人物を以て番入りするというスタイルではなく、早くから算筆吟味で採用されるという、科挙を否定した近世までの日本の行政としては異例の、選抜主義が採用されていたことを示していきます。

そして、多彩な業務に携わるということは、新たに発生する業務に対して柔軟に対応できる人材の供給源でもあったという点。彼ら勘定所を振り出しに幕臣としての業務に就いた人々は、勘定所の中でステップを上り、さらには勘定所を離れ、出役や他の職場(普請系や御三卿の家老など財務に関わる職種が多い)へと広がっていくことになります。エリート旗本の昇進コース(この辺りの構造的な解説は山本博文先生の、家格については故・小川恭一先生の著作に詳しいです)である、番入りから目付を経て遠国奉行などへと昇格する、現在のキャリア職にもその影響が強くみられるルートとは異なる、勘定奉行特有の昇格ルート。勘定所の内部昇格から、または目付ルートへと乗り換えての昇格、更には多額の金銭と業務を扱うが故に、老中からの掣肘を本来の目的として設けられた勘定吟味役からの昇格(もう一つには金さんこと、遠山景元のように将軍家の側近である御納戸や小姓から下三奉行を経て送り込まれるパターンも)と多彩なルートを経て幕政のトップへと就任した彼らには、江戸時代を通じて常にある重要な目的が課せられることになります。

本書の中盤以降で5章に分けて時代ごとに語られる、歴代の勘定奉行の活躍と幕政。皆様がよくご存じの江戸時代における時代区分ごとに、ノンキャリアといえる勘定奉行が輩出され、彼らの手を通じて様々な施策が繰り広げられることになります。

その施策の中核となるのが、緊縮と改鋳による出目。特に本書は、その時々の勘定奉行の特異な出自や時代背景における、活躍した人物を紹介する内容と同じくらいに、出目による幕府への財政貢献と、その反動である通貨品位の下落の対比を綴ることに力を注いでいきます。

トップバッターとなる、もはやお約束の荻原重秀。ここで著者は新井白石とのし烈な反目を扱う一方、昨今特に言及されるようになった、元禄経済の繁栄をもたらしたのが、荻原重秀の通貨政策であり、そのインフレ誘導政策による物価上昇率(年率で3%程度)は、経済成長のためには、充分に穏便であるという論拠に疑問を挟みます。古典的な封建的重農主義者で経済音痴の学者に過ぎない白石に対して、実務家として、商業資本主義を見据えた、開明的で極めて有能な財政政策者であったとの経済系学者の皆様からの荻原重秀に対する評価に対して、あえてその著作を指名して、近世史の専門家としての反論を述べていきます。

いわく、現在の水準における経済成長率と当時の低成長社会における経済成長率を同じ視点で述べること自体着眼点がずれており、その意味では幕末の開港直後の物価上昇率(これも出目でカバーすることになるのですが)は、ハイパーインフレと称すべき水準であったとします。また、改鋳率と物価上昇率を比較すると、比較的類似の数値が得られる点を指摘して、通貨供給量を増やしたことで経済の循環がよくなったわけではなく、単純に改鋳によって、インフレが誘発されたに過ぎない(特に銀使いの西国を狙い撃ちにした点は従来から指摘されているとおりです)と指摘します(荻原重秀が残した瓦礫云々の口伝について、幕末には現実となるのですが、大局的にはこの時点や更には大恐慌を経て戦後のニクソンショックの頃まで、世界的にも貴金属本位制を志向していたはずです)。

その上で、著者は根本的には経済政策ではなく幕府の財政運営の問題として、全国政権としての国家規模での事業を賄う必要に迫られる一方で(本文中にもあるように、御手伝い普請という技も使うのですが)、武家政権に伝統的に期待される(と、儒者や歴史学者が抱く)矜持を離れて弛緩した将軍家の浪費と、そのことに極めて関心が薄い、大名出身者で占められる閣老に対して、実務官僚として、更にはノンキャリアの叩き上げである勘定奉行が最後の切り札として放つ、キャリア官僚では踏み込めない決断を迫る算段としての改鋳と、その絶大な効果である出目による膨大な財源補てんの推移を、ほかの施策と併せて捉えていきます。

元禄を起点に繰り返される倹約を主体とした緊縮財政と農業振興、特に新田開発を中心とした収穫量増長政策とそれに伴う課税体制の強化といった予算均衡、重農主義的な財政政策と、貨幣供給を源泉とする株仲間や冥加金、更には御用金といった商業資本からの徴収を基軸に置いた、拡大経済、重商主義的な財政政策が鋭く対立する江戸中期以降。著者は米本位制を軸に置いた新田開発が曲がり角を過ぎた享保以降に繰り返される「改革」も、結局としては、その後に展開される勘定奉行が主導する出目による収納補填に頼る財政政策に依存せざるを得なくなっていく過程を示していきます。

その過程で登場するのが、大型の干拓や蝦夷地開発、商人からの御用金を集めての国家による金融や財政投資の萌芽を見る、ノンキャリアである勘定奉行が主導する大規模な投資政策。著者が指摘するように、海防や学問、外国の技術取得に対しては極めて消極的な立場を採った一方で、自らの成果は何としても出すことを迫られ、それを自らに課したが故に山師とも取られるような危ない橋を渡る事も辞さない彼ら。これら勘定所が主導した政策も決して上手くいったわけではなく、政権の交代に伴って、かれらもその浮沈を共にすることになります。

経済政策としては上手くいった例が決して多くないため、彼らが巨額の賄賂を取ったとか、成り上がり故の身贔屓や閨閥作りなど負の側面が殊更に取り上げられることもありますが、著者はその一方で、彼らのような勘定所を入口としたノンキャリアたちという、能力主義のステップを経た血の入れ替えがあったからこそ、270年もの間、幕府が曲がりなりにも全国政権として維持し続けることができた点を忘れてはならないと指摘します。

開国前夜における外国との交渉の最前線にも立つことになった勘定奉行とその属僚たち。ここで、著者は彼らの業務に対する高い順応力を認める一方、内政と財務をベースとした人材の限界を暗示していきます。ノンキャリアの勘定奉行の掉尾を飾る存在として川路聖謨を取り上げて、開国前後から余多輩出されてくる、彼とまったく同じように小身から一気に駆け上がってきた幕末の幕臣たちに対して、川路の政策と視点の限界を示すことで、彼らノンキャリアの活躍する舞台としての幕府の終焉を見つめていきます(小栗上野介はバリバリの旗本ですので本書の扱い外で)。

昨今、歴史関係の研究から少し離れて盛んに唱えられるようになった、楽観的な江戸時代への懐古主義にも感じられる数多の書籍の内容に対して近世史の大家が示す、ノンキャリアの勘定奉行たちの姿から見た財政史としての江戸時代の実情を丁寧に綴る本書。

碩学の思いが込められた筆致に暫し思考を委ねていくと、歴史研究の狭間から、平板だった歴史著述の中にもう一つの展開が明確な輪郭を伴ってすっと浮かび上がってくる、そんな一冊です。

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