秋色に輝く森の中へ(野辺山から川上村)2018.10.22~28

10月も終盤戦になって、漸く天候が安定してきた先週。

すっきりと晴れ渡った朝。

甲斐駒を望む圃場も晩秋の装いです(2018.10.22)。

初冠雪の便りが寄せられた南アルプスの山々。

少し暖かくなった雨上がりの朝、色付く山並みの上空に雲が舞い上がります(2018.10.24)。

麓近くの山裾まで赤銅色に染まり始めた朝の八ヶ岳。

八ヶ岳山麓の紅葉も終盤戦、山里の紅葉が始まります(2018.10.25)。

雨上がりの日曜日の朝。

ひんやりとして乾いた風が吹き抜ける野辺山の牧草地の向こうに延びる、八ヶ岳の山並み。

落葉松色に染まる山裾を纏う姿を望めるのもこのシーズンだけです。

雲一つない青空と、すっかり葉を落とした主峰、赤岳の山頂部。そして落葉松色に染まる山裾、乾いた牧草地の緑。秋のグラデーション。

11月に入ると降雪もある野辺山の高原地帯。

最後の収穫を待つ高原野菜の畑越しに秋色深まる八ヶ岳を。

高原地帯をぐるっと廻って千曲川沿いに降りた先に伸びる小海線。

高原地帯を進むように思われる小海線ですが、野辺山を越えると一気に谷筋へ。佐久広瀬駅の付近では紅葉する木々に囲まれた溪谷に添って進みます。

山裾に落葉松林を纏う男山。

今年の落葉松の黄葉は少し遅れ気味、猛暑の影響が此処にも見えているようです。

男山の懐、峠越えの道へと入っていきます。

まだ浅い落葉松の黄葉から光が差し込む明るい林冠。

標高を上げていくと、森の中は鮮やかな黄色に彩られていきます。

明るい落葉松林の中、落葉樹たちも彩に染まります。

森全体が黄金色に染まる昼下がり。

黄金色の光が差し込む。静かな峠越えの路。

峠が迫って来ると、木々が密集してきます。

カーブを曲がった先に広がる、黄金色のステージ。

頭上から降り注ぐ眩しい光に森全体が照らし出されます。

黄金色に染まる舞台の正面で、精一杯羽を伸ばす幼樹。金色の妖精が羽ばたく秋の昼下がり。

峠へと延びる、黄金色に彩られる道筋。

落葉樹たちの紅葉を通して映る日射し。

華やかな午後の森の中。誰に観られるためでもなく、次の春を迎える為、秋の眩しい日射しを受けて精いっぱい輝きます。

まだ緑が残る浅い落葉松の黄葉をバックに。

静かな森の中、彩に心弾ませる昼下がりのひと時。

峠を越えて、御所平の集落の中へ。

ここは千曲川の源流域。川沿いの鮮やかに色付いた山裾をバックに鳶が高く広がる秋の空を舞っていました。

振り返って、御所平側から男山を。西日を浴びて色付く広葉樹たちと、まだ色付き始めの落葉松のコントラスト。

ざっくりと山肌が落ち込んだ赤顔山。

天狗山の山裾は落葉松の黄葉で染め上げられています。

信州峠へ向けて標高を再び上げていくと、色付く山々をバックに収穫が進む高原野菜畑を通り過ぎます。

もう一段標高の高い、信州峠直下の畑は既に今年の収穫が終わったようです。

傾き始めた西日に照らされる落葉松に覆われた山々が落葉を始めるのはもうすぐ。山里はそろそろ冬支度が始まる頃を迎えました。

 

 

今月の読本「鳥瞰図!」(本渡章 140B)一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎と時代を眺望するパノラマ

今月の読本「鳥瞰図!」(本渡章 140B)一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎と時代を眺望するパノラマ

鳥瞰図という言葉をご存知でしょうか。

最近ですと、カーナビの表示モードに「バードビュー」と名付けられたモードがありますが、高いところから地上を俯瞰で表現する描画手法を指して呼ばれます。

類似な物として地下鉄の駅や地下街の立体的な通路案内であったり、都市や住宅団地の街路の案内板にもみられますが、その名称を直接指し示す場合には、バブル期以前の牧歌的な観光地の案内図、駅などに掲げられたちょっと懐かし目の観光案内入りの路線図、観光地を紹介する広告看板にも良く見られた手法が相当するかと思います。

最新の表現手法としても使われる一方、ちょっとノスタルジックな感じも受ける鳥瞰図。日本におけるその成立の推移を綴る一冊をご紹介します。

今回は「鳥瞰図!」(本渡章 140B)のご紹介です。

本書は大阪、中之島のタウン誌「月刊島民」からスピンオフした市民講座「ナカノシマ大学」の講座内容を再編集して一冊の書籍に纏めた物。著者は所謂エディター出身で地図に関する複数の著作を有される方です。本書が主題として掲げる鳥瞰図と、その画法を掲げて大正の広重、超広重と称した一代の鳥瞰図絵師、吉田初三郎をご存知の方であれば、講座、そして刊行の経緯に納得されるかもしれません。

初三郎が世に出るきっかけを掴んだ一枚、後の昭和天皇が皇太子時代に乗車した京阪電車の車内に掲げられた、初三郎が描いた路線案内図。東京に持ち帰って学友に分かちたいという言葉を賜った事が世間に喧伝される事で一躍有名となった、中之島をホームグラウンドとしている現在の京阪電鉄とそのスポンサードを受けるタウン誌。作品を描いた初三郎を紹介するに最も相応しいタッグ(それでも幻の前作制作の経緯は判らなかったと、残念)で、鳥瞰図の誕生からその描かれた姿を綴ります。

短時間で要領良く話す事が求められる講座の内容をベースにした著作。初三郎の物語と鳥瞰図の始祖から成立、現代に至る画法の変化について、コンパクトにテンポよく描かれていきますが、本書では特に二つの視点に着目しています。

一つ目には、所謂遠近法の受容から始まり、最密に都市構造を俯瞰で表現する手法として海外からもたらされた画法と、日本古来からの大和絵の画法の複合形態から初三郎の作品に繋がるダイナミックな鳥瞰図法に繋がる経緯を表現手法として解き明かしていきます。超広重を標榜するに相応しい遠近法を逆用する様なパノラマ感、画面周囲から外れる物(特に路線や道路、地名)を画面の淵にねじ込んで表現してしまうダイナミックなギミック。そして、路線を真っ赤な直線で描き、クライアントの建物はスケールを無視して精細に描き込む一方、その他の風景や町並みは煩雑になるくらいならおざなりにしても構わないと割り切る。理論的表現や言語解釈よりも視覚的な直感性を重んじる日本人がとても好む、主題を強調する一方、それ以外を極力省略して画面を際立たせる浮世絵や現代の漫画、アニメーションに通じる大胆なデフォルメ感。

海外から伝わった技法と日本人が培ってきた画法が交じり合って生まれた鳥瞰図と言う特異な表現手法とそれを編み出した才気煥発する初三郎。地図好きの方にとっても楽しい解説が続きますが、本書が素晴らしい点はその背景を近代の社会史に問いかける点です。

冒頭から述べられる「飛行機の時代」という時代背景から呼び起こされた、空からの眺望がすぐそこまで手に届くようになった、実態感を伴った憧れ。眼下の大地を矢の様に突き進み都市と郊外を結ぶ電車。広がる国土、更には大陸まで伸びる町と街を網の目の様に結ぶ鉄路と航路。地上に繰り広げられる新たな繋がりを描き込むための鳥瞰図。そこに地形を詳細に正確に描く、正確に理解させるための地図の描画手法とは全く異なる、時代背景や社会を描き込むための鳥瞰図の姿を見出していきます。

鮮やかに描かれた鳥瞰図を更に時代を追いながら詳細に観ていくと、大正デモクラシーから躍進する当時の時代背景にもう一つの飛行機の時代、徐々に軍靴が響いてくることが見えてきます。戦争の惨禍の先に鳥瞰図と言う手法自体が萎んでいく中、その悲劇を忘れてはならないと描かれた異色の作品「HIROSHIMA」駆け足気味の本書ですが、初三郎の想いが注ぎ込まれたこの一作に対しては一節を立てて丁寧に紹介されています。

そのルーツが近代の産業化の華ともいえる都市図と博覧会の図録であることを見出した著者は、描かれた内容や鳥瞰図に埋め込まれた企業の広告から(鳥瞰図自体も宣伝媒体)、鳥瞰図を通して時代背景を見出していきます。初三郎が導き出した、時代を空からの視点で大きく包み込むように描き込む鳥瞰図の在り方。その深い関わり合いは、画法を洗練されながら近年まで活躍された大阪万博の鳥瞰図(大阪万博メモリーズ)を描いた石原正氏から、息づく街の姿を等角投影を用いて細密に、実態感を込めて描き込んでいく青山大介さんの作品へと受け継がれているようです。

その時代にしか描けない、時代の視点を地図として描き込んでいく鳥瞰図の世界。江戸時代から現代まで、豊富に掲載された作品たちが描くパノラマだけが魅せてくれる眺望感の中に、どんな時代の風景が見えるでしょうか。

本書のメインテーマとなる鳥瞰図絵師、吉田初三郎。本作は前述のとおり著述自体が大坂をベースにしているため紹介される内容も比較的関西寄りとなっていますが、初三郎自身は全国を廻って膨大な作品(1600点を越えると)を残したことで知られています。

中でも急速な近代化と観光開発が進められた信州、長野県は当時盛んだった養蚕業、観光地開発をセットにした鉄道のPRのために多くの鳥瞰図が作成され、その一部が長野県立歴史館に常設のアーカイブとして収蔵されています。

初三郎の名品でもある、東洋一の絹の街、シルク岡谷の繁栄を今に伝える「岡谷市鳥瞰図」とライバルの金子常光が描いた「諏訪湖大観」の競演を始め、製本される紙質にまで拘って信州のパノラマ地図を網羅した、鉄道関連にも造詣が深い、地元信濃毎日新聞社の内山郁夫さんが本編を執筆した「信州観光パノラマ絵図」と、同アーカイブを中心とした作品群を展示した、長野県立歴史館で平成23年に開催された企画展「観光地の描き方」図録から、長野電鉄に招聘された際に撮影された、志賀高原方面で取材中の吉田初三郎の写真(長野電鉄所蔵)。この図録は博物館らしく非常に美しい仕上がりで、当時のままに眩しい程に鮮やかな色彩で描かれる鳥瞰図たちを見る事が出来ます。なお本図録には、先ごろ「草津温泉の社会史」を上梓された、近現代の観光地の歴史にも詳しい、群馬大学の関戸明子先生が「吉田初三郎の鳥瞰図に描かれた信州の温泉」と題して、当館が所蔵する横4mにも及ぶ初三郎直筆の大作「長野県之温泉と名勝」原画制作の経緯と読み解きの解説文を寄稿されています。

今月の読本「中世武士 畠山重忠」(清水亮 吉川弘文館)在地領主と御家人の狭間で二俣川の地に「武士の鏡」が生み出される時

今月の読本「中世武士 畠山重忠」(清水亮 吉川弘文館)在地領主と御家人の狭間で二俣川の地に「武士の鏡」が生み出される時

平安時代後半から徐々に浸透が始まり、その後明治維新まで長く長く続く、武士を支配層の中心に置く社会構造。

支配層となった彼ら武士達の多くが崇敬したのは、その体制を確立した源頼朝ですが、武士個人が自らの範として捉えらて来たのは、同じ時代を生きた畠山重忠ではないかと思います。

常に頼朝の先陣を務める誉を与えられる名誉に浴するだけの武勇を誇る一方、京の音曲にも通じた雅の心を併せ持つ東国無双の武人。その一方で謀反の疑いを掛けられても「名誉である」と受け応える傲慢さ、万騎が原の合戦による一族滅亡に仕掛けられた陰謀を知ってなお、嫌疑を晴らし矛を収める事を潔しとしない苛烈さと併せて、愚直で悲劇的なイメージすら有する人物かと思います。

同じ東国無双の勇者とされる熊谷直実と並び称される事もありますが、苗字の地たる熊谷を維持するのに汲々とせざるを得なかった直実に対して、畠山の地とは大きく離れた小山田氏が抑えていた武蔵の南限、終焉の地に当たる二俣川(鶴ヶ峰、万騎が原)もその勢力下に収めていたとされる、武蔵の国内で広大な領域に影響を及ぼす惣追捕使(惣検校職)という国衙の顕職を帯びる地域支配者としての重忠。宇治川渡河の一番乗りや一の谷合戦のイメージから、一人の武将として同列に語られる事も多い二人ですが、その姿や立ち位置は大きく異なるようです。

今回は、武士の鏡と称された伝説的な武人の英雄譚から少し距離を置いて、そのバックボーンから人物像を浮かび上がらせることを目指した一冊をご紹介します。

何時も新刊を楽しみにしている吉川弘文館の歴史文化ライブラリーから、今月の新刊「中世武士 畠山重忠」(清水亮 吉川弘文館)です。

著者の清水亮先生は鎌倉幕府のお膝元、神奈川の出身で一貫して関東地方の大学で研究歴を積まれた方。現在は重忠の本拠があった菅谷館も近い、埼玉大学で教鞭を執られています。郷土史の委託研究をきっかけに重忠の研究に取り組むようになった著者。その中で、鎌倉幕府草創期前後で常に議論される「武家」の位置付けについて、下向井龍彦氏が従来から提唱する見解に基づいて、所謂軍事貴族の下向、土着化と言う姿は認めつつも、勲功を得て在地に根付いてから長い期間を経た先に築き上げた地盤を背景とした彼らを「在地領主」として再定義していきます。

近年活発な研究が続く、中世期の発掘成果や街道、交通に関する交流史の成果をふんだんに取り入れて描き出す源平争乱期前から鎌倉幕府草創期に掛けての東国一の大国、武蔵に割拠した在地領主たちと、その影響下に置かれた「党」を主体とした武士団。その中でも、軍事貴族としての村岡五郎良文の系譜を継ぐ秩父平氏の一群、その頭目格としての畠山氏の発展と一族の継承争いから、在地領主としての姿を描き出していきます。

重忠個人の伝記としてではなく、近年の研究成果を踏まえた浅間山大噴火以降に始まる東国の大再開発時代に、広大な関東平野に流れる河川と交通路の要衝に蟠踞して勃興する武蔵の武士勢力。その頭目争いの推移と在地の武士たちと共存関係にある、彼らの利権に便宜を与えつつ群がる京の貴族層、争いに介入した河内源氏一族の動きから、畠山家の成立(ここで畠山という荘園は存在しないが「庄司」を名乗る点にも注目)と頼朝挙兵前の重忠の立ち位置を確認していきます。

重忠同様に軍事貴族としての系譜を有し、国衙の顕職を名乗り相互にネットワークを張る東国の在地領主たち。川合康氏の提唱に基づき著者は彼らを「在地系豪族的武士団」と称し、その影響領域「軍事的テリトリー」に付随する党や武士団を取り纏める立場であると定義します。その姿は軍記で描かれるものとは異なり、自らが弓馬を駆り白刃を交わして軍功を挙げる立場ではなく、彼らを取り纏め率いる長であった事を認めていきます。

婚姻関係で結ばれる彼ら在地領主たち。此処で興味深い点として、著者は重忠が三浦義明の継子孫という記述は間違いであり、それは頼朝の挙兵より前に亡くなった彼の兄に当たり、重忠自身は一族の江戸重次の娘が母であると指摘します。源氏と深い繋がりがある三浦氏の血筋ではなく平家との関係を取り持つ立場として生まれた重忠。その後、父親の重能と共に京に出仕していた事が想定されており、平家との深い繋がり、所縁を持つ人物であったことを示唆します。

棟梁である父親の重能が不在の中、ぎりぎりのタイミングで四代相伝の君に伺候する事になった、軍事貴族の末裔で平家に仕える京仕込というプライドが嫌でも高くなりそうな、武蔵の在地でも筆頭格に位置する豪族の若君。新たな主君となった頼朝からは常に警戒の目で見られ続ける関係であったようです。

その結果、頼朝を中心として東国の武士たちを取り纏めていく体制の先に構築される鎌倉殿を核に置いた御家人制度萌芽の中で、重忠は微妙な立場に置かれ続けます。遥か後年の室町時代に鎌倉公方の鎌倉府が古河へ動座するまで続く、鎌倉を中心とした為政者に纏め上げられる周辺の武士(党、一揆、武士団)たちと、その外縁に位置した軍事貴族の血統を引き継ぐ在地の有力者(小山、足利、新田にしても同じ)との熾烈な駆け引きの端緒。著者は同じような立場に立った御家人たちとの比較を試みていますが、上総広常のように討滅されなかったのは、ひとえに京の文化に親しみ、音曲にも優れた才能を持っていた重忠個人の人物を頼朝が好んでいたのかもしれません(弓の技量は怪しいが軍の先頭を担うに相応しい風格の持ち主だったとも)。

高い権威と家柄を誇りながらも鎌倉殿の権力の中枢からは遠ざけられていた重忠。しかしながら頼朝の死によりそのバランスが崩れると、権力抗争に自ら足を踏み入れてしまったようです。著者によると領地や権益を守る事に自覚的になったとする、御家人に成り得なかった在地領主としての矜持が頭を擡げた先に突かれる事になる、北条時政による謀略から二俣川(鶴ヶ峰)の戦場での滅亡。

著者による重忠の人物評と併せて語られる、合戦の際に御家人たちが見せた重忠への立ち向かい方(此処でも三浦氏との確執の片鱗が浮かび上がります)。議論が分かれる北条義時の重忠への評価、更には歴史的な重忠の評価についても、この戦をピークとして、それまでに御家人たちが積み重ねてきた記憶が重なり合って、英雄譚としての重忠像を作り出したと認めていきます。重忠自身が抱く背景と、当時の知識階級の人々や御家人たちが彼に仮託した在地領主たる「武士」の生き様。その中から後代の武士たちが模範とした、家名と伝領する領地を誇り、武勇を貴び、礼儀と教養を兼ね備えた英雄としての姿が生み出された瞬間。更には英雄像としての重忠の伝承を強く意識し続けたのが、血縁に当たるあの島津家であったという著者の指摘も実に興味深いです。

表題にある重忠の物語は此処までですが、その栄光に生まれ変わった家名の行く末を伝える為でしょうか、本書ではその後に畠山の家名を継いだ源姓畠山氏、室町時代に三管領と称される家系に繋がる物語を最後に綴ります。

武士の鏡と称される人物像を周辺から描き込む一冊。ほんの少しロマンチシズムを漂わせる重忠本人の人物伝としてはもちろん、重忠、秩父平氏一門の動きから、武士の勃興から始まり、鎌倉幕府草創期前後までの東国、武蔵の状況と、鎌倉殿を軸にした御家人制度が生み出される過程を流れで捉える事が出来る好著。

流石は歴史専門出版社の吉川弘文館さんらしく、歴史文化ライブラリーだけでも関連書籍がこれだけ揃います(私が現在持っているのはこの10年程度で刊行された分だけですから、実際にはさらに多くの関連書籍がシリーズとして収蔵されています)。

巻末に豊富に掲載された参考文献をご覧頂ければ判りますように、掲載した書籍は相互に深い関連があるものばかり。色々と読み比べてみると、更に東国の歴史への興味が深まるのではないでしょうか。

<おまけ>

本サイトの何処かで書いていたと思いますが、私が長く暮らしていた場所は重忠終焉の地のすぐ近く。北条の大群と遭遇した場所とされている万騎が原が幼少時代の遊び場でした。当時、区役所が主催していた地元の歴史史跡や企業を探訪する企画に参加して重忠の旧跡を訪ね歩いたのが小学校四年生の頃。私が歴史好きになったきっかけは、実に畠山重忠の物語とその史跡にあります。地元の歴史に触れる事は、きっと歴史好きになる扉を開いてくれる。そんな想いを抱かせてくれた重忠の物語と、最新の研究成果で描かれるその背景を改めて噛み締めながら。

秋色の八ヶ岳西麓から御射鹿池へ(2018.10.21)

10月も半ばになって、漸く秋らしい空模様がやって来た八ヶ岳山麓。

八ヶ岳山麓に広がる圃場の稲刈りもほぼ終わりに。

漸くの晴れ間、圃場に並ぶ稲穂のはざ掛けにとっても嬉しい日射し(2018.10.17)。

それでも天気が安定しない今年の秋。

夏の午後のような激しい夕立が過ぎた後、急激に冷え込んだ日曜日。

久方ぶりの雲一つない青空が広がりました。

最後の稲刈りが進む八ヶ岳西麓。

立沢大橋の向こうに望む八ヶ岳の西麓、西岳の裾野は中腹まで落葉松色に染まりはじめました。

八ヶ岳の懐深くにある、原村の八ヶ岳自然文化園、まるやち湖。

園内の紅葉も進んでいますが、落葉松の黄葉はまだ始まっていません。

午後の陽射しを浴びる奥蓼科、御射鹿池。

大変多くの観光客の方がいらっしゃっており、湖畔の遊歩道は大混雑。

少しずつ移動しながら。

午後3時、すっかり短くなった秋の日射し。湖面には既に影が落ち込んでいます。

青空と紅葉が映り込む湖面。

湖畔の白樺の黄葉は終わりかけ、広葉樹たちの紅葉はピークを迎えています。

周囲の山々に立ち並ぶ落葉松の黄葉はまだまばら。

今年は特に黄葉が遅い落葉松。湖畔が一面の黄金色に染まるまでには今暫く時間が必要なようです。

余りの人の多さに驚きながら、渓谷沿いの静かな森の中へ。

西日を浴びて輝き出す、秋色に足を止めます。

秋色に染まるモミジの紅葉。八ヶ岳の山中は紅葉真っ盛りです。

西日を浴びる八ヶ岳西麓。

雲一つない青空が夕方まで続きます。

夕暮れを迎え始めた八ヶ岳西麓。

西岳の裾野を彩る落葉松が輝き出す頃。

もう暫くすると、八ヶ岳西麓は裾野の街並みまで落葉松色に染め上げられます。

桃色に染まる八ヶ岳の空の向こうに十三夜の月が昇る夕暮れ。

日没を迎えるとぐっと冷え込んできた山麓。明日の朝は今朝よりさらに冷え込んで5℃を割り込む予報が出ています。

深まる秋、どうか暖かくしてお過ごしください。

深まりゆく秋色の八千穂高原(2018.10.14)

お天気がどうにも安定しない今年の秋。

週末になると崩れる天気、この週末もすっきりしない空模様となりました。

強い雨が降った後、雨上がりの日曜の午後。

麦草峠の入口にある浅間山を望む駐車場。

周囲の落葉松も飴色になってきました。

白樺の木々の向こう、今が紅葉の真っ盛り。

少し下がって八千穂高原の真ん中に位置する八千穂レイク。

雲間から陽射しが差し込むと、湖畔に広がる紅葉した木々が輝き出します。

山を覆う落葉松の黄葉はまだもう少し先です。

湖畔を少し離れて、紅葉する木々の中へ。

雨上がりでお天気が安定しない午後。雲が掛かるとしっとりした空気に包まれます。

青空から眩しい日射しが戻り始めると、木々は再び輝き出します。

零れ日が差し込む遊歩道。

青空をバックに輝く紅葉。

森の奥から白樺林を望んで。

白樺の黄葉はそろそろ終わり。

青空の下で葉を落とした白い枝を伸ばしています。

西日を浴びて輝き出す木々の紅葉。

乾いた秋色に染まる午後。

輝く紅葉、赤と赤のコントラスト。

再び雲に覆われ始めた空。うっすらとした黄色に染まる白樺。

日射しが遠ざかっても、森の中に染まる赤い紅葉は鮮やかに映えます。

秋色が綾なす森。

すっかり日が隠れた森の中。ゆっくりと戻ります。

森を抜けて再び八千穂レイクへ。

湖面に映る雲は夏空の様に湧き上がっています。

この後、麓を廻って野辺山まで戻ると、夕立のような激しい雨が降り出しました。

夕立の空を抜けて南麓側に戻ると、雲海を纏う甲斐駒は夕暮れ色に染まります。

峠を越える頃には気温は10℃を下回り、山の秋も深まってきました。