厳寒の2月(2019.2.1~2.10)

雪の少ない暖冬が叫ばれる今シーズン。

諏訪湖は全面結氷に至らず、八ヶ岳山麓も殆ど雪が降らない日々が続いていましたが、それでも2月の初旬は最も冷え込むシーズン。

今シーズン初めての本格的な降雪となった後、新雪を纏った朝の八ヶ岳。

キンと冷え込んだ冷たい風が吹き抜ける白銀の圃場の向こうに山頂部分に雪煙を上げて聳える、正に八ヶ岳ブルーを感じさせる姿を魅せてくれました。

新雪に包まれた圃場の向こうに稜線を伸ばす、甲斐駒と鳳凰三山。

頬を刺し指先が切れる程の冷たい風すらも忘れさせる、清々しい冬の朝のワンシーン(2019.2.1)。

厳冬期らしい美しい雪原が広がるのはほんの一時、やはり暖冬なのでしょうか、翌日になると雨交じりの霙で里の雪はすっかり融けてしまい、夕暮れに照らされる八ヶ岳の雪渓も薄くなってしまいました(2019.2.2)。

2月に入ってからお天気が安定しなくなった、八ヶ岳山麓。

連夜の雪雲の通過で夜半に雪が舞った後の朝。山頂部分だけ新雪を被る八ヶ岳。麓はご覧の様に全く雪がありません(2019.2.8)。

連休中も安定しない天気が続く八ヶ岳界隈。空はどんよりですが、山の方では降雪が続いているようで、蓼科山と北横岳は真っ白な冬化粧を纏うようになってきました。

東京の方では雪が舞ったとの知らせを聞きながら、落ち着かない空を見上げて。厳冬から次のシーズンへ、そろそろ季節の移り変わる頃合いを感じさせる厳寒の山里です。どうか暖かくしてお過ごしください。

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今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

今月の読本「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)新恩から官位へ、武家政権成立の鍵を示す通史とある違和感

歴史研究者の方々が著述される一般向けの歴史概説書がブームになって久しいですが、その著者の多くは私の年代の前後に近い方や、より若い方になるでしょうか。

ある意味、研究職としての文系の存在意義を常に社会から問われ続ける中で研究を続けられ、成果の一端を世間に問うという形で執筆を続けられている方々。その内容は、時に過去の研究史や史観に強い違和感を述べ、通説を生む元となる、現行の歴史教育や教科書の内容に対して強く是正を求める指摘が散見されるようです。

中世後半から戦国時代をテーマに扱った書籍から始まったこれらのブーム。最近ではより時代を遡って南北朝や鎌倉時代、更には古代史へと広がりを見せていますが、その中でぽっかりと穴の開いているのが平安時代中盤から鎌倉開府まで。

今回ご紹介するのは、西の筆頭に位置する大学で長く教鞭を執られ、ブームの遥か前から当該する時代の歴史に関する数々の一般書を著述されてきた研究者の方が、敢えてこのタイミングで渦中に投じた一冊をご紹介します。

今回は「源頼朝 武家政治の創始者」(元木泰雄 中公新書)のご紹介です。

著者の元木泰雄先生は京都大学で中世史の研究を長年に渡って続けられてきた方。中世史の大家でもある上横手雅敬氏の直系に位置する研究者の方で、前述のように数々の一般向けの書籍も上梓されています。

今回の一冊も2011年に同新書から刊行された「河内源氏」の続編として企画されたもの。その筆致も、京側の視点で通史としての軍事貴族である河内源氏の推移を述べる前著を継承したものですが、冒頭から巻末まで在る点をしきりに気にされた著述がなされていきます。

それは、近年の研究に於いて所謂東西対立的な視点、公家と武家の二項対立的な歴史感が再び強まっている(特に武家側に偏った認識)という危機感と、前提となる同時代の研究で用いられる代表的な史料群の読みこなし方に対する強い疑念。本文中の各所で具体的な指摘を伴ったこれらの懸念に対する強い憤りを述べながら綴られていきます。

直近で数多く刊行される書籍たちの著者と比較して、恵まれた研究環境と豊富な実績を積まれた研究者の方らしい、比較的穏当な筆致で綴られる事を予想しているとある意味大きく裏切られる、時に憮然とした態度を隠さず、流人の奇跡と称し、一般的に頼朝の評価は芳しくない(???)と述べ、武家政権のその後にややもすれば暗澹さすら漂わせる著者の筆致。

前述の著者の懸念を自ら払拭せんと綴る内容は頼朝の生誕から没後の源氏将軍滅亡までの時間軸で描かれますが、本書では二つの視点を重視しているようです。著者のこれまでの書籍のスタンス同様、人物史であってもどちらかといえば通史的、更には当時の院や権門を核にした京側の視点で描かれますが、前著である「源頼義」(人物叢書 吉川弘文館)同様に、東国武士たちの動き、特に京の権門と在地の武士たちの結び付きを補強する為に野口実先生の研究成果を大幅に取り入れて描いていきます。その結果、彼ら東国武士が権門と鋭く対峙する関係であったり一方的な権門に従属する関係にあった訳ではなく、在地領主と権門やその家人との相互依存関係の中で推移していた事を示していきます。

更に、東国における河内源氏の地盤自体が、摂関家、更には武蔵守護であった信頼との関係の上で構築された物であり、前九年、後三年の役から繋がる累代の家人というのは、その後の奥州合戦の際に演出されたイメージを各家が引き継いだものである点を、石井進氏や川合康氏の見解を逆用して指摘します。

では父祖の地である河内から遠く離れた流刑の身で累代の家人など殆ど存在しえなかった頼朝が何故武門を掌握し、戦いを勝ち残れたのか。平家との軋轢を生じた東国武士たちの受け皿と言う一般的に述べられる視点から、著者は更に一歩踏み込んだ姿を示します。

京側の視点を軸に置かれる研究者としては珍しい、東国(この場合、常陸や陸奥、北陸道、箱根以西は含めない、主に南関東)に独自の施政権を確立した上で、受領や目代が任命されず、空白地帯となったかの地に於いて、新恩としての地頭の任免を自らが主宰したことによって、京の権門の意向を取次、代弁するのではなく、独自に武家を統制する術を手に入れた点に着目します。

即ち、寿永三年十月の宣旨こそが、受領への補任を経ない異例の「地域政権」として公認されたとして、武家政権へ至る起点で有る事を敢えて指摘します。著者が以前に提示した平清盛に対する高い評価に訂正を加える、遥か遠方に位置する東国の、更に僅かな南関東に過ぎないが、実力で権力の分立を果たした頼朝による東国武士たちの掌握過程を再評価します。

累代の家人と狩り武者と言う二段階徴用を採る平家に対して、内部分裂を抱えある意味恩賞で釣る形でしか纏まる術を持たない頼朝と東国武士たち。それ故に、少ない一族閨閥をある時点まで極めて大事に扱う一方、御家人たちに新恩を与え続けなければならない、全盛期の秀吉にもみられた一門という姿の生成と、戦い続ける相手を探し続けなければ解体の危機に瀕してしまう、武門の危うさも滲ませていきます。

戦い続ける理由(ここで王権を支える唯一の武力という言葉が出てきますが)を求めて列島を西へ、北へと転戦を続ける頼朝と武士たち。前述のように頼朝と弟達はこの時点では決裂する関係にもなく、頼朝の指揮の下でそれぞれの当初の目的(情報伝達の遅れによる齟齬はあるにせよ)に従って軍を進めていた事になり、特に屋島の戦いについて義経が突出した軍功を目指して抜け駆けしたわけではないと指摘します(ここで、ある見解について著者はかなり強い否定を述べています)。

結果としてより大きな軍功を得ることになった義経が御家人から嫉妬の対象となった点は否定できないようですが、彼が貶められたのは従来述べられる無断任官(この事自体、誤認であり頼朝も同意の上であったとし、黙認できなかったのは在京が求められる院御厩司に後白河が任じた事であると)とは異なり、範頼同様に実の息子である頼家への脅威だったと見做していきます。この流れの中で、北条時政の京都への代官としての派遣を織り込む事で、頼朝が頼りにする相手が兄弟から、諸大夫ではなかったが伊豆に在住していた頃から京都との繋がりを有していた、自らの息子への継承という点で利害が一致する北条一門へと遷っていったことを印象付けていきます。

制止を振り切っての奥州合戦の後に後白河と漸くの対面を果たすことになった頼朝。ここでも著者は玉葉の著者でもある時の摂政、九条兼実と頼朝が盟友関係にあったとされる指摘に対して、その玉葉の読みこなし自体から指摘しつつ、否定的な見解を述べていきます。著者の指摘、それは平清盛同様に、頼朝も入内工作を進める事を前提に入京を果たしたと考えており、その中で競争関係を生じる兼実とは本質的に相容れない関係に入っていた事を指摘します。

著者が繰り返し読者の見識に懸念を抱く(???)頼朝の入内工作の狙い、それは御家人たちを掌握する唯一の手段である新恩が「王権を支える唯一の武力」となってしまった事で新たに与える余地が無くなった矛盾の相克。後の世まで武門を統制する二つの利権となる領地と官位の両輪を自らの統制下に置くための算段を打つ活動を、死去する直前まで進めていたと想定します。

その上で、前述の義経同様、京に在住することを求められる右大将ではなく、同じ位階であっても従軍中に帯びる官職である「大将軍」号の請求に至ったと逆説的に指摘します(実朝の時には既にこの制約が無くなっており、25歳で摂関家に準じて右大臣に昇ったのは至極当然だとも)。

結果として大姫、三幡と自らの死去によりこの目的は果たされる事が無かった訳ですが、関西系の研究者の方が書かれる著作に度々見受けられる「もしあの時」という想いが強く滲み出る筆致(本書の場合は敢えてと述べて書いてしまいますが)を繰り返し残して、その後の政子と京の関係までを描いて筆を置く本書。

鎌倉に武家政権が建ち上がったのは必然なのか偶然なのか(むしろ最近の風潮はこちら?)という議論に此処では立ち入らない事にしますが、これまでの著者の筆致を崩してまでも、読者に対しての不可思議なまでの懸念と、ある強い想いを要所で述べていく本書。

直近の著作である「源頼義」と互いにエールを送るように元木先生の成果を援用して綴る野口実先生の「源義家」(「河内源氏」は書庫の何処かに埋もれてしまい見つける事が出来ず…)の河内源氏人物シリーズと、同じ中公新書から直近で刊行された、もう一つの源氏たちの姿を平家物物語の読みこなしから文学的な視点も織り込んで綴る「源頼政と木曽義仲」も併せて。

「一般の」読者にとって、専門家の方々による様々な研究成果の一端とその見解を手軽に書籍として読ませて頂ける環境が未だに続いている事は、出版不況が長く叫ばれる中でむしろ喜ばしい事(よもや承久の乱が新書で2冊同時に出てくる時が来るとは…)。

様々な視点から歴史の推移を見つめる楽しさを与えてくれる著作たちに感謝を。

 

今月の読本「島の地理学」(スティーヴン・A・ロイル 中俣均:訳 法政大学出版局)大陸と辺境の格差と制約を人文地理学で積み上げる島嶼学へ

今月の読本「島の地理学」(スティーヴン・A・ロイル 中俣均:訳 法政大学出版局)大陸と辺境の格差と制約を人文地理学で積み上げる島嶼学へ

大きな本屋さんにぶらりと立ち寄った時、頭の中に常に入れてある数十冊程の読んでみたいと思っていた本を偶然書棚で見かけてしまうと、果たして買ってよいものか少しばかり緊張が走ります。大抵普段は手に取る事が出来ないハードカバーの本、お値段よりも読書時間のやりくりをこの一冊の為に割けるのかと悩み込む事、暫しとなります。

今回もそんな葛藤の中で手に取った一冊。予想通り読みこなすには相応の時間を要する結果となりましたが、テーマである人文地理学と言う世界にほんの少し触れられたように感じた本になりました。

今回ご紹介するのは「島の地理学」(スティーヴン・A・ロイル 中俣均:訳 法政大学出版局)です。

大学の出版事業で刊行するこの本、現在では島嶼学という区分を用いられる人文地理学の一分野を開拓されたイギリスの地理学者の方が書かれた概説書にして、決定版と評される一冊。内容的にもお値段的にも決して一般向けとは言えない本ですが、その分、表題のテーマについて濃厚に述べられていきます。

著者自身が住まわれている場所自体が「島」であるイギリス。世界の海を制覇した大英帝国の残滓が残り、未だ海外領土(植民地とは言わない)としての島々を多数有していますが、著者自身もそれらの離島を含めて世界中の島嶼、孤島を巡られた(あとがきによると2016年時点で864島)先に綴られた本書。

表紙の写真からトロピカルな南洋の島々のお話が中心かと思われますが、前述のように著者は世界中の離島を廻った方、更には解説文にあるように、数々の離島を擁する北アイルランドで教鞭を執るようになってからこれらのテーマに打ち込むようになった経緯からも判りますように、如何にもと言った南洋の島々の姿だけを描く事を良しとしていません。

人文地理学という言葉の通り、本書では歴史的な推移を踏まえた膨大な知識と経験の蓄積の上に描かれる離島の姿をテーマごとに重層的に積み重ねることで、現在では「島嶼学」と呼称されるようになった、その特異な地勢の輪郭像を定義して描き上げていきます。

結論だけ述べてしまえば、読まれる方が凡そ把握されているように、モノカルチャーである一方、少数の人員で生活に必要なあらゆる要務を担う必要から、行政や事業体を含めて複数の職種に就く事が当たり前となる経済的な自立性と多様性の低さ。輸送面の不利を含めてあらゆる面で高コストな社会基盤構造。競争的な側面が生まれにくい事からその地に生きる人々は常に著者の言う「大陸」からの波濤に対して余りにも脆弱で、一度その波に呑まれてしまい、経済活動の影響下に置かれると、途端に政治的にも脆弱な立場に立たされることを地域性、経済性、そして地政学的な観点から繰り返し指摘します。

世界的な経済活動の中では存在自体が埋没してしまうこれらの離島。特に著者が居住するイギリスの場合、周辺には特異な自治制度を持つ島々や、中米、南洋、更には大西洋の果てまでに海外領土を有しているため、これらの島々の事例を積み重ねてくことで、それぞれの島が自立した経済活動を維持する事が極めて困難であることを示していきます。

もちろん、その中にあるオフショア金融で繁栄する島や低廉な人件費を武器に進出するテレワークといった現代の情報通信の発展がもたらした新たな産業へのアプローチ、比較的恵まれた条件下で教育を始めとする社会基盤からの再構築を目指す、プリンスエドワード島(赤毛のアンですね)の例も示されますが、成立や収益の基盤を「大陸」の経済活動とその競争の中に委ねている点では変わらないと指摘します。

一方で、この書籍にご興味を持たれる方であれば、必ず着目されるであろうクルーズを含めた観光やエコツーリズムに対しても、島の乏しいインフラ基盤(水源、電力、乏しい可住面積自体)を枯渇させ、彼らが望む物品はまた島外から持ち込まれる事を指摘した上で、興業化された「伝統」からの収益を目指さなければならなくなる、経済性に埋没していく事に対して、平穏な暮らしを求める島民たちとの軋轢へのバランスのとり方の難しさも、実際のツアーの姿を示しながら指摘されます。

また、本書はあくまでも「島嶼」をテーマとして多面的な側面をからその姿を描く事を目的としているため、離島自体が抱える経済的、物質的な課題を解決する方策が述べられる訳ではありません。しかしながら、その分析手法を実践として示すために終章に於いて著者が用意した「島嶼学」の検討テーマが、大西洋の絶海の孤島たちである英国海外領土の三つの島。

余りにも有名(この表現、特定の方にと但し書きが必要でしょうか)な、トリスタンダクーニャは成立の過程から居住者の特異な病歴と言った島嶼の孤立性の典型例として本文中で語られますが、検討のメインに据えられるのは、以前はその主島としての役割も果たしていた、セントヘレナ。

昨年2月に最後の郵便船と称されたRMS St Helenaが遂に退役、直後に待望著しかった空港が開設されましたが、本書はそれ以前のケープタウンからの船便か空軍による空路があるアセンション島経由でしか辿り着けない絶海の孤島の姿から、島の自律性と本国との関係を分析する事例として検討を加えていきます。

本国からも遠く離れ、特産となる物産も途絶え(以前は亜麻のモノカルチャーと言う点も離島的だと)経済的な自立も立ち行かない島に対して、著者が指摘する重要な「資産」、それはナポレオン終焉の地であるという歴史的な事実、そして当時の姿を依然として色濃く残すタイムスリップしたかのような街並み。

離島にとって最も大切なもの、それは大陸との経済競争の中を生き抜く先鋭化したプランテーションのような単品種産業でも、隔絶性がもたらす孤独と悲惨さでもない。もちろん国際法の抜け穴を利用したり、大国の意向を呈する事で資金援助を掻き集め続けるという依存でもない。その地に根付いた歴史的な背景の蓄積を如何に大切にアピールしていくかと言う点であると述べていきます。

離島と言う極限の辺境がもたらす姿を人文地理学と言う視点で描き出す本書。実は本文中に繰り返し指摘されるある点に於いて、離島に限らず極めて普遍的な事が述べられている事が判ります。それは、大陸と離島の関係を述べる際に語られる「中央と辺縁」という視点。

経済的にも文化的にも大陸と言う中央から離島と言う辺縁へ傾斜的に波及するものであり、それはたとえ島嶼群であっても主島と属島の間では深刻な格差が生じる点からも厳然たる事実であると指摘されます。その中で、第二次大戦で敗北する以前の日本は唯一例外的に自分たちの範疇で自律的に取り仕切る事が出来たと指摘する、同じ島国であっても大陸との切り離せない関係の中で歴史を刻んできた地に住む著者。

その指摘は地方に在住する私にとっても直視せざるを得ない内容を含んでいます。離島と言う極限の例を用いて、自立した地方などと言う存在は無いことを冷徹に指摘する著者(かのトリスタンダクーニャにしても、経済的自立の根底には日本を含むロブスターの輸出がある点は否定できません)。その上で、地方にとって本当に必要なものは何か(著者は人口と教育であるという、現在の日本が抱える問題と同じ点を明快に指摘します)を考えるきっかけを与えてくれる一冊です。