土曜の夜に美術と建築の楽しさを教えてくれた19年間に感謝を(遂にリニューアルを迎える「美の巨人たち」)2019.3.31

土曜の夜に美術と建築の楽しさを教えてくれた19年間に感謝を(遂にリニューアルを迎える「美の巨人たち」)2019.3.31

昨夜の放送で、何の前触れもなく次回からのリニューアルが伝えられた、テレビ東京系で放送されている「美の巨人たち」(以前の番組紹介はこちらのアーカイブサイトのアドレスにリダイレクトされています)。

先週の予告から疑問を抱いていた、何でこのタイミングで広重なんだろう、しかもテーマは東海道五拾三次の終点、京都という不安。番組が始まると更に正蔵が広重役を請け負うとはちょっとおかしいなと思いながらラストに至って確信を得た後の予告。

2000年4月から始まった放送が20年目を前にしてあっさりとリニューアルと言う形で終焉を迎えた瞬間。呆気にとられて暫し思考停止となった中でSNSを眺めはじめると、視聴されていた多くの皆さんも同じように動揺を隠せないコメントを残されていたのがとても印象的でした。

思えば、今シーズンは久しぶりにモデュロール兄弟が登場していましたし、絵画警察でも不穏なセリフが述べられたり、年が明けてからも奇妙なタイミングで若冲の特集とちぐはぐなイメージが付きまとっていましたが、やはりと言うべきか遂にと言うべきでしょうか、その時が来たようです。

落ち着いた時間が流れる土曜日夜の放送、酒類会社による一社提供番組(実際にはスタート時は異なりますし、最後の2年間は2社提供)。小話を多用したスタイルや、専門家を立てての我々が知らない見方、考え方を教えてくれる構成。知的好奇心の高い若い社会人層をターゲットにした設定。更には番組末期に行われた番組の若返り、若者や女性層へのアプローチを狙った番組内容のライト化と出演者の追加。その姿は終了間際のちぐはぐ感までも含めて、少し前に終了した東京FM系列(JFN)で放送されていたSuntory Saturday Waiting Bar AVANTIとそっくりであった事が判ります(AVANTIの最末期も構成分割しての実質2社提供でしたね)。

数々の小話を彩って来た名シリーズ(絵画警察、モデュロール兄弟、桜子さん…etc)、出演者たちの舞台も喫茶店や古書店など、大人の雰囲気を漂わせる少しノスタルジーを感じさせる雰囲気を作り出す事に注力していたように思えます。

そして、少しエッジが効き過ぎて滑る事もままあった小話を引き締めて、美の鑑賞へと誘ってくれる、落ち着いた小林薫さんのナレーション(時には出演者たちを宥めたりも)は、19年に渡る番組のイメージを決定付けていたように思えます。

番組を彩り、美術鑑賞と建築の妙を伝えてくれた数々のギミック(ラストシーズンには制作者のご紹介もあったAOKIT、大好きでした)。豊富な経験が生かされた海外ロケーションでは、他の番組が取材しても叶わないであろう貴重なシーンの撮影も数々であったかと思います(作者を演じる事になる現地での出演者さんとの調整も大変だったのではと)。

更に、前述のAVANTIではないですが、この番組が誇る選曲の素晴らしさ。手元にある500回記念の際にリリースされたアルバムのライナーノーツを書かれているのは、何と初代のプロデューサーの方。その伝統が番組の根底に脈々と受け継がれているのは、番組のHPで毎回使用されたBGMのタイトルとアルバム情報が掲載され続けている点からも明らかかと思います(番組終わった後で楽曲チェックするのも楽しみでした)。

良質な音楽に乗せて、限られた時間の中で一つの作品を楽しくも丁寧に解説してくれる、貴重な土曜夜の30分間。特に美術作品の紹介はEテレの日曜美術館(時に作品が寸でのタイミングでバッティングする事も)もありますが、建築関係の作品が紹介されるのは殆ど唯一と言っていい番組(それだけに、モデュロール兄弟がライトな建築ファンに与えた影響は絶大だったはずです)。

私自体もこの番組が無ければライトの作品もコルビュジエにも興味を持たなかったかもしれませんし、自由学園、聴竹居や日土小学校を知る事も無かったでしょう(末期には次回が建築関係の放送と知ると、何時も録画スタンバイ状態でした)。絵画でも、ほとんど知識が無かった近代アメリカの作家たち、ホッパーやフュークス、モーゼスが大好きになったのも番組のおかげです。

そして、何時も写真を撮影している御射鹿池をモチーフにした「緑響く」しか知らなかった東山魁夷の作品を観るために東山魁夷館(長野県信濃美術館)に赴き、彼の絶筆となる「夕星」に出逢い、唐招提寺の襖絵、ヨーロッパ取材旅行の作品に圧倒され、すぐ近くに作品が収蔵されている事すら知らなかった犬塚勉の作品を観る機会を得られたのも、この番組、放送を観る事が出来たおかげです(放送翌週の週末、作品が収蔵されている旧日野春小学校の校庭が県外ナンバーの車で埋め尽くされていたのを観て、番組の影響力の大きさと視聴者の皆様の旺盛な行動力に驚きました)。

久しぶりに番組のアルバムを聞きながら、数々のシーンを思い出す夜。

一社提供番組と言う豊穣な世界が生み出したその姿は、美術館に飾られた絵画の如く、視聴者の皆様の番組への深い想いと共に、時代のワンシーンへと収められていくようです。

次回予告で登場された出演者の皆様や次のテーマ選曲を拝見すると、正にEテレがそのまま移ってきたかのようなラインナップと構成となるリニューアルにちょっと驚きながら。でも、テレビ東京の前身と制作会社(日経映像)を考えれば、制作サイドとしてはお互いに影響を与え合う程に両者は極めて近い間柄にある事も事実(日曜美術館の方は4月からアシスタントが柴田祐規子アナに変わって、2年目となる小野正嗣さんの趣向がより前面に出て来そうですね)。

その前身の姿を今に伝える貴重な枠が、土曜の夜と言う誰もが視聴しやすい時間帯で継続してくれたことにまずは安堵しながら。リニューアルした番組がより楽しく、美術と建築を理解するための入口としての役割を果たし続けて下さることを願って。

素敵な番組を届けて下さったスタッフの皆様と、19年に渡って土曜夜の一時を穏やかなナレーションで紡ぎ続けて下さった小林薫さんに感謝を。

小雪舞う午後、冬と春の狭間で(2019.3.31)

小雪舞う午後、冬と春の狭間で(2019.3.31)

今日で3月も終わり。

朝から小雪が舞う中、年度末の処理を終えた後、夕暮れまでの時間に少しカメラを持ち出して。

午後の日射しの中、雪雲が流れ続ける八ヶ岳の上空。

時折切れる雲間の下には、真っ白に雪化粧した山裾が見えています。

分厚い雪雲に覆われた八ヶ岳の峰々。

午後になって眩しい日射しが戻ってきましたが、山から冷たい風が吹き下ろしてきます。

再び雪景色となった西岳と編笠山。

午後の日射しが雪雲を眩しく照らしています。

南アルプスの上空も雪雲に覆われています。

西日に照らされる青々とした高い空はまだ冬の空色。

甲斐駒の裾野には霧が覆い被されるかのように雪雲が下がってきています。

小雪が舞う甲斐駒を望む七里岩の断崖。

界隈で一番早く花を咲かせる枝垂桜。紅色の蕾で染まる枝が吹き付ける山からの強い風に揺れています。

一瞬、日射しが差し込んだ瞬間に、開き始めた桜の花びらを。

4月始めの明日も雪の予報が出ている八ヶ岳南麓。それでも春は一歩ずつ近づいて来ています。

 

今月の読本「黒部源流山小屋暮らし」(やまとけいこ 山と溪谷社)絶妙なタッチで描かれた、峰々の天上に披く季節を巡る観察記

今月の読本「黒部源流山小屋暮らし」(やまとけいこ 山と溪谷社)絶妙なタッチで描かれた、峰々の天上に披く季節を巡る観察記

久しぶりにとても気持ちの良い一冊に巡り合えました。

ここ数年、一時期の不振を振り払うかのような勢いで新刊を送り出してくる山と溪谷社さん。大ヒットとなった山怪を始めとした「黒本」シリーズに生き物関係や文庫に新書。もちろんメインラインとなる登山に関する書籍を含めて驚くほどラインナップが充実してきています。

本屋さんによってはヤマケイの本だけで小さなコーナーが出来てしまう程の充実ぶりの中、最近は広い読者層に向けた登山や自然に関するエッセイにも力を入れているようですが、その中からちょっと気になった今月の新刊から(今月は更にもう一冊読みたい新刊も)。

黒部源流山小屋暮らし」(やまとけいこ)をご紹介します。

著者のやまとけいこさんは美術家にしてイラストレーター。さまざまな出版物のイラストや美術館での展示作品もある方。その一方で、学生時代から山歩きと渓流釣りにのめり込み、美術を手掛けながら世界を廻りたいという夢を叶えるため、その元手を稼ぐ手段として山小屋勤めを見出された方。

根っからの山岳愛好家やアルピニストとはちょっと違う、山を生きる糧とする人々ともまた違う。山と登山、イワナたちが大好きで、それらを自らの生活サイクルの中にすっと組み入れてしまった著者による、黒部川源流の薬師沢にある山小屋を巡る、自らと其処に集う人々を綴る観察記。

通算12シーズン(冬季は閉鎖)に渡る実体験を綴る内容ですが、著者の手による表紙の可愛らしいイラストから察すると、中身もイラスト主体でかなり緩めなのかと思って読み始めたのですが、しっかりとした文体と内容にすっかり魅せられてしまいました。

軽やかでありながら落ち着いた筆致。イラストのイメージそのままに、時折くすっと微笑んでしまう内容も多く綴られていくのですが、山人らしいというのでしょうか、その視線は常に冷静さが保たれており、大きなトラブルも自らの想いを描く際でも殊更に誇張せず、自然に文中に収まっていきます。また、山小屋と言う限られた空間で繰り広げられる内容のため、登場する人物は必然的に限られますが、著者を含めて登場人物個人に視点を当てる事は少なく、あくまでも山小屋での日常シーンの一部として描いていきます。

黒部川源流の川縁に佇む山小屋を主人公にして季節を巡る、其処に集う人々と行き交う登山者たち。登山道、渓流、時にはヘリコプターと、舞台は時折変わりますが、そのいずれもが著者が愛おしく思う、傾きかけて床と机があべこべの向きを向いてしまうような山小屋があればこそ。バスが発着する登山口から片道7時間以上、深山の更に奥を行き交う事を許された限られた人々が集う、遥か峰々の向こうにあるもう一つの世界。

春の小屋開けに向かう富山地方鉄道の車窓から始まり、空が高くなり里より遥かに早く冬の足音が聞こえてくる体育の日の連休明けから始まる小屋閉めと下山の日まで。シーズンを通して彼の地に踏み入れた登山客と迎え入れる天上の住人達の日常風景をワンシーズンのスパンに収めて、朗らかに、しっかりとした足取りで綴っていきます。

シーズンを通して色々なテーマが描かれていきますが、著者は厨房長を名乗る為、一番の関心事は食糧。冬の間に忍び込んでは翌年の小屋開けの為に冬越しさせる貯蔵食料を食い荒らし、やりたい放題を尽くす野生動物たち。小屋を開けた後になると闖入してくるネズミやクマ!更には山小屋のマスコットでもあるヤマネが厨房や布団の上をおろおろと動き回る姿を、楽しくも時に少し厄介そうに綴る(鼠との我慢比べ、ちょっと楽しかったです)。あらゆる物資をヘリコプター輸送に頼る山小屋経営の厳しさと、傷みやすい野菜たちの保存方法や食材の仕込み量に頭を悩ませ、ハイシーズンになると起こるある「現象」に、ほんの少し申し訳なさそうな想いを語る。

また、知っているつもりでも山小屋ならではの生活の不便さやちょっと困った事(トイレやお風呂、お布団や居住空間)について、働いている側の視点で描かれる事は珍しいかもしれません。そして登山者を迎え入れる場所としての山小屋の姿。太郎平小屋を中核とした黒部山中の山小屋の歴史とそれを支え続ける山小屋で働く人々の姿。山小屋が単なる登山客の休養、宿泊施設ではなく、登山と言う人が山を往くバックボーンを支えている事を実感させられるシーンが描かれていきます。更には奥深い山中の山小屋と言う限られた空間故に、代わりを求める事も逃げ出す事も出来ない難しさを含めて、其処に集う人たちとの一期一会を大切にしたいという想いを強く重ねていきます。

黒部源流の山小屋と聞くと険しい渓谷を登り詰めた先、天上に拓かれた小さな宝箱のような別天地というロマンチックなイメージだけに目が行きがちですが、その足元にある山小屋の日常をしっかりと描き込んだ上で、ほんの少しのお休みには人と共に源流を生き抜くイワナ達と戯れ、山を歩く姿に瑞々しい天上の息吹を載せて。

微笑ましさと爽やかな川面を渡る風の様に心地よい読後感を与えてくれた一冊。素敵なイラストと文章たちへ殊更に魅せられたのは、流麗な文章以上に同年代の著者が描き出したその世界に、ほんの少し眩しさを感じているからなのかもしれません。

お彼岸を迎えて、少し冷え込んだ夕暮れに(2019.3.23~24)

東京で桜の開花が発表された先週末。

標高が4桁に達する八ヶ岳西麓でも朝の気温が10℃を上回るという驚くような暖かさとなる日もありますが、カレンダーは漸くお彼岸を迎えたばかり。

再び氷点下の寒さが戻ってきた週末の夕暮れ。

標高が1200mを越える八ヶ岳中央高原でも最深部に位置する八ヶ岳農業実践大学校。

3月に入って降り続いた雪で再び雪化粧を施された八ヶ岳も、少しずつ色褪せてきています。

西日を浴びる雪渓が浮かび上がる南アルプスの山並み。

春分を過ぎて、日射しが随分と北へと上がっていきました。

夕日でほのかに染まる鳳凰三山の雪渓。

まだ白い雪を多く残す甲斐駒の雪渓にも西日が差し込んでいます。

入笠山の斜面に広がるスキー場もそろそろシーズン終了。

シーズンインの時には人工降雪がままならずどうなることかと思われましたが、無事にスノーシーズンを乗り切りそうです。

立沢から望む夕暮れの富士山。空は桃色のグラデーションになりました。

振り返ると八ヶ岳の山並みも夕暮れに染まります。

雪渓の残る荒々しい山肌が浮かび上がる、夕日を浴びる八ヶ岳。

日射しが西に沈むと、山肌は桃色に染まっていきます。

桃色に染まる八ヶ岳の雪渓。春を待つ山の色。

遥か遠くに雪の山々を望む圃場の夕暮れ。時刻は6時、すっかりと日暮れが長くなりました。

冬至の頃には杖突峠近くに下っていた諏訪湖の夕暮れも、この時期になると有賀峠を越えて塩嶺へと徐々に北へと上がってきます。

昼間は上着が要らないほどに暖かくなりますが、日が沈むと再び氷点下へ。

波打つように寒暖を繰り返しながら、山里の季節は徐々に春へと向かっていきます。

 

 

 

15年の時を経て再びライチョウの展示を開始した大町山岳博物館へ(2019.3.17)

15年の時を経て再びライチョウの展示を開始した大町山岳博物館へ(2019.3.17)

今月の15日から全国5箇所の施設で開始された、人工孵化、飼育のライチョウ公開。

これまで動物園で観る事が出来なかった高山に住むライチョウの姿を一目見ようと多くの方がこの週末に動物園を訪れたようですが、その中で少し異なった雰囲気での公開を迎えた施設があります。

昼前になって時折吹雪き始めた、大町市にある市立大町山岳博物館

今回公開を迎えた施設の中で、唯一2004年まで長期に渡る低地での繁殖活動を実施していた場所。2015年から開始された域外保全活動に於いて、環境省の支援の元で再び繁殖活動を再開、実に15年振りの再公開を迎えました。

雪雲の下に沈む大町の市街地を望む、博物館3階の展望デッキより。

お天気が良ければ、北アルプスの大パノラマが楽しめる格好の場所(写真撮影用にレンズを外に向けられる小窓が付いています)なのですが、残念ながら今日は雪雲の中。

そして、シーズンオフのこの時期ですと数台の車がぱらぱらと止まっているだけの筈の駐車場が…実は建屋の裏側まで満杯に。吹雪の中、スタッフの方が誘導に走り回るという驚きの光景を目にする事になりました。

今日は、今回の公開再開を記念して開催された特別講演を聴講にやってきました。

講師は本邦初(ご本人談)のライチョウ研究で学位を取得した小林篤氏。ライチョウ研究の第一人者、中村浩志先生と共に研究されている方で、昨年刊行された「ライチョウを絶滅から守る! 」(しなのき書房)の共著者でもあります。

他の施設と大町山岳博物館が大きく異なる点、それは地元北アルプスの自然を象徴する鳥であり、前述のように過去にも長く(20年以上)に渡ってこの場所を拠点としてライチョウの低地における飼育に挑戦していたというベースを市民の皆様が共有されている事です。

今回の講演会もその中核を担う山岳博物館の会員組織(山博友の会)の皆様が会場運営に当たり、聴講する側も県が活動を展開するライチョウサポーターズの皆様等、熱心な方々が多く集まられたようです(参加者の年齢層が広く、何より女性の方が多いのに驚きました)。

地元報道各社の取材が入り、定員80名が満席となる盛況の中で行われた講演。内容自体は前述の著作を読まれた方であれば御承知の内容が殆どかと思いますが、南アルプスで行われているゲージ保護の動画が紹介(雛たちが殆ど人手を介さずに連なって自らゲージに戻っていく)されると、会場から一斉に歓声が上がっていました。

ライチョウの生態とこれまでの活動の推移を示した後で、直近の保護活動、人工繁殖に極めて大きな示唆を与えることになる、親の盲腸糞から腸内細菌を雛が取り入れている事を確認した最新の報告まで、丁寧な解説がなされていきましたが、今回の講演会で少し驚いたのが、講演後の質疑における演者の方が述べる率直な見解の数々。

質問される方も流石に良くご存知のようで、スライドには用意されない最直近の話題、しかも当事者としては微妙な問題が含まれる内容だと思うのですが、自らの見解としてはっきりと述べて下さったのは、とても好感が持てるところでした。

  • 中央アルプスで発見された個体は北アルプスに生息する群である事は把握できているが、実際にどこから飛来したかはわかっていない(多分乗鞍岳だろうと)
  • 中央アルプスへの移植については今後の検討に委ねられる(中村先生は実施したいと考えている)。現行の活動は5年計画で本年度で終了する事になっている
  • 火打山でのイネ科植物の除去については、当該群の生息数が極めて少なく、標高が低いという特殊な場所故の施策であり、火打山以外で実施する予定はない
  • ライチョウの生息群全てが絶滅に瀕している訳ではない。北アルプスの群は比較的安定ているが、特にゲージ保護を行っている南アルプスの群は減少が著しく、このままであれば絶滅する可能性がある
  • 南アルプスの群が減少している理由はゲージ保護を採用した理由である捕食者の影響もあるが、高山植物の減少、特にシカの食害が著しい。但し、全ての高山植物が激減している訳ではなく、巷間に伝えられるような話は登山道沿いなど限定的(それほどでもないと。サルのライチョウ捕食写真の件を含めて、少々センセーショナルに扱われているというニュアンスを演者の方から感じました)。もう一つはより大きな話なので、と
  • (山小屋周辺での捕食者を捕える罠の設置を認めるなど)国立公園は石一つ葉一枚動かさないという環境省のスタンスは徐々に変わりつつある
  • 腸内細菌のうち、有用な菌の分離、精製が出来ないか研究を続けている(宮野典夫前館長だったと思いますが、博物館側からの補足として、飼育個体でも雛の段階で親鳥の糞を食させる検討をしていると)。これが出来ないと、飼育個体を自然に放鳥した時に自然の食性に対応できなくなる恐れがある(朱鷺とは違う)。こちらの研究は今後にご期待くださいとの力強い発言も

館内の2階にある、この博物館が長年手掛けてきたライチョウ飼育、研究の経緯を辿るコーナーに新たに設けられた、現在のフィールドで保護、研究活動の全般を紹介するボード。今回ご紹介されていた内容が解説されています。

今回公開が始まったライチョウは、博物館の裏側にある付属園で飼育されています(こちらの付属園への入場は無料、館内の展示を見学する場合は入場料が必要です)。

雪が舞う中、付属園のスバールバルライチョウ舎の前で、講演会参加者の皆さんに説明する大町山岳博物館の館長さん。

ちょっとおネムのスバールバルライチョウ。

別のタイミングで撮影した1枚。ライチョウ飼育の事前検証の為に飼育を開始したこちらのスバールバルライチョウですが、ライチョウと見比べて違いが判るでしょうか。

そして、以前は飼育員さんの作業用プレハブ小屋が建っていた場所に、こんな立派な展示用飼育舎が建ってしまいました(驚)。奥の大きな建屋が、展示用の飼育舎です。

見学入口にはこのように域外保全活動の取り組みを示す解説板が用意されています。

この奥が展示場所なのですが…えーっと、他の展示施設の写真などを拝見していると、共通する展示場所のセンスには発注主様の…(以下自主規制)。

窓の向こうに雪が降る中、沢山の見学者に見つめられて落ち着かないのでしょうか、時にゆったりとポーズをとってくれるスバールバルライチョウに対して、右へ左へと忙しく動き回る、1羽だけ展示される事になった人工孵化から飼育されているライチョウの雌。

彼女の前途に、再び北アルプスの峰々を優雅に歩くライチョウ達の姿が見られる日が来る事を願って。

今回の人工孵化個体の公開は、環境省の主導日本動物園水族館協会との協定に基づき5箇所の施設で同時に実施されています。

大町山岳博物館での展示は、当面の間は毎日11時から15時までです。

もし機会があれば、お近くの施設で是非ご覧頂き、四季を通じて姿を変えていく愛らしい姿とその向こうにある彼女たちが生活する生息環境にも、少し思いを巡らせて頂ければと。

彼らが住まう南アルプスの麓より、今年の繁殖も成功を願って。

今月の読本「MINERVA世界史叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)「史料としてのメディア」の向こうに認識される世界を研究者達の眼差しで

今月の読本「MINERVA世界史叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)「史料としてのメディア」の向こうに認識される世界を研究者達の眼差しで

本屋さんで売られている歴史関係の新刊本は、特定のフォーマットや価格帯を意識したヒエラルキーを持っているかと思いますが、多くの場合はこんな感じで構成されるのでしょうか。

  • 毎月発売の文庫本/新書版 : ~1000円前後
  • 毎月発売の選書 : 1000円~2000円以内
  • 専門出版社の一般読者向けの叢書シリーズ : ~3000円程度
  • 研究者の方が著述される一般読者向け単著、訳書 : ~4000円圏内
  • 主に研究者向けの書籍類(装丁がシンプルな物たち) : 7000円~

今回ご紹介するのは、この範疇から微妙に外れる、一般向け叢書で5000円と言う、私の中の金銭感覚からすると明らかに購入に戸惑う(毎月の読書予算の過半、買うまでの躊躇はかなりありました)本。研究者の方々が著述される専門書だから当然なのでは言われればその通りかと思いますが、本屋さんで一読した感触は明らかに一般向け、しかもそのテーマ選定と著者陣の筆致が実に魅力的な一冊です(昨年12月の刊行でしたが、何と重版が掛かったようです!)。

MINERVA世界叢書6 情報がつなぐ世界史」(南塚信吾:責任編集 ミネルヴァ書房)のご紹介です。

一般書でも研究者の方や企業人、著述を生業にする方の著作でも専門性の高いテーマ(マニアックなどとは決して…)の書籍を扱っているミネルヴァ書房。ミネルヴァ日本評伝選等の日本史の叢書シリーズと共に、近現代史や教育関係に強いイメージがありますが、世界史に関しても多くの書籍を刊行されています。

今回ご紹介する一冊も昨年から刊行が始まった「MINERVA世界史叢書」シリーズの第三回配本分。「世界史の世界史」を描く事を標榜する全16巻の大型企画でもありその内容は多彩を極めますが、まずは読んでみたいと思い至ったのは前述のように今回のテーマ特異性と、多彩な執筆陣に惹かれたからに他なりません。

参考文献一覧が添えられた一章20ページ前後の本編10章と、その半分程度のボリュームで差し込まれるコラム6本で構成される本書。読書時間の確保が難しい中でも、一日1~2セクション位ずつで読み進められるように配慮された嬉しい構成。そのような構成を採る為、本書に本格的な議論を望むのは少々厳しい事かと思いますが、逆に今回のテーマにとっては非常に有利に働いていると思われます。

研究者の方々が日夜研鑽されている研究に必ず付いて廻る「史料」たち。その史料たちを読み解き、新たな知見を積み重ねていく事を自らの使命とする研究者にとって極めて大切な史料と向き合う際に見えて来る課題、その向こうに広がる世界への興味、好奇心の種を、世界史の狭間で自らの研究に添えるように語られる本書。

本書では研究者の方々が扱う史料達の中から、時代を越えて人々に情報を伝える媒体であるメディアに着目したテーマについて研究者の視点を通して語られていきます。

その著者陣は、既に名誉教授を称される大先達から海外の大学でPh.Dを取得した気鋭の研究者まで。ペルシャ語を専攻する若手研究者から郵便史研究家、更にはテレビ局の外報部記者出身で、NTVアメリカ元社長という海外ニュース報道のエキスパートまで。版元のイメージ通り多士済々という方々がこれぞという興味をテーマに掲げて筆を振るっています。

古代の写本から現在進行中のIoTとディープラーニングまでと言う幅広い時代を扱い、それぞれに異なる著者が執筆されるため、描かれる内容が統一した視点を有している訳ではありませんが、そのいずれに於いても実に興味深い見解が示されていきます。本当は一文では表現しきれないのですが、とにかくワンポイントで各章を紹介してみます。

第Ⅰ部 : 文字と図による伝達

  • 第1章 : 写本が伝える世界認識
    • 写本から零れ落ちたレイアウトと図に秘められたイスラムの世界認識再構築
  • 第2章 : 世界図はめぐる
    • プトレマイオス図の東辺に顕れる東南アジア交流路の実態とイドリースィー図にすら影響を与えた中華世界の地図たち
  • コラム : 地図屏風に見る世界像
    • 日本に遺される近世世界の地理感認識変遷と日本が与え挿入された地理感

第Ⅱ部 : 印刷物による伝達

  • 第3章 : 書籍がつなぐ世界
    • 訳本と訳者の系統から見る、イスラム世界への逆輸入まで果たした「千夜一夜物語」の実は猥雑な夜伽話の訳し方
  • コラム : 書籍商としての長崎屋
    • 江戸の一大情報サロンに集った人々と明治近代化を陰から支え潰えた長崎屋への想い
  • 第4章 : 近代的新聞の可能性と拘束性
    • 電信と挿絵が作り出した迅速、簡潔な伝達表現の向こうに横たわる、メディアと情報共有性の危うい幻想
  • コラム : 新聞の世界的ネットワーク
    • ナイジェリアの新聞発達史に映し出される、自立を始める植民地を繋ぐ知識人ネットワーク
  • 第5章 : イギリスのイラスト紙・誌が見せた十九世紀の世界
    • イラストが描く見下された「向こうの世界」とイギリス帝国主義の次に来る者達
  • コラム: 世界をつなぐ郵便制度
    • 世界最古にして最多の加盟国を誇る国際機関に至る道筋に先駆けたヨーロッパを繋ぐインテリジェンス一族の歴史
  • 第6章 : 反奴隷運動の情報ネットワークとメディア戦略
    • 「奴隷船ブルックス号」イラストとカメオのメダルに象徴される、イギリスの奴隷解放運動を支えた刊行物を広めあう男と女のネットワーク

第Ⅲ部 : 信号・音声・映像による伝達

  • 第7章 : 海底ケーブルと情報覇権
    • 技術と資金に乏しい日本の大陸進出橋頭保で勃発した帝国主義の代理戦争、序章編
  • コラム : 通信社の世界史
    • 帝国主義の下で世界のニュースを牛耳った三大通信社が進める原点回帰とある呪縛
  • 第8章 : アメリカの政府広報映画が描いた冷戦世界
    • アカデミー賞受賞ドキュメンタリー映画の向こう側に垣間見る、冷戦下の情報戦略に映し出された世界の姿
  • 第9章 : サイゴンの最も長い日
    • テレビの向こうに映る戦場報道のリアルと、戦場に持ち込まれた映らない政治闘争の陰
  • 第10章 : 衛星テレビのつくる世界史
    • 宇宙から繋ぐものが変えた、境界線を越えていく報道とネットワーク
  • コラム : インターネットとモバイル革命
    • インターネット、モバイルネットワーク小史と次のジェネレーションへの期待

このように実に幅広いテーマが描かれますが、殆どの章で、ある明確な執筆意図が認められます。

それは、読者に対してこれらのテーマで提示される認識のもう一歩先まで意識を広げて欲しいとう、執筆者たちの願いが込められている点です。

写本を語る章では、これまでの文献中心の史料研究に対して、添えられたであろう図表の研究への更なる配慮を求める。世界図を語る章では、明らかに東西で別々の認識であったとする世界観について、もっと情報の交流があったはずだと認識を改める必要性を訴える。

千夜一夜物語の逆輸入についても、その選ばれる訳書のバージョンや発禁とされる例を示して、訳出という側面と併せて出版による情報の統制とベクトルを語る。近世・近代の新聞やメディアについても、これは日本人研究者故と言う事情もありますが、当時の帝国主義による視点に対してそこには明らかな偏向があり、更には当時の日本、日本人自身もその渦中に突き進んでいった事を濃厚に示唆する。

第二次大戦後の世界におけるメディアを語る章では、東西冷戦という当時を経験した人々には当たり前であった視点自体が現在の研究では「冷戦的視点」とされ、日本人には遠く忘れ去られたベトナム戦争の影が今もアメリカの報道姿勢に重たい影を投げ掛け続けている事を、報道機関への不信に投影する(この不信の先に、特定の指向性を持つメディアへと選択傾向が先鋭化する現状が繋がるのでしょうか)。

更にその先にある、IoTによる末端にまで繋がるネットワークから引き出される、自らの価値を認めた対価として収集され続ける、膨大な個人情報という燃料を掘り当てた巨大企業による利便の代償と、政府による情報の収集とコントロールへの大きな懸念。

情報を伝え、世界を繋ぎ広めていく、それ自体が研究者の方々にとって日常の研究テーマであり、世界史の片鱗でもある媒体たちが、人々の認識という世界史を作り出す大きな力の一翼を担っていた事を示し、その背景までもを描き出そうという壮大なテーマに対して、研究者の方それぞれのエッセンスを読者へと伝えてくれる本書。

ほんの少し肩の力を抜いて一般読者に向けて書かれた、研究者の見出す気付きの向こうにこれまで見えてこなかった魅力的な世界史の姿を垣間見せてくれる一冊。多彩なテーマの向こうに、どんな世界史の一ページが見えるでしょうか。

ちなみに、私のお気に入りの一篇は澤田望先生のコラム。ナイジェリアと言う日本人にとってはマイナーな土地の新聞発展史をベースにして、帝国主義と世界的な通信社の伸張の先に続く植民地時代終焉の序章を、人物像まで織り込んだ魅力的な筆致を以て僅かなページ数で描き込んだその小論に感服した次第です。

春めいてきた空の色(2019.2.17~3.2)

暖冬が続く今年。

グンと冷え込むと逆に雪が少なくなる八ヶ岳南麓ですが、今年は冷え込みも厳しくなく、雪も少ないという、これまで経験した事のない穏やかな冬の日々が続いています。

満月前の夕暮れ。

例年なら雪原となる八ヶ岳西麓に広がる圃場も、今年は畔の傍にも雪が見えない状態。

それでも夕暮れを迎えるとぐっと冷え込んで来る2月後半。

夜の帳が降りるグラデーションが塩嶺の向こうに広がります(2019.2.17)。

すきっと晴れ渡った冬の朝。

雪の少ない八ヶ岳を望む圃場には少しずつ春の足音が近づいています。

少し霞んだ夜空の下、明るい月夜に浮かび上がる甲斐駒。

風もなく暖かな夜に撮影と言う、この時期としては異例のシーン。

おかげで、比較的シャープな一枚を収める事が出来ました(2019.2.18)。

暖かな一方で落ち着かない空模様の日が続く2月の下旬。

塩嶺に向けてうねるように帯を曳く雲たちが空を埋める午後の圃場。

八ヶ岳の上空にも帯を曳く雲が流れていきます。

雲の切れ間の向こうに飛行機雲を望んで。

高い青空はまだ季節が冬である証。でも、空を往く雲は春の心地です。

南アルプスの上空を舞う雲たち。

南に下り始めた夕暮れの日射しが山裾を霞ませています。

上空に広がる雲を連れて、西の空へと下っていく日差し。

夕暮れと夜の帳が交じり合う夕暮れ。刻々と変わっていく空の色と雲の動きに魅入られ続けます(2019.2.24)。

久しぶりに新雪に覆われた朝の八ヶ岳、でも南麓側では全く雪は降らず。

ほんの少し物足りなさも感じながら、暦は3月。厳冬の季節はそろそろ終わりを迎えます(2019.3.1)。

すっかり暖かくなった週末の夕暮れ。

霞んだブルーと夕日のオレンジが南アルプスの上空で交じり合いすみれ色に染まる、一足早い春を思わせる夕暮れ。

夜は氷点下まで下らず、昼間は10℃を上回る暖かな日々が訪れましたが、今夜は広範囲で雪の予報。

窓の外でしとしとと降る雨音に耳を傾けつつ、足早に過ぎ去る冬へちょっと寂しい思いも抱きながら、春の訪れを待ちわびる日々が続きます。