今月の読本(特別編)「地形図でたどる長野県の100年」(長野県地理学会:編 信濃毎日新聞社)二つの地図に刻み込まれた、変わりゆく信州の産業史と残り続ける人と自然の足跡

ブラタモリの人気と高校の地理必修化を目前に控えた昨今、本屋さんの書棚にはこれまでになく多くの地理関係の書籍が並ぶようになってきました。

そんな中で刊行された大判のこの本。ちょっと興味深い切り口でそのポイントを捉える一冊です。

今回は、普段とちょっと異なる一冊、「地形図でたどる長野県の100年」(長野県地理学会編 信濃毎日新聞社)を簡単にご紹介します。

地方出版社の中でもオリジナリティあふれる企画と、高品位な装丁と編集、美しい製版を伴った大手出版社に引けを取らない作品を積極的に送り出している信濃毎日新聞社。今年も年初早々から民俗学、信仰をテーマとした作品で注目を浴びる本も刊行されていますが、こちらも注目すべき内容を備えています。

地理ファンの皆様の中では既に多くの方が活用されているであろう電子版の地理院地図今昔マップ。本書は二つの特徴をそのまま紙の書籍に持ち込んだ一冊ですが、書籍ならではの大きなポイントがあります。Webの場合、解説もほぼなく比較と表示だけですので、その背景や地形図の読み方を知らないままに、だだ表示される地図を見ただけで要領を掴める方はかなり限られるはずです(クラスターの方は…ぜひどっぷりで)。

特にはじめて地形図と向き合う方にとっては、まずはその見方や身近なテーマから捉えていきたいところ。本書は、そんなこれから地理、地理学(自然/人文双方)を学んでいこうという方々に向けた、長野県をテーマにした53のストーリーを、2枚(複数枚のテーマもあり)の地図の比較で読み解きながら学んでいく一冊。

編者の長野県地理学会は地元教員の方も多数参加されているグループ。そのような教育者の方々を含めた執筆陣の知見と、地元地方紙である信濃毎日新聞社が培ってきた歴史的な取材写真、資料をフル活用して、明治から戦前の地図と現行の地理院地図を並べて比較したうえで、読み解きのポイントを示していきます。

冒頭は地理院地図の読み方、地形の読み方の解説。

本書で初めて地理院地図に触れる方も多いかもしれませんから、説明は絶対に必要ですね。地図を漫然と眺めてしまうと折角の気付きも見逃してしまうかもしれません。

そして、昔の地図が左、現在の地理院地図が右に表示された各テーマのページ。開発、発展、変容の3つの章に分けられたそれぞれのテーマは2~4ページほどでフォーマットが統一されていますが、その表記は流石は新聞社さんといったところでしょうか、イラストや写真、統計資料のグラフなどを挿入した版組は、図面に合わせ視覚効果を得られるようにページごとに変幻自在、所謂「まとめ系」サイトにあるような固定フォーマットでトピックスが垂直方向に延々と続く形では怠惰になってしまう解説も、アクセントを付けた書籍ならではの凝った版組なら飽きることなく見続ける事が出来ます。

主に中学生や高校生を念頭に置いた飽きさせない多彩なフォーマットを擁する本書ですが、固定された表記も存在します。塗枠で囲まれ、コンパスマークが添えられる「読図ポイント」。そして「今・昔」と添えられた地図記号のピックアップ。前述のように、どうしても地形図を見比べるだけではピンとこない点も、ポイントを示すことで理解の入り口を広げようという編者達の意図が見えてきます。

美しく印刷された地形図と見比べる際に確認しておきたいポイントを押さえた上で添えられた記事を読んでいくと、その地で何が起きていたのか、どんな歴史が育まれてきたのかが明瞭に浮かび上がってきます。特に地元に住まわれている方であれば頷くことも多いであろう内容。社会科の学習を念頭に置いているためでしょうか、長野県の特徴に繋がるテーマとなる、林業、養蚕、製糸業、精密機械、高原野菜、観光業など、農業を含む主に産業史的な発展のお話が多いのですが、決して良い事ばかりが書かれている訳ではありません。

先般の水害も思い起こさせる、三六災害をはじめとする災害の爪痕とその復旧の跡。大規模な耕作地開拓、工業団地の造成、高原リゾートの開発には広大な山林、従前の自然環境減少という側面が常に付きまとい、高度成長期を過ぎて過疎化が進む中山間地域からは人の痕跡が地図上からも失われていく様子がじわじわと伝わってきます。

明治から現在まで、信州、長野県の産業の発展が明瞭に刻まれる地図上の変遷ですが、私にとって印象的だったのが、どんなに画一的な開発が進んでも、その中に過去から続く人々と自然が残した痕跡は明瞭に残り続けるという点。

私にとっても身近な生活の場でもある諏訪湖の周辺。

江戸時代からの干拓による圃場化によって、その湖面は旧地図の作られた昭和六年時点でほぼ現在と同じ面積にまで狭まっていますが、干拓地の上にくねくねと集落(上・中・下の金子)を繋ぐように引かれた、自然堤防上の道筋と集落、そして排水路でもある河道の位置は現在でも驚くほど変化がありません。

現在の居住地と比べると集住していたことがわかる一方、旧来の道筋や集落の痕跡は今でも地図上で、そして車や徒歩で周辺を巡ると明瞭に分かる。人々が住んできた場所、選んできた場所や道筋、自然が作り出す川筋の意味は、歳月を重ねて刻み込まれていくことが地図を見比べることで改めて理解できるような気がします(人文学系、考古学の発掘研究成果によると、これら集落の場所は概ね鎌倉期以降に固定化が進むとされています)。

美しく製版された地形図と分かり易く丁寧な解説を読みながら、自分たちが住んでいる場所の昔と今の繋がりを理解する。編者達は、その更に一歩先に、今度は紙の地図を片手に、自分たちの住んでいる場所を実際に歩いて実感してほしいという願いを込めていきます。

この本から地形図と地理が好きになってくれる人が一人でも増えてくれたらいい、地形図を入り口に地元の歴史と産業にもっと興味を持ってもらいたいという願いを編み込んだ素敵な一冊。長野県外の本屋さんで入手することはちょっと難しいかもしれませんが、地図、地形図を眺めるのってこんなに楽しいんだという体験の入り口として、ご興味があれば是非ご一読を。

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