鮮やかに空移ろう麦秋の八ヶ岳山麓(2020.5.22~6.7)

例年よりぐっと静かな新緑の季節を迎えた八ヶ岳山麓。

例年ですと眩しい緑を求めて山へと向かう頃ですが、今年はちょっとブレーキを踏んで、てくてくと普段行き交う道端をカメラ片手に歩いていきます。

雨が降るとまだまたひんやりとする5月の下旬。

雨上がりの朝、圃場に映る南アルプスを覆う雲がゆっくりと離れていきます(2020.5.22)

眩しい日差しが降り注ぐ昼下がり。

八ヶ岳を望む圃場に広がる麦畑。青々とした麦の穂が立ち並んでいます(2020.5.23)

空を覆う雲が切れ始めた夕暮れの圃場。

ずいぶんと長くなった夕暮れの日差しが、ゆっくりと西の空に沈んでいきます。澄んだ高い空を望めるのも、あともう僅かです(2020.5.24)

夕暮れ、少し早く仕事場を離れると、八ヶ岳の空に掛かる雲が柔らかな薄紅色に色付いています。

慌てて西の空が望める場所まで移動すると、空を編む雲が紅色に染まっていきます。

暫く空の移ろいを眺めた後、振り返って南アルプス上空を望むと、うっすらと尾を曳く雲が薄紅色に色付いていました。そろそろ湿度が上がってくる頃、夕暮れが華やかになってきます(2020.5.27)

気温が上がり始めてきた5月の末。

朝の圃場から望む八ヶ岳の稜線に雲が沸くようになってきました(2020.5.29)

暑くなる日とひんやりとした雨が降る日が繰り返し訪れる5月の末。

時折、雨が降る夕暮れ時、禾が色付き始めた麦の穂(2020.5.31)

6月に入ると急に気温が高くなってきた八ヶ岳南麓。

夕暮れ時、熱を帯びて霞んだ空を柔らかく染め上げる夕暮れ。日が沈むと涼しくなり、ほっと一息つく瞬間(2020.6.3)

熱を帯び始めて霞んだ空が続く6月の初旬。

眩しい日差しの中、霞む青空の向こうにすっかり雪渓が少なくなった甲斐駒を望む朝。圃場を渡る風が心地よく感じられます(2020.6.5)

晴れて暑い日が続いた後、お天気が崩れ始めた週末土曜日。

さっと雨が降った夕暮れ、クリアーになった西の空を雲間から照らす夕日。圃場の稲も随分と育ってきました(2020.6.6)

雨雲が去った日曜日。

午後になると再び八ヶ岳の上空は雲に覆われてきます。

麦秋を迎えて琥珀色に染まる八ヶ岳を望む圃場。

西日を受けて琥珀色に染まる麦秋の圃場の向こうに延びる南アルプスの稜線。

雨上がりの午後、山里に広がる琥珀色の渚の上に浮かぶ雲。

梅雨を前にした鮮やかなワンシーン。

圃場を離れて山裾を進む途中、エゾハルゼミが合唱を奏でる雑木林。午後の日差しを通す緑も瑞々しい新緑から少しずつ色を濃くしていきます。

夕暮れを迎えて高く雲が沸きあがる八ヶ岳の稜線。

夕暮れになって厚い雲に覆われてきた西の空。

雲の切れ間から降りた天使の梯子が諏訪の街並みを包んでいきます。

厚い雲の切れ間から稜線へと下ってきた夕日。

山の端を鮮やかに染めていきます。

諏訪の盆地を囲む山並みの向こう側へと沈んでいく、鮮やかに輝く夕日。

山並みの向こうへと沈んでいく夕日を暫く眺めていると、空を覆う雲を残照が照らし出していきます。

圃場の麦が熟すると八ヶ岳山麓もそろそろ梅雨入りを迎える頃。鮮やかに色づく日々も暫し、お預けでしょうか。

今月の読本「紫外線の社会史」(金凡性 岩波新書)科学が求められ伝えてきた健康と有害の狭間で揺れる見えざる光の両側面

今月の読本「紫外線の社会史」(金凡性 岩波新書)科学が求められ伝えてきた健康と有害の狭間で揺れる見えざる光の両側面

そろそろ暑いシーズンを迎える頃。燦燦と降り注ぐ太陽が眩しくなると気になるのが紫外線。最近ではオゾン層破壊との関連で盛んに議論され、天気予報にも紫外線情報が毎日伝えられ、その防御(著者の言う日傘男子は果たして…)が盛んに取り上げられますが、ちょっと時間を巻き戻すと「小麦色の肌」「逞しく健康的な日焼けした体」「日焼けサロン」「ガングロ女子高生」等々…積極的な日焼けを推奨するシーンも繰り返し訪れていたように思われます。

今回ご紹介する一冊は、そんな両極端に扱われる「見えない光」をどのようにして科学が伝えてきたのかを解説する一冊です。

今回は「紫外線の社会史」(金凡性 岩波新書)をご紹介します。

まずはじめに、本書は紫外線に対する光学的な特性や太陽、天文学的な要素、工業利用を含む産業としての紫外線利用や研究史を語る本ではありません。また、表題には社会史とありますが、紫外線に対する健康面での有害性や危険性を前提にした、社会学が求める枠組みに沿った倫理、思想面を下敷きにした推移を述べる内容でもありません。

著者はちょっと珍しい「科学史」を専攻される方。前著の上梓後、その内容から地震研究者と誤認されていることを嘆かれていますが、著者の研究内容はその分野における科学的な知見が一般社会にどのように伝えられていったのかを歴史的な推移を添えて述べていくことであり、ある科学的なテーマが社会へと受容されていく過程を多面的に捉えていく事を主眼とされているようです。

最近一般書でも多く見かけるようになってきた人文系の研究者、著者の方による「ものの歴史」をテーマにした書籍。しかしながら、その内容には物に息づく歴史や文化、人と技術の推移を語る以上に、テーマに仮借される著者の倫理観、社会性や思想的な立場を投影するために選定された対象物として取り扱うという内容が散見するように思われます。本書のテーマである「目に見えない」光である紫外線。著者も指摘するように同じく目には見えない放射能(放射線)同様に、その科学的な特性が分からない段階では極端な期待や著しい恐怖を生み出すことは繰り返し述べられてきましたし、人文系の視点でそれら双方を強調する著作も多くあるかと思います。

一方、著者による科学史のアプローチでは前述の切り口とやや様相を異にしていきます。表題に示されるように本質的には社会への影響を綴っていきますが、そのアプローチは「科学」が伝えた内容から説き起こしてく点。本書では紫外線の人工的な利用の発端となる紫外線照明(人工太陽、紫外線ランプ)実用化以降、太陽光線を含む紫外線の利用や弊害に対して、科学、工業、医療の立場から各種の媒体を通じてどのように伝えられてきたのかを多面的に紹介していきます。

科学の発展と共にその役割が把握されつつあった太陽とその光に含まれる見えない二つの「ひかり」紫外線と赤外線。赤外線は温熱効果など常に有用性がもてはやされますが、一方で紫外線はその発見時から人体への悪影響(日焼けと目の負担)というネガティブな存在として位置づけられます。一方で当時深刻な問題であった脚気、くる病、そして日本では亡国病とまで呼ばれた結核。これら当時は治療法や原因が未確定な病気に対して太陽療法と呼ばれたサナトリウム(富士見高原療養所と正木俊二先生の名前も)での療養を核にした健康療法、治療法の一分野としての紫外線照明が見出されます。また江戸煩いとも呼ばれた、日本の都市生活が生んだ病気、当時の陸軍を悩ませた脚気。ビタミン博士、鈴木梅太郎を軸に健康とビタミン、その先にあるビタミンDと日光浴の効用から紫外線ランプの普及を狙うマツダランプ(東芝ですね)の動きを描く日本。一方、海外では大都市居住者に対するくる病発生率の高さとその解決策として、健康増進と社員の福利厚生の一環としての大企業のビタミン剤配布、人工太陽照明の採用。更には鶏や牛乳への紫外線照射による骨の強化やビタミンD不足対策という微妙に異なる推移を示していきます。

何れも都市生活というキーワードで語られる病気の治療法として期待された人工太陽照明。その効用と疑問の双方を述べる科学者、医師たちの言葉とともに、著者が示す2枚の写真から浮かび上がる特異的なシーン。今から見るともはやオカルトにも感じる姿ですが、これが当時、最先端科学とされた姿を捉えたもの、そして効用を期待された結核や脚気にはあまり意味を為さなかったことを現代の我々は知っていますが、当時は疑念的な意見がある中でも科学的な議論の遡上にあった事を指摘します。著者はこれらの議論が現在まで続いていることをその解説を述べる文章(新聞記事や広辞苑を引いて)と共に提示して、科学的な認識が社会にどのように受容され、変化してきたのかを示します。

そして、戦前から現在まで繰り返される日焼けによる健康的な肌色と紫外線、太陽光からの暴露を抑えた肌色への憧れ、美白の狭間で揺れる人々の健康と美の意識。著者はその推移を最も明確に残す資生堂の社内誌に記載された内容を示しつつ背景を探っていきますが、ここで非常に興味深い着目点を提示します。

前述のような都市生活という新たな生活シーンにより生まれた病気、その病気の罹患率と日焼けを健康的と見做すか否か。国と地域、貧富の差、人種、そしてジェンダー。健康というテーマの背景には敢えて語らずともこれらの断面が色濃く刻まれていることを当時の記録の中から読み解いていきます。

特に著者が指摘する、健康と美という側面を強く意識し、更にはその知識を理解し伝える事が求められた「科学的母性」という存在。明らかにジェンダーに偏ったその存在と提供された科学知識。その見えざる光が有する科学的な有用性と有害性に最も敏感(と定尺された)女性、母親たちに対する科学知識の伝え方の変化、端的に言えば「科学に対する需要」の変化から、社会の一側面を見出していきます(なお、美白と健康美の変遷はそれだけでは理解しきれないと)。

外出が憚られる事も多い昨今。屋内生活が続き運動不足で日差しをたっぷりと浴びることが少ない方も多くいらっしゃるかと思いますが、都市に集住し同じような悩みを漠然と抱え健康に懸念を持った当時の人々に対して科学がどう応えたのか。ちょっと歴史を振り返ってみると、現在数多に溢れるそれらに対する情報や科学的と称される見解にどのような背景があるのか、多面的に考えるきっかけを与えてくれる一冊かと思います。

 

今月の読本「コロンブスの図書館(原題:The catalogue of shipwrecked books)」(エドワード・ウィルソン=リー 五十嵐加奈子:訳 柏書房)海洋の提督が遺した知られざる息子が指し示す、知の大海原を導くコンパスローズ

今月の読本「コロンブスの図書館(原題:The catalogue of shipwrecked books)」(エドワード・ウィルソン=リー 五十嵐加奈子:訳 柏書房)海洋の提督が遺した知られざる息子が指し示す、知の大海原を導くコンパスローズ

スペイン・セビリアのセビリア大聖堂に付属するコロンブス図書館(コロンビーナ図書館)。海外の図書館の事について興味のある方ならご存じかもしれませんが、その名が示す通り、コロンブスに関する書籍、史料を収めた図書館。しかしながらその名前がイメージする所とはちょっと異なる人物とその蔵書が数多く含まれています。

セビリア大聖堂からコロンビーナ図書館が引き継いだ蔵書の中核をなすのは「コロンブスの「息子」が西ヨーロッパを回って蒐集した、当時ヨーロッパ最大の個人蔵書の遺された一部」であるということです。

本書の帯にあるように、扱われるテーマとなるのはコロンブスの次男。放蕩の息子であったスペイン貴族の血を引く長男で、インディアス提督となったディエゴ・コロンの陰に隠れるような私生児としての存在でありながら、イザベル女王の宮廷に小姓として入り、のちに当時のヨーロッパで覇権を築いたカール大帝に側近として仕えた宮廷政治家。マゼランの世界周航達成後に噴出した、かの有名なトルデシーリャス条約境界論争において、スペイン側代表の一員として会議を主導したスペイン主席航海士代理。そして、少年時代に父親であるコロンブス最後の大西洋航海に同行し、間近でその姿を見続けてきた肉親として自らペンを執って書き残した、現在でも議論が続く有名なコロンブス提督伝を執筆した人物。

本書は、これらの実績を積む過程で彼が遺したもう一つの物語を綴ることになります。

今回は「コロンブスの図書館(原題:The catalogue of shipwrecked books)」(エドワード・ウィルソン=リー 五十嵐加奈子:訳 柏書房)をご紹介します。

本書の原題、The catalogue of shipwrecked books.(Young Columbus and the Quest for a Universal Library.)訳者の方による表現では「海に沈んだ本の目録」といったところで、本文でも描かれる、コロンブスの息子、エルナンド・コロンがベネチアで蒐集した1000冊以上の本や版画をスペインに送り届ける際に船が難破して沈んでしまったエピソードから名付けられていますが、もう少し深いテーマが添えられています。

著者はイギリス、ケンブリッジ大学に所属する中世ヨーロッパ文学の研究者。巻末に解説が掲載されている、エルナンド・コロンが執筆した「コロンブス提督伝」に記述される、現在でも議論の多いコロンブスがスペインに現れる以前の経歴のうち、特に議論が多い冒険譚的な著述を綴る部分について、他の著述者による後年の挿入ではないかという意見に対して、前述の彼が遺した蔵書と目録を調べ上げる中で、本人による他の書籍からの挿話であることを明らかにした人物です。

コロンブスの息子が自らの父親の業績に瑕疵を与えないように、明白な役割を与えられた人物として綴られる伝記の中で唯一残された、主題から逸脱する筆致に息子であるエルナンドの想いを見出した著者。本書では著者が見出したエルナンドの姿と足取りを追って幼少時代から綴り始めますが、一つの大きなテーマを当てはめていきます。

本書の邦題に繋がるテーマ。彼が父親であるコロンブスの死去後に着々と積み上げ、晩年には加速度的に増加した書籍と版画の蒐集。その数、実に15000点とも20000点とも伝えられていますが、その中に多く含まれるルネサンス期を象徴する印刷製本で大量に刊行された、下世話な風物を描いた小冊子や版画の類。言語的にも母国語のスペイン語に留まらずラテン語やギリシャ語、アラビア語、宮廷人として仕えたカール大帝の広大な版図にも通じるヨーロッパ各国の幅広い言語が含まれており、当時のバチカンを含む教会や修道院、大学等が所蔵する書籍とは大きく異なる、あらゆる出版物、手稿を集めようとした痕跡が残されています。

表題だけを見ると、これらの書籍コレクション(500年を経て尚、4000冊ほどが伝わる)をテーマとした内容にも見えますが、著者の視点はさらに別の指向を求めていきます。残された蔵書と共に伝わる、蔵書の記録やエルナンドが残した記録、その記述内容。のちに初期の司書とも捉えられる彼の元で書物の整理に当たっていた人物たちが語るその手法。どのように蒐集された書籍たちを「識別」していくかという方法論に興味の焦点を当てていきます。

コロンブスにとって最大の支援者であったイザベラ女王の王宮に小姓として入った後、父親との第四回目の航海に同行し、辛くも生き残り再びスペインに戻ったエルナンド。父の死後、復権を果たした腹違いの兄であるディエゴの名代を担うためにスペイン王室の宮廷人として活動を続け、父が獲得した新大陸での権利を争う論争、裁判を続けるために、ヨーロッパ中を移動し続ける帝国の王座と共に、またバチカンの法院での審理に出席するためにローマへと、晩年の5年ほど以外の殆どの期間、スペイン国内にとどまらず、広く西ヨーロッパの各地を転々と移動し続けながら、書籍の蒐集を続けていきます。

著者はコロンブスの継承者たちの利益を代弁する人物として王座と共に移動するエルナンドの姿に、各王国の状況や神聖ローマ帝国、ローマ教皇の動き、更には(残された蔵書からごっそりと抜けているために判断はできないとしているが)エラスムスの思想への格別の共感とルターから始まる宗教改革の影響、トマス・モアの作品と収集された小冊子類に残された当時の風刺に見られる思想的な共通性などを挿入する事で、ルネサンス晩期の歴史的な背景が同時に見えるように著述を進めます。文学研究者の方らしい配慮ともいえる内容ですが、その中で稀代の書籍蒐集者としてだけ捉えられるエルナンドの業績に対して、更にもう一つの側面を与えていきます。

海洋の提督と称されたコロンブスの息子、2度目の大西洋横断の帰路では船団のカピタン・ヘネラルを称し、スペインの海外事業を取り仕切る通商院の首席航海士代理を後に務め、当時のポルトガルから最新の海図と測量技術を密かに奪取する事すらも使命とした航海士としての側面。更には途中で挫折した「スペインの描写」と称した、封建領主の力が強かった当時としては余りにも先進的であった詳細なスペイン地理誌編纂の着手という、宮廷政治家、地理学者としての側面。

ここまで長々と書いてきましたが、著者が語りたいと願ったメインテーマ。エルナンドが残した蔵書とそれに添えられた「目録」をどのように作り出していったのかを知るためには、前述の内容を全て辿ることが求められます。神聖ローマ皇帝として西ヨーロッパ全体にその影響力を行使したカール大帝時代の宮廷人にして、新世界を押し開いた「提督」の息子。旧世界の知識の中心地ローマと、ルネサンスの息吹とイスラム世界の空気を存分に浴びるベネチアでの滞在。次の時代の幕開けを担う震源地となるイングランド、低地地方とドイツが生んだ思想。更には父親であるコロンブス同様にその恩恵を深く受けた、知識を大衆化する事に決定的な役割を果たした印刷物、海図へも繋がる版画への強い想い。

新世界という扉が開かれ、ルネサンスから宗教改革という中世のキリスト教世界が培ってきた世界観、知識の集積体系自体が全面的に見直される時代背景の中を生きた、当時最先端の数学、天文学の知識と技術を理解する航海士にして、東西の歴史と実体験としての新世界の知識をも併せ持つ宮廷人が編み出した知の羅針盤。それは現在の図書館、更には無限の奔流とも思えるネットワーク社会に溢れる情報を検索する際にカギとなる考え方。

現在ではデジタル化されて図書館の片隅に眠る、私が図書館に入り浸っていた頃には入り口の一番良いスペースを占めていた、アルファベット順による配列から始まり、概要を示す「目録」、題材を示す「目録」そして「著者・科目一覧」という図書館における書籍分類の基礎となる考え方を生み出した、言語、時代、世界感に囚われない知識の体系化と集積を生涯のテーマとした人物のレガシー。そして、訳者の方が記念に覚えておいて欲しいと書き添えた、訳本らしいボリュームを有する本編約390ページを読破された方だけが思わず膝を打つことになる、当たり前すぎて全く意識する事がなくなっている「あること」。

ルネサンス期に生まれつつあった新たな知識を集積する理論体系を、航海士、地理学者(言語学者としての側面も)としえて捉え直したロジックは、姿を変えながらも今を生きる我々の中に脈々と伝えられているようです(著者はテクノロジーの進化を得て、500年を経て漸くその姿に追い付いたと。ネットワークを軸とした集団知の追求を生涯のテーマとした、私が敬愛するダグラス・エンゲルバートの知に対する考え方にも通じる内容です)。

確かに、その蒐集された内容が彼にとって危急の(そして彼自身は全く報われることがなかったという皮肉を含めて)問題、父親であるコロンブスがスペイン王室と取り交わした約束の履行と、代理人としての大西洋の向こう側に居る兄が継承したその遺産と権利の恢復と保持。更には、汚辱に塗れ失意のうちに亡くなった偉大な父親の功績を再び称揚するために必要となる証拠資料を取り揃える必然性から生じた部分があるにしても、他愛もない小冊子の蒐集など大半は自らの知的好奇心がさせたもの。

中世の世界に溢れ出した印刷技術がもたらした知識の記憶を留め置き、新たに開かれた世界の姿を書き加えながら膨らみ続ける共通の世界知の(言語という姿で)集積を目指した、当時のコスモポリタンが見据えた知の大海原を漕ぎ往く海図と指し示すコンパスを生み出す過程を添えた物語。

膨大な背景を個人史と時代史の中に織り交ぜながら綴られていく一冊。一気に読み進められる内容ではなかったですが、著者の強い思いを感じながら、中世ヨーロッパ史に添えられた一人の人物ともう一つの物語をリフレインを掛けながら一歩ずつ着実に読ませる内容。

表題に興味を抱かれたコロンブス(父親の方)の人物像や航海の姿、美しい中世の図書館や書籍に惹かれる方には少しイメージが異なる部分もあるかもしれませんが、その中で培われた、現在でも褪せる事のない、知の集積とそのアプローチを人物像から描き出すという実に興味深いテーマに触れられる一冊です。

鮮やかな五月晴れの空の下で(2020.5.12~17)

GWも終わり、日常が戻りつつある中。

昼間の気温はぐっと上がりますが、朝晩は涼しい今年は、例年以上に鮮やかな五月晴れの空を届けてくれます。

田植えを待つ圃場の上空で尾を曳く雲。

甲斐駒の雪渓は日中の暑さから急速に薄くなっていきます。

稲の苗が並び始めた夕暮れの圃場。

5月も半ばになって気温も湿度も高くなった西の空は、艶やかな色を魅せてくれます(2020.5.12)

雨上がりの朝。

抜けるような青空の下、青々とした穂を延ばす麦畑と南アルプスの山並み。

気温が上がる前の朝のひと時、凪を迎えた圃場の水面。

落葉松の新緑で裾野を染める八ヶ岳が映り込んでいます。

青空の中に下弦の月が沈んでいく南アルプスの上空。

今年は長く、冠雪した山並みが望めます。

山里に訪れる夕凪。

八ヶ岳のシルエット共に、うっすらと夕日に染まる空と雲が圃場の水面に映り込んでいきます(2020.5.14)

曇り空の朝。

零れ日が差し込む雑木林の中、濃い朱色に染まるレンゲツツジの花が咲き始めました(2020.5.15)

週末、降り続いた強い雨が上がって朝から眩しい日差しが降り注ぐ日曜日。

自宅から10分ほど、標高1000mを超える八ヶ岳山麓の牧場地帯を覆う落葉松林もすっかりと緑に覆われていました。

カッコウと鶯の歌声が交互に響き、初夏の訪れを告げるエゾハルゼミ達の鳴き声がコーラスを奏でる落葉松林。

眩しい日差しが凌げる林の中は心地よい風が吹き抜けていきます。

高く聳える落葉松の木々の中を貫く林道。

眩しい昼下がり。

落葉松林の向こうに覗く、ぐっと薄くなった甲斐駒の雪渓。

林道を抜けた先に広がる空閑地から振り返ると、西の空はすっきりとした青空が広がっています。

眩しい緑に包まれる牧草地と落葉松林の向こうに延びる、南アルプスの稜線。

新緑の落葉松林を貫く防火帯の向こうに聳える、八ヶ岳連峰の最南端、権現岳。

僅かに谷筋に雪渓が残るばかりとなっています。

気温が高くなった午後、爽やかな青空の向こう側から雲が沸き始めました。

鮮やかな五月晴れの空の下に、夏を思わせる雲が沸き立つ山裾に広がる牧草地。

午後になると空は徐々に雲に覆われ始めました。

明日からは再びの雨の予報。鮮やかな五月晴れの季節から、そろそろ梅雨の走りを迎える、八ヶ岳南麓です。

今月の読本「仁淀川漁師秘伝」(宮崎弥太郎:語り かくまつとむ ヤマケイ文庫)快活な土佐弁で語る職漁辞典の中を流れる、糧としての山と田畑、海を繋ぐ川の恵み

今月の読本「仁淀川漁師秘伝」(宮崎弥太郎:語り かくまつとむ ヤマケイ文庫)快活な土佐弁で語る職漁辞典の中を流れる、糧としての山と田畑、海を繋ぐ川の恵み

近年では殆どいなくなってしまった、川の恵みを糧として主な収入を得る「職漁師」(この言葉自体、海の漁師さんに対してはあまり使いませんよね)。しかしながら昭和の終わりから平成の始めにかけては依然として多くの河川の傍で漁を生業とする人々が暮らしていました。

現在でも川の漁が続いていることで度々テレビ等でも取り上げられる四国、四万十川。そのすぐ隣に流れる仁淀川で職漁師をされていた方の元へ、当時、繰り返し訪れて取材した内容を連載していた記事を纏めた一冊。長らく絶版になっていましたが、この度、版元を変えてヤマケイ文庫へ収蔵されることになりました。

今回ご紹介するのは「仁淀川漁師秘伝 弥太さん自慢ばなし」(宮崎弥太郎:語り かくまつとむ:聞き書き ヤマケイ文庫)です。

原著は小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」の姉妹紙として2008年まで刊行されていた、雑誌「ラピタ」に連載されていた「弥太さん自慢ばなし」を纏めて2001年に刊行された本ですが、巻末にありますように、今回の収蔵に当たって大幅に加筆修正、再編集がなされています。特に著者のかくまつとむさんが刊行後も気にされていた「土佐弁」聞き起こしに対する表記への懸念について、山と溪谷社さんの配慮もあったのでしょうか、今回の版を起こすに当たって、高知在住の山本明紀さんによる全面的な方言考証が加えられ、生き生きとした著者の筆致はそのままに、ダイレクトに土佐弁が脳内に響き渡るかのように生まれ変わっています(長らく広島の方と一緒に仕事をしていた私の脳内再生では、広島弁混じりになってしまい…)。

取材当時の1990年代後半でも殆どいなかったとされる「職漁師」であった、仁淀川の河畔、越智町に在住された取材対象の宮崎弥太郎氏。父親から引き継いだ職漁を50年以上に渡って続けられていた方ですが、そのフィールドは河川を跨ぎ、季節に合わせて河口のアオノリから山中深くのモクヅガニ獲りまで実に幅広く、特定の魚種を狙い、河畔に腰を据えて漁を行う川漁師というイメージを大きく覆していきます。

掲載していたアウトドア雑誌のスタイルに相応しい、川全体をフィールドとした氏の職漁師としての姿を2年間に渡り取材した著者と編集者グループ。彼らを息子のように迎え入れて、自らの歩みを少し誇りながら「企業秘密」と茶化しながらも、同道を許してその一端を披露する土佐人らしい鷹揚さ、氏の人となりが考証を受けて蘇った口語体の土佐弁で文中一杯に広がります。

雑誌の連載記事がベースという事で、最初は全体のイメージがちょっと捉えづらかったのですが、原著の版元さんが小学館という事を考えると腑に落ちる、魚種、職漁毎に纏められた仁淀川の職漁辞典というべき一冊。各章で語られるように、著者たちが持ち込んだ図鑑に対して、それぞれの魚たちの特徴やその漁の姿を述べていくスタイルが用いられ、前田博史氏の写真と遠藤俊次氏によるイラストを豊富に添えて、改めて職漁としての視点からその違いを明確に示していきます。図鑑を持ってフィールドに出た「アウトドア」な著者たちの先にある、研究者や釣り師達が伝える著述の更に先にある、フィールドの達人が見た本当の姿を語る言葉を拾い続ける著者たち。その語られる内容には、前述の著述とは大きく異なる点も見えてきます。

アウトドアブームであったバブル崩壊後の1990年代後半に取材された、その遥か前から川と向き合い続け、生活の糧としてきた氏が語る姿と、現在の川や水辺という淡水をフィールドとされる方々が発信される内容。川をテーマにした著述として本質的にはその内容に違いはない筈なのですが、アプローチや見据える姿には大きな違いが見えてきます。

高度成長期から大きく曲がり角を迎えた中で、共に変わり続けた川面を生活の糧として生き続けてきた氏が語る変遷する漁の姿。しかしながら、氏はその中で一方的な変化が起きていたことを表する事はありません。清流とも称される仁淀川といえども時代と共に川が変わり、移入されてきた魚たちが加わり、漁の姿も獲れる魚も往時と比べると減少してきていることを明確に述べていきますが、職漁師故にその変化に応じて漁自体も変えていく。父親から引き継いだ漁の姿も自ら変えながら(この工夫や道具類のお話を拾うスタイルは、連載誌のテーマに繋がる「大人の秘密基地」的で、連載当時人気があった事を伺わせます)貪欲に漁を目指していく姿を捉えていきます。それ自体が糧としての対象ではない「フィールド」化してしまった現在の川や淡水を扱った著作や発言とは根本的に異なる視点。自らが糧としている場所に対する自負とその変化を受容しつつ、実生活の一部として語りかける内容には、現在の論調で失われてしまった着目点が生き続けているように思えてなりません。

その印象が最も強かったのが、全編で述べられる漁の餌として繰り返し登場する「ミミズ」の存在と、地域を貫く仁淀川の存在を語り続ける段。

川の魚たち、蟹たち、アオノリさえも、多くは川だけで生きるのみならず、海と行き来をすることで次の世代に生命を繋ぐ。山に木がある事で川の流れが穏やかになり、川に沿った田畑を潤す。本来は湿地をその揺りかごとしていた魚たちは、川から引き込まれた、人が拓いた水田と水路もうまく使いこなして命を繋いでいく。テトラポットや堰堤が出来れば、それに合わせて増えていく魚も現れ、蟹たちは高巻きしながら登り、そろりそろりと下っていく。川辺に広がる畑や草地に溢れるミミズたちの匂いは彼らの鋭敏な嗅覚を刺激し、夜な夜なその匂いを辿って徘徊する。

職漁師達は、彼らの生きる姿を鋭敏に捉え、その特徴を把握して工夫を凝らし知恵を働かせて漁を営みますが、全てが自然で天然、無垢であることを絶対としない。川の流路が変わればそれに合わせて仕掛けを変え、網を張り罠を埋める先を選び出していく。河原の姿が変われば、漁をする魚種が変わり別の漁の姿が生まれる。堰堤や用水路も其処に集まる魚たちが一斉に通るタイミングともなれば、一時、大漁を約束してくれる大切な漁場へと変わる。孫達に漁を継がせる気はないが、自身や息子と同じように幼い頃から水辺、川と親しみを持つ機会を与え続ければ、自然と理解できることがある。

変わりつつもその恵みを糧とする職漁師への聞き取りは、50年を経てもまだ知らないことがあると語る、上流でのオコゼ(アカザ)釣り名人の元へ向かう段で終わりを迎えますが、綴られていく物語はその時代、その地に生きた人々だけが語れる内容。

本編の主人公となる宮崎弥太郎氏は原著の刊行後、2007年に亡くなられており、既に文章でしか伝わることがないその物語ですが、職漁師達、そして彼らが生きた場所を語る時に思い起こしたい一冊。その場所は人が水面と楽しくも真摯に向き合い、糧とする場であった事を記録する物語を。