落葉松に浸る午後(千代田湖、日影入林道)2016.11.5

ぐんと冷え込んで、秋らしい好天が続く週末。

お天気が良いと、用事が無くても出かけてしまいたくなります。

p1080954買い物に出かけた途中で振り返ると、落葉松の黄葉に包まれる八ヶ岳がくっきりと見えています。

これだけ色付いていれば、気持ち良い落葉松林に足を延ばしたくなるのが、落葉松好きの性。もう少し標高を上げたいので、八ヶ岳とはちょっと離れた場所に足を延ばします。

p1080995八ヶ岳の向かい側、長く伸びた南アルプスの稜線が諏訪湖に落ち込む突端に位置する杖突峠の裏には、静かな、静かな別天地があります。

シーズンを終えてひっそりと静まり返るキャンプ場が森の中に点在する、千代田湖の畔。

p1080992湖畔の落葉松は見事に黄葉に染まっています。さあ、森の中へ。

p1090027湖畔を彩る落葉松の黄葉は今がピーク。もう少しすると、落葉松のシャワーが降り始めそうです。

p1090053森の中を抜けていくと、小さな沢の畔に一本のモミジが鮮やかに紅葉を魅せています。

p1090052落葉松とモミジの彩を一緒に。

p1090056麓に下って、片倉の集落から見上げると、西に広がる山は色とりどりの紅葉に囲まれています。

遅れていた秋も一気に深まってきました。

ライチョウの里で愛おしいその姿に向き合う想いに触れる(大町山岳博物館と高橋広平氏の雷鳥写真展)

ライチョウの里で愛おしいその姿に向き合う想いに触れる(大町山岳博物館と高橋広平氏の雷鳥写真展)

北アルプスを正面に望む、山懐に広がる信濃大町。

ここには、ユニークな展示内容と、極めて珍しい飼育実績を有する存在で知られる、個性的な市営博物館が存在します。

登山と山岳の自然というテーマを掲げる一方、昨年から始まった、ライチョウの繁殖計画より遥か以前の1963年から低地でのライチョウの飼育に着手し、その後も2004年まで細々とではありますが、繁殖活動を続けていた「大町山岳博物館」です。

大町山岳博物館正面玄関正面に展示されたカモシカ親子のブロンズ像がシンボルの博物館正面。

今日は、昨日より始まった写真家、高橋広平氏の初めての個展「雷鳥 ~四季を纏う神の鳥~」を見学にやって来ました。

大町山岳博物館、高橋広平写真展以前に展示内容については、こちらのページでご紹介しておりますので、割愛しますが、どの展示も個性的で興味深いので、何度でも繰り返し見てしまいます。

今回も、ぐるっと展示を観てから、写真展の方に移りました。

今回の写真展、昨年安曇野の田淵行男記念館(と、富士フィルムのギャラリー)で開催された写真展と同じスライドを使用している作品もありますし、スペース的にも決して広い訳ではありません。

しかしながら、初の個展という事もあり、写真のサイズもこれまでの展示では小さめのスライドだったものも思い切って大伸ばしにされ、バリエーションも豊富に。更にレイアウトやコメント、併せて展示されている高山の動植物の写真にも氏の拘りが感じられる展示内容になっています。今、日本で見られる最もクオリティの高い、そしてちょっと和ませるライチョウの写真がびっしりと詰まった、濃密な写真展です。

そして、是非にモノにしたかったという「ICHIGO DAIFUKU」の写真も貴重な1カットだけですが、その撮影条件と、どのような状況で生じるのかの解説と共に紹介されています(内容はもちろん撮禁なので、ご自身の目でお確かめください)。

高橋広平氏の雷鳥写真集今回の写真展に合わせて、大町山岳博物館が刊行した、氏にとって初の写真集。

展示されていた写真以外にも掲載されていますし、パネルの横に掲載されていたコメントも併せて読める親切仕様。じっくり、おうちで眺めたい保存版なのですが…この写真集、かなりの人気のようで、博物館の方も、開催僅か2日目にして予想以上のペースで出ていて、焦るくらいの状況との事です(昨日は、ご本人がいらっしゃったようなので更に)。

博物館の方も「これから人気出ちゃいそうですね」と仰る通りの、魅力的なライチョウの写真たちがぎゅっと詰まった素敵な写真集です。

大町山岳博物館ライチョウ解説展示1もちろん写真だけではなく、館内にはライチョウを専門に扱った展示解説も常設されています。貴重なはく製(大町山岳博物館展示の大きな特徴の一つは、精巧な動物のはく製たちです)を駆使して、ライチョウの生態解説が行われています。

大町山岳博物館ライチョウ解説展示2そして、この博物館の存歳意義を示す、ライチョウ飼育、研究の歴史について語るボードが、展示室の一番奥に掲示されています。

先駆的な低地でのライチョウ飼育の実践とその破綻。絶滅の危機に瀕しつつある中での、再挑戦への道筋。

それでは、博物館の裏側にある、付属動物園へ移動してみましょう。

大町山岳博物館スバールバルライチョウ飼育舎昨年から始まった、ライチョウ飼育の前段としての、スバールバルライチョウの飼育試験用施設(空調完備、表の展示室と、裏の飼育室が一体化した建屋が3棟と、管理棟1棟)。以前の劣悪とも評された飼育環境と比べると、環境省の予算が投じられたためでしょうか、格段の進歩です(富山同様、こちらもコンクリート打ち放しの床です)。昨年は展示室の中をよちよちと歩く、スバールバルライチョウが覗けたのですが、正面にロープが張られています。

大町山岳博物館スバールバルライチョウ展示中止告知文何と、飼育中の個体が相次いで死亡するトラブルが生じたとの張り紙が。

大町山岳博物館ライチョウ飼育舎1ガラス張りの空っぽの飼育舎が並ぶ、ちょっと陰鬱な雰囲気が漂いますが、一番奥の葦簀張りの一棟には、それを乗り越えようとする希望の鍵が大切に育てられています。

大町山岳博物館ライチョウ飼育舎2こちらが、非公開のライチョウの飼育舎。

理解を求める張り紙が掲示されています。

大町山岳博物館ライチョウ飼育舎3それでも、せっかく訪れてくれた来園者に少しでも楽しんでもらおうと、これまでの成長の様子が判るスライドが掲示されています。

一番右のスライドが最も最近の撮影(8/20)です。

6/30の孵化から約2ヶ月、すっかり大きくなりましたね。

大町山岳博物館よりの展望北アルプスの雄大な山並みを正面に、信濃大町の街並みを見下ろす、大町山岳博物館の3階ラウンジより。この時期に望む北アルプスは、何時も光のカーテン(天子の梯子とも)が掛かっているようです。

ちょっと残念な事も起きてしまいましたが、全ては試行錯誤の最中。

自然を相手に、人工的な繁殖を行う事の厳しさは、昨年の上野動物園における全羽死亡という残念な結果を持ち出すまでもなく、常に付きまとう事。

それを乗り越えた先に、きっと新たな段階、人工飼育をしたつがいから生まれたライチョウたちが再び北アルプスの山々で、行き交う登山者の前を悠然と往く姿が見られる時が来ることを信じて。

大町山岳博物館のライチョウ関連パンフレット「雷鳥 ~四季を纏う神の鳥~」高橋広平写真展は11/27まで。

会期中の9/11(日)午後1時30分から、鳥類研究家の小林篤氏との対談会。11/3(文化の日)は作者自らのミュージアムトークが午前と午後の2回、実施されます。

市立大町山岳博物館企画展_雷鳥~四季を四季纏う神の撮り鳥~高橋広平写真展_パンフレット

更に、毎年開かれているライチョウ会議、今年のホストタウンは信濃大町です

10/15,16の両日に、大町市内と山岳博物館を会場に各種のイベントやシンポジウム、学術会議が開催されます。

ライチョウの事をもっと知りたい、直接会って話を聞いてみたいという方は、この秋は是非、大町に足を運んでみては如何でしょうか。

 

唯々、キャベツ畑(嬬恋村にて)

唯々、キャベツ畑が眺めたくなると行く場所。それは嬬恋村。

レタス畑なら川上村や野辺山で存分に楽しめるのですが、キャベツ畑といったらやはり此処。

P1080158パノラマラインから浅間山をバックに。

P1080185バラギ高原のキャベツ畑、正面には上州の山並み。

P1080173万座・鹿沢口方面を望んで。

P1080172少し雲が切れたタイミングで、右手に妙義山が見えました。

P1080182見渡す限りのキャベツたち。

P1080189目の前をうねるように広がるキャベツ畑。

P1080176収穫間際のキャベツ畑にて(嬬恋村、バラギ高原)

今週末は、このすぐ裏手で全日本ラリーが開催されます(なので、ちょっとコースの下見の序でした)。

 

暑い立秋の午後(みずがき湖から信州峠へ)2016.8.7

立秋を迎えた週末。

本格的な夏らしい暑さとなる一方、漸く夕立からも解放されて、ここ数日は安定した天気が続いています。

ちょっと所用のため、韮崎に降りてみると、気温は34℃から36℃と、うだるような暑さ。早々に茅ヶ岳側に逃げ込んでみると、今度はひまわり畑へ向かわれる観光客の皆さんの大渋滞に巻き込まれて、ほうほうの体で逃げながら、更に北上してみます。

夏空のみずがき湖厚く広がる夏の雲の合間から光が差し込む、みずがき湖。

流石に、此処まで来ると観光客の方もまばらに。

それでも、名物のソフトクリームを片手に湖畔を散歩する方がちらほらと見受けられます。ここまで上がってきても気温28℃。谷に囲まれた湖畔は風もなく、かなり蒸し暑くなっていました。

夏の雲間に瑞牆山更に北上を続けると、右手に瑞牆山の威容が望めるようになります。

雲が多めながら、特徴的な山肌がはっきりと望む事が出来ます。所々に緑が見えているのが夏の瑞牆山らしい装い。

信州峠から川上村の高原野菜畑1ぐいぐいと峠道を上り詰めていくと、甲州から信州へと繋がる信州峠を越えていきます。

峠付近を覆う落葉松林を抜けていくと、視界は一気に開けて、一面に高原野菜の畑が広がります。

空も晴れ渡り、これまでの景色と一変する、別天地。川上村に入っていきます。

信州峠の高原野菜畑2川上村の高原野菜作りは夏場の今がピーク。

目の前に広がる広大な山裾に苗が植えつけられています。

気温は27℃とそれほど低くはありませんが、谷筋から吹き抜けていく涼しい風は、はっきりと高原に戻ってきたことを教えてくれます。

信州峠の高原野菜畑3青空の下に広がる、高原野菜の緑。

峠から村内に下っていく道には、トラクターがひっきりなしに行き交います。

僅かな夏のシーズンの陽射しを精いっぱい使って、夏野菜が育っていきます。

ひまわりと夕暮れ盛夏らしい、情熱的な夕暮れの空。

短い高原の夏は、今がピーク。夜になって虫の音が響き始めるお盆に入ると、日が暮れると急激に涼しくなっていきます。

 

梅雨間の美ヶ原でレンゲツツジを(2016.6.18)

季節が早回りでやって来る今年。

既に奄美は梅雨明けを迎え、時期的にはまだ梅雨の真ん中にある筈のこの界隈でも、土曜日には盛夏を思わせる日差しが降り注ぎました。

梅雨間の晴れ上がった空の下、開花を迎えたとの話を聞いて、界隈でもなかなか行く事が叶わない場所に再び出掛けます。

美ヶ原のレンゲツツジ1八ヶ岳南麓の在所から西へ北へと車を走らせること2時間ほど。

二つの峠を越え、猛暑となった上田平の縁に位置する武石から狭くうねる山道を上り詰めると(いや、普通は松本から上がれば良いかと…)、真っ青な空の下にその花々は山裾で咲き誇っていました。

美ヶ原、想い出の丘の案内看板ビーナスラインの終点、一大観光地である美ヶ原でもルートの関係で直接ビーナスラインからアクセスする事が出来ない裏側に位置する武石側にある、思い出の丘。それでも、シーズン中で珍しく快晴となった土曜日の昼下がりには駐車場が満車(キャパは十数台ですのであしからず。止められない場合は道が狭いですので路駐などせず、2kmほど先にある終点の自然保護センター前の広い駐車場まで進みましょう)になってしまう程の観光客の方がお越しになっていました。

普段なら、車で流しながら撮影をするのですが、せっかくの好天、カメラ片手に稜線沿いの山道を少し散歩してみました。

美ヶ原のレンゲツツジ2思い出の丘方向を振り返って。

足元に見えるのは上田平の街並みです。

美ヶ原のレンゲツツジ3こちらは松本市街側。

美ヶ原のレンゲツツジと北アルプス眩しい日差し、正面に残雪を残す北アルプスの山並みを望みます。

美ヶ原のレンゲツツジ45分ほど山道を登ると、レンゲツツジの花の向こうに思い出の丘のモニュメントが見えてきます。

美ヶ原のレンゲツツジと北アルプス2思い出の丘からは、北アルプスの山並みが一望できます。

遮るものなく水平の稜線と重ねて北アルプスを望めるのは、松本側だけの特権。東京方面からのアクセスは悪く、著名な観光ポイントもなく、美しの塔のようなアイコンもないですが、美ヶ原を語るには是非見ておきたい景色です。

武石峰への小路普段ならここで折り返しなのですが、お天気が良いので更に足を延ばしてみます。

綺麗に整備された歩道が天空に伸びていきます。

美ヶ原のレンゲツツジ5遠くに伸びる山並みは浅間山。高い空の上に筋雲が連なります。

美ヶ原のレンゲツツジ6道沿いに広がるレンゲツツジの花はもう見頃。普段より1~2週間早いようです。

武石峰山頂荒涼としたガレ場に、強烈な風に煽られて東側に枝を伸ばす木が僅かに生える、武石峰の山頂。

遮るものが無い静かな山頂は涼しい風が吹き続けます。

ラジオから流れてくる猛暑を伝えるニュースで語られる気温よりも10度以上も低い、気温21℃。

武石峰と登山道植生の乏しいガレ場の斜面を山道が下っていきます。

真っ青な空は夏を想わせますが、今はまだ梅雨の真っ盛り。

武石峰から王ヶ頭を望んで1正面には空に浮かんだ大地に広がる美ヶ原の草原と、王ヶ鼻、そして主峰の王ヶ頭が見えてきます。

青空の向こう、遥か彼方には諏訪富士とも称される、蓼科山の特徴的な山並みが見えています。

美ヶ原で一番好きなこの景色。良いタイミングで訪れる事が出来ました。

美ヶ原のレンゲツツジ8周囲にはレンゲツツジの群落が広がります。

美ヶ原のレンゲツツジ9

美ヶ原のレンゲツツジ10

美ヶ原のレンゲツツジ11

美ヶ原のレンゲツツジ12

美ヶ原のレンゲツツジ13レンゲツツジの花々をしばし堪能。

足元の道路にはひっきりなしに車が通過していきますが、山道での撮影中に通りかかる方は、ほんの数人。

武石峰から王ヶ頭を望んで2県下随一の観光道路であるビーナスラインの一部として組み込まれるはずであった、美ヶ原の稜線を抜ける道路沿いに点々と広がるレンゲツツジの群落。

武石の峠を貫く有料トンネルへ下るアプローチもはるか昔に閉鎖され、台地の頂上部を抜ける道へはもはや繋がることは無いこの道を行く全ての車、自転車は1km程先にある終点の自然保護センターで折り返してくることになります。

観光地としてマイナーな状態から何とか脱却したいと願う松本市は、今年から途絶えて久しかった路線バスの乗り入れを久しぶりに再開(昔の駒越林道経由ではなく、美ヶ原林道経由。松本に下って来る時に2便とすれ違いました)しましたが、正面に見える王ヶ頭の向こうに広がる一大観光地としての美ヶ原とは別世界のように静かなこの場所。

道路沿いの崩れた山裾と、森の中に点々と存在する牧場の、のんびりした景色を眺める度に、この天空に広がる地の複雑な歴史に思いを馳せながら。

夏至間近、夕暮れの諏訪湖再び下って、夕暮れの諏訪湖にて。

夏至を間近に迎えた日差しは、杖突峠側からぐっと北に寄って塩嶺の正面へと下っていきます。

日曜日の今日は再び梅雨空に戻った八ヶ岳南麓。本当の盛夏はもうしばらく後になりそうです。

 

新緑の午後(2016.5.7~8)

風が強いながらも天気の良い連休最後の週末。

歴史のお勉強をした後は、街中の喧騒を離れて、少し静かな場所で過ごす事にします。

新緑の小窓道沿いにちらっと見えた休耕田の向こうに、黄色と緑の鮮やかなコントラストが浮かび上がっています(諏訪郡富士見町葛窪)。

千代田湖の新緑1気持ち良い日差しを受ける、杖突峠の脇にある千代田湖。

落葉松に囲まれた湖畔は、軽やかな新緑の緑に輝きます。

千代田湖の新緑4良く手入れされた千代田湖の落葉松林。

落葉松の若葉が通し込む陽射しが目の前に広がります。

千代田湖の新緑3落葉松の新緑を分け入って。

千代田湖の新緑5湖畔の照り返しを受けて濃い緑に輝く落葉松を眺めながら、暫し周囲を散策します。

千代田湖の新緑2湖畔に植えられた落葉松の幼木を覗き込むように上から眺めると、線香花火のような可愛らしい葉がびっしりと付いているのが判ります。

山ひとつが黄金色に染まる秋の落葉松も良いですが、透明感のある黄緑色が美しい新緑の落葉松もまたいいもの。

P1070245風の強い夕方は、空も雲も複雑な装いを魅せていきます(諏訪郡富士見町先達)。

週明けからはちょっと天気が悪いようですが、もう暫く新緑が楽しめそうな八ヶ岳界隈です。

 

上社の建御柱が終わった後に少し歴史のお勉強も(諏訪市博物館の企画展「御柱を知る」)

上社の建御柱が終わった後に少し歴史のお勉強も(諏訪市博物館の企画展「御柱を知る」)

New!(2016.6.25):明日6/26(日)のNHKスペシャルで御柱の特集が組まれます。古代史ミステリー 「御柱」 ~最後の“縄文王国”の謎~番組ホームページはこちらです。

 

GW連休後半の三日間に渡って行われた、諏訪大社上社の里引き、そして建御柱。

上社の本宮、前宮の8本の御柱が新しい柱に建て替えら、これから6年間、この地を守り続けることになります。

諏訪大社上社本宮一之御柱建て替えられた本宮一之御柱。

来週末の下社の里引き、建御柱まで一休みとなった週末。折角の機会なので、ここで御柱の歴史について改めてお勉強してみましょうという事で、格好の企画展が催されている場所に行ってみました。

諏訪市博物館場所といっても、何の事はありません。上社本宮の道路を挟んで反対側にある、諏訪市博物館

諏訪博物館前の摸擬御柱中庭には今回本宮二之御柱を曳行、建てられた湖南、中洲地区の皆さんが用意した摸擬御柱が用意されています。

こちらで、御柱の開催を記念した企画展「御柱を知る」が3/12から開催されています。

諏訪博物館企画展「御柱を知る」パンフレット残念ながら企画展の展示室及びロビーに展示している写真と絵葉書は撮影禁止の掲示が出ておりましたので、パンフレットでお茶を濁させて下さい…。

今回展示されている史料は摸刻、模写が殆どですが、江戸時代の騎馬行列に使われた道具類は実際の物が展示されています。史料の系統はすぐ近くの神長官守矢資料館が守矢家に伝わる資料を中心に構成されているのに対して、大祝諏方家、権祝矢島家に伝わった史料を中心に、諏訪大社が所有する史料で内容を補う形を採っています。珍しいのは冠落としの手斧を担当する原家が実際に大正時代まで使用していた装束が展示されている点。侍烏帽子に大紋(素襖とも思える)なのですが、紋が丸に四つ目菱(現在の冠落としの際の写真を見ると異なる紋を付けています)なのが、その職を世襲された時代と照らし合わせてみると、とても気になる点ではあります。

ロビーで流れる御柱解説ビデオの大音響が館内に響き渡る中、崩し字読み特訓しながら展示を観ていると、学芸員さんの展示説明が始まりましたのでちょっと混ざって聞いてみました。

  • 歴史史料上の御柱 : 鎌倉時代より遡る史料は無く、巷間に云わる平安時代に遡るとの史料も鎌倉時代に書かれたものを引用している(持統朝に遡る日本書紀の記述は社の存在を示すもの)。そう考えると、現在の形態の元を築いたのは、やはり東国の武士たちという事になるが…
  • 御柱の氏子 : 本来は信濃一国総出で奉仕するものであった(ここで2階の常設展示フロアにある解説パネルを見ると、戦国時代より前の御頭郷はすっぽりと諏訪郡が抜けている事が判ります)が戦国以降、徐々に縮小して諏訪郡一円に収斂していく
  • 祭祀の推移と復興、縮小 : 戦国時代以前の奉仕の史料を見ると、柱を建てること以外に宝殿(これは現在でも行われる)やその他の境内各所の建築物の造営が都度行われており、現在より遥かに規模も大きく、それだけ負担も大きかった(取り立ての史料や収支報告書が残る)。戦国時代の混乱による祭祀の縮小(甲斐への出陣により祭祀の引き延ばしを図った事により祟りが起き、その再発を恐れて、急ぎ甲斐から出陣中の兵を引き上げるなどという記録さえ残る)は、武田信玄による諏訪氏滅亡後に息子の勝頼共々に社殿と祭祀の復興を図ったが、その後信長の息子、信忠による天正十年の上社の焼き討ちにより灰燼に帰したことが現在の祭祀の起点となっている
  • 縮小後今日までの繋がり : 天正十二年に再興された際には御柱と宝殿、神輿(これは現在も使われていると云われる)が漸く揃えられたに過ぎず、その後社殿の復興が徐々に進んだが、これ以降宝殿以外の建て替えは行われない現在の形となった。また、江戸時代の史料から祭りの文字が見えてくるが、それ以前は「造営」と呼ばれ、祭りではなかった。現在のような祭りとして執り行われるのは明治以降と考えて良い(これも常設展示室に造営の主体が経済的な理由で領主層から町民層へ移っていった事を示唆する解説が出ています)

今回の展示物で最もポイントが高いと思われる御柱絵巻模写の展示なのですが(原本は岡谷市在住の個人蔵で、諏訪市博物館が所有する模写は明治17年に諏訪市の個人の方が明治維新で廃絶した騎馬行列の姿を記録する為に前述の絵巻を借用して模写したもの)、残念ながら全体の公開はされずに五祝家と謂われた神官たちと御柱が描かれた部分だけの公開に留まっています(その他藩主の代役の騎馬、家老、奉行の部分は抜き取りで写真掲示)。この絵巻の写真集が出されたら、さぞかし興味深い考察と共に、きっと人気が出る事かと思いますが、個人蔵故でしょうか、容易に入手できる刊行物はないようです。

ちょっと煮え切らない部分もある展示ではありましたが、これだけの内容が一堂に揃うのは多分御柱の時だけ。ロビーに飾られている写真は別途写真集が刊行されていますので見る事が出来ますが、当時の史料を模写とはいえじっくり拝見できるのは、二次文献ではイメージできない点(and必死に崩し字読む特訓)を補う意味でもありがたい事です。

諏訪博物館常設展示室1-1学芸員さんの解説が終わると、殆どの皆さん(and本日は長野日報の記者の方が取材に入っていました)は退出されてしまいましたが、折角なので2階の常設展示室もじっくりと拝見させて頂きます。

こちらが常設展示室1の原始から古代のエリア。ダウンライトとブラックアウトされた落ち着いた雰囲気の解説板をバックに、広いスペースにゆとりを持った展示…と言いたいのですが、界隈の各市町村にある資料館や縄文関係の考古館の、これでもかという出土品のオンパレードと比べると、どうも展示物に事欠いている(いやいや、絞り込んでいる)イメージを持ちます。やや啓蒙的な解説板をじっくり読ませるイメージが強い展示内容。

諏訪博物館常設展示室1-2こちらは同じ展示室の中世から近世のエリア。中央に曲線状に配置された御柱の解説スペースを挟んで正対するレイアウトになっています。各時代につき、展示物を数個に絞り込むスタイルはこちら側も同じです。

諏訪博物館常設展示、徳川家光の朱印状御柱関係で特徴的な展示物を。

徳川三代将軍家光が与えた諏訪神社領の朱印状の模写とそれ以前の所領比較図。1500石と決して小さくない社領ですが、それ以前の広く信濃国内に点在していた所領と御頭郷による奉仕を考えると、御柱(祭)の造営規模が縮小せざるを得なかった事情が実感できるかと思います。

諏訪博物館常設展示、御柱略年表ちょっと見づらいのですが、御柱の略年表。

企画展には出てこなかったのですが、寛永十五年に高遠藩が騎馬行列への参加を拒否(高遠藩が保科家から改易後の鳥居家が移ってきた初代、忠春の治世)したことに対して、諏訪社が幕府に訴え出ている点に注目します。戦国時代の大祝が諏訪と高遠に分かれた後に諏訪の大祝に収斂された経緯をそのまま江戸時代まで引き継いでいた事が判ります。企画展で展示されている原家の記録にも、高遠藩が送り出してくる騎馬行列(藩主の名代だと思いますが)に対しても挨拶に出向いていた事が記されています。

ここでちょっと面白い話。知人の氏子さんに聞いたのですが、今回の里引きで高部の公民館前(里引きで一番標高が高い場所、八ヶ岳と両宮が遠望できる)では辰野(小野)の地酒「夜明け前」が振る舞われていたそうです。諏訪の酒蔵でなくてなんで小野なの?と思ったそうですが、実にこの場所こそ原家が高遠藩に挨拶をしていた場所。その昔は桟敷の設置場所で諏訪と争ったとの記録も残る、高遠藩にとって御柱の際に藩主の名代が訪れる場所だったのでした。

諏訪博物館常設展示室2常設展示室2です。打って変わって博物館の外観のイメージを踏襲する明るい造りに、スポーク状のオブジェとピラミッド型の展示ケース、そして展示内容は在野の考古学者、今なお縄文史研究を悩ませる発端となった、縄文農耕論を提唱した在野の考古学者、藤森栄一の業績を紹介するコーナーになっています。

残りの右半面は片倉館から寄託された考古発掘資料を展示するコーナーと、実は左側がシンプルながら凄くコアな展示なのです。

諏訪博物館常設展示、肥水くみ上げ風車主に民俗資料の展示なのですが、ここにしかないであろう一品。今もガラスの里の周囲に行くと警告板が建てられていますが、諏訪湖畔で行われていた天然ガスの採取とその副産物を肥料として用いていた「肥水」と呼ぶ井戸をくみ上げていた風車。かん水だと思いますが、肥料に用いていたというのも聞くのは初めてですし、このような形で諏訪の産業史の一ページを採り上げられている点に物凄く好感を持ちます。

諏訪博物館常設展示、御渡帳そして、諏訪市博物館に行く以上、是非観たかった御神渡の歴史を綴る御渡帳と当社神幸記..って、貸し出し中だなんて(涙)。

諏訪博物館、御神渡関連掲示ちょっと気を取り直して、2階のロビーに飾られている平成18年度の御神渡関連のパネル展示を眺めながら。ついこの間、雑誌natureの電子版にヨーロッパとの比較で地球の気候変動を示すバロメーターとして御神渡の記録が使えるという論文が出て、俄然注目を浴びている諏訪湖の御神渡ですが、情報センターとしての役目を果たす諏訪市博物館としては、ぜひこの機会に企画展やシンポジウムの開催をご検討いただきたいと勝手にお願いしてしまいます。

諏訪市博物館寄贈展示品ミニチュア御柱なんだかんだ言ってタップリと楽しんでしまった諏訪市博物館。

でも、一番楽しかったのは、休憩コーナーに展示されていた、地元の方が寄贈した手作りのミニチュア御柱セット。前回の前宮一の御柱の建御柱つり上げ構造を忠実に再現した模型と、上社と下社の御柱曳行方法の違いをこれまた丁寧に作り分けている模型を眺めているだけで、はっきりとそのシーンを思い出す事が出来ますね(館内に飾っている曳き綱を巻いたミニチュアオブジェと一緒にキットで売って欲しいです!)。

諏訪市博物館の資料類本日のおみやげ類(購入資料)。

御柱関係の古い写真を集めた写真集「御柱とともに」。今回の件についていろいろ仰る方もいらっしゃいますが、まずはご覧頂きたい写真集です。次に、隣の山梨の方にとっても特に興味深い内容が書かれている「戦国時代の諏訪」そして、江戸時代初期の諏訪藩主(三代忠晴)が描かせた諏訪藩領の屏風絵図「御枕屏風」の解説写真集。博物館に展示されている模写品は既に読み取りにくくなっているため、このような写真集はとてもありがたいです。次は是非御柱絵巻の写真集も…。

左下にちょっと置いていますのが、上社で頂きました御柱御守です。

この6年間で色々な事がありましたが、2度目の御柱をこの地で無事に迎えられた事への御礼として。

<おまけ>

本サイトでご紹介している関連するページを。